2018年12月18日火曜日

1216 ピアフ

大竹しのぶが絶賛されているピアフを初めて見た。ピアフのような破滅的な人間を演じるのはお手の物。だが、体中のエネルギーを注ぎ込むような歌はピアフらしいのかもしれないが、話声と同じ発声や音楽的に盛り上がる高音部がひび割れるような感じが私は苦手だ。とはいえ、晩年の、命を削るような歌唱には圧倒された。配役はしっくりないものが多く、特に、マルセル役に駿河太郎を配したのはなぜ?貧相な体で強そうでもなく、ボクサーの亀田兄弟には似ているけれど、マルセルは包容力のある大男では。マレーネ・ディートリッヒ役の彩輝なおも、ディートリッヒのゴージャスさが足りない。

2018年12月16日日曜日

1214 燐光群「サイパンの約束」

日本領だったサイパンで生まれ育った少女の手記をもとに映画が撮影される。出演者によるワークショップと戦中の出来事、現在の様子が混在し、少し混乱したのと、説明的なセリフが多く、作品に入り込めなった。しかし、ラストシーンが近づくにつれ、渡辺美佐子演じる春恵の存在感が増し、説得力ある演技に引き込まれた。記憶があいまいで少女に戻ってしまう役だったせいか、逆に渡辺の老いを感じた。セリフに詰まるところもあったようだし。サイパンへの移民は沖縄出身者が多かったとか、内地と沖縄、植民地と三段階の差別が当時からあったとか、気づかされることがあったのは燐光群ならでは。

2018年12月12日水曜日

12月10日 文楽鑑賞教室 Bプロ

「団子売り」は希、小住、亘、碩に清丈、寛太郎、錦吾、燕二郎。あまり印象に残っていないのは多分、あかんところが目立たなかったせい。その分人形がよく見られて、舞踊のように結構複雑な動きをしているのだなぁと感心したり。人形は簑太郎と玉誉。派手さはないのだが、堅実な遣い方とでも言おうか。

解説は靖、友之助、玉翔。
人形浄瑠璃は安土桃山時代に源流と靖。昨日の希と同じようだが、源流としていたのと、今の形になったのは江戸時代と付け加えていたところが違う。実演は忠臣蔵の裏門で、お軽と勘平の語り分け。三味線がこれを引き継いで、お軽の駆けてくる旋律の応用で、デートにやって来る若い娘、身分の高い姫の弾き分けや、泣きの実演など、太夫と三味線が連動していてよかった。
人形は定番の解説に加えて、玉翔が左遣いは暇そうに見えるが、小道具の出し入れという重要な仕事をしていると説明。女方の人形が座るときメガネを踏んでキャッという、ハズキルーペのギャグで一番の笑いをとっていた。粗筋説明の靖に振る際、「自称、文楽界の舘ひろし」と紹介。靖はすかさず「自称はしてません」と息の合った様子。ただその後の粗筋説明はとっ散らかっていて、菅秀才が菅丞相の子であることを説明し忘れて後から言い足したり、源蔵夫婦が時平に追われてると言ったり(時平が追っているのは菅秀才)、初めての人には多分意味不明。どうしちゃったの?

「寺入り」は咲寿・友之助。得意げに語っているのだが、声のコントロールが荒く、所々耳に触る。菅秀才も育ちの良さというより、ちょっと足りないみたいに聞こえた。

「寺子屋」の前は呂勢・燕三。義太夫節を聞いたという充実感。源蔵の苦悩や松王の骨太さの語り分けが的確で、村の子供と親たちの滑稽な場面と首実検の緊張感あるやり取りの緩急ある語りも心地いい。燕三の三味線も要所を押さえて効いていた。
後の芳穂・清志郎は多分悪い出来ではないのだが、前に比べると物足りなく感じた。
人形は勘十郎の松王は、登場から小太郎への思いをはっきり示し、首実検では明らかな動揺を見せる。生身の役者なら(というより仁左衛門なら)、一瞬の動揺を押し隠して何事もないように振る舞うという細かな描写ができるが、表情のない人形だとどうか。あまり動作に出さず、肚に抑えておくくらいの方がいいように感じた。
玉彦の涎くり、ちょっとふざけ過ぎではないか。寺子屋の冒頭のオクリのときに、ほかの子どもらと遊んでいるのはいいとして、笑いを取りに行くのはどうかと思う。

12月10日 松竹大歌舞伎 昼の部

「幸助餅」
チケットの発券に手間取って冒頭を観そびれたのだが、大阪で観たのと比べて、①セットが豪華②幸助がシュッとしてる(カッコいい?)③餅屋が立派(かつての大店に匹敵するのでは…)。お江戸に行くとこうなるかと。人物描写が硬いといおうか、深みがないのか、上方の柔らかみがないとずいぶん雰囲気が違って見える。セットが豪華なのは歌舞伎座の間口に合わせたのかもしれないが、最後の餅屋があんなに立派では話のニュアンスが変わってしまう気がする。

「於染久松色読販」
壱太郎がお染の七役。早変わりは概ね無難にこなしていたが、茣蓙に包まったお染がすれ違いざまに久松と変わるところは、茣蓙の隙間から久松の着物が見えてしまい、変わった後のお染の着物も乱れていたのが惜しかった。初役だから無理もないが、鮮やか、とまではいかなかった。回を重ねたらよくなるのだろう。
七役ではお染や久松、お光らはニンに合っているが、育ちの良さが出てお六のセリフに貫禄が足りない。強請りたかりが真似事のよう。3場の踊りはお光の狂乱はもちろん、お六も立ち姿が決まっていた。

12月9日 文楽公演

「鎌倉三代記」
局使者の段は希・清軌。希は声はいいのだ。同年配の局2人と三浦之助母と女性の登場人物の語り分けがもっとはっきりすればいい。
米洗いの段は靖・錦糸。靖の声が良くでていて、午前のアレはなんだってのかと思う。錦糸の指導の賜物か、三味線でこうも変わるのかと。慣れない家事に勤しむ時姫の健気さ、おらちのおかしさ。コミカルな場面はニンに合うのか、楽しめた。
三浦之助母別れの段は文字久・藤蔵。この組み合わせは久しぶりだ。文字久はのびのび語っているようでいいのだが、あまり泣けなかった。
高綱物語は織・清介。力で推していく感じで、山場でははっと目が覚めるようだが、ずっとこの調子なので疲れる。歌い上げるようなのもいただけない。
人形は勘弥の時姫が可憐。玉助の三浦之助は力がはみ出るよう。和生の母は出番が少なくもったいない感じ。玉志の藤三郎実は高綱は腹に一物ありそう。

「伊達娘恋緋鹿子」
珍しい八百屋内の段は津駒・宗助。お七がお店のために嫁にやられそうになっていることや、吉三郎が大事の刀を失くして取り戻す期限が迫っていることなど、お七と吉三郎を取り巻く事情が明らかになる。…のだが、吉三郎の煮え切らない様子、お七の恋にのめり込むのがよく分からん。親もとりあえず嫁に行って嫌われて戻ってこいと言っているのだし、ここは親孝行のために偽装結婚してもいいのでは…と思わなくもない。
人形は一輔のお七が年頃の娘の暴走ぶりを活写。吉三郎の玉勢は金も力もない二枚目らしい。下女お杉の簑紫郎が手堅い。
火の見櫓の段は芳穂、南都、亘、碩に勝平、清公、錦吾、燕二郎。南都の美声が効いていたのと、勝平の三味線の安定感が耳に心地よかった。

12月9日 文楽鑑賞教室 Aプロ

「団子売」
靖、咲寿、亘、碵に団吾、友之助、清公、清允。
靖は調子が悪いのか、声が出ておらず、あれ、という出来。咲寿は女の声がどこから出てるの?という調子外れ。シンの2人がこれではがっかりだ。
人形は玉翔と紋吉。

解説は希、寛太郎、玉誉。
希は文楽の歴史は安土桃山時代に始まった(人形浄瑠璃と言ったかも。人形芝居はともかく、少なくとも太夫なら竹本義太夫を始祖とすべきでは?)とか、竹本義太夫の時代を説明するのにモーツアルトの名前を出すとか(はあ?普通、日本史上で有名な出来事や人物をあげないか?一般の人はモーツアルトの名前は知ってても時代までは詳しくは分からないと思う。義太夫節を西洋のオペラになぞらえて偉大な作曲家と並べたかったのか)迷走ぶりに拍車がかかって心配になる。「寺子屋」の作品解説でもさっくりネタバレしちゃうし。普通、源蔵のとった意外な策とは…とか気を持たせるだろうに。語り分けの実演は「熊谷陣屋」から。あまり高度な語り分けにしないほうがいいいと思うのだが。
寛太郎は突き撥と叩き撥之違いなど相変わらずマニアックなのだが、結構笑いを取っていた。

「菅原伝授手習鑑」は「寺入り」を小住・寛太郎。小住は堂々として風格すら感じさせる。寛太郎も手堅い。
「寺子屋」の前が千歳・富助。富助がオクリでミスタッチを連発して意外だった。三味線が滑ったのか仕切りに位置を気にしていた様子。中盤からは話に集中したので気にならなかったけれど。千歳は声の調子が今ひとつ。全体的に声が軽く、松王の重厚さが足りなかった。後の睦に変わって、良くなったと感じてしまったほど。睦は調子が良さそうで、低音がしっかり出ており、高音の掠れも気にならなかった。まあ、曲がいいというのもあるのだろう。

1208 藤間勘十郎 春秋座名流舞踊公演

「君が代松竹梅」
素踊りで並ぶと、勘十郎だけ縮尺が違うみたいだ。扇で松竹梅を表していたのだが、紋付袴の男性陣はともかく、梅役の女性の衣装が紫色の藤模様とはいかに?藤間流だから?

「凄艶四谷怪談」
勘十郎が素踊りで5役早替りとはいかに?と思ったら、袴や着物を替えていた。冒頭は鶴屋南北役で軽く作品紹介。すぐに衣装を替えて四谷左門になったと思ったらすぐに伊右衛門に切られ、早替りでお岩になって花道から登場…とのっけから盛りだくさん。
お岩は哀れさはあまり感じられなかったが、踊りの場面では楽しげに踊っていたかと思えばふと恨みを滲ませる変化が見事。面体の変わるところは赤黒いマスクを用いたところもあったが、手拭いで顔半分を覆ったり、団扇で隠したりと余りメイクに頼らない演出。かと思えば、伊右衛門に切られたところで、白い傘に血を吐くケレンもみせた。
伊右衛門役の若柳吉蔵は色悪というより実悪の風情。宅悦と与茂七の二役を務めた尾上菊之丞は宅悦のおおげさで滑稽な身のこなしと与茂七のスッキリしたサムライ風情の対比が鮮やか。セリフも多かったが口跡よかった。
芝居との違いは、伊右衛門宅でお梅が死なず、二人で逃げ延びて所帯を構えたところへお岩の変じた虫売りがたずねていく。大ネズミに子どもが攫われたり、戸板返しはなし。
小仏小平の替え玉は短髪の男性だったので違和感なかったが、お岩の替え玉がなぜか長髪の下ろし髮の女性で、はじめ誰か分からなくて混乱した。勘十郎のフリをするなら短髪のほうがいいと思うのだが。せめて髪はまとめてるとか。
客席には歌舞伎役者や舞踊関係者がたくさん。気づいたところで、鷹之資、梅丸、蔦之介、吉太郎。茂山逸平や井上安寿子の姿もあった。

2018年12月8日土曜日

1207 KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」

天野天街らしい、時間や空間が行ったり来たりする演出で不思議な空間に誘われる。穴の開いた障子が一瞬で無傷に戻ったり、倒れた花瓶が元に戻ったり。真ん中に敷いた布団が仕掛けの種になっていて、小道具が出てきたり、客席後方や舞台袖に去った喜多さんが戻ってきたり。ちゃぶ台の穴から筆が出てきたり、畳の穴から頭蓋骨が出てきたりで、夢か現かあいまいな幻想空間が表現されていた。ラストは障子の向こうに去った弥次喜多のシルエットが残るなか、障子が倒れてそこには誰もいない。約100分の上演時間は長かったような短かったようなで、狐につままれたよう。 初演から16年。全力疾走しっぱなしのような舞台だったが、年齢を感じさせない軽快さ。だが、初演時はもっと違ったのか。スマホでうどんの出前を取る場面、初演時は携帯電話だったのかな。

2018年12月7日金曜日

1205 空晴+南河内万歳一座☆オールスターズ「隠れ家」

旗揚げ40周年に向けた企画の第一弾で空晴との合同公演。 内藤裕敬、鴨鈴女、岡部尚子、上瀧昇一郎のシニア組(?)が過去からやってきた地球防衛軍で、運休してしまった列車から歩いてきた人たちをトンネル内の隠れ家に連れてくる。何故かトンネル内にはシャッター通りとなった商店街があり、指輪が抜けず夏にとどまったままの女(古谷ちさ)や、遠泳の授業で失敗した過去にとらわれた男(南川泰規)、線路を走って逃げる男(駒野侃)ら、乗客の過去が明かされる。のっけから内藤節ともいえるセリフが満載で、クスクス笑いが絶えない。空晴の役者たちがこれを話している新鮮さも面白かった。古谷はけっこう重要な役どころでセリフも多かったのだが、風邪なのか声がかすれていたのが辛そうだった。男性陣が赤ふんどし姿で踊ったり芝居したりするシーンは受け狙いな感じでどうかと思う。あと女性陣の制服姿も。 「危機を救えるのは過去だけ」というメッセージ?が印象的。我々は過去から逃げ、まだ来てもいない未来におびえて立ちすくんでいるようだ。

1203 吉例顔見世興行 夜の部

「義経千本桜」
木の実からすし屋まで。2時間半ぶっ通しは辛いわ。
小金吾初役の千之助は溌剌として、キビキビした動きが好印象。立ち回りでは刀がロープに引っかかるなど不手際もあったけど、懸命な様子に好感が持てた。若葉の内侍のが孝太郎、権太の仁左衛門と3人並んだのもご馳走感があっていい。
権太の仁左衛門は多分ニンではないのだけど、観客の心を打つ。ゴンタくれで憎たらしいときもどこかチャーミングだし。子煩悩な一面や秀太郎の小せんとのじゃらじゃらしたやりとりがその後の悲劇を際立たせる。秀太郎の小せんは権太のセリフにあるように「瑞々しい」女房ぶり。
お里は扇雀。弥助の時蔵と並ぶと柄が大きいので可愛く見えないのだなあ。
梶原の手下の梅丸が凛々しい武者ぶり。
すし屋の引き戸の建てつけが悪く、途中までしか開かないハプニングが。仁左衛門が「エライ建て付けが悪いなぁ」とアドリブで補ったけど、狭い隙間から滑り込むように出入りするたびにに笑いがおきたのは気の毒だった。若葉の内侍なんて、着物や髪飾りで大分かさばっているので特に。

「面かぶり」
鴈治郎の一人踊り。竹馬ひ乗ったところ、懸命にやっているのだろうが、軽やかさがなくバタバタした印象。

「白浪五人男」
愛之助の弁天は可愛いさがあり、男に戻ってからの落差と、歯切れのいいセリフも悪くない。「知らざぁ言って…」の決めゼリフは大げさすぎず、さらりと。力みすぎると興ざめだ。永楽館の時の方が、なんとか女に見せようと懸命な感じで良かったけど。
右団治の南郷とのコンビも良かった。そして、右団治が格好よかった。
日本駄右衛門の芝翫はやはり力みすぎるというか、やかましい。
勢揃いはやはりスカッとする。

「神田祭」
鷹之資の悪玉に千之助の善玉という、同級生コンビが清々しい。踊り上手な鷹之資に見劣りするかと心配したが、なかなかどうして、溌剌とした動きに好感が持てた。フレッシュな一幕で、打ち出しにはもってこい。

1203 吉例顔見世興行 昼の部

「寺子屋」
愛之助の武部源蔵は初役?花道の出が今ひとつ重みがないというか、無理して深刻そうにしているように見えた。戸波に事情を明かすあたりからは緊張感があった。首実検が終わって玄蕃一行が立ち去った後、戸波と抱き合って喜ぶところは世話物かという勢い。松王の告白を聞いているところで目の辺りから雫が。涙かと思ったが、泣くような場面ではないだろうし、汗なのか。戸波は扇雀。柄が大きいのはともかくも、世話女房ぽい。
芝翫の松王は、登場時の咳が長く、感情が高ぶったところでがなるような発声は耳障り。千代の魁春は目の下のラインが直線のようで違和感があった。
涎くりに福之助。美味しい役のはずなのに、道化役になりきれないようであまり面白くなかったのが残念。
朝イチで寺子屋はしんどかった。あと、首実現のところで携帯鳴らしたのはほんとやめてほしい。

「鳥辺山心中」
梅玉の半九郎はすっきりとして、短気で人を殺めるようには見えないのだが、何故か物語を受け入れてしまった。孝太郎のお染は純朴な娘らしい。右団治の坂田源三郎が一本気な青年を歯切れよく表現。梅丸がかわいい。

「ぢいさんばあさん」
仁左衛門のチャームが止まらない。またかと思う演目なのに、るんとのいちゃつきぶりがノリノリの様子で、ほのぼの。
京都の場面では松之助の同輩の侍がいい奴らしい。
芝翫の下嶋がやっぱりがなっていた。
年老いてからもやはりら可愛らしい夫婦で、甥夫婦の愛之助と孝太郎もほのぼの見えた。

「新口村」
藤十郎の忠兵衛はもはやミニマムの動きで、顔の向きも変えないほど。声があまり出ていなくて、三味線でセリフがかき消された。
扇雀の梅川、鴈治郎の孫右衛門。親子が逆ではというのは置いておいて、3人が並ぶとやはり似ている。

2018年12月2日日曜日

12月1日 庭劇団ペニノ「笑顔の砦」

京都府北部と思しき海辺の町の古いアパートで暮らす漁船の船長。ある日、隣の部屋に認知症の老婦人が引っ越してくる。隣あう2部屋で別々の暮らしが営まれるが、時に不思議なリンクが生まれる不思議。直接影響はしていなくても、互いの生活に何らかの作用を及ぼしあっているよう。
長い夜の間、認知症が進んだ母が粗相をしたり、帰りたいと駄々をこねたり、家族では介護しきれない様子に絶望感が漂う。一方の漁師の側は、若者バイトに腹を立てた先輩が暴行を加え、長年船長を支えてきた船員が家族の事情で町を去ることになる。
重苦しい夜が明けたラスト、認知症の母は部屋からいなくなっていて、施設にでも入った様子。短期アルバイトの青年は漁師になる決意をしたところで、希望を感じさせるラスト。

2018年11月29日木曜日

1126 青年団「ソウル市民1919」

前作から10年後、三一運動の日の日本人商家を描く。10年前よりどことなく不穏な空気なのは、戦争の影が近づいているからか。内地から出戻ってきた妹や何をするでなく日々を過ごす書生ら、棘のある言葉が行き交う。差別意識も色濃く、併合された朝鮮への無邪気な悪意とでも言おうか。朝鮮は望んで日本になったのだから、民族自決は関係ないと信じて疑わない様子に朝鮮人使用人の不満が鬱積する。気弱な相撲取りや怪しげな興行師の役割がよく分からなかった。
「ソウル市民」と続けて見たので、同一の役を演じる人がいる一方、全く違う役の人がいて戸惑った。

2018年11月23日金曜日

1122 青年団「ソウル市民」

日韓併合を控えた1909年のソウル。日本人の商家の居間を舞台に、家族や来客、使用人らのとりとめのない会話から無意識の差別が浮かび上がる。文具店主の弟役の太田宏、年かさの女中鈴木役の工藤公美らが醸す、そこはかとない嫌らしさがいかにもありそう。途中何度か舞台上が無人になり、放り出されたような気分。駆け落ちした長男と女中の行方を捜しに行ったところで唐突に暗転し、幕。手品師はどこへ行ったのかとか、次女の文通相手は?とか、様々な疑問を放り出したまま。確かに誰かと話したくなる芝居だ。

2018年11月22日木曜日

1120 宝塚花組「蘭陵王」

専科の凪七瑠海を迎え、美しすぎる蘭陵王を説得力をもって演じた。少年時代から、成人しての変化。さすが専科というべきか。他の花組生は若手中心ということもあってか、学芸会のようないたたまれなさが踊りにも芝居にもあったのだが、凪七がいるととたんにプロの世界になった。娘役の音くり寿が間者として潜り込み、次第に蘭陵王に惹かれる洛妃を好演。蘭陵王の兄の王子、高緯を演じた瀬戸かずやは残念なおかまみたいだった(たぶん台本通りなのだろうが…)。蘭陵王の生い立ち、王位争いに巻き込まれ国を捨てていくという本筋のストーリーはよくできていたが、高緯とその取り巻きのお笑いパートが蛇足というか、違った風だったらもっとよかったのにと思った。東儀秀樹作曲のフィナーレの曲は格好よく、演奏もよくあっていた。本編とはかかわりがなかったのは残念だが、あのストーリーでは生かしきれなかったのかとも思う。

11月17日 大槻文蔵裕一の会

「鷹姫」 野村萬斎の演出の妙はよく分からなかったが、終始薄暗い舞台に凛と立つ鷹姫の気高い美しさ。姫を取り囲むように立つ灰色の面を被った地謡?は岩なのだそう。ワキのような役割が萬斎演じる空賦麟なのだろうか。 「石橋~師資十二段之式~」 文蔵の白獅子に裕一の赤獅子。2人並ぶと文蔵の所作の美しさに目を惹かれる。どこがどう違うのかはよくわからないのだが。

2018年11月17日土曜日

1116 浪漫活劇「るろうに剣心」

男性キャストを交えてのるろ剣は殺陣の迫力や芝居のリアルさが増したように思うが、漫画っぽさでは宝塚版のほうが勝るか。 早霧せいなの剣心は女性が演じているという不自然さがなく、役が手に入っている様子。歌は各段に上手くなったような。歌で勝負できるほどではないものの、音程が外れることはなく、安心して聞けた。宝塚トップのときのような突出したカリスマ性は薄くなっていたのは男性キャストとならんだせいか。 加納惣三郎のニヒルな格好良さ、男性群舞の鮮やかさという、宝塚版で良かったところがなくなっていたのは残念。加納役は松岡充より望海風斗のほうがよかった。神谷薫役の上白石萌歌は若いせいか、キャストの中で埋もれてしまった感じ。トップ娘役のような存在感を求めるのは無理というものか。斎藤一役の廣瀬友祐は背が高く、クールな様子が格好良く、低い声も存在感があった。剣心の陰役の松岡広大が高い運動能力で、躍動感のある殺陣を披露。

2018年11月16日金曜日

1115 藤間勘十郎舞踊公演

勘十郎による解説に続いて、井上安寿子との「二人静」。能がオリジナルの静かな舞に加え、安寿子は京舞なので、抑制された動きが多い。勘十郎と並ぶと、華奢さが強調されるというか、勘十郎の身体的な大きさが目立つ。2人で並んで舞うと、異形のものと可憐な菜摘女という風情で、ある種物語の世界観が出ているのかも。 続いて、若柳吉蔵との「茨木童子」。芝居気が十分に生かされ、勘十郎の茨木童子は登場から怪しげな雰囲気。吉蔵の渡辺綱はキリリとした武者らしさ。間狂言でガラリと雰囲気を変え、勘十郎の都の者、吉蔵の陰陽師がコミカルに。最後の立ち回りは迫力があった。

11月15日 宝塚雪組「ファントム」

歌うまコンビの念願の作品とあって、存分に歌唱力が生かされた。特に、真彩希帆のクリスティーヌの圧倒的な歌声。彼女なくしては成立しない芝居だろう。オペラ座のプリマに抜擢されるのも納得だ。ファントムの望海風斗は1幕はそれほどでもなかったが、2幕の冒頭のソロは聴かせた。そして2人のハーモニーは特別感がある。彩風咲奈の前支配人のキャリエールは髭が良く似合い、落ち着いた風情。ファントムの実の父という設定で、父息子の愛が描かれるのだが、そのせいかファントムが少年らしく、威厳が足りないような。フィリップ伯爵と新支配人ショレは役替わりで、この日は彩凪翔のフィリップ。クリスティーヌとの関係の描かれ方が少々薄く、ファントムとの対決に緊迫感が少ないような。ショレの朝美絢は似合わない老け役だったが、コミカルに演じることで成立させていた。そして、やはり好きではないのだが、カルロッタの舞咲りんがはまり役。オーバーで嫌みな演技がこの役には合っている。

1112 地主薫バレエ団30周年記念公演「眠れる森の美女」

細部まで神経の行き届いた、気合の感じられる舞台だった。群舞の美しさ、衣装、装置も美しい。 オーロラ姫の倉永美沙は確かなテクニックで余裕のある踊り。技を見せつけるという風でなく、無垢で幸福な姫としての喜びにあふれる。デジレ王子の奥村康介とのパートナーシップも息が合って、たまにバランスが崩れそうになってもすぐに立て直していた。

1110 貞松・浜田バレエ団「創作リサイタル30」

「調子のいい舞曲」より
女ばかりの中に黒一点。レッスンのようなお行儀のいい踊り。

「時を生きる」より
ラヴェルのからビートルズにガラリと曲調が変わる。

「クレイジィ・ラヴ」
男女2人ずつ。赤いドレスのおきゃんな女の子とウサギのような白衣の女の子。やんぢゃな男子との駆け引きがほのぼのと笑わせる。

「不安の時代」
冒頭のルンペンが井勝。衣装は昭和風だが踊りには古さは感じられない。はないちもんめや缶蹴り、かごめかごめを思わせる振り付けが楽しく、コンテンポラリーらしい、複雑な動きも。最後は何か希望に向かって手を差し伸べるよう。

「Fashion Nightmare」
前身頃は白のジャケットだが、後ろはなぜかワンピース。と思ったら、後ろは肌色で裸のよう?途中、急に語りだすのが面白い。

「セイラーズ・セイリング」
カラフルなセーラー服で楽し気なのはいいとして、なぜ「アルプス一万尺」の音楽なのか。
「DANCE」
幕間休憩中に1人のダンサーが即興で踊り続ける…と思ったらそのまま幕が上がり、作品へ。観客を舞台上に上がらせ、見よう見まねで踊りだす。最後、1組だけが残るのだが、残された女性はダンサーを差し置いて踊るほどで、少々困っていたような。

2018年11月11日日曜日

1110 逸青会

10回目の記念公演で、ゲストに藤間勘十郎。客席には芸舞妓やOSKの高世真央、楊琳らがいて華やか。
「汐汲」
菊之丞のたおやかな舞姿。指先まできれい。

「御茶の水」
七五三の師匠、逸平の新発意、童司のいちゃ。逸平と童司のカップル?がかわいい。

「煎物」
勘十郎の主人公に菊之丞の太郎冠者。先斗町や上七軒、宮川町、祇園町の流行りを次々と踊る趣向が楽しい。並んで踊ると、勘十郎は押しが強く、菊之丞はしっとり。セリフのうまさは菊之丞か。逸平の煎じ物売が加わり、賑やかさが増す。

「鏡の松」
能舞台で松の番をしている不思議な老人に逸平。舞に来た男(菊之丞()が素性を問うと、舞台の神様であることが分かって…という筋立て。浦島太郎か水戸黄門か、はたまたサンタクロースかと、パロディを盛り込んで笑わせる。能舞台ではありえない、客席降りもあったりして。神様かと思ったら違ったというオチがありそうでと思っていたので、そのまま終わってしまってちょっと拍子抜けだった。

2018年11月10日土曜日

11月9日 神田松之丞漫談漫遊記vol.2

赤穂義士伝から堀部安兵衛にちなんで「安兵衛駆け付け」「安兵衛婿入り」「荒川十太夫」の三席。 マクラから、笑いを取りに行く様子が嫌らしくなった。客いじりとか物販の宣伝とか。「駆け付け」の前半は、「ばばあ」と執拗に言って笑いを狙ったり、やたらと見台を叩くのが耳障りで、途中で帰ろうかと思ったほど。十人切りのところでは、口裁きのよさで一気にまくしたて、引き付けた。「婿入り」は「この続きは…」と何度も勿体つける演出がうっとおしい。「荒川十太夫」はさらりとして、どこが人情噺なのかと思った。他の講釈師だと十太夫の妻が登場し、夫を励ましたり、2人で内職したりと葛藤がもっと描かれるのだそう。松之丞は不幸な生い立ちゆえの陰のようなものがあって、それが芸に凄みを与えていたのだが、売れたせいかその陰がなくなった。私生活が幸せになるのはいいことなので、前のように戻る必要はないのだけれど、芸の魅力を保つには何か他のものがいるように思う。

11月8日 劇団新派「犬神家の一族」

新派の女優陣(女形含む)の力量が充分に発揮された舞台。松子の波野久理子を筆頭に、竹子の瀬戸摩純、梅子の河合雪之丞が濃厚な芝居で重苦しい世界観を形成。瀬戸がどすの利いたセリフで渡り合っていたのに驚いた。宮川香琴の水谷八重子は浮世離れした様子がそれらしい。一方、男優は今一つで喜多村緑郎の金田一はおたおたと走り回っているばかりで、あまり活躍していないような。佐清と静馬の二役の浜中文一が健闘。

1107 11月文楽公演 第2部

「雲雀山姫捨松」
靖・錦糸から千歳・富助の流れが定着しつつある。錦糸の三味線は足取り確かにリードするも、靖はこのところ停滞気味のような。踏ん張りどころなのかな。千歳は確かな語り。胡弓に錦吾。
人間は簑助の中将姫がノリノリで哀れさを醸し出す。自身の体を支える介添え役もいないようで、お元気そう。移動時に足遣いが立っていたのは、体を支えるため?

