2026年7月20日月曜日

7月20日 夏休み文楽特別公演 名作劇場

「源平布引滝」 九郎助住家の段の口を碩・勝平。 婆の語りがよかった。勝平の三味線はおおらか。 次は藤・燕三。 瀬尾の怒鳴り声に迫力あり。 切は分割して、前半を千歳・富助、後半を錣・宗助。 切り語りの無駄遣いという感じがしなくもないが、聞き応え十分の贅沢。 人形は玉彦の太郎助が可愛らしく、和生の九郎助に情があり、姿が決まっているのに改めて感心した。玉男の実盛に風格。 「恋娘昔八丈」 城木屋の段の前を靖・藤蔵。 三味線のおかげか、いい語り。番頭丈八のいやらしさがうまい。 奥は呂勢・清治だが、後半は清志郎に入れ替わる。体調が悪いのか心配。 華があって聴きごたえ十分の語り。 鈴ヶ森の段は芳穂・錦糸。 娘を気遣う庄兵衛と女房がいい。あと、珍しくハッピーエンドだよね。 お駒が喜三を手にかけるシーンを飛ばしているので、少し分かりにくい。 人形は一輔のお駒が耐え忍ぶ様が美しく、帯屋を見たいと思った。簑紫郎の才三郎はすっきりとした男前。玉也の丈八もいい感じでしつこいいやらしさを好演。

7月20日 夏休み文楽公演 親子劇場

解説「文楽ってなあに?」は玉彦。淡々と進めるあまりちょっと客が置いてけぼりに感じることも。反応を待つ余裕ができるとよさそう。子ども3人を舞台に上げて人形体験。きれいに遣えてますなどと褒めているのが好印象。立役人形と同じくらいの背丈だったので、子どもの人形を持たせていた。 「雪狐々姿湖」 有吉佐和子脚本の民話風のお話。主人公の白百合をはじめ、老若男女の狐が6匹も出てくるのが楽しく、詞章セリフは文語調がベースだが分かりやすく、セリフを「コン」に掛けるなど、言葉遊びの楽しさもある。白百合が漁師源左に助けられ、恋をする回想シーンは暗転で舞台が秋から春にに変わるなど、現代劇の演出も取り入れられている。 崑山の秋は掛け合いで、三輪の白百合、南都の白蘭尼、咲寿のコン平、薫の右コン、織栄の左コン、津国のコン蔵に清友、清志郎、清馗、清丈、藤之亮。 コン平は白百合の許嫁ということだが、咲寿の語りはわんぱく坊主のようで少し子供っぽいキャラに聞こえた。右コン、左コンの双子はワアワアと騒がしい。白蘭尼、コン蔵に落ち着き。 文楽劇場に6匹もの狐がいたのか驚く。人形遣いは頭巾をかぶっているが、狐の毛の色が違ったり、着物?を着ていたりでキャラクターが見分けられるようになっている。コン平の人形は尻尾をピンと立てたり、回したりするのだが、人形遣いは両手を人形の胴体に入れたままなので、何か仕掛けがあるのだろうか。 漁師源左の家は織・清公。本役の清介が病気休演で急遽の代役だろうに、滅多にかからない新作をよくやっていると感心。織の語りが単調なのか、舞台上の動きが少ないせいか、途中集中力が途切れた。宝珠の力がなくなって狐の姿に戻ってしまうところとか、もっとドラマチックに見せてほしい。 ラスト、冬の湖畔はツレに碩と聖、清允と清方が入る。狐の姿になった白百合が宝珠を手に入れて人の姿に戻るとその重さで湖の氷が割れて溺れ死んでしまうというラスト。一瞬の喜びの後の悲劇が残酷。 人形は清十郎の白百合、玉佳の源左など。

2026年7月19日日曜日

7月19日 木ノ下歌舞伎「心中天網島」

八百屋の舞台の下から小春と治兵衛が顔を出し、出会いの場面から。遊女とスケベな客だったのが、どうしてあんなに深い仲になったのかは今ひとつ分からないが、カジュアルな感じで仲を深めていきながら、どんどん話はシリアスな方向に。 おさんが箪笥の中のものを取り出しながら、治兵衛との幸せだった日々を思い出すのが、その後のやるせなさを増した。ラブレターをもらったことや、プロポーズ、出産…。おさんの歌う「ねえあなた、まだ私のこと見てる」とういう歌詞が切ない。途中、西田夏奈子のヴァイオリンで語る義太夫節もいい味を出していた。 ラストは、小春を何度も刺して痛みにのたうち回るし、治兵衛も首を括って苦しみに呻く。全ては愛と死、ああ愛しいと歌うエンディング。 アクセシビリティ版として、舞台上に手話通訳と、左右にの頭上に字幕モニターがかかる。通訳はコーラスと同じ衣装をまとうなど、目立たせない工夫をしていたが、物語と関係のない、登場人物と温度感の異なる人がいるのが気になった。字幕、聞き取れなかったセリフを確認できるのはありがたいようだが、やはり部隊に集中できないのはマイナスと感じた。 アフタートークで、同時字幕をつかったのはいいと思うが。天網島は近松の心中もののうち、最後から2作目。1作目の曽根崎が応援できる心中なのに対し、今作はいい人が一人も出てこない。いい・悪いだけでない、煮え切らないところが魅力と。

