2019年12月27日金曜日

12月26日 十二月大歌舞伎 夜の部

「神霊矢口渡」

梅枝初役のお舟。一目惚れするところの純朴な可愛らしさ。太鼓を打つところは、激しさもあり、海老反りなど所作が美しい。すこし前に見た壱太郎と比べると、地に足のついた、現実感のある娘に見えた。

「本朝白雪姫」

玉三郎の白雪姫と、児太郎の母は逆にすべきと誰かが言っていたが、むしろこの配役が正解ど思う。娘の若さや美しさに嫉妬する年増の役を玉三郎がやったら、生々しくて笑えないし、現実離れした白雪姫の美しさは若手には表現しきれないと思う。
玉三郎の白雪姫は、おっとりとした、現実離れした美しさ。カマトトともいえる可憐さを、堂々と演じられる役者は他にはいないと思う。
児太郎は若さが失われる恐れや、娘への嫉妬をヒステリックに表現して笑いを誘う。継母ではなくて、実の母という設定だが、それほど活かされているようには思えなかった。単に継母のほうがスッキリする。梅枝の鏡の精はクールな様子。王子様のキスはなくて、みんなで毒リンゴを食べて吐き出したら白雪姫も生き返る。
7人の小人たちが子役で、子どもたちに囲まれた玉様が楽しそう。

2019年12月25日水曜日

12月25日 十二月大歌舞伎 昼の部

「たぬき」
大佛次郎作の新歌舞伎。急死して葬式まで出した男が、実は生きていて、新たな人生を生き直す。落語のような筋だが、あまり面白くない。
中車演じる金次郎は、家付きの妻と折り合いが悪く、妾(児太郎)と暮らそうとするものの、妾には愛人がいることが分かり、金だけ取って姿をくらます。だったら、もう関係のないところで生きてりゃいいものを、わざわざ馴染みのちゃやに繰り出したり、妾や本妻の住むあたりに繰り出したりと、何をしたいのやら。最後、子どもに正体を見破られ、家に帰る決心をするというのも、すんなり受け入れられるとも思えず。
児太郎は蓮っ葉な言葉遣いが福助を彷彿とさせるが、たまに男がみえてしまった。

「保名」
玉三郎の一人舞台。歌舞伎座のあの空間を一人で支配できるのはさすが。所作の一つ一つが美しく、着物の裾の捌きかたまで計算され尽くして美学を感じた。
清元の国栄太夫が美声。

「阿古屋」
児太郎の阿古屋は初々しさが残るというか、若い印象。三曲の演奏は拙いところもあり、懸命さが感じられた。

12月24日 新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」

序幕は尾上右近の口上から。腐海や王蟲といった基本ワードが説明されるが、ナウシカを知らない人にどこまで通じるのかとも思った。
暗転から花道に菊之助のナウシカが登場。テトとの出会いはユパを介さず、いきなり「怖くない」の名シーン。茶色がかったボブヘアにナチュラル風メイクなのだが、歌舞伎なのでそれなりにしっかり化粧してるし、少し若作りしているような違和感を感じる。菊之助はプログラムで、ナウシカのことを「おぼこい」と評していたので、ああいう拵えになるのだろうが、一見平凡で内奥に力を秘めている主人公というのは歌舞伎にはあまりなく、正直魅力を感じづらい。
一方の七之助のクシャナは、美貌といい、威厳といい、文句なし。セリフもキレが良く「小気味いい!」。クシャナの登場シーンでは煌びやかな音楽が流れ、格好良さを最後まで貫いた。
もう1人のはまり役はクロトワの片岡亀蔵。叩き上げのしたたかさを持ちつつ、憎めないキャラを体現。クシャナに間者であることを見破られ、「俺ぁ尻尾を出しちまうぜ」と弁天小僧のセリフになるところが見せ場。
ユパの松也は若すぎる感もあったが、まずまずの健闘。
昼の部で、メーヴェの宙乗り(暗転中にすでに空中にいて、花道上を前方から後方へ。ナウシカ菊之助は手を振る程度)や、本水の立ち回り(土鬼の王蟲生成施設)はあったものの、王蟲は基本書割りで、立体像もレリーフのような感じで、空中戦は基本、登場人物が遠くを見ながら口頭で説明するだけなので、いまいち迫力に欠ける。

夜の部は種之助演じる道化が狂言回し。歌舞伎の三枚目っぽく、観客の導き役として十分の働き。
四場が盛りだくさんで、勢揃いから始まり、人物相関図をおさらい。
クシャナの七之助がやはりはまり役。敵対する第三皇子が蟲に滅ぼされ、クロトワを膝枕しながらの子守唄が圧巻。
五場はナウシカの舞。菊之助は左手の怪我を感じさせず、笠や振り鼓を使って踊りきった。
ネットでも話題になっていたが、庭の主の芝のぶが素晴らしい。ヤマトタケルのような耳の横で髪を束ねる出で立ち、低めの声で、得体の知れぬ神秘的な存在を描出し、ナウシカの母に扮して惑わすところとの声の切りかえが凄い。そういえば、昼の部でナウシカ母の回想シーンを演じていたのも芝のぶだった。
巨神兵と墓の主の対決シーンは赤獅子、白獅子の石橋風。それぞれ手下を引き連れて、視覚的にも見せた。

2019年12月24日火曜日

12月23日 十二月大歌舞伎 昼の部

梅枝の阿古屋のみ鑑賞。
2度目とあって手馴れてきたのか、落ち着いたようす。細いアイラインなど、化粧がすこし冷たい印象。

2019年12月23日月曜日

1222 Zzsystem 「蒲田行進曲」

はじめはイジメみたいな言動に引いてしまったが、最後には持っていかれてしまった。情けなく、自虐的で、裏目裏目に行動する安は哀れだけど、本人は絶望してない。長橋遼也は絶妙に演じていた。
銀四郎は、メチャクチャなことを言うけれど、どこかに愛嬌がないと人はついてこない。今時、アニキが黒といったら白いものも黒、みたいな価値観は流行らないけれど、つかの描いた世界はそうだからなあ…。佐々木誠はハンサムだけど、単なる嫌な奴に留まってしまった感。だから、前半観ているのがきつかったのだと思う。
銀四郎のライバル橘役の萬谷真之は劇中劇坂本龍馬を演じている時はすごく格好よかったのに、カーテンコールでは案外小柄でびつくりした。

1222 東京バレエ団×京都市交響楽団「くるみ割り人形」

王道のくるみを期待したのだが、ある意味期待通りであり、ある意味期待はずれだった。色々突っ込みどころがあったのが期待はずれなところで、期待通りだったのはダンサーのテクニックの確かさ。
マーシャ(カッコ書きでクララとある)の川島麻実子は、細っそり楚々とした美人だが、少女らしくはない。くるみ割り人形・王子(柄本弾)のパドドゥは、テクニックは申し分ないのだが、くるみというより、ジゼルを見ているような気分だった。
マーシャの母親が女王陛下のように高貴だったり、役作りであれ?と思うところが散見され、少年たちを女性ダンサーが演じていたのも物足りない。
ドロッセルマイヤーがあちこちから出現したり、空っぽの箱の中から踊る人形を出したりと手品師のよう。黄色のタキシード?も不思議感を高める。
くるみ割人形は早々に王子の姿をあらわすのだが、ネズミの王様に倒されそうになってマーシャのスリッパに助けられる。人形のままなら、人形に変えられていて力が出なかったという言い訳がたつけど…。
人形の国では、ビビットなピンクを基調とした背景に対して花のワルツの衣装が青みがかったペールグレーで色彩がなく、幸福感に欠けたのが惜しい。
くるみらしさ、ファンタジーとか、メルヘン感という点では、貞松浜田バレエ団に軍配を上げたいと思った。
満足度が高かったのは、主役2人の踊り。特に柄本は回転の軸が安定していて、美しい跳躍。リフトで、川島の足の間に片手を入れて真上に掲げるのはええ!?と思ったけど、尾骶骨を支えているのかしら。

2019年12月22日日曜日

1221 地点「正面に気をつけろ」

ブレヒトの「ファッツァー」の翻案だそうで、写真で見た地点のファッツァーと似た演出のよう。
舞台上の照明には小さな日の丸が無数に飾ってあり、「耐え難きを耐え」とか、君が代とか、日本に置き換えている。役者たちは皆死んだ者で、ピストル自殺のように指をこめかみに突きつける仕草を繰り返す。客席との間に川のような溝があり、役者がこちらへ踏み出すと入店時のチャイムのような音が鳴る。だるまさんがころんだや、指名されたものが会話をつなぐゲームをしているようにセリフが展開。「支配する者、される者」や戦争の悲惨さを訴える反戦のメッセージ、津波や地震による被害など、地点にしては主張が明快に感じた。
ドラム、ギター、ベースの生演奏は迫力があり、ライブのよう。

2019年12月21日土曜日

1220 Z system 「広島に原爆を落とす日」

膨大なセリフが会場に充満するような、熱量の高い舞台だった。
うえだひろしのディープ山崎は期待とは違ったけれど、達者な役者らしくセリフに力があり、観客の耳に届く。夏枝への熱い想い、プライドと卑屈さが交錯する複雑な人物像を魅力的に造形した。夏枝役の笠松遥未は清廉な印象で、セリフが明瞭。ディープの熱と対象に、静かな語りが際立った。白い衣装がよく似合い、痩せ過ぎていないのもいい。
土人のくだりとか、男尊女卑的セリフとか、時代とはいえ、そのまま上演されると引っかかってしまう。

1221 貞松浜田バレエ団「くるみ割り人形 お菓子の国バージョン」

初のお菓子の国。お菓子の国でイチゴやオレンジ、ぶどうなどのフルーツが出てきたり、各国のダンスがチョコレート(スペイン)、コーヒー(アラビア)、お茶(中国)となっていたりと、カラフルでキュート。花のワルツは花の王と女王を中心に、色調の異なるピンクの衣装のダンサーたちのダンスが幸福感満載。
貞松バレエ団の見どころである雪のワルツはちょつと控えめながら、スピード感のある群舞で、多彩なフォーメーションが美しい。
クララの上山榛名はピュアな感じで役に無理がない。大技はあまりなかったようだけど、ミスのない端的な踊り。くるみ割り人形の水城卓哉はクララを高く掲げたまま舞台を横切ったりと、負荷の高そうなリフトを多くこなしていた。金平糖のグランパドドゥのソロでは、息切れしたのか回転でふらついたところもあったが、誠実な踊りで好感が持てた。

1220 トリコ・A「ここからは遠い国」

現代演劇レトロスペクティブで、岩崎正裕脚本、太陽族で1996年に初演した作品。地下鉄サリン事件の翌年だったら、もっと生々しかったのだろうが、30年以上経った今ではもはや遠い。
暗転して始まった舞台は、ボソボソと話すセリフが聞きとりづらく、集中力を要求される。中央に砂が盛られた、抽象的な装置で、後方の壁の向こう側が透けて見え、家族が料理をしたり、傘をさして出かけるのが見える。暗転が多用され、家族とのやりとりと並行して死んだはずの母親が出てきたり、仲間の男が現れたり、主人公の夢か、過去の現実か、混沌とした感じ。
公安の男の高杉征司が不気味な雰囲気。
大学で演劇をやっているという妹たちを通じて、シェイクスピアやチェーホフが引用される。演劇の力をうたっているのだが、演劇で世界は変えられないのではないかなあ。現実を打破したいといいながら、地道に働いたり、政治を志したりすることを馬鹿にする主人公に、演劇がどれほど作用できるのか。最後、妹に作ってもらったタスキをかけて、街頭演説に行くらしき主人公は、なにを語るのか。脳梗塞たか脳溢血だかで倒れて身体が不自由になり、頼みにしていたバイトに逃げられた父親が哀れだが、そうは描いておらず、どこか前向きなラストに救われたような気がした。

2019年12月19日木曜日

1219 inseparable「変半身」

ゲノム編集が当たり前になった未来の日本の辺境の島が舞台。島では希少なゲノムが採取され、密猟者を取り締まっている。生殖は免許制になっており、自由なセックスは違法になった世界。SFと終末思想が入り混じり、国造りの神話も絡まって混沌とした世界観。本土の会社から派遣された管理職、安蘭けいが鬼教官みたいであり、女王のようであり。大鶴美仁音が若々しく生命力に溢れた島の娘役を好演。

2019年12月16日月曜日

1215 金剛定期能

「大社」
十月に八百万の神が集まる出雲が舞台、ワキ(帝の廷臣)の福王知登が供を連れて参詣する。現れた前シテ(豊嶋弥左衛門)は翁の面をかけ、ツレの宮人は直面。ひとくさり舞ったのち、つくりものに籠る。
アイは千五郎。面をかけてもよく通る声。舞も堂々として立派。
後場は、天女、大神(後シテ)、龍神が次々と舞う。龍神は金色の箱を持って現れ、中から小さい龍神が出てくるのがかわいい。

「腰祈」
腰折かと思ったら、祈だった。
千五郎の伯父、忠三郎の山伏、茂の太郎冠者。
千五郎は腰が曲がった老人の歩みが滑稽で、橋掛りをでてくるところから笑いが起こる。「何じゃ!?」の言い方が千作を彷彿とさせる。

「雪」
静かな舞。少しクリームがかった装束に淡いグレーに見える浅葱の袴、雪の小面は時に微笑み、憂いを帯びて見える。雪の静けさを表現するため、足踏みも音をさせないというのに、後見の足が覚束なくて物音をさせていたのが残念。


2019年12月15日日曜日

1214 南船北馬「これからの町」

3年前に行方不明になった妻と暮らしていた部屋をそのままにしている男、妹の荷物を引き取って過去のけじめをつけたい義姉、ほかに彼女のいる男と死に場所を探す若い女、若い女に引き摺られ同居する彼女には家を出られた男、煮え切らない男を見限り再スタートしようとしている女、しょうもない弟に手を焼いている姉。直接関係はなくても、どこかつながっている6人の男女をめぐるやり取りがオムニバスのように連なる。
静かに語られるセリフは自然で、すぐそこにいそうな登場人物たち。だが、今ひとつ入り込めなかった。チャラ男の姉が関係する女たちに予言めいた言葉告げるのが不明だったり、訳知り顔の若い女が不快だったりしたからか。
義姉、史歩役の高橋映美子は憂いを帯びた声がよく、セリフに説得力がある。チャラ男を見限った絢奈役の桂ゆめは凛として美しい。

1214 逸青会

「橋弁慶」
素踊りで鷹之資の義経、菊之丞の弁慶。
菊之丞は槍を振り回しての立ち回り。力強いというより、華麗で流れるよう。弁慶にしては線が細いようにも感じた。
鷹之資は上手いのだが、華がないのは何故かしらと考えた。今どきのイケメンではないけれど、ちょっと痩せたのか顔立ちに精悍さが出てきた。小顔でなく、老け顔だから?

「鈍太郎」
逸平の鈍太郎、下京の女に島田洋海、上京の女の子に茂。体調悪く、途中でウトウトしてしまったのもあって、笑えなかった。島田のヤキモチ焼きの本妻を嫌味なく。

「影武者」
信長の影武者に逸平、光秀とお濃に菊之丞。討ち取った武田勝頼の首にビビったり、骸骨の酒器に悲鳴をあげるヘタレっぷりが笑いを誘う。舞の稽古でしっかり見せ、武将たちのあだ名や子供の名前、「~しろ」縛りの謎かけなど知的な遊びゴコロ。影武者の最終試験として、お濃と一晩過ごすニセ信長。殿に甘えるお濃に色気があり、キスシーンやほおを擦りよせたり。
最後は他所へ行っていたはずの信長が急に帰り、慌てる光秀…と思ったら、影武者の仕返しだったというオチ。



2019年12月14日土曜日

1213 燐光群「憲法くん」

1946年5月3日生まれの憲法(かずのり)くんが、リストラされそうになり、存在意義を確かめていく。同性婚や寡婦控除、死刑制度や自衛隊の海外派遣、沖縄の米軍基地、武器輸出といった時事問題を、憲法問題と絡めてショートドラマで次々と見せる。難民の拘留など、憲法問題?というものもあったが、概ね理解できる主張で、ライトに面白く描いたので楽しめた。
史上最悪の総理大臣とか、政権交代して桜を見る会が本来の姿に戻って存続したりと、現政権への批判たっぷり。
理念は最高水準だが、国民の腑に落ちていないので十分に活用されていないというのはまさにその通りで、基本的人権の尊重がうたわれているのに、まだまだ男女差別は根強いし、ちっとも男女平等じゃない。今の憲法は現実にそぐわないとしても、理想に現実を近づける努力をすべきなのだというメッセージを明確に訴えた。

2019年12月13日金曜日

1212 ジョーン・ジョナス 京都賞受賞記念 パフォーマンス 「Reanimation」

映像とジェイソン・モランのピアノ生演奏、パフォーマンスが融合。
紙衣のような張りのある衣装のジョナスは舞台を移動しながら、絵を描いたり、平台の上で何かを作る様子をプロジェクターを通して見せたり、民族楽器のような楽器を奏でたり。アドリブっぽい動きに見えるが、綿密に打ちあわせられているそう。即興のようなピアノ演奏が、最後ブツリと切れたように感じたが、それも計画内らしい。

12月12日 吉例顔見世興行 昼の部

「輝虎配膳」
秀太郎の越路は所作が美しくて品格があり、心情描写が丁寧。配膳係として出てきた輝虎に気づかぬふりでの嫌味、御膳をひっくり返す激しさ、花道の引っ込みで一瞬見せる申し訳なさげな表情…。ところで越路が、もらった着物を古着というところで笑いが起こるのってどういう訳で?
笑いは輝虎が怒って着物を次々脱ぐところでも。まあ、何でこんなに着込んでるの?というのはあるけど、愛之助は前回よりはスムーズに脱いでいたのに笑いから逃れられず気の毒。
直江妻唐衣の壱太郎が凛とした美しさ
隼人の直江はシュッとしてる。雀右衛門は勘助妻お勝。

「戻駕色相肩」
梅玉が浪花の次郎実は石川五右衛門、時蔵が吾妻の与四郎実は真柴久吉。劇中で梅丸改め莟玉の襲名披露口上。莟玉の禿が可憐。

「金閣寺」
壱太郎の雪姫がよかった。おっとりとした品の中に芯の強さがあり、人妻らしい落ち着きが感じられた。三姫とはいっても、他の姫とは違うわけで。義太夫に乗ったセリフが急ぎ過ぎず、耳に心地よかった。引き立てられる直信の芝翫と再会したところでは、アイコンタクトをたっぷりし、夫婦の信頼を見せた。
鴈治郎の松永は不足なく。扇雀の此下東吉は武者姿が桃太郎のよう。直信の芝翫はセリフが煩いかも。藤十郎が慶寿院で、短い出番ながら元気な姿。ただ、助けに来た東吉と座ったまま二階でやり取りするのみで、逃げるところは省略してた。

「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」
誰がやってもある程度は面白い出し物だと思っていたのだが、仁左衛門の由良之助は想像を超えていた。遊興に惚けたフリをしているところと、素に返るところの切り替えが丁寧だし、お軽とのやり取りも心理描写が克明。
お軽の孝太郎は、二階の場面のセリフが玉三郎を彷彿とさせ、遊女らしいぼんじゃりとした色気があった。平右衛門とのやり取りはいつものこうたろうだったけど。
残念なのは芝翫の平右衛門。ガチャガチャとがなりたてるように喋るので、セリフがちっともアタマに入ってこない。
千之助の力弥はまだまだかな。身のこなしが武士らしくないというか、腰が座ってない感じがした。染五郎の力弥の方が良かったかも。
進之介が赤垣源蔵で久しぶりに姿を見た気がする。

2019年12月12日木曜日

1211 お寿司 ボロレスコ「菠薐心中(ハローしんじゅう)」

曽根崎心中がモチーフというので興味を持ったのだが、脈絡なく重なる会話や関係性の不明な登場人物に困惑して、作品の意図か全く分からなかった。徳島という社員が、社外の(パンフによると親会社の人)大阪の機嫌を損ねた責任を取らされて首になるのだが、何が原因かは最後まで明かされない。徳島は何も喋らず、動きもぎこちなく、後半は黒衣に操られ、作り物の手や足がぎこちない。人形振りのようなうごきや、上手に座った役者が代わりにセリフをかたるなど、文楽をモチーフにしたのは分かったけれど、不条理劇のようで、訳が分からんかった。

アフタートークで山口茜が聞き出したところによると、「曽根崎心中」の徳兵衛が、人がいい故に不幸を重ねて転落していく様を描いたとか。動ける役者やダンサーを無駄遣いしたのは、スキルのある人だけではない演劇にしたかったということだったが。

2019年12月10日火曜日

1209 ミュージカル「ファントム」

クリスティーナは愛希れいか。歌が鍵となる役だが、高音域の発声が宝塚時代より格段に安定していて、聞き入った。登場シーンでは、地声と裏声の切り替えが雑に感じられるところもあったが、レッスンを受けて成長した歌唱との違いを演じ分けていたのだとしたら大したものだ。
エリックの城田優は役の造形に共感できなかった。幼稚というか、適応障害のようで、癇癪を起こすところなど図体の大きい子供が駄々をこねているよう。エリックは世間から隔離されて純粋であっても、歌の指導ができるくらいにはものを知っていて、知性的なはず。クリスティーナへのレッスンでは、片や「バババ~♩」、片や「マママ~♩」と謳っていて、どちらが正解なのか。

2019年12月9日月曜日

12月9日 文楽鑑賞教室 Bプロ

「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」

希のお七に咲寿のお杉、亘の武兵衛、碩の弥作・太左衛門、三味線は団吾、清丈、寛太郎、錦吾、清允。
若手会のようなガチャガチャした印象。希は音程が不安定だし、咲寿は棒読み。三味線も、団吾は一人でロックしてるし、不揃い。
人形は紋秀のお七、勘次郎のお杉、玉彦の武兵衛、玉路の弥作、玉延の太左衛門。紋秀の女形は珍しいが、セリフに合わせて動きすぎでは。他はまるで若手会。最後にお杉らが出てくるのが、ミニ公演と違うところだが、いきなり出られても誰ですか?って感じ。

解説は靖、友之助、玉翔。
靖はお七の「ヤアあの鐘は早や九つ」で娘、婆、武将の語り分け。まばらな拍手に「簡単にできそうに思うかもしれないが、声の高さ、話す速度など決まりがある」と。友之助はいつもの、待ち合わせに駆け寄る男を、イケメン、大男で弾き分け。「プロレスラーや相撲取り、ラグビーワールドカップ選手のような」と例えて、「ワンチーム」と一言。やや受け。忠臣蔵裏門では、太夫、三味線が一緒になって、地の文の勘平の爺バージョン、お軽のセリフの婆バージョンではかしゅをもらっていた。玉翔はやや早口で、ちゃっちゃと済まそうとしてないか?

「平家女護島」
藤・清介。冒頭の謡がかりは少々軽いように思ったが、声はよく出ているし…と思っていたら、千鳥でズッコケた。なんというか、ニューハーフが無理に可愛くしようとしてるみたいで、気持ち悪い。瀬尾の恫喝もちょっと唐突に感じた。
人形は勘十郎の千鳥に期待してたのだが、なんというか、チャキチャキの町娘みたいに垢抜けてて、田舎娘の純朴さが感じられなかった。短い公演で集中力が残ってたので、俊寛の玉男が玉輝に蹴りを入れるところもしっかり見た。

1208 宝生会 月並能

「頼政」

辰巳満次郎のシテ、ワキは殿田謙吉、間は内藤連。
武将らしい格式、重みが感じられ、見応えのある舞台。鬘桶に腰掛けての動きも武張った感じで、立ち上がっての舞から自刃する最期まで武士が立ち現れた。
大倉源次郎の小鼓の所作の美しさ。大鼓とシンメトリーのように動作がそろう。冴えた音色に聞き入った。

2019年12月7日土曜日

1207 木ノ下歌舞伎「娘道成寺」

紅白幕を床面に敷いた舞台へ、上手奥からきたまりがゆっくりと歩みを進める。白いワンピースの上に緋色の薄衣をまとい、頭には頭巾。顔の見えないまましばらく頭を傾げたりしていたが、パッと頭巾を払うのが鮮やか。頭巾と思ったものは肩から背中に垂らすデザイン。真ん中分けの前髪で紅白の水引のような髪飾りでまとめた姿は、娘というより稚児のよう。無表情で踊るのは能面のようでも。
鞠つきの代わりにきた自身が鞠のように跳ねたり、静と動、緩急がはっきりしていて、眼が覚めるよう。赤い衣を脱ぎ捨て、下手から上手に駆け抜けるときに赤い布が帯状に舞台を横断したり、鐘入りのようにパッと幕の後ろに飛び込んだり。蛇の狡猾さ、邪念が怖いよう。

パンフレットの木ノ下の解説が親切。

2019年12月6日金曜日

1206 SENDAI座「十二人の怒れる男」

何度か見ている話なのに、緊張感が途切れることなく2時間引き込まれた。この戯曲を面白くするカギは、息子と容疑者を重ねてしまう3号(渡部ギュウ)と、人種差別発言を繰り返す10号(飯沼由和)で、2人は嫌な奴ぶりを存分な描出した。10号の「あいつらを放っておいたらやられる」というセリフは、トランプ支持者のようで、妙に現代性があった。

2019年12月5日木曜日

1205 いちびり一家+南河内万歳一座「デタラメカニズム」

没落したらしき洋館の中はダンポールがうず高く積まれ、引っ越し業者が荷物を運び出そうとしている。すでに屋敷を出たこの家の長女とその娘2人、長男とその息子2人が現れ、資産を巡って言い争いを始めたところへ、老婦人の最後を看取った家政婦が現れ、金庫の所有を主張する。開かない金庫を巡る思惑が入り乱れ、勝手な主張を繰り広げる登場人物達が、内藤らしいユーモアで描かれる。いちびり一家のミュージカル要素を取り入れ、歌や踊りが楽しい。長女役一家のまとう花柄のワンピースやフリル、金ラメが一昔前のハイソ感を醸し出す。正確に何と言ったかは忘れたが、「末っ子の長男はしょうもない」とは名言?家政婦役の和田亜弓が、歌良し、踊り良し。

2019年12月2日月曜日

12月2日 吉例顔見世興行 夜の部

「堀川波の鼓」
仁左衛門の希望した演目とのことだが、ピンとこなかった。あまりにも現代的すぎるのか、夫の留守中に不義を犯した妻という題材に共感できない。お種の時蔵は酔った勢いで不義を犯してしまう女の様子を上手く表していたが、何食わぬ顔で夫を迎えたり、夫に言いよる妹に逆上したりと、反省しているように見えないし、お腹の子をどうするつもりなの?妹のお藤(壱太郎)もお藤で、姉の命を救うために義兄に離縁を迫るのはいいとして、その前になぜ姉に話さない?
酒に酔った勢いでよろめく人妻に手を出してしまう、一見真面目そうな鼓の師匠というベタな役に梅玉が妙にはまってた。

「釣女」
隼人の主人に愛之助の太郎冠者。梅丸改め莟玉の美女が可憐。醜女の鴈治郎はメイクがちょっとやり過ぎに感じたが、太郎冠者を突いたり、戯れていろいろ仕掛けてたのが、息の合った様子で面白い。4人で舞うところで太郎冠者が「莟玉さんおめでとう」と襲名をお祝い。

「魚屋宗五郎」
芝翫の宗五郎はセリフが一本調子でしんどい。鴈治郎のお殿様が、前幕と打って変わって、大らかでいい。

2019年11月30日土曜日

1130 カムカムミニキーナ「両面睨み節」

日本の古代国家や相撲の由来が時空を行ったり来たりしながら展開する。近鉄アート館の三方囲みの舞台で真ん中に土俵らしきものがしつらえられ、トランプ大統領の大相撲観戦や救急救命のために土俵に上がった女性の是非など、時事ネタも織り交ぜつつ、歴史がごちゃまぜになるような感覚。八嶋智人と客演のラサール石井ががっぷり四つに組み合う。
子役の附田瑞姫がよかった。

1130 娘義太夫 豊澤住造一門の会

「由良湊千軒長者 山の段」を住年・住静。二人とも緊張した感じ。

「艶姿女舞衣」を住蝶・住輔。住蝶は風邪で声が本調子でなかったようだが、語る声はしっかり。お園のクドキが聴かせた。

2019年11月28日木曜日

11月28日 近松二題 鶴澤清治の会

「日本振袖始」
織、希、小住に清治、清介、藤蔵。
織はやっぱり朗々と歌い上げて浪曲みたい。三味線は清治のキレのいい演奏が際立つ。涼しい顔して弾いているけど、高度な技術が感じられる。清介、藤蔵とも、いつもの公演より緊張した面持ち。藤蔵は珍しく末席で必死な様子。

「女殺油地獄」
口上は病気休演の呂勢に代わって織。
冥土の近松門左衛門が現代に舞い戻った体で、暗がりから人形が登場。頭巾を被っているけれど多分玉佳。コミカルな動きに合わせた表情が見えるよう。女殺油地獄の制作話など語るのだが、茶屋で二人きりになって着物を脱がせるのは怪しいというのは賛同できず。諸説あるのにあたかも近松が言っているように自説を言わせるのはいかがなものか。

三味線組曲「殺しのテーマ」は清治を真ん中に清馗、清志郎。三連符の連続など、五線譜に書かれたように拍子に納まっているのが今風と思った。

豊島屋は前半が千歳・藤蔵の素浄瑠璃。なんだか急いでいるようで、忙しない。
後半は人形が入って、下手に呂勢の代役の津駒と清治、清馗、上手に靖・清志郎。
「不義になって貸して下され」はともかく、「そんなら油貸して下され」というところの間が詰まっていたように感じた。

途中休憩が10分と短く、9時前に終演したのは新幹線の最終を意識してか。せっかくの会なのだから、もっとゆったり聞きたかった。

1128 日本舞踊の可能性vol.2「信長―SAMURAI―」

第1部はそれぞれのソロ。「遊山」岩田守弘は和太鼓の生演奏とのコラボ。岩田の確かなテクニック。ピルエットの軸がぶれないので美しい。

蘭黄は「メフィスト・ワルツ」。踊り分けが見事。複雑なストーリーは完全には理解できなかったが、老若男女の違いははっきり。おどけたようなのは何かと思ったら、悪魔だった。

「レクイエム」は演技者ルジマトフを見た。天才モーツァルトへのサリエリの嫉妬、苦悩を克明にえ 描く。背景の映像の使い方も美しい。後半、上半身裸で鍛えられた肉体を見せたのは、必要かと思ったが。

「信長」
信長の半生を5場50分ほどで描く。信長役のルジマトフは花道からの登場シーンから王者の風格。蘭黄は斎藤道山と明智光秀。道山の老獪さ、光秀のプライド、危うさを舞で表現。秀吉の岩田が狂言回しのような役どころ。シンプルなセットで、ダンサーの表現力で場を形成するのが素晴らしい。最後は白い衣装のルジマトフが光りに包まれセリ上がる。昇天のイメージか。


2019年11月24日日曜日

1124 金剛定期能

「江口」
永謹のシテ、ツレは宇高竜成、山田伊純、ワキは村山弘。
三番目物の大曲で名曲というのだが、ピンとこなかった。2時間近くの上演時間のうち、前場は1時間弱と短め。間狂言(千三郎)を挟んで、後シテは2人の女を連れて橋掛りから船で登場。舞台に移ってからは、舞が長かったように思った。が、舞台をくるくると回るばかりの静かな舞なので、面白さが分かりにくい。

「千鳥」
忠三郎のシテ、山本善之の主人、山口耕道のり酒屋。千五郎家に慣れた目には、忠三郎は行儀がよく、ちょっと物足りない感じ。金を忘れたフリをして袖をパタパタするのがかわいかった。
隣にいた二人連れのご婦人が題名を「なんて読むの?」と言っていたのだが、ちどり以外の読み方って…?

