2017年12月20日水曜日
12月18日 文楽公演
「ひらかな盛衰記」
義仲館の段から逆櫓の段までを通して。駒若丸と槌松を取り違えるところが上演されるので、筋が分かりやすい。
義仲館は始、巴御前の南都、山吹御前の希、お筆の亘に団吾の三味線。始の大きな語りがいい。
大津宿屋の段は靖・錦糸に清允のツレ。靖の安定感が増して頼もしい。
笹引の段は咲甫・清友。咲甫としては最後の舞台だが、浪々と歌い上げるような語り。
松右衛門内の段は中を芳穂・喜一郎、奥を呂・清介。芳穂は日高川よりはだいぶいい。呂は三味線が激しくなると声がかき消されるようなところもあったが、力強く語るところもあって、聞きごたえあった。
逆櫓の段は睦・清志郎。清志郎の激しい三味線が気持ちを掻き立てる。睦は奮闘していたが、やっしっしのところで声がかすれるのが辛かった。それほど高音ではないと思うのだが。
人形は幸助の松右衛門が大きな動きで、汗だくの熱演。槌松の和馬がなんか可愛かった。
2017年12月19日火曜日
1218 文楽鑑賞教室Bプロ
「日高川入相花王」
芳穂、靖、咲寿、亘、碩に清丈、友之助、清公、錦吾、清允。芳穂の清姫は高音が辛い。靖の船頭は嵌る。人形は簑紫郎の清姫に文哉の船頭。蛇に変わって川を渡るところは、足や左に振り回されている感じ。
解説は希、寛太郎、玉誉。3人とも真面目すぎというか、硬い。
「傾城恋飛脚」の「新口村の段」は小住・清公が簾内で口を語ったのち、呂勢・宗介の前に、千歳・富助の後。呂勢はいつもよりのびのびと語っている感じだが、感情に乏しいい。千歳になってぐっと引き込まれた。
1217 貞松浜田バレエ団「くるみ割り人形」
お伽の国バージョンを所見。クリスマスパーティの場面など、子どもを加えた大人数の群舞が華やか。場面ごとに色合いの異なる衣装やセットも目に楽しく、飽きさせない。特に1幕最後の雪のワルツは雪降る中の群舞が夢のような美しさ。クララと王子の乗るサンタクロースの橇が電動カートみたいなのはご愛嬌。
金平糖の精の代わりに御伽の国の王女が出てくるのだが、音楽の繋がりが今ひとつ。クララ役の東沙綾は少女らしいのびのびした踊り。くるみ割りの王子の塚本士朗々は安定感があり、パートナーシップも悪くない。お伽の国の王女の竹中優花はどこから遠慮しているのか、踊りが小ぢんまりして見える。王の武藤天華も未熟さが見え、パドドゥがぎこちないところがあった。
金平糖の精の代わりに御伽の国の王女が出てくるのだが、音楽の繋がりが今ひとつ。クララ役の東沙綾は少女らしいのびのびした踊り。くるみ割りの王子の塚本士朗々は安定感があり、パートナーシップも悪くない。お伽の国の王女の竹中優花はどこから遠慮しているのか、踊りが小ぢんまりして見える。王の武藤天華も未熟さが見え、パドドゥがぎこちないところがあった。
2017年12月17日日曜日
1216 花組芝居「黒蜥蜴」
義太夫節の演奏付きで、江戸川乱歩の世界が歌舞伎仕立てで演じられる。セリフ回しや所作は歌舞伎そのものなのだが、テンポが速いのか、間が詰まっているのか、せわしない印象。もっと作品世界に浸りたい。笑いが随所にちりばめられているのは楽しいのだが、芝居の流れは途切れる。黒蜥蜴の加納幸和はアイメイクが控えめなせいか、あまり美しく見えず、おばさマダムという言葉どおり。早苗役の堀越涼も可愛くないし。明智小五郎は白塗りで赤い口紅なので、男前のピエロみたい。もっと男らしさが欲しい。そんなこんなで1幕は今一つの印象だったのだが、ラストの黒蜥蜴が毒をあおって明智に抱きしめられる場面は美しかった。まあ、それまでの、黒蜥蜴と明智が惹かれ合う描写がなかったので、唐突ではあったのだが。
1216 燐光群「クジラと見た夢」
基地移設問題で揺れる沖縄県名護市(劇中ではヒゴ)とイルカ・クジラ漁を巡る話。50年ぶりに故郷へ帰った男はかつてヒゴでクジラ漁をしていた漁師。今もこの地にはイルカ漁が残り、漁業権維持のために、地元の一人たちは兼業で漁師を続けている。市の東西に湾があり、状況は全く異なるのに1つの漁業組合が取り仕切る。基地のため、漁業権を放棄した東側のおかげで、西の港の人達も補助金を受け取っている不条理。いつもの燐光群の芝居同様、へえと思う情報満載。舞台は堤防になっていて、いろんな人達が入れ替わり立ち代り訪れるが、場面の変化が乏しく、イルカの追い込み漁の描写などはややキツかった。最後はイルカが起こす奇跡、ファンタジックな幕切れ。
1215 くじら企画「サヨナフ」