「女殺油地獄」
徳庵堤を三輪・清友。
河内屋内の口は亘・清丈。ガチャガチャしたところはあるが、声はよく出ていた。奥は文字久・團七。落ち着いた語り口で安心して聞けた。
豊島屋は呂・清介。語り出しの声が気味悪くゾワッとする。そろりそろりとした調子はいつもながらだが、声の響きが何故か不快。全体的に平坦な語りで、クライマックスが盛り上がらない。勘十郎の与兵衛、お吉の和夫と人形は熱演。

1107 11月文楽公演 第1部

「蘆屋道満大内鑑」

「葛葉子別れの段」の中は咲寿・勝平。咲寿は時々声が外れるものの、老若の女の語り分けがはっきりしてきた。
奥は津駒・宗介。何でか泣けず。狐言葉は歌舞伎に比べ少なめ。
前半は主遣いも頭巾を被って。和夫の葛の葉は細やかな情に溢れる。保名の清十郎が品のある二枚目。
「信田森二人奴の段」は芳穂、津国、南都、咲寿、碩に藤蔵、清馗、友之助、錦吾、清允。三味線が華やか。津国の豪放な語りが役に合っている。人形は野勘兵衛が玉助、与勘兵衛が玉佳ということは、野勘兵衛が主役か。途中、狐足になるところがあったけれど、狐らしさは薄い。

「桂川連理柵」
六角堂の段は希、小住、文字栄に団吾。
帯屋の段の前は呂勢・清治。呂勢のおとせの意地悪婆さんぶり、弟儀兵衛の嫌みっぷりが秀逸。長吉を笑い者にする執拗さ。何だか楽しそう。切は咲・燕三。咲は声に力強さが戻り、復活を感じさせるものの、楽器が古びた感じは変わらず、高音部が辛い。  
道行朧の桂川は織、睦、亘、碩に清志郎、寛太郎、清公、燕二郎。寛治の紋の肩衣を付けて、個人を偲ぶ。
勘十郎のお半は後ろ振りで登場。道行の場面では後ろ振りになるところで「はっ」と掛け声。ここが見せ場と知らせるためか。

1105 ゲゲゲの先生へ

水木しげるへのオマージュとしてみればとてもいい。子供が生まれなくなった平成60年という未来で人間と妖怪(精霊?)の世界が混然と描かれる。前川作品に期待したスリルや手に汗握る感じは少なく、何度か意識を飛ばしてしまった。佐々木蔵之介が半妖怪という特異な存在を飄々と演じ、松雪泰子が妖怪花役のときの妖しく美しい発声が不思議な雰囲気を醸し出す。リポーター役の時の絶叫との使い分けにも舌を巻いた。白石加代子のおばばの妖しさは期待通り。イキウメの役者たちが世界観をしっかり作っていた。

11月4日 十一月歌舞伎公演「名高大岡越前裁」

将軍の御落胤を騙る天一坊の経緯から、大岡越前によって嘘がバレるまで。右団治の法沢は馴染みの老女お三(歌女之丞)から吉宗の御落胤の孫と誕生日が同じと知ったばっかりに、魔が差して悪事に手を染める様がリアル。解せないのは、せっかく同じ紀州で生まれ、誕生日も同じなのに、佐渡生まれの天一になりすましたこと。そのせいで悪事ご露見してしまったわけだし。
右近の忠右衛門が健気で涙を誘う。役の設定は11歳だが、実際には8歳なので、幼さが強調され、父に討たれようとするところで自ら切腹を希望するなんざ、大したお子だ。
梅丸が下女お霜役で可憐な少女。彦三郎は下男久作と越前家来池田大助の二役が全く別人。侍の時は低い声で重々しく、声の引き出しの多い人だ。
名高い大岡裁きというタイトルの割に、大岡自身は大したことしてないような。そもそも何で天一坊を疑ったのか。

11月4日 宝塚月組「エリザベート」

総じて、人間らしい「エリザベート」だった。予想していた通り、珠城りょうのトートは健康的すぎ、青い血でなくて真っ赤な血が漲っていそうだし、愛希れいかのエリザベートは死神なんか張り倒しそうな強さだったのだが、やはり曲の良さ、物語の構成の良さで楽しめた。愛希は演技派だけあって、ルドルフの死を嘆くところがいちばんぐっときた。「私が踊る時」の凛とした力強さもよかった。珠城と並ぶとどうしても姉さんのようで、エリザベートに再三振られてがっかりするトートがわんこのよう。衣装のせいか、肩幅のせいか、冒険ファンタジーの主人公(アーサー王のような)にも見えた。月城かなとのルキーニは狂気が薄く、普通に男前だし、組長憧花ゆりのは少々軽く、ゾフィーは貫禄がもう少し欲しい。美弥るりかのフランツは歌声が真風涼帆を思わせた。全体的に歌には難あり。オケもファンファーレで金管が音を外すなど、残念な出来だった。
フィナーレでラテン風にアレンジした楽曲はいかがなものかと思ったが、珠城と愛希のデュエットダンスがたっぷりあったのはいい。リフトの高いこと。他の男役なら腰の高さで済ますところ、胸でリフトしていたのはさすが。

1103 京都バレエ団公演~屛風・京の四季~

「京の四季」
春夏秋冬それぞれの小品。琴の演奏に合わせたり、舞台奥で花を生けたり。春の着物風の衣装がかわいい。四季のなかでは冬場がよかった。雪の降る中、白い衣装を纏った10組くらいの男女が踊る。コンテらしい振り付けで、視覚的にもきれい。

「屏風」
サティのピアノ曲と和風の物語は存外違和感なく観られたが、いくつかの曲がブツ切れでモザイクのように切り合わせ、同じメロディが何度も繰り返されるので、少々飽きた。ピアノに笛と小鼓を合わせるのは違和感なく調和してた。3場、金剛永謹の謡が緊張感を高め、一番の見せ場。屏風売りが死の商人のようで怪しい雰囲気。屏風の女役の光永百花(牧阿佐美バレエ団)はスタイルがいい。

1102 吉例顔見世興行 夜の部

「寿曽我対面」
愛之助の曽我五郎はいいなあ。きびきびした動きで荒事らしい豪快さがある。孝太朗の十郎のたおやかさ。秀太郎の舞鶴、吉弥の大磯の虎、壱太郎の化粧坂少将、と見覚えがあるとおもったら数年前の松竹座と同じ配役だった。
工藤の仁左衛門が敵役の貫禄で役者の器の大きさをみせた。

「口上」
襲名する3人に藤十郎、仁左衛門のみというシンプルな構成。その分一人一人がしっかり話できていい。藤十郎は書きつけを読んでいるのに言葉に詰まるところがあってハラハラ。仁左衛門が「白鷗さんについては私からいうことありません」と素っ気ない。新幸四郎は頭を下げながら苦笑してたような。

「勧進帳」
幸四郎の弁慶は気合が漲り、これまでより線が太くなった感じ。といって力みすぎることもなく、懐深く落ち着きのある様子だ。白鷗の冨樫は丁寧な芝居。山伏問答では丁々発止の緊張感はそれほどでもなかったが、過不足ない満足感。染五郎の義経は1月より発声がよくなっていた。弁慶の滝流しは、花道のところに出るやつ?流麗で面白い踊りだが、再び舞台中央に戻って義経らを逃がすのは余計な動きに見えなくもない。

1102 吉例顔見世興行 昼の部

「毛抜」
左團次が弾正にこんなにハマるとは。秦秀太郎(壱太郎)や腰元巻絹(孝太郎)を口説く、ちょっとエッチな場面の面白いこと。間者の翫政は抜擢かな。天井裏から降りてくるところは2段の足場があってちょっと間延びした。もっと勢いよく落ちてほしい。

「連獅子」
前シテの衣装は肌色っぽい地に藍色の模様でちょっと地味かと思ったら、幸四郎が白鷗と初めて踊った時のものなのだとか。よくよく見たら花模様が刺繍で手が込んでいる。染五郎は体ができていないので軸がぶれ、ポーズも決まり切らないところがあるが、若々しく躍動感のある子獅子。幸四郎の親獅子はうまく見えた。毛振りが弧を描くようだとよりいい。
宗論で愛之助と鴈治郎。ほのぼの。

「封印切」
仁左衛門の忠兵衛の匂い立つ色気ったら。花道の出からチャームが全開で、客席が温かい空気に包まれる。訪ねてきたところで他の人に見つかりそうになると奥の壁にへばりついて「蝙蝠のマネしてましてん」…て可愛すぎるやろ。松嶋屋型は久しぶり。おえんの手びきで忠兵衛と梅川が会うのは裏の離れ、廓の2階が舞台上手に設えられている。おえんは八右衛門をなじる時に「ゲジゲジの八っつぁん」とは言わず、「総すかんの八っつあん」(24日再見時はアブラムシ、ゲジゲジなど言っていた)。八右衛門の挑発をじっと耐えていた忠兵衛は、梅川が声を上げて泣くのを聞いたところで自ら封印を切る。忠兵衛の告白後、梅川の「しぇぇっ」もなかったな。おえんので秀太郎はいるだけで世界観を作る。花道を出入りするところで、りき弥が手を引いていた。下駄だから足元がおぼつかないのだろうか。

「御存鈴ヶ森」
愛之助の白井権八。白塗りの美少年の風情。立ち回りも多いしね。白鷗の長兵衛は、歴代の長兵衛になぞらえて鼻高の五代目幸四郎や先代白鷗に触れ、自らの襲名を入れ事で。

1029 和JAZZ

ジャズミュージシャンと邦楽のコラボ。1部は常磐津美沙希と「乗合船」。ベース、ピアノ、ドラムのジャズトリオの演奏は少々重たく、軽妙さが削がれた印象だが、明るくたのしげな曲調は和洋のミスマッチ感が面白かった。
本日の眼目、義太夫節との共演は、ジャズか華々しすぎるのか、義太夫が押されている印象。義太夫節の節は変えず、演奏だけ洋楽器にしたとのことだが、三味線の旋律を取り入れた風でもなく、単にジャズと義太夫節をミックスしたよう。芳穂太夫の力量不足なのかもしれず、もっと力のある太夫なら違ったのかも。

1028 友五郎の会

「善知鳥」
山村流の舞として新たに振り付けたそう。能が題材だけに、抑制された動き。初演なので硬い部分もあったのだろう。再演を重ねたら面白くなりそう。途中、橋がかりから笠を投げて独楽のように回す演出が面白かった。

「たにし」
若と侃の兄弟が息のあった踊り。柔らかみのある面白さ。

「石橋」
二枚扇が鮮やかで、度々客席から感嘆の声が漏れる。踊り慣れた様子で素直に楽しめた。

2018年10月28日日曜日

1026 ミュージカル「ジャージーボーイズ」

歌中心のコンサートのような舞台かと思ったら、春夏秋冬にバンドの栄枯盛衰を重ね、それぞれのメンバーが語る構成がよく、人間ドラマとして楽しめた。新歌舞伎座の音響がいまいちという事情もあるのかもしれないが。4人の個性が歌だけでなく、踊りでも表現されていて、揃いの振り付けなのに性格の違いが見えたのが面白い。 中川晃教はフランキーを忠実に再現したせいか、ねっとりした歌い方。この“天使の歌声”できる人はなかなかいなさそう。

2018年10月26日金曜日

1025 劇団太陽族「トリビュート」

ビートルズの音楽にのせた短編集というので、それなりに面白いだろうと期待していたのだが…。冒頭、客演の三田村啓示が素のような恰好で前説らしきものを始めるのだが、「客演なのにこんなことさせられて」とか、「薄いダメだししかできない演出家が」とか、自虐を装って笑いを取りに行こうとするのが全く面白くなくてのっけから白ける。最後の話は新聞の交換紙を皮肉ったもので、関係者のウケを狙ったのか。新入りの日経の担当者が死んだモルモットを持ち歩き、同居する猿(男)を殺したと匂わせる意図がよくわからない。岸部孝子が歯が抜けたような発声だったのが耳障り。以前はこんなことなかったと思うのだが。

10月24日 永楽館歌舞伎

「御所桜堀川夜討」 弁慶上使はあまり面白くないと思っていたのだが、なかなかどうして。愛之助が弁慶役に嵌っている。演出家の水口氏いわく、「臭く演ると面白くなる」のだそうで、愛之助の顔芸が生きた。吉太郎が卿の君としのぶの二役に抜擢。健気さ、可憐さが涙を誘う。瀕死の状態になると多分ちょっと男の素が出てしまうので、おわさの壱太郎と並ぶと老けて見えたのが惜しかった。壱太郎のおわさはクドキをたっぷりと。ちょっと間を埋め切れていないように感じるところもあったが、年齢を考えれば仕方ないか。花の井の吉弥、侍従太郎の大谷桂三がしっかり固めた。 「口上」 愛之助、壱太郎は恒例の内容。初参加の桂三が自身の鬘ネタを披露しだし、こんな風に自虐ネタで笑いを取る人だとはと驚く。吉弥はマイクを取り出して、出石賛歌を歌いだすサービスっぷり。客席には副市長がおり、来年の開催も約束していた。 「神の鳥」 リクエスト投票で選ばれた作品。道成寺や暫の要素が入り、歌舞伎らしいエッセンスがつまって気楽に楽しめる。最後の鹿之介の登場までに、舞台上の千次郎らが朝ドラいじりをしたり、「USA」ダンスを披露したりというのは千秋楽のお楽しみなのだろうが、早替わりの間をもたせていたようにも。子コウノトリ役で14歳の愛三郎が出演。表情に硬さが残るものの、懸命に勤めた。

1023 近代能楽集「竹取」

セリフは少なく、コンテンポラリーダンスのような身体での表現。すり足のような動きや足袋のような履物、謡がかったセリフ回しなど、能の要素が取り入れられる。小林聡美と貫地谷しほりは発声、声質がよく、セリフが耳に心地いい。ダンサーの中に混じると動きは劣るのは仕方ないのか。同じ振りをしてるのに、どこか精彩を欠く。
舞台上の天井からゴムのようなものを吊るし、錘を動かして様々に変化させる演出。竹林のようだったり、囲いのようだったり、能舞台のようだったり。照明も面白く、舞台奥に映したシルエットでかぐや姫と翁を大小で見せたり、ラストは舞台上に張った水に投影した光が月のようだったり。

2018年10月23日火曜日

10月21日 十月大歌舞伎 夜の部

「宮島のだんまり」
総勢13人か登場する豪華なだんまり。見慣れない女形がと思ったら種之助だった。

「吉野山」
玉三郎の静は花道の出から品のある美しさ。忠信より年上っぽいというか、上位にある感じがした。勘九郎の忠信は終始格好良い。狐の本性を見せるところも匂わせる程度で、動物っぽい可愛さを抑えていた。キッパリした踊りのうまさ。狐の耳みたいな髪飾りもなかった。巳之助の早見藤太はなぜかおじさんぽい。

「助六」
今公演で一番見たかったものだが、うーん。仁左衛門の助六は文句なしに格好いいのだが、ちょっと衰えも感じたり…。花道の出は若々しく見え、七之助の揚巻に合わせたのかしらとも思ったが、台詞はともかく動きが。意休にキセルを渡すときに脚を床几の上にあげたり、床几の上に足を投げ出して意休を挑発したりするところなど、動きがもたついたように見えた。七之助の揚巻は出の風格、美しさは十分。セリフを重ねると地が出るのが惜しい。勘九郎の白酒売ははんなりした風情。松葉屋女房の秀太郎、遣手お辰の竹三郎、出番は短かったけれど、郭町の雰囲気がぐっとでる。

10月21日 十月歌舞伎公演「平家女護島」

俊寛の前後を付けた「通し狂言」とのことだが、原作にあるらしい常盤御前や義経の話は入らず。芝翫が清盛と俊寛の二役。
「六波羅清盛館の場」は俊寛が島に残ると決意する要因になる東屋の自害の様子が描かれる。芝翫の清盛は国崩しらしい暴虐ぶり。東屋は孝太郎。この手の役は手に入れている感じ。東屋に同情的な清盛の甥、教経に橋之助。爽やかな風情がいいが、東屋の首を打つとき刀を抜くのがもたつく。もっと手早くやってくれ。有王丸の福之助は動きに稚拙さが残るが、力一杯。

「鬼界ヶ島の場」はやはり好きになれず。俊寛が高僧のわりに潔くないのぎ腑に落ちないのだ。芝翫は船を見送る慟哭の様子が激しく、そんなに後悔するなら始めから島に残るなんて言うなと思ってしまう。最後の最後で諦観した様子で遠くを見ているのはよかった。慎悟の千鳥は健康的な田舎娘の所作なのだが、化粧のピンクがきついのか、ケバく見えたのが惜しい。亀鶴の瀬尾は手足の赤さに比べて顔が白すぎないか?

「敷名の浦磯辺の場 御座船の場」
清盛が後白河院を海に投げ込んだり、千鳥と東屋の亡霊が現れて業火に焼かれたりと、怒涛の展開。千鳥が泳いで後白河院を助ける大活躍。ただの田舎娘が俊寛娘という意識で何でこんなに政情をる知っているのかとは思ったが。
有王丸の立ち回りが水の中。浅瀬なのかもしれないが、倒れた敵は溺れるだろう。

10月20時 文楽素浄瑠璃の会

「鎌倉三代記 金閣寺の段」
靖太夫の懸命な語りに好感。まだ荒削りで大膳の大きさ、悪さが足りない感は否めないが、雪姫の可憐さ、健気さが良かった。錦糸の三味線が確かな足取りで導く。

「三十三間堂棟木由来」
出だしの咲太夫の節遣いに、さすが切り場語りと思ったが、後半は息切れしたのか聞いていて辛く、何度か意識を飛ばしてしまった。特に高音部が搾り出すようで。燕三は終始眉間にシワ。体調が悪かったのだろうか。

「日向島の段」
織太夫は声がよく、声量もあり、語り分けも明確。緩急のある語りで、間違いなくこの日一番だったのだが、今ひとつ心に響かないのは何故だろう。心が込もってない感じがするからだろうか。宗介はいつもながらの手堅い三味線だったが、いつになく神妙な面持ち。
冒頭の謡がかりの前に空気を整えているところでの「織太夫!宗介!」、最後のフライング気味の「大当たり」とも、大向こうの間の悪さったらなかった。

1019 アマヤドリ「豚に真珠の首飾り」

友人の結婚式に集まった女たち4人の会話劇。普段のおしゃべりを再現したような台詞は指示語が多かったり、主語が曖昧だったりで、内容が明確でないので、ちょっとイラつく。説明的になりすぎるとリアルではなくなってしまうのだろうが、観客には不親切な気がする。後半、重度の障害をもって生まれた新婦の子どもの延命措置を巡って言い争いになるのだが、現在進行形でなく、過去の発言に対してあんなに怒るのは違和感がある。うーん、正義感の強い女子はああなるの?少しでも長く生きることが人類の幸せでそのためにはどんなコストでも払うべきという人命至上主義者?反論する側も、障害児を育てる困難から新婦の人生が犠牲になると思ったとかいうのだが、実際障害児を育てている新婦かどうなのかとか、子どもが成長していく過程でどう変わったかなどの説明があまりない。「結局、踊ることしかできない」というのが私の意見に近いかなあ。所詮、当事者にしか決められないことだし。

1018 清流劇場「メデイア」

現代風のリビングのようなセットで、衣装もスーツやワンピースなど現代風。メデイアは子供達のためにパンケーキを焼いたり、シンクで皿を洗ったり、子供達はテレビゲームに興じたりと、日常感のある振る舞いで、重々しいギリシャ劇のセリフを身近に感じさせる。一方、あまりに男尊女卑的なセリフが気になったのは、現代人が話すことへの違和感だったのかも。
林英世は説得力のある台詞、演技で理性を上回る激しい怒りに翻弄されるメデイアを体現。イアソンの一方的な裏切りが原因とされるが、そこまで執着すべき男には思われず。むしろそれまで彼女がしてきた数々の殺人の報いを受けているように感じた。イアソン役の西田政彦はサラリーマン風?コリント王の娘との結婚は息子たちのためと詭弁を弄するのところなど、説得力が足りない気がした。

1017 ミュージカル「タイタニック」

セリフが少なく、歌唱で物語が進行するので、歌の上手い役者を揃えたのは正解。二等客のキャロライン役な菊池美香が多彩な表現力があってよかった。夫婦やカップルが救命ボートとデッキに分かれるシーンは感動的だったけれど、泣けるほどではなかった。前の席の客は盛大なすすり泣いていたのでびっくり。ただ、後味の悪い物語だ。タイタニックの史実に基づいている以上仕方ないのではあるが、最大の山場がオーナーと船長と設計士が責任のなすり合いをするところというのがなんともやりきれない。誰にも感情移入できないし。記録にこだわるオーナーは当然だとして、船長が押し切られるというより自ら進んで速度をあげようとしているように見えるのが不可解だった。設計士が主役というのもよく分からない。最後に設計上のミスに気づいて歌い上げるソロはあまりに後の祭りすぎて、蛇足にすら思える。オーナー役の石川禅が船長や船員への居丈高な態度から我先に救命ボートに乗ってしまう卑劣さまで、嫌な奴ぶりが際立った。
大掛かりな舞台装置はなく、不穏な音楽で危機が迫るようすを暗示したり、音と照明のみで氷山の衝突や船が沈む様子が伝わった。

2018年10月15日月曜日

1014 NODA ・MAP「贋作 桜の森の満開の下」

舞台美術が素晴らしい。冒頭、舞台を覆う紙状のシートを破って鬼が出てくるところや、振り落としのようにブルーやゴールドの薄膜が垂れ下がってくるところ、ピンクのゴム状の紐が舞台を横切り、四角く囲って枠のように使ったり、場面転換のところでさっと舞台袖に引き上げたりと効果的。 夜長姫の深津絵里が無邪気で残酷な姫を好演。耳男の妻夫木聡はどこがどうとは言いにくいのだが、とても役に合っていたと思う。オオアマの天海祐希は早寝姫を口説く場面の男前なこと。マナコの古田新太は調子が悪いのか、セリフを噛むところが多かったような。

1014 エイチエムピー・シアターカンパニー「高野聖」

セリフが少なく、ストップモーションのような動きが面白い。ダンサーのように身体表現に特化した役者たちではなかったので、動きがややあいまいだったのが惜しい。ダンサーに演じさせたらどうだろうか。音もなく、息遣いでタイミングを合わせているのかとおもったら、役者の耳にイヤホンがあり、常にビート音楽が流れていたのだそう。舞台上に林立する黒い柱のようなものは、裏が白いゴム状のもので、めくって字幕を映したり、間から役者が手や顔を出したりしていた。女役の原由恵が妖艶で、目で旅僧を誘うところがよかった。

1011 劇団四季「リトルマーメイド」

フライングを使った演出は浮遊感があって水中の表現に合っている。が、ディズニーらしいストーリーには共感できなかったが、子供向けにはこれでいいのか。アリエル役の三平果歩は美人というよりは愛嬌のある顔だが、声をなくしてからバカみたいに笑っているのはどうかと思う。歌の才能があって、姉妹で歌うときにはいつもソロをとるという設定にしては、ずば抜けた上手さは感じられなかった。エリック役の竹内一樹は、役者のせいか、脚本のせいか、ちっとも魅力を感じない。むしろ悪役のアースラ役の恒川愛がよかった。ドスの利いた歌やセリフで魅せた。最後、あっさり退治されてしまうのは、あまりにも安易で、むしろかわいそう。

1006 新作能「沖宮」

石牟礼道子の原作、志村ふくみの衣装での新作能。石牟礼の原作は正直、能らしくないなあと思っていたが、手が加えられて能の形式になっていた。 ワキを村長役にし、村長に伴われて少女あやが登場する。島原の乱の戦場となった原城に赴くと、天草四郎の亡霊(金剛龍謹)が現れる。四郎の衣装は臭木で染めた水縹色。内から発光するような不思議な色合い。人柱となるあやがまとう緋色の衣装を四郎が授けるのはいいが、地謡に合わせて水ですすぐ仕草は少々分かりにくいかも。あや役の豊嶋芳野は緋色の衣装が良く似合い、か細い声で「兄しゃま」と呼びかけるのが可憐。あやの舞、四郎の舞もあるが、竜神(金剛永謹)による豪快な舞が能らしい見どころ。天候にも恵まれ、公演中は雨風が止んでいたのが、最期にパラパラと雨粒が落ちて、雨乞いの祈りが届いたかのようだった。

10月5日 播磨国風土記

浄瑠璃とうたってはいたが、嶋太夫の朗読に津賀寿の演奏が添えられた風。声の高低、息遣いの巧みさは健在だったけど、浄瑠璃の節がないのが物足りない。作者はステンドグラス作家が本職とのことで、脚本の言葉の力が弱い。嶋太夫の声をもってしても響くものが少なかった。津賀寿の演奏は荒れ狂う海の描写など迫力があったが、ちょっとトゥーマッチに感じた。