「大蛇」
素戔嗚尊による八岐大蛇退治。
龍謹のシテ、ツレは宇高徳成、子方の南坊城碧子は宗家の孫だそう。ワキは江崎欽次朗ほか。
解説でも言っていたが、老夫婦は姫の親としては歳を取りすぎ。8人目の末娘とはいえ、どう見ても孫でしょ。
シテは始め、作り物の小屋の中で声を発するのだが、龍謹の声は明朗で聴きやすい。碧子は目鼻立ちがよくかわいいが、緊張したのか、終始不機嫌そうな顔が惜しい。
後場は大蛇と素戔嗚尊の立ち回り、赤毛に赤面の面をかけ、龍のような冠。勇壮な舞で、眼が覚めるよう。


2019年11月23日土曜日

1123 松山バレエ団「くるみ割り人形」

色々な意味で今まで見たことのないくるみだった。
プログラムには細かい文字でびっしりと記されたストーリーによると、クララは特別な少女で、世界を救う使命を持っているらしい…。くるみ割り人形は神様だし、物語を膨らませすぎで、お腹いっぱいな感じ。
クララ役の森下洋子は、70歳超という年齢を考えたら驚異的だが、いろいろシンドイ。あの歳でポワントで立ってるとか、タイツの脚を晒してるとか、全幕の主役を張るとか、前人未到の域に達しているのは確か。だが、アンドウォールが甘いのか5番で立つべきところが6番になっている感じで、緊張感に欠けるし、駆け寄ったり、ジャンプしたりという動きが重い。パートナーの支えがあってようやく成り立ってるのがありあり。少し上を見上げて、にっこりと微笑みを絶やさないのは可憐だが、もはや老嬢の域にあることは隠しきれない。
森下に遠慮してか、他のダンサーも6番になっているようで、インパッセで踊るバレエダンサーって初めて見たよ。
出演者がやたら多いのにも驚いた。舞台のアラを隠すため?と疑ってしまう。芸術を観るというより、森山洋子のお姿を見られれば満足みたいな、信奉者がたくさんいるのだろうなあ。

2019年11月20日水曜日

1120 宝塚星組「ロックオペラ モーツアルト」

礼真琴のトップ就任プレお披露目。フレンチロックのポップな歌と踊りも礼は難なくこなしたが、物語の深みが足りないのは脚本のせいか。モーツアルトが天真爛漫なのはいいとして、父との確執や破滅に向かう様が描き足りない。サリエリ(凪七瑠海)との対立も「同じ音楽を志す者同士」とか言って、がっちり握手して和解しちゃうのも、なんだかなあ。コンスタンツェ役の舞空瞳はかわいいし、歌も上手いが、研3だけあって、型どおりにとどまっている感じ。これからに期待したい。
振りはジャズっぽいところはいいのだが、R&Bっぽいリズムがどうにもダサい。ロックとか、現代ポップ音楽はどうも相性が悪いよう。フィナーレでモーツアルトメドレーは宝塚らしい曲調で、踊りもらしくてよかった。ジュースマイヤ役の極美慎がさわやかで目を惹いた。

2019年11月16日土曜日

1116 清流劇場「野がも」

悲喜劇ということだが、喜劇性があまり感じられなかったのは演出のせいか、役者のせいか。嘘を受け入れてそれなりの幸せを享受していたエクダル家。正義を振りかざすグレーゲルス(高口真吾)が真実を告げたことで、娘、ヘドヴィク(服部桃子)の死という悲劇に至る。グレーゲルスの高口、ヤルマールの孫高宏ともに、真面目さがあるのだが、それが面白みを生むところには至っていない。グレーゲルスの父、ヴェルレ役が倉増哲州と実年齢とかけ離れていたのもきつかった。老エクダルの藤本英治はセリフが怪しいところもあったが、風情がいい。
舞台に木片が散乱していて、役者が足をとられていたのは演出なのだろうが、あまり効果を上げていなかったように感じた。

2019年11月12日火曜日

11月12日 11月文楽公演 第2部

「仮名手本忠臣蔵」
足かけ8か月の連続上演の締めくくり。

八段目「道行旅路の嫁入」
津駒の小浪に織の戸名瀬、ツレに南都、亘、碩。三味線は宗助、清志郎、寛太郎、錦吾、燕二郎。
登場時、怒ったような表情の織。津駒の小浪とでは、年齢が逆だよなあと思いつつ。義母と娘の道行きって盛り上がらないよなあ。
人形は和生の戸名瀬に一輔の小浪。

九段目「雪転しの段」は芳穂・勝平。酔っ払い由良助の柔らかみが足りないような。

「山科閑居の段」は前が千歳・富助、後が藤・藤蔵。
千歳は前回の東京・国立が良かったので期待したのだが、期待外れ。がなるような語りがどうにも…。
本蔵が登場するところでの床交代は通例だったろうか?ブツリと切られたようで違和感。後がオクリから始まるのも、なんか変に感じた。
後は藤はともかく、藤蔵が熱演。藤は自由に語っているのはよいのだが、義太夫らしくなくなっている気がする。

十段目「天川屋の段」は口が小住・寛太郎、奥が靖・錦糸。
小住の語りは時間を気にしているのかせわしない。世話の場面だから、重々しくなりすぎてはいけないのだろうが、間尺があっていない感じがした。
靖は義兵衛が良く似合う。
錦糸の復曲で102年ぶりの全編上演。妻や子どもとの逸話が盛り込まれ、物語に広がりがでて面白かったが、分割上演で体力に余裕があったから楽しめた。通し上演のラスト前に1時間も、本筋ではない話を聞かされたら、正直しんどいと思った。

十一段目「花水橋引揚より光明寺焼香の段」は睦の由良助、津国の平右衛門、咲寿の若狭之介、碩の力弥・諸士と配役表にはあるが、それぞれ複数役を語っていた。三味線は清丈。睦に安定感が出てきた。
通常はどちらかのところを続けて上演。両方やっても25分くらいだが、なくてもいいおまけのような場面ではある。

2019年11月10日日曜日

1110 KUNIO15「グリークス」

休憩込み10時間15分の長丁場!にもかかわらず、長いと感じさせないのはライトな作りだからか。一幕ごとに見せ方が変わり飽きさせないのと、随所に織り込まれた笑い、意表をつく演出がいい刺激になっているのだと思う。

登場人物も多くて、とても全てを語れないが、アガメムノン役の天宮良、プリアモス/老兵役の外山誠二、ヘカベ役の松永玲子らが重厚な演技で要所を固めた。若手では、エレクトラ役の土井志央梨が迫力のある演技。面白かったのはヘレナ役の武田暁、ポリュメストル/アイギストス/エジプト王役の箱田暁史、タルテュビオス/テュンダレオス役の森田真如ら。
若手のなかには、長セリフが辛い人もいたが、総じて面白く観た。



2019年11月9日土曜日

1109 野生能」火魔我蹉鬼、洲波羅、富久破裸」

森村泰昌による、三間四方の舞台、鏡板の代わりのスクリーンと、能の形式を取り入れた舞台。冒頭は、戦火に焼かれた街並みを美しいと感じた美術家や坂口安吾の随筆を引用。黒いジャンパーとスラックス、黒のキャップという出で立ちの森村と太田宏が黒のキャリーケースを引いて現れ、シンメトリーな動きで、ケースから譜面台や台本を取り出してセッティング。正座をして語るのは朗読劇のよう。釜ヶ崎についての思い出を語る森村に、あいりんセンターの霊が忘れられようとしている労働者の無念を語る。スクリーンには、閉鎖数日前のセンターの模様が淡々と写し出される。
二幕は京都。地元の小学生による歌、森村と太田が掛け合い漫才のような場面も。途中、森村が背広姿で町下路地蔵という政治家?に扮し、下町とはと一席ぶつ。三幕は海の映像。船に乗った森村がどこかへ上陸するところで幕。
野生「能」と銘打ってはいるが、能らしさはあまり感じられなかった。

2019年11月8日金曜日

1108 宝塚雪組「はばたけ黄金の翼よ」

1980年代の少女マンガが原作だけあって、キュンとするポイントがたっぷり。王家の娘ながら、父や家の都合で人生を決められることをよしとせず、自由を求めるところや、ぶっきらぼうで意地悪な男が実はヒロインを愛しているとか、一線を超えた男の友情とか。
望海風斗は皮肉っぽい笑みや、強引な振る舞いが、少女マンガのヒーローらしい。真彩は抜群の歌唱と繊細な演技で共感を誘うヒロイン像を描出。王の幼馴染で影のように付き従う朝美は男同士の愛憎がもっとあってもいいかも。
昭和感溢れる音楽や踊りは古くさいが、ベルばらほどではない。脚本の小柳奈津子の功績もあってか、再演に耐える作品だと思った。

後半のショーは「ミュージックレボリューション」
大劇場の半分くらいの人数であることを感じさせない、華やかなショー。歌が上手いトップだと、安心して楽しめる。


2019年11月7日木曜日

11月7日 永楽館歌舞伎

「道成寺再鐘供養」

当地にゆかりの仙石権兵衛の物語。だが、権兵衛役の愛之助より、清姫役の壱太郎の活躍が印象に残った。

発端と序幕は、安珍清姫、道成寺の鐘供養のくだりを意外にしっかりと。壱太郎の清姫、白拍子花子が見られて眼福。安珍役は宗之助。

二幕でようやく権兵衛が登場。山中の一軒家で暮らす老女(吉弥)と娘(吉太郎)に一夜の宿を求めたところ、実は老女は旅人を手にかけて金品を奪っていたと。安達原のような展開。出刃庖丁を持った吉弥が堂々たる鬼女ぶり。娘は権兵衛に一目惚れして、こっそり逃してしまったために殺されてしまうのだが、吉太郎が愛之助に恋する役をするとは。後から鬼女を退治しに出てくるくらいなら、権兵衛はもっと早く出てきて娘を助けてやれば…と思った。赤い、龍のような頭の巨大な蛇がとぐろを巻いたり、火花を吹いたりと暴れまわる。石見神楽のようだと思ったら、本当に石見神楽だった。

大詰めは再び道成寺。筋隈の愛之助と青隈の壱太郎が対峙する、荒事らしい一幕。清姫の霊の壱太郎は青い隈取が細く、迫力に欠けると思ったら、権兵衛の姿を見て恋心を訴える女の顔を見せたので納得。いわゆる鬼女の顔ではこの展開は無理だろう。が、「安珍様にそっくり」とか言うのなら、発端の安珍も愛之助が演じる方がよかったのでは。

「滑稽俄安宅新関」

安宅の関守、富樫左衛門が関所を通る人に一芸を求める趣向。どこかで聞いたことのある話だが、落語「東の旅」だったか。

富樫の愛之助はなぜか老人の扮装。のっけから、巡礼おつるの當吉郎が笑わせる。下ぶくれの顔は少女らしくなくもないが、いかんせん柄が大きい。すね毛も出てるし、と思ったら、化けの皮が剥がれて、弁天小僧ばりに正体を表す。壱太郎は通人と小桜姫。通人では「壱ネット但馬」と称して、キャリーバッグから豊岡グッズを取り出していつもの宣伝大使。小桜姫では「夜桜お七」に乗って、大衆演劇にも負けないノリノリの踊りを披露。吉弥の梅川、吉太郎の忠兵衛の道行はお得感。吉弥は道成寺での老婆から変貌ぶりが素晴らしく、本役でも観てみたい。吉太郎とは年の差カップルだけど、「親子」と突っ込むほどではなかった。吉太郎の男ぶりにも惚れ惚れ。一芸は、吉太郎が下駄タップで「お祭りマンボ」を踊り、吉弥はりんごちゃんばりの股割りポーズでカラオケを熱唱。折之助は米沢彦八役で、猫の茶碗を一席。上方落語家にこんな人いそうだが、喋りはもう一つだった。愛之助が、国税庁の黒崎の弟とかで、例のオネエキャラを再現したり、千次郎率いるオールフラックスがハカ?を披露したりと、時事ネタを取り混ぜつつ、笑わせた。千次郎が弁慶のポジションで、富樫と押し戻しを演じる場面があったり、歌舞伎のパロディ満載なのが面白いかった。


2019年11月5日火曜日

1105 地主薫バレエ「人魚姫」

正直、四季の(というかディズニーの)ミュージカルよりよほどいい。感動した。 色彩は似ているところもあるが、フライングを多用したり、逆立った鬘を使ったりしなくても、ダンサーの動きで海中の浮遊感が感じられた。衣装が素敵で、トビウオ(?)のひれがひらひらするのや、小さい子どもたちの黄色い魚の群れが鮮やか。ヒトデ役のコミカルな動き、亀やロブスターの泳ぐ様子など、それぞれが役割を果たしている感じ。 人魚姫役の奥村唯が可憐。オペラ歌手を起用し、美しい声を失うところを表現。1幕の終わり、宙づりになって上へ向かいながら、尾っぽがとれて足が現れる。ラストは、王子を刺そうとして果たせず、海に身を投げた人魚姫が、父王や姉たちに迎えられ、金粉が降り注ぐところで終わりかと思いきや、そのあと、ウィリーの群れに迎えられ、天国への階段に向かう。息を呑む美しさだった。人魚姫は悲劇のほうがいい。 海の魔女役の奥村康介が新境地で存在感を発揮。ドラァグクイーンのようなメイクで、シナを作ったり。女装すると唯とよく似ている。

11月5日 文楽公演

「心中天網島」 織太夫は元気すぎというか、口三味線はがさつな感じに聞こえる。 呂勢太夫病気休演のため、津駒が代役。清治の三味線はやや遠慮気味にも聞こえた。日を追っていくと変わりそう。 希→呂の子弟リレーは、すまん、寝てしまったよ。團七の三味線が、ふんふん唸っていて耳に障る。 咲太夫が回復し、力強い語り。切場語りの面目躍如。「小春さんは二階に寝てじゃ」で上を見上げるのは、どうなんだろう。下男?は面倒くさそうに答えているのではないのかと。 道行は三輪、睦、靖、小住、文字栄。睦が良かった。 人形は簑一郎から簑助に代わると小春が別人のよう。うなだれてじっと耐えているところ、なんとも言えない風情、哀れさがただよう。他の人だと何も考えていないように見えなくもないのに。

2019年11月4日月曜日

1104 全京都洋舞協議会60周年記念公演

「精霊たちの森」

メンデルスゾーンやモーツァルトの曲に乗せ、シフォン素材のパステルカラーの衣装が妖精らしい。石原完二のコンテっぽい振り付けは特に見るべきところがなく、少し退屈。
パック役の少年、石川瑛也の溌剌とした踊りに好感。

「コッペリア」より

古典がベースなので、振り付けはちゃんとしてるのだが、ダンサーのレベルに疑問符が残った。群舞が揃ってなかったり、回転でぐらついたり。

「カルミナブラーナ」

この日の目玉。藤川雅子が運命の女神で、最初はやや硬かったが、後半に向かうにつれ存在感を発揮。ほとんどはだかのような、体の線がでる衣装でも美しく、神秘的なムードが女神役に合っている。途中のコミカルな場面も、しれっとした表情でイタズラを仕掛けるのがいい。
酒場の場面で、ローストチキン?の役に吉田旭。

2019年11月3日日曜日

11月3日 吉例顔見世大歌舞伎 夜の部

「鬼一法眼三略巻」

梅丸改め莟玉の披露。
師匠で義父になる梅玉の知恵内、その弟の魁春の皆鶴姫という配役で、莟玉は虎蔵。瑞々しい若衆姿で、ひたむきな姿勢が好感度高し。皆鶴姫が虎蔵に恋心…というので年の差が気がかりだったが、魁春が若々しくてびっくり。
鴈治郎演じる湛海が登場したところで口上を挟む。梅玉、魁春、芝翫、鴈治郎という少人数だが、心温まるいい口上だった。

「連獅子」

幸四郎・染五郎親子の連獅子は去年の南座顔見世以来1年ぶり。染五郎は多少手馴れた感はあるが、その分がむしゃらさが薄れ、かといって技術的にはそれほど成長は感じられず。
争論が萬太郎と亀鶴という、アンバランスなコンビ。2人ともちゃんとしてるのだが、ならではの面白さはなかったかも。

「市松小僧の女」

時蔵が演じるお千代は男勝りの剣術の達人で、ひょんな事から出会った年下の巾着切り、又吉(鴈治郎)と恋に落ちて、所帯を持つ。女相撲のような、堂々とした時蔵の姿が珍しく、鴈治郎が紅顔の?美少年というのも面白い。カタギになったと思った又吉が、手グセを抑えられずスリをしてしまい、そんなことなら指を切ってしまえばと千代が出刃包丁を持ち出す覚悟を見た同心与五郎(芝翫)が見逃してやり、2人が涙ながらに抱き合って終わりというのは、少々後味が悪い。ちゃんと改心して、ハッピーエンドにしてほしかった。
秀太郎演じるお千代の乳母おかねが、庶民的な小母さんながら、皮肉の効いたチャーミングさがあった。

2019年11月2日土曜日

11月2日 11月歌舞伎公演「通し狂言 孤高勇士嬢景清-日向嶋-」

9月の文楽との連続企画。吉右衛門が景清で、日向嶋な前段にあたる東大寺の場面で頼朝と対峙する場面が加わって、前後関係が分かりやすいという触れ込みなのだが。平家の驕りが没落の理由とか、頼朝に諭されただけで、はいそうですかと引き下がるようなららそもそも復讐など企てないのでは…?とか、白旗を引き裂いたくらいで恨みが晴れるの?とか、逆に腑に落ちないのは私だけだろうか?
神崎揚屋は、強欲な女房と気弱な旦那の対比が面白く、糸里か16歳というのに驚いたが、雀右衛門は健気さがあった。
肝心の日向嶋は何故かウトウトしてしまった。盲目の景清と糸里のやり取りが動きが少なく、つい目を閉じてしまったのが敗因か…。初日だったので、吉右衛門のセリフか所々怪しかったのま痛かった。娘が百姓に嫁いだと聞いて怒ったり、実は女郎に身を売って金を工面したと聞いてころっと態度が変わったりというのも、いろいろ腑に落ちないところではある。

2019年10月31日木曜日

1031 空晴プロデュース「ボクのサンキュウ。」

サンキュウは産休にかけているだろうか。独身寮の男たちが育児体験ごっこをする中で、育児に向き合う気持ちが芽生えるという筋は、産休とは少しズレるような。
パンフレットで岡部本人も書いているように、ホンとしては未熟さを感じさせる。が、それ以上にキャストがどうかと。なだぎ武、小川菜摘がメインのゲストなようだが、作品に新しい魅力を付加するというところには至っていなかったように思う。小川はケバケバしいメイクと衣装で、ニューハーフではと疑われているという設定も無理があるというか。なだぎはオネエという設定らしいのだが、中途半端だし、そもそもオネエにする必要が感じられない。
突然死で子どもをなくした妻のため、人形を可愛がる夫を演じた國藤剛志、その人形を預かるもごっこに付き合うのに抵抗を感じる弟役の平田裕一郎はよかった。

1030 地点「ハムレットマシーン」

とても不快で、後半は早く終わらないかとばかり考えていた。不快感はおそらく狙ってのことなのだろうが、嫌なものは嫌だ。
方丈に赤いカーネーションが敷き詰められた舞台は目に鮮やか。中央には扉のような長方形の板が置かれ、奥の壁には聖母子を描いた絵画が飾られている。暗転ののち、花の上に横たわる5人の男女、1人は板の下に死体のように寝そべる。4人はそれぞれ壺、傘、トランペット、シンバルを抱えていて、自由に手が使えないため、起き上がろうともがいている。地点語らしい、不自然に文節を区切ったり、イヒッとかプハァとか不快な音節を織り交ぜたり、赤ん坊のような鳴き声をたてたりするのが不気味だ。なにより、シンバルの音が不快なこと。それも何度も繰り返すのでイライラが増す。トランペットでアメリカ国歌やフランス国歌を吹くのだが、途中でプハァと打ち切るのも鬱陶しい。
シェイクスピアのテキストからの引用がハムレットらしさを感じさせるが、全体としては不条理。絵画の後ろにいた男が、主人公なのか、カーネーションを髪にさしたり、客に向かって花をら投げるフリをしたりとキモ可愛さを演出?

2019年10月29日火曜日

10月29日 スーパー歌舞伎II「新版オグリ」

猿之助の小栗判官、隼人の上人、市川右近の金坊。
猿之助は上手いのだが、ヒーローの器ではないというか、私には何故だか魅力が感じられない。登場時、ものすごい美丈夫という感じのフリがあるのだが、そんなにハンサムかしら。背低いし、手足が短く、チンチクリンに見えてしまう。慎吾の照手姫は抜擢か。声がよく、健気に頑張っていたが、背が高いのと、表情が時折ゴツゴツして見えるのが惜しい。
玉太郎が最年少ながら一番の殺し屋で、不機嫌な不良少年のような風情。キャップを被り、ストリートファッションのような衣装もよく似合って、印象的だった。
一方、笑也や猿弥はスーパー歌舞伎らしい芝居だが、猿之助や玉太郎らと仲間というと少し違和感がある。母親や閻魔の妻役と少し距離感のある役だった笑三郎はそうでもなかったが。
鏡を使ったシンプルな舞台装置で、プロジェクションマッピングを駆使して場面転換する。やはり映像だと安っぽく見えてしまう。
ストリートダンスのような振り付けや、ロックっぽい音楽に演出の杉原邦生らしさが見えた。
本水の立ち回り、両サイドの宙乗り(でも、馬に乗って3階席へ飛んで行くだけ)、幕開きに桜吹雪、ラストではハートの紙吹雪と派手なサービスがてんこ盛り。

2019年10月27日日曜日

1027 京都観世能

「安宅」
勧進帳、瀧流の小書き付き。
緊迫感が薄く、気の抜けたような安宅だった。河村和重の弁慶は足が悪いのか立ち上がる時に手をつき、押し戻しでは止めきれずに1メートルくらい富樫側に移動していた。

「卒塔婆小町」
一度之次第の小書きがあり、小町が登場するところから(なぜ?)。
梅若実は体調が回復してきたようで、特注の太い杖でなく、細い、普通の小道具の杖。足元は覚束なげなのだが、それが老婆ゆえとも見え、老いた我が身を嘆く言葉にも実感がこもり、演技とリアルが渾然一体に感じられた。

「墨染」
七五三が休演で、千五郎の大名、逸平の太郎冠者、茂の女房。墨の涙、塗りたくりすぎ(笑)

「融」
十三段之舞の小書き。延々と舞が続いて、見応えあるが、一日之最後の曲としてはお腹いっぱい感が。

iPhoneから送信

2019年10月25日金曜日

1024 野田地図「Q」

クイーンのオペラ座の夜の楽曲を用い、ロミオとジュリエットに源平の争いを掛け合わせた独特の世界を構築。
若い瑯壬生(ロミオ)の志尊淳、愁里愛(ジュリエット)の広瀬すずというピュアなカップルの瑞々しさ、それからの瑯壬生・上川隆也と愁里愛・松たか子がいい感じで世俗にまみれているというか、経験値の違いがかんじられる。1幕と2幕が対になっている構成も面白かった。
広瀬は叫んだり、顔を歪めたりと、映像ではみたことないような演技で頑張っていたが、一人で長ゼリフを喋るような場面では辛かった。志尊は、愁里愛のいとこを殺めてしまうシーンが圧巻。フェミニンなイメージを裏切って猛々しく、また、ボヘミアンラプソディーの音楽の効果もあって、一番の見せ場だった。
戦いがおわっても、戦後にさらにひどい状況が襲いかかる。届かなかった白紙の手紙に託されたメッセージが切ない。
野田秀樹のウーバが、広瀬と同じ髪型なのがかかわいかった。・

2019年10月21日月曜日

1021 シスカンパニー「死と乙女」

行き詰まる三人芝居。独裁政権下で起こった拷問の被害者と、加害者が、革命後に再会してしまったら…。宮沢りえが拷問の悪夢に未だ苦しんでる妻役を熱演。復讐に燃える狂気に息を呑む。段田安則はしらばっくれている感がなく、本当に冤罪なのかと揺らぐ。堤真一は、理性的ではあるが、妻のいうことを信じ切っていない、薄情さのある夫を好演。

2019年10月19日土曜日

10月19日 芸術祭十月大歌舞伎 夜の部

「三人吉三巴白浪」
梅枝のお嬢に愛之助のお坊、松緑の和尚という顔ぶれ。愛之助のお坊と松緑の和尚は前にも見たことあると思い出した。その時はお嬢が菊之助だった。
梅枝お嬢と愛之助お坊は、目と目で語り合うところが多く、信頼し合う二人の関係が色濃く描かれる。梅枝は可憐な娘から男に戻るさまが鮮やか。意外に男の場面が多いのだが、何かしら色気がある。愛之助のお坊は爽やかな二枚目。和尚の松緑も頼れるアニキという感じ。
土左衛門の歌六は少しセリフが怪しいところもあったが、説得力のある人物像。おとせの尾上右近と十三郎の巳之助は運命に翻弄される若いカップルらしさがあった。

「二人静」
能仕立ての舞踊劇。舞台に児太郎の菜摘女が一指し舞った後、すっぽんから玉三郎の静が登場。相舞は息のあった様子で、シンクロの踊りが美しい。すっぽんから捌けた静は、舞台下手から再登場。能装束のような衣装で抑制された動きなので、少々地味にかんじる。
演奏は、長唄、常磐津、竹本に囃子方という豪華な布陣で(竹本は三味線のみ)さすが玉様と思った。

2019年10月18日金曜日

10月18日 御園座 吉例顔見世

「碁太平記白石噺」
雀右衛門の傾城宮城野と孝太郎の信夫の姉妹が好対照で面白い。奥州訛り丸出しの信夫の純朴な可愛らしさ。それでいて、宮城野と姉妹に見えるのが不思議。竹本は葵太夫。義太夫節に乗ってのクドキが見せ場だと思うのだが、やたら大向こうがかかるのがウザかった。

「身替座禅」
仁左衛門の右京のチャーミングなこと!玉の井をまんまと騙して、座禅の了解を取り付け「うふふふふ」とほくそ笑むところや、花子に会いに行く時の「いてくるぞよ」の浮かれた様子、浮気がバレたときのしまったという顔…。ほんわかと幸せになれる舞台だ。玉の井の鴈治郎は、嫉妬に地団駄ふむところが、怪獣じみてなんとも可愛い。太郎冠者は錦之助。千枝の吉太郎、小枝の千太郎の若者コンビが初々しく、可憐。吉太郎は声がよく、踊りも滑らかで、いい女方。千太郎は声変わりのせいかセリフが辛そうだった。

「瞼の母」
秀太郎のおはまが泣かせる。獅童の忠太郎との一対一のやりとりで、心情が変化していく様が繊細に描かれる。忠太郎を帰してから、娘お登勢(壱太郎)に本心を打ち明けるところが胸を打った。
序幕の半次郎一家も、国矢の半次郎、母おむらの吉弥、妹おぬいの千寿が好演。

2019年10月15日火曜日

1015 庭劇団ペニノ「蛸入道 忘却の儀」

中央に囲炉裏のある木製の寺が舞台・客席。般若心経をもじった経が唱えられ、太鼓や弦楽器、巨大な笛の音が加わってボルテージが上がっていく。観客も経典を手にしながら観劇するのだが、薄暗くて読めないのが不快だ。怪しい宗教の儀式に立ち会わされているようで、没入するより警戒感を抱いてしまう。音や匂い、振動など五感を刺激されるので、一緒にトランスできたら楽しいのか?タニノの狙いは観客を巻き込むことか。
タニノクロウが前説で、いい役者とはと考えた時に、赤ん坊や動物と演出家に目が行くと。片や何も知らない、片や舞台の全てを知る者だ。途中、囲炉裏に火が点かなくて役者がタニノに助けを求めるのは、アクシデントに見せかけた演出か。

2019年10月14日月曜日

1014 笑えない会

「離婚の沙汰」
「吃り」を改題。恐妻に追いかけられた男が逃げ込んで登場し、のっけからけたたましい。茂の恐妻はいつものわわしい女の5割増くらいの喧しさ。吃りで口下手なオトコが、謡だとすらすら話せるという設定なのだが、千五郎の吃りは控えめで、あまり不自由していなさそう。ここのメリハリがはっきりする方が面白いと思う。
謡と舞は堂々たる様子。仲裁役の網谷がちょっととぼけた感じで、いい味だしてた。

「浮かれの屑より」
よね吉が大汗かいて大熱演。紙屑屋の選り分け作業をすることになった男が、手紙や浄瑠璃本に触発されて芝居や踊りに興じる。所作板の上に直接座布団を置いていたのだが、途中座布団を舞台袖に放り投げ、膝立ちで踊る踊る。よね吉はがさつそうに見えて所作が手馴れていて流麗だった。

2019年10月13日日曜日

1013 エイチエムピー・シアターカンパニー「忠臣蔵」

浅野内匠頭切腹後から討ち入りまで。
朝廷、幕府、赤穂藩のそれぞれの思惑が交錯し、腹の探り合い、駆け引きがスリリングに展開する。
舞台に張ったゴムのように伸縮する紐はこれまでのなかで一番洗練されて見えた。縦横に、幅⒈5メートルくらいに連ねた白い帯が、時に扉や窓、時にスクリーンとして使われる。中納言や柳沢に嬲られるところでは、帯に絡められたようになり、討ち入りの場面では、照明の効果もあって、浪士らの影や隙間からみえる姿が緊迫感を高めた。
役者陣も男役が板につき、大石蔵之介役の高安美穂のどっしりした家老ぶり、吉良上野介=森田祐利栄の狡猾さ、吉田忠左衛門=大熊ねこの豪快さ、真っ直ぐさ、柳沢吉保=水谷有希の男前ぶりは相変わらず。
脚本では金にフォーカスしたのが興味深い。柳沢の小判の改鋳により貨幣価値が下がり、物価が高騰したことが、刃傷事件の遠因となり、中納言が赤穂藩取り潰しの噂を流して藩札の取り付け騒が起きたことが討ち入りへと追い込む。吉良を打ち取れば敵討ちになるのか。本当の敵は浅野どけに切腹を命じた幕府では?その裏には、将軍の母への叙位を巡る朝廷と仲介役を演じた吉良の存在が…と。力関係を簡潔に見せすぎた感もあるが、赤穂事件の因果関係を紐解く一つの解が示された。

2019年10月12日土曜日

1011 パリ・オペラ座バレエ

「AT THE HAWKS WELL」
鷹姫と同じ原作ということで興味を持ったが、杉本博司演出は合わないと再認識。
舞台装置は簡素で、中央に能舞台のような正方形の板づくりの床が置かれ、真後ろに橋掛りが伸びている。後方には半円状のスクリーン。後ろで踊るダンサーの影や、水平線から光が差すような映像を映す。音楽はテレビの砂嵐のような、チューニングの合わないラジオのようなノイズ。
ダンサーの衣装はジャングルの戦士のよう。主役級の男性はオムツのようなパンツに嵩のあるマントで、色はシルバーとシャンパンゴールド。マントを翻したり、影に隠れたりする。女性はメタリックな赤で、スリットの入ったレオタードに翼のような大きなものを肩にまとう。幾何学的な動き。アバンギャルドな、インスタレーションを見せられているよう。
ラストに能楽師が老人姿の現れ、一節の謡と舞。最後に杖をゴールドに投げ与えて終わり。能楽師の登場で場が一変し、格調高く、全ての辻褄が合わせられたよう。何より、能のスタイルを変えずにそこにあることの力強さを感じた。

「BLAKE WORKSI」
英語のポップ音楽に乗せての踊り。オペラ座のダンサーの身体能力の高さを見せつける一方、稽古着のような簡素な衣装では学生の発表会のよう。オペラ座の豪奢な空閑で見たいのはコレジャナイ感が残った。