ピストル連続殺人犯、永山則夫をモデルにした芝居。永山の住むアパートに4人の男が訪れる。永山の支持者だという彼らは、永山が殺した被害者で、事件の様子や少年時代の出来事が明かされる。無知ゆえの犯行で、悪いのは取り残された者を生み出した社会だという主張に同情できなかったのは、永山の身勝手さが活写されていたからだろう。ただ、秋月雁は永山には少々年を取りすぎで、役とのアンバランスさが否めなかった。少年時代を演じた森川万里が鋭くナイーブな演技だが、健気にみえたのは役には合っていないのかも。姉役の藤井美保が、終始手や口元が震えていて、緊張のあまりなのか、役作り(姉は精神を病んでいる)なのか。後者だったらすごい。ラストシーンは撒かれる遺骨がキラキラと光ってきれい。
2017年12月15日金曜日
1214 「4 Stars 2017」
ミュージカルスターのシンシア・エリヴォ、ラミン・カリムルー、シエラ・ボーゲスに城田優という4人の共演。城田は思っていたよりも歌えていたが、やはり格が違うのは否めない。何より圧巻だったのは、初来日というシンシア・エリヴォの歌。1幕目はちょっと緊張していたのか、遠慮がちに聞こえたが、2幕ではのびのびと歌声を響かせ、出世作という「カラー・パープル」の「I'm Here」でステージは最高潮になった。なぜか「エリザベート」の楽曲が日本語で披露されたのだが、ラミンの日本語は音節と合っていなくて、せっかくの名曲が台無し。ただ、彼のトートで1舞台聞いてみたいと思わせた。
1211 神田松之丞 講談漫遊記vol.1
猫背で下からすくいあげるような視線やねっとりと絡みつくような語り口が不快感と紙一重。でもすごく聞かせる。
満席の観客の半分ほどは初めて松之丞を見るという人だったせいか、少々やりにくそう。中入り前は2演目の予定を短めの話3つに変更していた。
「山田真龍軒」は宮本武蔵の戦いぶりが活劇風。ちょくちょく笑いを挟みつつ。大阪にゆかりの「違袖の音吉」は少年音吉が嫌みなガキ。「扇の的」は短かったが、本格的な古典を聞かせる。
中入り後は本日メインの「赤穂義士銘々伝〜神崎の詫び証文」。忠臣蔵関連で3本の指に入る講談なのだそうだが、冷静に考えると何というか、しょうもない話だ。酔っ払いに絡まれた侍が我慢したってだけだし。ただし、そんなしょうもない話でグイグイ引き付られた。はじめは探り探りだった客席も、最期にはすっかり掴まれていたようだった。
2017年12月11日月曜日
1210 エイチエムピー・シアターカンパニー「盟三五大切」
客席に向かって扇状に広がる舞台には黒いラインが貼ってある。伸縮するラインで部屋を区切ったり、生死の境を現したり。小道具はほとんどなく、黒い紙で畳や煙草盆、食器などを表現。衣装は「四谷」と似たデザインだが、こちらは黒ずくめ。源五兵衛、小万、三五郎の3人のみが白塗り。役名や場面などの映像は床面に投じる。「本心」がキーワードのようで、源五兵衛が小万のために100両を与えるところや、八右衛門が源五兵衛の身代わりにとらわれるところ、意に反して義士に列せられるところなどで「本心」が語られる。原作と異なり、三五郎が源五兵衛の生き別れた息子としたのは、人物関係を簡潔にするためだろうか。忠義のために思ってしたことが実は主君を損なうことだったという皮肉がぼやけるように感じた。
女ばかりの妖狐組は高安美帆の源五兵衛。小柄で華奢なのは源五兵衛という役には不利と思う。小万の林田あゆみも期待が高すぎたのか、ちょっと物足りなかった。2人とも白塗りのメークがそぐわない感じで、もうちょっと格好良く/可愛くできたのではないかとモヤモヤした。ラストちかく、小万の首を落としたところは、照明の効果もあって顔が白く浮き上がり、美しい舞台だった。八右衛門の水谷有希が恰好いい。思えばぶれずに忠義を貫いたのはこの人だけで、作中で一番格好いい役かも。芸者菊野との変り身の早さも鮮やか。
男ばかりの鬼組は澤田誠の源五平衛に岸本昌也の小万。澤田の男前ぶりが源五平衛にはまり、はじめは義のためにと自制していたのが、小万の「本心」と言われて心が揺らぐところなどの心理描写が明快だった。岸本は四谷のお梅の時にはやしていた髭を剃ったせいではなかろうが、こちらのほうが役らしかった。そしてなぜか、こちらも八右衛門(高橋絋介)が格好良かった。
2017年12月10日日曜日
1209 藤間勘十郎 春秋座 花形舞踊公演
市川猿之助と2人での舞踊会の予定が、猿之助のケガでプログラム変更に。冒頭、私服姿の猿之助が現れ、あいさつ。観客サービスの篤い人だ。今後も会を続けて、観客が嫌というほど宗家と踊り狂いたいという発言に大きな拍手。
「二人三番叟」は素踊りで勘十郎の翁に中村玉太郎の千歳、隼人、梅丸の三番叟。動きにぎこちなさは残るが、若々しい三番叟。
「流星」は尾上右近の流星に隼人の牽牛、梅丸の織女。簡素なセットだが、白塗りの衣装付き。梅丸が可憐。右近は踊りが上手く、面を変えての踊り分けも達者。最後は宙乗りで沸かせる。