本編の前に、葛西聖司による解説。古い写真を見せながら、嶋太夫の半生を振り返る。呂太夫時代、喜左衛門(二代目?)とのツーショットは貴重、杉本文楽の稽古で熱の入った指導ぶりも興味深かった。嶋太夫による「飴を買う女」の朗読も。言葉がたどたどしく感じたのは、老いなのか演出なのか。

1004 前進座「裏長屋騒動記」

落語の「らくだ」と「井戸の茶碗」をもとに山田洋次が脚本。らくだ役の松浦海之介は不愉快な演技。乱暴者で嫌われ者ではあるのだが、尾篭な話や狼藉ぶりが笑えなかった。娘お文の今井鞠子は可憐でヒロインにはまる。化粧がちょっと白過ぎたか。侍の乳母やお殿様の役で河原崎国太郎が出てくると安心して笑える。侍役の忠村臣弥は若手の二枚目役の安定感が出てきた。
演出では暗転が多用されていたのが退屈。場面転換が多いのは分かるが、せっかく廻り舞台があるのに、いちいち幕を下ろして花道や幕前で場つなぎするのは安易ではないか。

1003 十月大歌舞伎 夜の部

「双子隅田川」
市川右近の可愛いこと!タイトルロールだけあって、出番も多く、事実上の主役。梅若と松若の早替りもあり、宙乗りもありで、大人の役者を喰っていた。2年前の初舞台でこれをやったというのはすごいなぁ。
右近改め右団治は鯉つかみの扮装が一番似合っていた。本水は控えめかと思いきや、ラストで滝が開いて大量の水が。猿之助の班女御前は物狂いの様がいい。
九団治が海老蔵に似てて、大詰めで花道を出たところは見間違えた。海老蔵本人は気の入らない演技で、右団治が熱演してる横で退屈そうな顔。残念。

1003 十月大歌舞伎 昼の部

「め組の喧嘩」
ってこんな馬鹿馬鹿しい話だったっけか。海老蔵の辰五郎はいつもながらのどこか遠い目をしていて、人を馬鹿にしたようなふわふわとしたセリフには粋や覚悟は感じられない。ただの、半グレチンピラの喧嘩で白けるばかり。鳶か集まって決起するところで、妙な間があったのも緊張感がない。初役だそうだが、彼がやる意味があったのか。雀右衛門の女房もニンに合わないと思う。
子役が可愛く、辰五郎が決死の覚悟で殴り込みに行くところでいつ掴もうかと間合いを図っていた。寿猿はセリフが入っていないのか、床や扇子をやたら見ていたのが気になった。

「団十郎花火」
新作の舞踊、スクリーンに花火を映す演出が安っぽい。
後日、「華果西遊記」を所見。右團治の孫悟空は手品のように如意棒を出したり、鮮やかに棒をあやつったりと器用なところを存分に見せる。分身の右近が可愛い。宙乗りでは筋斗雲をスリッパのように履くのが面白い。米吉の三蔵法師の凛とした美しさ。弘太郎の猪八戒、猿四郎の沙悟浄が面白く、孫悟空と息の合ったやり取り。笑三郎の西梁国女王の妖艶さ、廣松の芙蓉も健闘。

2018年10月1日月曜日

0928 シス・カンパニー「出口なし」

3脚のソファーと銅像があるだけの部屋に招き入れられる1人の男と2人の女。会話から地獄であるらしいと分かる。見ず知らずの人間によってにわかに作られた関係によって苦しめられる様は、サルトル作だけあって哲学的な示唆に富む。多部未華子がキンキンした声で化粧も濃く魅力的でなかったのが残念だ。

0927 ヨーロッパ企画「サマータイムマシン・ブルース」

15年前に初演したというだけあって、学生ノリが色濃い。「ワンスモア」と比べると、脚本の練り具合も浅く、単調。こちらを先に見るべきだった。

2018年9月26日水曜日

0924 第三十七回 テアトル・ノウ

東本願寺の能楽堂は庭を挟んで客席がある作り。青もみじや松の緑が美しく、雲りがちの空の色もよかった。音の抜けがいいのか、お囃子が柔らかく聞こえ、謡の詞も聞きやすかった。 「経正」 シテの味方玄はさっと首をきる動きがキリリとして印象的だった。 「柑子」 和泉流だからか、小笠原匡のセリフ回しはのんびりしているように感じた。 「融」 前シテの翁は最後、舞台のヘリから桶を垂らして水をくむ仕草。

0922 ハイバイ「て」

抑圧的な父のおかげでバラバラな家族。攻撃的な長兄の態度や噛み合わない家族のやり取りが、観ていて辛くなる。前後半で同じ場面を違う視点から見せる演出。痴ほうの祖母に辛く当たる長兄が別のところではかいがいしく介護していたり、家族を再び結び付けようと奮闘する長女が嫁ぎ先で嫌な目に合って逃げてきたりと、1回目では見えなかったことが見えてくる。母役の浅野和之が抑えた演技ながら、離婚を考えたことがないのかと長女に問われて泣くところが印象に残った。

9月22日 松竹座大歌舞伎 西コース

「道行初音旅」
壱太郎の静御前は可憐。愛之助の忠信は動きがバタバタしてるきらいはあるが、男雛女雛で決まるところなどは美しい一対だった。静とは恋人同士にしか見えん。猿弥の逸見藤太のおかしみ。

「川連法眼館」
愛之助の忠信は本物が武士らしく重々しいのはともかく、狐忠信があんまり可愛くない。動きも軽やかさに欠けて、残念な限り。狐になって回るところも遅いし…。この演目は踊りの上手い人に分があるなぁと再認識した。

0921 上方花舞台

「寿式三番叟」
猿之助の翁、勘十郎の千歳、若柳吉蔵と尾上菊之丞の三番叟という配役で、素踊り。踊り上手の共演なので悪かろうはずはない。菊之丞が手足の長いスマートな体型なので、吉蔵は損して見えた。

「石橋」
尾上右近の父獅子に、中村鷹之資の子獅子、中村梅丸の女獅子。花道から本舞台に移動しながらの毛振りで、動線の乱れか梅丸と鷹之資がぶつかったようで、毛が乱れて動きが止まってしまったのが惜しかった。三人並んだところでは、右近がこれでもかという高速毛振りを見せつけていた。

「黒塚」
猿之助の鬼女のみ歌舞伎の拵えで、あとは直面に能装束だったが、違和感はなかった。猿之助は怪我から復帰して初めての黒塚だったが、軽やかな舞で、花道で仏倒れのように倒れるなど、不自由を感じさせなかった。

0919 ヨーロッパ企画「サマータイムマシン ワンスモア」

休憩10分を挟んで2時間40分というのでげんなりしたが、思ったより短く感じた。タイムマシンで行ったり来たりするのがテンポよく、早替りのバタバタぶりが面白い。過去と現在の関係が頭の体操になるのかも。
写真部の女の子を演じた客演の藤谷理子が可愛く、嫌味のない雰囲気で好感。

9月16日 文楽9月公演 第二部

「夏祭浪花鑑」

住吉鳥居前から団七内までの通しで話がよく分かる。磯之氶のどうしようもなさとか、団七のしょうもなさとか。

住吉鳥居前の段の口は咲寿・友之助。浄瑠璃らしい語りにはなっていたが、少々元気が良すぎるか。三婦、お梶らの語り分けはできていたが、キャラがちょっと違うように感じた。三婦が声のトーンは若いのに爺さんのようなゆったりした口調。奥は睦・勝平。勝平の三味線は明朗でいい。睦の三婦は若すぎ?団七は悪くないと思うのだが。

内本町道具屋の段は口が亘・清公。ハキハキとした語り。清公はきっちり。奥は三輪・宗介。磯之氶のダメ男ぶりったら。

道行妹背の走書は織、芳穂、文字栄、南都に団吾、清丈、錦吾、燕二郎。

釣船三婦内の段は口が小住・寛太郎。堂々とした語りで声がよく出てる。奥の呂勢・清治は今公演イチかも。人物の語り分けが明快で、聞いていてストレスが少ない。何より、お辰の格好良さ。人形の簑助も最近ないくらい生き生きしてて、ちょっと首を傾げたり、肩を入れたりする仕草が体で語るよう。焼きごて後の三婦の「出来た!」はちょっと性急でもうちょっと間があってもいいように思ったが。

長町裏の段は織、三輪に清志郎。三輪の義兵次は嫌味とねちっこさがいい塩梅で、織とのやりとりがスリリング。清志郎のキッパリした音色も盛り上げた。人形は勘十郎の団七が慣れたものだが、玉男の義兵次が珍しい汚れ役。ラストで徳兵衛が雪駄を拾わないのはなぜ?

田島町団七内の段は文字久・清介。のびのびした語りで、いい声が出てるのがいいなと思ったが、50分ほどの持ち場が長かった。つまらないのはホンのせいか、演者のせいか。アトは希・清丈。

9月15日 Noism「Romeo & Juliets」

精神病院のような空間に白い衣装のダンサーと俳優たち。ジュリエットが5人というのが面白い。看護師役の井関佐和子がベリーショートの金髪で、立ち姿の美しさもあって目を惹く。2人の看護師は胸と尻に詰め物をして強調したフォルムなのはどんな意図なのか。ロミオ役の俳優は声が低く、重々しいセリフまわしが老成した中年男のよう。ロミオって若者じゃなかったっけ?車椅子ということもあり、苦悩する青年の姿。
医師役の金森穣か2幕の冒頭ソロで踊り、キレのある動きが爽快。井関とのパドドゥもあり、満足。
ラストは白い布に包まれたジュリエットをひらくと井関。死んだと思って命を絶ったロミオとのパドドゥは車椅子を使った動きのあるもの。ラストはロミオと看護師がオーケストラピットに飛び込み、舞台上のすだれのような囲いがばさりと落ちて暗転。印象的な演出だった。

9月15日 文楽9月公演 第一部

「良弁杉由来」

志賀の里の段
睦、小住、亘、碩に清友、ツレに友之助、錦吾。睦の高音が相変わらず辛い。小住になるとほっとする。が、語り方に咲の影響がでてないかい?
人形は和生の渚の方に品がある。鷲は文楽劇場の時より小ぶりでリアルな感じ。

桜宮物狂の段
津駒、津国、芳穂、咲寿に藤蔵、清馗、寛太郎、清公、清允。
「光丸は何とした。なぜ誘っておじゃらぬぞ」のセリフにうるっときた。
寛太郎が神妙な表情なのは、寛治のことがあるからか。

「東大寺の段」
靖・錦糸。靖がのびのびしているのはいいのだが、声はあまり出ていないような。錦糸も珍しく穏やかな表情。錦糸の三味線はちょうどいい加減で聞いていて心地よい。

「二月堂の段」
千歳・富助。出だしから格調高い語りなのは結構なのだが、やはり途中で意識が途切れてしまった。光丸が攫われる件とか、通しだとさっき見たばかりなので説明は不要というか、退屈してしまうのだと思う。メリヤスで寛太郎と清公の姿を確認。

「増補忠臣蔵」
前を呂・団七、切を咲・燕三。
決して大きすぎはしない団七の三味線にかき消されてしまう呂って…。盆が回って出てきた咲は朗読劇のよう。もはやこの人が元気だった頃の語りを思い出せなくなっている。

0902 二兎社「ザ・空気 ver.2」

官邸記者クラブで見つかった総理記者会見の想定問答を巡って、フリージャーナリスト、リベラル系新聞社、保守系新聞社、公共放送の記者たちの思惑が交錯する。現政権を彷彿とさせる風刺の効いた芝居で、ドキリとするセリフが多い。総理と頻繁に会食する保守系新聞の論説主幹(松尾貴史)は「総理との会食は戦場。近づかないとネタが取れない」「近づいても取り込まれなければ批判はできる」と嘯く。リベラル系新聞のキャップ(眞島秀和)は書いても書いてものらりくらりとかわされ、「読者には真実には飽きた」と言われることへの疲弊感。フリージャーナリスト(安田成美)の「メディアに怒るな、メディアを作れ」というセリフは理想のようではあるが、なかなか難しいことだ。「いずれ発表される情報を少し早く報道するのはスクープじゃない。調査報道こそすべきこと」というのももっともだが、発表されたことをチェックし、ウォチしていく機能も大事。記者クラブの弊害はもちろんあるけれど、記者クラブがあるから記者会見を開き、情報を出してている面もあるわけで。

0831 コーラスライン

ちゃんと舞台で観たことないなぁ、と行ってみた。衣装はあえて古臭くしているのだろうが、踊りの古いのはダサく見えてしまう。さすがハリウッドと言うべきか、オーディションに落ちる役の人は多分わざと下手に踊ってるのよね?ピルエットがぐらついたり、手や足の角度が変だったりって、日本だと単に下手なだけだったりするから…。
意外にも、それぞれのキャラに見せ場が用意されていて、ソロの歌がある。が、何もない舞台でのソロ歌唱が続くのはちょっと退屈。ゲイが何人かいたのは当時としては革新的だったのかな。

0830 笑えない会 試演会

落言「太郎冠者伝説2」

舞台下手で落語家が喋り、狂言師が芝居するというもの。進行役は落語家で、劇中劇を狂言で演じるような。
学校にゲーム機を持ってきた児童からゲーム機を没収した先生がゲームで遊び出す。太郎冠者伝説という、ロールプレイングゲームは太郎冠者が弱すぎてつまらないと思ったら、色々な隠しモードがあって…という展開。ファミコン以降のゲームは知らないというよね吉がゲーム用語に苦戦し、落語モードで千五郎が落語のさわりを披露したり、ミュージカルモードで宝塚のベルばらやレミゼラブルを歌ったり。歌詞が入っておらす、レミゼはだいぶグダグダだったが、それがかえって面白かった。

0830 若手素浄瑠璃の会

「寺子屋の段」
亘・清公。亘は慎重な運びが師匠譲りか。はっきりとした発生は好印象。語り分けがまだまだで、源蔵が重すぎ、松王が軽すぎる。(要するに2人とも同じよう)清公は出だし硬く、ミスタッチが目立った。後半持ち直したが、はっとするほどではなかった。

「金殿の段」
咲寿・燕二郎が予想を超えてよかった。咲寿は浄瑠璃らしい語りになっていたし、お三輪の必死さが感じられた。なにより、話の中身がちゃんと頭に入ってきたのが、亘との違い。残念だったのは嫉妬にかられるところで、ドロドロとした情念というより義憤に燃えるいい子ちゃんみたいで共感できす。熱演だったのに拍手がなかったのは多分そのせい。燕二郎はよく手が回るし、音もクリアで気持ちいい。

0902 人形劇団クラルテ「はてしない物語」

新神戸オリエンタル劇場の広い舞台を存分に使ってスケール感をもってファンタジーの世界を表現するした。様々な登場人物が客席から登場する演出も、客席が物語の中に入り込んだような効果。バスチアン役は幼少期から気弱な少年、ファンタージエンに行ってからの傍若無人りを演じ分け、アトレーユは終始凛々しく好演。フッフールが飛ぶと舞台の空気が塗り替えられるようだ。
ただ、ミヒャエル・エンデの名作ファンタジーの舞台化への期待が高すぎたせいか、少々物足りなかったかも。あの長編を2時間余に収めるだから、前半のアトレーユの冒険があっさりしてたのは仕方ないにしても、後半、記憶を失ったバスチアンが現実世界に帰るのに、アトレーユの関与が少なかったような。変わる家で父親の夢を見たことが帰るきっかけとして描かれたが、名前すら思い出せないバスチアンに代わって思い出を語ったり、ファンタージエンで始めた物語の終わりを引き受けたりといったくだりが省かれたのが残念。父親のもとに戻ったところでも、「いなくなった間に逞しくなったみたいだ」みたいなセリフがあるといいと思った。

2018年8月31日金曜日

0829 宝塚星組「東離劍遊紀」

衣装や世界観がゲームっぽいと思ったら、観ていた人が「FFみたい」と。中国風の名前が覚えにくく、誰が誰やら。紅ゆずる演じる主人公(?)凜雪鴉(リンセツア)は飄々とした雰囲気が紅のキャラに合っているが、敵か味方か立ち位置がはっきりせず、物語をぴっぱるというより、かき混ぜる役どころ。これが主人公?ヒロイン丹翡(タンヒ)の綺咲愛里が最後、礼真琴演じる捲殘雲(ケンサンウン)とくっつく展開も意外といえば意外だ。役の中では礼が少年漫画の主人公のようなまっすぐさが良かった。

0827 匿名劇壇「笑う茶化師と事情女子」

盗作問題から自暴自棄になり自殺を考える元劇作家、広告会社でデザイナーとして働くイラストレーターは恋人が浮気したらしい。その上司はクライアント企業の女とつきあっているが、結婚から逃げている。降板騒ぎをおこした元女優は怪しげなサプリメントに頼り、堅気になった元ラッパーと暮らしている。軽妙なセリフのやり取りは笑えるのだが、ネガティブなセリフが多く、モヤモヤした気分が残る。4組のカップルの話が少しずつリンクして、ラストにつながる構成が上手い。

2018年8月27日月曜日

8月26日 内子座文楽 午後の部

解説は小住。独特の間合いが私には面白かったが、お客さんの半分くらいは右から左だったみたい。聞きどころ見所をちゃんと押さえてくれてたのに。

「寺入りの段」は芳穂・勝平。菅秀才の声が低くちょっと年上みたい。

「寺子屋の段」は前が呂・清介、後が呂勢・藤蔵。何でこの順番?襲名披露の雪辱を晴らして後半は自分が、もっと言っちゃえば前段俺が語るくらいの意欲を見せて欲しかった。で、やはり声量がなく、薄膜で包んだようなので、首実検の迫力が足りない。ここは床から圧が感じられるくらいでないと。
後半の呂勢になってようやく安心。が、半端なところで変わったので、語り出しからかなりのハイテンション。小太郎の最期を語る松王と源蔵のやり取りなぞ情があってよかったのだが、もっとと思ってしますのは望みすぎ?いろは送りの千代の振り付けは勘十郎の本領発揮。なんて可愛い動き、と心の声がダダ漏れのご婦人がいた。

「団子売」
希、小住、碩に清馗、清丈、清允。清馗がシンだと何で三味線がもっちゃりするのか…。碩が若手とは思えない貫禄。






8月26日 内子座文楽 午前の部

解説は希。桜丸切腹の段はタイトルで内容が分かってるといいながら、「桜丸がどうなるか観てのお楽しみ」というのはおかしいだろう。もうちょっと気の利いたこと言えないものか。

「茶筅酒の段」は芳穂・勝平。勝平の三味線はくっきりしてていいなあ。

「喧嘩の段」は希・清馗。オクリであれっというミスタッチがあり、不安な出だし。勇壮な喧嘩の場面はこの人のニンではないように思うのだが、そうも言ってられないのか。頑張っているのはよく分かるのだが、松王の低音がクッキーモンスターか何かのよう。
人形は玉助が梅王。右手を持ち替えるときにもたついたのが目立った。松王の玉男と並ぶと未熟さが目立つ。喧嘩だから派手でナンボかもしらんが、人形よりドヤ顔が前に出るのもどうかと思う。八重の勘弥を見ていて妙な色っぽさを感じた。八重って幼さの残る女房かと思っていたので新鮮だった。

「桜丸切腹の段」は千歳・富助。千歳太夫の芸が大きくなっている気がする。もう切場語りになっていいのではないだろうか。プログラムのインタビューもそんな扱いだった。白太夫の嘆き、八重の悲痛がくっきり描かれ、心が揺さぶられる。節もコトバも鮮やかで、義太夫節を聞いたという満足感があった。

8月25日 上方歌舞伎会

「真如」
敵討ちの話だが、当人たちが逡巡するのが新歌舞伎たるところ。結局は敵討ちを果たしてしまうのだけど、メデタシメデタシにはならないのでスッキリ感はない。

母親お節役の當史弥が武家の奥方らしい気品。老け役がよく似合う。数馬の光は線が細いところが若者らしい青さになった。お静のりき弥は恋人に尽くすありがちな娘役だが、硬さがあるのがマイナス…と思ったら、十数年前の上方歌舞伎塾の卒業公演でも同じ役をやったそうな。だったらもっとできてもよさそうだが。敵討ちの当人、源次郎役の當吉郎は珍しい白塗り。気弱な若侍といった役どころなのだろうが、ちょっと恰幅が良すぎるか。若党曽平太の鴈大は若侍に敵討ちをけしかける、ゴリゴリの忠義がうっとおしいほど。(多分役としては正解)一方で変わり身の早さが唐突だった。

「彦山権現誓助太刀」
松十郎の六助は出だし、純朴な人柄が感じられて好印象。時間が経つとちょいちょい二枚目が顔を出していたが、ちょっともっさりしてるくらいが役らしい。千次郎の婆はメイクのせいが、肌の張りが隠れてなくて年寄りらしくなかったが、声のトーン、語り方で婆らしく見せた。お園は折之助。おきゃんな感じで可愛いが、勇ましく闘って恥じらうところのギャップがもう少しほしかった。お忍びの浪人役で初出演の愛治郎が入門したてと思えない堂々たる演技。

「道行恋苧環」
橘姫の千壽が安定感のある美しさ。求女と身長差があるので並んだときは大分背を盗んでいたようだが、ちゃんとバランスが取れていた。求女の翫政はいつもと違うキリリとした男前。柔らかな仕草も様になっていた。身長がもう少しあったら言うことなし。そして、お三輪の吉太朗が大健闘。いじらしさ、嫉妬、健気さと様々な表情を見せてくれた。最後の花道の引っ込み、苧環の糸が切れたのに気付いてからの表情が切なく、物語の奥行を感じさせた。

「元禄花見踊」
道行に出演していた千壽が休憩なしの早変わりで登場。女形で見慣れない美人がいるなと思ったら當史弥だった。

2018年8月20日月曜日

8月19日 第3回女流義太夫 竹本駒之助の至芸

「冥途の飛脚 封印切の段」 出だしはそれほどでもと思っていたが、八右衛門や忠兵衛の詞になってから目が覚めたよう。特に、封印を切るに至る忠兵衛の畳みかけるようなセリフの鮮やかさ。不思議と、梅川よりも男性陣のほうが情感がこもっているように感じた。見台をバンっと叩くのは素浄瑠璃の技なのか。津賀花の三味線も音がクリアでよかった。

2018年8月19日日曜日

0818 文楽素浄瑠璃の会

「和田合戦女舞鶴 市若初陣の段」 呂太夫・清友。初代若太夫が初演した作品ということで選ばれたのだろうが、美声とは言えない声質だし、清友の、決して派手ではない三味線にもかき消されてしまう声量はどうかと思う。板額の「ほんのほんの…ほんぼんの子ぢゃわいなう」ではさすがに声も出ていて拍手が来ていたけれど、この声量を一段キープしてほしいと切に願う。物語としては、実の子を殺せないから自ら切腹させようという心情に同情できないし、腹を切った後で実は…と打ち明けるのが重ねて酷いと思う。この矛盾を超えて感動させるのは、演者さんの力量なのかもしれないけれど。 「曲輪文章 吉田屋の段」 咲大夫・燕三。歌舞伎から文楽に移された異色の作品とのことで、歌舞伎のほうが見応えあると思った。伊左衛門が育ちのよさそうな感じは充分にあったけど、チャーミングではなかった。宮古路節など他流の影響が多く、節付けを楽しむものなのだろうが、精彩を欠いた咲の声では十分に楽しめず。三味線は華やかな手が多くて、聞きごたえあり。美声の太夫で聞いてみたい。

2018年8月15日水曜日

0815 レインマン

藤原竜也の演技はいつも通りなのだが、マシンガントークのようなチャーリーのセリフのテンポがよく、時間を感じさせなかった。レイモンドは椎名桔平。やりすぎない演技で、可愛さがあった。 アンサンブルが揃いの衣装を着て職人のようにベッドやテーブルなどを出し入れする演出が面白かった。

8月12日 八月納涼歌舞伎 第一部

「花魁草」 大地震から逃れて江戸から栃木に下った女郎お蝶(扇雀)と大部屋役者の幸太郎(獅童)。年上であることと、人を殺した過去を持つことに引け目を感じているお蝶は、幸太郎と夫婦になれずにいる。扇雀は年増らしい風情が似合う。幸太郎は村娘が思いを寄せたり、芝居茶屋のおかみが入れあげたりするほどだから、男前なのだろうが、獅童はむしろ人が好さそう。幸太郎が役者に復帰することになり、出世の妨げにならないよう身を引くお蝶。夏芝居にはちょうどいいメロドラマ。 「龍虎」 幸四郎と染五郎の親子共演。引き抜きや早変わりなど、視覚的な工夫は多いが、振付の面白さはなかったような。 「心中月夜星野屋」 青物問屋の照蔵(中車)が相場に失敗し、元芸者のおたか(七之助)に心中を持ち掛ける。橋から一緒に飛び降りようとするところ、おたかは飛び降りずに戻ってきて…。中車、七之助ともに上手く、おたかの母お熊役の獅童も加わって男と女のだまし合い、化かしあいを、軽妙な演技で飄々とみせる。「ふふ、はは…」という歌舞伎らしい笑いのやり取りが楽しく、肩の凝らない気軽な芝居になっていた。

8月11日 阿佐ヶ谷スパイダース「MAKOTO」

演劇の面白さを満喫。ちょっと毒のあるセリフで笑わせ、ふっと我に返って考えさせる。上手い役者ばかりなのか、配役の妙なのか、アンサンブルの巧みさも劇団ならでは。長屋の中庭のようなセットがそのままで工事現場になったり、医者の家になったり、主人公の部屋になったり。もっと抽象的なセットにしてもよさそうなものなのに、写真を張り付けたようなリアルさのあるセットが邪魔にならなかった。 医療ミスで妻を亡くしたらしい男が、忘れるために街を疾走する。担当医の家に押しかけたり、拉致した医者を妻に見立てたり、突拍子もない行動の裏にやるせない悲しみを感じさせる中村まことの演技。遺品を処分すると爆発的なエネルギーを発し、突如SFの世界になる。未曽有のエネルギーを原発に持っていこうというところには、唐突さを感じた。

8月11日 新作歌舞伎「NARUTO」

上演時間は2時間余だったが、全72巻の物語がよくまとまっていて、話の筋は分かりやすい。あまり歌舞伎らしくはなかったのは、セリフか現代劇だったのと、ロック音楽のためか。サスケの兄などの重要な役を現代劇の役者が演じていたせいもあるかも。主人公ナルトの口癖も、アニメならいいのかもしれないが、舞台にかかると違和感。巳之助が二役で演じたナルトの父の方が若々しく好青年に見えたよ。
やたらとツケが多用されていて、うるさいくらい。立ち回りは派手だったが、本水は取ってつけたようだったのが残念だ。サスケとナルトの最後の戦いにあたって「場所を変えよう」と言って本水のセットに移ったり、水に飛び込んだりするのがミエミエで。 大蛇丸の笑三郎が、しわがれた声で存在感のある悪役。影のあるハンサムが意外に似合った。花道に出たとき、横顔が愛之助に似て見えて驚いた。ナルトの母とのギャップも楽しませてくれた。サクラ役の梅丸はアニメキャラのような可愛さ。