2019年10月9日水曜日

1008 現代能「マリー・アントワネット」

梅若実による現代能」マリー・アントワネット」パリ公演。念願の舞台がはオペラ・コミックで実現した。客入りはよく、4階席まで客が入り、1階席は補助席が出るほど。

舞台装置はほとんどなく、黒いカーテン、床がむきだしのまま。デコラティブな装飾が施された劇場空閑をいかすねらいか。
フェルゼン役の福王和幸が現れたのち、後方のカーテンがひらいてマリーが現れる。両サイドにバラの蔓がまかれたポールが2本、門のように立ててあるのが唯一のセット。2人の薔薇の精に導かれて前方へ。冠に紅薔薇はなく、薔薇の精は白薔薇を冠っている。
マリーのセリフは最小限にカットされ、地謡が代わるところが多い。杖を手放せない様子で、扇と持ち替えての舞。舞は短く最小限。舞台後ろが照明でイロを変え、青きドナウの青から薔薇色に変化する。

間狂言は北翔海莉の一人舞台。薔薇で飾られた鈴を持ち、三番叟のように四方を踏む。琴や三味線の演奏と相まって、能とは別世界。途中、薔薇を加えてキメるところは、元男役の面目躍如。

後場は薔薇の精?の立ち回りののち、朱色の装束に白い頭巾を被ったマリーが登場。慣れない土地に輿入れし、孤独や寂しさから過ちを犯した?と地謡。最後は装束を脱ぎ、頭巾を外して、白装束、白髪姿になり、下手へ退場。足元が覚束ない様子で、長袴が足元に絡まりそう。足早に行くも、最後までハケきれず、袴の裾が舞台上に残っていた。

マリーに続いて囃子方が退場した後も、しばらくは拍手が起こらなかったのは、能のしきたりを理解しているからというより終わりか分からず戸惑っていたようだった。

現地の人に感想を聞いたら、ポエティック、マリーの悲しみに共感したなど。寡黙な人というのは、当人が発する声が少なかったからか。マリーについてはよく知らないという声も複数聞いた。現地の人に馴染みのある人ではないよう。

休憩ののち「土蜘蛛」。頼光と土蜘蛛の2人だけで、1幕同様、カーテンが開いての登場。あまり動かす、蜘蛛の糸は杖を持たない左手のみ。高さがなく、あまり遠くまで飛ばない感じ。土蜘蛛の代わりに頼光役の福王和幸が前後左右に動きながらの立ち回り。約20分ほどの短い舞台。

カーテンコールは藤間勘十郎が付き添って。舞台前方まで歩み、2人で蜘蛛の糸を飛ばすサービス。カーテンコールは2回ほどあったが、スタオベはなく、ブラボーの声も疎らだった。

2019年10月4日金曜日

1004 ピッコロ劇団「ブルーストッキングの女たち」

青鞜編集部の様子が活気ある華やかさ。当時としては相当お転婆な人たちなのだろうが、大正期の女性たちの言葉が美しい。だからこそ、おままごとのように見えなくもないのだが。
封建的なはずのあの時代に、自由恋愛を謳歌する様はワイドショーのよう。野枝と大杉が結ばれるところはなかなかの濡れ場で、背景の障子のようなセットが崩れるのは終わりの始まりを暗示してきるのか。
伊藤野枝役の田渕詩乃が、溌剌としたエネルギーを感じさせ、好演。松井須磨子役の森万紀は、1幕の劇中劇の場面は硬すぎるように感じたが、2幕の自殺前夜の様子は鬼気迫って胸をつかれた。大杉夫人、愛人、平塚らいてうら、女性陣が個性的なキャラクターをしっかり描写してた。男性陣はなぜか、共感できない人ばかりで疲れた。

1004 宝塚月組「I am from Austria」

ゲネプロを所見。エリザベート以来のウィーンミュージカルとあう触れ込みだが、エリザベートとは全く異なるポップな音楽とストーリー。キャッチーなメロディで耳に馴染むが、エリザベートほどの感動はないかも。
オーストリアの四つ星ホテルにハリウッド女優がお忍びで訪れるところから物語が始まる。ホテルの改革を志す御曹司と伝統を重んじる両親の確執、オーストリア出身の女優は捨てたはずの故郷のよさを再発見する。SNSで顧客情報が流出したり、ホテルの余り物をホームレスに振舞ったりと現代的な問題を取り入れているものの、前半は脈絡がなくバカバカしいほど中身のない話。何より、女優が御曹司に惹かれる過程が安易すぎに思った。情報漏洩のお詫びに差し入れたチョコトルテが懐かしい味だったから?それとも、御曹司らしからぬ気取らない人柄なのか?どちらにしても、警戒心の高いはずのセレブの心を動かすには弱いのでは。
後半は音楽の良さに救われてそこそこ見られた。
珠城りょうは人の良さそうな役柄が前作とダブる。娘役は華やかな容姿、ちょっとお転婆ないところがよく似合う。男役<娘役な役どころは大劇場お披露目だから?ラストのフィナーレでのデュエットダンスは、高いリフトでくるくる回って見応えあった。
トップ2人より好演が目立ったのは、母親役の海乃と父親役な鳳月杏。鳳月はひげが似合う。アルゼンチンのサッカー選手役の暁知星は、マッチョなスポーツマンという難しい役どころを怪演。低い声で重量感を出し、心なしか体つきもたくましく見えた。フィナーレではロケットの真ん中も務めて活躍。
踊りはなんかいいなと思ったら、三井聡の振付が大半で納得。

2019年10月3日木曜日

10月3日 第1回ことのは会

言葉を使う芸能の競演とのことで、今回は落語の桂吉坊、文楽の芳穂太夫・友之助、木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一が出演。

全員によるご挨拶ののち、吉坊の落語「ツメ人情」。失敗ばかりで破門されそうな若手人形遣いを、ツメ人形が助ける、異色の人情噺?

新作浄瑠璃「赤頭巾奉行剪刀」
赤い紋付に紅の裃、赤い座布団。友之助は三味線の駒も赤(どこで買ったのか?)
童話の赤頭巾を義太夫節で。突如時代がかった言葉遣いになったかと思えば、オペなと現代語がでたり、狼が悪人らしく笑ったり(大笑いにしては短め)、面白い作りだった。三味線は友之助が「凝りすぎた」と言っていたが、古典で聞いたフレーズがふんだんに盛り込まれて楽しかった。

休憩を挟んで、合作「梅川忠兵衛」。プログラムに「前 木ノ下裕一/奥 芳穂太夫 友之助/後 吉坊」とあり、木ノ下さん何するのかと思ったら、前説というか、レクチャー。梅川忠兵衛のタイトルは、「冥途の飛脚」「けいせい恋飛脚」のような、特定の作品を取り上げるのではなく、「梅川忠兵衛の世界」という意味だそう。近松の「冥途の飛脚」の前に、梅川と忠兵衛が出てくる話があるが、忠兵衛が梅川に騙されて金を運ぶ脇キャラだったとか。近松の冥途の飛脚とその改作のけいせいと恋飛脚、歌舞伎の「恋飛脚大和往来」へと続く流れ、違いなどを説明してくれ、頭の整理がついた。

奥は文楽「新口村」の後半、孫右衛門が登場するところから。共に初役だそうで力の入った熱演。もう少し柔らかみがあったらと思うところもあったが、聞き応えがあった。

吉坊は大正期に歌舞伎で作られたという後日談を落語化。忠兵衛は打ち首になったが、梅川は生き残り、再び廓勤めをしている。後を追わないのを薄情だと誹られる梅川を庇って八右衛門が身請けを申し出るが…という筋立て。吉坊は噂話に花を咲かす遊女たちの描写がうまく、途中、梅川忠兵衛の芝居を真似て幇間が踊るところも。芸達者ぶりを堪能した。



2019年10月2日水曜日

1002 青年団「走りながら眠れ」

大正期に生きたアナキスト、大杉栄とその妻、伊藤野枝の会話劇。大杉がフランスから帰国し、関東大震災後の混乱のさなか殺されるまでまでの数ヶ月を4シーンで描く。
大杉役の古谷隆太が、こういう男はモテるよなぁという魅力があり、野枝役の能島瑞穂は子供っぽいところがありつつ、大杉という癖のある男を受け止める包容力を感じさせ好演。
この後、二人が殺されると知っているから、セリフに込められた不穏な空気や刹那的な幸福の儚さを感じられたけど、予備知識なしで観たらどうだったろう。アフタートークで平田オリザ自身も言っていたが、不親切な芝居なのかも。

2019年10月1日火曜日

1001 人形劇団クラルテ「女殺油地獄」

1973年にクラルテが初めて手がけた近松作品を久しぶりに再演。人形は当時のものだそうで、左右非対称で歪んだ顔の与兵衛に凄みがある。
はっとしたのは、河内屋でおさわが与兵衛に折檻するところや、殺しの場面。1人遣いだけあって、動きにスピード感があって迫力があった。殺しの後、暗転して静寂になる演出もよかった。
油地獄を通して1時間45分ほどだっが、殺しの後の新町、北新地の場面はなくてもいいように思った。
役を演じてない人たちが、コロスのようにナレーションを担当。一人で語るのはいいのだが、複数で語ると声のトーンやタイミングにズレがあり、何を言っているのか聞きづらかった。歌になるとそうでもないのだが。以前、野村萬斎が現代劇の役者で声を揃えて語るのがうまくいかず、謡の手法を取り入れたらうまくいったと話していたが、そういうことなのかも。

アフタートークは文楽座の勘十郎と神宗のご隠居。勘十郎は与兵衛を遣うとき、借金を断られ、「借りますまい」と言って顔を背け、自分の持ってきた油樽が目に入った時に殺意を抱くのだそう。油で滑るところは、足遣いがエンジンで一番大変。左遣いはプレーキで、実は主遣いは一番楽なのだとか。おさわが40代と聞いて驚く。文楽の女形は、娘、老女形の次はいきなり婆で、間が抜けているのでそうなるのだとか。

2019年9月28日土曜日

9月28日 NHK古典芸能鑑賞会

箏曲「越天楽変奏曲」
牧瀬裕理子の独奏と箏の合奏、尺八、笙、フルートや太鼓などのアンサンブル。琴は十七絃を合わせると20人超いたのだが、その迫力が感じられず。

舞踊「四季三葉草」
花柳壽應の翁、孫の壽輔が三番叟、ツルが千歳。壽應は足取りがおぼつかなく、孫2人は未熟に見えた。壽輔は足踏み、鈴のリズムが心地よくなかった。

狂言「髭櫓」
山本東次郎のシテ、則孝の妻、凛太郎の告げ手。つい先日、茂山千五郎家のを見たばかりなので、同じ大蔵流でも随分と違うものだなぁと。東次郎家はセリフが総じて能っぽい。ワキのような感じで、フレーズの終わりが高くなる話し方で、形式的というか、やや単調に感じる。妻が仲間と共に反撃に出るところは、武器を携帯するだけでなく、陣羽織のような袖なしの上着を着用。髭を抜くところでは、仰向けに押さえつけて巨大な毛抜きで挑みかかる。髭を抜かれた夫は隠れるように下手から退散。

歌舞伎「義経千本桜 川連法眼館の場」
文楽座特別出演で、咲太夫・燕三に燕二郎のツレ。歌舞伎は菊之助の忠信、梅枝の静、時蔵の義経。
前半、本物の忠信と義経が引っ込むところまでは通常の歌舞伎と同じ。御簾内で竹本が語る。
館に御簾が下りると、上手から咲、燕三の乗った床が現れ、黒衣が口上。太夫、三味線に続いて、役者の名前も、しかも2回ずつ述べ、「文楽座特別出演」であることもしっかり言及。
咲の語りは、力強さに欠けたが、竹本との違いは明白。全て太夫が語るのかと思ったら、詞は役者が発していたようで、意外と役者の語るところが多かった。床は役者の間に合わせるのでなく、梅枝や時蔵のセリフおわりに被せるように語り出すところも。
忠信が自らの正体を告白するところは菊之助が語ったのだが、狐言葉が遠慮ぎみというか、咲に教わった通りにやっているのか、あまり声を尻上がりにしなかったり、語尾を早口にしていなかった。言い出しに「コッ」というような音を入れていたのは、狐の鳴き声なのか?咲も度々入れていたが、素浄瑠璃の時にはなかったような。
菊之助の狐忠信は、階段から出てくるところこそもたついたが、他はスピード感があり、軽々と動いて心地よい。鼓を慕う様子が愛らしかった。


0928 阿佐ヶ谷スパイダース「桜姫」

設定やストーリー展開はいろいろ違っているのだが、鶴屋南北の世界を余すことなく描いた。
時代設定を戦後間もない混乱期にし、混沌とした空気が漂う。清玄はかつて、少年白菊との心中をし損ね、戦後は罪滅ぼしのため、恵まれない子供たちの慈善事業に勤しみ、聖人と崇められている。桜姫は吉田という名で、孤児院?育ちだが、元は高貴な家の出だと。金持ちに見初められて結婚するところで、人を刺して逃げてきた権助に押入られ、一目惚れする。折り目正しい言葉遣いの藤間爽子が、無邪気で冷酷な桜姫を好演。三国に犯されそうになるところで、はじめは抵抗しているのに、いざ組み伏せられたら恍惚の表情。権助のときは、はじめから惹かれているようだったが。
舞台上の穴を利用して、ふっと姿を消したり、現れたり。血みどろになったり、醜い痣ができたりと、グロテスクな描写がおどろおどろしく、怪談のような不気味さ。
他の人には聞こえない音楽隊に導かれる桜姫。清玄、権助、白菊が入り混じり、錯綜するラスト。入江に銃殺されるのかと思いきや、全員で花火を見上げるラスト。
休憩挟んで2次会45分が短く感じた。

2019年9月27日金曜日

9月27日 京山幸太 実験的前衛的"超"新作浪曲的独演会

古典、新作、超新作と銘打った3本立て。ゲストは月亭太遊。
古典は任侠物「吉良の仁吉お菊の別れ」。可愛い顔に似合わず、意外と野太い声が任侠らしい。
続く「任侠ずラブ」は古典の原作と続けての上演でより面白く。「おっさんずラブ」で部長と牧が春田を取り合って喧嘩することシーンのパロディが面白かった。
超新作は「ギャルサー」。ピンクの紋付に着替え、目元にメイクも。ギャルが主人公なのだけど、描いている物語は義理人情。バックダンサーを従えてパラパラを踊り、終盤では客席降りのお楽しみも。

0926 iaku「あつい胸さわぎ」

大学生になったばかりの娘と、女手一つで育ててきた母の関係を軸に、初恋相手の幼馴染こうちゃん、母の同僚で姉のように慕うトコちゃん、母の会社の新任係長が織りなす、その辺にありそうな物語。年頃の主人公が母に反発する様子や、恋愛経験のなさに悩む様は、少し幼い気もするが、リアリティがある。乳がんの疑いが浮かび、はじめは母の方が狼狽するが、検査結果がはっきりしてからは娘のほうが落ち込むなど、女心をよく描いている。
こうちゃんがトコさんにアプローチをかけるくだり、一回り違うからと言いながらその日のうちに肉体関係をもつトウコはどうか。ああいう、自分が若くてイケメンと思ってる男子って私は嫌だけど。でもああいう男子っているよなぁと思う。

2019年9月24日火曜日

0923 茂山狂言会 秋〜四世茂山千作 生誕百年祭〜

21日に千作が亡くなったばかりで、公演後に通夜の予定。冒頭、千五郎が千作の死を伝え、湿っぽいのは故人も好まないので大いに笑ってという趣旨の挨拶。

鳳仁、蓮の小舞ののち、「水掛聟」は舅役や千作に代わって千五郎、宗彦の婿、井口の妻。威勢よく水を掛け合う様子が子供の喧嘩のよう。

「枕物狂」は七五三、竜正、虎真、慶和。老いらくの恋に惑う七五三が微笑ましい。お相手が孫の慶和で、嬉しそうに見えた。

「子盗人」は千之丞、茂、逸平。子どもをあやす千之丞がほのぼの。

「髭櫓」はあきら、千三郎、千五郎、宗彦、島田、鈴木、増田、網谷。大人数で賑やか。

2019年9月23日月曜日

9月22日 九月文楽公演 第2部

「娘景清八嶋日記」

花菱屋を織・清介。声はいいし、節づかいも明朗なのだが、サラサラと過ぎていく感じで、今ひとつ心に響かなかった。佐治太夫が格好良すぎで、首(又平)にそぐわないように思った。

日向嶋は千歳・富助。千歳が大熱演。特に後半の「親は子には迷わねど、子は親に迷うたな」のあたりは咆哮するよう。客席からすすり泣きが聞こえた。理屈を超えて揺さぶられる感じ。

糸滝は花菱屋の簑紫郎から日向嶋の簑助に変わると一変して可憐に。ただ、体を投げ出したところで、足が膝を立てたようになったのがいただけなかった。

「艶容女舞衣」

酒屋の段は中を靖・錦糸。声の調子はいい感じ。婆が良かった。
前は藤・清友。咳き込むところがやり過ぎでは?
奥の津駒・藤蔵は、内容は全く酷いのだが、音楽的な楽しさがあった。

お園のクドキは改めて見ると何言ってるの?というか、あんな酷い夫はさっさと別れるがよいと思ってしまう。音楽的には素晴らしかったが。人形も、清十郎が品良く遣って良かった。

道行霜夜の千日は睦の三勝、南都の半七とこれまた逆転配役が意外感。ツレに咲寿、碩、文字栄、三味線は勝平、清馗、友之助、清公、清允。

人形は玉助の半七に一輔の三勝。三勝の胸を突いてから自らの首を搔き切る半七。三勝生殺しでは?というのと、喉切った割に動いてる不思議。

9月22日 九月文楽公演 第1部

「心中天網島」

北新地河庄の段
中を三輪・清志郎。
口三味線が別の楽器のようだ。

奥は呂勢・清治。緊張感のある出だしに聞き入ったが、だんだん集中力が削がれたのは、この登場人物たちに全く共感できないからか。むしろ、突っ込みどころありすぎてムカつくからかも。なんでこんなにダメ人間ばかりかね。特に治兵衛。呂勢の太兵衛は三輪より意地悪さが増して目が覚めた。

勘十郎の治兵衛は、なんだかシナっぽい。兄に諭されて身の置き所がなくなったところなど、コメディのよう。情けなさを遺憾なく表現するためか。和生の小春は耐える女。

天満紙屋内の段
口は津国・団吾。掛け合いでない津国は久しぶり。丁稚三五郎が絶妙。

奥は呂・団七。出だしから空撥、音程のズレであれれ、と思った。慎重な語りはいつも通りだが、治兵衛には似合うのかも。

大和屋の段は咲・燕三。手練れの語りで、技術があるとはこういうことか。

道行名残の橋づくしは芳穂の小春、希の治兵衛な小住、亘、碩のツレ、三味線は宗介、清丈、寛太郎、錦吾、燕二郎。芳穂と希はニンでいったら逆ではと思ったが、頑張った。けど、やっぱり治兵衛のダメ男ぶりが酷い。


2019年9月21日土曜日

0920 バレエ・アム・ライン「白鳥の湖」

1幕は額縁を連ねたような背景。王子や友人らはシンプルなシャツとスラックス、ドレスのような普段着のような出で立ち。女王のみ、マキシ丈ドレスで威厳を感じさせる。友人らは色付きだが、王家の人たちはモノトーンで、彩度がガラリと変わるのが面白い。オディールのソロやスワンクバーの曲。王子の友だちも個性的で、ヘソ出しで足りない感じの大男と小柄の男はゲイカップル?
2幕は額縁が取り払われ、下手に岩のようなセット。オデットの継母とロットバルトが無音のなか登場。この後も、曲と曲の無音で踊るところが多いのが特徴的。白鳥たちと、継母の手下が絡み、囚われの身であることが明確に。4羽の白鳥は手下ども。悪巧みしてるよう。
オデットと王子のパドドゥの間も、上手に祖父、下手に継母がたたずみ、善と悪の綱引きを暗示。ダンサーは表情豊かで恋の歓喜が丁寧に描かれる。演劇的な一幕だが、踊りのテクニックを見せつけるようなところは少なく、やや物足りない。
3幕は聞きなれない曲も。オディールは別のダンサーで、衣装も振り付けも異なるのに、王子がなぜ騙されたのか不明。
4幕はチラシにも使われた白鳥の群舞。ストレッチ素材のドレスを広げて深くプリエするのはユニークだが、美的ではない。写真に使うなら、上に伸びたポーズの方が魅力的では?
全体的に、王子の等身大の若者の悩み?が丁寧に描かれ、オデットより王子が主役の印象。ダンサーのスキルは高いが、ソロでの見せ場は少なく、群舞のスピード感が心地よかった。振り付けはクラシックの基本がベースで、足首をフレックスにしたり、床を転がったりするところにコンテらしさが感じられた。様式美より、心情描写を重視するようで、ただ見つめ合うようなシーンが多かった。
客席はまばら。興味深い舞台だったが、舞台装置や衣装のシンプルさなどを考えると、SS席2万5000円はお高い。録音にして値段を下げたらとも思ったが、沈黙の多い演出上、生演奏は必須なのかなぁ。

2019年9月20日金曜日

9月19日 きたまり/KIKI KIKI KIKI新作ダンス公演「復活」

マーラーの交響曲を踊るプロジェクトの第4弾。公開リハーサルを所見。交響曲第2番ハ短調「復活」の約90分を3人の女性ダンサーが踊り切った。
はじめのソロは山田せつ子。もがくような、言い方悪いけど身体障害者のような身体の使い方。苦手だと思ったら、プロフィールに笠井叡に舞踏を師事したとあり納得。
きたまりが登場した2場目からは楽しめた。きたと斉藤綾子のデュオは交差する対角線上に2人が行きつ戻りつしながら、両手を掲げる。祈るような、何かを捧げるような神秘を感じさせる。3場のきたのソロは弾むようなキレのある動き。その後、きたと山田のデュオ、3人での踊りと続く。曲が盛り上がったところで、逆に淡々と歩いたかと思えば、斉藤が激しく回ったりと緩急のある振り付け。
舞台後ろのスクリーンに、マーブルアートのような映像が流れる。刻々と変わる色と形。録画かと思ったら、仙谷彬人のライブのパフォーマンスだった。

2019年9月18日水曜日

0917 桃園会「わたしは家族」

舞台中央に白いシーツのベッド。白いスクエアの枠が斜めに宙づりになっている。 時間と空間が交錯し、水中を揺蕩うような不思議な空間。

2019年9月16日月曜日

9月15日 九月花形歌舞伎

「東海道四谷怪談」
愛之助の民谷伊右衛門、七之助のお岩、中車の直助という、いずれも初役の顔合わせ。
愛之助の伊右衛門は低い声が良く、悪の格好良さを保ち色悪として十分の出来。2幕でお岩を嬲る残酷さ。仁左衛門の伊右衛門と比べると、凄みに欠けるが、予想を上回った。中車の直助とも息のあった様子で、花道で悪巧みをするところは悪友のよう。
七之助は1幕、2幕、3幕と違った顔。武家の娘らしいキリリとした美しさから、病み弱った様子。力ない話し方は亡き勘三郎を思わせる。薬を飲むところはくど過ぎず。「これが私の顔かいなぁ」は哀しみの中に恨みが透ける。3幕はもはや化け物と化し、ケケケッと不気味な笑い。早替りも鮮やかで、与茂七のスッキリとした二枚目ぶりがいい。小平は勘九郎に似てた。
中車は小悪党ぶりが板に付く。
宅悦の千次郎が大健闘。お岩と2人の長場面も堂々と渡り合った。
幕開きと3幕の途中、舞台転換時に亀蔵が舞台番役で解説。忠臣蔵の外伝であることや、省略した三角屋敷のあらすじ。2幕終わりに出てきた壱太郎がお袖でなく、小平女房であるとの説明がありありがたし。危うくお袖だと思ってたよ…。

0915 パルコ・プロデュース2019「人形の家 Part2」

「人形の家」の15年後。女流作家として成功したノラが家に帰り、夫や乳母、娘と対峙する。 ノラと乳母、ノラと夫、ノラと娘…と二人芝居が連続する構成で、役者の言葉の力が試される芝居だ。ノラの永作博美は成功した女の自信と、その地位を奪われそうな不安、危うさを感じさせる。夫トルヴァルの山崎一はちょっと情けない中年男を好演。 ノラの発言には共感できるところも、そうでないところもあるが、当時のノルウェーでは妻の側から離婚できないというのに驚いた。

2019年9月15日日曜日

9月14日 九月新派公演

「黒蜥蜴」
緑川夫人編とのことで、約1時間の短縮版。ホテルでの誘拐未遂から通天閣での引き渡しまで。喜多村緑郎が幕開きと中盤に講釈師に早変わりし、話を補う。
喜多村の明智小五郎ははまり役。スラリとした容姿が格好良く、雪之丞の黒蜥蜴とも好相性。2人でタンゴを踊るところなどは息をあわせてノリノリの様子。通天閣で追っ手から逃げるところは、生き別れた双子という2人が惹かれ合う様がドキドキさせる。
喜多村は長い槍?を振り回す立ち回りで、取り落すミスがあったが、照れ笑いが見られて得した気分だった。
河村有季のお嬢様が、可憐なだけでなく、ヒステリーを起こすわがままぶりも可愛いかった。

「家族はつらいよ」
山田洋次演出のホームランドラマ。役者がみな達者なので不足はないが、どこかで見たことあるような話。昭和感が強く、現代の観客には共感しにくいのでは。
水谷八重子が可愛らしいお婆ちゃん、波乃久里子が世知に長けた居酒屋のママ役で共に説得力のある演技。
長男役の喜多村が、打って変わったダメな亭主ぶり。芸域が広い。税理士の長女役の瀬戸摩純がいい味出してた。

2019年9月13日金曜日

0913 劇団太陽族「辻の詩、風邪を待つ」

戦後の広島で始められたという辻詩と、伊勢志摩のかつての売春が行われていた島を結び、物語を造形。
反戦をかかげ、活動する四国五郎と山際は同士の峠三吉を島で待つ。が、なぜか峠は現れず。峠を待ちきれず、四国が演説を打つのだが、現政権への批判が露骨。
借金をかかえ、春を売る女たちの悲哀。見受けを餌に共産主義者を追う刑事に利用される女は最後に刑事を海へ突き落として留意を下げたが、戦争で兄を亡くした若い女は逃げ切れず。世の不条理を描きたかったのだろうか。

0912 ヨーロッパ企画「ギョエー!旧校舎の77不思議」

使われなくなった旧校舎で起こる怪奇現象。舞台に仕掛けを施したり、ラジコンを使ったりといろいろ工夫しているが、77個となると無理があるものも。客演の祷キララが神秘性のある美少女だった。

2019年9月10日火曜日

0910 至高の華

藤間勘十郎オンステージだった。

「二人三番叟」
若柳吉蔵親子共演。息子は今どきの若者っぽいひょろりとした体躯。少し猫背気味に見える。吉蔵が上手く見えた。

「二人静」
勘十郎、井上安寿子に、梅若実玄祥の語り部、大槻裕一の謡。昨秋、玄祥の急病でできなかった親子共演を実現。大槻能楽堂より凝った照明。藤間流の派手な踊りと京舞の抑制された動きの対比が興味深い。後半、2人が同じ狩衣を纏うのだが、安子がよく似合った。

「双子隅田川」
勘十郎が惣太、梅丸が唐糸の夫婦役で、こってり芝居をするのだが、正直しんどかった。発声は良く、セリフは決して下手ではないのだが、役者としては華が欠けるのだと思う。踊りなら上手さで魅せられるけど。
勘十郎の息子、藤間雄大が梅若丸役で、幼いせいかセリフが怪しいが、所作が決まるのは血筋ゆえか。
後見とあった國矢が人買い役で登場。
天狗は誰だったのかと思ったら、尾上右近だったらしい。
純矢ちさとら元ジェンヌの踊りは華やか。
ラストは玄祥が天狗で現れ、三世代が揃った。

2019年9月8日日曜日

0908 龍門之会

仕舞は省略。

「魚説法」
七五三の俄坊主に逸平の都人?
魚づくしが普通の言葉のように聞こえた。不思議。

仕舞「実盛」
永謹の説得力のある謡と迫力の舞で、首を刎ねる様が見えるようだった。

「松風」
龍謹の松風は執着がドロドロせず、サラリとした印象。謡の声の良さに聞き入った。
形見の狩衣を纏うところは、着ていた衣を脱いでから、でなく、上に羽織らせてから引き抜くのだなあ。なんでだろ。

2019年9月7日土曜日

0907 柿食う客「御披楽喜」

恩師の13回忌に集まったかつてのゼミの同窓生13人。早口のセリフと身体を使った表現が怒涛のように押し寄せる、パワーのある舞台。めちゃくちゃやっているようで、13人のキャラクターがくっきり描かれているのが面白い。コミュニケーションに難のある塗り絵作家?の男が、いつのまにか花道から退場していて、何か驚く仕掛けがあるのかと思ったら、しれっと舞台に戻っていたのが少し期待はずれだった。
セットを組まず、永楽館の舞台うらの楽屋を剥き出しで見せつつ、照明を駆使して場面の変化を出していたのがユニーク。

0907 うさぎストライプ「ゴールデンバット」

昭和生まれの地下アイドル(?)の女が、池袋の路上で歌う老女と出会い、美空ひばりのような歌手を目指して上京した老女の過去を、自身のアイドル人生をオーバーラップさせながら紐解く。
喪服の似合う未亡人アイドルとして、昭和歌謡を歌うのが、地下アイドルのライブさながら。一人芝居で1時間あまりを引っ張った菊池佳南が達者だった。

0907 ホエイ「或るめぐらの話」

山田百次による一人芝居。メチルアルコールのせいで全盲になった男の独白で、壺阪を聞いて自分も崖から飛び降りようとしたところを、寺の僧侶に救われる。全編津軽弁なのだが、マイルドなのか意外と意味は理解できた。

0907 青年団「東京ノート・インターナショナルバージョン」

第0回豊岡演劇祭で所見。近未来の日本が舞台。戦禍にある欧州から著名な絵画が日本の美術館に避難し、名画が一堂に見られると様々な人が訪れる。日本人、韓国人、日本で暮らす台湾人、遺産で手に入った絵画を寄贈するために訪れたフィリピン人、タイからの留学生、美術館で働くアメリカ人とロシアから帰化した人…。7ヶ国語が入り混じり、ただでさえ混乱するところへ、音響のためか日本人役者のセリフが聞き取れず、英語字幕で意味を確認するというややこしいことをしたので、余計に混乱した。
登場人物の多くが当たり前のように複数の外国語を操るのに違和感があった(ご都合主義的?)が、近未来の予想なのだろうか。

0906 虚空旅団「ボイス トレーニング」

2年前の舞台の再演だが、煮詰まってないように感じた。それぞれに問題をか変えているらしい登場人物の誰一人として問題が解決していないようで、モヤモヤ。講師役の姉と母が本音で話して決定的に決裂してしまった、言ってはならないことって?とか、話し方講座の残り2回はどうなったの?とか。モリカケ問題を匂わせるセリフで「人が死んでるのにすぐ忘れる」とか、行き当たりばっかりの行政に対して「こんなだから文化政策があかんねん」と言わせたりとか、政治的なセリフも気になった。

2019年9月5日木曜日

0904 地点「だれか、来る」

アンダースローの地下劇場をぐるりと囲む客席の中にも役者が座る椅子があり、役者たちが入れ代わり立ち代わり現れる。断片に切り刻まれたセリフが四方八方から語り、時には会場の外からも声が響く。誰かが来るのか、分からないまま終演。