「春興鏡獅子」はまた素踊りで、勘十郎の弥生。滑らかな動きが美しく、素踊りで娘らしさが見えるのはさすが。右近は姿勢が悪いなと思ったら、飛鳥井の老けを表現していたのか。胡蝶の精に花柳凛と若柳佑輝子。
1208 庭劇団ぺニノ「ダークマスター」
高層ビルが建ち、再開発が進む街にひっそりと建つ古い洋食屋。日本一の料理を作るが、マスターの愛想のなさから閑古鳥が鳴いている。偶然入り込んだ自分探しの旅の途中の若者が、マスターに取り入られ、耳に小型イヤホンを仕込まれて変わりに店に立つように仕向けられる。観客にもイヤホンが渡され、二階に引っ込んだマスターと若者のやり取りを疑似体験できる仕掛け。はじめはイヤホンからの指示でおっかなびっくり調理していた若者が、次第に自信を得、マスターと一体化しながらやがてかつてのマスターのように倦んでいく様が不気味。吐息などが耳元で聞こえ、ゾクリとする。後半現れる中国人が謎。調理の様子を撮影したり、料理をタッパーに入れて持ち帰ったりしていたのは店の味を盗む狙いだろうが、大金を置いたり、名刺を残したりしたのはもっと深い意味があったのだろうか。
1208 南河内万歳一座「びっくり仰天街」
アパートの外に家財道具一切が運び出された路上に3人の正装した女の後ろ姿と思うと、振りむいたのは内藤裕敬でいきなりの女装で笑いを取る。通夜の会場を探して迷う人と、住人が行方不明になったアパートの始末に右往左往する人らが入り混じり、かみ合わない会話を繰り広げる。住人は男だったのか、女だったのか、何歳だったのか。家財道具や、葬儀に集まる人を見られることは、生前明らかにしていなかった秘密を知られてしまい、内臓を見られるように恥ずかしいのかも。
1207 桂佐ん吉"ハメモノ”と落語の世界
三味線の内海英華、鳴り物に桂そうば、小鯛、米輝を配してハメモノの解説。雨や波などの効果音をクイズ形式で紹介したり四天王の出囃子を演奏したり、「七度狐」の実演まで、ボケと突っ込みが随所に入る、大爆笑の一幕だった。中入りをはさんで、内海英華の女道楽と佐ん吉の「蛸芝居」。嫌みなところのない、いい出し物だった。
1205 「この熱き私の情熱」
「それは誰も触れることができないほど激しく燃える。あるいは、失われた七つの歌」という長い副題。上下2段、横5つに仕切られた部屋のはそれぞれ趣きが異なり、原作者ネリー・アルカンの7つの側面を表している。6人の女優が別々の部屋にいて、それぞれ交わることはない。ただ一人のダンサーが、時に男装して部屋を行き来する。散文詩のようなセリフは寓意的で、ときにユニゾンで語られ、ときに歌になる。伝わってくるのは、女として生きることの圧倒的な辛さ、困難。彼女は最終的に死を選ぶのだけれど、美しく才能もあったネリーを何がそこまで追い詰めたのかはわからない。ただ、どうしようもない息苦しさを感じた。
背中の大きく開いたドレスを着た松雪泰子が美しく、前半はほとんどセリフがないのだが惹きつけられる。ラスト近くの独白の落ち着いた声もいい。
背中の大きく開いたドレスを着た松雪泰子が美しく、前半はほとんどセリフがないのだが惹きつけられる。ラスト近くの独白の落ち着いた声もいい。
2017年12月5日火曜日
1204 吉例顔見世興行 夜の部
「良弁杉由来」
鴈治郎の良弁大僧正に藤十郎の渚の方。当たり前だがまごうことなき親子。藤十郎はセリフや動きがおぼつかないのは演技のようにも見える。
「俄獅子」
時蔵の芸者が粋でいなせ。橋之助、福之助、歌之助の鳶頭は若々しくていいのでは。襲いかかる若い衆を、鳶頭たちが蹴散らすのはいいとして、芸者衆がやたら強いのはなんでだろう?
「人情噺文七元結」
芝翫の長兵衛は、知盛よりも板についた様子。セリフ回しや仕草に勘三郎の影響を感じた。扇雀のお兼とは息が合って、夫婦喧嘩の丁々発止が面白い。最後の場面で衝立の横から顔を出すのは扇雀の工夫か、面白い。娘お久は壱太郎。健気でかわいい娘。文七は七之助。昔見たときよりは情けな具合は減っているが、本来の役はこのくらいしっかりしているのかも。角海老女房お駒の魁春は事情を飲み込んだ大人の対応。鳶頭の仁左衛門がごちそうで、この仕切りで劇中口上。本人たちも言っていたように、貧乏ななりでの口上がご愛敬。
「酒呑童子」 酒が飲めると喜ぶ童子は愛嬌のある表情なのだが、化粧のせいか勘九郎の顔が真ん中によっているようでこけしみたい。鬼になってからのほうが様になる。踊りの達者さは勘三郎を彷彿とさせる。源頼光を七之助、橋之助の平井保昌、福之助、歌之介は濯ぎ女と従兄弟が勢ぞろい。
鴈治郎の良弁大僧正に藤十郎の渚の方。当たり前だがまごうことなき親子。藤十郎はセリフや動きがおぼつかないのは演技のようにも見える。
「俄獅子」
時蔵の芸者が粋でいなせ。橋之助、福之助、歌之助の鳶頭は若々しくていいのでは。襲いかかる若い衆を、鳶頭たちが蹴散らすのはいいとして、芸者衆がやたら強いのはなんでだろう?