0810 劇団鹿殺し「俺の骨をあげる」

ストロングスタイル歌劇と銘打っているが、歌劇というよりライブショー。芝居と歌謡ショーが交互に繰り広げられる感じで、菜月チョビのライブショーのよう。私には彼女の魅力がわからないので、入り込めなかったが。覆面プロレスラーの娘の成長物語?出会う男たちによってレスラーになったり、卓球選手になったり、バンドのボーカルになったりと紆余曲折しつつも、結局は人生の主役になりたいともがく…話なのかしら。やりたいことをてんこ盛りにした感じで、勢いはあるのかなあ。テニミュやディズニーなどパロディが多いのも、学園祭のノリみたいで。主人公の父親役で高嶋政宏が出ていたのだが、生かし切れていなかったように思った。オープニングのダンスシーンが疲れた様子で。

0804 第一回竹之助の会

「歌しぐれ」
母娘再会のええ人情話。なさぬ子の嫁入りを願うおれん役の吉弥がいいのはもちろん、お縫役の竹之助が大健闘。この役を演じるには若すぎると思うのだが、娘に一目会いたい母心、前夫への恨みをたっぷりと見せた。頭巾姿だと下ぶくれに見えて、見た目では損をしていたのが残念。
娘お町役の河合宥季の可愛さが際立っていた。

口上は竹三郎。ところどころろれつが怪しかったりもしたが、「この竹之助の会が、2回、3回、4回…と続きますよう」と師弟愛に溢れる暖かい口上だった。

「雷の道行き」
新内節に新たに振り付けしたそうで、雷さまと傾城の目にも楽しい踊り。竹之助も美しかった。

最後、挨拶に立った竹之助。皆への感謝を何度も口にし、「これが終わりではなく、明日からが始まり」と語る姿は好感度高し。師匠、竹三郎の誕生日だそうで、サプライズのバースデーケーキと猿之助からのメッセージが。「死なないでください」という憎まれ口は皆の願いだね。

0804 ウォーターバイザスプーンフル

尾上右近の初現代劇。きついパーマ今時の若者姿は新鮮だが、何だか好きになれない感じ。発声もあまり良くないし。従姉妹役の南沢奈央のキンキンした喋り方もあって、耳には辛い。
インターネット上のチャットを舞台で表現するなど、面白いところもあったが、総じて分かりづらい。プエルトリコやアジア系など、米国におけるマイノリティをオール日本人で演じるのに無理があるのだろう。

2018年8月4日土曜日

0803 アンナ・クリスティ

13年ぶりの舞台という篠原涼子に期待したのだが、甲高い声ややや舌足らずな口調が聞きづらく、アンナという人物に感情移入できなかった。初演された1921年の女性観や男尊女卑的なセリフは現代とギャップがあって、そのギャップを埋め切れていなかったことも物語に入り込めなった一因か。時代は下るが、「欲望という名の列車」のブランチには共感できるのに。マット役の佐藤隆太は人がよさそうなイメージで、マットにはもっと強引な男の魅力が欲しい。アンナの父、クリス役のたかお鷹はしょうもない親父らしかった。 薄い布を斜めに巻き上げる形の幕に雰囲気があり、場面転換時の創造を掻き立てられた。

2018年8月3日金曜日

0802 あべの歌舞伎 晴の会「謎帯一寸徳兵衛」

夏祭浪花鑑のパロディで登場人物の名前が多く共通する。主人公の団七はとにかく悪い男。妻を亡くして幼い娘がいるのだが、可愛がっている様子がまるでない。松十郎の冷酷な色男ぶりは昨年の伊右衛門のときよりも勝っていて、お梶を殺すところの表情なんかゾクゾクした。千寿はお辰とお梶の二役。早変わりもあるのだが、キャラクターがはっきりしているのはさすが。千次郎の徳兵衛とのカップルは意外感があって新鮮だった。千次郎は狂言作者、亀谷東斎と義平治、徳兵衛の三役で、演技の幅が広いなあとつくづく。お市役が団七の悪事を明らかにする結構重要な役どころで、子役が上手かった。香炉の行方や草履のトリック?などややこしいところを上手くまとめていて、全体としては面白かったという感想。 2時間余りに短縮した影響もあるのだろうが、筋立てには粗さも目立ち、予備知識なしではついていけないかも。団七が強引に妻にしたお梶に、2幕になったとたん冷たく当たるのは何でかとか、お梶を殺すのは偶然からなのか、明確な殺意があるのか不明だとか、徳兵衛、お辰夫婦がお市を養女に迎えるのはいいとして、お梶の子どもではないし、実の父親である団七を殺してしまったことをどう説明するのかとか、いろいろモヤモヤが残った。

0801 TENTH

シアタークリエ10周年の公演を関西に持ってきたというもので、祝祭感が場違いな感じだ。1幕はミュージカル「ニュー・ブレイン」のダイジェスト版。子ども向け番組の作曲家に石丸幹二。Tシャツにチェックのシャツを羽織ったカジュアルな衣装が似合わず、緩んだ身体が辛い。ポップな音楽もいまいちだ。恋人役の畠中洋?が編み込みのような髪型だったのが気になった。長髪なの? 。ホームレス役は意味不明がよくわからなかったが、マルシアは歌が上手かった。 2幕は冒頭に石丸と伊礼彼方の歌の後、「RENT」のガラコン。石丸は正装のほうが断然素敵だ。RENTのキャストは知っている人がいなかったけれど、歌は達者。ロジャー役がさえないバンドマンみたいだったり、ミミ役のジェニファーが瀕死のエイズ患者なのに豊満ボディだったり、トークが酷く詰まらなかったのはさておき、曲の力は偉大だ。

7月28日ミュージカル「エビータ」

アンドリュー・ロイド・ウェーバーの曲の素晴らしさよ。映画を見たのは20年も昔なのにどの曲も覚えていた。エビータ役のエマ・キングストンはよく通る声で音程もしっかりしているのだが、今ひとつ心に響かない。「don't cry for me Algentina」は流石に曲の力でグッときたが。チェ・ゲバラ役のラミン・カリムルーはさすがの歌唱だが、いかんせん主役じゃないのよねー。ペロン役の存在感が薄くて、エビータのお飾りみたいだったのも残念なところ。
白黒の本人映像を映す演出は悪くないが、暗転ばかりが単調。エビータやチェのソロで、何もないステージにピンスポットだけというのも素っ気ない。最後、エビータが死んで、遺体が17年間行方不明――で終わるのが唐突に感じた。あと、カーンコールで宝塚のようなフィナーレが欲しいと思ってしまったよ。

0727 京都バレエ団「ル・レーヴ」

「パキータ」 セットなしで踊りだけを魅せるのはハードルが高いが、懸命さが感じられて好印象。
 「ル・レーヴ」
1890年初演の日本が舞台の幻のバレエ。漁村らしい、水辺の村は濃い緑や紫など浮世絵を思わせる色彩で描かれる。甚兵衛のような上衣に細身のパンツというスタイルで現れた主役のタイコ(カール・パケット)は村人だから仕方ないとはいえ、あまりにも質素な衣装だ。金髪を髷風に結わえているのだが、金髪や彫りの深い顔立ちが違和感を覚えるが、初演は全て西洋人だったわけで、ある意味当時はこんな風だったのかと思い直す。ヒロイン、ダイタはオニール八菜。細く伸びた腕にスラリとした脚が美しい。ピンクの上衣は少しでも華やかさを出すためだろうが、チグハグさが勝ったか。2幕の晴着は既製品のキモノのよう。踊るときに前がはだけるのがいただけない。横にスリットを入れた方がよかったのでは。
衣装が良かったのは、イザナミ。白地に赤や緑、青といった原色が配され、奈良時代を思わせる古風なスタイル。踊ると袖や裾が翻ってきれいだった。サクマも黒の裃で、ちょっと悪い男の魅力。
振り付けは正当なスタイルで悪くはないが、際立つものもない。腕を隠した衣装でもなお美しいオニールのスタイルは特筆すべきか。
肝心の大扇のセットは光線で代用されたが、光をかき分けるようにイザナミが登場するのはいい効果だった。
45分ほどの小品としては楽しめたし、再演したら良くなりそう。

「バヤディール」
3幕のみで、オニールのガムザッティにパケットのゾロル。オニールの美しさは文句なしだが、パケットはお疲れ?動きにキレがなく、体つきもモッサリして見えた。群舞で子どもの一団やら、ゾロゾロ出てきて、人数の豪華さがすごかった。

2018年7月25日水曜日

0723 夏休み文楽特別公演 第3部

「新版歌祭文」 野崎村の段の中は文字久・清志郎。文字久の語りは何かから解放されたようにのびのび。行き過ぎて義太夫でなくなってしまった感じだ。 前の津駒・寛治になって、義太夫節らしくなりほっとする。 奥は三輪・団七に清公のツレ。オクリなどなく、ブツっと切って盆が回る。語りにくいのか、前半はいまいちだったが、久作の見せ場ではぐっと感情が高まった。 人形は清十郎のおみつ、文昇の久松がいいバランス。一輔のお染は一途な娘の可愛さがあった。お染は嫌いだけど、この娘は許してしまいそう。簑助がお勝でちょこっとだけ出演したが、空気が変わるのがさすが。登場はわずか数分で、舟に乗ったところでは別の人に変わっていたようだった。 「日本振袖始」 織、希、南都、亘に藤蔵、清丈、寛太郎、錦吾、燕二郎。 力のある床で迫力十分。だが、話としてはちょっと間延びする?岩永姫の勘十郎が酒を飲んで大蛇に変じるところが冗長に感じた。稲田姫の紋臣は可憐。素戔嗚尊の玉助はダイナミックだが、ちょっと雑かも。

0723 夏休み文楽特別公演 第1部

「瓜子姫とあまんじゃく」 呂・清介に清公、清允のツレ。呂の語りは笑いに持っていこうとしているようで、怖さが足りない気がする。山父の怖がらせる場面でも子どもたちは笑っていたし。三味線の手が多くて楽しくていいね。 「増補大江山」 芳穂、津国、文字栄、碩に清友、団吾、友之助、錦吾、燕二郎。

0722 半神

八百屋の舞台は天井までの急こう配で、棚のように配置された足場を伝って役者たちが上下にも動きまわる。視覚的には三次元の空間が利用されて、立体感のある舞台だ。シュラ役の桜井玲香はメイクのせいか萩尾望都の漫画のような顔に見える。マリア役の藤間爽子は初舞台だそうだが、ほとんどしゃべらないマリアの無邪気さを表情や仕草だけで表す。日本舞踊家だそうで、所作の美しさが際立つ。

0722 ピッコロ劇団「布団と達磨」

岩松了が岸田國士戯曲賞を受賞した作品を30年ぶりに演出。2組の布団が敷かれた夫婦の寝室に、寝間着姿の夫と色留袖姿の妻という衣装からちぐはぐ。そこへ、様々な人が出入りするので、混乱に混乱が重なるというか。肝心なことは誰も言わないし、明確なストーリーがあるわけではないのだが、くすっと笑わされたり、身につまされたり。役者陣がどれも役にはまっていて、特に妻役の樫村千晶、妹久子役の平井久美子、時枝役の野秋裕香らの演技が印象に残った。

7月21日 夏休み文楽特別公演 第2部

「卅三間堂棟由来」 平太郎住家から木遣り音頭まで。中を睦・宗助、切を咲・燕三、奥を呂勢・清治。 睦は女の詞がかすれる癖が治っておらず、聞くのが辛い。お柳のクドキは咲だったが、声はしわがれ、声量もなく、今の体調では厳しいか。呂勢はせっかくの美声が聞かれず物足りないと思っていたら、和田四郎の骨太な悪人ぶりで聞かせた。 「大塔宮曦鎧」 六波羅館の段は中を咲寿・清馗、奥を靖・錦糸。 錦糸の顔がだんだん険しくなる。 身代り音頭の段は中を小住・勝平、奥を千歳・富助。 小住は安定感のある語りで、勝平がしっかり支える。千歳・富助は抜群の安心感。 復曲ものだが、人形付きで見るとまだ物語が練られていないというか、冗長に感じる。斎藤太郎左衛門の人物造形が複雑でにわかに頭に入りにくいし、身代り音頭で突然出てくる子どもが殺されてしまうのが唐突な感じがする。 7月30日再見。咲寿が時代物らしい語りになっていて、靖も堂々とした語りが良くなっていた。灯籠や浴衣に込めた意味の解読が初見では飲み込み切れなかったが、何度か見ると腑に落ちてきた。前段の、太郎左衛門の娘夫婦の件がちゃんと描かれていたらもっと分かりやすく面白かったかも。

0720 東京デスロック+第12言語演劇スタジオ「カルメギ」

チェーホフの「かもめ」を日本占領下の朝鮮半島に置き換えた。トレープレフ役の韓国人俳優が嵌っていて、演技も上手。ニ―ナやマーシャ役の女優陣は古風な美しさがあってよかった。トリゴーリンは日本人。背が高く、がっしりした体格の美丈だが、ニ―ナを誘惑しながらアルカージナとの関係も絶たない狡さが憎い。横長の舞台を客席が挟む構造で、がれきのように家具や新聞紙が積まれた舞台上を俳優たちは一方向にのみ移動する。唯一、ニ―ナが戻ってきた時だけ、逆方向から登場する。KポップやJポップ、冬のソナタのテーマ曲などがキッチュで、何度か大音量で流れるボレロがドラマ性を高める。(ボレロってちょっとずるい気もする)韓国と日本の役者が韓国語と日本語のセリフで語るのだが、字幕のタイミングが合わないのか、演技を観ているうちに字幕を読み損ねたり、その逆だったりと慌ただしく、芝居に没頭できなかった。

2018年7月20日金曜日

0719 シス・カンパニー公演「お蘭、登場」

日本文学シアターvol.5ということで、江戸川乱歩をモチーフにしているそうで、人間椅子や怪しげなナイトクラブなど、乱歩風の要素がちりばめられる。様々な人物に成りすまして殺人現場に現れる、神出鬼没のお蘭に小泉今日子。お蘭を追う探偵の堤真一と刑事の高橋克実のやり取りはときにアドリブを交えて軽快だ。お蘭は冤罪で死んだ三つ子の兄弟の復讐のために動いているようだが、強いメッセージ性があるわけではない。キョンキョンの七変化や歌を楽しむ、肩ひじ張らないエンターテインメントだ。90分弱という時間設定はありがたし。

0718 地点「忘れる日本人」

紅白の紐で囲われた舞台の真ん中に木造の舟。登場人物たちは船底から1人1人這い出して来る。クラブステップでの横運動は水面を滑るようで、絶えず小刻みに手足を動かしながら語られるセリフは教訓や批判めいた内容なのだが、最期まで語られることなくブツ切れになり、中途半端に空中を浮遊しているよう。語り手は前の役者が指さした先の役者に会話ではなく、脈絡のないようにセリフが続く。挿し挟まれる「わっしょーい!」といった掛け声や、「どこどーこ」「ミチコミーチコ」などのばかりが耳に残る。 終盤、舟を神輿のように担ぎ上げようとするが、重くて持ち上がらない。会場から10人ほどの「友達」の参加を募り、舞台を東へ西へと一回りするのは何かの暗示だろうか。一言でいうとよう分からん舞台で、役者の身体能力に感心した。

2018年7月18日水曜日

0716 第二回酒都で聞く女流義太夫の会

「壷坂観音霊験記」 沢市内より山の段。駒之助の語りは痛切で、会場にはすすり泣く人もいたのだが、やはり私はこの話が好きでないようだ。津賀花の悲鳴のような掛け声も苦手だった。 人形は和生のお里に玉佳の沢市。お里のクドキで後振りになるのがちょっと大げさに感じた。 女義と文楽人形の共演は関西では半世紀ぶりだとか。たまにはこういう趣向もよろしいのでは。

2018年7月16日月曜日

0715 フィリップ・ドゥクフレ/カンパニーDCA「新作短編集(2017)」

「デュオ」 男女二人による、ダンスだけでなく、ボイスパーカッションや楽器演奏などを交えたパフォーマンス。簡単そうに見せているけど、高い身体能力あってこそ。 「穴」 二人で踊るソロという説明がユニーク。穴から這い出した男性の上半身と女性の脚が、時に1人の人間のように、あるいは未知の生物のように動く。温泉につかっているようなシーンが印象的。 「ヴィヴァルディ」 ヴィヴァルディの楽曲に合わせての踊りはクラシックな動きだが、ポップなカラーのニットタイツという衣装がモダンな雰囲気を醸し出している。 「進化」 ほかの作品でも映像は使われていたが、特に映像との連携が多い作品。生身で踊るダンサーと映像のダンサーが重なりあう。宙づりの「R」は空中浮遊をしているよう。 「日本への旅」 空港での搭乗風景から、日本に降り立っての異文化体験をコミカルかつシニカルに表演。場面転換時に短歌らしきものが挟まれ、着物風のガウンや和傘、扇子を使ってフランス人が見た「日本」が表現される。ツインテールの女性が歌い踊るのはアニメの影響か。

0714 エイチエムピー・シアターカンパニー「忠臣蔵・序 ビッグバン/抜刀」松組

男ばかりの松組は舞台の反対側(表側)。亀甲型のパネルの前に広い舞台空間があり、移動可能な短い柱を並べて場面転換を表現する趣向。アフタートークによると、総体的に小柄な女性と違って、大柄な男性のほうが舞台空間で存在感を発揮できるのだとか。 浅野内匠頭の佐々木誠は生真面目というか、原理原則にこだわる青さ。吉良の殿村ゆたかは恰幅がよく、小心さというよりは老獪な印象。柳沢の竹内宏樹はアサーティブな役人といった風情、大納言の坂本正巳は俗っぽい。大石の岸本は若さや行動力のあるリーダー。キャストだけでも亀組とはずいぶん印象が異なる。 刀による武力で争った戦国時代が終わり、金や気遣い、忖度で物事が決まる時代への移行期。武士ならではの刀の力にこだわる浅野と、新しい価値観を推し進める柳沢らの対立という構図がはっきりする。ここで刀を抜いたらまた関ヶ原に戻ってしまう。大納言が「武士らしいのは浅野」と言うのが象徴的だ。浅野の辞世の句「このたびのことやむをえざることにてもはやここまで」に、武士の面目、様々な思いが込められている。肉親への復讐ではなく、主君のための仇討ちは、将軍や朝廷に楯突く反逆になってしまうが、「忠臣」と名乗ることで汚名をすすぐ。 アフタートークで、「仮名手本忠臣蔵」の恋愛要素を除いて「権力の構図の中で起こる人間ドラマ」を描いたとの説明を聞いて納得。

0710 エイチエムピー・シアターカンパニー「忠臣蔵・序 ビッグバン/抜刀」亀組

女優ばかりの亀組。仮名手本忠臣蔵を原作としながら、柳沢や大納言がフィーチャーされているのに戸惑った。
亀甲模様のパネルが3つ並び、ゴムのように伸び縮みする格子がかかっている。パネルは漫画のコマのようでもあり、格子をかき分けるようにして役者が登場する。登場人物は男ばかりだが、顔の中心を丸く白塗りするメイクはお面の効果があるのか、女優が演じる違和感を感じさせない。
浅野内匠頭の米沢千草は生硬な青年の風情があり、思いつめていく様子を逼迫感をもって表現。「この恨みをとどめたら、武士の魂が死ぬ」というセリフが象徴的で、「仮名手本」のようなかっとなっての犯行ではなく、将軍、天皇までを視野に入れた反逆だ。柳沢吉保が謀の元凶で、将軍の威を笠に着て権威をふるう。水谷有希の男前ぶりが際立つ。吉良上野介の森田祐利恵は権力になびくズルさ、小心さとの対比が巧みだ。大納言のナカメキョウコの食えない公家ぷりもいい。はたもとようこの大石内蔵助は風格があり、立派な家老。

場面転換や人物紹介で映像によるテロップを多用するのは、分かりやすい反面、安易でうるさくもある。ゆったりした白い衣装に薄手のローブをまとったような衣装がギリシャ風だったのはどういう狙いなのか。刀が黒いゴム製?でぶらぶらしてたのも気になった。

2018年7月11日水曜日

0710 復曲試演会「花魁莟八総」

復曲試演会の最終回は八犬士誕生を描く富山の段。伏姫とか八房とか、知っているタームが出てくるので親しみやすいが、物語の冒頭部なので盛り上がりには欠ける。本息の語り・演奏ではないので仕方ないのだろうが。 犬の顔に代わる伏姫の首は大江巳之助さんが作ったものがすでにあるそうで、人形つきの上演もできそうな様子。

7月8日 第6回 ながと近松文楽「出世景清」

近松門左衛門が竹本義太夫に書いた最初の浄瑠璃。「通し上演」と銘打ってはいるが、ダイジェスト版で上演時間はトータルで2時間あまりだが、物語の全体像は分かる。総じて面白くはあったり、歴史的な意義はあるのだろう。西日本の大雨で新幹線がストップし、座員の皆さんはフェリーで大阪港→門司港、バスで長門入りし、観客も当日の朝に山陽新幹線は通常運転に戻ったものの、在来線は止まったままで、いろいろ困難を乗り越えての上演・観劇だったので、観劇もひとしおといったところか。(文哉は岡山から45時間かけて現地入りしたとか) 前半は素浄瑠璃で。熱田の段(靖・燕二郎)、東大寺の段(芳穂・清馗)は短くあらすじを紹介する程度。阿古屋住家の段は呂勢・燕三で、比較的しっかり聞かせる。阿古屋の嫉妬が凄まじく、三味線の手もよくて拍手が出ていたほど。呂勢はエキセントリックな女性が上手い。この段に関しては人形なしのほうが良かったと思った。 六波羅河原の段からは人形付きで。前は芳穂・燕二郎、後は三輪・清志郎。小野姫の清十郎がよくて、拷問にかけられるところなど哀れさが際立つ。勘十郎の景清は竹垣を薙ぎ払って登場。ヒーローらしい派手な演出だ。 六波羅新牢の段は靖・清馗、牢破りの段は睦・宗助。阿古屋の裏切りを許せないのはいいとして、2人の子どもに手をかけるのをぼーっと見ている景清ってなんだ?3人の遺体が折り重なる乱暴さも、古い作品ならではなのか。せっかく牢を破って出てきたのに、すごすご牢に戻るのも理解できん。(さすがに客席からは笑いが漏れていた) 観世音身替の段は三輪、睦、芳穂、靖の掛け合いに清志郎。晒首になった景清の顔がだんだん面長になって…と思っていたら観音の顔に変わる仕掛け。目新しさはあるが、もうちょっとスピーディーにやるほうがいいかも。 清水寺の段は呂勢・燕三。景清が両目をえぐって頼朝に差し出すところなど、視覚的には面白い。景清の葛藤が深く描かれていたらもっと感動するのかも。 ダイジェスト版だったためか、全体的に登場人物の造形が浅く、突飛な行動に戸惑う展開。今の浄瑠璃との違いを楽しむという意味では興味深くみた。念願かなって涙ぐんでいた鳥越文蔵早大名誉教授に象徴される公演だった。

2018年7月6日金曜日

0705 ミュージカル「モーツアルト!」

山崎育三郎のウォルフガングは歌もうまいし、容姿もいいのだが、一味足りない。たぶん、天才らしい、傲岸不遜な様子が足りないのだと思う。権威的な父や大司教との対決の物語ではあるのだが、ウォルフガングが普通の人に見えてしまった。 コンスタンツェの生田絵梨花は歌は上手いが、悪妻の毒気が全くなく、可愛いいい子。役にまったく合っていない。 レオポルト役の市村正親、コロレド大司教の山口祐一郎の貫禄、男爵夫人の香寿たつきの歌唱力は聞きごたえがあった。 クンツェ&リーヴァイの作品らしく、「エリザベート」を思わせる音も。

0704 七月大歌舞伎 夜の部

「御浜御殿綱豊卿」 仁左衛門の綱豊卿のセリフの心地よさ。中車の助右衛門も懸命に渡り合っていて、やり取りの緊迫感を楽しめた。 が、さんざんそばへ寄るのを拒んでいた助右衛門が意を決して綱豊に近づくところで笑ってしまう観客ってどうよ。それまでのやり取りは振りではないのだが。 お喜世の壱太郎(何気に今月大活躍では?)、江島の扇雀、浦尾の吉弥ら、女形陣も役にはまっていて、バランスのいい舞台。 「口上」 20分の予定が5分ほど巻いて終了。あまり面白いことを言う人はなかった。 「女殺油地獄」 幸四郎が「最終目標」と言っていた大阪での油地獄だが、終始違和感が拭えなかった。どこがどう、とは言い難いのだが、強いて言えば、徳庵堤から人格破綻者に見えた。与兵衛は強がっているアホな男だけれど、そこには愛嬌がないといけないと思うのだ。幸四郎の与兵衛は危うげで、あまり近寄りたくない感じ。そのせいか、最期の殺しの場面での狂気との落差が少なかったのでは。猿之助のお吉はふてぶてしいというか、貫禄がすごい。与兵衛より大分年上に見えた。年下の幼馴染を放っておけず、つい世話を焼いてしまうというというより、冷静に考えているよう。殺しの場面でも、ついほだされちゃいそうになる様子が薄かったように感じた。 おさわの竹三郎、口入小兵衛の松之助が上方の風情。 それにしても、襲名披露公演の最後がこれって。どよーんとした気分で劇場を後にした。

0704 七月大歌舞伎 昼の部

「廓三番叟」 孝太郎の傾城、壱太郎の新造、歌昇の太鼓持。華やか。後見が金糸で鶴を縫い取った打掛をおろすとき、手が滑ってあわやという場面が。 「車引」 鴈治郎の梅王、扇雀の桜丸はなんだか気が抜けたよう。竹本のせいか、もっさりした感じ。仕丁のなかに、体が傾いでいる人が何人かいたのも気になった。桜丸の化粧はキリリと強めで、たおやかさがないのもいつもと違う感じ。 寿治郎の金棒引が若々しくて驚く。松王丸は又五郎、時平は弥十郎。 「河内山」 襲名披露狂言で、白鸚の河内山宗俊。花道を出たところから、足取りがおぼつかなく、せりふも老人のようにもごもごしてる。老け感の演出なのだろうか。 波路の壱太郎は可憐だが、ちょっと芝居が大げさか。弥十郎の高木小左衛門が分別のある忠臣らしく、安心感。 「勧進帳」 仁左衛門の富樫の大きさに感服。第一声から世界観が変わるのはさすが。 幸四郎の弁慶は1月の歌舞伎座よりは無理がなく、身の丈に合っているように感じた。緊張感のあるやり取りは客席にも伝わったが、「人が人に似たりとは」で笑いが起こってしまうのは力不足のゆえか。飛び六法はかろうじて手拍子にならず、一安心。 太鼓持ちの山川大遥くんがちっちゃくて可愛く、懸命に頑張る様子に目を惹かれた。

