2018年7月11日水曜日
7月8日 第6回 ながと近松文楽「出世景清」
近松門左衛門が竹本義太夫に書いた最初の浄瑠璃。「通し上演」と銘打ってはいるが、ダイジェスト版で上演時間はトータルで2時間あまりだが、物語の全体像は分かる。総じて面白くはあったり、歴史的な意義はあるのだろう。西日本の大雨で新幹線がストップし、座員の皆さんはフェリーで大阪港→門司港、バスで長門入りし、観客も当日の朝に山陽新幹線は通常運転に戻ったものの、在来線は止まったままで、いろいろ困難を乗り越えての上演・観劇だったので、観劇もひとしおといったところか。(文哉は岡山から45時間かけて現地入りしたとか)
前半は素浄瑠璃で。熱田の段(靖・燕二郎)、東大寺の段(芳穂・清馗)は短くあらすじを紹介する程度。阿古屋住家の段は呂勢・燕三で、比較的しっかり聞かせる。阿古屋の嫉妬が凄まじく、三味線の手もよくて拍手が出ていたほど。呂勢はエキセントリックな女性が上手い。この段に関しては人形なしのほうが良かったと思った。
六波羅河原の段からは人形付きで。前は芳穂・燕二郎、後は三輪・清志郎。小野姫の清十郎がよくて、拷問にかけられるところなど哀れさが際立つ。勘十郎の景清は竹垣を薙ぎ払って登場。ヒーローらしい派手な演出だ。
六波羅新牢の段は靖・清馗、牢破りの段は睦・宗助。阿古屋の裏切りを許せないのはいいとして、2人の子どもに手をかけるのをぼーっと見ている景清ってなんだ?3人の遺体が折り重なる乱暴さも、古い作品ならではなのか。せっかく牢を破って出てきたのに、すごすご牢に戻るのも理解できん。(さすがに客席からは笑いが漏れていた)
観世音身替の段は三輪、睦、芳穂、靖の掛け合いに清志郎。晒首になった景清の顔がだんだん面長になって…と思っていたら観音の顔に変わる仕掛け。目新しさはあるが、もうちょっとスピーディーにやるほうがいいかも。
清水寺の段は呂勢・燕三。景清が両目をえぐって頼朝に差し出すところなど、視覚的には面白い。景清の葛藤が深く描かれていたらもっと感動するのかも。
ダイジェスト版だったためか、全体的に登場人物の造形が浅く、突飛な行動に戸惑う展開。今の浄瑠璃との違いを楽しむという意味では興味深くみた。念願かなって涙ぐんでいた鳥越文蔵早大名誉教授に象徴される公演だった。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