「人情噺文七元結」
芝翫の長兵衛は、知盛よりも板についた様子。セリフ回しや仕草に勘三郎の影響を感じた。扇雀のお兼とは息が合って、夫婦喧嘩の丁々発止が面白い。最後の場面で衝立の横から顔を出すのは扇雀の工夫か、面白い。娘お久は壱太郎。健気でかわいい娘。文七は七之助。昔見たときよりは情けな具合は減っているが、本来の役はこのくらいしっかりしているのかも。角海老女房お駒の魁春は事情を飲み込んだ大人の対応。鳶頭の仁左衛門がごちそうで、この仕切りで劇中口上。本人たちも言っていたように、貧乏ななりでの口上がご愛敬。
「酒呑童子」 酒が飲めると喜ぶ童子は愛嬌のある表情なのだが、化粧のせいか勘九郎の顔が真ん中によっているようでこけしみたい。鬼になってからのほうが様になる。踊りの達者さは勘三郎を彷彿とさせる。源頼光を七之助、橋之助の平井保昌、福之助、歌之介は濯ぎ女と従兄弟が勢ぞろい。
1204 吉例顔見世興行 昼の部
「寿曽我対面」
橋之助の五郎は若々しく、動きが大きいのがいい。足を踏み出す一歩が大きく立派。ただ、内から溢れ出す気迫のようなものはあまり感じられず、十郎に止められるのが形ばかりに見えたのが惜しい。七之助の十郎はシュッとした男前。朝比奈の勘九郎ははじめ誰だか分からず、声を聞いて勘三郎に似ているなあと。どんな役も器用にこなす。進之介が鬼王新左衛門でちょこっと登場。梅玉の仕切りで劇中の口上。役の拵のままなので、名乗りはなし。勘九郎が「天国の祖父、勘三郎も喜んでいると思う」という一言でホロリとさせる。
「義経千本桜」
渡海屋から大物浦。
芝翫の銀平実は知盛は、姿は悪くないし、口跡もまずまずなのだか、内から滲み出る情感が薄いのか迫力不足。多分仁左衛門の教えを受けているのであろう、セリフ回しはそれらしいところが多々あるものの、気持ちがこもっていないよう。時蔵のお柳は町人らしい軽さがなく、夫自慢も今ひとつ。典侍の局になってからは気品があってしっくりきた。
鴈治郎の相模五郎は、銀平に曲げられた刀を戻すところで、中途で放り出して、勘九郎の亀井六郎に「後は任せた」というのに笑った。ご注進では動きが重たく、ドタドタしてた。外見はパタリロみたいだし。
秀太郎の義経の気品、弥十郎の弁慶の大きさ。安徳天皇(多分、大西啓翔くん)のセリフがたどたどしいのだが、それが返って哀れを誘う。
「二人椀久」
仁左衛門の椀久に孝太郎の松山。椀久が美しいのはいうまでもないが、スッポンがなく、舞台後方の紗幕の後ろから登場した松山が美しくて驚く。横顔もきれいに見えた。
橋之助の五郎は若々しく、動きが大きいのがいい。足を踏み出す一歩が大きく立派。ただ、内から溢れ出す気迫のようなものはあまり感じられず、十郎に止められるのが形ばかりに見えたのが惜しい。七之助の十郎はシュッとした男前。朝比奈の勘九郎ははじめ誰だか分からず、声を聞いて勘三郎に似ているなあと。どんな役も器用にこなす。進之介が鬼王新左衛門でちょこっと登場。梅玉の仕切りで劇中の口上。役の拵のままなので、名乗りはなし。勘九郎が「天国の祖父、勘三郎も喜んでいると思う」という一言でホロリとさせる。
「義経千本桜」
渡海屋から大物浦。
芝翫の銀平実は知盛は、姿は悪くないし、口跡もまずまずなのだか、内から滲み出る情感が薄いのか迫力不足。多分仁左衛門の教えを受けているのであろう、セリフ回しはそれらしいところが多々あるものの、気持ちがこもっていないよう。時蔵のお柳は町人らしい軽さがなく、夫自慢も今ひとつ。典侍の局になってからは気品があってしっくりきた。
鴈治郎の相模五郎は、銀平に曲げられた刀を戻すところで、中途で放り出して、勘九郎の亀井六郎に「後は任せた」というのに笑った。ご注進では動きが重たく、ドタドタしてた。外見はパタリロみたいだし。
秀太郎の義経の気品、弥十郎の弁慶の大きさ。安徳天皇(多分、大西啓翔くん)のセリフがたどたどしいのだが、それが返って哀れを誘う。
「二人椀久」
仁左衛門の椀久に孝太郎の松山。椀久が美しいのはいうまでもないが、スッポンがなく、舞台後方の紗幕の後ろから登場した松山が美しくて驚く。横顔もきれいに見えた。
1201 エイチエムピー・シアターカンパニー「四谷怪談〜雪ノ向コウニ見タ夢」
歌舞伎だと5〜6時間かかる長編ドラマをを7人の役者で90分ほどにまとめながら、冒頭の浅草寺の場や夢の場などが入っていて驚く。お梅が伊右衛門を見初める浅草寺はともかく、夢の場は不要では?
舞台上に碁盤の目のように黒い線が張られ、場面の変化が分かりやすくなった。線はゴム状に伸びるので、後半、幽霊となった岩が枠を潜って移動し、この世のものならぬ様子を表すのも効果的だった。白い衣装や床など映像を投影して、役や場面を示す。登場人物が多いのを観客に分かりやすくする工夫だが、自ら名乗る人人名前を投影する必要はないのでは。また、前回も思ったが、岩の顔が崩れるのが不鮮明な映像では分かりにくく、怖さが薄い。
伊右衛門が武士に返り咲いて出世に執着する男で、岩がそれを打ち砕く存在。伊右衛門自身も、出世のために面相が変わっている。現世での出世に囚われる愚かさ?