2019年9月4日水曜日

0903 空晴「明日の遠回り」

住宅地にあるような公園に隣接した喫茶店。客演の林英世は離婚して以来、しばらく訪れていなかった町へ久しぶりにやってきた妙齢の女。8歳年下の婚約者を弟に紹介するため、喫茶店でまちあわせているらしい。腐れ縁の元同僚(岡部尚子)と再会し、遠慮のない会話から、共に子どもがおらず、離婚の原因が子供を持つかで意見の相違があったらしいことが匂わされる。
公園で遊ぶ子供を殴ったりつねったりする輩が出没し、警察が警戒しているなか、犯人と間違えられる不審な男や、婚約者が詐欺師と間違われたり、最後は捕まった犯人が女だったと分かり、もしや…と思わせたりと、誤解や勘違いで笑わせるのはいつもの空晴。
夫婦間で子どもをもつか、あるいは、女として子を産むべきかというテーマは多分、作・演の岡部自信の関心事なのだろうが、少し踏み込み方が足りない気がした。おそらく、作者自身のなかで煮詰まっていないのでは。

2019年9月2日月曜日

9月1日 秀山祭九月大歌舞伎 夜の部

「寺子屋」
寺入りはなしで、手習いする子らが並ぶ幕開き。涎くりは鷹之資。若いから仕方ないが、もう少し面白みがほしい。丑之助の菅秀才は鷹揚な高貴さがあるが、セリフが不安なのかだんだん声が小さくなる。
幸四郎が源蔵。登場から重々しさがあり、深刻な様子。児太郎の戸波は若いながら健闘。吉右衛門の松王はやはり猫背気味に見え、作病の咳払いが重病人のよう。菊之助の千代は落ち着いた美しさ。源蔵との立回りでは、道具箱をらひっくり返して中身が落ちるのではなく、蓋で刀を受けて、改めて箱の中から経帷子、旗を取り出す手順だった。

「勧進帳」
仁左衛門の弁慶に幸四郎の冨樫。
仁左衛門は言うまでもなく、気持ちのこもった熱演。勧進帳読み上げ、山伏問答の緊迫感、酒席はおどけ過ぎないのもいい。最後の花道での飛び六方の前は、息を整えていた様子で、六方はやや短め?だが、気迫の伝わる一幕だった。
幸四郎の富樫は、仁左衛門に対峙して力の入った演技。孝太郎の義経、千之助が駿河次郎と三世代共演も嬉しい。千之助は片岡八郎の萬太郎と並んでも小柄ながら、凛々しさがあった。

「松浦の太鼓」
季節外れの忠臣蔵外伝は三世中村歌六追善。米吉のお縫が可憐。

2019年8月31日土曜日

0831 劇団風「ヘレン・ケラー」

バリアフリー演劇で、字幕、手話通訳、音声の実況がつく。手話通訳は舞台上を移動し、時に俳優と絡んだりと、芝居に一体化してる。音声の実況は少し煩く感じた。
サリバン役が少しオーバーアクションだが、熱意は伝わった。

8月29日 若手素浄瑠璃の会

「袖萩祭文」
小住と賛助出演の錦糸。
的確な運びの三味線に導かれ、小住が健闘した。袖萩のクドキなんかはまだまだのところもあるが、貞任、宗任は力強く、キレがいい。三味線に負けじと、緊迫した雰囲気。汗が大量に滴るのを拭かずにいるのではらはらした。

「すし屋の段」
希・清丈。
希は大きな破綻はなかったが、全体的に少し物足りない。高音が苦しそうだったのも気になった。三味線は決して下手ではないのだが、錦糸の後に聞くと分が悪い。

2019年8月29日木曜日

0828 第五回 研の會

「弁天娘女男白浪」
右近の弁天は声がよい。おそらく、菊五郎の教えを忠実に演じているのだろうということが感じられた。初日のためか、少しセリフが上滑りするよう。正体を現してからは、地声なのか甲高い声で、女に化けていた時との差が薄かったように思った。弁天はもっとやさぐれた感じというか、ヤンチャ感があっていいと思う。
彦三郎ので南郷は、真面目というか、悪者というより、本職の武士みたい。
日本駄右衛門は団蔵。お歳のせいかくたびれて見えた。浜松屋ではそれほどでもなかったが、勢揃いでは背が丸くなっていて、花道の出も力強さが感じられない。
赤星の梅丸は口跡よく、きっちりしてた。

「酔奴」
文楽座特別出演で、呂勢、藤蔵、清志郎が並ぶ。呂勢は出だしの声の通りが悪く、あれ?と思ったが、笑い上戸、怒り上戸、泣き上戸の語り分けは鮮やか。拍手が起きていたのは、右近だけの功績ではないはず。
右近は踊り上手だけあって、一人の舞台を飽きさせず。

2019年8月28日水曜日

0826 地点「三人姉妹」

舞台を横切る透明なパネルはまだら白く塗装がしてあり、裏側がよく見えない。
冒頭、パネルの向こうで組んず解れつしながら這い回る男女。一人二人とパネルの前に現れる。取っ組み合いのような肉体的格闘をしながら駆り出されるセリフは音節が不自然なところでブツ切れになる地点語。すんなりとは理解できず、頭の中で言葉を再構築させられる。突如パネルを叩きつけたり、「嗚呼っ」と叫んで顔を覆ってうずくまったり、唐突な行動が目まぐるしい。
大音量で流れるショスタコーヴィチの「セカンド・ワルツ」、ベルの音、銃声?が思考を途切れさせる。
原作を大胆に換骨奪胎する三浦基の手法。息をつかせぬ80分だった。


2019年8月26日月曜日

0825 京都観世会八月例会

「兼平」
片山信吾のシテ。ちょっと声が高め?で不思議な感じ。後シテは刀を振ったりの立回りが勇壮。
ワキは福王知登。しかつめらしい顔をしているのは、若く見えるのを隠すためか。
アイの小笠原弘晃はよく声が出ているが、音量が安定しないのが聞き辛い。

「蝸牛」
小笠原匡の山伏、弘晃の太郎冠者、山本豪一の主人。同じ大蔵流でも、茂山家を見慣れているとキッチリして見える。

「定家」
シテの梅若実が股関節症のため地謡に回り、片山九郎右衛門がシテ。これが良かった。前シテの里女は白地に花柄の装束で、若い華やぎがある。後シテは、老いやつれた姿のはずが、濃藤色の狩衣に薄黄緑の袴という装束が清々しく、舞も静かな中に生気が感じられ、瑞々しい印象。最後、葛に再び囚われるところは、執着のおどろおどろしさというより、諦念のようなあっさりした感じだった。
ワキは福王茂十郎。
地謡の実は正座ができないようで、まあまあ大きいクッションのようなものを使い、片膝をつく姿勢だったよう。立ち上がるときには手を借りていたし、間狂言の15分ほどの間に一旦退場して(1人だといろいろ不都合があるようで、地謡の後列に並んだ全員で)気がかりなことだ。

「善界」
大江広祐のシテ。後シテの天狗の姿は背が高いので見栄えがする。立回りもダイナミック。

8月24日 上方歌舞伎会

昼夜両方観たのだが、昼の部で感じた違和感を夜には修正してきたのが頼もしい。

「寿式三番叟」
メーンは三番叟の二人だと思うのだが、吉太郎と光が対照的というか、ヤンチャな弟と落ち着いた兄みたいな感じで面白い。吉太郎は昼の部では元気が溢れて動きがややがちゃがちゃしていて、あしぶみがうるさいくらいだったが、夜はハツラツとしつつも、やり過ぎ感は収まってた。
翁の松四郎はちょっと固かったが大役をはたし、千歳の愛治郎は(師匠と違って?)誠実な踊りに好感が持てる。附千歳の千太郎は凛とした美しさ。

「熊谷陣屋」
ついこの間、素浄瑠璃で聞いたこともあり、話の細かいところはまでよく理解できた。義太夫狂言の難しさで、おそらく教わった通りのセリフの言い回し、仕草なのだろうが、間が埋めきれないというか、中身が伴っていない感じは否めなかった。でも、夜は昼に比べたら段違いに良くなってたのでびっくり。
熊谷次郎直実の當史朗はやはり難役。はじめは千寿の相模と夫婦に見えなかったが、バランスが改善。花道で「十六年もひと昔」というところで、首に手をやるのが、いかにも段取りめいていたのが、夜にはだいぶん自然になっていた。目は涙で潤んでいたが、夜の部は花道横だったので、涙が一筋流れるところもちゃんと見ました。仁左衛門のような人物の大きさには届かないものの、無骨な哀愁があった。
相模の千寿は中では一番の安定感。夜には柔らかみを増して、母らしさが感じられた。
藤の方は折之助。高貴さが身についた。
よかったのが翫政の義経。口跡がよく、浪々と響くセリフに説得力があった。
松十郎は出番の少ない梶原平治。骨太な感じで印象を残した。弥陀六に殺されるのは花道を引っ込んでからうめき声のみ。

「堀川猿回し」
千次郎の与次郎ははじめ、ちょっと軽いというか、陽気すぎるように感じたのだが、夜には落ち着いていて、ほっとした。仕事から帰って、猿を檻に入れたり、脚半を解いたり、着物の埃を払ったりと、やる事が多いのに気を取られて、病気の母が喋るのを無視しているようだったのも、2回目にはちゃんと老母をいたわるのが感じられた。
母おぎんの當史弥は年に似合わない老け役を健闘。ただ、盲目の演技はもう少し。火鉢に刺した火箸をいきなりつかむのは目が見えない人には不自然では。もっと足先や手を伸ばして探る様子があるといい。
お俊のりき弥は可憐で、遊女らしい哀れさがある。情がもっとあるとなおいい。伝兵衛の佑次郎は白塗りの二枚目。
浄瑠璃は谷太夫と勝二郎。文楽との差を感じたことであった。

2019年8月18日日曜日

8月17日 文楽素浄瑠璃の会

「一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段」は呂・清介。
慎重な出だしはいつも通り。三味線にかき消されるように感じるところも。文章ごとにブツ切れで聞こえ、全体のつながりが感じられないのが難点か。「十六年もひとむかし」は勿体をつけるよう?

「義経千本桜 河連法眼館の段」
咲・燕三に燕二郎のツレ。咲は節遣いのうまさはさすがだが、口が回り切らない様子で狐詞など不明瞭。テクニックはあるのだが、楽器が劣化しているような。源九郎狐の告白は詞がよく入って分かりやすかった。

「ひらかな盛衰記 神崎揚屋の段」
千歳・富助に勝平のツレ。遊郭が舞台のたおやかな場面だと思うのだが、千歳の語りは硬いというか、ゴツゴツした印象。ニンではないのでは。富助に勝平のツレが入ると、スケールが大きいが、やはりこちらもはまり役ではないように感じた。順に聴いてきて、体力、気力の充実ぶりはぴか一。最後にやっと浄瑠璃らしい浄瑠璃を聞いた気分。

0816 第十七回 大文字送り火能 蝋燭能

「鵺」
金剛永謹のシテに福王和幸のワキ。間は茂山千五郎。
前シテの舟人は一人で頼政に退治されたときの様子を見せる。
白頭の小書がついており、後シテの鵺は白髪に白系の衣装。
橋掛りの欄干に足を掛けたり、柱に背を当てたりと、舞の見どころが多く面白い。幕の内の飛び入る最後も。

2019年8月16日金曜日

0815 サファリP「怪人二十面相」

黒い壁に赤い床の能舞台のような方丈の台、背景には黒枠に蜘蛛の巣のやうに赤い紐を絡めたようなパネル。役者の衣装は女優の赤いドレスに男優は紺?を基調にしており、スタイリッシュ。
二十面相の取り調べの場面から始まり、犯行の現場や作家と編集者のやり取りなどが入り乱れ、役柄も次々に入れ替わるスリリングな展開。途中、床に開けた穴から射し込む光を使った演出が面白かった。
ダンスシーンでは、奥さん(ゴーストライター)と刑事(明智?)のデュエットが官能的。
暗闇を効果的に使い、ラストの壁に張りつく盗賊の姿が印象に残った。
濃密な約1時間。

2019年8月15日木曜日

8月14日 八月南座超歌舞伎

「超歌舞伎のみかた」は國矢と蝶紫。観客の小学生を舞台に上げて、分身の術を体験させてあげるのはいい趣向。人の動きをキャラクターに変換する技術では、腕が変な方へ向いてしまって、図らずもテクノロジーの限界を見た。

「當世流歌舞伎踊」
お国山三の舞踊。初音ミクの踊りは藤間宗家がモーションキャプチャーで振り写ししただけあって、滑らかで優美。ミク1人の時は客電が暗くなってはっきり見えるのだが、人の役者と一緒になると周囲が明るくなって姿がぼんやりするのが難点。

「今昔饗宴千本桜」
初音ミクが大正100年の世界から前世?に遡って美玖姫となり、狐忠信(獅童)とともに、千本桜を枯らした青龍(國矢)と戦う。映像の青龍がメタリックなのは何故だろう?必ずしもミクとの絡みでもないのに、映像パーツか多く、國矢は声だけの場面も。サイリウムの色を変えてそれぞれのキャラを応援させたり、桜を咲かせるなどら観客参加型なのは好きな人にはいいのかも。3500円のライトは安くはないが、おねだりして買ってもらった子どもも散見したので、セールス面でも成功してた。
音程が不安定なミクのセリフはやはり違和感。感情が込められないので芝居には限界があるように思う。セリフのやり取りは、獅童との場面ではミクが話し出す前の間が長すぎるように思ったが、國矢との場面はそうでもなかったので、役者次第なのだろう。ミクの間は決まっているのだから、それにどれだけ合わせられるかではないか。クライマックスではライブ会場のように観客をあおる獅童。ちょっと疲れが見えたようだったが…。
ミクを映すため仕方ないのだが、宙乗りが凧に乗ったよう。ラスト、倒されたはずの青龍がフツーに出てきたのもなんか違和感があった。

2019年8月13日火曜日

0810 MONO「涙目コント」

マンションらしきビルの屋上を舞台にしたショートコント。屋上=飛び降り自殺というのはちょっとどうかとも思ったが、総じて良質な笑いになっていた。
特殊部隊の話「フルーツバスケット」は土田英生作。特殊部隊のリーダーがドリアンて。みかんとか高砂とかポンカンとか、絶妙なネーミングセンスだ。クスクス笑いが止まらない。他の話でもだが、立川茜がクールな雰囲気でいい味出してる。
「久保の挑戦」はオイスターズの平塚直隆。無謀なチャレンジに近所の人を巻き込む失業中の男を奥村泰彦が情けなく好演。
「見えない恋」は石丸奈菜美と声の出演という異色作。ガーリッシュなお話は意外にも土田作。
「さらば鎌玉」はiakuの横山拓也。
二子玉のイメージなのかな。花火の見えるマンションの屋上。別れを決めた女(高橋明日香)と、未練いっぱいの男(渡辺啓太)のやり取りがありそうでリアル。
「坂本」は土田。坂本という名前に妙な執着をみせる女(立川)と、意味不明に名前を貶される男(奥村)のちぐはぐなやり取り。土田らしいおかしさ。
「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」はイキウメの前川知大らしいSFタッチ。

2019年8月8日木曜日

8月7日 霜乃会

南龍の講談がつなぎになって、結婚式の披露宴の出し物としてそれぞれの芸を披露するという構成。冒頭と最後は茶の湯で。
南龍は「当時すでに落ち目だった講談を捨て」とか、「温かいお茶をのんでホッとした」とオヤジでも言わないようなギャグを観客が気づくまで繰り返すとか、あまり笑いのセンスが良くないと思う。
浪曲の京山幸太は「清水次郎長」から。荒神山への討ち入り前夜、次郎長親分が仁吉(?)に「二人生きて戻れたら一緒になってくれ」と告白し、仁吉の子分が「ちょっとまった」と割り込んで、男同士の三角関係が…と意外な展開にびっくり。そういうキャラなのか?
日本舞踊の山村若隼紀は「黒髪」。普通にしっとりと。
落語の紋四郎は「鷺とり」。披露宴にふさわしくないオチにするためか、4人が頭をぶつけて死んでしまうというオチはどうか。
文楽の碩太夫、燕二郎は忠臣蔵の大序から。碩は若手らしからぬ堂々とした語り振り。燕二郎はちょっと硬くなっているようにも見えたが(師匠が客席にいたから?)しっかりしていた。若手2人ができる演目は限られているとはいえ、大序は華がない。
最後は能楽師による「高砂」で強引にまとめたという感じ。
新感覚エンターテインメントと打ち出しているが、様々な芸能が入れ代わり立ち代わりというのは今までにもよくあること。制約はあるだろうけれど、せっかくならばもう一歩踏み込んだものを見てみたい。

2019年8月6日火曜日

8月6日 蝠聚会

「御所桜堀川夜討 弁慶上使の段」
清介の浄瑠璃に清公の三味線。清公は緊張していたのか出だしは硬かったが、中盤以降、叩きバチで弾きまくるところは力強く。清介は45分の予定を10分近くオーバーする熱演。

「菅原伝授手習鑑」
寺入りを勝平・清允。語りは意外に抑え気味?ついこの間、鑑賞教室で聞いたばかりなので、本職の太夫との違いを比べてしまう。素人義太夫としては上々の語りだけど、やはりプロはすごいのだと実感。
寺子屋は藤蔵・清志郎→清丈・清馗。藤蔵の語りは、落ち着いて堂に入っている。畳みかけるように語るところは、講談のようでも。清丈は情のこもった語りで、千代の嘆きなどは拍手がないのが不思議なくらい。

「鬼一法眼三略巻 五条橋の段}
宗助、寛太郎の語りに燕三、友之助、清允の三味線。宗助の語りは今日のなかで一番義太夫節らしい。寛太郎も堂々として、力強い声。燕三の三味線はさすがの安定感。友之助はちょっと力が入りすぎていたように聞こえた。

最後の挨拶で、清介が、寛太郎が宗助の預かりになったと紹介。演目、演者を決めたらたまたまこうなったらしいが、計らずも新師弟のお披露目のような恰好に。去年寛治が亡くなったことに言及され、寛太郎の目が潤んでいたように見えた。

8月2日 あべの歌舞伎 晴の会「肥後駒下駄」

テンポよく、派手な立ち回りや、柿の木を使った誘拐未遂など、様々な趣向があって面白い。翌日の公演も見たが、日々進歩していて頼もしかった。
冒頭はチョンパで花見に訪れた登場人物ら。客席からも現れて、華やかな幕開き。
亀屋東斎こと千次郎が人物関係を紹介しつつ、物語の導入を担う。主人公の奴駒平実は向井善九郎は、まっすぐな男ぶりを好演。松十郎が敵役の八坂源次兵衛と、敵と思いきやの中川縫之助の2役。年恰好に大きな差のない2役を声のトーンで演じ分けていたのに関心。源治兵衛は途中、薬屋に変装するところもあり、同一人物であると分からせるのはなかなか難しそう。千寿は弟秀之助を気遣う気丈な姉、お縫は問題ないが、2役の刑部妻梅野は娘役との差がはっきりせず。2日目には落ち着いた妻らしい声のトーンになっていた。
月岡刑部の當十郎はセリフが怪しかったところもあったが、唯一の年配者として舞台を引き締める。源治兵衛の弟源内役の當吉郎、中間只助の佑次郎、縫之助妻お沢の當史郎、駒平に一目ぼれする刑部の娘松枝のりき弥、お縫の許嫁、新蔵の翫政、それぞれが役割をこなしていた。子役の秀之助役、飯田優真もよく演じていた。
善九郎と松枝、縫之助とお沢のそれそれのカップルが然るべく収まり、皆が踊ってめでたしという2幕引きも、ハッピーな感じで悪くない。肝心の敵討ちの場面は描かれないのだが。松枝が4年も片思いしてたり、2幕の新蔵宅の立ち回りは暗がりでだんまりだったのに、外に出たらなぜか普通に切り合っていたり、急に藤棚が出てきたり、と、よくよく考えたらあれ、という場面もあるのだが、総じて面白く見られた。

7月31日 夏休み文楽特別公演 親子劇場

「日高川入相花王」
いつもの渡し場の段。三輪、芳穂、咲寿、亘に團七、團吾、清馗、友之助、錦吾。
人形は文昇の清姫に勘市の船頭。
子供率が高く、ガブにびっくりした様子。人形を上下に振るあまり、肝心の顔が隠れ気味だったのが惜しい。

「かみなり太鼓」
織のかみなりトロ吉は初演から引き続き。希のおとうちゃんはちょっとニンに合わず。小住のおかあちゃんはカミナリを落とすところに迫力があり好演だったが、希と逆のほうがよかったかも。碩の寅ちゃんは無邪気でかわいい。もうちょっと子どもらしいずるさがあったらなおよかった。
三味線は清介、清丈、寛太郎、清公、ダブルキャストは燕二郎。トロ吉のトロトロ太鼓を燕二郎。
人形は玉佳のトロ吉に勘次郎の寅ちゃん、簑紫郎のおかあちゃん、紋秀のおとうちゃん。全員頭巾をかぶっていたが、最後の宙乗りだけ、玉佳が顔出しで雲に乗って飛んでいく。すっぽんまで花道が設置されていて、せり上がったのち客席後方へ。プレゼントを投げたりして、子どもたちがきゃあきゃあ言って喜んでいた。

2019年7月27日土曜日

0726 宝塚月組「ON THE TOWN」

古き良きアメリカンコメディ。珠城りょう演じるゲイビーがポスターで一目惚れしたミス・サブウェイのアイヴィ(美園さくら)を探す。ゲイビーの仲間、オジーの鳳月杏はクールな外見が珠城と好対照。チップの暁千星はキュート。
美園は写真より舞台のほうが大人っぽく綺麗に見える。人類学者クレア役の夢奈瑠音が落ち着いた雰囲気でよかった。

2019年7月24日水曜日

7月23日 夏休み文楽特別公演 第3部

「国言詢音頭」 大川の段は睦・清志郎。新しく作曲されたためか、三味線の手が凝っている。睦が健闘。
五人伐の段は中が織・藤蔵、奥が千歳・富助に清允の胡弓。
織はあまり見せ場のない場面で、ちょっともったいない。三味線はそれなりに弾き甲斐がありそう。
奥は殺しの場面もあり、おどろおどろしい。千歳の語りが怖い(表情も)。
首を落とした菊野の唇を舐りまわすとか、女郎の胴を真っ二つとか、残忍な殺しの表現は人形ならでは。玉男の遣う初右衛門が顔色一つ変えず(人形だけど)手当たり次第に殺していく。にもかかわらず、肝心の仁三郎をみすみす逃がしてしまうのはすっきりしない。許嫁には罪はないとはいえ、2人して逃げ延びてしまうとは。最後に本水がすだれのように降って、初右衛門の傘で受ける演出。

29日に再見。お客は増えている印象。あまりできのいい作品ではないと思うけど、B級ホラーみたいに楽しめると言えなくもない。
船頭役の玉延。役替わりの初日だからか、船の動きについていけてないように見えた。そのままだと船から落っこちちゃうとハラハラ。

7月22日 夏休み文楽特別公演 第2部

「仮名手本忠臣蔵」の五段目から七段目。都合で「身売りの段」から観劇。 盆が回って咲太夫と燕三が現れると、いつもよりも温かい拍手が。人間国宝認定をうけて祝福ムード。
肝心の語りは、テクニックに裏打ちされた安定感の一方、体力の衰えからか高音部の発声が粘つく。 「勘平腹切」は清治・呂勢。呂勢は調子が悪いのかしきりと鼻をかんでいて、思ったほどではなかったのが残念。勘平の悲哀より、残された与市兵衛女房の哀れさが印象に残った。
人形は和生の勘平が落ち着いた様子。一輔のおかる。 七段目は由良助の呂、おかるの津駒以下、総勢12人の太夫で、2~3人が入れ代わり立ち代わり。三味線も前半の宗助と後半の清友と入れ替わるので、慌ただしい。仲居の亘と碩は簾内から。声に個性が出て面白かった。
藤太夫の平右衛門は下手から「暫く、暫く」と駆け付けるはずが、声が近づいたり遠ざかったりするよう。ちょっと田舎っぽく、シュッとした二枚目ではない。
簑助のおかるは2階にいる間だけで、はしごで下に降りてからは一輔が代役。短い出番ながら、柱にしどけなくもたれかかっているところなど、色気にあふれる。勘十郎の由良助、平右衛門の玉志。

8月4日、5日に再見。
山崎街道出合いの段は小住・勝平。堂々とした語りを大らかな三味線が引き立てる。
二つ玉は靖・錦糸に燕二郎の胡弓。全体的に声が高いように感じた。与市兵衛は婆?という感じだし、斧定九郎は低音のほうが悪人らしい。
身売りは咲・燕三。祝福ムードはすでになく、淡々と。
勘平腹切の呂勢・清治が一番の出来。続けて聞くと物語に入り込めるのと、若手とは違った充実の語り。和生の遣う勘平は下を向いてじっと耐える様子。

7月21日 マシュー・ボーン「白鳥の湖~スワン・レイク ~」

マシュー・ボールのスワンが素晴らしかった。ロイヤルのプリンシパルだけあって、確かなテクニックに裏打ちされた踊りはため息のでる美しさ。可愛い顔を裏切る筋肉質な身体で、それがまた彫刻のような造形美。スワンのメークも意外によく似合っていた。白鳥の羽ばたきとか、クラシック出身のダンサーのほうが、動きにしなやかさがあっていい。2幕で王子の入水を止めたあと、ソロで踊り出すまでの間が長かった気がするのは、気持ちを整えていたから?
ストレンジャーは野性味は少なく、ノーブル。だけどサドっ気は十分で、危険な魅力を振りまく。2幕とはまるで別人。リフトはあまり得意ではないのか、スムースではないように見えたのが、唯一マイナスポイント。
王子のドミニク・ノースは気が弱そうな王子を造形。ああ、でもマシューにばかり目がいってしまって、あまり覚えていないかも。
今日初めて気づいたのだが、4幕のクライマックス、王子がベッドの上のスワンと見つめ合うところ、振りが鏡合わせのようになっているのね。2人の絆が感じられて切ないさが増す。
女王はニコル・カペラ。威厳があって、ちょっと冷たそうなところがらしくていい。それだけに、ラストの悲嘆とのギャップが痛々しい。ガールフレンドはカトリーナ・リンドン。キュートな感じで、女王より似合っていた。執事のグレン・グラハムも、計算高そうでよかった。

7月20日 マシュー・ボーン「白鳥の湖~スワン・レイク~ 」

ウィル・ポジアーのスワンは動物的。アティチュードが甘かったり、片足でのターンがぐらついたりとテクニック面で不足はあったが、ジャンプは高く躍動感があった。何より、2幕の王子とのパドドゥが幸福。ストレンジャーでは動物ぶりが発揮され、女王の手に口付けるところなど、食べちゃいそうな勢い。
王子のジェームズ・ラヴェルは表情豊か。2幕の幸せから転落していく様がつらい。
王女のカトリーナ・リンドンはちょっと威厳が足りないか。
新演出で、オープニングで幕に飛翔するスワンのシルエットが投影され、スワンクバーのラストで看板のスワンが飛び立って王子を湖に誘う。スワンクバーのマスターのシーンは振り付けも変わり、簡素化された印象。パンフレットによると、王子とガールフレンド、執事の行動をよりわかりやすくする狙いだとか。湖のシーンでは、白鳥たちに応じが担ぎ上げられる場面などが加わった。

7月19日 エイフマン・バレエ「ロダン」

ダンサーの肉体で彫刻を表現する写真に惹かれてチケットを買ったのだけど、正直「アンナ・カレーニナ」ほどの衝撃はなかった。
幕開きは精神病院の場面。ギョロついた目付きの女たちに混じって、狂気に堕ちたカミーユがもがく。セリフなしの演劇的表現が雄弁。
ロダンの工房では、創作に苦しんでいるロダンのもとに現れたカミーユが刺激となり、傑作が生まれる。粘土をこねるようにダンサーの手足を動かし、不自然なポーズをとらせ、彫刻が出来上がっていく様が面白い。カミーユとローズ、2人の女の間で揺れるロダンだが、終始どっちつかずなというか、むしろカミーユは利用しているだけみたいなところがあって、感情移入を妨げる。ローズは家に帰ったロダンに食事を、与え餌付けして離れられなくしているよう。
2幕のカミーユとロダンのパドドゥはドラマチックだったが、すぐにローズが割り込んで泥沼のようなパドトロワに。ラストは精神を病んだカミーユを患者たちが誘う背景で、創作に打ち込むロダンで幕。ただただ、カミーユが哀れ。
タイトルロールはロダンだけど、主役はカミーユと思った。
ロダン役のオレグ・ガブィシェフは一見普通の男のようで、芸術のためには犠牲を厭わない秘めた狂気をにおわせる。カミーユのリュボーフィ・アンドレーエワは長い手足をが美しいが、狂気に陥るにつれ捻じ曲げるようにした身体表現が哀れを際立たせる。ローズのリリア・リシュクはカミーユへの嫉妬をにじませながら淡々と妻の立場を主張して空恐ろしい。

2019年7月18日木曜日

7月18日 OSK SAKURA REVUE

「海神別荘」
幕開き前、薄絹を重ねたようなベールが海底の神秘を現し、衣装も洗練され、目に楽しい舞台。桐生麻耶のの公子は浮世離れした様子が役にあい、陸の美女役の城月れいははかなげな美しさ。約1時間の舞台で、陸と海の価値観の違いを超えて愛し合うまでを過不足なく描いたのは、演出の広井王子の力か。

「STORM of APPLAUSE」
春のおどりでも見た演目だが、より洗練されたような。スピード感のある展開で、黒いロングコートをまとって四季の「冬」で踊る場面はコンテンポラリーとしても見ごたえあり。楊琳がダンスで見せる場面が多かった印象。桐生は娘役としっかりデュエットする場面は少なく、複数の娘役を代わる代わる。リフトは少なく、腰をサポートする程度。あの体格だったら、もっと大胆なリフトが見たいきもする。桐生の魅力は踊りよりは、低音部の歌声の艶にあるのかも。
翼和希がロケットで新人の紹介をするなど、印象を残した。

7月16日 OSK SAKURA NIGHT「夢見ていよう」

「サクラ大戦」とのコラボで、帝国歌劇団の真宮寺さくら(横山智佐)が南座で公演中のOSKを訪ねるという設定。
横山ら声優陣は総じて歌が上手く、セリフも聞かせる。ダンスも意外に(失礼!)動きにキレがありびっくり。
前半はリハーサル風景で、名曲をつづり、後半はフランス革命を題材にした、貴族の男オンドレ(楊琳)と平民の娘(さくら)の恋物語。ベルばらを思わせる設定で、主人公のオンドレ(楊琳)を腹心の部下のラスカル(翼和希)が庇って銃弾に倒れるシーンが見どころ。どこか「愛あればこそ」を思わせる歌もあり。

0715 エイチエムピー・シアターカンパニー「女殺油地獄逢魔辻」

格子状の映像を投影し、登場人物たちが行き合う、交差点=辻を表現。
黒い衣装、顔の中心を丸く残した白塗りのメイク。スタイリッシュで時代を感じさせない。
お吉を与兵衛の実の母とし、河内屋の先代徳兵衛の妻で養母のおさわはお吉の姉ですでに亡くなっているという改変。義父と実の母、それぞれの与兵衛への愛情が描かれず、与兵衛は自分が本当は武士の子ではないかと疑い、現状を受け入れようとしない。肝心の殺しも、母殺しとなっては意味合いが変わってくる。
与兵衛の水谷有希、お吉の原由恵。豊島屋七左衛門のナカメキョウコが好演。
天井から張られたゴムに役者たちが絡まり、人形芝居だったというラスト。傍観者の男(田口翼)が結末は?と聞き、観客にも疑問を投げかける。能勢の法印(有北雅彦)、比丘尼(高安美帆)が、人形遣いのような役どころ。
ストップモーションで始まり、ラストもストップモーション。1人1人舞台からはけていくのだが、とても長く感じた。ゆっくりな動きで間を持たせるのは身体性が相当高くないと厳しいかも。


0715 ミュージカル「ピピン」

サーカスとミュージカルが一体となったよう。サーカスのテントの中のような舞台に、空中プランコやエアシルクなどアクロバットの装置。キャストの半分ほどはアクロバットの演者で、玉乗りやポールの演技などを繰り広げる。驚いて眼を奪われる一方、主人公の成長物語という本筋や登場人物の心情が霞んでしまうような。
ピピン役の城田優、リーディングプレーヤーのクリスタル・ケイら歌が達者。クリスタルはダンスも検討していたが、足のステップがもっと大きかったらなおよかった。継母ファストラーダ役の霧矢大夢が体のラインをあらわにしたレオタード姿を披露。一番印象的だったのは、ピピンの祖母、バーリ役の前田美波里。惜しげもなく美脚を披露し、空中ブランコに興じる。これで70歳代だというのだから。


0714 京都バレエ団「ジゼル」

カール・パケットのサヨナラ公演。2幕終盤の連続ジャンプではだいぶしんどそうだったが、最後の花を見せてくれた。
ジゼル役のビアンカ・スクダモアが、1幕の無垢な少女らしい笑顔と打って変わって、2幕では虚ろな無表情が印象的。ウィリーになって感情もないということなのか。アルブレヒトとのパドドゥのときも、ミルタに助命を乞うときもずっと表情が変わらず、凄みがあった。
藤川雅子のミルタは悪くはないが、期待したほどではなかった。ジゼル役と違って、冷酷な感じ。

7月13月 清流劇場「アルケスティス異聞」

青組を所見。泉希衣子のアルケスティスはアルカイックスマイルの中に皮肉が感じられる。ラストの旅立ちはしがらみから解き放たれ、スッキリした様子。
ヘラクレスの立花裕介は無邪気。大らかさから、アドメトスの隠し事に気づかなかったように見えた。

0713 エイフマン・バレエ「アンナ・カレーニナ」

小説が原作だが、ある意味芝居よりもドラマティック。アンナが出会う場面で、一目で恋に落ちたのが分かったし、夫との確執、恋人との歓喜、手のひらを返したように冷淡になる社交界の人々に傷つき、狂気に落ちる様がどれもリリカルに描かれる。アクロバティックなリフトには眼を見張った。群舞も高度なテクニックで、テンポの速い難しい振りに息つく暇もない。ダンサーが皆スラリとしていると思ったら、長身の人ばかりを集めているそう。ダイナミックで、絵画のようなポーズが印象に残る。

0711 青龍劇場「アルケスティス異聞」

ダブルキャストの白組。
突如死を迎えることとなったアドメトス(髙口真吾)はアポロンの計らいで、誰かを身代わりとすることで命を永らえることができるやうになる。が、年老いた両親に断られ、妻のアルケスティスが身代わりを名乗り出る。死を迎える日のアドメトスの狼狽ぶりは、笑いにもなりそうだが、案外シリアスに進む。
アルケスティス役の永津真奈が凛とした美しさ。淡々とした様子は何を考えているか分からず、ミステリアス。上海太郎が無邪気?なアポロンと老練な父の二役で存在感。ヘラクレスの倉増哲州は男前だが、アドメトス家の状況が分からないのはあまりに察しが悪く、アホみたい。
黄泉の国から戻ったアルケスティスは穢れのため3日間口がきけない。創作した3日後の場面で、生まれ変わった人生を自由に生きたいという。夫のために命を捨てた素晴らしい妻として賞賛される一方、妻を犠牲にしたアドメトスには負い目や周囲からの非難があるはずで、「鬱陶しいと思うようになる」というアルケスティスの指摘は至極もっとも。全てなかったことにして、元の生活を喜ぶことができるのだろうか?