2018年7月4日水曜日

0630 藤間勘十郎 文芸シリーズ其三

「恐怖時代」 北翔海莉のお銀のは少し痩せたのか、すらりとした姿。凛とした声がよく通り、流し目が妖しい美しさ。もろさはあまり感じられないが。男たちを籠絡するとき、横を向いたときに除く本音の表情がいい。人が殺される場面で顔をそむけるのも、嫌なものから逃げる弱さが出ていた。三林京子の存在感が物語の世界を構築していた。河合宥希は役者のように美しい小姓という設定なので、男装した少女のよう。北翔と並ぶと男女逆転とは言わないまでも、姉妹のようだった。血の表現が、白い幕に血しぶきというのは安易な気がしたが、終始美意識にあふれる舞台だった。 「多神教」 恐怖時代に比べると焦点がぼけた印象。舞台上でセリフを発するのではなく、録音されたそれぞれの声に合わせての芝居はどういう意図だったのか?舞踊劇だったせいなのか、ピンとこなかった。

2018年6月30日土曜日

0628 玉造小劇場「眠らぬ月の下僕」

満蒙開拓団で大陸に渡った少年が敗戦の混乱に巻き込まれ、日本へ帰りたいという意思と裏腹に西へ西へと流転していく。2時間で世界一周を移動する壮大な芝居を近鉄アート館の小さな空間で見せた。舞台の上に人形劇のような小舞台を設け、人形を効果的に使う演出は文楽の影響を感じさせる。特に前半は戦争の描写で次々と人が死ぬのだが、死んだ人形は舞台の上に置き去りにされるのが、何とも言えない虚しさ、悲しさ。 主人公喜久雄を演じたうえだひろしは運命に翻弄される少年の成長を体現。場面転換時のボヤキが何とも言えない可笑しさ。岡田嘉子役の美津乃あわが女優然として印象的。

0623 文楽若手会

「万才」 咲寿、小住、碩に錦吾、燕二郎、清允。人形は玉彦、勘次郎。 「絵本太功記」 夕顔棚の段は亘・清公、尼ケ崎の段の前を希・友之助、後を靖・寛太郎。 最初からずっと聞いてきて、靖になってやっと浄瑠璃が聞けた感じ。先の2人も声はよく出ていたが、別の語りもののようで。 人形は紋臣のさつきが落ち着いた風情。簑紫郎の操は色気がある。玉誉の初菊はたどたどしい。玉勢の光秀は力あふれる。 「傾城恋飛脚」 新口村の口を碩・清允、前を小住・清丈、後を芳穂・清馗。 碩は堂々とした語りぶりで期待が高まる。褒め殺しでつぶされないことを祈る。小住は鑑賞教室からの不調から抜け出せない印象か。芳穂は芝居気が出てる。 忠三郎女房のくだりで客席が妙に笑っていたのは何でだろう。そんなにめちゃくちゃ面白くもないと思うのだが。人形がちょっとグダグダで、「今じゃない」と言ってから忠兵衛が飛び出してくるので、いつも以上に笑いが大きかった。玉翔の忠兵衛、梅川は紋秀、孫右衛門は文哉。

2018年6月23日土曜日

6月21日 文楽鑑賞教室 Dプロ

三番叟、解説は飛ばして「絵本太功記」のみ。 夕顔棚の段は小住・清丈。小住は尼ケ崎の時よりはまとまっていたような印象。 尼ケ崎の段は前が靖・錦糸、後が織・燕三。靖は低音部が苦しそうではあるものの、誠実な語り。錦糸の三味線はいまや貴重な安心感。織は出だしは勢いがあり客席にインパクトを与えたが、中盤から歌い上げる調子になってがっかり。燕三がたたきつけるような演奏でびっくり。掛け声も多かったような。 人形は紋臣の初菊が愛らしい。勘十郎のさつきは気丈な感じ?玉佳の光秀は人形より本人の演技が先に立つ。簑紫郎の十次郎は賢そうというか、武より文に秀でている印象。

2018年6月20日水曜日

6月19日 文楽鑑賞教室 Cプロ

「寿式三番叟」 希、亘、碩に勝平、寛太郎、清公、燕二郎。 お囃子のずれっぷりは相変わらずだったが、三味線が最後までまとまっていたのでギリギリのところで踏みとどまった印象。シンの勝平の安定感か。 「絵本太功記」 夕顔棚の段は咲寿、清馗。咲寿はところどころ煩いものの、さつきの老女らしさなど語り分けはまずます。 「尼ケ崎の段」は前は芳穂・宗助、後が文字久の代役の小住と清介。 芳穂は安定感があり、咲寿の後だととてもうまく聞こえる。小住は立派な体格から声はよく出ているが、光秀や久吉はともかく、さつきが老女になってない。 人形は光秀の玉也をはじめ、さつきの簑一郎、操の勘弥、初菊の紋秀と渋ぞろい。

6月16日 花形新派公演「黒蜥蜴 全美版」

期待してたけど、それを上回る素晴らしさ。河合雪之丞の黒蜥蜴は美しく、妖しく、儚げ。喜多村緑郎の明智 はクールで格好良く、でもどこか屈託がある。犯罪への好奇心を隠そうともしない少年っぽさがいいアクセントになっている気がする。主役の2人のは絵になるだけでなく、緊張感のある駆け引きがスリリングで官能的だ。通天閣での身代のやり取りのあと、警察や他の盗賊たちに追われる黒蜥蜴を明智が逃すところでは立ち回りや早替りでも見せ、2人がたがいの過去を打ち明ける場面など増えていて、関係を丁寧に描く。明智と黒蜥蜴が、裕福な家庭に生まれたよく似た境遇であったと分かり、似たもの同士、生きき別れた双子だと認め合う、。命を救ったお礼をと言う黒蜥蜴に対し、本当の名を尋ねるも邪魔が入って叶わず。「君のことは何も知らない」という明智のセリフがラストにも効いてくる。
冒頭、ラメの黒い着物の裾から覗く黒蜥蜴の足が網タイツなのはいいとして、スリッパのような靴がもっさりしてるとか、顔の輪郭ラインのやけにピンクのきついメイクとか、残念なところもあったけど、そんな欠点が気にならなくなるほどの面白さだった。

他のキャストもはまっていて、波多野警部役の今井清隆の歌や洒脱なセリフ、チンピラっぽいギラギラした感じがはまっていた雨宮役の秋山真太郎、チャイナドレスを着てるなお美しい紅子(河合宥季)の女らしさ。早苗役の春本由香も新派らしい大仰なセリフ回しが板についていた。

0615 劇団太陽族「sumako」

日本の女優の先駆け、松井須磨子の生涯。死んだ須磨子の通夜の場面から始まり、須磨子を生き返らせるという謎の男の導きで過去へ遡って出身地の上田へ。上京、女優デビュー、島崎抱月との不倫関係…と駆け足の感があるのは約2時間の芝居では仕方ないのか。須磨子を3人の女優(船戸香里、韓寿恵、佐々木淳子)が演じるのは多面性を描くため?病死した島崎の後を追った須磨子が出した3通の遺書を3人の女優が読む場面で、このためのトリプルキャストだったのかと思った。
ラストはやや強引か。死んだ須磨子が島崎とともに新天地?を目指し、ジャズに合わせて役者たちが歌い踊る。唐突なミュージカルもどきに戸惑うし、歌も踊りも、一生懸命ではあるけど決して上手くないのがキビしい。そして時は現代へ移り、スマコならぬスマホに夢中な現代人を皮肉り、平成を弔うラストシーン。人力車に乗って現れる黒いドレスの貴婦人(平成の象徴?)のビジュアルは悪くないが。

島崎の正妻役岸部孝子の嫌味っぷりが秀逸だった。


2018年6月13日水曜日

0612 社会人のための文楽鑑賞教室(Bプロ)

文楽のいろはは桂かい枝のナビゲーション。床は靖太夫と友之助で、「三味線一のイケメン(友之助)とつけ麺好き(靖)」と紹介して笑いを誘う。上方落語と義太夫節はともに300年ほど前に誕生し、1人で語り分ける、見台を使う、大阪弁などの共通点がある一方、あっさりと自然に表現する落語と、大仰に三味線の演奏とともに表現する義太夫節の違いを笑いを交えて解説。小咄「くちなし」の義太夫節バージョンが面白かった。人形解説は玉誉。説明がグダグダになってかい枝に突っ込まれていた。かい枝のセリフに合わせて女形の人形が小走りし、躓いて膝を立てて踏みとどまる→ひざは実は足遣いの握りこぶしといういつもの人形解説、爪人形を交えた立ち回りなど。 「絵本太功記」 夕顔棚の段は希・寛太郎。希の声が若々しいというか、軽すぎて、さつきが似合わない。寛太郎は淡々と。 尼崎の段の前は睦・勝平。高音部がかすれる悪癖が復活していて残念。勝平の三味線は音が前に出ている感じだ。後の千歳・富助の安定感。ようやく義太夫節が聞けた安堵感で、逆にそれまでの2人の語りを落ち着いて聞けなかったと実感した。光秀の言動には全く共感できないのだが、十次郎やさつきの嘆きが胸に迫るのは語りの力だろう。 人形は簑二郎のさつき、一輔の操、簑紫郎の初菊。初菊の後ろ振りは形が決まっていて美しい。光秀の玉志は淡々としてる。十次郎は文哉に代わって玉勢だったが、きっぱりとした動きで若武者らしさにあふれてよかった。久吉は玉男でこのメンバーの中では抜群の大きさ。 さつきの住家の井戸は途中が途中でなくなってしまうのはなぜ?というか、井戸なくてもよくないか?

2018年6月11日月曜日

0611 空晴「となりのところ」

狭いながらも楽しい我が家?隣り合った3件の長屋?の住人達の物語。どう声をかけていいか分からない場面で、ありきたりでも精一杯の言葉はうれしいと思いというのが主題なのか。冒頭、客演の孫と上瀧の居合いが格好いい。古市ちさが珍しくワンピース姿で、オーバーアクション気味の演技もはまっている。上瀧が工務店の使えない店員役であれ?と思っていたら、孫と高校の同級生という設定で、最後は2人の無言のやり取りが雄弁。 終始傘袋をカサカサさせてる人がいて、視線で訴えても全く通じず。静かなシーンが多かったので、声に出して注意すると逆に自分の声が芝居を壊してしまいそうで、比較的騒がしい場面でささやき声で訴えてみようとしてっも通じず。こういう時、どうしたらいいのだろうか。

6月11日 宝塚雪組「凱旋門」「Gato Bonito!」

「凱旋門」 ラヴィック役の轟悠は18年ぶりと思えない若々しさを保っているが、歌声はキツイ。終始かすれ気味で、発声が苦しそう。望海風斗のために、ボリスの歌場面を増やしたそうだが、狂言回しのようで、ラヴィックとの絡みは少なく、2人の友情をもっと描いてほしかった。深刻ぶるラヴィックに対し、軽く享楽的なボリスという対比も言葉だけで、もう少し丁寧な描写があってもいいのでは。ジョアンの真彩希帆は最期の場面で涙を流すなど、演技派ぶりを発揮。「パララパララ」の歌など轟とのデュエットで聞かせたが、望海との歌をもっと聞きたかった。 「Gato Bonito!」 美しい猫というタイトル通り、終始猫をモチーフに、ラテンの音楽でつづる。…が、ラテンばっかりって正直飽きる。トップ2人の歌唱力を堪能できなかったのも物足りない。中盤、体の線の出るレオタード風衣装で、男役4人が望海に絡む場面があったのだが、男役の女装が好きではない(というか、あまり乱発すべきでないと思っている)ので、今一つ楽しめず。安易にファンをざわつかせるのはどうかと思う。

6月10日 京都観世会 復曲試演の会「実方」

「実方」 すでに数パターンの復曲能があるそうだが、今回は後シテの実方が老人ではなく若い姿で登場するところが特徴だそう。かつての美男子が老いた自分の姿に気付くという筋で、老女物の男性版だという。前シテと後シテの姿が変わるのは、見物としては目先が変わってありがたいが、若い姿で観ず鏡に映った自分の老いた姿を見て嘆くという表現は難解かもと思った。実方の片山九郎衛門は、老人の面をかけても実年齢の若さが隠し切れない感じ。10人の地謡が地響きのようで心地よかった。 「野守」 シテは浦田保浩。前シテの老人と後シテの鬼のメリハリがはっきりしていて、面白い。

2018年6月9日土曜日

6月9日 文楽鑑賞教室 Aプロ

「二人三番叟」 靖、咲寿、亘に清馗、友之助、錦吾、清允。人形は紋秀、玉誉。 何でだろう。三味線とお囃子と足踏みのリズムが噛み合っていなくて気持ち悪い。清馗が終盤ニヤっとしていたのが謎。 「絵本太功記」 夕顔棚の段は南都・清志郎。清志郎の三味線は目が覚めるよう。 尼ヶ崎の段は前が呂勢・清友、後が津駒・藤蔵。 呂勢の語りは耳に心地よく、初菊のクドキが胸に響く。20分ほどと短いのが残念。 津駒は渾身の語りだが、時代物には合わない声。藤蔵は力が入りすぎているように感じた。 人形はさつきの和生に安定感。初菊の紋臣が可憐。操の清十郎はしっとり。光秀は玉助で力いっぱいの大きさがある。十次郎の清五郎、終始人形が左(主遣い側)に傾げていたように見えた。

2018年6月8日金曜日

0607 イキウメ「図書館的人生Vol.4襲ってくるもの」

短編3本。時代もシチュエーションも違うけれど、少しずつつながっている。 「箱詰め男」は近未来。アルツハイマー認知症にかかった脳科学者が自分の脳をコンピューターにアップロードする。寄木細工の箱に収められた男は肉体を失った変わりにすべての記憶を保っている。あらゆる質問に答えることができ、記憶は正確だが、感情がなく、AIスピーカーのようなやり取り。ネットや家電とつながって、サイト検索や家電の操作もしてしまうし。感情を刺激するような感覚があれば欲望が生まれるのではと、嗅覚センサーを付けたことで、感情が揺さぶられ、欲望も生まれる。が、眠ることができないコンピューターは感覚をオフにできず、常に覚醒した状態に苦痛を感じるようになる。脳科学者の妻役の千葉雅子がリアル。脳科学者の安井順平は声だけだが、AIスピーカー然とした冒頭から、感覚が呼び覚まされた様子を繊細に描写した。 「ミッション」は「一時停止を無視しろ」という衝動にかられて死亡事故を起こし、服役した男が主人公。出所後、事故で死亡した高齢者が認知症になりかかっていて、逆に交通事故の加害者になりかねなかったと知り、衝動にしたがったことが世界にいい影響を与えているのではと考えるようになる。自らの考えに拘泥する狂信的な男を演じる大窪人衛は前作の印象と被る。同僚の田村健太郎は、マエカノとの関係がこじれてストーカー認定されていたという過去を明かす。一見いい人そうに見えるちょっと困った男を好演していた。 「あやつり人形」就職活動を始めた女子大生由香里は、「就活生の型にはまらず、自分らしくすればいい」という兄の助言に釈然としない感じをもっている。ガンが再発した母は仕事を続けたい意向をもちながら、子どもたちの勧めで積極的な治療を選択する。治療の副作用が大きく、辛そうな様子に由香里は治療よりも母の希望を優先すべきではないかと考えるようになる。「あなたのためだから」という言葉が、実は発した側の気持ちを楽にするための言葉だというのではないかという問題提起が鋭い。由香里の彼氏役の田村が、一見いい人なのにどうしようもなくうっとおしい男だった。

2018年6月6日水曜日

0603 1789―バスティーユの恋人たち―

加藤和樹のロランはちょっと大人すぎる感じ。歌はうまくていいのだが、ロランはもっと若くてバカっぽいほうがいい気がする。神田沙也加のオランプ、龍真咲のアントワネット。龍は高音もよく出ていたが、どことなく気品がないのはなぜだろう。前かがみぎみの姿勢のせいか。新歌舞伎座は舞台が近くて臨場感があり、革命勃発の群舞はぐっと来た。

0603 sound theater Ⅷ

パーカッションの石川直、ピアノデュオのレ・フレール、タップダンスのRON×Ⅱ、ストリートダンスのKENTARO!!という異なるジャンルの共演。アップテンポの曲は躍動感があって楽しいが、あまり変わり映えがしないので途中ちょっと飽きた。参加型にしたい観客がやたらと手拍子をするのだが、タップの音が聞こえなくなるので遠慮してほしい。演者が求めたときはよしとして。

0603 少女都市「光の祭典」

粗削りなところや、ほとばしるエネルギーを感じ、良くも悪くも若さにあふれる芝居。主人公の狩野陽香をはじめ、役者陣は表現がぎこちなく感情移入しにくいが、客演の松田はテレビなどでの活動経験のおかげか安心して見られた。登場人物が多くて関係性が複雑なので、話についていくのに苦労する。途中のミュージカルシーンが唐突で戸惑った。作者が何か伝えたいということはひしひしと感じられ、観ていてしんどい。

0602 京都薪能

「鞍馬天狗」 子方がたくさん出てきてかわいらしい。 「祇王」 金剛宗家と若宗家が仏御前と祇王。マイクを通しているので声がどこから出ているか分かりにくく、どちらがどちらか戸惑う。宗家のほうが体つきががっしりしているので、ほっそりした祇王のほうが若く見えた。暮れていく空を背景に、舞台が浮かび上がり、幻想的な様子が増す。美しい舞台だった。

6月2日 梅若実襲名披露 京都公演

梅若実は「菊慈童」。赤や黄色の菊をあしらった道具が綺麗。途中足元がふらついたように見え、ハラハラした。ワキの福王茂十郎の重厚感と菊慈童の寂寥感が素晴らしい対比。
「佐渡狐」
七五三に代わって宗彦が佐渡の百姓。あきらが越後の百姓、千作の奏者。
ワイロを渡して口裏を合わせる宗彦と千作が目配せしてニヤリとする仕草がおかしい。ただ、急な代役のせいもあろうが、千作、あきらとの芸の風合いが違うように感じた。年輪の差か。

「石橋」
片山九郎右衛門が後シテの白獅子、清愛が赤獅子で、歌舞伎の連獅子のような毛振りはないけれど、キビキビとした躍動感があり、心が浮き立つ。

0531 トリコ・A「私の家族」

尼崎連続変死事件をモチーフにした作品。喫茶店に集まる人々を「家族」と呼んで共同生活に取り込み、恐怖と甘言で精神的に支配していく様がリアルで、空恐ろしい。主犯格の女は無自覚に周りを巻き込んでいて、明確な悪意のないまま負のスパイラルが加速していく。友達を助けに行ったはずの女が、いつのまにか支配されている。あそこから逃げ出す機会はいくらでもあったはずなのに。思考停止に陥るのはある意味、現状追認が心地いいからだ。自我を保つことの難しさよ。

0530 南河内万歳一座「秘密探偵」

自転車での追いかけっこが繰り広げられるオープニングから、ガヤガヤと賑やかな芝居。浮気調査の探偵をことごとく邪魔する謎の探偵を探る展開。探偵たとが変装して入り乱れ、青年の家に押掛女房する謎の女などキャラの立った面々が面白かった。

2018年5月24日木曜日

0523 人形の家

主演の北乃きいに期待していたのだが、最後まで役の違和感が拭えなかった。セリフにリアリティが感じられず、たぶん、現代の感覚と100年前の古典のギャップなのだろう。夫役の佐藤アツヒロも同様。プログラムのインタビューを読んでも当時の夫婦関係や女性の社会的地位を理解した上で演じるというより、現代の感覚でとらえている様子がうかがえた。古典を演じる場合、そのあたりを乗り越えないと現代の私たちにはリアリティをもって届かないのだと思う。ノラの友人、リンで夫人役の大空ゆうひが地に足の着いた安定感のある演技で、クロクスタ役の松田賢二はややオーバーなほどの悪役ぶりだが、声がいいので舞台に映える。ランク役の淵上泰史、女中役の大浦千佳も悪くなかった。つまりは、主役の二人に説得力がなかったということに尽きるのだろうか。演出の一色隆司は映像出身だそうで、暗転からストップモーションで場面転換するところなどにその片鱗がうかがえた。あまり効果的とは思わなかったが。俗っぽい選曲や、衣装のセンスもいまいち。

2018年5月21日月曜日

0519 ミュージカル「ウーマンオブザイヤ―」

早霧せいなの女優初舞台。歌は聞かせるというほどではないが、聞き苦しくないレベルには達していて、男勝りでバリバリ働くキャリアウーマンという役が早霧によく似合ってチャーミング。こういう役を引き寄せられるというのも、役者の力量なのだろう。脚本は、古い価値観が幅を利かせていたり、主人公2人が恋に落ちるところが唐突だったりと、ツッコミどころ満載なのだが、それを凌駕するコメディセンスなのか、客席は沸いていた。一部の観客はサクラかと思うくらいの笑いぶりだったが。ロシアのバレエダンサー役の宮尾俊太郎は、歌も芝居もいまいちで、肝心のダンスシーンも当たり前のことをしただけという感じ。

0518 OSK日本歌劇団「春のおどり」

高世麻央の退団公演。第一部の「桜ごよみ 夢草子」は和物レビューで、扇を使った舞など、山村流の振り付けが印象的。楊貴妃や光源氏など、これまでに高世が演じた役を早変わりでみせるという趣向で、てんこ盛りな感じ。高世がソロで踊る場面が多く、山村流の名取だという達者ぶりを見せつけた。釣女のシーンが唐突に感じた。 第二部の「One Step to Tomorrow!」は勢いのあるダンス。特にジャストダンスのエネルギーにすべてが集約されているような。黒燕尾の群舞はいいとして、高世による鍵盤ハーモニカの演奏はいかがなものか。格好つけても所詮ピアニカ。ここは、テナーサックスあたりで決めてほしいところだ。ロケットがいつもよりスピード感がなかったように感じた。

0516 「1984」

ジョージ・オーウェルの「1984」の舞台化。1984年はさすがに未来ではないので、近未来から1984を振り返る形で物語が始まる。 記録が改ざんされ、あったことがなかったことにされてしまうのは現代を映しているような空恐ろしさ。拷問シーンは暗転して声だけになるのが、かえって恐ろしく、酷さが増長された。

0515 ウィーン国立バレエ団「海賊」

マニュエル・ルグリ盤の海賊は、コンラッド、メドーラの主役2人だけでなく、グルナーラ、ビルバントの二番手も踊りの見せ場が満載。ちょっとtoo muchと感じるほどの超絶技巧の連続だった。大阪ではグルナーラに橋本清香、ビルバントに木本全優という、関西出身のダンサーが存分に踊りを見せてくれたのがうれしい。

5月13日 コクーン歌舞伎「切られの与三」

木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一が補綴で参加。歌舞伎の原作だけだけでなく、落語や講談からもエピソードを引いて創作した部分があったそうで、なるほど木ノ下っぽくない部分も感じられる脚本だった。与三郎の生母?を殺した容疑でお縄になるところや、島流しになる下りがやや唐突。演出の串田和美が「夢と現実の境目がわからないような」という方針だったそうで、けむに巻かれたような気分だった。久次の唐突な告白に「ええっ!?」と突っ込むところや、傷の特効薬を使わずに、過去の傷ごと引き受けて生き続けようとする与三郎は現代的。舞台や客席を走り回る与三郎の疾走感は感じられた。 「しがねえ恋の情けがあだ」など、歌舞伎でおなじみのシーンやセリフを楽しめる一方、玄冶店の後日談で転落していく与三郎の人生や、次々と頼る男を変えるたびに変質していくお富のしたたかさなど、歌舞伎では見られない展開が興味深かった。与三郎の七之助は、冒頭のたよりないが二枚目のボンボンぶりがよく似合うが、傷を負って手ぬぐいをかぶったところなどは女形らしさが抜けきれず。お富の梅枝は強かないい女ぶり。笹野高史は与三郎づきの下男忠助役で、いつもの敵役とちがって、七之助との絆が感じられる情のある演技にぐっときた。

0508 桂吉弥独演会

「ワンダフル」 犬や猫と会話できるようになった飼い主たち。その理由は、道ならぬ恋を飼い主を通じて伝えたいという犬たちの願い。犬は猫に、ネコはインコに…と片思いが連鎖していくのだが、最期がアスパラガスという可笑しさ。ほのぼのとかわいらしいお話だった。 「紙入れ」 ゲストの桂まん我のおかみさんは、あまり美人ではなさそうだが、妙な色気がある感じ。マクラが長かったので、もしや本編は割愛?と心配した。 「青菜」 古典落語を軽快に。 「弱法師」 人情噺に流れるのではなく、突き放したようなラスト。現代劇を見た後のような、心にザワっとしたものが残った。

2018年5月12日土曜日

5月11日 大槻能楽堂ナイトシアター 特別公演

「釣狐」
茂山逸平の白蔵主は首をあ傾げた仕草などに狐らしい動きがそこはかとなくおかしく、ビクついたり、餌の誘惑に抗いきれない浅はかさが可愛らしい。正体を現してからは肩幅の大きな狐だった。最後の罠を抜けて逃げ出す軽やかさが軽妙。善竹隆平の漁師は沈着。罠にかかるかどうかの緊張感が高まった。

「隅田川」
大槻文蔵の狂女の哀れさに深く共感した。片手を挙げて泣く仕草、子が死んだと知ったときの絶望感、念仏に子の声を聞いたときの喜び、ミニマムな動きで見せる感情の豊かさ。面をかけているので、言葉は不明瞭だけど。
福王茂十郎の渡守、知登の旅人。旅人はセリフも少ないし、必要な役なのかよう分からん。

2018年5月10日木曜日

0509 蘭ー若き日の緒方洪庵ー

北翔海莉のエンターテナーとしてのレベルの高さを感じた。立ち姿の華やかさ、口跡のよさ、立ち回りの華麗さ。彼女がいなかったらだいぶ辛い舞台になっていたはず。
一方の藤山扇治郎は、気の抜けたようなセリフが気鋭の学者にしては頼りなく、アホっぽいのがいただけない。喜劇をやるならあんな話し方でいいのだろうが。
錦織一清の演出はセンスが合わなかった。冒頭、歌謡ショーのような司会での登場人物紹や、ところどころ挟まれるギャグ?が誰をターゲットにしてるか分からないビミョーな古さ、劇団☆新感線みたいなつけ打ちのような効果音など、ちっともいいと思えない。
簡素なセットで回舞台を利用した場面転換は1幕はスムーズでよかったが、2幕は暗転が多くて凡庸だった。

2018年5月8日火曜日

5月7日 劇団☆新感線「髑髏城の七人 season極 修羅天魔」

1年超に及ぶロングラン公演の締めくくりとあって、天海祐希の極楽太夫、古田新太の天魔王という顔合わせ。天海は立ち姿が美しく、自然と目が惹きつけられる。スリットの入った着物かれ覗く薄紫の脚絆がイマイチだが、白を基調にした衣装は掃き溜めに鶴感が高く、よく似合う。古田はレザー調の衣装が戦隊モノの悪役チックなのはいいが、ストレートのロン毛が似合わず、全体的に蛙っぽい。滑舌が良くないのも大悪党らしくなかった。信長を暗殺しようとした極楽が逆に信長に従うようになるいきさつがやや唐突で、天魔との関係も深みに欠けた。「そんなに私が欲しいのか」とか、キスシーンとか盛り上がるべきところが、あっさりとしてしまっていた。
これまでのシーズンとはストーリーが大きく変わっていて、若衆太夫の夢三郎(竜星涼)が天魔王の息子だったり、家康の手下で極楽太夫を警護する忍者の清十郎(河原正嗣)などの新キャラも。竜星は女方の仕草がキレイで、後半の本性を現してからのギャップがいい。河原は体つきがイマイチと思っていたら、アクション指導も担当していたと知ってびっくり。
沙霧の清水くるみははつらつとして可愛かった。兵庫は福士誠治だったのだが、最後まで別人のやうだった。