男ばかりの鼠版は、髭面の役者が娘役だったりするのだが、不思議と違和感はない。伊右衛門と岩だけが白塗りなのは、二人を際立たせるためだろうが、お岩の役者が、与茂七や小平を兼ねるので混乱する。全体的に役の演じ分けが曖昧で、今は何の役だか考えさせられる場面が多かった。女ばかりの猫版は役者が皆達者で、演じ分けが明快。伊右衛門の水谷有希が男前だった。
舞台上に碁盤の目のように黒い線が張られ、場面の変化が分かりやすくなった。線はゴム状に伸びるので、後半、幽霊となった岩が枠を潜って移動し、この世のものならぬ様子を表すのも効果的だった。白い衣装や床など映像を投影して、役や場面を示す。登場人物が多いのを観客に分かりやすくする工夫だが、自ら名乗る人人名前を投影する必要はないのでは。また、前回も思ったが、岩の顔が崩れるのが不鮮明な映像では分かりにくく、怖さが薄い。
伊右衛門が武士に返り咲いて出世に執着する男で、岩がそれを打ち砕く存在。伊右衛門自身も、出世のために面相が変わっている。現世での出世に囚われる愚かさ?
男ばかりの鼠版は、髭面の役者が娘役だったりするのだが、不思議と違和感はない。伊右衛門と岩だけが白塗りなのは、二人を際立たせるためだろうが、お岩の役者が、与茂七や小平を兼ねるので混乱する。全体的に役の演じ分けが曖昧で、今は何の役だか考えさせられる場面が多かった。女ばかりの猫版は役者が皆達者で、演じ分けが明快。伊右衛門の水谷有希が男前だった。
2017年12月1日金曜日
1129 ミュージカル「レディ・ベス」
ミヒャエル・クンツェ&シルヴェスター・リーヴァイの作品で小池修一郎演出という「エリザベート」のスタッフなのだが、ストーリーも音楽もあまり残るものがなかった。前回の日本公演が世界初演で、ほぼ同じキャストでの再演なのだそう。初演より進化したというのだが。花總まりのベスは可憐さの中に王族の気品がある。ロビンとの恋が唐突というか、なぜ惹かれたのかが分からない。ロビンの加藤和樹は自由の象徴なのだろうが、老成しすぎ?身分の差を超えてベスが惚れるほど魅力は感じられなかった。メアリー1世の未来優希が存在感、歌唱力ともに説得力があり好演。ベスの教育係アスカムの山口祐一郎は狂言回しの役割も果たす。キャットの涼風真世はこの役が悪いというのではないが、エリザベス役も似合いそう。スペイン王子フェリペ役の平方元基、演出なのだろうが片肌脱いだり、キメキメでポーズしたりするのがやりすぎに感じた。
2017年11月26日日曜日
1125 極東退屈道場「ファントム」
階段状に並んだ正方形のパネルは、コインロッカーでもあるが、ゲームのマス目のようでもある。モジュール20まであり、ショートショートを連ねたような作品は脈絡ないようだが、時に登場人物が重なって、緩やかにつながっている。ちょっと維新派の芝居を思い出した。特に誰が主役というわけではないが、大沢めぐみの存在感が際立った。スナックのシーンでの啖呵にほれぼれした。
1115 遊劇体「のたり、のたり、」
震災復興から取り残されたということだが、どこか社会から取り残されたような人々。朝から酒を飲むのはまだしも、クスリでトリップされると共感しにくい。あけすけな性表現にも戸惑った。
100円(三田村啓示)はトロちゃん(大熊ねこ)のことが好きで、誕生日に時計を贈るが、柳葉包丁で首を切ったことが元で死んでしまう。好きな子に会いに行くのに、体を傷つけないと踏ん切りがつかないという不思議な男。トロちゃんは左目にあざがあることを気にしていて、どこか幼児のようなたどたどしさ。ラストはウイングフィールドの屋上に2人があがり、観客からは見えないところでセリフが交わされる。100円とトロちゃんの間で思いが交わされ、100円は光のなか死へと旅立つ。やさしさにあふれるエンディング。観客の想像力に訴える演出は上手くいったと思うが、初演時と比べてどうだったのだろうか。
2017年11月25日土曜日
1124 イキウメ「散歩する侵略者」
映画よりも先に舞台で観たいと思っていたのは正解だった。行方不明になった後、別人のようになって戻ってきた夫。実は宇宙人(というか人外の生命体?)に身体を乗っ取られている。宇宙人の目的は人間の概念を奪うこと。概念を奪われた人はそのことについて理解できなくなり、周囲の人との軋轢を起こす。夫役の浜田信也が穏やかな見た目ながら底の知れない不気味さを体現。ジャーナリスト役の安井順平が話を引っ張る。宇宙人の仲間、天野役の大窪人衛、立花あきら役の天野はなが人ならぬ突拍子もない様子を上手く出して、引き込まれた。破たんしかけていた夫婦が、夫の体や記憶を持ちながら別の人格のようになってしまった夫との間で、良好な関係を再構築できるという皮肉。最後、元居たところへ去ろうとする夫に、愛をいう概念を奪わせる妻。侵略者が愛について知ったとき、愛する相手は愛が分からなくなっているという、絶望。アンハッピーなのだけれど、すごいラブストーリーだなと感じた。
開演前から波の音が聞こえ、海に近い町であることがわかる。暗いうちは砂浜のように見えていたセットは、明るくなると板張りの坂。付きの表面のような映像を投影したりして、様々な場面に変化する。基地が近くにあり、航空機の音で会話がしばしばかき消される。海の向こうの隣国との軍事的緊張が高まり、戦争の足音が近づいているという設定は非常に今日的。厭世的気分から「いっそ戦争になってすべてをリセットしてしまえ」と思っていた男が、「所有」という概念を奪われたことで解放され、反戦運動に値めり込む。平和な時代に反戦を叫ぶのは大衆迎合で格好悪いが、戦時下に反戦を叫ぶのは逆に格好いいという理屈は面白い。