7月9日 七月大歌舞伎 夜の部

「葛の葉」
時蔵の葛の葉姫。子どもへの愛情に溢れ、子役も可愛らしく、哀れさが増す。歌を書き残すことろは、上の句を右手で、子どもの手を引いて左手で鏡文字、最後は口に咥えて。実際に墨で書いているようだった。道行の花道で狐の面をつけていたのは萬屋の型か?保名は萬太郎。身長といい、年齢差といい、バランスの悪い組み合わせ。

「芝居前」
鴈治郎、孝太郎ら上方の中堅が江戸からの客人、時蔵や芝翫らを迎える趣向。梅枝や隼人ら若手が一指し踊った後、仁左衛門、秀太郎が現れて口上。40年前には竹三郎が47歳だったとか。

「上州土産百両首」
菊之助の牙次郎は好演していたが、顔立ちが綺麗すぎる。正太郎の芝翫とのやり取りが妙にいちゃいちゃしていて、男の友情でなく、同性愛に見えた。

2019年7月9日火曜日

0705 ディミトリス・パパイオアヌー「THE GREAT TAMER」

断片的なモチーフを繋いだような作品。起伏のある傾斜に艶のない黒い板を並べた舞台。開演前から1人の男が佇み、客席に時折視線を走らせる。
開演のベルが鳴ると、男は靴を脱いで(靴は床に固定されているらしい)、おもむろに服を全て脱ぎ、ひっくり返した板の上に横たわる。まるで日光浴をするように。後方から現れた男が白い布で覆うと、前方から現れた別の男が、横たわる男の隣の板を立て掛け、倒すときに生じる風で白布を吹き飛ばす…というやりとりが何度も繰り返される。
床の穴から全裸の若者が生まれるように現れたり、掘った穴に落ちていなくなったり。全身黒の衣装で、ある人は胴体、ある人は左足といった風に体の一部だけを肌ぬぎにし、複数人でまるで1人の人のように形作るのが面白い。上半身は女の裸、下半身は2人の男が片脚ずつというのもあった。
テンポを変えながら、「美しく青きドナウ」のメロディーが流れる。「未知との遭遇」を思わせる場面も。



0705 壱劇屋「PICKAROON!」

セリフありの殺陣芝居。ワードレスにこだわっていた時よりも物語の深みや広がりがあり、見応えがあった。初日だということで、殺陣がこなれていないところもあったが、よく動くキャスト達が迫力ある舞台を作っていた。
御姫(池未来実)はセリフまわしが拙いが、記憶をなくした役らしさの演出?可憐で、盗賊達がこぞって守ってあげたくなるキャラにはぴったり。
7人の盗賊のキャラが立っていて、戦隊もののような格好良さ。フラフープのような輪の刃を仕込んだ武器や、似顔絵で描いた人物に変身する技などが面白い。陸上飛(西分綾香)が飛んだり跳ねたり躍動的なキュートなさ。紙研(立花明依)はショートヘアのクールな役で宝塚の男役のよう。
敵役の佐久間(岡村圭輔)は体格が良く立ち姿が立派で、よく通る声で存在感がある。先帝亡き後、他人の身体に先帝の顔を貼り付けて傀儡にしているという設定は面白いが、そもそも帝自体が虚構だというのは如何に?その娘と思われた姫もどこぞから調達してきた、縁もゆかりもない赤児だったというのも、意図がよく分からない。臣下のものが帝を殺して実験を握り、帝位継承者である娘を巡って争うというほうが、筋が通る気がするのだが。最後、自ら首を切って死ぬというのも???だった。
民衆は目に見えるシンポルを欲しがるとか、時代を突くような台詞もあっただけに、もったいない。

7月4日 七月大歌舞伎 昼の部

「色気噺お伊勢帰り」
松竹新喜劇の喜劇。喜六と清八が出てきて、上方落語みたいだったり、伊勢の油屋の遊女でお紺とお鹿が出てきたり、清八に危険を知らせようと喜六が駆け出すところで夏祭のようなやり取りがあったりと、上方歌舞伎のパロディーのようなところも。
喜六が頓珍漢な受け答えをするところは笑いどころなのだろうが、少々くどくも感じたが、鴈治郎は三枚目のキャラが微笑ましい。
芝翫の清八は江戸から流れてきた大工という設定で、江戸弁で通したのも無理がなくてよかった。
喜六女房お安の扇雀、清八女房お咲の壱太郎はそれぞれ役によく似合う。お紺の梅枝があだっぽく、そのイロの隼人が二枚目風。

「厳島招檜扇」
我当が久々の舞台復帰。ほぼ座っているだけで、台詞は明瞭でないところもあり、プロンプに頼るところもあったが、まずは元気そうで何より。ラストや扇を掲げるところで、後ろから後見が腕を支えていたように見えたが…。

「義経千本桜」
渡海屋から大物浦。
仁左衛門の知盛が気迫溢れる。安徳帝に諭されて戦意を失うところとか、芝居が深まっているよう。安徳帝役の子役も達者だった。
孝太郎は渡海屋の世話っぽいところは秀太郎に及ばないかと思ったが、内侍の局になってからは凛とした美しさがあった。
鴈治郎の相模はご注進のとこらが流石にしんどそう。猿弥とのコンビはいい。
3階席にしたのは、知盛の最期がより近くで観られていいかと思ったのだが、見なくてもいいものまで見えてしまった…。



2019年6月30日日曜日

0628 至高の華 京都公演

解説で梅若実が登場。西行桜の思い出など語った後、プロを目指して稽古していると西尾萌を紹介。解説は簡潔で短かった。

「鳴子遣子」
七五三の茶屋、千五郎、宗彦が何某。
蚊の鳴くような声での解説の後だったせいか、千五郎の声がいつもより立派に聞こえた。千五郎家の絶妙な間合いが面白い。

仕舞「弱法師」
片山九郎衛門。杖を手に目を閉じて舞うのは、能面を着けたときよりむしろ難しいのでは。つまずき、倒れる様がリアルだった。

「西行桜」
梅若実玄祥とクレジット。老桜の精と生身の実が一体化した感じで、演技なのか素なのか混然としている。西行(福王茂十郎)とのやり取りはしっかりした語りだったが、造り物から出てくるところで杖にすがるような様子。解説で出てきたときはスタスタ歩いていたようだったが、段差を超えるのが厳しいのか。舞は足元がおぼつかなく、杖をついて一歩一歩足を進める。老木の精らしいといえばらしい様子。
能力は茂山逸平。
上演時間は1時間15分ほど。詞章をカットした様子はなかったが、全体的にテンポが速かった。

2019年6月29日土曜日

0628 夕暮れ社弱男ユニット「京都で恋とフォーク」

70年代フォークを歌う、現代の大学のフォークソング研究会を舞台にした恋模様。二股や片思い、三角関係、四角関係入り混じり、テラスハウスか(見たことないけど)という展開。OBの束縛男が別れ話を切り出した彼女への逆恨みから押しかけてきたりと、畳みかけるようなドタバタの展開。同世代の人にはあるあるなのかもしれないが、恋愛に縁遠い者には共感しにくかった。
外国の要人が来日していて交通規制で動けないなか、反戦歌を歌うというのは、G20サミット開催中の今に掛けているようでもあり、メッセージを感じる。
「風に吹かれて」や「戦争を知らない子供たち」など、往年の名曲は今の人たちにはどう響くのだろう。ギターも歌も下手ではないが上手くもない微妙な感じで、効果が今一つに思った。
途中、殴られて意識を失った男を担いで運ぶ、前作を彷彿とさせる場面も。

6月24日 「三婆」

キムラ緑子演じる元芸者の妾、渡辺えり演じる少女趣味な老嬢、大竹しのぶの強かそうでいて隙のある正妻がそれぞれいい味を出していて、面白かった。亡くなった社長の葬儀をめぐっての正妻と妾のバトルから、芝居に引き込まれた。2幕のラストでそれぞれが歌を披露するのが一つの見せ場。20年後を描いた3幕は蛇足だったかも。

6月22日 文楽若手会

「菅原伝授手習鑑」
椎の木の段は口が碩・清允。溌剌とした語り。10分ほどで終わってしまうのが惜しい。
奥は咲寿・友之助。聞き続けるのがつくづくしんどかった。発生もなってないし、音程も聞き苦しい。本人のツイッターによると、途中経過なのだそうだが、どこへ向かおうとしているのか?三味線もなす術なしといった感じで、気の毒に聞こえた。

小金吾討死は小住・錦吾。錦吾の顔がよくなってた。これまではどこか怯えたような雰囲気があったのだが、一皮むけた感じ。三味線も落ち着いて、太夫との調和が感じられた。小住は期待通り。

すし屋の段は3分割。前は芳穂・清馗。装飾の多い派手な手を弾いていたが、弾ききれてなかったような。
中の靖・寛太郎がこの日一番の出来。浄瑠璃を聞けた。寛太郎も叩きバチを駆使した力のこもった演奏。場面を引き締めた。
後は亘・清公。

人形は簑紫郎のお里が可愛らしい。権太の玉勢はマントや手拭いを外すのに手間取っていたよう。小金吾の玉翔と逆の配役がよいかも。

「道行恋苧環」
付け足しのやうな一幕。希のお三輪、咲寿の橘姫、小住の求馬と碩。三味線は清丈、燕二郎、清允、錦吾。
人形は簑太郎の橘姫に玉誉の求馬、紋臣のお三輪。紋臣だけがちょっと雰囲気が違っていた。回を重ねたらもっとよくなりそう。

6月21日 七月大歌舞伎 夜の部

三谷かぶき「月光露針路日本 風雲児たち」(つきあかりめざすふるさと と読むそうな)
2作目の三谷歌舞伎は面白かったけど、深みが足りないようにも感じた。歌舞伎かというと???ここぞという場面では竹本を使ってたし、猿之助ら歌舞伎の所作を使った演出が随所にあったけど、現代劇と言われても違和感ない。何せ、八嶋が外国人の扮装で踊るように登場しても違和感がないのだから。歌舞伎としては前作の「決闘!高田馬場」のほうがよかったかな。
主役の幸四郎をはじめ、高麗屋三代がそれぞれ美味しい役。染五郎は御曹司として?やたら気を遣われて弄られていた。
10年間の出来事を3時間ほどにまとめるのだから、テンポよく話が進むのは当然として、エカテリーナとの対面、光太夫、新蔵、庄三の別れ、帰国が全て3幕に集中していたのはバランスが悪い。1幕の見せ場ってなんだっけ?ほとんど人物紹介で終わってしまった感じ。2幕は移動に次ぐ移動。それはそれで楽しいのだけど、2幕ラストの犬ぞりのシーンは思ったほどの迫力はなかった(愛一郎が犬の筆頭で悪目立ち)。3幕で登場した竹三郎と寿猿のシニアカップルは全くの付け足しで、無くても筋に影響なし。賑やかし?
面白場面は2幕の終盤で高麗蔵と宗之助、千次郎がロシア語でやり取りするところや、3幕で新蔵(愛之助)の妻になるマリアンナ(新悟)がやたら日本語のことわざを口にすることとか。ロシア語の笑いは、言葉が分からなくても笑わせるのは役者の力だろうが、アグリッピーナ(高麗蔵)の容姿が中の下だとやたら繰り返すのがくどい。
愛之助演じる新蔵がちょっとシニカルな役どころで、重厚な芝居でたっぷり見せる。久々に二枚目の愛之助を見た気分。猿之助は文句ばかり言っている庄蔵をうまく演じ、エカテリーナでは威厳たっぷり。白鷗のポチョムキンとのアイコンタクトの芝居も存分に見せた。幸四郎の光太夫は、皆で日本に帰るという熱意が空回りしているよう。洋装時の髪型を漫画に寄せていたのか、左から上の髪が盛り上がっている不思議な頭だった。

6月21日 歌舞伎鑑賞教室

解説は虎之助。照明が落ちて、何やらノリのいい音楽が流れたと思ったら、客席からは手拍子とヤンヤの歓声。高校生らしき団体客が多く、若い子が好きな音楽なのかと思ったら、ファレルの「フリーダム」という曲らしい。
舞台上では回り舞台がグルグル回り、大小のセリが上がったり下がったり。道具が何もない舞台で舞台機構をしっかり見られたのが興味深い。
虎之助はTシャツ姿の軽装で登場し、いったん袖に下がってからすっぽんから登場。幽霊の音楽で長髪に白着物姿から、引き抜きで紋付袴に。花道脇の客は立ち上がるほど驚いていたのが初々しい。作品紹介をいてうに譲り、自身は客席に降りて着席。「キャー」という歓声で、近くの女生徒からも「イケメン」と好評だった。
通りかかった姫と女中を交えて、女方の身振りを実演・体験させたり、悪者が出てきて立ち回りしたり、作者の平賀源内が出てきたりと、若い感性に訴える工夫が随所に仕掛けられていた。体験した2人の生徒は、舟に乗って花道から退場するというおまけも。

「心霊矢口渡」
壱太郎のお舟の可憐なこと。一目惚れして、連れの女にヤキモキするところなど、可愛らしさ満載。人形振りも面白かった。黒衣の後見が現れて口上ののち、人形振りに。足踏み専門の黒衣が高下駄履いて下手にいて、人形遣い役の黒衣が2人。黒衣の紐が赤いリボンみたいになっていたのが可愛いかった。
鴈治郎の頓平衛は悪人なのだが、どこか憎めない愛嬌がある。
虎之助と吉太郎のカップルは初々しい。ちょっと貫禄がない気もしたが、実年齢はそのくらいかと納得したり。


6月20日 花形新派公演「夜の蝶」

河合雪之丞と篠井英介の女形対決に期待したのだが、少し物足りなかった。銀座ナンバーワン店のマダム、葉子役の雪之丞は貫禄たっぷりでいいのだが、お菊役の篠井が京都の芸妓というのに違和感。京都弁のせいなのか、着物姿が決まらなかったのか。いけずな感じが足りないのかも。
喜多村緑郎る白沢は通産省の政務官だそう。とても格好いいのだが、政治家らしくはないような。
お菊が世話するインターン役の桂侑輔、頼りなさそうなところも含めてはまり役かも。出てきたところで、ズボンのベルトの端がジャケットの外にはみ出していて、それを誰も直さないので気になって気になって。篠井や雪之丞も着物の裾が捲れてて気になる場面があった。
おきくの女中役、河合宥季。洋装のシーンで見せた脚が細くてきれいで驚いた。

6月20日 七月大歌舞伎 昼の部

「二人三番叟」
東蔵の翁、松江の千歳、幸四郎と松也の三番叟。
翁は面をかけないので、千歳の持ってきた箱が意味不明。
三番叟は騒々しい。所作板の不具合か、バンバンとうるさく、鳴り物もやかましい。現代舞踊のような派手派手しい振り付け…と思ったら、藤間勘十郎だった。2人とも寝起きのような無表情というか、目に生気がない感じで、しかもガチャガチャと動くので、うんざりした。

「女車引」
魁春の千代、雀右衛門の春、児太郎の八重。義理の姉妹というよりは、三世代のような…。児太郎の舞がたおやかで美しかった。

「石切梶原」
吉右衛門は花道の出では首が前傾し、座った姿は右に傾いていた。役作りか歳のせいか?
進之介!?と思ったら種之介だった。歌昇の赤っ面が別人のようだった。

「封印切」
仁左衛門の忠兵衛に愛之助の八右衛門。松島屋による松島屋型と期待したのだが、愛之助が力足らず。仁左衛門の忠兵衛に位負けしてた。仁左衛門の八右衛門で観たかった。というか、逆の配役でもいいのでは。仁左衛門も八右衛門の方が好きらしいし。
秀太郎のおえんは出るだけで上方の風情が漂う。声が通らず、息がしんどそうだったのが気がかり。


6月17日 文楽鑑賞教室D

「五条橋」
芳穂の牛若丸、咲寿の弁慶、ツレは碩。三味線は勝平、寛太郎、錦吾、燕二郎。三味線に安定感があり、ストレスが少ない。芳穂はともかく、咲寿は大きさを出そうとしてか無理な発声で聞き苦しく、迷走している感じが辛い。
人形は玉誉の牛若、簑太郎の弁慶。

解説は希、友之助、玉翔。あらすじ説明で、小太郎を身代わりに討ってしまうこととか、ネタバレし過ぎでは?友之助の三味線の弾き分けは、本人も言っていたようにキャラが定まっていない。観客との世代ギャップが広がってきたのか。

「寺入り」は亘・清志郎。溌剌とした語り。声がかすれ気味なのが気がかり。

「寺子屋」の前は睦・宗介。4組の配役の中で一番の若手だが、落ち着いた語りぶり。ここのところ格段に良くなっていて、芳穂や靖の兄弟子の面目躍如だ。宗介の三味線も手堅い。

後は小住・燕三。決意みなぎる表情で、力のこもった語り。聞きものとしてはいいが、胸を揺さぶるというには何か足りない。それが情なのか。子どもを亡くした親の悲哀なんて30そこそこの若者には難しかろう。

人形はは簑紫郎の戸浪がしっとり。勘弥の千代は年上らしい落ち着きがある。文昇の源蔵。玉助の松王は力いっぱい。

2019年6月16日日曜日

0615 イキウメ「獣の柱」

ミステリアスな展開に引き込まれた。
見るものに快楽を与え虜にしてしまう巨大な柱が都市部に降臨する。見たものは恍惚のうちに死に至り、幸福な安楽死の一面も。宇宙人の侵略か、神の審判か、地球の意志か。人口密集地に柱が落ちると分かってなお、不安から人の集まるところへ集まってしまう人の性。地球温暖化や環境汚染への警鐘にも見える。
宇宙人?島忠(薬丸翔)の手下として動く佐久間(市川しんぺー)、堀田(松岡依都美)が、柱が出現してからも狡猾に動き回る嫌らしさ。超人的な役の多かった浜田信也ははじめ宇宙人に翻弄されるがたかと思いきや、やはり選ばれた側に移った。
現代社会に問題提起する示唆に富む脚本。柱の出現は地球の意志ではないかという指摘に唸った。
終演近くなっても、望の身になにが起こったのか、50年後の世界がどうなっているのかなど謎が多く残る。エンディングは納得できるものだったが、謎が残されたところにはモヤモヤした。

0614 南河内万歳一座「~21世紀様行~唇に聴いてみる」

劇団の代表作だけあって見ごたえあり。火事を目撃した青年役に鈴村貴彦。清々しい雰囲気、周囲に翻弄され、戸惑う様子が良く似合う。主人公の初恋?の相手、あの子役の坂口美紅が清廉な存在感で印象的。内藤裕敬が喪服の若奥様。内藤の女装は出ただけで面白い。70年代が舞台だが、十分現代性のあるテーマ。 突如始まる運動会では客席を巻き込んでの玉入れ。リレーのスペクタクル。ラストの大量の空き缶は度肝を抜かれたが、ちょっとずるい気もする・

2019年6月15日土曜日

6月14日 文楽鑑賞教室C

「五条橋」
床は希、碩、小住に清丈、友之助、清公、清允。希はニンにあっているためか、寺子屋やりよっぽどいい。碩は弁慶にしては声が若いが、力強さを感じる。総じてバランスのいい組み合わせ。
人形は玉翔が大柄な体を活かして力強く、紋吉の義経も悪くない。

「寺入り」
咲寿・清馗。三味線が変わったせいか、不安定さが増した。戸浪、千代の語り分けはまずまずだが、節の音程がフラフラしてた。

「寺子屋」
前は織・藤蔵。前段とガラリと世界観が変わったのは立派。極太の筆で描いたような、華々しいというか、大仰というか、派手な寺子屋だった。源蔵から計画を明かされた戸浪の嘆きぶり。「せまじきものは…」なんかは堂々と歌い上げた感じ。

後は靖・錦糸。泣けた。松王丸の泣き笑いが良く、千代の嘆きも派手さはないけど、心に沁みた。

人形は一輔の千代がしっとりと情がにじむ。
和馬のよだれくりは大人しめ。ふざけ過ぎも良くないが、ちょっと物足りなくもある。


0612 万作萬斎狂言会

素囃子に続いて
「法師ヶ母」
万作のシテ。後場で物狂いもの風の舞狂言になるのだが、万作の謡が聞きづらく、意識が途切れてしまう…。

万作の芸話は祖父と父に習ったことの自慢など。

「釣針」
萬斎の太郎冠者。ツボは押さえているが、笑いを取りに行くというよりはかっちりした印象。萬斎が大きく飛んだのに音もなく着地したので、身体能力の高さを再認識。主人の妻の顔は太郎が覗いただけ(萬斎は微妙な表情)で、主人と妻、女中らが退場した後で、太郎が妻と対面。舌出しのおかめに逃げ惑って幕。

6月10日 社会人のための文楽鑑賞教室B

解説はアナウンサーで、極めてオーソドックス。上手くまとまっているのだが、もう少し遊びがほしい気もする。希・友之助、玉翔、玉誉で裏門の段の一部を実演。おかるのセリフを、老女、武者で語り分けたり、駆けてくる三味線を姫、武者で弾き分けたり。

「菅原伝授手習鑑」
寺入りは亘・清丈。言葉が明瞭で聞きやすいが、高音が掠れる。
寺子屋の前は呂勢・富助。珍しい組み合わせ。富助の三味線は的確で、音に隙やブレがない感じ。呂勢も出だしからよく、語りの明瞭さ、人物の語り分けがくっきりして、床を見ないでも聞いていられる。正しい寺子屋を聞いた。
後は芳穂・勝平。松王の大きさがあり、聞き応えあり。
人形はオクリのところで子供たちがふざけ合う。少しはいいけど、やり過ぎると物語を阻害すると思う。

6月10日 文楽鑑賞教室A

「五条橋」
南都の牛若丸に小住の弁慶、亘のツレ。三味線は清志郎、友之助、錦吾、燕次郎。
人形は牛若が清五郎、弁慶が勘市。勘市は珍しい大振りの人形を持て余したのか、体幹が左に傾いて見える。後ろを向いた時、足遣いの姿が丸々目に入る。これは正解?

解説は靖が「五条橋では一人一役の掛け合いだだった…」と説明していたのがよかった。いつも、「太夫は一人で様々な人物を語り分ける」といか言わないので、直前に掛け合いを見せられていた観客は戸惑うだろうと思っていたのだ。実演で、牛若と弁慶のセリフを入れ替えていたのも、違いがわかりやすくてよいと思う。
寛太郎、玉誉はいつも通り。

「菅原伝授手習鑑」
寺入りは咲寿・団吾。落ち着いて語っていたのはいいが、いまいち覇気が足りないというか、眠たそう?出だしのフシの音程が不安定に聞こえた。

寺子屋の段は前が藤・清友。のびのび語っているのだが、ちょっと軽い。他人事みたいに聞こえる。玄蕃でくちびるをブルブルさせ、松王の咳払いはえづいてるみたい。清友はめずらしく、音が外れていたような。
後は希・清介。女の声が総じて高く、千代や戸波が娘のよう。清介はじれったいのか、語りが口をついていた。

0609 金剛永謹の会

「樋の酒」
野村萬斎の太郎冠者、太一郎の次郎冠者、裕基の主人。太郎と次郎の裃が兎と亀の柄でかわいい。茂山千五郎家を見慣れていると、和泉流はかっちりして見える。

「薄」
上演記録のない、幻の能の復曲で事実上の初演。ますほの薄の謂れは耳で聞いても分かりづらいが、事前の解説があったので理解できた。
作り物を運び入れる時、中に誰か入っている風だったが、シテは橋掛りから登場。ワキの僧に弔いを頼んでから作り物に入り、装束を替えていた。その間、間狂言の萬斎が、登蓮法師の逸話やますほの薄の謂れを語る。のちシテは地謡や囃子に乗って舞う。永謹の声はソフトで聞きやすく、言葉が良くわかった。上演時間は予定では1時間強だったが、1時間半近くはあった。
雪の小面は清楚というか、無垢な感じ。薄の精という草木には合っている。

0608 パルコプロデュース「ハムレット」

英国人演出家は舞台装置や衣装が北欧風のファンシーさというか、かわいい感じ。荘厳さがなく、王家らしく見えないのが難か。
岡田将生のハムレットは、熱演だし、悪くはないのだろうが、悲壮感が少なく見えたのは、道化風の化粧やパンク風の衣装が軽く見えるのだろう。
松雪泰子のガードルートが流石の存在感。快楽に流された女というよりは、理知的な母らしい。
黒木華のオフィーリアは、狂気の演技に引き込まれた。楽しげにも聞こえる歌が哀れ。
山崎は道化役には軽く、現代風なのかも。
ラストは、ハムレットの独白が冗長に感じた。ボローニアスより先に毒剣に刺されたはずのハムレットがいつまでも雄弁で、叔父王を押さえつけたりするほど元気なのが解せない。

0608 大阪観世会

「羽衣」
彩色之伝の小書付き。天女は長山礼三郎。袖を振りかぶって頭の上に掛けるのが上手くいかないようで、ただ手を挙げているような形になっていた。
ワキは福王和幸。

「千鳥」
善竹隆平の太郎冠者、弥五郎の酒屋、上西良介の主人。隆平はともかく、あとの2人は良く言えば朴訥。少し間が悪い感じがした。太郎冠者と酒屋のやり取りがあまり笑えなかった。

「正尊」
起請文、翔入之小書。
観世清和の正尊、福王茂十郎の弁慶。
全員が直面で、前場はセリフのやり取りが多く、芝居らしい。静役の子方、長山芽生がぷくぷくで五月人形のよう。舞もなんだかほのぼの見えた。
後場は弁慶と義経以下ワキツレ4人に、正尊率いる姉和と立衆9人という大人数での立ち回り。迫力があってワクワクした。

0607 匿名劇壇「大暴力」

ショートショートやもっと短い場面を連ねた作品。全体で1時間半ほどだったか。
暴力がテーマで、様々な形で身体的、精神的暴力が現れる。殺人事件の現場や災害の様子を動画で見る男に、それは良くないと諭す彼女が「だったら別れる」と言うと、「それは言葉の暴力では?」。ゴミ処理場や火葬場など、近所にあったらイヤだけど、そのものがなかったら困るから、うちの街に建ててもいいよ、という歌がなんか良かった。
劇団の稽古風景という設定で、舞台の上で行われているのがその芝居の稽古だったり、劇団員同士の諍いだったりたいう二重構造が、本物の劇団員の姿とオーバーラップする。
暴力がテーマだから仕方ないのだが、暴力の描写は芝居と分かっていても気分はよくない。

0607 宝塚雪組「壬生義士伝」

腕は立つが貧乏で、家族を養う金を得るために人を斬る。物語としての深みはあるけど、キラキラしたところの一切ない主人公って宝塚的にどうなの?楽曲は全体的に昭和っぽい古さ。場面転換の音とか。
望海風斗は誠実感があり、和装での立ち居振る舞いや立ち回りも綺麗。「おもさげながんす」のセリフが耳に残る。戦場で銃弾に倒れる場面では涙を流す人が沢山いた(演出の石田昌也もだ!)ようだが、私は泣けなかった。なぜ、無謀な戦いに赴いたのか。それでいながら、死の直前に京にいる故郷の幼馴染を訪ねたのはなぜか。過程をもっと丁寧に描いてほしかった。
妻が口減らしのためにお腹の子共々川に身を投げるとか、おしんか。
鹿鳴館の準備をする人たちが回想するという構成もどうか。ダンスの外国人講師役(舞咲りん)が鼻に付く演技。

ショーの「ミュージックレボリューション」は、芝居が地味だった分期待したが、うーん。
オープニングのロック調?黒とシルバーの衣装とか、ゴスペル風?のダボっとした白いチュニックとか、どれも垢抜けない。OSKを連想した。全体的にテンポが早く、踊りの密度は高いが、いっぱいいっぱいで、雑になっているところもあった。

0606 Kバレエカンパニー「シンデレラ」

絵本の世界そのままという表現に納得。ダリの絵のように歪んだフレームの中で、カリカチュアされた姉や継母たち。中村祥子のシンデレラは華奢で虐められるのが可愛そう。引き倒されて投げ出された脚の美しいこと。
妖精たちはバラはともかく、ろうそくや蜂、ティーカップは分かりにくい。多額の費用をかけたという馬車はなるほど豪華でスムースに動くが、舞台の上を2周半くらい引き廻すのはやり過ぎでは。お城に着いたシンデレラが金色に輝くマントを引きずって門へ向かう1幕ラストが絵的だ。
2幕で登場した王子、宮尾俊太郎はなんだかもっさりして見えた。首が詰まったようだったせいか、ドラマやバラエティでのヘタレキャラのイメージがついてしまったのか、王子オーラが足りない気がした。
12時の鐘がなるところでは、コールドに囲まれたシンデレラが一瞬でみすぼらしい格好に変わる早替りもあり、しかけも随所に工夫している。
踊りのレベルは高く、主役のパドドゥの振りは洒落ていたし、コールドもよく揃っていた。がイマイチ感動できないのは、お伽話に浸れなかったからかも。
ラストで再び王子とシンデレラを乗せた馬車が到着し、2人が手を取り合って城へ向かう。