0506 「大蔵流五家狂言会」

「鍋八撥」
山本則秀の浅鍋売り、千五郎の鞨鼓売り、善竹隆平の目代。茂山家の狂言に慣れているせいか、則秀のセリフは謡調で重たく感じる。千五郎が側転で舞台を横断。大柄なので迫力があり、足を滑らせたのはご愛嬌。隆平の目代はちょっと影が薄かった。

「千鳥」
善竹忠亮の太郎冠者、大蔵弥太郎の酒屋、逸平の主人。忠亮は真面目そうで、軽妙さに欠けるか。弥太郎も硬い感じで、今ひとつ。

「左近三郎」
忠三郎の左近三郎、山本則重の出家。忠三郎は出家を嬲る様子に軽さがあっていい。

「二人袴」
童司の聟、大蔵基誠のは兄、山本泰太郎の舅、善竹大二郎の太郎冠者。童司は子供っぽい、頼りない聟で、ちょっとアホっぽい。基誠は兄というより、先生のよう。大二郎は恰幅がよく、おおらかな太郎冠者。泰太郎は生真面目そう。

「釣針」
善竹隆司の太郎冠者、山本則孝の主人、立衆に茂、大蔵教義、逸平、忠三郎、山本則重、千五郎、善竹富太郎。子方は善竹美彩子。
立衆が多いので舞台が賑やか。

2018年5月6日日曜日

0505 「夢と錯乱」

クロード・レジが93歳の時に演出した最後の作品。約1時間ほどの短い舞台だが、終始不快感が刺激された。 会場に入ったときから薄暗い客席。明かりを最小限に絞った舞台は、薄暗がりの中にぼんやりとしか見えない役者に否が応でも集中力を要求される。涎が飛んできそうな口元から発せられるセリフは、薬物中毒者の恍惚の表現なのか。ゆっくりと月面を移動するような動きはコンテンポラリーダンスのようでもあるが、俳優のヤン・ブードーは弛緩した体つきの冴えない中年といった外見で、美しさとは遠い。どうして彼が配役されたのか。照明はわずかな陰影で表情を変え、吉本有輝子の繊細な仕事が素晴らしかった。

2018年5月2日水曜日

4月30日 お豆腐の和らい2018「新作classics_狂言」東京公演

「伝統はたえた」
ごまのはえ作。初めてタイトルを見たとき、伝統「はたえた」かと思った。老い衰えた師匠が、秘伝の技を教えようとするのだが、ボケが入っていて話が進まない…という、繰り返しのおかしさ。弟子に千五郎、師は童司。10分ほどの短い話で、ショートコントのようだった。絵の具のくだりはなんだったのだろう。

トークは千三郎と童司で、新作の創作について。新作は初演キャストに引きずられがちなので、役者が変わっても成立するかが上演され続けるかの分かれ目と。

「鮒ずしの憂うつ」
土田英生作。臭いと敬遠される近江名物鮒ずしが、丁稚羊羹や近江牛に馬鹿にされる。鮒ずしの宗彦は拗ねた様子が板についている。丁稚羊羹の逸平は人を食ったようすがかわいい。近江牛は病気のあきらに代わって童司。急な代役だからか、セリフが怪しかった。
鮒ずしを励ますため呼び出される、挽き割り納豆(茂)とくさやの干物(丸石)。世界の名物にも臭いものはたくさんあり、臭いこそがアイデンティティと確認するところなど、ヒューマンドラマのよう。土田らしい、人への肯定感が感じられた。

「流れ星X」
千三郎作。温暖化で人が住めなくなった地球から、新天地を求めて流れ着いた地球人(鈴木実)が、ボイボイ星人の太郎(千三郎)と出会う。初演が米ブッシュ政権時代とのことで、薮大名だとかなんとかが出てきたり、テレビゲームが出てきたり(ナンテン堂スイッチとか言っていたが、初演は何だったのだろう)と、時代を感じさせるところもあったが、一周回って今の時代にマッチしてるよう。
全てのセリフを「ボイボイ」と喋るボイボイ星人は、猿聟みたいだし、セリフ運びなどは一番狂言らしかった。

0428 お豆腐の和らい2018「新作Classics_狂言」京都公演

「風呂敷」
落語が原作。亭主が留守中に若い男が入り込み、女房といい感じになったところで酔った亭主が帰ってくる。若い男の童司が巻き込まれ型のおかしみ。女房の千三郎は若い男に気がありそう。亭主の茂はへべれけの酔態が堂に入ってる。窮地を救い、ご褒美を期待したものの肩透かしで追い払われる七五三のぼやきがしみじみおかしい。

「緊縛」
棒縛のパロディーというか、縛られた太郎と次郎がダイヤルQ2で呼び出した女たちにいたぶられ、マゾの快感を覚えていく。発想は面白いが、直裁的すぎるか。次郎の千五郎は恍惚のうめき声や、ひっくり返ってパッチが見えるほどの振り切った演技でやり過ぎなほど。太郎の山下はちょつと遠慮が見えた。真面目でアブノーマルなな世界が分からない親方役の松本薫は任に合ってる。

「妙音へのへの物語」
逸平の中納言は当たり役と言われるだけあって、惚けたおっとりとした様子がほのぼのとおかしい。宗彦は秘伝の薬を飲み過ぎて、腹痛に耐える様子が現代劇のようなリアルさで、爆笑を誘った。

全体的に、コントのようで面白かった。

0427 唐組「吸血姫」

屋台崩しのようなオープニングから、勢いのある舞台。冒頭、ステージで歌う白衣の高石かつえ(銀粉蝶)の存在感に圧倒される。美しいけどどこか禍々しく、力強くも儚い。1幕はほぼ出ずっぱりで、銀粉蝶に刺激されてか、白衣の天使隊の2人も力強い演技。病院長、袋小路浩三の大鶴佐助が危なっかしくも妙に目の離せない存在感。後で、唐十郎の息子だと聞いて納得。ちょっとぽっちゃりして少年らしさの残る外見が役に合っている。引っ越し看護婦、海之ほおずきに、同じく唐の娘の大鶴美仁音。人力車に乗っての登場から、どこか古風で深窓の令嬢のような凛とした気品があり、涼やかな声もいい。肥後守の福本雄樹がハッとするような美青年。出番は短めで、浩三とほおずきの当て馬みたいというのも、贅沢な配役だ。藤井由紀も、読売演劇賞を受賞したばかりだというのに、出番が少なく、残念。浩三に攫われる人妻、ユリ子役で、よろめき婦人からべらんめえ調に豹変したり、電話ボックスに出没したりと、印象的な役ではあった。下着姿になると、デコルテの美しさが際立つ。
丁寧にストーリーを追うという展開ではないなで、脈絡なく唐突に感じられるところも多いが、息をつかせぬ怒涛の展開に呑み込まれるよう。途中、労働でなく金利が富をもたらす社会への批判などもあり、最近のビットコイン騒動を予言するかのよう。(今の日本では金利はつかないけど、虚業という意味で)
女に天才はいないとか、今ならNGだろうセリフもあるが、本質的には今にも響く作品である。

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2018年4月24日火曜日

0423 都をどり2018

京都造形芸術大の春秋座での2回目とあって、芸大生が舞台装置にかかわったそう。CGで梅や桜、あやめの花が開く様子を映したり、五山の送り火が赤く光ったりと、目に鮮やかな様子が芸舞妓とミスマッチなのだが、目新しさもあって飽きない。童話「雪の女王」を舞踊にした冬の場面は、氷の王座や女王の杖がアニメキャラのようだが、不思議とマッチして見えた。踊りそのものにはあまり目がいかなかったという意味では失敗なのかもしれないが、舞台芸術としては悪うないのでは。

0422春狂言 17時半の部

新釈「鬼の継子」
千之丞による新解釈版。乱暴な夫から逃れるため家出した女(童司)が、「できちゃった婚で一緒になった」とかのたまう。鬼のあきらが子供の可愛さにほだされて行く様子が微笑ましい。最後、碌でもない夫より子煩悩な鬼と一緒になる方が幸せ、というある種ハッピーエンド。お代官に逸平、太郎冠者に丸石。

「貰い婿」
千五郎の夫、茂の女房、舅の千作という親子共演。酒乱の夫から逃げてきた女に「またか」という千作の一言に色々な思いがこもっていて可笑しい。「娘はいない」と男を帰そうとする舅の袖を引いて、未練を見せる女房のどうしようもない可愛さ。最後は舅を置いて意気揚々と去って行く夫婦。犬も食わない例え通りだけど、千作の舅がなんだか可哀想だった。

「萩大名」
野村万作を大名役に招いての異流共演。太郎冠者の高野和憲も野村流なのか、大名と太郎のやりとりが賢げ。失敗したときの万作の大名が手で口を押さえて「しまった」という表情がなんともかわいい。最後もあっさりした感じで、茂山の狂言を見慣れたせいか物足りないくらい。七五三が 亭主役。

0422 春狂言 14時の部

「蝸牛」
七五三の山伏、童司の主、あきらの太郎冠者。童司が千之丞襲名を発表して初めての舞台。だからというわけでもないのだが、童司の若さ、七五三、あきらのシニア世代の熟達ぶりとの差を感じた。七五三の山伏の茶目っ気、あきらの太郎冠者の人を食ったような様子が面白い。

「空腕」
宗彦の太郎冠者、松本薫の主。
わあわあした芝居で、ほとんど太郎冠者の一人芝居のよう。

「千切木」
千五郎、茂の夫婦に、千作の当屋、逸平の太郎冠者、近所の者は丸石、島田、増田、井口。人数が多く、賑やか。女房が夫をけしかけるとき、「千作は息子たちの言うことをちっとも聞かない」とか、「丸石は童司の千之丞襲名を妬んでる」とかのアドリブが会場を沸かせる。千五郎は棒を持って倒れるとき、派手な音を立てるのにビクリとした。アクションも派手だ。

2018年4月21日土曜日

0420 ITOプロジェクト「高岡親王航海記」

天野天街の脚本・演出による糸操り人形芝居。 冒頭、打ち捨てられたように舞台上に横たわる人形に天井から糸が下りてきた操り糸がくっつくいて動き出す。操り人形に命が吹き込まれるような演出。 天野天街らしいセリフや、チャンネルを変えるようにブツリと音が途切れての場面転換で時空が行き来する。映像を駆使した演出やドラマチックな音楽が効果的で、人形劇とは思えないスケール感があった。操り人形の限界なのだろうけど、動きのぎこちなさは否めない。人間の芝居だったらもっと違ったのかと思った。

2018年4月16日月曜日

4月15日 四月大歌舞伎 夜の部

「絵本合邦辻」
仁左衛門の一世一代はやはり悪が格好いい。
大学之助の第一声の低音の響き、卑怯な手立ても厭わない悪逆非道ぶりにゾクゾクする。序幕のラストで扇の陰で舌を出すのはしてやったりという感じ。
太平次は軽妙な悪党。うんざりお松も利用するだけ利用して、邪魔になったらあっさり殺してしまう。お松がけなげに見えるほど。お米の梅丸は、体格がしっかりしてきたのが惜しいが、まだまだ可憐。お米らを手にかけてたのち、頰に止まった蚊を潰して死体の上につまみ落と仕草で、悪人ぶりが浮き上がる。花道の決まりなど、絵面のような美しさ。最後の立ち回りで息切れしているように見えた。

2018年4月13日金曜日

0412 スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」

Bバージョンの配役。猿之助のルフィはこの人のニンではないと思っていたのだが、右近と見比べると役が手中に入っている感じがする。やはりうまいのだろう。歌舞伎らしい型がピタリとはまり、ヒーローらしい。大けがからの本格復帰とあって左腕がやや細いように見えたが、動きに不自然なところはなく、「ゴム人間だから開放骨折しても痛くない」というセリフには大きな拍手がわいた。エースの平岳大とのからみは、こちらのほが気持ちが入っているように(双方とも)見えた。ルフィ―とエースが抱き合うシーンとか。 イワンコフはミュージカル出身の下野青で、ソロ歌や「オペラ座の怪人」を思わせるフレーズなどの趣向が加わり、エンタメ感がアップ。 ダブルキャストを見比べての感想は、ルフィ=猿之助、ハンコック=右近、イワンコフ=下野青、サディちゃん=新悟、マルコ=右近、シャンクス=平、にそれぞれ軍配を上げたい。

0411 ミュージカル「Romale~ロマを生き抜いた女カルメン~」

花總まりのカルメンは予想以上。いつものお姫様イメージから一変、雑草のような強かさ、からりとした陽気さが魅力的なカルメン像。ホセの松下裕也は青臭い若い男らしさがたたずまいにも歌声にも感じられて、役によく合っていた。だが、脚本には難あり。男を破滅させる魔性の女カルメンのイメージへの反証ということで期待したが、ホセの物語にとどまってしまった印象。従来の男の側から見たカルメン像に対し、女の側から見た本当の姿を描くというのだが、最後に「あの時は実は…」と振り返る構成が取ってつけたようで納得しがたい。どうせなら最初から、カルメンの目線で物語を描いて、やることなすこと誤解されてしまう哀しみとか辛さを描いたほうが良かったのではないか。カルメンのホセの気持ちがすれ違う場面で、2人の間に亀裂が走り、セットが左右に分かれていく→最後、ホセがカルメンの本心を理解したところでセットが再びくっつくというべたな演出には唖然とした。

4月8日 4月文楽公演 第2部

「彦山権現誓助剣」 歌舞伎で観たときはあんまり面白くないと思っていたのだが、なかなかどうして。半通しだからか、京極内匠の悪ぶりがさえ、立ち回りも派手で楽しんだ。 襲名の玉助が内匠の左で、こちらは陰ながらも大活躍だった。 須磨浦の段は掛け合いで、三輪、睦、小住、咲寿に清友。プログラムにはまだ始の名前が残っているのが辛い。 京極内匠の睦が骨太な悪役を好演。 瓢箪棚の段は中を希・寛太郎、奥を津駒・藤蔵に清公のツレ。 藤蔵の三味線がうなる。 人形は瓢箪棚から内匠(玉志)が飛び降りるのにびっくり。三人遣いでどうやって息を合わせているのだろう。(15日の再見時は左遣いは別に下に降りていて、飛び降りた後に合流したように見えた)和生のお園も大活躍で、最期は鎖鎌を構える勇ましさ。 杉坂墓所の段は口が亘・錦吾(御簾内)、奥が靖・錦糸。 靖の語りは安定感が増してきた。低音部が辛そうではあるが、骨太な語りで内匠の悪らつぶりを表現。六助との語り分けも明快だ。 毛谷村六助住家の段は中を睦・喜一郎改め勝平、奥を千歳・富助。 これまで不調が目立った睦が良かった。襲名の勝平の盛り立てがいいのか。 千歳は今の太夫陣では抜群の安定感。

0408 独り芝居・芸人列伝祭り「贋作・トニー谷」

トニー谷役の清田正浩は調子のよいしゃべりや動きが芸人そのもの。戦後のどん底から這い上がってきた芸人の露悪的な力強さに圧倒された。

0407 独り芝居・芸人列伝祭り「贋作・一条さゆり」

現役ストリッパーの若林美保が演じる伝説のストリッパー。ほぼスッピンに真っ赤な襦袢姿での一人語りはセリフがぎこちなく感じられるところもあったが、踊るシーンはさすがの美しさ。手先、足先まで見られることを意識していて、隙がない。決まった動きをするダンサーと違って、「どうしたら美しく見えるか」を追求するとこうなるのかと感心した。

4月7日 4月文楽公演 第1部

「本朝廿四孝」 「本朝廿四孝」 桔梗原の段 口は芳穂・団吾、奥が文字久・団七。 芳穂は手堅いが、無難にまとめているようにも感じる。低音から高音まで音域は広いが、唐織、入江の女性2人の語り分けがちょっと分かりづらい。文字久はしみじみとした語りで、風格らしきものも出てきた。もっと大きさがあるとなおいい。
口上ののち、景勝下駄の段は織・寛治という珍しい組み合わせ。 艶のある声で堂々とした様子。時に歌っているようになるのは相変わらずで、慈悲蔵がイキってるというか、調子乗ってるみたいに聞こえる。
勘助住家の段 前を呂・清介、後を呂勢・清治。 呂は力強い出だしはよかったが、後半は息切れ感。途中、声がユニゾンで聞こえた気がしたのは、清介が口ずさんでいたから? 呂勢は似合わない配役と思ったが、力の入った語りで充分な迫力。劇場いっぱいに声が満ち、これぞ義太夫節という満足感があった。 線の太い、例えて言えば、墨をたっぷり含ませた太筆で一本線を引いたような語り。清治の三味線も存分に弾いていて、イライラした様子がなかった。
襲名の幸助改め玉助は、途中アクシデントもあったものの(後で知ったが、チョイの糸が切れたとか。他にもぶっかえりが引っかかったりとか)、力いっぱいの熱演。これからに期待が高まった。

「義経千本桜 道行初音旅」
9枚9挺の太夫、三味線が舞台奥にずらりと並び、満開の桜が彩る舞台は過剰なほど咲の豪華さ。咲の静御前に織の忠信という師弟コンビで浮き立つ様子を語りで聞かせる。ちなみにツレに南都、咲寿も並ぶので一門勢揃いだ。若い太夫に囲まれて咲が老けたなぁと実感する。
人形は狐といえばの勘十郎。書割の桜の間からから顔を出したかと思えば、反対側の書割から現れたり、太夫の後ろへ回り込んだりと、舞台装置を活用してのケレンを見せる。静は清十郎。14日に見たとき扇を取り落としていたのは舞台が狭くなった分、やりにくいのか。

2018年4月6日金曜日

0405 赤道の下のマクベス

シンガポールの刑務所に収監されたBC戦犯。6人のうち3人は〝日本兵〟として裁かれた朝鮮人だ。祖国が独立して自由になったのに、旧日本兵だけ日本人として裁かれる理不尽さや、命令をくだした上官らの責任を問わず直接手を下した下級兵だけが裁かれる不公平さなどは、もっともだと思うのだが、「だから無実で罪がない」「むしろ被害者だ」という主張には何となく違和感を感じる。今作では主人公が、自身の境遇をマクベスと重ね、放っておいても王になれるのに先王を殺したのはマクベスの選択=戦犯に問われる行為は自身が決めたこと、という趣旨のセリフに潔さを感じた。上官の命令だからといって、従わない選択肢ななかったのか、そもそも、志願兵にならなければよかったのではないかという疑問を、朝鮮半島にルーツを持つ趙が書いた意義は大きいと思う。 俳優陣では平田満がさすがの説得力だった。

0405 スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」

Dバージョンのっ配役。尾上右近のルフィはもっと溌剌としているのを期待していたのだが、猿之助のセリフ回しや動きの影響を随所に感じた。もっと自分らしく、若さを出したほうがルフィらしいと思うのだが。宙乗りは若いせいかよく動いて盛り上げた。ハンコックはすらりとしているのでよく似合う。花道で魅せる美脚も。 前回から参加している新悟はナミとサディちゃん。ナミはより漫画に近いビジュアルになっていて、片脱ぎの胸元や着物の間からのぞく脚線美が挑発的だ。サディちゃんもウエストや太ももの部分が透ける素材になっていて、セクシーさがアップ。 早変わりや本水の場面はよりパワーアップ。多分水につかる人数が前回よりも多く、滝の上から飛び降りたり、舞台にできた水たまりをスライディングしたりのサービスぶりに客席は大いに盛り上がった。

0404 独り芝居・芸人列伝祭り「ミスワカナ」

中川圭永子が伝説の女芸人ミスワカナの最後の一日を一人芝居で演じる。回想シーンを織り交ぜ、幼少期の父との思い出や、戦時中のわらわし隊のことなど、ワカナの人生が浮かび上がる。一郎との漫才シーンは録音との掛け合いで、やはりややテンポが悪くなったものの、テンポのいい語り口は、さすがミナミ出身。「戦意を高揚させるような漫才なんえない」というセリフに、反戦への思いが強くにじんだ。

0329 イッセー尾形「妄ソーセキ劇場+1」

夏目漱石の小説の脇役を一人芝居で演じる。どこかに居そうな男女がユーモラスで、ジワリとくる笑い。舞台脇で衣装替えをするのも興味深い。最初の落語調の話が一番面白かった。

0327 宝塚宙組「天は赤い河のほとり」「シトラスの風ーsunriseー」

真風涼帆と星風まどかのトップお披露目。「天は~」の古代ヒッタイトを舞台にした歴史ファンタジー。原作漫画のできはあまり良くないが、設定は悪くないので上手く料理してくれれば面白くなると思ったのだが…。長大な物語を1時間半の舞台に盛り込んだため、登場人物が多すぎて誰が誰やら分かりにくい。何より、さほど取り柄のないフツーの女子高生に、主人公のカイルはじめとする男たちがこぞって惹かれる理由が不明だ。 一方、女性の描き方は悪くなかった。皇太后ナキア(純矢ちとせ)と神官ウルヒ(星条海斗)の関係は過去のいきさつも含めて丁寧に描かれていたし、エジプト女王ネフェルティティ(澄輝さやと)も、国同士の権力争いに翻弄される女の悲しみがうかがえた。 「シトラスの風」は再演を重ねてきただけあって、洗練されている。色鮮やかなオープニングから、ゴスペル「明日へのエナジー」の力いっぱいの歌と踊りと安定感のある場面が続く。新たに加えられた場面では「ボージャングル」の寿つかさが老ダンサー役でいい風情だった。

2018年3月28日水曜日

0326 MONO「隣の芝生も。」

雑居ビルのとなりに入居した、元ヤクザの探偵事務所と大学の同級生で営むスタンプ屋。中央の大きな回り舞台の左右に小型の回り舞台を配して、小劇場でもスムーズに場面転換してテンポがいい。若者チームのスタンプ屋の場面でちょっとだれるところもあったが、テンポのいいセリフに笑いが絶えなかった。社会批判などでなく、エンターテインメントに徹したと言っていたが、人生哲学が垣間見えるような。 奥村康彦演じるボス(元組長)がチャーミング。足を洗うきっかけになった香港の組織から命を狙われていると知ってからのビビりぶりとスタイリッシュないでたちのギャップ、「モッチモチ」(ガムのこと)「ビビばる」(驚く)といった創作言葉(実は故郷の狭いエリアで話されいた方言)がキュートだ。若者チームではトラブルメーカーの信乃助役の大村わたるのお調子者ぶりが面白かった。

2018年3月27日火曜日

0325 桃園会「深海魚」

フレームのようなセットが奥に行くにしたがって小さくなる。合わせ鏡のようにも感じられ、ウイングフィールドの狭い空間が異世界になったよう。 癖のある男と女が誰か誘拐して身代金をせしめようしているらしいのだが、手際が悪く、ごっこ遊びのようでもある。リーダー格の職安役のはしぐちしんはじめ、ハードボイルド風というか、スタイリッシュな格好つけた物腰。肉屋の森川万里が気だるい大人の女の風情で、以前観た少年役とのギャップに驚く。 似たようなシーンが繰り返され、人質が誘拐犯になったり、からかわれていた者がからかう側にまわったりと主客が入れ替わるスリリングな展開。最後のひまわり畑の映像に目を奪われた。 夜に深津演劇祭の後夜祭があり、演出家たちが深津作品について語り合った。難解と言われる深津作品だが、物事をはっきりと言葉で明示せず、周辺から示唆するにとどめているからではという指摘が複数から。なるほどと納得。

2018年3月26日月曜日

0324 茂山狂言会 春~きょうの和らいは花盛り~

「花争 慶和、鳳仁の小学生コンビ。可愛らしく健気だが、セリフが拙くて内容がよくわからない。 「猿聟」 皆が猿の面を着けているので誰が誰やら分からないのだが、千作が鯛を背負って歩く様子がそこはかとなく可笑しい。 「花盗人」 千五郎の三位、七五三の亭主、茂、竜正、虎真、網谷、丸石、鈴木が花見の衆。 「花折」 宗彦の新発意、千作が住持。千三郎、あきら、童司、松本、井口、山下が花見の衆。 宗彦の見せ場で七五三が苦々しい表情だったのはなぜだろう。  続きを読む

0323 狂言風オペラ「フィガロの結婚」

管楽八重奏と、能、狂言、文楽が競演。フィガロ、スザンナ、ケルビーノ、バルバリーナを狂言師、伯爵を文楽、伯爵夫人を能楽師がそれぞれ演じる。驚いたのは狂言師の表現力。フィガロやケルビーノは太郎冠者のようで、クラシックの演奏を従えてもセリフが立っている。伯爵(在原平平)の人形を遣う勘十郎が表現豊か。呂太夫の語りは節付けが単調な気もしたが、声はよく通っていた。三味線の友之助はクラシック経験者らしいく、三味線でモーツアルトの旋律を奏でるが、義太夫三味線は音程が不安定だったかも。能楽師の伯爵夫人は気品があって役をよく表していた。

0323 宝塚雪組「誠の群像」

望海風斗が新鮮組の土方歳三というのは似合いの配役のはずなのだ。組の規律を守るため粛清を繰り返し、鬼と呼ばれる男が、花を愛で、俳句を嗜むやさしい一面を見せる。お膳立ては整っているのに、脚本の荒っぽさというか拙さがつくづく残念。望海はキリっとした表情で格好良く決めているのだが、その格好良さがまったくそぐわない。名刀「虎徹」に似ている刀を売りに来た武家の娘、お小夜(真彩希帆)に唐突に「俺は女に惚れたらしい」とか、鬼の表現らしい、そんな惚れた女がたいした理由もなく嫁ぎ先を斡旋されて嫁に行ってしまったり、官軍から逃げる途中で偶然再会して互いの思いを確かめ合って「乱心」してしまったり、般若を背中に描いた着物姿での踊りの何とも言えない野暮ったさだったり、列挙するときりがないくらいすべてが唐突で、ツッコミどころが満載すぎ。歌唱シーンもそれほど多くはなかったので、トップコンビの魅力が全く生きていない。けれど、休憩時間に聞こえたファンの声は「格好良かった」「泣けた」など好評だったみたいなのが謎だ。

2018年3月22日木曜日

0321 こまつ座&世田谷パブリックシアター「シャンハイムーン」

休憩を挟んで3時間の長舞台。照明の具合かセリフの心地よさか、体調がすぐれなかったせいもあって冒頭の30分ほどは瞼が開けていられなかった。 国民党の弾圧から逃れる魯迅(野村萬斎)と第二婦人の広平(広末涼子)をかくまう日本人の書店店主夫婦や医師らとの交流を描く。様々な病をかかえているのに頑なに治療を拒む魯迅と医師らのやり取り、人物錯誤症や失語症になった魯迅の言動など、笑いを誘うシーンも多いのだが、全体的に抑えた芝居で淡々と進む印象。萬斎は病身の表現のためか抑制された演技で物足りない気も。広末は澄んだ声が舞台に映えるが、少女っぽい仕草や表情がちぐはぐに感じた。書店主の辻萬長、その妻、鷲尾真知子、医師の山崎一と、達者な脇役陣は過不足ないパズルのピースのよう。歯科医の土屋佑壱が血気にはやる様子でアクセントになっていた。最後、フライング気味に拍手をする人がいて、芝居の余韻がなくなってしまったのがちと残念。