1124 壱劇屋「五彩の神楽 戰御史ーIkusaonsiー」
死んだと思ったら時間が遡り、エンドレスに戦いが続く。どこかで見たような場面が繰り返されるが、主客が入れ代わったりするのが面白い。歌舞伎の消し幕のような布をさっと翻す隙に人物を入れ替える演出も効いていた。赤星マサノリと大熊隆太郎のダブル主演だが、マイムが達者で身体表現に優れる大熊に目がいった。前説の頼りなさげな兄ちゃんとと打って変わって二枚目の役も悪くない。
2017年11月19日日曜日
1119 咲くや女義太夫の会~能楽堂に響く女義太夫節~
今年いっぱいで閉館される大阪能楽会館での素浄瑠璃の会。
竹本雛子・豊澤雛文で「絵本太閤記 尼崎の段」
雛子の語りは終始三味線との音程が微妙にずれ、キーが合ってない感じ。義太夫節は三味線に合わせすぎてはいけないそうだが、これがスタンダードなのだろうか。雛文は当人も言っていたように腕力がないせいで、叩きつけるような力強さに欠ける。先日、錦糸の演奏を聞いたばかりなので、やはり差を感じてしまう。
「銘木先代萩 政岡忠義の段」は住蝶・住輔。位の違う3人の女の語り分けが眼目だが、女性の声は違和感がない。住蝶の声がいいことに今日初めて気づいたし、大落としでは泣かされた。住輔の三味線はスカ撥が見られたのと、大落としのところでツボに甘さが感じられたのが惜しかった。
1118 立川志の輔独演会
開口一番の「二人癖」に続いて、志の輔の「茶の湯」「宿屋の富」。
「茶の湯」は吉弥のを最近聞いたばかりなので、どうしても比べてしまう。とんでもない茶を口にした人たちの四苦八苦ぶりが繰り返されるところが、ちょっとくどく感じる。長いし。それと茶を飲まずに戻しちゃうのってどうよ。お菓子は茶を飲む前に食べるが作法では?当然のように、茶を飲んだあとの口直しとして出てくるのに違和感があった。
「宿屋の富」は一文無しの男の壮大なホラが面白い。が、会場を暗くするのはいただけない。怪談話ならともかく、眠くなっちゃうじゃないか。
緞帳が下りたあとでちょこっとアフタートーク。トータルで2時間40分ほど、たっぷり楽しませた。
1118 松竹新喜劇 錦秋公演
「新・親バカ子バカ」
藤山寛美の出世作を孫の扇治郎が演じる。アホ坊は今の時代には無理があるので、戦隊ヒーローオタクに置き換えたのが工夫。オタクというより、子どものまま大きくなってしまったような人物造形だったが。扇治郎はとぼけた様子や号泣する顔などが写真の寛美にそっくりだが、たどたどしさが抜けず、つきぬけた面白さはない。渋谷天外の子煩悩な社長も情が薄く感じる。
「帰って来た男」
主人公の曾我廼家八十吉も悪くはないが、曾我廼家文童や高田次郎が出てくると安定感があるなあ。とたんに面白い。結局大国一家のシマを売ってしまったのは誰だかわからずじまいなのだが…。
1117 白石加代子×佐野史郎「笑った分だけ、怖くなるvol.2」
白石加代子と佐野史郎のリーディング劇。第一ラウンドは筒井康隆作の「乗越駅の刑罰」、第二ラウンドは井上荒野作の「ベーコン」。
2人がそれぞれ役割分担をするのかと思いきや、途中で登場人物が入れ代わるのが面白い。駅のベンチやマネキンのボディを使ったりして、2人で幾人もの人を演じるのが面白い。ごちゃごちゃした「乗越駅」より、「ベーコン」のほうが好み。あまり笑いはないけれど、どちらも終わったときにちょっとぞっとする。
近鉄アート館だけ特別?終了後にアフタートークがあり、アート館の思い出や、今作の裏話など。劇中の音楽は佐野の選曲で、白石の50周年にちなんで1960年代後半のポップスなどを選んだそう。
1117 宝塚月組 「鳳凰伝-カラフとトゥーランドット-」「CRYSTAL TAKARAZUKA-イメージの結晶-」
「鳳凰伝」
トゥーランドットの豪奢な衣装が、陳腐なセットで台無し。ツアー公演だからあまり作りこめないのだろうけど、もうちょっと何とかならないか。愛希れいかは驕慢な王女が良く似合う。カラフ役の珠城りょうがなんであの王女を好きになるのかがよくわからないが、真心で王女の頑なな心をほどく、キュンとするラブストーリーになった。
「クリスタル タカラヅカ」
ショートストーリーを連ねたような構成。何だろうこの濃厚な昭和感は。1場から音楽といい、ダンスといい、いかにもあか抜けない。愛希がマリオネットのようなダンスをするところはさすがだが、唐突感は否めない。
2017年11月17日金曜日
11月16日 吉例顔見世大歌舞伎 夜の部
「仮名手本忠臣蔵」
仁左衛門の早野勘平は特に六段目に入ってからが素晴らしい。舅を殺してしまったのではと分かってからの表情に込められた心情があふれるようで、思いがけず大金を手にして仇討ちに加われるという喜びから、舅殺しの疑惑にかられた絶望、一転して無実と分かった安堵と目まぐるしく変わる心根が痛いほど伝わる。さらに腹を切ってからの姿の美しさたるや。懐から財布を出して確かめるところ、間違って手ぬぐいを出してしまうミスがあった。吉弥のおかやも情にあふれてよかった。秀太郎の一文字屋お才は顔を赤味を強くしていたのは若々しさを出すためだろうか?