2019年6月5日水曜日

0605 玉造小劇場配給芝居vol.25「大阪芝居 タクシー編」

タクシー会社で働く人々にまつわるオムニバス。ストリートミュージシャンになりたい男(小池裕之)とその恋人(松井千尋)を乗せた運転手(うえだひろし)、親の反対を押し切って小説家志望の男と結婚した娘に孫が生まれたと聞くも素直に喜べない男(や乃えいじ)が、ひ孫の誕生祝に駆け付ける老夫婦(わかぎえふ、上田泰三)を乗せる、結婚式の媒酌人をまかされ緊張する夫婦にもっと気楽にとレクチャーする男日系メキシコ人の男女の祖母の生まれた土地探しにつきあう、今日定年を迎える男、タクシー会社の若社長は女子社員にプロポーズしようとするが…。尾崎豊や長渕剛、浜田省吾風の歌や、甲斐バンドの「HERO」など、70~80年代の歌謡曲もいい選曲で、全体としてまとまりがよく面白い。

6月4日 新作歌舞伎「NARUTO」

南座バージョンのNARUTOとのことだが、大筋は変わらず、というか、前作をよく覚えていないので違いがよく分からなかった。
巳之助のうずまきナルト、隼人のうちはサスケはそれぞれよりキャラが板についた風。嘉島典俊のカカシもよりアニメキャラっぽい。
細かなところは覚えていなかったものの、2回目の観劇であまりワクワクしなかったのは、ジャンプらしいキャラ設定、ギャグ、ストーリー展開の単調さ(既視感)とともに、セットが2次元に頼りすぎていたせいではないか。ワンピース歌舞伎と比べるのは酷かもしれないが、スクリーンに描いた絵やプロジェクションマッピングが多く、三次元の作りこんだセットがあまりなかった。あとやはり、物語を詰め込みすぎかも。原作やアニメのファンなら、知っている話だろうが、原作をよく知らないとちょっと慌ただしく感じた。梅玉のうちはマダラは大物感があり、立ち回りも多くて見ごたえあり。
南座ではこれまで見たことないくらい、外国人客が多く、会話を耳にしたところフランス語圏みたい。楽しんでいたようで、休憩のたびに興奮した様子で話していたし、グッズも買い込んでいた様子。最後の本水では歓声が上がり、前のめりで観ていた。

2019年6月3日月曜日

0602 ピッコロ劇団「銭げば!」

空晴の岡部尚子脚本・演出。岡部らしい笑いのテイストがちりばめられ、いつものピッコロと違うおかしみ。 ミュージカル風の歌と踊りからスタート。全般に歌も踊りもクオリティが高いが、主役のアルパゴン役の孫高広の踊りがぎこちなく(多分役作りではななさそう)いい味出してる。
野外劇場のように柱と階段に囲まれた円形の舞台、出番でない役者は衣装を脱いで怪談から舞台を見下ろす。アルパゴン、エリーズ(木之下由香)、マリア―ヌ(金田萌果)のほかは、2~3人が1役で、それぞれの役者が複数の役を演じる。衣装を着けることで役柄を表現するのだが、思っていた以上に混乱なくすんなり受け入れられる。
子供たちの結婚を許し、虎の子の金貨を取り戻しての大団円だが、岡部演出のアルパゴンは嬉しさより戸惑っているように見えた。

0601 京都薪能

「平安」 43年ぶりの上演。「大典」よりも詞章が柔らかく、舞台である平安神宮で作品世界と現実が一体化して見える。「別きて新しき今の世に」を「令和の世に」と変えて、令和初を寿ぐ。シテに井上裕久、ツレの天女を4人に増やし、舞台上と橋掛かりに配置して花を添える。うち2人は女性らしく、小柄で女童のようにも見えた。 「草紙洗小町」 田茂井廣道のシテに有松遼一のワキ。ツレ5人に子方の帝と舞台上に大勢が並び、賑やか。が、ワキの大伴黒主が改竄した書物でシテの小町を陥れようとする話って…。祝言色のある演目というのが不思議。 「福部の神」 踊り念仏の場面が入る「勤入」の小書き付き。鉢叩きに茂山千五郎以下8人が並び、賑やか。シテの紅梅殿は終盤に登場。 「石橋」 金剛流は激しく動くというのだが、紅白に桃色の牡丹の作り物の陰で見えないことが多く、ちょっと期待外れ。シテは今井清隆。

2019年5月27日月曜日

0527 オフィスコットーネプロデュース「埒もなく汚れなく」

瀬戸山美咲作・演出で大竹野正典の半生を描く。妻の小寿枝が一人で登山している場面から始まるのは、「山の声」の冒頭を思わせる。高校時代の映画製作から始まり、横浜の専門学校、卒業後は関西に戻り、結婚。バイトをしながら劇作に打ち込む姿と、海難事故で亡くなった日の模様が織り交ざり、テンポよく芝居が進む。劇作に行き詰り、山登りに打ち込む日々、ブランクの後、登山家をモデルにした「山の声」を書き、絶賛された直後の死。壮絶な人生が2時間余りで描かれるのは濃密な時間。
自信がないのか、評価されることへの不安か、戯曲賞で入選しても専業の劇作家になることを拒み、技師として働き続けることにこだわる。大竹野の作品を世に知らしめようと、戯曲賞に応募したり、専業のプロになることを望む小寿枝へとの諍いの様子が壮絶で辛い。業の深い人だなあというか。演劇をするということは、客を入れて公演するということは、他人に認めて盛りたいからではないの?作家というものは多かれ少なかれ、身勝手なものなのだろうけれど、妻という理解者への甘えなのかもしれないけれど、私はとても付き合いたくないと思ってしまった。

0526 オフィスコットーネプロデュース「山の声―ある登山者の追想―」

大竹野正典の遺作で、槍ヶ岳登山で命を落とした大正〜昭和初期の登山家加藤文太郎がモデル。最後の登山の様子に絡めて、山登りの人生が回想される。男2人だけのセリフ劇で、登山にさして興味野ない者としては途中退屈に感じるところもあったが、吹雪のなか進むラストは圧巻。
雪山の単独登頂を数々達成し、世間にもてはやされていた“ヒーロー”について、単に金がなくて案内者を雇えなかったことや、単独登山は人付き合いが悪くてチーム行動ができないから単独登山だったこと、たまたま居合わせた他所のパーティーのルートを辿ってただのりと批判されていたこたなどと負の部分も描いていたのが興味深い。最後の登山では、加藤を先輩と慕う吉田富久と2人で行動したため、相手への見栄から判断を誤ったという描写。途中の山小屋に装備を残し、わずか2日分の食料だけで頂上を目指したのは驕りではなかったと指摘する。犯罪者を多く描いてきた大竹野だけに、山に魅せられた男たちを美化するでなく、むしろ心の闇を暴露するかのよう。そのせいもあって、山家のロマンに少しも共感できなかった。
大竹野としては、山登りと劇作を重ね合わせるところもあったよう。けど、妻子のために山で死んではいけない、と言われながら、結局は死んでしまったのだよね…。
劇中では名前を呼んでいるのだが、役名は登山者1(戎屋海老)、登山者2(村尾オサム)。

0526 京都観世会五月例会

「賀茂」
金剛流とは表記が違い、中身もところどころ異なるのが興味深い。
里女が持つ桶が金塗りで青で波のような模様(金剛流はシンプルな木の桶)だったり、アイの道祖神の面が笑ったような顔だったり、天女が舞ったあとワキの隣に並ぶのだが、ワキ柱の近くを開けて天女が一番前になった金剛に対し、観世はそのまま一番後ろに着く、など。
シテの梅田嘉宏が里女と別雷神、前シテツレの橋本忠樹が里女、後シテツレの鷲尾世志子が天女。女性の声が珍しかったのと、小柄なので童のようだった。

「文荷」
七五三の太郎冠者に宗彦の次郎冠者、網谷正美の主人。七五三は声の調子が悪いようで、かすれ気味。宗彦が補っていた感。

「夕顔」
シテの河村和重は足元が覚束ず、作り物から出てくるところでもたついたり、座り姿勢から立ち上がるところで後見が手を貸したりとハラハラ。声のハリもなかったようで残念。

「藤戸」
シテの橋本雅夫も足元が怪しかったが、前シテが老女なので逆にはまって見えた。「人目も知らず伏し転び」と倒れこむところは胸をつかれた。動きがスローなせいか、予定時間がずれ込み、最後を見逃したのが残念。
アイは千三郎に代わって逸平。


0525 金剛定期能

「加茂」
前シテは女人2人、後シテは天女と別雷の神という4役を3人で演じているらしいのだが、どんな分担になっているのか分からず。たぶん、後シテの神は永謹だろうが。シテツレは宇高徳成、豊嶋幸洋。ワキは福王知登とワキツレ2人、アイもいて舞台上は賑やか。
里女は若いのと年上のとで、加茂川?に水を汲みに来たところでワキと会い、秦の氏女が流れてきた白羽の矢を拾って懐妊し、男の子を授かった話を聞かせる。解説によると、大和古来の加茂氏と渡来人野秦氏の婚姻の話なのだとか。
アイは善竹隆平に代わって隆司。道祖神の役なので、老人のような面をかけている。
別雷の神の舞は勇壮で舞金剛らしい。客席の照明を落としているので、気づくと瞼を閉じていた…。

「鬼瓦」
善竹弥五郎のシテ。肩の力の抜けた、飄々とした演技におかしみが滲む。

「小袖曽我」
曽我兄弟の話だが、歌舞伎と違って十郎がシテ。母の言いつけを破って寺を抜け出し、敵討ちに出かけようとする五郎を取りなす役所で、キリリと凛々しい。五郎のキャラは、母に感動されて泣いたりと、歌舞伎とはだいぶ違う。
母以外は直面で、龍謹の十郎はちょっと表情が硬く感じた。
ラスト、敵討ちの許しをえた兄弟がシンメトリーで舞うのがキビキビとした美しさ。

0524 キンキーブーツ

三浦春馬のローラはドラァグクイーンぶりが板についてる。腕の筋肉のムキムキ具合が凄いし、歌や踊りでシナを作ったり、蠱惑的な笑みを浮かべたり。何より、のびのびと演じてる感じが良かった。1幕の終わり近くでヒールに躓いたり、時折疲れた表情に地が透けたりしていたが、瑣末なことと思える。
対する小池徹平のチャーリーも堂に入った演技。ソロの歌が聞かせたのがうれしい驚き。歌いこんで上手くなったのか。
ソニンのローレンはコケティッシュな三枚目に安定感がある。崩れた演技をしても歌がしっかりしているのが凄い。
そして何よりはシンディ・ローパーの楽曲がいい。聞いていて踊りだしたくなる楽しさ。

5月19日 文楽公演 第一部

98年ぶりに復活したという大序「大内の段」は御簾内で、咲寿→小住→碩→亘、錦吾→清允→燕二郎→清公のリレー。太夫と三味線をペアで書かなかったのは、三味線が先に交代して暫く前の太夫を弾いていたから。小住の安定感、碩の声の良さ、亘はつらつといったところか。人形は黒衣。

小松原の段は芳穂、咲寿、南都、文字栄、津国、小住に団吾。下ネタを品良くまとめた感じ。文字栄の桔梗がミスキャストと思いきや案外しっくり。

蝦夷子館の段は口が亘・清公、奥が三輪・清友。亘はもう少し聞きたかった。三輪は手練れた様子。人形が出遣いになり、玉佳の蝦夷子は文司の入鹿より大物っぽいのでは。玉男のせいではなかろうが、大判事の日よりっぷりがこの先を暗示してる。

猿沢池は希・友之助。希の声がででいない。

鹿殺しは御簾内で、碩・錦吾。碩の三作が子供らしい。

掛乞の段は睦・寛太郎。近頃の睦は小じっかりというか、手堅くなってきた。

万歳は織・清志郎に清允のツレ。芝六忠義の冒頭10分ほどまで続けて語るという変則。何故だろう。心地良くなって後半意識が…。織は山の段の雛鳥と打って変わって、染太夫風の骨太の語り。同じ時期に二つの役を掛け持ちするのは大したもの。

芝六忠義は咲・燕三。疲れが出たのか、全体的に力がない語り。
人形は勘十郎が鎌足で驚いた。チョイ役なんだし、別の人でもいいのでは。

太宰府は靖・錦糸。のっけから良く声が出ていて、義太夫節らしい。入鹿の大笑いは後半息切れしたかな。



2019年5月18日土曜日

5月17日 文楽公演 第二部

妹山背山の段
背山は大判事の千歳、久我之助の藤、三味線は藤蔵→富助。妹山は定高の呂勢、雛鳥の織、三味線は清介→清治に清公の琴。
第二部から観るとのっけからのテンションに圧倒される。重厚な背山に対して華やかな妹山という対比が鮮やか。千歳、呂勢は2回目とあって、初役時のような力みが抜け、語りに深みが出てきたよう。呂勢の定高は腹に一物あるというか、言葉とは逆の本心が隠れているのが感じられ、胸に響く。
三味線も丁々発止の弾き合い。富助がバシバシ弾いているなあと思っていたら、クライマックスで胴が割れたらしい。最初、藤が扇子を舞台袖に投げたので、あれ?と思っていたら、続いて千歳が後ろの壁を叩いて合図して、聴くと三味線の音が少し変で、胴に亀裂のようなものが。間もなく代わりの三味線が差し出された。それだけ熱演だったということか。
人形は雛鳥の前半を遣った簑紫郎が恋する乙女の恥じらいを初々しく。久我之助は玉助。柄の大きい役が似合うので、ミスキャストかと思いきや、青臭い感じというか、若さゆえの潔さみたいな感じがあって意外に好演。若手同士というのもバランスが良かった。

杉酒屋は津駒・宗介。津駒が30分ほどって短すぎないか?
道行恋苧環は芳穂、靖、希、咲寿、碩に勝平、清丈、寛太郎、錦吾、燕二郎。テンポがゆっくりめで、総じて声が出ておらず、照明も暗くてなんだか精彩を欠く道行だった。希は調子が悪いのか橘姫の高音が辛そう。

鱶七上使の段は藤・清馗。全体的に緩く聞こえた。大笑いの声が上ずったようなのもどうか。

姫戻りは小住・友之助。浄瑠璃らしい語りで安堵。

金殿は呂・団七。病み上がりのためか、ウィスパーボイスに磨きがかかってる。

5月17日 オフシアター歌舞伎「女殺油地獄」

倉庫の会場に設えられた舞台は三間四方ほどの正方形。開演前はぐるりと白い幕で覆われ、都会の喧騒?や文字などの映像がランダムに流れる。

幕が降りると舞台中央に与兵衛(獅童)が佇む。が、最初の一言でげんなりした。何なのだあの気持ち悪い関西弁は。獅童が情け無い男を演じる時によくやる、上ずったような声もいただけない。安酒場で小兵衛(赤堀雅秋)に借金を催促されているのだが、小兵衛が堅苦しい武士言葉なのも違和感がある。こいつはもっと小物ではないのか。仲間の男たちがやってきて、与兵衛と小菊の仲を冷やかすのだが、与兵衛が帰ると口々に悪口。小菊もおだてれば金を出すいいカモだと言っているとか。与兵衛はアホで無軌道な若者だが、いちおう二枚目だと思っていたのだが違うらしい。
小菊の壱太郎は、与兵衛の手を取って甘い言葉を囁く様が色っぽい。喧嘩になって引っ込んですぐ、お吉として登場する変わり身も鮮やか。今度は世話好きのお姉さんといった風情。お光役の子役の女の子がなかなか達者。荒川良々の演じる七左衛門は、「帯といて⁉︎」「べべ脱いで⁉︎」といちいち繰り返すのが、歌舞伎を見慣れない人にはわかりやすくていいのかも。
野崎詣りに訪れた夫婦(翫政、吉太郎)がイチャモンをつけるところ。自分たちはささやかながら幸せだという参詣人の男から与兵衛が「幸せなのか」と問いかけられるのが意味深。
おかちが先代徳兵衛の霊が取り付いたフリをするところ、吉太郎がドスの効いた声で凄みがある。が、与兵衛が「先代」と呼びかけるのは変では?そこは親父とかでしょ。吉弥の母おさわは情に溢れる芝居だが、何もないセットで場を持たせるためか、やたらと移動していたのが気になった。
豊島屋に儀兵衛夫婦が訪ねてくるところは、与兵衛が舞台の外に立って中を伺う。せっかく顔や姿がよく見えるのに、うろうろするばかりで、これといった心理描写が見られなかったのがもったいない。殺しはあっさりめ。油桶を倒すのは最後の最後で、滑ってのすったもんだは短い。早々に与兵衛が刀を落としてしまい、とどめは首を絞めていたような。全てが終わったところで起き出してきた子供に「何してるの?」と問われた与兵衛が「遊んでるんや」と答えるやりとり。しっかりと与兵衛の顔を見ているので、今後の伏線かと思ったのだが。
金回りが良くなって豪遊する与兵衛。あいそを振りまいていた小菊が、「あいつはもうダメだ」と突き放す冷たさ。
逮夜では、お吉を弔うお光が与兵衛を見て怯えた様子を見せるのだが、それ以上はなし。殺しの直後に顔見てるんじゃないの?天井から落ちてきた血染めの書きつけの筆跡が元で犯行がバレる。叔父森右衛門(猿三郎)は捕まる前に与兵衛を見つけて逃がそうとしていたが間に合わず、縄にかかる与兵衛は老親と対面する幕切れ。
チーム上方の個々の芝居は良かったが、作品としては突き抜けたところがないように感じた。期待しすぎたのか。

2019年5月13日月曜日

0511 坂東玉三郎 京丹後特別公演

お楽しみの口上に続いて、地唄舞4曲。口上ではイスタンブールの絨毯と絹の産地の金色の糸について。衣装はすべて丹後ちりめんで誂えたそう。
「雪」「鉤簾の戸」「黒髪」「由縁の月」
雪では白塗りの肌の色と同化するような白色の着物、黒髪では桜姫(と口上で言っていたような)を思わせる姫の扮装、由縁の月では黒地に刺繍を施した打掛と衣装、拵えを工夫していたけれど、地唄舞って動きがコンパクトでその場で旋回するような振りが多いので、どうしても似て見える。休憩を挟んで、10~15分の小品ばかり。13時半開演で、終わったのは15時40分頃だったか。上演時間の実質は1時間ほどだから、これで満足させる玉三郎の魅力たるや。

2019年5月8日水曜日

0507 宝塚星組 楽劇「鎌足−夢のまほろば、大和し美し−」

良くも悪くも生田大和らしい脚本だ。歴史は勝者によって作られるとか、人を切ったものは切られるまで切り続けなければならないとか、掲げるテーマが壮大すぎてとても2時間半では収まらない(実際、上演時間は休憩を除いて2時間45分)。1幕で蘇我入鹿を討ってしまったので、2幕はどうするのかと思ったら、中大兄皇子との確執?から鎌足の死までを1時間でって駆け足の展開。入鹿に心を寄せていた皇極天皇(有沙瞳)が「鎌足許さじ」とか思わせぶりなセリフを言うのにこれといった報復はないし(もしかして、嫁を差し出させたこと?)、伏線が十分活かされない感じで勿体ない。
紅ゆずるの鎌足は陰謀術中を巡らす策士というよりは、政敵を滅ぼしたことをクヨクヨと思い悩む、心優しい青年?(というよりヘタレ?)綺咲愛里との息はぴったりで、2人の仲睦まじさを楽しむのが正解だろう。綺咲は娘役トップらしい可憐さが溢れ、瑞々しい。
華形ひかるの入鹿は、1幕はむしろこちらが主役なのではという存在感で、志に燃える少年が皇極天皇への思いから修羅の道に踏み込む変化や、皇極天皇とのロマンスがきっちり描かれてていた。振付の藤間勘十郎の効果か。中大兄皇子役の瀬央ゆりあが颯爽として凛々しかった。

2019年5月6日月曜日

0506 住吉大社 卯之葉神事奉納 天皇御即位奉祝能

素謡の「神歌」、仕舞の「高砂」「梅枝」は省略。

「大典」
シテの天津神を山階弥右衛門、ツレの天女を山中雅志、ワキは原大、ワキツレ原陸、久馬治彦。
天皇の即位の式典が行われる年にのみ上演するという稀曲。ほぼ原曲のまま上演したようで、違いを確認したのはシテの「知能徳器の成就を勧め」を「人民(?)知能の成就を勧め」としていたくらい。厳かな天女の舞のあと、造り物から現れた天津神の舞は勇壮。造り物の神殿は普段見るものよりも縦に細長い形で、そのせいか、覆いを外すところで後見がもたついてハラハラ。弥右衛門の能は初めて見たが、謡の声が今一つに感じた。

2019年5月3日金曜日

0428 京都観世会四月例会

「歌占」
分林道治のシテに河村和貴のツレ、子方に浦部春仁。子方のセリフが結構たくさんあって、一生懸命しゃべるのがかわいらしい。

「茶壷」
小笠原匡のすっぱに弘晃の田舎者、山本豪一の目代。田舎者の持ち物をすっぱが奪おうとして争いになるというのはよくあるパターンだが、目代が持って行ってしまうとは。

「熊野」
観世銕之丞の熊野に淳夫の朝顔、ワキは福王茂十郎。村雨留の小書きがあり、熊野の舞の途中で驟雨が訪れ舞を止める。読次之伝で母からの手紙を熊野、平宗盛の2人で読み、墨次之伝で歌を書くときに墨を次ぐのだそう。ずいぶん細かい違いだ。茂十郎のワキは威厳がある。

「船橋」
橋本光史の里男、後の男の亡霊、河村和晃の里女、ワキは有松遼一。親たちの反対を押し切って密会を続けた男と女が川に落ちて死んで亡霊になった、というのなら、なぜ男だけが後シテで姿を変えるのだろうか。

4月27日 第二回 林定期能

「三輪」
シテは樹下千慧。若手らしく声がよく通る。足拍子の音がこもったようで小さく感じた。ワキは林大。

「寝音曲」
茂山忠三郎の太郎冠者に山口耕道の主人。大らかな笑い。

「善知鳥」
林宗一郎のシテに川村浩太郎のツレ、子方の林小梅はお嬢さんか。宗一郎は声がよく、響きが心地いい。後シテで塗笠を投げるのは能の演出だったのね。友五郎のほうが格好良く決まっていたが。ワキは福王知登、アイに忠三郎。

0426 唐組「ジャガーの瞳」

角膜移植を受けた青年しんいち(福本雄樹)のもとに、角膜の持ち主だった男の恋人くるみ(藤井由紀)が現れ、しんいちは自分のものでない記憶に悩まされるようになる。寺山修司へのオマージュというサンダル探偵の田口(久保井研)やその恋人?のマネキン、サラマンダー(月船さらら)、扉の探偵(一の戸~八の戸)、自らの体に様々なものを移植する怪医師Dr弁らが入り乱れて、混沌とした世界を描き出す。福本は男前の容姿が映え、主役としての存在感も十分。藤井は怪しい女役が良く似合い、扉を次々に開けていく歌もよかったが、白いスーツでの男装姿は痩せすぎであまり似合わないと思った。月船は細い腕がマネキンと見まごうほど。赤いドレスが良く似合って美しかった。しんいちの婚約者夏子役の福原由加里は抜擢だろうが、藤井と渡り合うには役者不足か。愛犬の死骸と彷徨う少年ヤスヒロ役の大鶴美仁音、声がよく通り、目を惹かれた。

2019年4月26日金曜日

0425 宝塚宙組「オーシャンズ11」

ラスベガスの華やかさが宝塚によく似合う。前半の仲間を集めるところが急ぎぎみでバタバタして見えたが、長身のスーツ姿の男たちが集うのは宝塚の醍醐味。
真風涼帆のダニーはスーツ姿の格好良さもさることながら、テスへの一途な愛を訴えるシーンにキュンときた。クールでニヒルな役が似合うかと思いきや、誠実さにこそこの人の魅力があるのかも。「エリザベート」のフランツもよかったし。歌声が深みのある低音で音程が安定しているのも好ましい。たぶん、天性的に歌が上手いというよりは、歌いこんでものにした感じ。踊りで手を伸ばす時に肘を曲げがちなのが惜しい。縮こまって見えて、せっかくの長い手足がもったいない。
テス役の星風まどかは娘役トップの貫禄が出てきたというか、大人の女の魅力があった。白い肌がきれい。ソール・ブルーム役の寿つかさやクィーン・ダイアナ 役の純矢ちとせらベテラン勢がキャラクターの立った演技でスパイスを効かせる。フランク・カットン役の澄輝さやとら一部が黒塗りだったのに違和感。原作映画で黒人が演じたキャラなのだろうか?黒人である必然性がないし、何より映らない。
開幕後すぐに105期生のお披露目のあいさつ。相変わらず頭のてっぺんから出すような声がいただけない。ラインダンスはフィナーレで。振り付けが洗練されていて悪くなかった。

2019年4月25日木曜日

0424 まほろば

長崎の田舎にある旧家。母(高橋惠子)は娘2人で跡取りが産めなかったことに引け目を感じていて、長女ミドリ(早霧せいな)に婿をとって帰ってきてほしいと思っている。次女のキョウコはシングルマザーとなって育てた娘が成人し、アルバイトをしながら実家暮らし。村の祭りの日に東京で働くミドリが帰ってくる。40歳代になって結婚や出産のタイムリミットが迫るなか、母親の期待に応えられない娘のやるせない感じなんかがよく表現されている…のだろうけど、今一つ腑に落ちなかった。バリバリのキャリアウーマンとして働いているらしいミドリが、生理が来ないからといって簡単に閉経したと思い込んだり、泥酔したとはいえ上司と何かあったか気づかなかったり、妊娠を確かめる前に上司に電話してみたり、という行動に違和感。それなりに教養もあるのだろうから、まず病院に行ったりするだろうし、何かあったのをミドリが忘れていたとしても、当の上司の側の態度に変化があるはずで、何か変だとは感じるはず。近所の少女にませたことを言わせるのもなんだかなあと思った。
高橋惠子の母親は長崎弁のおかげか、ずいぶんと旧態依然としたことを言っているのに嫌みがない。早霧はからりとした様子がいい。三田和代演じる祖母タマエが、別に跡取りがなくて家が絶えてもかまわないとか、ふらりと現れては衝撃的なことを話す。ちょっとぼけたような風情で物語を深刻にしすぎない効果があった。

2019年4月23日火曜日

4月21日 四月大歌舞伎 夜の部

「実盛物語」
仁左衛門の実盛はすっきりとした立ち姿が美しく、口跡のよさに聞きほれる。瀬尾が小万の死骸を蹴り飛ばすところでの表情が雄弁で物語の深みが増す。瀬尾十郎は歌六。大きさがあってよい。
九郎助、小よし夫婦は松之助、斉入で、いい老夫婦ぶり。葵御前の米吉は美しいが、少し気品が足りないか。
倅太郎吉の寺島真秀は頑張っていたけれど、ちょっと間が悪いところも。小万の死を知ったところでの反応が早すぎるとか。

「黒塚」
猿之助の岩手。照明を駆使した演出で、凝っていたのだけれど、え?黒塚ってこんなだっけという感じ。しみじみとした哀れさがなくなってしまったよう。
阿闍梨祐慶の錦之助がキリリとした二枚目。山伏は種之助と鷹之資。鷹之資は所作がきれい。強力の猿弥がコミカルな演技だけでなく、踊りのうまさもあって楽しませた。

「二人夕霧」
伊左衛門(鴈治郎)と後の夕霧(孝太郎)、弟子いや風(弥十郎)、てんれつ(萬太郎)、小れん(千之助)のコントのようなやり取りは面白いのだが、中盤からの舞踊要素が多くなったあたりからしんどくなった。先の夕霧の魁春は背が曲がっているようで、若々しい華やぎに欠けるような。二人の夕霧との痴話げんかが、なぜか2人とも妻にすることで収まり、最後は伊左衛門の勘当が許されて大団円。なんだかなあ。

4月19日 ギア

ロングラン公演が7年になったというノンバーバルパフォーマンスをようやく初見。
古いおもちゃ工場を舞台に、作業ロボットと工場で作っていた人形が繰り広げるファンタジー。人形に不思議な力で命が吹き込まれ、その人形に触れたロボットたちも生き生きと動き出し、ブレイクダンス、マイム、手品、ジャグリングそれぞれ芸を披露する。突出してすごい!というのではないが、どれもプロとして通用するレベル。最後に大量の紙吹雪が舞い、ちょっとしたカタルシスもあり、90分飽きなく見られた。泣きはしないが。
照明が凝っているのは専用劇場の強みだろう。オープニングや、ドールの衣装が次々と色を変えるのがきれいで、小さい女の子が憧れそう。普段、プロジェクションマッピングは苦手なのだが、これは違和感なく見られた。

4月17日 桃花祭御神能

「翁」
面箱の茂山忠三郎が似合ってた。
翁の舞が終わったあたりで、舞台の下から鹿が乱入。
湿気のせいかびっくりするほど大鼓が鳴らなくて気の毒なほど。力が入るあまりか前屈みになって烏帽子が外れそうになり、後見が支えていた。三番三の鈴も鳴らなくて、イマイチ締まらなかった。

「養老」
シテは大江広祐。後シテの舞がキリッとして良かった。手足が長いせいか、動きがダイナミック。舞い終わったところで、橋掛りの奥の楽屋の屋根に鳥の群れが横切る影が映る。偶然だが、計ったようなタイミングだった。

「雁礫」
茂山茂のシテに、井口竜也、千五郎。茂山家の人々が出てくるとなんだか落ち着く。狂言になると客席がざわざわするのはいつものことだが、よく笑いも起きていた。

「俊寛」
シテは素人さん?足取りが覚束なく、後見が度々体の向きを直してあげていた。
ワキは福王和幸、間の忠三郎と船に乗って、喜界島に流された流人の恩赦を伝える。仲間2人は許されたのに、ただ一人島に残される俊寛。船の綱を掴んで引き留めようとする俊寛の前に、ぷっつりと切れた綱が投げられる。呆然とした俊寛の哀しさがつのる。

「土筆」
(パス)

「羽衣」
羽衣だからかギャラリーは多かったのだけど、正直残念な出来。

「茫々頭」
(パス)

「三輪」
ワキの福王和幸の横顔に見惚れる。声よし、姿よしの人よな。
シテが素人さんだったらしく、後見だけでなく、地謡からも詞章や動きの指示が飛んでハラハラした。思いのほか前に出すぎた時なんか、慌てて飛び出そうとしてたものなあ。

この時点で終演予定の16時。このままいくと、18時くらいまでかかるんじゃないかと思って、「清水」と「融」は失礼した。

自然光での能公演を見てみたいと行ってみたが、朝方は舞台の上手側前方から差してた光が舞台の前方3分の1ほどまで届いていたが、正午頃には真上からになり舞台全体が日陰に、午後はだんだんと舞台下手に光が差してくる。多分、面の見え方も違ってくるのだろうけど、どう違うのかまでは判断できず。鳥のさえずりや、鹿の乱入、潮の満ち引きで後方の景色が変わるのが興味深かった。

4月16日 OSK日本歌劇団「春のおどり」

「春爛漫桐生祝祭」
山村友五郎演出の和物レビュー。チョンパで「春のおどりは〜」と始まる総踊り。真ん中に立つ新トップの桐生は、背の高さ、すらりとした立ち姿が舞台に映える。歌は低音が安定していて聴きやすい。新トップより、二番手の楊琳のほうが緊張して見える。
場面変わって、客席から貧乏な父娘。緋波亜紀は特別専科らしく客いじりも上手いが、何で?その後、花街で遊ぶ若旦那が父娘から取ったノミ?を太鼓持ちや遊女に撒いて、痒がりながら踊るのだか、高度すぎるというか、この遊び必要か?太鼓持ちの男役は痒がりながらの踊りが達者だったが。
かと思えば、桐生が天神さんになって楊と対決など、トップらしからぬ、でも桐生に似合う役回りも。祭の場面でふざけたりするのが、余裕があってトップの器を感じた。