2018年3月17日土曜日

0316 あうん堂「五軒町商店街寄合会」

深津篤史の脚本。会議室のような部屋に集まった5人の男。商店街のホルモン屋で感染症の問題が起こり、材料を卸している食肉店の店主らが集まってきたということが明らかになってくるのだが、深津らしいというか、断片的な会話はしょっちゅう脱線し、なかなか本質が分からないのがもどかしく、不安を掻き立てられる。ホルモン店の手伝いをしている若い女が、実は家事手伝い用に「輸入」されたもので、それを「食用」に転用するための試食会であることが明かされるラストに向けて、徐々に俳優たちのテンションが高まっていくの恐怖。後味の悪さにやられた。

0316 ムサシ

蜷川幸雄の三回忌追悼公演で、もうこんなに時間が経ったのかと思う。 巌流島の戦いの後日談で、卑怯な手段で勝った宮本武蔵(藤原竜也)を追って、佐々木小次郎(溝端淳平)が再戦を挑む。鎌倉に新しく建てられた禅寺の寺開きの参籠禅のため、徳川家指南役の柳生宗矩(吉田鋼太郎)、寺の大檀那である木屋まい(白石加代子)と筆屋乙女(鈴木杏)、武蔵らが集まったところへ、小次郎がやってくる。 謡や舞の場面があったり、生者と死者の邂逅だったりと、能仕立ての演出。殺し合いの虚しさを説くというテーマは大切だし、憎しみの連鎖を断ち切るというメッセージはいいのだが、無駄死にしてしまった死者たちが「命大事に」という展開で力が抜けた。 不意打ちを防ぐため、それぞれの足を結んで5人6脚にしたところでは、吉田の足を藤原と溝端が両側から引っ張るなど、ふざけ合うところもあって、カンパニーの雰囲気が垣間見えて楽しかった。

0313 プルートゥ PLUTO

シディ・ラルビ・シェルカウイの演出・振付で、ダンスと芝居が融合したよう。浦沢直樹の漫画を舞台に投影したり、漫画との融合も随所に見られ、新しい表現を観た気分だ。 アトム役に森山未來、ウランに土屋太鳳と踊れる役者をそろえ、ダンスシーンのレベルは高い。天馬博士の柄本明、アブラーの吹越満ら、個性の強い俳優の存在感が舞台を引き締める。実はアトムより活躍しているゲジヒトは大東駿介。時々、小栗旬みたいに見えた。森山のアトムは少年というには大人すぎるのだが、清々しい正義感を感じた。飛ぶシーンではアンサンブルのダンサーらがリフトするのが、のんびりしていて舞台とあっていないように思った。土屋ははつらつとしたウランがはまっている一方、ゲジヒトの妻ヘレナではしっとりとした大人の女の風情。

0312 工藤俊作プロデュースプロジェクトKUTO-10「財団法人親父倶楽部」〜死んだと思って生きてみる〜 

余命僅かと診断されたオッサン3人が、謎の組織の支援を受けて「最後にやりたいこと」を実現していく。遣りたいことといっても、ハチャメチャだった父親の真似をしてみたり、飛行船から水風船を落としたりと、しょうもない内容ばかり。妙齢の男性は共感するのかもしれないが、今一つピンとこなかった。最後、なぜかオッサン3人がアイドルソングを歌って踊るのがなんだかなあ。 会社社長役の保がいい風情。久保田浩はまたしても「羽曳野の伊藤」なのだが、髪がぼさぼさでくたびれた様子なのは演出なのか。後藤ひろひとが財団の職員で、善良な笑うセールスマンみたいだった。 藤本陽子が主人公の妻や、アトラクションのスタッフ、小劇場出身で現在は映像で活躍する女優など複数の役をがらりと違った様子で演じ、達者だった。

2018年3月12日月曜日

3月11日 五笑会特別公演

「末広かり」 山下守之の太郎冠者に千作の果報者、島田洋海のすっぱ。 山下は少々硬く見え、千作の芸が相対的になのか大きく見えた。島田が大らか。 「千鳥」 井口竜也の太郎冠者に茂の主人、千五郎の酒屋。 井口はのびのびした声で朗らか。千五郎の主人とも互角に渡り合う感じ。 「仁王」 増田浩紀の博打打甲、鈴木実の乙、参詣人にあきら、網谷正美、丸石やすし、松本薫、宗彦、童司、千三郎、七五三。プログラムにはなかったが、茂と千五郎も参加して、大勢で賑やかな舞台に。千三郎は金剛能楽堂から駆け付けたとかで、参詣人のお願いが一通り終わったところで走りこんでの出演だった。一門の結束が見えるような、楽しい舞台だった。

2018年3月10日土曜日

0309 清流劇場「アンドラ」

アンドラという架空の国はスイスがモデルという。ナチスドイツによるユダヤ人差別、戦火が迫る時代の社会情勢を、架空の国に移して寓意的に描く。主人公のアンドリは教師の養父が隣国から救い出したユダヤ人の子供として育てられる。ユダヤ人差別から希望する職に就けなかったり、ともに育った妹との結婚を反対されたりして希望を失い、執拗に繰り返されるユダヤ人だからというレッテル貼りによって、次第に「ユダヤ人らしく」振る舞うようになる。養母が救いを求めた神父が、「ユダヤ人であることを受け入れ、自分を愛せ」と諭すのは、神父の立場からすると全くの「正論」なのだが、善意から出ているがゆえに一番残酷に聞こえた。アンドリは、教師の男が隣国の女と愛し合った末に生まれた子供で、ユダヤ人ではないといいう「真実」が明らかにされるが、時すでに遅しで当のアンドリ自信もユダヤ人でありつづけようとする。暴走した民衆は止めようがなく、悲劇劇な結末を迎えるのがキリストの最後にも似る。嫌な奴しか出てこないが、誰もが「自分は悪くなかった」と言い張る。明らかな差別主義者の指物師の親方ですら、「彼にふさわしい仕事を与えた」と言い張り、教養のあるはずの医師も「アンドリに非があった」という。差別問題の根深さに絶望的な気分になった。 アンドリ役の高口真吾が希望にあふれた若者が容赦なく追い詰められていく様子を克明に表現。医師の林英世の、嫌みなインテリぶりに説得力があった。兵士役はダブルキャストだそうで、私が観たのは上海太郎。スケベ親父といった風情なのだが、「俺は目を付けた女はすべてモノにしてきた」みたいなセリフがあったので、もっと男前の兵士だったら感じが違ったのかなと思った。

2018年3月9日金曜日

0308 ハイバイ「ヒッキー・ソトニデテミターノ」

 劇団主催の岩井秀人が開演前の挨拶・注意している間に役者が舞台に現れてそのまま芝居に入っていく不思議な展開。舞台上のテーブルや椅子を移動させて場面転換が行われたり、シーンに関係のない役者が舞台上に佇んでセットのようになったりするのがユニークだ。  引きこもりの支援団体を通じて、3人の引きこもりの青年とその家族が描かれる。23歳の鈴木太郎(田村健太郎)は小5から引きこもり、家では親に暴力を振るう。世間が思う引きこもりのイメージに一番近いだろう。斎藤和夫(古舘寛治)は28年間引きこもっている48歳の男で、妻を亡くした老齢の父親が面倒を見ている。穏やかな様子で理路整然と話す様子は一番問題がなさそうだが。作・演出の岩井秀人が演じる森田富美男は元が引きこもりで、今は引きこもりの支援施設で働いている。岩井自身がかつて引きこもりだったという予備知識のせいか、コミュニケーションの下手さ加減がリアルだ。支援施設の女性、黒木役のチャン・リーメイがはきはきして有能そう。  合宿所での訓練をはじめ、それぞれ就職が決まった太郎と和夫。両親や世間への不満を隠そうともせず、軋轢ばかり起こしている太郎ではなく、人当たりのよい和生が、初めて仕事に向かったその足で飛び込み自殺をする。引きこもりの問題が一筋縄ではいかないことが突きつけられる。「外に出ることがいいのかなんて分からない」という黒木に、森田が「外に出るほうが幸せになる可能性が高くなるから、いいのだ」と断言するところに、作者の意思を感じた。セリフでも、外に出ることで不幸になる可能性も高まるとは言っていて、事実そうなのだが、やはり、引きこもったままでいいとは言えないと思うのだ。引きこもりになる理由は様々で、簡単に批判などできないのだが、引きこもりでいられるのは生活を支えてくれる両親がいることが前提だ。引きこもりの高齢化が進んで、両親がなくなったらどうなるのか。遠くない将来の社会問題を思わずにいられない。

2018年3月8日木曜日

3月7日 三月大歌舞伎 夜の部

「於染久松色読販」
玉三郎の土手のお六に仁左衛門の喜兵衛で面白くないはずがない。息のあった様子で、時折笑いをこらえている玉三郎。1時間にも満たないのは物足りない。仁左衛門の悪役は凄みがあって格好いい。玉三郎の悪婆は魅力的だが、ちょっと老けて見えた。丁稚の吉太郎が美味しい役をよく勤めた。

「神田祭」
前幕と打って変わって華やかな一幕。見つめあったり寄り添ったりする仁左衛門・玉三郎のコンビおお似合いぶりを見せつけられるよう。

「滝の白糸」
壱太郎が大役に初挑戦で、2時間あまりを大健闘。台詞回しに玉三郎の面影を色濃く感じ、まだ自分のものになっていないようにも。セリフがリアルすぎるのか、もっと夢見ごごちに陶酔させてくれないとしんどい芝居だなと思った。
1幕の馬車と車の競争シーンがセリフでの説明になってしまうのは仕方ないとして、欣也が全く出てこないのはどうだろう。白糸が焦がれる気持ちに共感しにくいと思うのだが。
そしてやはり最後に納得できず、モヤモヤする。欣也に最後に送った100円は何のため?すでに検事代理になって金沢に赴任することが決まっていたのなら、収入は保証されていたのでは?そして、それほどの恩人を追い詰める欣也の、融通のきかない正義感って何だ?っていうか、関係者と分かった時点で担当を降りるべきだろう。
南京の彦三郎は憎たらしい敵役ぶり。米吉の桔梗が健気。春平の歌六はセリフご怪しいところがあってハラハラしたが、説得力あり。吉弥のおえつは出番は少なかったが、印象を残した。

0305 能「~薔薇に魅せられた王妃~ 現代能 マリー・アントワネット」

実襲名後、梅若実玄祥としての最初の舞台となってしまった「マリー・アントワネット」。薔薇に魅せられたというタイトルどおり、舞台にはバラの花があしらわれ、シテの頭にもバラの飾り。産経ホールブリーゼの設備を生かして、舞台後方からせりあがっての登場。実の足を気遣ってという意味もあるのだろうが、歌舞伎のすっぽんからせりあがるような効果もあったよう。まあ、実は足元がおぼつかなく、ハラハラしながら観たので、内容に集中できなかったかも。 橋がかりがなく、手の短いT字型の舞台で、上手側に地謡とお囃子が並ぶ配置。フェルゼンの福王和幸が凛々しく、憂いをたたえた風情に情緒がある。 合狂言に元宝塚の北翔海莉と未知のえる。ぱっと華やかな様子で、舞台の雰囲気を変える合狂言としての役割としては十分。バラを「しょうび」と言うなど、基礎知識をさりげなく盛り込んでいた。

2018年3月4日日曜日

0303 第二回瑠璃の会

「菅原伝授手習鑑 寺入りの段」は呂太夫の義太夫教室の生徒だという豊竹呂秀、豊竹呂響、住輔の弟子の豊澤住静が初舞台。 太夫は掛け合いで、呂秀は千代や菅秀才など綺麗どころ?。落ち着いた声がよくあっていたが、今一つ劇場全体に響くほどの声量が足りない。声量不足は呂響も同じで、涎くりのようなコミカルな役はよくあっていたが、戸波はちょっと世話過ぎたか。住静は緊張感した様子で、慎重な撥さばき。何度かミスタッチは見られたが、つつがなく乗り切った。 「恋女房染分手綱 重の井子別れの段」は土佐恵・駒清。 初舞台と比べるのは失礼だが、プロの演奏にホッとする。三吉が金をもらう筋がないと断る場面が一番ぐっときた。 「丗三間堂棟由来 木遣り音頭の段」は住蝶・住輔。 住蝶の声がよく、お柳の嘆き、木遣り音頭を聞かせる。住輔の三味線は前半は悪くなかったのだが、後半(特に木遣り音頭のところ)ツボが甘いのか、音程が外れているようで、気が散ってしまった。

2018年3月3日土曜日

0302 南船北馬「さらば、わがまち」

LGBT、聾者、身体障碍者、在日コリアン、シングルマザー、ほとんどニートの役者、エリートサラリーマンからあいりん地区に転職した男――何らかのマイノリティーを抱える人たちの日常を描く。 オーディションで選んだという出演者は、役者ではない人もいたようだが、当て書きのせいもあって誰もが達者。進行役のトランスジェンダー?の門田草が巧みな仕切り。シングルマザーの木下菜穂子が美しく、しっとりとした声がよかった。身体障碍者の森田かずよの身体表現の雄弁さにも感心した。レズビアンの細井美保(ぶった斬れのベティ)と在日コリアンの姜愛淑は若いせいか、攻撃性が強いのが痛々しく見えた。

2018年3月1日木曜日

0301 若手素浄瑠璃の会

「菅原伝授手習鑑 車曳の段」は碩・清允。 若々しく、力みなぎる語りに好感。デビュー1年たっていないとは思えない、堂々とした語りっぷり。一番合っていたのは梅王丸。松王や時平は低音が十分でなく、敵役らしさがたりないか。時平の大笑いはたっぷり過ぎるほどで、いつもの3倍くらいの長さに感じた。途中2回拍手が入ってしまい、間が抜けた感も。 清允の三味線はミスタッチも何度かあったが、きっぱりとしていい。 「一谷嫩軍記 組討の段」は靖・錦吾。 2人とも真面目過ぎるのか、心に訴えてくるものが薄かったような。大落としとか、クドキとか、盛り上げる場面がないという難しさもあるのだろう。

2018年2月28日水曜日

2月27日 宝塚月組「カンパニー」「BADDY」

「BADDY」は上田久美子の力量に唸らされた。初演出のショーはこれまで見たことのない楽しさ。あっという間に時間が過ぎ、宝塚のショーを見てワクワクしたのは初めてだ。
サングラスにタバコというワルの格好や、全編ストーリー仕立てとかいう表面的なことではなく、なにかがこれまでとは根本的に違うのだが、上手く説明できないのがもどかしい。宝塚らしさという型にはまらず、振り切った演技に見えたのはなぜだろうか。テンポよく場面が進んだのだけど、それだけではないような。
かといって、ロケットや男役の群舞、デュエットダンスといった、ショーの個々の要素もそれぞれ満足のいく出来栄えなのだ。珠城りょうが片手で愛希れいかを抱えて回すダイナミックなリフトなんかは、このコンビの魅力が十分に発揮されてた。
「カンパニー」は、思ったより悪くないできだが、宝塚クオリティーとしてはという条件がつく。懸念してたバレエシーンもそれっぽく見せてたし。ダンス&ボーカルグループの歌や踊りがなんとも宝塚らしいダサさで、こそばゆかったのも、想定の範囲内というか。

2月25日 文楽2月公演 第3部

「女殺油地獄」

徳庵堤の段は靖の与兵衛、希のお吉・小菊、小住、亘、碩に錦糸。錦糸町の三味線が若手を的確に率いている印象。靖の語りは頼もしさを増しているが、与兵衛にしてはしっかりしすぎているというか、真面目過ぎるというか。小住が力強い。碩が娘お清と花車。女性の高音が意外によい。

河内屋内の段の口を咲寿・団吾。ぎょーてーぎょーてーはともかく、終始甲高い一本調子の語り。のびのび語るのは結構だが、元気ならいいという時期ではないと思うのだが。

奥は津駒・清友。清友の三味線は淡々としていて、エモーショナルな津駒の語りが引き立たない気がする。

人形は、玉男の与兵衛は二枚目。母に勘当を言い渡されるところで、戸口にもたれて足を組んでいる姿がモデルのよう。簑助のおかちは15歳より老けて見えた。

豊島屋油店の段は呂・清介。そろりそろりと足を進めるような慎重な語りは声が通らないせいか、感動が薄い。「不義になって貸してくだされ」とか、脇差を抜いてからとか、狂気も色気も感じられない。

逮夜の段は呂勢・宗介。艶のある声が心地よい。七左衛門が母を亡くした娘たちを嘆くところでは涙が出そうになった。

2月25日 KAAT竹本駒之助公演「義経千本桜 鮓屋の段」

江戸期の台本での上演ということで、現行文楽の弥左衛門が元役人で三千両を奪われたのではなく、盗賊で三千両を奪ったという過去が因縁になる。弥左衛門の心情は大きく違うのだが、正直、そこまでの深い変化は分からなかった。

駒之助の語りは、権太の造形が際立った。ホント手のつけられない悪そうな様子が声の調子、話し振りでよく伝わる。出だしで、津賀寿の三味線と息が合ってないようなところがあったせいか、心揺さぶられるほどの感動には至らなかった。

2月24日 文楽2月公演 第2部

「万才」「鷺娘」
睦、津国、希、碩に喜一郎、清丈、寛太郎、清公、燕二郎。
始の空席が切ないなあ。

「口上」は淡々と。

「摂州合邦辻」
咲・清治はさすがの安定感。後半バテたのか、声に力がなかったような。
織・燕三。織は力みがなくなった一方、圧倒するような勢いがなかった。「オイヤイ」で遅れ気味に拍手があったが、「愚鈍なからぢゃ、阿呆なからじゃ」のほうがよかったと思う。

2月24日 文楽2月公演 第1部

「心中宵庚申」
朝イチで心中は重たすぎるのか、空席が目立つ。両サイドの後ろ5列はガラガラ。

上田村の段は文字久・藤蔵。地味のある語りが板についてきたが、心に響かないのはなぜだろうか。淡々として緩急がないせいか。勘十郎のお千代が出だしから項垂れた様子で哀れ。

八百屋の段は千歳・富助。今聴いていて、一番心地いい語り。婆のイケズっぷりが絶品。

道行思ひの短夜は三輪のお千代、芳穂の半兵衛、希、文字栄に団七、清志郎、友之助、錦吾、清允。お千代が刺されてからも主遣いの勘十郎は舞台に残り、半兵衛(玉男)が作法に則って切腹する。通常なら人形だけが舞台に残されることで死んだことが強調されるので、人形遣いの存在が目に付く。どういう意図なのだろうか。

2月23日 二月大歌舞伎 夜の部

体調不良により、「熊谷陣屋」はパスして、「芝居前」から。
我當が板付で床机に座って登場。滑舌が悪く、声が通らないのが辛い。滑舌の悪さは藤十郎も。両花道を使って、沢山の役者が出演する華々しさ。これだけの役者が出演するのは、歌舞伎座新開場以来だそう。

「仮名手本忠臣蔵 七段目」
白鸚の由良助の懐の深さに感心した。腹に決意を秘めつつ、遊興にふける様が由良助らしい。
染五郎の力弥は凛々しい美少年。上ずったような声がいただけなく、所作もまだぎこちないが、今後に期待すべきだろう。
仁左衛門の平右衛門、玉三郎のお軽は期待通り。仁左衛門の平右衛門のチャーミングなことと言ったら!玉三郎との息もピッタリで、いいもの見せてもらったと大満足。

0222 「二十一世紀の退屈男」

アイホールの現代演劇レトロスペクティブ企画。内藤の過去の代表作だそうで、若い勢いを感じる。西日の当たるアパートで退屈を持て余す男。空想と現実が入り混じり、様々な人物が入れ替わり立ち代り現れる、シュールな展開は唐十郎作品を思わせる。突如押入れが銭湯になり、裸の男優たちがふざけて踊る。わかさゆえの力技といおうか。ちょっと古臭い感じで、私は入り込めなかった。

0218 TERROR テロ

テロリストにハイジャックされた飛行機が満場のサッカー場に向かっている。7万人の命を救うために飛行機を撃墜し、164人の乗員・乗客の命を奪ったとして、空軍少佐の罪が問われる。検察官は殺人罪で起訴。法律で、命を天秤にかけることが許されていないこと、上官の命令がないなか独断で決行したこと、ハイジャックされてからサッカー場につくまでの時間に避難が可能だったことなどが理由としてあげられる。一方の弁護士は、現在は戦時下だとして少佐の行動を擁護。難しい問題で、当日の観客はわずか4票差で有罪の判決。 私は、軍人として命令違反の罪はあるものの、殺人罪として有罪にするのはためらわれる。弁護士(橋爪功)のほうに理があると思ったというより、検察官(神野三鈴)の杓子定規ぶりに共感できなかったせいかも。ここで責任を問われるべきは、ハイジャックに手をこまぬいて何も対応できなかった政府なのではないだろうか。

0209 石井アカデミー・ド・バレエ「石井潤追悼公演」

「マニフィカト」
バッハの音楽に合わせて、振り付けも古風。バロック・ダンスを彷彿とさせる動きなど、よく見るクラシックとは違うが、コンテンポラリーでもない。男性ダンサーで目を惹く人がいるなぁと思ったら、山本博之だった。

「カルミナブラーナ」
肌色の全身タイツに炎のような赤い模様という、インパクトのある衣装。途中、自転車に乗ってダンサーが出てきたり、料理が盛られたテーブルが出てきたり、ローストチキン?が踊りだしたりと、ユーモラスは場面も。トーンの異なるピンクの衣装の女性ダンサーたちが、紙吹雪を撒きながら踊るのがきれいだった。

0210 アンチゴーヌ

理想と現実、感情と理性の対立を描くのだが、蒼井優のアンチゴーヌより、生瀬勝久のクリオンのほうに共感してしてしまった。自らの純粋さ、献身ぶりに浸り、本当はクリオンも理想に殉じたいのだろうとせせら笑うのが鼻についたというか。死ぬのはある意味簡単で、生きて最大多数の最大幸福を求めるのは困難だ。アンチゴーヌのワガママで皆が不幸になるのがやりきれない。
蒼井のアンチゴーヌは期待通りの熱演。生瀬は声の良さに驚いた。深みのある声で、語る言葉に説得力がある。

0209 烏丸ストロークロック「まほろばの景」

山道をさまよう男。故郷の父や元カノ、大阪で働く旧友らとの回想シーンが挟まれ、男が東日本大震災の被災地の出身であること、実家が流されたものの比較的被害が少なかったことに後ろめたさを抱えていることが明らかになる。今は流れ着いた近畿圏の山奥の障害者施設で働いており、半年前に行方不明になった知的障害の青年を探している。青年の姉とも付き合いがあり、なんとなく生活を共するような流れになっていた。山中で出会う修行者に誘われ、たどり着いた山頂で見たものは、まほろばだったのか。私にはあまり幸せそうには見えなかった。

能舞台を思わせる黒い真四角の舞台には、天井から幅広の紗幕が無数にぶら下がる。紗幕の後ろにいる役者の唱える詩が地から湧き上がる言霊のよう。劇中で繰り返される神楽の踊りや、修行者の唱える念仏が神秘的な雰囲気を醸し出す。異空間に迷い込んだような、濃密な時間だった。

2018年2月8日木曜日

0208 劇団いちびり一家「ポラーノ 夜風に忘れて」

初めて観た小劇場でのミュージカルは優等生な印象。歌も踊りも、バンドの生演奏も悪くないが、突出したものもないような。宮沢賢治をモチーフにしたためか、童話のような世界が広がる。噛み合わない会話は笑いどころなのだろうが、冗長に感じた。

2018年2月6日火曜日

0205 宝塚星組「ドクトル・ジバゴ」

轟悠のゆるぎない男ぶり。冒頭、語尾を上げる話し方が気になったが、若々しさの表現だったのか。後半の髭を着けてからの格好良さは比類ない。歌声はたまに作り声の無理が露呈してしまうのだが、低音の響きにほれぼれする場面も。ラーラ役の有沙瞳は美しく、歌声もきれい。ラーラの恋人、パーシャ(瀬央ゆりあ)がなぜ人が変わったように冷酷な軍人になっていくのかが不明で(寝落ちしてしまったせいかもしれないが、そんなに長時間ではなかったはず)最後まで腑に落ちなかった。革命家の女オーリャ役の紫りらに新劇女優のような存在感があった。

0203 うめだ文楽2018

トークは三戸なつめと簑紫郎、勘次郎、玉彦。噛み合わない会話が盛り上がらなくてがっかり。 「新口村の段」は希・寛太郎。新口って難しいんだなあとしみじみ思った。

0202 泣いたらアカンで通天閣

新世界のディープ大阪で暮らす、ラーメン屋の父娘を赤井英和と三倉茉奈が自然体で演じる。というか、赤井は演技してない感じだ。脇を山田スミ子や紅壱子、松竹新喜劇の曽我廼家八十吉川や奈美弥生といった、これぞ大阪という人たちが固め、安心感がある。娘の幼馴染で後に結婚する辻本祐樹が嫌みのない好青年だ。初の芝居出演の笑福亭松喬は不器用な様子が大輔花子の大輔のよう。若くして亡くなった母親役の桜花昇ぼるはちょっと浮いた存在だが、死んだ人の役なのでそれほど違和感はない。歌はちょっと唐突に感じたが。ヤクザと組んで地上げを仕掛ける叔母役の小川菜摘は、敵役みたいに登場しながらうやむやのうちに和解してしまうのが物足りなかった。

2018年2月5日月曜日

0201 黒蜥蜴

中谷美紀の黒蜥蜴は美しく、セリフもはじめは無理をして老けた喋り方をしているように感じたが、芝居が進むにつれて説得力が増してきた。2幕の明智への恋心を吐露するところが官能的で。井上芳雄の明智は優等生すぎてちょっと物足りなかったが、黒蜥蜴とのやり取りはスリリング。これまで見た黒蜥蜴のなかで、最も恋愛劇の要素が強かったように感じた。早苗役の相楽樹がお嬢様らしく、役に合っていた。雨宮役の成河は美青年らしくはないのだが、終盤の狂気の演技に迫力があった。スタイリッシュな舞台装置、衣装にルヴォーのセンスが光る。恐怖美術館は薄い布越しに裸の像が透けて見える演出。生々しくて滑稽になってしまいがちな場面を品よく表現していた。

0131 チェルフィッチュ「三月の5日間」

イラク戦争が勃発した2003年の東京の5日間。7人の登場人物が入れ代わり立ち代わりモノローグのような形で物語が進む。偶然出会った男女がホテルにこもって数日を過ごすというだけで、これといった出来事はないのだが、若者の風俗を描写してるのかなあ。過剰なまでのだらしない若者言葉は狙いなのだろうがイラっとする。女優が男性キャラのセリフを言ったり、人物とセリフ、シチュエーションが必ずしも一致していないのがふわふわした印象だ。英語の字幕が出ていたけれど、外国人はこのしゃべり方をどう思うのだろうか。天井から字幕を映すための箱のようなものがぶら下がっているのが、雲のようにも見える。床にはM字型にラインが引かれていて、何かのマークかと思ったら違うらしい。