「新口村」
藤十郎の忠兵衛に扇雀の梅川。顔を近づけるとよく似ているのが、恋人同士としてはなあ…。藤十郎と並ぶと扇雀が大柄に見えるのもよろしくない。藤十郎はお歳を考えると驚異的だが、セリフがはっきりしなかったり、動きがミニマムになっていたり。ちょっとロボットっぽい動きだ。歌六の孫右衛門は風情があってよい。
「元禄忠臣蔵 大石最後の一日」
幸四郎の内蔵助。見合いを保護にされたおみの(児太郎)が、相手の十郎左衛門(染五郎)の真意をただすため、男装して赤穂浪士らが謹慎している屋敷に入り込む。青果ものらしい、理屈っぽいセリフの応酬にへきえきする。細川内記に金太郎。すらりとしたハンサムだが、鼻にかかったセリフ回し。退場する際、うつむいて数歩回ったのちに、ガクリという感じで頭を上げる所作。どういう意味なのだろうか。
荒木十左エ門の仁左衛門がお上の意を伝える場面で幸四郎と対面。看板役者が対峙し、緊張ある一幕だった。
2017年11月14日火曜日
1113 ミュージカル「スカーレットピンパーネル」
再演とあって石丸幹二のパーシーは手慣れた様子。歌をたっぷり聴かせるのは以前からだが、ぼそっと言うコミカルなセリフが板についていた。安蘭けいは中低音はいいのだが、高音部が裏声になってしまい、声量も落ちる。女優になってから長いはずなのにと残念。1幕は楽しめたのに、2幕になったとたん時間が長く感じられたのはなぜだろう。
1113 危険な関係
セクシーで危険な駆け引きがスリリングで、適材適所の配役もはまっている。何より、ヴァルモンの玉木宏、メルトゥイユの鈴木京香が色気にあふれる。玉木の上半身裸はある意味ファンサービスなのだろうが、胸筋や腹筋がちょっとできすぎ。2人とも声がいいのでセリフに期待していたのだが、意外とさらさらと流れていってしまう感じだったのが惜しい。舞台装置はミニマリズムな現代住宅という感じで、シェードのかかったガラスの扉を動かして場面転換する。背景に日本庭園や松の木などがあり、衣装も着物生地や帯のようなベルトなど和のの要素が効いていた。
2017年11月13日月曜日
1111 逸青会
「秋の色種」
尾上菊之丞・京のコンビは身長のバランスもよく、絵のような美しさ。要所要所がバッチリ決まっていて、どこでシャッターを押しても絵になる感じが素晴らしい。動きのよさはそれほど感じなかったけど。
「素襖落」
茂山逸平の太郎冠者、宗彦の主人、七五三のおじ。会場のせいか、風邪気味なのか、声の響きが悪く聞き辛かった。だんだん酔っ払っていく太郎冠者がほのぼのかわいい。
「わんこ」
くまざわあかねの新作。ペットショップの犬たちが、どんな飼い主に飼われるのがいいのか、注文ばかりつけてなかなか買い手が現れない。逸平が芝犬、菊之丞が血統書付きのテリア?。橋掛りからキャンキャン吠えるように躍り出てくる菊之丞が可愛いが、柱を登ろうとしたり、ボールに戯れたりするのは猫っぽくないか。
1110 関数ドミノ
イキウメの前川知大の脚本。パンフレットによると今回のために手を入れ直したのだとか。観ていてザワッとするのはいつもながら。才能だけでは世の中を渡っていけず、才能なくても運が良くて得しているような人はどこにだもいる。役者陣もよく、「プレイヤー」よりも引き込まれた。瀬戸康史演じる世を拗ねた、偏執的な男がリアル。
1110 宝塚雪組「ひかりふる路」「SUPER VOYAGER」
新トップお披露目でフランスの革命家、マクシミリアン・ロベスピエールを主人公にするとはチャレンジングと思ったが、望海風斗には似合っている。惜しむらくは脚本が荒く、前半の理想に燃える青年が、恐怖政治に突き進む変貌の動機付けが薄く、唐突に感じた。革命で家族を殺された貴族の娘、マリーアンヌ(真彩希帆)と惹かれあうところも、もっとじっくり描いて欲しい。ただ、トップ2人の歌唱力と演技力が素晴らしく、脚本の欠点を凌駕していた。フランク・ワイルドホーンの楽曲の素晴らしさもあるが、歌で演技ができる2人なので、デュエットシーンでは涙が出そうだった。
ショーはオーシャンのシーンの踊りが、スピード感があってよい。舞台の幅も奥行きも大きく使ったフォーメーションがよく、躍動感があり、ちゃんとリズムに合っているのが観ていて心地いい。宝塚のダンスがいいと初めて思った。
1109 劇団空晴「もう一つの、乾杯。」
式に出席するために集まった親戚一同。結婚式なのか、葬式なのかが明かされないまま、嫁の代理で出席する男とともに観客もハラハラ。兄の結婚式でのサプライズのため、口をきかないで無視し続けるなど、ちょっと無理があるところもあり。新作の「遠くの花火」と比べると拙さを感じる。