7月19日 Bunraku Summer Festival

チャップリンの「街の灯」を文楽化するにあたり、第3部だけ別立ての英語タイトルになった模様。 「寿柱立万歳」 付け足しのおまけのような一幕。睦、小住、聖、織部、文字栄に、団七、団吾、寛太郎、錦吾、清方。 睦は声が掠れ気味で辛そうだったが、小住はハリのある声でめでたい雰囲気を醸す。初舞台の織部はまずまずか。団七は調子があってないのか、不協和音に聞こえた。 人形は玉誉と玉翔。 玉誉は人形の位置が低く足が手すりの下になりがちなのが気になった。玉翔は軸がしっかりしていて、安定感がある。 「まちの灯」 友之助作曲の三味線が面白く、ところどころ映画音楽のメロディを取り入れたり、ギターのような奏法で通常ないような音を出したり。幕開きは御簾内の三味線?と胡弓が物悲しいメロディを奏でるなか静かに盆が回って希・清公が登場。三味線が映画のメロディを奏でたところで笑いが起こったのは、チャップリン協会の人らが多かったせいか。 全体的に、三味線は工夫を凝らして面白いのだが、語りが凡庸。特に切場は淡々と起伏のない語りで、三味線が1人で盛り上げているようだった。あと、最後にお花が与次郎の手を取って誰だか気づくところ、「この手、この指、この温もり」というところがクライマックスなので、同じ詞章が前に2回ほど出ているのはちょっとくどいと思った。あと、家賃を滞納して困ったお花が「こういう時に与次郎さんがいたら、、」とあからさまにいうのもちょっと違うのでは。 配役は序を希・清公、二段目・三段目を希、亘と清公、燕二郎、四段目を亘・燕二郎。五段目から大詰めを若・友之助。 二、三段目は掛け合いなのだが、希が与次郎とお花、亘が勘右衛門と藤八という分け方はいかに? 人形は与次郎を勘十郎。このために作ったという、眉毛が上下に動くだけでなく、下がり眉にもなるという首チャーリーに ペーソスがある。相撲の場で土俵から投げ飛ばされるところなど、勘十郎も這々の態といった感じで、笑いを誘った。

2026年7月18日土曜日

7月18日 TTR能プロジェクト「和魂Ⅻ」

ワキを観るのタイトルで、ワキ方の3流儀、下掛宝生流の宝生欣哉、福王流の福王知登、高安流の有松遼を招いての企画。普段あまり流儀の違いに注目することはなかったが、いろいろ特徴や違いがあって面白かった。 道成寺の語りを連続で実演すると、同じ詞章でも印象がずいぶん違う。型の違いで、「葵上」の「祈」のワキを福王と有松が同時に演じるという実験的な試みも。舞台上を移動する軌道も違うし、数珠をこするタイミングも違う。数珠を構える際、福王は手を上下に重ねるが、有松は左右で、時折払うような仕草を入れるのも特徴的。とても興味深かったが、演じる方は大変そう。 能「張良」 浦田保親のシテ、宝生欣哉のワキ。 ワキが活躍する曲で、後半、川に揉まれる様をのけぞりながら回転するなどアクロバティックな動きもあって面白い。 ツレの龍神に大槻裕一。事前講座で本人が言っていたように、張良が剣を抜くとあっさり降参してしま羽。

2026年7月17日金曜日

7月11日 英国ロイヤルバレエ団「ジゼル」

サラ・ラム、平野亮一ペア。 サラは一幕目は無邪気な村娘。アルブレヒトの誘いに恥じらう様子が可憐で愛らしい。平野のアルブレヒトは立派な体躯で、男らしくも貴族の傲慢さが滲む。バチルド一行に見つかったときは、知らぬふりを決め込むし。ジゼルが死んでからも、遺体に縋り付いたり、ヒラリオンに掴みかかったりするが従者に促されて意外とあっさり退場する。1幕の終わり、ジゼルと母だけが舞台に残るのは、喪失感が際立つ。 2幕はミルタのアネット・ブヴォリが細かなパドブレで滑るように登場し、一気に霊元の世界に引き込む。感情を露わにせず、冷酷というか、何を考えているのか分からない不気味さがある。サラは体重を感じさせない儚さで、無垢な魂。深い慈悲心でアルブレヒトを包み込むよう。平野アルブレヒトは何かを悟ったような自覚が感じられた。 ヒラリオンのヴァレンティノ・ズケッティは存外存在感が薄く、群舞もイマイチ揃ってない。音楽のテンポが速めなのも神秘性を損なった。

2026年7月12日日曜日

7月12日 英国ロイヤルバレエ団「ジゼル」

高田茜目当てでチケットを買ったので降板にがっかりしていたが、代役のフランチェスカ・ヘイワードがとても良かった。登場は、溌剌と、しかし素朴な村娘の風情で、ロイスのアプローチをかわすのも鬼ごっこを楽しむよう。狂乱の場面はいたいけ。ウィリーになってからは、少し大人びて、深い慈悲心でアルブレヒトを庇護するようだった。 アルブレヒトのセザール・コラレスは、支配階級ならではの傲岸さで、バチルドらに露見してからは知らぬふり。ジゼルの墓を訪れて死を悼むものの、ウィリーに襲われるとひたすら命乞い。踊りを命じられると、一部をジゼルが肩代わりしているように感じた。 ヒラリオンのアクリル瑠嘉は、粗野だけど、愛情深い男を好演。 ミルタのジュリア・ロスコーは前日のブヴォリに比べると俗っぽい。神経質そうな感じがした。