「STORM of APPLAUSE」
スピード感があって見応えあり。ゴールドの衣装もゴージャスで、華やか。
全身黒の衣装で、男役5人から群舞に展開するのがコンテっぽい振り付けで格好良かった。音楽はビバルディの「冬」からベートーベンの「運命」?途中のゴスペル風のところは、ちょっと「明日へのエナジー」を思い出したが、負けずと良かった。ダンスが得意な楊をはじめ、下級生にも見せ場を作っていたのが、いい構成。
ラスト、羽根を背負わないのも、私としては高評価。

2019年4月14日日曜日

0413 母と惑星について、および自転する女たちの記録

奔放な母に育てられた3姉妹。それぞれ母を反面教師に違った人生を生きようとするけれど、どこか皆母に似ている。私の母とは違うけれど、母と娘の相反する何かわかる気がする。急死した母の遺骨を撒くためにイスタンブールを旅し、長女(田畑智子)はエッセイ、次女(鈴木杏)は夫とのSMS、三女(芳根京子)は手紙で気持ちを表す。八百屋になったシンプルなセット。真ん中がスライドして、卓袱台や母の経営するスナックが現れると、回想シーンになるしかけ。
初演でも同じ役で出演していた田畑と鈴木がリアリティのある演技。母親役のキムラ緑子が圧倒的な存在感。舞台2回目という芳根は舞台の発声になっておらず、独白が聴きづらかったが、末っ子の痛々しさがあった。

0413 第81回 喜多流涌泉能

喜多流は初めてだと思うが、詞章が効きやすかったのは流派の特徴か、大江能楽堂の狭さゆえか。学生(能でサークル)や外国人の姿が目立ったのと、とてもカジュアルな客が多かった。(着物の人もいたけれど)
「実盛」は高林呻二のシテ、江崎鉄次朗のワキ。間狂言で網谷正美が出ていたが、年齢を感じてしまった。
「附子」は七五三の太郎冠者、宗彦の次郎冠者、網谷の主人。狂言ビギナーが多いのか、やたらに受けていた。網谷の表情から砂糖を食われ、秘蔵の品を壊された主人のもの悲しさがひしひしと伝わる可笑しさ。
「雷電」は高林昌司のシテ、福王知登のワキ。菅丞相の怒りに迫力がある。

0412 KEREN 日本総狂宴ステージ

何と評していいものやら。呆然、唖然の75分間だった。
目まぐるしく場面が変わって、怒涛のように刺激が与えられるのだが、稚拙で荒っぽく、まるで感動がない。
着物姿で現れた女性ダンサー(足元はヒール)が着物を脱ぎ捨て、ミニスカートで踊りだす。かと思えば、女性ソロ(伊東愛)が和服姿で春夏秋冬のCGをバックに歌うのだが、慌ただしくて情緒がなく、しかもマイクが見当たらない。もしかして口パク?歌舞伎風メイク(というより京劇っぽい)の禿頭の男(後で調べたところ、室田晃という吉本所属の俳優)が現れ、海女のような衣装の女たちが踊り、和太鼓が叩かれ、太鼓のばちをもって踊り…。
暗闇の中、靴底が光ってタップのリズムが流れるが、生音ではないよね?
道頓堀らしき街中を阪神タイガース風の袴男(金久寛章)とドラゴンボールの悟空のような少年?が追いかけっこ。やがて草木の茂った神社?に移り、提灯が燃え、女の幽霊が現れる。飛ぶ火の玉はスライムのよう。大蝦蟇に乗って隈取男が現れ、ゾンビや骸骨、幽霊やお化けが踊る。唐突に隈取男が葛籠抜けの宙乗り。
浪人風の男が竹林で立ち回り。大勢の子分を引き連れたヤクザの親分と対決。浪人は敵を次々と倒し、モニターに表示された数字が一人二人と減っていくが、最後ボスとの一騎打ちで銃で撃たれてジエンド。
灰色スーツのサラリーマン。出勤の支度をして、満員電車に揺られ、トイレへ。後方から水芸のような扮装の女が現れるが、扇をかざすもそこから水は出ず、座っている欄干から水が噴き出す。
剣を持った紺色の道着の男たちとタキシードのタップダンサーが入り乱れ、托鉢僧がタップダンス用の金具を仕込んだ足袋で踊る中へタキシードと白ドレスの男女3組のペアダンス。
紅白の獅子は連獅子らしい振り付けで毛振りもあるのだが、思わず失笑。
サングラスにスーツの男たちと、AKB風の制服女たちが対決。隈取がラップ。AKBのリーダーを相撲取りが追いかける。相撲取りは3人になり、四羽の白鳥の曲で踊る。
くノ一と僧、忍者が漫画風のCGを交えて戦う。悟空が指で障子で影絵。障子に女のシルエット、飾り窓のように遊女たちが踊る。
再び大蝦蟇と隈取、忍者の集団とくノ一集団が対決。ライトセーバーのような刀、かめはめ波?燃え落ちる大仏堂。隈取は蝦蟇に食われる。白いドレスの女が宙乗り。ミニスカの女たちとサラリーマン、最後パチンコ玉が落ちてきてラスト。

メモを書き起こしてみたけれど、何のことやらさっぱり分からん。いろいろコスプレして踊ってみたという感じで、高校か大学のダンス部の発表会のよう。1人やけに踊れるダンサー(チェイス・マックスウェル)が回転技など披露していたのが、取ってつけたよう。女性のメインキャスト伊東愛はなかなか芸達者だが元SDN48だそうな。終演後、「面白かったー」という声が聞こえたので振り向いたら、キャストの札を着けて女の子たち。今日出演しないキャストが客席から見ていたらしい。

2019年4月12日金曜日

0411 OSK日本歌劇団「REVUE JAPAN!」

朔矢しゅうを中心に、登堂結斗、唯城ありす、蘭ちさと、有絢まこ、涼乃あゆ、知颯かなでが出演。
花柳基の作・演出で日本舞踊をベースにしたショー。若衆と娘の総踊りに始まり、客席を巻き込んでの舞体験は「さくらさくら」に振り付け。外国人も楽しんでいたようで、最後は舞台に上げて舞を披露。涼乃あゆが達者な英語で、日本語がわからない人も置いてけぼりにしない心遣いを見せる。
再びショーに戻って、まずは土蜘蛛モチーフの踊り。遊女に誘われた若武者が酒に酔わされ、蜘蛛の化身の花魁と立ち回りを見せる。若武者役の登堂結斗が長身で颯爽とした格好良さ。花魁の唯城ありすは立ち姿が美しく、妖艶さを漂わせる芝居気もある。
最後は、朔矢しゅうが隈取をした獅子の扮装で。本格的な毛振りもなかなかのもので、見応え充分だった。
日本舞踊の基本に則った作品だったので、素養のある人はまあ楽しめると思うが、まっさらな状態で見る人や外国人にはどこまで伝わるのか。舞台装置はほとんどなく、時折後方のスクリーンに背景が映し出される程度。打ち込みっぽい音楽も安っぽくて残念だった。

2019年4月10日水曜日

0409 文楽公演 第2部

「祇園祭礼信仰記」

金閣寺の段は織・藤蔵。織はよく通る声で熱演していたのだが、大膳の下種さ、嫌らしさが薄くて、好漢のようだった。
爪先鼠の段は千歳・富助。前半は雪姫の詞がブツ切れな感じでどうかと思っていたが、後半のフシになると心地よい語りだった。アトに芳穂・清志郎。
人形は此下東吉の玉助が桜の木をよじ登ったりと得意の勇壮な立ち役を熱演。雪姫は清十郎。爪先鼠は歌舞伎のように大量の桜吹雪が舞うのでなく、地面に積もった花びらを集める演出。ちょっと花びらを舞い上げてはいたけれど、視覚的には歌舞伎のほうがインパクトあるか。

「近頃河原の達引」
四条河原の段は靖・錦糸。靖が久しぶりによかった。こういうちょっと地味なものは合うのかな。
堀川猿回しの段は前の津駒・宗助にツレの清公、後は呂・清介にツレの友之助となかなか贅沢。呂はいつになくはじめからちゃんと声が出ていて、やればできるじゃんという感じ。
人形はおさるさんが可愛いのに目を奪われがちだが、玉也の猿回し与次郎の純朴さ、おしゅんの簑二郎、伝兵衛の勘弥もよかった。

忠臣蔵に話題は集中しがちだけど、第2部も充実のラインナップ。残念なのは第1部に比べて客席がまばらなこと…。

0409 文楽公演 第1部

文楽劇場開場35周年記念で「仮名手本忠臣蔵」の大序から四段目まで。

大序は亘・燕次郎→碩・錦吾→小住・清允→咲寿・清公の順か。床の上の簾内がほんのり明るく、かろうじて人物が特定できた。太夫、三味線が2人ずつ並ぶのだが、太夫は前の人が立ったところに次の人が座るのだが、三味線は向かって右の人が弾いている奏者の後ろでスタンバイし入れ替わっていた。
恋歌の段は津国、南都、文字栄に団吾。津国の師直が悪っぽい。
二段目、桃井館力弥使者の段は芳穂・清丈で22年ぶりの上演。芳穂の語りは渋いというか、実直で、初々しさや華やかさが足りない気がした。人形は小浪の紋臣が力弥の名前が出ただけでモジモジするかわいらしさ。
本蔵松切の段は三輪・清友。堅実な床。三輪の語り分けがはっきりして聞きやすい。人形は二段目までは頭巾をかぶっているので、舞台がうるさくなくていい。いちいち拍手もないし。

三段目、下馬先進物の段は小住・寛太郎のアラサーコンビ。鷺坂伴内の文司が人形に似て見えた。
腰元おかる文使いは希・清馗。清馗の三味線はなんかなあ…。希もおかるは高音が映えるのだが、ほかの語り分け、チャりに難あり。
殿中刃傷の段は呂勢・清治。これこれ!これが聴きたかったという、安定の品質。いじわるな役を語る呂勢は生き生きとしているというか、楽しそうというか。高師直が憎たらしくないと、この話は盛り上がらないからね。師直の詞はこれまでよりもたっぷりとしていたような。刃傷の場面では清治の三味線がさえた。
裏門の段は睦・勝平。勝平の三味線はおおらかでいいなあ。睦も高音のカスレもなく、よかった。

四段目、花籠の段は文字久改め藤と團七。改名については口上でさらりと。師匠の呪縛から放たれたのか伸び伸びとした語り。
判官切腹の段は咲・燕三。咲は声がよく出ていて、安定の語り。
城明渡しの段は碩・清允。

人形は和生の判官、勘十郎の師直、玉男の由良助という布陣。

0408 都をどり

南座での公演はいつもに増して華やか。 総をどりに始まり、白拍子と遊女、童子が舞う「法住寺殿今様合」、阿国山三の「四条河原阿国舞」、わらしべ長者がモチーフのお目出たい舞踊「藁しべ長者出世寿」、秋冬の景色が美しい「祇園茶屋雪景色」。春夏秋冬を約1時間で楽しめるのは手軽でいいのか、外国人旅行者の姿も多かった。

2019年4月7日日曜日

4月6日 大槻能楽堂改修 勧進能

「安宅」
大槻文蔵の舞納め。終始静謐な緊張感の漂う、品のある弁慶だった。郎党は大槻祐一を筆頭に気迫みなぎる熱演。押し戻しは文蔵が少し押され気味だったように見えたが 、年齢を考えるとしかたないのか。義経役の子役、茂山慶和が少々元気すぎというか、調子はずれ気味の謡がちょっと煩い。

「仏師」
善竹弥五郎、忠重の兄弟共演。弥五郎のすっぱはとぼけた感じが可笑しい。

「土蜘蛛」
後シテの土蜘蛛の精のツレで大槻祐一が出演する新演出とのアナウンス。梅若実が前シテの僧の姿で登場したとき、あまりにも面差しが変わっているので別人かと思った。前シテでは杖をつきながらも何とか舞台上の移動もこなしていたが、頼光(?)と対決するところで、足拍子が踏めない実を助けて相手方も同時に足拍子を踏んでいた。後シテの土蜘蛛は作り物から一歩出ただけでほとんど動かず。蜘蛛の糸も2回くらい?ツレの裕一が動き回って、橋掛かりで立ち回りを演じ、最期は後ろ向きにどっかと倒れ、面がずれるほどの熱演。普段よりもたくさん糸が飛び交っていて、派手派手しい演出だった。
ワキの福王和幸が凛々しい武者ぶり。青の利いた衣装も清々しく、眼福。

0405 雪まろげ

高畑淳子の夢子は本人も言っていた通り、全身全霊で嘘をつく感じ。孤児で周りの人達の目を伺いたいながら生きてきたので、調子を合わせて嘘つくことが習い性になっているという必死さが伝わる。お座敷で酔客に絡まれる同僚芸者を助けたり、とにかく揉め事が起こると場を収めるために上手いことを言う夢子が痛々しいほど。
意外だったのは、ライバル芸者銀子の榊原郁恵。東北弁がチャーミングだし、金にがめつい強かな女を好演。
柴田理恵、青木さやか、しずちゃんといった面々がいい味出しているが、ちょっと笑いに走りすぎな気も。湖月わたるは赤いドレスがセクシーで、明るくサバサバとしたキャラクターがあっている。着物姿は腰高すぎ。
的場浩司はちょっと気弱すぎで、夢子がなぜ惹かれるのかわからない。詩をたしなむ繊細さを表現したかったのか?

0331 KYOTO STEAM 伝統芸能×新技術 能楽「大会」~天狗の恩がえし~

能の「大会」をバーチャルなイラストと組み合わせた映像で表現するという演出。生で能を演じている舞台の両サイドに大型モニターがあって、合成した映像を流す。菩薩が登場するところで蓮の花が散りばめられたり、炎や天狗の群れなどの映像が加えられて情景を分かりやすくしているというのだが、字幕スーパーのようで煩い。普段は立ち入ることのできない、二条城の二の丸御殿台所が舞台というのはお得感があるので、普通に演能するだけでよかったと思う。

0330 イーハトーボの劇列車

宮沢賢治の4回の上京を通して半生を描く。松田龍平の賢治は飄々とした雰囲気が独特で、現実と異世界が交錯するような作品世界に合っていた。ぼそぼそとしゃべるのかと思っていたら、歌唱は力強く、意外な感じ。休憩挟んで3時間半は長かった。

3月30日 桂文我独演会「東の旅通し口演」

「東の旅」の前半を一気に上演するという。休憩を挟むものの、5時間半近く。なかなかの苦行だった。
聞くと、「東の旅」という続き物として作られたわけではなく、伊勢参りの道中にはまる噺を集めたものらしい。道理で、喜六と清八がほとんど出てこない噺もあるわけだ。 「東の旅発端」を月亭秀都。緊張していたのか、間違えて同じセリフを繰り返していたような。見台を打つ音がやかましく、声が良く聞こえない。後で文我が話したところによると、小拍子や張扇をリズミカルに打って噺のテンポを掴んだり、発声を訓練したりするそうだ。
桂文我「奈良名所」は奈良の名所を羅列したような噺。森乃石松「野辺」(記憶にない…)、桂福丸「煮売屋」、月亭文都「七度狐」、桂文三「軽業」、桂文我「軽業講釈」は露店で軽業屋の隣になってしまった講釈師があまりうるさくしないよう軽業師に抗議して…という噺。文我は実際に東の旅の道中を歩いて旅した経験を交えて、噺にリアリティを加える。他の出演者は時間の制約があるのか、マクラなしで慌ただしかった。
仲入りを挟んで、桂宗助「うんつく酒」、桂米平「常大夫儀大夫」、桂文我「鯉津栄之助」と続く。このあたりに来ると、キャリアのある噺家なので聞きごたえがある。「うんつく酒」は田舎者に「どんつくめ」と言ったのを聞きとがめられた清八と喜六が適当なことを言って酒席にありつく。常大夫、義大夫は浄瑠璃語りの振りをした2人のドタバタ。「鯉津栄之助」はお殿様の名前で、「こいつはいい」と言ってはいけない集落。
再度の仲入り後は林家染吉「三人旅」、笑福亭生喬「浮かれの尼買い」、桂文我「宮巡り」。
冒頭と仲入りのあとは、伊勢神宮のおかげ茶屋の人とのトークを挟んで、ちょっと気分転換。だがそのせいで長くなった面もあり、痛しかゆしというか。

3月29日 霜乃会旗揚げ公演

幕開きは旭堂南龍の「霜乃会結成秘話」。桂春蝶、林本大との飲み会がきっかけで結成されたそうで、飲み会では下ネタばかりになるところから、下の会→霜乃会とか。笑いのセンスが合わないのかあまり笑えなかった。ちゃんとした講談を聞きたかった。
真山隼人の「円山応挙の幽霊図」。正統派の浪曲をきっちりと。見た目は老けているけれど、若々しい好演。
桂紋四郎「くっしゃみ講釈」。師匠ににてなんだか品のない話しぶり。
林本大、今村哲郎による仕舞「敦盛」「井筒」「土蜘蛛」。年の功かいちばんしっかりしたものを見せてくれた。けど、土蜘蛛の糸を撒くってのは飛び道具だよなあとも思った。
中入りを挟んで、茶道家の松井宗豊のお点前をいただきながらのフリートーク。特に打ち合わせもなかったようで、グダグダな展開。会の先行きを暗示しているような。

3月28日 素謡の会 うたいろあわせ 第3回

地点と素謡の共演。田茂井廣道の簡単なレクチャーのあと、「車僧」を浦田保親、大江信之、深野貴彦と。素謡は初めてだが、正座したまま、それぞれの役の詞章を語る。ワキの役もシテの役者が演じるようだ。
地点はヨン・フォッセの「だれか、来る」の一部を。舞台上をふらふらと動きながら役者がセリフを語る。脚本では男と女の2人しか登場人物はいないが、7人ほどの役者が役柄を入れ替えたりしながら、渡り台詞のようにセリフを述べる。イレギュラーなところで抑揚をつけたり、言葉をきったりする地点らしいセリフ回し。手をかざして何かを探るように歩く動きに能の影響が見えた。
後半は能役者が地点の脚本、地点の役者が能の演目を交換して演じる趣向。即興で役割を決めたらしい能役者は、それでもきっちり形に収める。地点は小刻みにジャンプしながら、地点節でセリフを語る。それぞれの特徴が見えて面白かった。

2019年3月24日日曜日

0323 MONO「はなにら」

火山の噴火で家族を失った遺族たちが疑似家族として暮らす。隣り合う2軒の一方には1人の青年と2人の娘という子ども世代と3人の父親、もう一方には父と娘。災害から20年たって、それぞれの関係性に変化が生まれようとする。結成30年の記念とすると、手放しで喜んでいるばかりではないような。ずっと変わらずにいられたらいいけれど、変わることも悪くない。すれ違いや勘違いで笑わせるのはいつものMONOらしい。 息子役の渡辺啓太がよく目立った。妹の洗濯物を間違えてしまってうろたえたり、すねて部屋に引きこもったり、東京へ行った兄との確執とか、物語のカギとなる役どころ。大きな体で陽性な雰囲気が好印象。父世代の3人、水沼健、奥村康彦、土田英生は幼馴染がそのまま大人になったような関係が、実際のMONOメンバーと重なる。家事一切を引き受けて家族への思い入れが強い娘の高橋明日香、ちょっと拗ねて家族から離れたい石丸真菜美が好対照。
もう一方の父(金替康博)と娘(立川茜)は夫婦みたいとからかわれるくらい仲のいい父娘。こういう関係ってどこかにいそうと思わせる。

2019年3月22日金曜日

0320 狂言風オペラ「フィガロの結婚」

昨年上演の好評をうけての再演を大槻能楽堂で観た。 正直、昨年の初見のほうが面白かったのは、能楽堂の舞台が一因か。後座のあたりに衝立替わりの白い布を張って視界が遮られ、義太夫の床は笛柱の前あたり、管楽八重奏は橋掛かりにズラリと並ぶ。狭い空間に押し込められているようで、窮屈に見えた。冒頭、山本善之が黒子の格好で拍子木を打ちながら登場するのだが、音色が安定しなくて、音響のいい能楽堂ではちょっとうるさかった。
再演でこなれてきたせいか、蘭丸(山本)が吉本興業の「こんにちは」のギャグをやって、お花(茂山茂)に「そのクオリティーでようやった」と突っ込まれたり、三味線の友之助と役者の絡みが増えていたり。

3月17日 三月大歌舞伎 夜の部

「盛綱陣屋」
仁左衛門の重厚な義太夫狂言を堪能した。口跡の良さ、位取りの確かさ、心情表現の的確さ。スリリングな展開に息を呑む。圧巻は首実検。表情だけで雄弁に心情を語るのは、ト書きが聞こえてくるよう。
小四郎の勘太郎が健闘。多くのセリフ、所作を良くこなした。願わくば、セリフの先に健気さとか、哀れさが滲み出れば。名子役というには一歩足りなくて思った。今日初めて気づいたのだが、微妙に自害を勧められたときに、せめて武勲を立ててから、もっと生きたいとせがんだのは、高綱の身代わり首を成功させるため?恐ろしい子だ…。
微妙の秀太郎はさすが。小四郎を気遣い、優しく撫でてあげるところにグッときた。
寺島眞秀の小三郎はかわいいが、小四郎ほど難易度は高くなさそう。
四天王で一人誰だろうと思ったら、米吉だった。立役はあまりしないので見違えた。

「雷船頭」
猿之助の女船頭は踊りの名手らしく軽快。雷は弘太郎だが、あの化粧では誰だか分からず。

「弁天娘女男白浪」
幸四郎の弁天は、うーん…。出だしから可愛らしくなく、女に見えない。「尻尾を出しちまうぜ」からの豹変ぶりが際立たず、台詞回しもスカッとした気持ち良さが足りない。
猿弥の南郷に期待したのだが、猿弥らしさがなくてつまらない。高麗屋にセーブされたのかしら。
白鴎の日本駄右衛門はごにょごにょするセリフが聞きづらい。
勢揃いは一同並んで捕手が向かってくるところで幕。立ち回りはなかった。




3月16日 三月大歌舞伎 昼の部

「女鳴神」

本編の鳴神は上人の煩悩、人間の弱さを突くが、女鳴神は女の純情に付け入って騙すというのが。雲絶間助が酷い男にしか見えない。
孝太郎は生き別れた恋人に再開してからのいじらしさ、可愛らしさがあるものの、残念かな美男美女ではないので接吻が色っぽくない。
ぶっかえり後は口元がへの字に結んでいるようで、どこか悲しそう。

注連縄を切って飛び立つ竜は、そこそこ大きいのが3頭いた。

「傀儡師」
あまり印象に残らなかった。幸四郎は踊りの名手というほどではないので、踊り分けの面白さが出ていない。あの広い舞台を一人で持たせるのは厳しい。

「傾城反魂香」
あまり出ない高島館、竹藪から。後の虎の正体や、雅楽之助が何者かがよくわかる。
鴈治郎の雅楽之助は手足が短いので立ち回りがちょっとバタバタして見える。銀杏の前の米吉が可憐な赤姫。狩野元信の幸四郎は貴公子然としてよく似合う。

土佐将監閑居は白鴎の又平が、ただのどもりでなくて、歯抜けのようなフガフガ発音で何を言っているのか分からず、ちょっと足りない人みたい。同情しにくいのは可愛げがないからか。
猿之助のおとくは、前に観たときよりあだっぽい感じで、ちょっと冷たそう。絵を描き終えた又平が筆を手離せなくなったとき、手をさすってあげるくだりは情が感じられた。
虎は竹藪のところは2人がかりの着ぐるみでよく動いたが、ここでは剥製のような虎。同じ虎に見えないのは逆効果ではなかろうか。



0315 劇団新感線「偽義経冥界歌」

今まで観た新感線の作品の中では一番面白かったのだが、2幕目になるとやはり長いと感じてしまった。物語があまり進まないまま殺陣が延々と続くのだもの。
効果音と照明に惑わされているような気もするが、筋立てが明快で、話に引き込まれた。主役の源九郎義経役の生田斗真は、おバカキャラを作りすぎに感じたが、スピード感のある殺陣を良くこなし、舞台を引っ張った。黄泉津の方のりょうは怪しくも美しい存在感。静歌の藤原さくらの憂いを帯びた歌声が印象的で、舞台を引き立てた。

0314 キューティーブロンド

神田沙也加がキュートな金髪娘を体現。日本人離れした金髪やピンクの衣装が違和感なかった。役に合った可愛い声で、歌唱にも安定感がある。
冒頭の女性陣のキンキンした声に閉口したが、物語が進むにつれましにはなってきた。が、金髪への偏見を覆す話なのに、ゲイや郵便配達のマッチョ男の描き方がステレオタイプなのはいかがなものか。

2019年3月12日火曜日

0311 唐版 風の又三郎

詩的なセリフ、登場人物が入り乱れる混とんとした展開は唐十郎らしいのだが、アングラらしい淫靡な雰囲気が乏しく、とても健康的だったのは、エリカ役の柚希礼音のキャラクターゆえか。赤いスリップ姿になっても、女っぽくならず、中性的というか、色気を感じなかった。又三郎を名乗るところは元男役を生かしたのかもしれないが、背が高いせいもあって少年ぽくはない。
織部役の窪田正孝は飄々とした雰囲気がよく、エリカにひかれて別世界に迷い込んでしまったよう。唐の世界観に合っていた。ラストの飛行機に乗り込むところで足を引きずり、柚希が助けていたのは演出かと思っていたら、どうやらケガをしたらしい。カーテンコールでは柚希に肩を借り、片足飛びで登場していたので、結構重症なのかと心配。
2幕の航空学校のシーンで高田(丸山智己)に特別な感情を抱く少年役が目を惹くなあと思ったら、大鶴美仁音だった。3幕の花嫁姿でも存在感があった。
教授役の風間杜夫、三腐人の石井愃一、金守珍、六平直政というシニア組は紙おむつを履いたり、尻に菊の御紋をつけたりと振り切った演技でよくやるよと思った。北村有起哉の夜の男、山崎銀之丞の風の商人はちょっともったいない感じ。江口のりこの桃子も。

0310 狂言五笑会 特別公演

「雁礫」は山下守之の大名、増田浩紀の道通りの者、井口竜也の仲裁人。山下が弓を射るために肩衣を脱ぐところでもたついて、ちょっとハラハラ。
「鎌腹」は鈴木実の男に千三郎の女、七五三の仲裁人。鈴木は師匠の胸を借りて力いっぱいという感じ。女から逃げわめきながら橋掛かりを登場する出だしから、しゃべりっぱなし、動きっぱなしの熱演だった。
最後は島田洋海の「釣狐」の披き。漁師の茂、後見に千作と千五郎がつく。
釣狐って難しいんだなあというのが感想。決まり事が多くてこなすのでもたぶん一杯いっぱい。狐の仕草や言葉の面白さを出すところまでは至らなかった。島田は緊張のためか、はじめの20分ほどのところで衿元が汗でびっしょりになるほど。

0309 清流劇場「壁の向こうのダントン」

ダントンの死を翻案。赤い椅子を積み重ねて壁を表現し、後方には青い門、白い床でトリコロールの舞台装置。白シャツにデニム 男優はジーパン、女優はデニムスカートという衣装はトリコロールの色ということと、民衆らしさの表現か。
ダントン役の田村K-1は滑舌がやや悪いのが難点。カリスマ性のある知的な政治家というより、肉体労働の兄ちゃんみたい。陰のロベスピエールに対して陽のダントンという明るさは体現していた。
ロベスピエールは高口真吾。比較のせいか、セリフの上手さが際立ち、弁の立つ政治家らしい。
民衆が蜂起する場面などで合唱が用いられたのがよかった。コーラスに厚みがあり、ミュージカルの一場面のような説得力があった。レミゼの民衆の歌を思った。

0308 KUTO10「ふるえて眠れ」

蟷螂襲の脚本にわかぎえふの演出というので期待したのだが、正直退屈だった。予告なくリーディングで、役者たちが脚本を手にしながら演じていたのに戸惑ったのが一つ。(ホンの上りが遅かったから?)そのせいか、セリフが十分に入っていない感じで、気持ちが乗り切っていないのか、響いてこなかった。90分ほどだったのに、とても長く感じた。場面転換のときに役者がゆっくり動く演出は面白く、照明は効果的だった。

0308 OSK「新撰組コンチェルト」

楊琳の土方歳三が格好いい。ダンスのキレの良さは以前からだが、歌も明朗な良く通る声で聞かせた。トップに近くなって、風格が出てきたのか堂々たる主役ぶり。永倉新八役の栞さなもよかったな。
新撰組だから仕方ない部分はあるものの、娘役の役柄がかなりら残念。祇園の芸妓なのだが、隊士らに黄色い声をあげるファンのような位置付け。たまたま一緒になって鴨川端を歩いたのが唯一の思い出って、関係が薄すぎる。どうせフィクションなのだから、何かで恩があるとか、きちんと絡みを作ってもいいのでは?単なるファンが、死んだ隊士に思いを馳せるとか、必然性ないでしょう。3人とも流暢な京言葉で、セリフも上手いのに、つくづく残念。

0307 ヘンリー五世

前作のヘンリー四世の映像から、王となったヘンリー(=松坂桃李)一行が、かつての仲間フォルスタッフ(吉田鋼太郎)らが出会い、ヘンリーの変貌振りを見せつけるところはよかった。フォルスタッフの衣装から早変わりで進行役となった吉田が舞台をすすめていくのだが、「皆様の想像力で補って」と繰り返すのはいかがなものか。舞台の上で場所が変わったり、少人数で大軍を表したりというのは、演劇の約束事や前提で、誰も舞台が現実そのままだなんて思っていない。改めて言及しなければならないくらい、まずいできなのかと演出力に疑問符がついた。
目まぐるしく場面が変わる割に、言葉で説明するところが多くて、退屈に感じるところも。移動が多いとはいえ、客席降りを多用するのも安易。心配事があったこともあり、芝居に入り込めなかった。ネギとか変な笑いを狙うのもなんだかなぁ。
松坂はセリフが薄っぺらく、身体表現も洗練されておらず、舞台俳優としての魅力に乏しかった。フランス皇太子役の溝端淳平は発声がよく、よほど目を惹かれた。フランス王の横田栄司も存在感が際立った。

0304 坂東玉三郎特別公演

「阿古屋」
玉三郎の阿古屋は花道の出で場を圧倒。新調の打掛を存分に見せる。三曲の演奏では長唄を舞台上手の2階部分に置く。阿古屋の下手に居ると同じ方向から音が聞こえるので一体化して聞こえるが、阿古屋との距離があると役者の演奏のアラが目立つような…。(舞台に近い席だったからかもしれないが)竹本との合奏は耳に楽しかった。
彦三郎の忠長はちょっと風格が足りない気がした。亀蔵の岩永は人形振りとしては十分の上手さだが、玉三郎の岩永と比べると人間臭く、滑稽さに欠けた。

「太刀盗人」
踊り上手の彦三郎、亀蔵兄弟の本領発揮で可笑しみが十分。

「傾城雪吉原」
紙吹雪の雪の中、白地に雪輪模様の打掛が映える。小品ながら、美意識の詰まったひと時。

3月2日 文楽京都公演 Aプロ

解説は芳穂。淀みないトークは年の功だが、梶原平三景時の名前が出てこなくてプログラムをカンニングするのはいいとして、らつこさんの漫画ページをみるのはいかがなものか。ネタか?