0129 能×現代劇「ともえと、」

能「巴」を題材に、木曽義仲を巡る3人の女を描く。義仲と思しき男は、10年前に亡くなった格闘技の戦士。共に戦っていたのに戦場を離れるよう命じられた女、男亡き後も戦い続ける女、故郷で待つ女。シュールなダンスのような格闘技の動きやプロレスのようなアナウンスなど、ふざけているみたい。空晴の岡部尚子が脚本・出演なのでどうしても笑いに寄ってしまう。能楽堂なので仕方ないのだが、ジャージに白足袋という恰好がシュールだ。

0129 青年団「さよならだけが人生か」

工事現場の休憩所で繰り広げられる人間模様。雨で待機している作業員や警備員に加え、遺跡が発掘されたとかで考古学を学ぶ大学院生や文化庁の職員、彼女の父親に結婚の許しをもらいにくる男などが入れ替わり立ち代り現れる。特に何も起こらず、リアルだけど取り止めのない会話が紡がれる。途中、ミイラがいたといって見に行くのだが、真偽は不明だし、最後に民芸品のような仮面をつけて現れる女も不可解だ。

2018年1月28日日曜日

0127 うんなま「search and destroy」

共有がテーマだぞうだが、そのところはよく分からず。引きこもり?ネット空間に暮らす男に様々な人が交錯する。壁にキーワードらしきものが貼ってあって、場面に応じて登場人物に張り付ける。レッテル貼りのイメージなのだろうか。現代のネット社会を描写するセリフにはへえと思うところ散見されるが、全体として何が言いたかったのだろうか。客席に役者を仕込んで、舞台と行き来させる演出。お膳立てされたハプニングにイラっとした。

0126 万作萬斎新春狂言2018

謡初の連吟「雪山」の後、小舞「風車」を野村裕基、小舞「海道下り」を野村太一郎。風車は扇をもってくるくる回る躍動的な舞だった。 「二人大名」は野村万作の通りすがりの男に中村修一、内藤連の大名。きっちり楷書な感じだった。 「頼政」は萬斎の頼政。鷹を飛ばす仕掛けに工夫したというのだが、飛び立ったように見えず、客席から失笑が。上手いことできなかったのだろうか。

1月25日 匣の階「パノラマビールの夜」

あらすじで描かれる2つの町の話は箱人形劇の男が物語る物語だった。寒空の下、山の上の屋上ビアガーデンにやってきた人形劇を生業とする旅の男とビアガーデンの店員、今夜消えるという星の観察に来た天体観測サークルの面々が集まり、詩的というより観念的な言葉をやり取りする。はまる人ははまるのかもしれないが、もったいぶって本質を飾っているようにも感じるセリフのやり取りにモヤモヤした。ビアガーデンで夜を明かした登場人物が一人ひとり舞台から去る。終わりがはっきりしない演出だったのは、どういう狙いだったのだろう。

2018年1月24日水曜日

0123 前進座新春特別公演

「初姿先斗賑」
江戸の花街で遊んでいた若旦那が、京の舞妓を見に行こうと太鼓持を連れての道中を踊りでつづる。衝立に富士山や東海道の景色を描いた簡素なセットが、晴の会みたい。國太郎の若旦那は頼りない坊々ぶり。矢之輔の太鼓持は安定感のある面白さ。最後にぼの舞妓が踊って華を添える。

「棒しばり」
忠村臣弥の次郎冠者に玉浦有之祐の太郎冠者は若々しい、フレッシュな感じ。きょうげんふうの台詞回しがちょっと急ぎ気味で、もう少したっぷりした大らかさがほしい。酩酊していくにつれ所作が乱れてくるところで、脚で盃を傾けるのがいただけない。狂言や大歌舞伎では気にならなかったので、振りが違うのか。最後、主人を蹴るようにして2日がグルグルまわりながらの幕切れ。

「唐茄子屋」
國太郎の頼りない若旦那役はハマってだが、こちらも矢之輔のおじさんが上手かった。おばさん役も、つい甥っ子を甘やかしてしまうお節介ぶりが微笑ましく、夫婦漫才のような息の合った掛け合いが笑いを誘う。

0122 ミュージカル「マタ・ハリ」

ワイルドホーン作曲とのことで期待したが、印象に残る感動的な歌はなかった。どこかで聞いたようなメロディは散見(散聞?)されたが。脚本が良くないのか、国旗柄のカーテンを多用する舞台美術が安っぽいせいか、盛り上がりが足りない気がした。
柚希礼音のマタ・ハリは衣装が美しく、腰のくびれなんかはあるのだか、いまいち色っぽくない。多分、ヒップラインが細すぎるせい。脚も高くあがり、エキゾチックな振りも難無くこなしてる風で、踊り子役は悪くなさそうなのに。歌も女性らしい高音までよく出ていたが、発声や表情が子供っぽいというか、可愛らしい感じだったのもらしくないと思った。見た目とのギャップによる色気を狙ったのだとしたら、逆効果だった。
ラドゥー大佐の加藤和樹が雰囲気がある、任務と欲望の間で葛藤する男を好演。マタを手に入れようとするシーンはこの舞台で唯一ドキドキしたところ。加藤がラドゥーとアルマンの二役をする意味が不明だが、このキャストで見る限り、役の重要度はラドゥー>アルマンと思った。
マタの恋人アルマン(東啓介)は、ひょろりと背が高く、ちょっとバカっぽいのが、年下の恋人風。母性本能をくすぐられて恋するというのもアリだと思うが、そうではないらしい。裁判に乗り込んでくるとか、ありえない展開に呆然とした。

1月21日 劇団☆新感線「髑髏城の七人 Season 月」

上弦の月を観劇。回転する客席や映像を駆使した演出のため、遊園地のアトラクションのような、映画館にいるような、不思議な感じ。舞台転換がスムースなので、3時間50分という長丁場でもストレスは少なかった(でも長いけど)。
福士蒼汰の捨之介は頭が小さすぎて和装が似合わず(カツラのバランスが悪いだけ?)、立ち回りでの裾さばきの雑さに興を削がれた。発声も舞台向きではないので聞き苦しい。蘭兵衛の三浦翔平は色男らしい立ち姿。ダークサイドに落ちてからの風情もいい。立ち回りは福士と大差なしだが。さすがだったのは早乙女太一で、体幹がしっかりしているので立ち回りでの美しさが際立つ。マントの捌き方もうまいし。キャストを確認せずに観たため、登場シーンのあまりに安っぽい敵役ぶりに始めは誰だかわからなかった。
狸穴二郎衛門の渡辺いっけいは病み上がりだったそうだが、出てくると舞台が締まる。

1月20日 寿初春大歌舞伎 夜の部

「双蝶々曲輪日記」
芝翫の濡髪に愛之助が放駒と与五郎の二役。取り立てて悪いところはないのだが、あれっ、こんな話だったっけという感じ。

「口上」は舞台の端から端までずらりと並んで、高麗屋の力を見せつける。藤十郎が「三代目松本幸四郎…」と言って続かなくなりあれっと思ったが、ほかはやや早口でつつがなく進んだ。

「勧進帳」は新幸四郎の弁慶に吉右衛門の富樫、新染五郎の義経。幸四郎は力の入った熱演だが、声が辛そう。山伏問答は丁寧だが、呪文みたいに聞こえるところも。舞いながら義経らへ「先へ行け」と手振りをするところで笑いが起きるのはいかがなものか。若い観客が多かったせいか、笑いがちな客席ではあったが。飛び六方はちょっと失速した感じ?もっと勢いがほしかった。
吉右衛門の富樫は弁慶への共感が感じられ、説得力がある。太刀持ちの子役がずいぶん小柄で驚いたが、頑張ってた。
染五郎は品がある姿はいいが、鼻にかかったような発生が気になった。
四天王が鴈治郎、芝翫、愛之助、歌六という豪華さ。

「相生獅子」は扇雀と孝太郎。遠目だったせいか孝太郎が綺麗だった。

「三人形」は雀右衛門の傾城、鴈治郎の若衆、又五郎の奴。

1月20日 寿初春大歌舞伎 昼の部

高麗屋三代の襲名はこれでもかという賑々しさ。
「箱根霊験誓仇討」
猿之助の代役で勘九郎が勝五郎、勘九郎に代わって愛之助が奴筆助と敵役の滝口上野。元の役よりもニンに合っているのではなかろうか。初花の七之助も凛とした武士の妻ぶり。
夫のために仇の言うなりになって命を落とす妻とか、妻の献身で病が治るとか、ありがちな話ではあるが、妻の霊?が滝のなかから見守ると言うラストが新作っぽいと思ったら、19世紀の作だとか。
勝五郎の脚が治る場面で、胡座のような姿勢からぽーんと飛び上がるのはどうやっているのか。凄い身体能力だ。

「七福神」
幹部俳優の勢ぞろいで賑やか。なにより、鴈治郎の大黒天がニコニコしてるのが可愛くて、福々しかった。

襲名披露狂言は「菅原伝授手習鑑」。「車引」は新幸四郎の松王丸に力がこもる。梅王の勘九郎、桜丸の七之助との並びもいい。勘九郎は教科書らしい丁寧な演技。七之助は化粧がシャープすぎるせいかロックバンドみたいに見えた。

「寺子屋」は猿之助の涎くりは楽しみだったのだが、期待したほどではなかった。源蔵の許しをえて遊びに行くところで子役たちを世話してあげるなど、賢さや分別が見え隠れして、無邪気なアホには見えなかったせいか。怪我をした左腕はまだ十分に動かせないらしく、力が入っていない様子だった。

新白鸚の松王丸はさすがの大きさがある。首実検では小太郎の首に向かって「でかした」と言ってから「…源蔵」と付け足す様子がはっきり。源蔵の梅玉は派手さはなく落ち着いた様子。戸波の雀右衛門に情があった。魁春の千代は白鸚といい釣り合い。園生の前は藤十郎で、出てくるだけで舞台が大きくなるよう。

0119 ゴツプロ「三の糸」

津軽三味線の代々にまつわる物語。もともと三味線の心得のある人たちかと思ったら、このために1年かけて稽古したそうで、そう思えば最後の演奏はなかなかのもの。単純なリフのようなものを重ねる、作曲の良さもあるのだろうが。

40歳代を中心とする、おっさんばかりのメンバーという制約のなかで芝居をつくるにあたって、世襲の伝統芸能というのはいい題材。まあ、血縁なのにちっとも似てないという点は置いといて。捨て子の兄弟が三味線に出会って生きる糧を得、代を重ねるに連れて流派となり、メディアにももてはやされる。才能のあるなし、長男と次男の確執など、今もどこかでありそうな。「三味線は芸術じゃない。生き方だ」というセリフに複雑な気持ちを抱えながら観た。

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2018年1月17日水曜日

0117 Plant M「blue film」

震災後久しぶりに故郷の町を訪れ、使われなくなった廃線のある公園に迷い込んだかがり(出口弥生)に駅長が事故で電車が遅れていると告げる。幼馴染の少年団の子どもたちや、駅を訪れた喪服姿の兄弟と姉など、いろいろな人が入れ代わり立ち代わり。現実と空想の世界が交錯する。出口のモノローグから始まったのだが、語頭が弱い発音のせいか不安な気持ちになるのは意図しているのか、癖なのか。ヤヨイ役の大浦千佳が子どもたちのリーダー役を溌剌と演じる。最後、遅れていた電車がやってくるのは、震災で止まっていた時間が動き出すという意味か。深津作品では震災で時間が止まってしまった人たちが良く描かれる。舞台後方の搬入口が開いて、外が見える演出。何も知らない歩行者や自転車が通りすぎるのが不思議な感覚だった。たった1日きりの上演とは贅沢だ。

2018年1月16日火曜日

0115 坂東玉三郎 初春特別舞踊公演

お年賀の口上。玉三郎は今日がお年賀最終日だからと長めに話してくれたようで、小道具や衣装もいいものが手に入れにくくなっており、伝統芸能を支える人たちも含めていかに次代に続けてくのが難しいと。壱太郎は稽古中から玉三郎の教えを受け、様々学んでいる様子。 「元禄花見踊」は玉三郎と壱太郎が姉妹のよう。上方歌舞伎の役者たちも加わって華やか。 「秋の色種」は2人踊り。曲が良すぎて踊りにくいので琴を演奏することにしたそうな。 「鷺娘」は壱太郎。憧れの演目だそうで、懸命さが伝わる踊り。ちょっと動きが硬いのと、引き抜きのときの準備に余裕がなさそうなのが垣間見えたが、こういうことは数を重ねていくしかないのだろう。 「傾城」は玉三郎がただただ美しかった。舞台後方が開いて雪が舞うラストが幻想的。

2018年1月14日日曜日

0113 劇団態変「翠晶の城」

さ迷える愛「序」というタイトルがついた新シリーズ。2人ずつ対になっての動きは舞踊的で、絵面のようにバランスの取れた場面も多く、前作よりも芸術性は高いように思った。「とにかく転がりたかった」と主宰の金満里がアフタートークで言っていたが、むしろ2人だけの立って歩ける演者たちが素早く舞台を横切ったり、客席下りしたりという転がらない動きが印象的だった。金持ち、貧乏、ニートを通して経済を描いたというのはピンとこなかったが。

0113 ガバメンツ「ハイヤーズハイ」

ちょっと設定に無理があるが、気にしないで笑ってくれということか。死んだ俳優の代表作となる脚本を作ろうという導入にまず戸惑う。脚本は行き当たりばったりの展開で、それはそれで面白いのだが、「代表作」と思うと腑に落ちない。落ち目の脚本家役の近藤貴久の声がいい。

2018年1月12日金曜日

0111 かがみのかなたはたなかのなかに

鏡にうつった「たなか」(首藤康之)の影が「かなた」(近藤良平)。「たなか」は鏡の向こうの「けいこ」(松たかこ)に恋をするが、鏡のこちら側にいるのはワンピースを着た長身の男「こいけ」(長塚圭史)。「もしもし」「しもしも」みたいな、逆さ言葉や言葉あそびがちりばめられ、絵本を読むような不思議な感覚。首藤と近藤が鏡合わせのようにシンメトリーで踊るような動き。不思議と近藤のほうが、端正な動きに見えたり。自信がなく消極的な「けいこ」が「たなか」と「かなた」に取り合われて変わっていく様が嫌な女だ。ワンピースからのぞく長塚の足首が意外に細くて驚いた。 開演前のロビーでちょっとしたパフォーマンスがあったり、客席係の案内もしゃれていたりと、楽しませる演出があった。

2018年1月11日木曜日

0110 越路吹雪に捧ぐ〜トリビュートコンサート

出演は鳳蘭・安寿ミラ・真琴つばさ・姿月あさと・湖月わたる・春野寿美礼・水夏希・凰稀かなめ・咲妃みゆ・鳳翔大・伶美うらら・中原由貴・水沙るる。 やはりというか、鳳が歌う「ろくでなし」「愛の賛歌」が別格。最後に話した越路と岩谷時子のエピソードも、当時を知る人のリアリティがあって面白かった。 必ずしも歌の上手い人を集めたのではなさそうな人選が不思議。なぜか真琴だけ、芝居仕立ての歌だったのだが、1つ目は越路を意識しすぎて空回りしてる感じだったが、2つ目のはよかった。春野の歌のうまさが際立った。

0110 宝塚宙組「不滅の棘」

愛月ひかるが不死の男、エリイ/エロールを演じる。冒頭の1600年代と、後の1900年代で性格がガラリと変わっていて、同一人物には見えなかった。全体的に脚本が粗く、ギャグかと思うほど。フリーダとの愛の描写がほとんどないので、後でその子孫の娘とのやり取りが腑に落ちない。最後の、エリイが消える場面の演出はキレがあったけれど。ヒロイン、フリーダ役の遥羽ららは可愛いし、高音もよく出ているが、歌い方が荒っぽいのが惜しい。純矢ちとせの芸達者ぶりに感心した。

0109 宝塚花組「ポーの一族」

あの「ポーの一族」をどうやって舞台化するのか。原作のファンではなくとも期待よりも懸念が上回っていたが、観ての感想は、原作の世界観を壊してはいないということ。エドガー役の明日海りおは、さすがに14歳の少年には見えないが、年齢不詳な少年らしさを描出。ビジュアルの美しさは比類なく、普段よりもやや高めのキーで話すのが役にあっていた。アラン役は柚香光。どちらかというと気の強いイメージの人だが、アランの気の強さと繊細さ、はかなさが出ていて大健闘。思えば、エドガーは外見は少年だけど中身は100歳を超えているので大人が演じる利点があるが、アランは本物の少年なわけで、より難しかったのでは。変にBLぽくなかったのも、私としては評価したい。 残念なのは「僕はバンパネラ」とかいうさえない歌とか、古臭い曲調とか。物語の背景説明のため情報量を盛り込んでいるので、肝心のエドガーとアランが共感しあうところの描写が足りない気がした。メリーベルがバンパネラになるくだりのユーシスの自殺とか駆け足すぎて、原作を知らない観客にはさっぱりだったのではないか。 シーラ役の仙名彩世は男爵への愛にあふれる素敵な女性。きれいな高音で歌もよかったが、主人公とのからみは薄いので盛り上がりに欠ける。

2018年1月8日月曜日

1月8日 初春文楽公演 第二部

「良弁杉由来」 通してみて、思っていたほど感動しなかったのは、ストーリーが単純すぎるせいか。歌舞伎で「二月堂の段」だけを観たほうがよかったのは、藤十郎・鴈治郎の親子共演の効果だけではないと思う。人形の動きがあまりないので、素浄瑠璃のほうが感動できる気がする。 志賀の里の段は三輪、小住、亘、碩に団七、友之助、錦吾。 光丸がさらわれる物語の発端なのだが、ドラマが感じられないのはなぜなのか。碩が要所要所で短いけど重要なセリフを任されているのが頼もしい。 桜の宮物狂いの段は津駒、始、芳穂、咲寿に藤蔵、清志郎、寛太郎、清公、清允。 津駒の声が景事とあってないのか、藤蔵の三味線と合っていないのか。重厚な三味線が聞かせどころか。 東大寺の段は靖・錦糸。安定感が増してきたものの、説明的な場面なので、聞かせるという雰囲気ではない。 二月堂の段は千歳・富助。期待値が高すぎたせいか、あまり感動できなかったのが残念。通しで見ているので分かり切った物語を繰り返されるのがくどく感じた。 「傾城恋飛脚 新口村の段」 口の希・団子は御簾内で。希は美声だが、忠三女房にしては上品すぎる感じ。 前は呂勢・寛治。初めての組み合わせだそうだが、予想以上によかった。音が華やかで広がりがあるというか。呂勢はのびのび語っている感じで、窓から覗き見ながら境遇を嘆き合う梅川・忠兵衛が涙を誘う。寛治の三味線もいつもよりしっかりした音色を響かせる。 後は文字久・宗助。文字久の梅川が予想以上によかったものの、前が良かっただけに、あのまま聞きたかった。

0106 欲望という名の電車

大竹しのぶのブランチに北沢一輝のスタンレー、鈴木杏のステラ。適材適所の配役は期待通りで、3時間20分ほど(休憩含む)の舞台を飽きさせずに引き付ける。ただ、期待を上回ることはなく、意外感はなかった。大竹のブランチは舞台にいる間セリフをしゃべり通し。本人もパンフレットで言っていたように、繊細さというより野太い狂気。クライマックスの狂気に陥るところで、花売りのような人たちがブランチを取り囲むのが面白い演出。北沢のスタンレーは粗野な男の陰にある劣等感を感じさせる好演だった。鈴木は時にブランチの保護者的役割を、年齢差を感じさせない包容力で表出。

0105 「アテネのタイモン」

吉田鋼太郎が演出・主演。何もないがらんとした舞台と思っていたら、ハンガー掛けとともに役者がバラバラと現れ、ウォーミングアップを始める。吉田や藤原竜也が登場してしばらくして、舞台前方に整列してから芝居に入る。楽屋内を覗き見るような、粋な演出は蜷川流か。 セリフに次ぐセリフ劇で、力量のある役者ぞろいなので十分引き付けられたが、物語としては、なんだかモヤモヤ。前半のタイモンのお人よしぶりにも唖然とするが、後半の世を恨む様も自業自得に思われて同情できない。あまり上演されないのも納得だ。シェイクスピア劇初挑戦という柿沢勇人が体当たりの好演。

0104 初夢で「見たよ、聞いたよ」浪花節

真山誠太郎・隼人の親子浪曲は「忠臣蔵花の舞」。 隼人が判官、誠太郎がその他という語り分けで、演歌浪曲の誠太郎に対し、隼人は生の三味線で。身振り手振りを交えての、演劇的な語り。 天中軒雲月は「若き日の小村寿太郎」。 いい声でたっぷり聴かせるが、気持ちよくなって寝てしまった。寝るほどよかったということで…。 真山一郎は「忠臣蔵外伝 俵星玄蕃」。 時代劇を見ているような芝居ぶり。音楽と語りのタイミングが合ってないところが惜しい。 中入りをはさんで京山幸四若・幸太の掛け合い浪曲は「河内十人切り」。 幸太が熊太郎で幸四若がお縫ほか。幸四若が女性のセリフを語ると客席から忍び笑いがでるのは仕方ない。幸太が意外に野太い声で驚く。肝心の十人切りの前で時間切れ。 仕事があったので、この先はパス。

1月3日 初春文楽公演 第1部

「花競四季寿」 睦、津国、咲寿、小住、文字栄に清友、喜一郎、清丈、錦吾、燕二郎。 睦は声がしんどそうで、津国は景事向きではない。ユニゾンの不協和音ぶりたるや。 人形は万才が玉勢の太夫に紋臣の才蔵。鷺娘は文昇。 「平家女護島 鬼界が島の段」 呂・清介。呂は薄氷を踏むような、そろりそろりとした語り。終盤声がよく出ているところがあったので、この調子で全編通してほしい。 人形は簑助の千鳥がたっぷりと。しなやかな動きで魅せるが、千鳥の見せ場ってこんなに長かったろうかと思うほど。やはり足元がおぼつかない様子で、中盤、遣使と俊寛らのやりとりで袖に引っ込んでいた。 口上では、咲太夫が亡父の思い出や五十回忌への思いを語るくだりで涙で声を詰まらせ、客席から励ますように「咲太夫!」の掛け声。新・織太夫は終始かしこまった表情。 「摂州合邦辻」 中の南都・清馗。のびやかな声で出だしとしては十分。 切は咲・清治。咲は全盛期ほどではないものの、気合の入った語り。玉手御前の心に決意を秘めた様子を丁寧に。清治の三味線はいつもより抑えめな感じながら、要所要所をきっちり抑える。 後は織・燕三。織は渾身の語りで、身体が揺さぶられるよう。聞いているだけでぐったり疲れた。要所は合邦の嘆きと言っていたが、むしろ玉手のクドキでぐっときた。燕三の三味線も激しく盛り上げ、怒涛のような一幕だった。

2018年1月2日火曜日

1229 移動レストラン 「ア・ラ・カルト Live Show」

アラカルトの料理のように、1皿ごとに違うシチュエーションのショート芝居が繰り広げられる。サラリーマンの先輩後輩が訪れる「フランス料理とワインを楽しむ会」の先輩役の高泉淳子がよい風情。ゲストのレ・ロマネスクのTOBIとは、ええ歳の男女のお見合いのような設定。TOBIがそこはかとなく可笑しい。休憩を挟んでのミニライブ、レ・ロマネスクの「祝っていた」が頭から離れない。

1228 ロッキー・ホラー・ショー

開演前に売り子に扮したキャストが客席を歩き回り、ペンライトや吹き戻しなどのグッズを販売。ミュージカルというよりライブのようなノリだ。前回公演では、フランクの古田新太の快演ぶりが印象的だったが、ちょっと期待外れ。だって、ハイヒールでないんだもの。小池徹平のブラッドはまあ普通だったが、ジャネット役のソニンがイラっとするぶりっ子ぶり(←褒めてる)。ISSAのリフラフはせむしの衣装から首が浮いてたりと役になり切れてない感じだったが、コロンビア役の女王蜂アヴちゃんが不思議な存在感。狂言回しのローリーやサックスの武田真治らはすでに定連のよう。

12月26日 十二月大歌舞伎 第二部

「らくだ」 愛之助のやたけたの熊五郎と中車の久六は2度目。中車のうまいのは相変わらずだが、愛之助のセリフのテンポが良くなっていた。畳みかけるような話しぶりが強面らしい。らくだの亀蔵が反則の面白さで、熊五郎が大家宅で無理難題を吹っ掛けるところで、戸外でやりたい放題。観客の視線を奪っていた。 「蘭平物狂」 この芝居は、終盤の、名題下たちの大立ち回りを観るものなのだと認識。刃物を見ると乱心するという蘭平(松緑)のキャラクター設定がよくわからないし、在原行平(愛之助)や大江音人(坂東亀蔵)ら、出てくる人が皆欺いているややこしさ。左近が蘭平の息子、繁蔵役で活躍。このための舞台だったのかなあ感が強い。花道を使ったり、舞台を埋め尽くすほどの大人数での立ち回りがこれでもか、とばかりに繰り広げられ、食傷するほどだった。

12月26日 十二月大歌舞伎 第一部

「実盛物語」 実盛の愛之助が久しぶりにちゃんとした歌舞伎を見せてくれた。去年の顔見世以来2度目だと思うが、武将らしい大きさ、仁左衛門を思わせる口跡よい台詞、数段よくなっていたように思う。女房小よしの吉弥、九郎助の松之助、葵御前の笑三郎など、適材適所の配役。亀蔵の瀬尾もよかった。倅太郎吉の星一輝くん(多分)も可愛く好演。 「土蜘蛛」 松緑の子息、左近が太刀持ち役で共演。

12月24日 KAAT竹本駒之助公演 第九弾「奥州安達原 袖萩祭文の段」

静かな出だしから徐々に盛り上げる。お君が袖萩に着物をかけてやるところでは涙が。駒之助の情にあふれる語りはもとより、津賀寿の三味線が畳みかけるようでしびれた。

1223 虚空旅団「アトリエのある背中」

売れない画家のもとを訪れる金持ちの女性はいったい誰なのか。謎が最後まで明かされないまま。もしかして、途中何度か意識が途切れたせいで分からなかっただけ?絵のモデルの女優と画家の緊張感のある関係、ミステリアスな画商、何かを隠している妹夫婦など、様々な思惑が交錯する。大人の芝居という感じ。

1222 壱劇屋 五彩の神楽「荒人神」

作・演の竹村晋太朗が主役のシリーズ最終回。剣の達人が魔女(?)に魂を売って不敗の力を手に入れるも、結局呪縛から解き放たれるというような。後半、過去シリーズの主役たちが入れ替わり登場し、総集編のようなにぎやかさ。殺陣5割り増しみたいな感じで、ひたすら動く動く。怒涛のような85分(ちょっと押したか)だった。