「義経千本桜」
椎の木の段の口は南都・燕二郎。南都の語りは堅実。情景を過不足なく描く。燕二郎も丁寧な演奏に好感。
奥は咲・燕三。咲は2月よりもさらに声が出て、復活といっていいくらい。権太は仁左衛門のような愛嬌はないけれど。

すしやの段は前が津駒・宗助。こちらも珍しい組み合わせだが、津駒と組むと宗助は寛治の系譜なのだと分かる。前半の1時間ほどはあまり見せ場がないようにも思うのだが。
後は織・清志郎。語り出しが維盛一行が隠れ家に落ちていくのを知った権太が飛び出してくるところから。のっけからアクセル全開な感じ。暑苦しいほど濃厚な床だった。

人形は玉男の権太に和夫の維盛。人間国宝をもったいなくないか?若葉の内侍の紋臣に目が行った。権太女房は紋吉、倅善太は簑悠だったが、歌舞伎と違って身代わりになるところは出遣いではないのね。

3月2日 文楽京都公演 Bプロ

解説は小住。ジーマークの弄りもあっさり

「義経千本桜 道行初音旅」
芳穂、靖、碩に清馗、寛太郎、錦吾、燕二郎という、若手会のような顔ぶれ。シンの力不足かガチャガチャした印象。二枚目の音がクリアに聞こえた。
人形は文昇の静に清五郎の忠信。清五郎の狐がぎこちなく、忠信になってからも間を持て余しているよう。鼓に擦り寄るところが、静の耳元に顔を寄せているようで、ドキリとした。

「新版歌祭文 野崎村の段」
中を碩・富助。異例の組み合わせだが、のびのびした語りは好印象。たまに声が大きすぎるのと、クセが強いところがちょっと気になった。
前は小住・勝平。勝平の三味線はおおらか。小住はおみつやお染など、女性の語りに難あり。
後の靖・錦糸はこの布陣の中では抜群の安定感。ツレの寛太郎は間合いが取りにくそうだった。

2019年3月2日土曜日

0302 第三回瑠璃の会

前半は「仮名手本忠臣蔵」から3段。
「殿中刃傷の段」は呂秀、呂響に駒清。呂秀が師直、呂響がそのほかという役割分担で全体的に呂秀のほうが目立った。呂秀はよく通る声で、ビブラートの利いた語りだが、声がとんがっている感じで耳に触る。呂響は全体的に苦しそうだった。とはいえ、2人とも去年に比べると各段の進歩(←えらそう)。
「裏門の段」は住年・住静。住年はブランクのためか硬いようだったが、「刃傷」の2人に比べると義太夫節らしい。住静はミスタッチも散見されたが、鳴りがいいというか、音がよく出ている。
「早野勘平腹切の段」は土佐恵・駒清。土佐恵の語りは与市兵衛女房が秀逸。女流の強みなのか、老母の心情が浮き出て聞こえた。一方、腹切りの場面などはあっさり気味。駒清の三味線は手はよく回るが、音が遠慮がちに聞こえる。
後半は増補忠臣蔵の「本蔵下屋敷の段」で住蝶・住輔に住静の琴。住蝶の語りはバランスが取れていて聞きやすい。クライマックスの琴が入るところで、不協和音?

0301 サファリP「悪童日記」

女性キャストを加えて再構成。題材は同じだが、脚本から初演時とはだいぶ違っている。初演時よりセリフに重きがおかれた印象で、ダンス要素も増していた。初演ほどの衝撃度はなかったが、これはこれで一つの在り方。
6つのローテーブルのような装置を移動させて家や路などを表現するシンプルな舞台美術、役柄がくるくる入れ替わり、言葉より体で語らせる演出は初演を踏襲。赤、青、紫のTシャツを着せて色彩を加えたところは、モノトーンだった初演時とは違う印象だが、色彩が過剰にも感じた。
ストーリーの明確さでは初演時のほうが伝わったが、余白が多いというか、観客にゆだねる部分が多く、想像力を刺激された。

2019年3月1日金曜日

0227 上方伝統芸能フェスティバル「船弁慶三体」

大阪城公園に新設されたクールジャパンパークオーサカのオープニング企画で、講談の旭堂南龍を進行役に、能、文楽、筑前琵琶、落語が出演。この日は「船弁慶」をテーマにそれぞれの芸能が競演する趣向。 劇場の真ん中に能舞台をしつらえ、四つ角には短い柱を立てた構造。三方を客席が囲み、舞台の後ろには桜が活けてある華やかさ。ただ、椅子は会議室にあるようなもので、座り心地はよくない。
半能「船弁慶」は山本章弘のシテに福王知登のワキ。子方が脇柱のあたりで座る場面で、後見(父親?)の人が手首をつかんで何か小声で注意していたのでびっくりした。普段の能舞台よりも客席との距離が近く、しかも普段は壁で隔たれる地謡座のあたりも客席になっているので、細かい仕草も丸見え…。天井が抜けているせいか、声の響きがよくなかったように感じた。地謡が舞台の後方にいたせいかも。
文楽は「義経千本桜」の「渡海屋」の一部。呂勢・宗助の床に玉男の知盛。舞台を大きく使っての人形はダイナミック。こういう人形で足遣いの動きが良く見えるのは興味深かった。足をさっと出して力強く足踏みするところとか。
筑前琵琶「船弁慶」は奥村旭翠。派手さはないが、深みのある声がよく通る。船弁慶という曲の特徴か、同じような節が繰り返され、あまり起伏がなかったように感じた。
落語は月亭文都。初めて聞いたが、マクラがやたら長く、あまりうけない小咄をいくつも続けたうえ、本編が早口でせわしない。あんまり早口だと間が悪くなって面白くなくなるのだなあ。
進行役の南龍の役割は、それぞれの芸能の特徴や他の芸能と比べてみる際のポイントなどを指摘することだと思うのだが、ピンと外れの話が多かった。受けを狙っていろいろ小ネタを挟むのだがセンスがいまいちで、笑いも取れず。講談は久しぶりに聞いたが、そしてそれは古典ではなくてこの公演のために俄作りしたものだが、テンポが悪く、ちっとの面白くなかった。口裁きはいいのになあ…。

0224 システィーナ歌舞伎「TAMETOMO」

30分の休憩を挟んで3時間20分の長丁場。オープニングや場面転換のところで度々元歌劇のダンスや歌が入るのが冗長て退屈に感じたところもあったが、最後の立ち回りが迫力あって面白かったので、まあいいかという気持ちになった。
物語の運びは粗く、嵐を鎮めるために白縫姫は海に身を投げたはずなのに、どうやら皆遭難したらしかったり、為朝がいつのまに琉球へ来たの?とか、乗り移った白縫姫が急に大立ち回りを演じるので、え?姫は武術の達人だったっけ?となったり、アーサー王のごとく岩から剣を抜いて琉球王となった為朝が敵を倒すや息子に剣を譲ってしまったり、えー⁉︎という展開が多々あった。
上方歌舞伎チームの立ち回りが少人数の割に見応えあり。愛治郎は愛之助と一対一で斬りむすんだり、バク転を披露したりと活躍。折之助が女形だけでなく、立ち回りでも健闘してたのも頼もしい。千次郎は出てくると芝居が引き締まり、もはや安定感がある。
壱太郎は立ち回りだ刀流で剣を振り回す奮闘ぶり。対して愛之助は特筆すべきものがなかったような…。弓だけ持って立ち回りしたって、敵を倒せるわけないじゃん。
吉弥の毒婦ぶり、猿弥のラスボス感、国矢の小悪党と役者が揃ったので、楽しめた。
愛一郎はお笑い担当というか、怪我をした愛之助を介抱する場面での胸や尻に詰め物をした不細工な女やプロレスシーンでのオネエの覆面レスラーなど。これで喜ぶ客もいるのかもしれないが、いい加減辟易した。翫政の珍しい女形は面白かったけど。

0222 若手素浄瑠璃の会

「尼崎の段」は碩・清允。少々固いところも含めてフレッシュな演奏。碩はいい声で、光秀の家臣の語りなどは勢いがあってよかったが、拍手が出るほどではなかった。女義のクセがついてると聞いたせいか、ところどころ女義っぽいと感じるところがあった。三味線の手数が多く弾きがいがありそうなので、三味線メーンの配役なのかも。清允は時折音がこもるところもあったが、よく弾いていた。

「堀川猿回しの段」
芳穂・友之助に燕二郎のツレ。
熱演なのだが、今ひとつ面白くないのは真面目すぎるからか。世話物なので、手練れ感というか、力を抜いたところも必要なのかも。友之助も緊張感か感じられた。バランバランと激しく弾くところも。
ツレ弾きは最初と最後なので、中盤は舞台袖に引っ込んでいた。

0219 夫婦漫才

大地真央の若いこと!夫役の中村梅雀と同い年とは役の上では5歳下の設定だったが、10は離れているように見えた。
夫婦げんかがすでに漫才になっていて、テンポのいい掛け合いが本職の漫才師よう。立て板に水の大阪弁もさすがネイティブというか。途中、ミュージカル風に子供と歌って踊る場面もあり、大地の衰えぬ魅力を堪能した。

0218 ベルサイユのばら45

初演のアントワネット、オスカルから平成までのキャストが揃い、宝塚のベルばらの歴史を振り返る。VTRの名場面もあり、昔のキャストのほうが芝居に厚みがあり、ベルばらの世界を体現していたように思った。逆にいうと、最近のキャストは芝居が軽すぎて、小恥ずかしさが増してしてしまう。大仰に演じて、しかもその間を保てないと。歌舞伎や新派に近いのかも。

2019年2月19日火曜日

0214 罪と罰

休憩を挟んで3時間40分という時間が増長でなく濃密。
階段状の装置に家具やガラクタが積み上げられた舞台は、当時のロシアな混沌を表すよう。キャストは役でない時もアンサンブルのように舞台にいて、背景や心情を表現する。チェロやアコーディオンの演奏家が役者に交じって舞台上を動き、時にアンサンブルの一部になるのもおもしろい。
ラスコーリニコフの三浦春馬は体を絞って役作りをした甲斐あって、落ち窪んだ目が印象的。メイクの効果もあるのかも。熱に浮かされたような不気味な様子で、急に意識を失って倒れこんだり、床を転げ回ったりと身体表現も駆使しての熱演。自分は特別な存在で罪を犯しても許されるという思考は「スリルミー」にも共通する。
ソーニャの大島優子はよく通る声がいい。賢くはないのだけど、結果として生母のように救いをもたらすソーニャによく合っていた。
ソーニャの義母役の麻実れいは原作にはあったか覚えてないが、間狂言のようなかんじ?
貧しさが滑稽になってします悲しみといおうか。
舞台上のガラクタは物語が進むにつれて片付けられ、ラスコーリニコフが刑に服してシベリア送りにされたところではほとんど何もなくなる。背景の壁がひらいて光が差し込む。許しや希望を匂わせるラスト。

2019年2月17日日曜日

0216 茂山狂言会 春 四世茂山千作七回忌追善公演

小舞3番は慶和の「岩飛」鳳仁の「雪山」宗彦の「蛸」。蛸の足のようにぐにゃりとしたり、蛸口になるのが面白い。

「骨皮」
蓮の新発意は棒読み調で面白いことを話す可笑しさ、子供らしい可愛さで笑いをよくとっていた。膨大なセリフをよくこなしたが、時折終盤はセリフが入りきっていなかったようで空に目を泳がせたり、終盤は後見の茂が出だしの一言をささやいたり。息子が心配なのか、茂がいつもに増して真剣な表情。老僧の七五三はとぼけた感じがいい。檀家は竜正、虎真、千之丞(病欠のあきらの代役)。竜正と虎真はセリフ回しも落ち着いて子役から脱しつつある感じ。

「那須語」
逸平の那須与一が勇壮な武士らしい。

「空腕」
千作の主人と千三郎の太郎冠者。千三郎が汗で衣装の色が変わるほどの熱演。

舞囃子「頼政」
金剛龍謹がいつもに増した真剣な表情でりりしい。やはり声がいい。

「通圓」
千五郎の通圓。能と続けてみるとパロディであることがよくわかる。葛桶に座って身体を左右に回転させたり、扇の代わりに団扇を持って舞ったり。結構シリアスというか、あまり笑いがない感じで、元の頼政を知らないと楽しめないのかも。

0215 ピッコロ劇団「マンガの虫は空こえて」

少年期の手塚治虫を3作の漫画を原作に描いた。手塚=大寒少年役の三坂賢二郎が身体は強くないけど、賢くて、漫画で人を楽しませようという信念のある人物を造形。
前半で大寒が追いかける幻の蝶ゼフィルスと後半、学徒動員先で思いを寄せる宝塚音楽学校の生徒、京子を今井佐知子が演じるのだが、せっかく同じ役者なのだから、京子に会ったときに「蝶に似てる」とかなんとか一言あってもよかったのでは?今井は蝶の時、膝が伸びていないのが気になったが、京子からラストの男役の凛々しさまで、振り幅のある役をよく演じきった。合唱部分のはじめにソロで歌うのも、清々しくて好印象。
いい年のおっさんたちが、中学生を演じる無理は多少感じたが、バンカラ=明石役の孫高宏は無骨で根は優しい少年を好演。
神社に隠れる脱走兵の恋人幸子役の野秋裕香。学ランを着て少年のふりをしているのが自然だったが、ラストの蝶を追いかける少年役を見て、あそこは男の子の役を演じているように見えるより、女がふりをしている不自然さがあったほうがよかったのかもと思った。
ピッコロと演出家岩崎正裕のコラボらしく、ところどころ入るコーラスに岩崎らしさが見える。

2019年2月14日木曜日

0212 天下一の軽口男

上方落語の創始者、米沢彦八を駿河太郎。声がかすれていたようで聞き苦しかったが、地声なのだろうか。「つるびんさん」と呼ばせたりして笑いを取っていたが、落語の創始者たる説得力がないというか、魅力が感じられなかった。池乃めだかや内場勝則、西川忠則ら吉本新喜劇と松竹芸能の桂春団治、酒井くにお・とおる、笑福亭銀平、松竹新喜劇の曾我廼家玉太呂、江口直弥、里見羽衣子という異ジャンルの共演が一番の見ものか。OSKの高世麻央が武家の奥方役。

0211 木下歌舞伎「糸井版 摂州合邦辻」

冒頭、暗転から合邦が玉手を刺し殺す場面で始まり、時間軸が行きつ戻りつする展開。玉手と合邦の幼少期の親子関係や、俊徳丸と次郎丸、朝霞姫の関係などが描かれる。歌が多用されているのだが、俊徳丸役の田川隼嗣の歌唱力が微妙で(音はギリギリ外れてはいないのだが、上手くはない)のが辛い。 玉手と朝霞姫の取っ組合いのところで、ヴァイオリン、トランペットの演奏で義太夫のような語りが入るのだが、本物の義太夫節のほうがいいと思ってしまった。

2月10日文楽公演 第3部

「鶊山姫捨松」
簑助の遣う中将姫の被虐の美に尽きる。ノリノリでこれでもかと見せつけるよう。
床は前が靖・錦糸、奥が千歳・富助に錦吾の胡弓。靖は同世代の女御浮舟と桐の谷の語り分けに難あり。人形が一輔、紋臣と繊細な動きのできる人だったので、話しているのがどっちか分かったが。中将姫も俗っぽいのか、姫の気品が感じられず。役に似合わない感じ。千歳は高音が辛いものの、後半の父豊成卿の述懐が聞かせる。
人形は一輔、紋臣がよく、初役で豊成卿を勤めた玉也が意外な配役ながら説得力があった。

「阿古屋」
津駒、織、津国、小住、碩に清介、清志郎、寛太郎の三曲。三曲の演奏は三味線との不協和音が多かったような。琴を弾き始めるところで、清介が撥の反対側で弦を掬うように弾くと不思議と琴のような音が出る。詮議のいわれを語るところ、あってもいいけど、なくても困らない気がする。織は滔々と語ってたが。津国の岩永はよく似合う。

2月9日 文楽公演 第2部

「大経師昔話」

はあ?という話だ。旦那を懲らしめてやろうとお玉と入れ替わるおさん。助けてもらったお礼にお玉の気持ちに応えてやろうとする茂兵衛。誰も悪くないのに過ちが起こってしまうという不条理が描きたいの?にしても、コトに及ぶ前に相手を確かめないのか?
大経師内の段は中が希・清丈、奥を文字久・藤蔵。文字久はニンでないせいか凡庸。「ヤアおさん様か」「茂兵衛か」と詞で終わる段切れが斬新。
岡崎村梅龍内の段は中を睦・友之助、奥を呂・團七。睦の語りがが意外に良く(失礼)、お玉の健気さ?困惑?に引き込まれた。
奥丹波隠れ家の段は三輪、南都、咲寿に清友。不条理劇のような展開に呆然。

2月9日 文楽公演 第1部

「桂川連理柵」
11月公演ではなかった石部宿屋の段は芳穂・勝平にツレで亘・錦吾。前半は舞台に浅葱幕がかかるなか、掛け合いで道行のよう。場面転換すると、掛け合いの太夫と三味線は引っ込んで、通常の語りに。長右衛門の主体性のなさというか、駄目っぷりが際立つ展開。長吉がしたたかで、帯屋とは別人のよう。人形は全員頭巾をかぶったまま。最大で8人が舞台に並ぶので、そのためか。
六角堂の段は希、咲寿、文字栄に団吾。咲寿の長吉が、アホになりきれてないのか、違和感あり。床本をめくるのが妙にキリッと格好つけてるのも変だ。小住との力の差を感じてしまう。
帯屋の前半は呂勢・清治。呂勢が楽しそうでいい。清治が時折舞台に目をやって苦々しげな顔をしていたのはなぜだろう。儀兵衛の玉佳がやりすぎだった?後半は咲・燕三。咲は体調が戻ったようで、声がよく出ていた。高音が苦しそうではあったが。人形はお半の清十郎が可憐。儀兵衛の玉佳が本人そのままのようでイキイキして見えた。

iPhoneから送信

2月8日 二月大歌舞伎 夜の部

「熊谷陣屋」
吉右衛門の熊谷に葵太夫が丸々一段語るという、おそらく当代一の熊谷。吉右衛門は義太夫狂言らしい重みがあり、語りにも力が入っている。魁春の相模は型通りでちょっと憐れみが薄いようにも感じたが、雀右衛門の藤の方は品を保ちつつ、母の情が感じられた。が、何故だろう。義経が出てきたあたりから急激に眠気が…。菊之助の義経は、貴公子然としていて武士らしくないのだか、それはそれで悪くないはず。さすがに、僧形となった熊谷が花道へ向かう直前で覚醒して、「十六年も…」のセリフはしっかり聞いたのだが。

「當年祝春駒」
曽我の対面を舞踊仕立てで華やかに。五郎役の尾上左近がチラシの写真では子ども子どもしてたのに、以外に大きくて驚いた。大磯の虎の米吉、傾化粧坂少将の梅丸と若手の綺麗どころが並んだが、化粧のせいか梅丸がキツイ顔だったのが残念。

「名月八幡祭」
なんだかなあと感じたのはホンのせいか、役者のせいか。芸者に入れ上げた田舎者が裏切られて逆上するという、籠釣瓶のような展開ながら、全体的にスケールが小さいので物足りなく感じる。新助の気が触れて殺すにしても美代吉1人だし、狂気も凄みよりは惚けた感じ。新助を演じる松緑が可愛げがないというか、可哀想に見えないせいか。玉三郎の美代吉は悪女というより、気まぐれ。騙そうとしたというより、面倒くさくなって、投げやりになったように見える。仁左衛門の船頭三次も悪人というより小者っぽい。新助の職業、縮屋というのが、「シジミ屋」と聞こえて、蜆売りかと思ったよ。


iPhoneから送信

0203 実験劇場「モーション・クオリア」研究

工藤聡振付の「Necessitudo/ネセシテュード」について。 クレア・カムースと工藤の2人の舞台。抽象的な音楽に合わせて、重力に身を任せたような動きが永遠運動のように繰り返される。どちらかというと、男性の働きかけに女性が応えていくというか、翻弄されていくような印象。身を任せることを強要されているようで、女性が辛そうなのだ。たぶん、身体的にもなかなかしんどいのだろうと思う。モーション・クオリアとは、ピタゴラスイッチのように、重力による動きを様々な動きに転換させていくことなのかな。後のパネルトークで工藤が言っていたのだが、女性が一人で立って離れていくのは、男性の束縛から離れて自立する様を描いたそうだ。なるほど。

2019年1月26日土曜日

1月25日 初春文楽公演第1部

「二人禿」はパスして、「伽羅先代萩」から再見。 「竹の間」の織太夫は相変わらず。八汐の嫌みっぷりがいい。團七の三味線はミスタッチが増えていたような。 「御殿の段」の千歳は7日に聞いた時より断然よくなっていた。政岡の情、2人の子供の語り分けも丁寧で、いたいけな感じが出ていた。 「政岡忠義の段」は咲太夫が復活。見た感じは元気そうだけど、声を出すのが辛そう。千松の遺体に縋り付いて嘆くところでさえ、声量が十分ではなく、物足りない感じだった。力の入りすぎで疲れる織とどっちがいいか、悩ましいところ。織の紋が入った朱色の見台を使っていたところを見ると、この見台は咲のものなのだろうか。 「壺阪観音霊験記」は沢一内の靖・錦糸。靖は病み上がりのせいか、精彩を欠いた印象。山の段の呂勢・清治は充実の床なのだろうけど、やっぱり泣けない。節は美しいし、曲はいいのだろうけど。清治の三味線が鋭すぎるのかしら。

0124 音楽劇「マニアック」

くだらなさに徹した、バカ騒ぎの舞台。いや、批判でなくて、これを狙っているのだろうし。ミュージカルでなく音楽劇というのは、こういうことかと。登場人物の心情を歌ったり、踊ったりするのだけれど、音楽が歌謡曲っぽいせいかミュージカルとはちょっと違う。タブーに挑戦というよりは、小学生の悪ふざけの延長というか・成海璃子に卑猥なセリフを言わせたり、ラストは金色の巨大な男根に跨らせて祭りのようにはやし立てたりとか、しょうもない。成海がピンクのフリフリの衣装で、スクールメイツのようなダンサーを従えてアイドル歌手のように歌ったり、シンナーを吸う不良が出てきたりと、昭和感がただよう。今の若い子ってこういうのどうなのだろう。関ジャニの安田章大は意外と小柄で、ヒールを履いていたとはいえ成海より10センチ近く小さかった。看護師長役の堀内敬子がミュージカル女優らしい正統派の歌と踊り。いろんなジャンルの人がそのまま存在することで面白がらせる。古田新太はこういうのがやりたいのだろうな。院長に操られる元ヤンの精神病院患者が「まんぷく」の赤津だった。

0123 文楽SHOW

桂佐ん吉のナビゲートで約1時間で文楽のさわりを紹介する企画の第2弾。英、中、韓の字幕がつき、客席の半分以上は外国人のようだが、入りは半分程度か。 一輔がお七の人形をつかって客席から登場。舞台に上がるといったん袖に引っ込んで、床の演奏にあわせて武士の人形でちょっとしたパフォーマンス。そのあと、太夫、三味線、人形の紹介に。靖太夫の代役だった睦太夫は、しゃべりは硬いのだが、寺子屋の涎くりと菅秀才の語り分けはさすが先輩だけあって、落ち着いて聞ける。清丈の三味線は、走ってくる音の引き分けと、短い音で「なんでやねん!」の感情の変化を現す。佐ん吉も慣れた様子だが、初めて感のあった去年のほうが面白かったかも。人形は女形の人形でいつもの解説。笑うところで「おほほほほ。って私の声が気持ち悪いんですが」という一連のセリフが、玉翔とまったく一緒(順番的には一輔が先なんだろうけど)で笑った。 ミニ公演は「火の見櫓の段」。若手でしか聞いたことがなかったので睦の上手さを再発見(失礼)。公演中は撮影OKというのは、普及活動としてはありかもしれないが、シャッター音が邪魔に感じた。

2019年1月22日火曜日

1月22日 宝塚星組「霧深きエルベのほとり」

1963年初演の菊田一夫の作品を上田久美子が潤色・演出。トップスター紅ゆずるのソロから、幕が上がると大階段を使ったキャスト総出の華やかなオープニング。「え?これは何の場面??」と一瞬戸惑ったが、祝祭的な気分を盛り上げる。身分違いの恋と別れという、使い古されたような物語だが、カールからマルギットへの告白のセリフなど、キュンとさせるポイントを抑えている。ダレて睡魔に襲われかけると群舞で目が覚めるという感じで、テンポのよい展開で飽きさせないのは上田の手腕か。 主人公の船乗り、カール・シュナイダーは粗野だが根はやさしいというキャラが紅に合っている。ヒロイン、マルギットは世間知らずのお嬢様という風情で、これも綺咲愛里に似合う。終始裏声のような発声は役作りなのかもしれないが、ちょっとどうかと思う。マルギットの婚約者フロリアンは、物分かりのいい紳士という現実離れした人物ながら、礼真琴がリアリティをもって好演。手切れ金をせしめて立ち去ろうとするとき、カールがマルギットを札束ではたくシーンはああこれかと。ただ、マルギットのためにあえて非道な男を演じたことを、あっさりバラしちゃうラストはどうかなあ。マルギットがカールをあきらめてフロリアンと結婚したあととか、何年もたってからというならともかく、こんなに早く知られてしまってはマルギットはまた思いを再燃させてしまうのでは? レビュー「ESTRELLAS~星たち~」にはがっかり。Jポップや洋楽のヒットソングをふんだんにつかう展開に、藤井大介が演出か?と思ったら、中村暁だった。曲の最後にキャストが銀橋に並んで合唱→暗転というパターンが多用されていて、苦笑するばかり。礼の歌とダンスのうまさだけが救いだった。

2019年1月20日日曜日

0119 ミュージカル「スリル・ミー」

同性愛関係にある「私」(松下洸平)と「彼」(柿澤勇人)。ニーチェに心酔し、超人と自任する「彼」はスリルを求めて犯罪を繰り返し、彼への思慕から共犯者となっていく「私」。男優2人とピアノだけ(+ナレーション)というミニマムな構成で描かれる濃密な世界観。激しいピアノ演奏や効果音で緊張感が高まる。はじめは「彼」に追従するような気弱な様子だった「私」は、終盤、彼を自分のものにするために殺人を犯し、犯行現場に証拠となる眼鏡を落として捕まるように仕向けたと告白する。支配する者とされる者の逆転がスリリング。松下の繊細な演技に引き込まれた。緊迫感のある音楽は物語にあっているのだが、日本語の歌詞が野暮ったいような。原語で聞いてみたいと思った。

0118 メイシアタープロデュース公演「少年王國記」

離島に不時着した少年たち。救助を待ってサバイバル生活を送るうち、理性的なリーダーが否定され、暴力や富(食料)により流される危うさ。現代社会にも通じる人間模様だ。白塗りに濃淡のグレーの衣装というモノクロームの世界はスタイリッシュだが、名前で呼ばれる少年の識別がしにくく混乱した面も。リーダーのアキラ(赤星マサノリ)とアキラと対立する狩猟部隊の隊長(村尾オサム)がともに14歳で、ほかの少年は皆年下という関係なのだが、事前にパンフレットを読んで頭に入れておいたら分かりやすかったのかも。ストップモーションのような動きは「高野聖」でも用いられた演出。狙いは面白いのだが、役者の動きがまだ洗練されていないので、その効果が十分に表現しきれていないように感じた。ダンサーなど身体表現に秀でた人が演じたら違うのかも。暴力に流されて過激化していく少年達と、追われるオサムの攻防は緊張感があって引き込まれた。 気が弱くフェミニンなぷーちゃんの岸本昌也は、エイチエムピーの公演で女形をすることが多いようだが、そういうキャラなのだろうか。

2019年1月18日金曜日

0117 ミュージカル「オン・ユア・フィート!」

グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーンの楽曲でグロリアの半生をつづる。「マンマミーア」や「ジャージーボーイズ」のような路線を狙ったのだろうが、それらに比べて楽曲が知られていないうえに、これといった困難がなく、グロリアの母の反対が最大の障害といった程度で、物語の起伏が乏しい。「コンガ」が世界的にヒットするところで1幕が終わってしまったので、この先どうなるの?(何か描くべき物語があるの?と思ったほど。グロリアが重大な事故にあって復帰したというのは知らなかったが、物語の山場としては弱い。1幕、2幕とも最後の曲で客席総立ちのライブ風になったが、アメリカだともっと盛り上がるのかも。 グロリア役の朝夏まなとの長身は、他のキャストとのバランスが悪い。夫、エミリオ役の渡辺大輔は朝夏より背が高かったので何とかなったが、相手役には苦労しそうだ。セリフが外国映画の吹き替えみたいだったのは演出なのか。ラテンの歌唱や踊りがどこかあか抜けないのは、全キャストに共通してた。渡辺はラテン男ぶりが軽薄そう。歌は安定していた。存在感が光ったのは母親役の一路真輝。娘と対立する強情さの背景に、自身が若いころ歌の道に進めなかった後悔があることがきちんと見えて、ただの嫌な母親になっていなかった。歌唱も説得力があった。グロリアの妹、レベッカ役の青野紗穂はパワフルな歌声。プロフィールを見たら「RENT」のミミ役をやったとあって納得。

2019年1月16日水曜日

0115 有頂天団地

渡辺えりとキムラ緑子の喜劇シリーズ。昭和中期の建売住宅を舞台に、庶民の主婦らのいざこざが描かれる。あまり大きな事件は起きず、ささいな日常を描く芝居で3時間持たせるのは正直しんどい。大人しい専業主婦役の渡辺は、登場時こそそのギャップに笑えたが、だんだん地の力強さが出てきて役柄とミスマッチ。小学校に通うおじいちゃん役の笹野高史がほっこり。中途半端な昔なので、マダムジュジュとか、バナナとか時代を感じさせる小ネタがいまいちピンとこなかったが、もう少し上の世代なら楽しめたのかも。(客席にはウケていた)

2019年1月14日月曜日

0113 夕暮れ社弱男ユニット「サンクコストは墓場に立つ」

不条理劇という触れ込みだが、コントみたいだった。大学の建て替えに伴い、保管されている献体を新校舎に移す作業を命ぜられた学生2人。1人が電話している相手は同じ学生だが、バックれて繋がらない。そこへ、派遣会社からやってきたという3人の女が現れ、献体を運び始める。担架やストレッチャーを使わず、素手で抱えて移動するというのがそもそもありえないし、訳知り顔で仕切りたがる女(まゆみ=稲森明日香)の話ぶりがイラっとする。遺体への抵抗感から作業に加われず、途中で帰ろうか迷う女(久米=向井咲絵)の煮え切らなさもしつこいくらい。途中遺体が動き出したり、ヤケになって次々と遺体を運ぶところはテンポのいいコント。運び終わったところで、何故か遺体が勝手に歩いて元の水槽に戻るのはシュールだ。
遺体役は山下残で、脱力して運ばれるのは運ぶ方も運ばれる方も体力的に負荷が高そう。学生の1人詩織役の安岐裕美がスラリとした美人で声もよかった。
時折床下から振動するほどの大音量はびっくりするが、なんの効果を狙ったのか。

2019年1月13日日曜日

0112 「SOMETHING ROTTEN!」

ミュージカルコメディで過去の有名ミュージカルの名場面や音楽のパロディが随所に盛り込まれるのだが、いま一つ笑えなかったのは福田雄一の演出が肌に合わないからだろうか。出演者の内輪話みたいなのが多く、くどく感じる。主人公ニック役の中川晃教の歌のうまさ、ミュージカルスターらしい存在感を再確認。ライバル、シェークスピア役の西川貴教は期待したほどではなかったが、それはたぶん演出のせい。(開けた衣装から覗く胸筋が妙になまめかしく女性の胸みたいだと思っていたら、本人もセリフで触れていた)ニックの妻ビーの瀬奈じゅんは男装シーンが板についていた。ニックの弟、ナイジェルの平方元基は歌が上手く、好青年。ポーシャ役の清水くるみは声がかわいらしいが、時折低音で本音を話す演出が好みではない。預言者役の橋本さとしはアドリブっぽく笑いをとる担当か。