1108 劇団空晴「遠くの花火」
劇団結成10年の記念公演。10年ぶりの花火大会の日に、亡くなった親戚の十年祭に集まる人々。久しぶりにあう親戚は顔もよく分からず、早合点や勘違いで誤解が誤解を生んで笑わせる、いつもの空晴らしい展開。隣家は長男が1ヶ月前に亡くなったばかり。10年経って家族の死が日常になってきた人々と、気持ちの折り合いがつけられずにいる人々の対比を描きつつ、時間による癒しを提示する。「明日になったらいい薬あげる」それしかないけど、たまに効かないときがある。死者との距離感はそれぞれ。ある人にはもうでも、別の誰かにはまだ。そういう違いを受け入れることが多分生きていくということなのだ。学ラン姿の古谷ちさがよく似合い、少年役でもいけそう。
1107 ヨーロッパ企画「出てこようとしてるトロンプルイユ」
売れない画家たつが暮らすパリの長屋。亡くなった老画家の部屋を片付けながら、絵画論を戦わせたり、遺品のだまし絵で遊んだり。美術を勉強した人にはあるあるなのかもしれないが、にわか勉強をひけらかされているようで楽しめず。だまし絵も写真を加工した稚拙なでき。繰り返しは笑いのテクニックではあるのだが、くどくてイライラした。
1106 11月文楽公演 第一部
「八陣守護城」
浪花入江の段は靖、希、小住、亘に錦糸、琴に錦吾。靖の語りが安定してスケール感がある。大笑いがだいぶ苦しそうなので、聞いていてハラハラするのが惜しい。
主計之介早討の段は咲甫・清友。咲甫が歌い上げる様子が少なく、充実した語りぶり。
正清本城の段は呂・清介。今一つ迫力に欠けるのは声量のせいか。
「鑓の権三重帷子」
浜の宮馬場の段は始、芳穂、咲寿、南部、津国に喜一郎。始の堂々とした語り振りがいい。
浅香市之進留守宅の段は津駒・寛治に燕二郎の琴。
数寄屋の段は咲・燕三。咲は一段と痩せたようで、声に力がなく、嫉妬に狂うおさゐの狂気が物足りない。
伏見京橋妻敵討の段は呂勢、睦、小住、碩、咲寿に清治、清馗、寛太郎、清公、清允。三味線の音が分厚く、華やか。
2017年11月7日火曜日
1104 永楽館歌舞伎
「仙石騒動」
出石縁のお家騒動を芝居に。壱太郎の花魁道中に始まり、花魁→若殿様への早替り、座頭愛之助はお家乗っ取りを図る仙石左京とそれを阻止しようとする忠臣神谷転の主要2役の早替りに本水の雨+滝壺に入っての立ち回り、客席を走り回っての大捕物と八面六臂の大活躍。客席中が大きく沸いた。ラストは鴈治郎の裁きで、左京の悪事が露見し、大団円。(実は若殿が7年前から左京の企みに気づき隠密に探らせていたというのは、神谷の苦労は遅かったうえに無駄だったのでは…という疑問は横に置いておこう)10回目の節目に相応しい、ワクワクする舞台だった。
「芝居前」「元禄花見踊」
口上の代わりに役者たちが芝居小屋に乗り込む体で短く挨拶。華やかな舞踊で賑々しく打ち出し。
出石縁のお家騒動を芝居に。壱太郎の花魁道中に始まり、花魁→若殿様への早替り、座頭愛之助はお家乗っ取りを図る仙石左京とそれを阻止しようとする忠臣神谷転の主要2役の早替りに本水の雨+滝壺に入っての立ち回り、客席を走り回っての大捕物と八面六臂の大活躍。客席中が大きく沸いた。ラストは鴈治郎の裁きで、左京の悪事が露見し、大団円。(実は若殿が7年前から左京の企みに気づき隠密に探らせていたというのは、神谷の苦労は遅かったうえに無駄だったのでは…という疑問は横に置いておこう)10回目の節目に相応しい、ワクワクする舞台だった。
「芝居前」「元禄花見踊」
口上の代わりに役者たちが芝居小屋に乗り込む体で短く挨拶。華やかな舞踊で賑々しく打ち出し。
11月3日 文楽錦秋公演 第2部
「心中宵庚申」
上田村の段は文字久・藤蔵。文字久の語りはどこが悪いというのではないが、物語に入り込めないのは何故だろう。お千代・半兵衛が夫婦そろってもどかしいというか、イライラするせいか。おかるとお千代という、年代の近い2人の女の語り分けがはっきりしないのと、全体的にメリハリが薄いせいか。
簑助がお千代を勘十郎に譲って、姉おかる。出入りのときに足元がもたつくのはともかく、右手が変なとこから出てるみたいな。奥に引っ込むところで見返りの形はちょっとやり過ぎではなかろうか。(6日に再見。形の違和感は改善していたが、後半を簑二郎が代役)
八百屋の段は千歳・富助。充実の床。伊右衛門女房の憎たらしくも調子のよい様子、半兵衛の誠実さ、お千代の哀れと語り分けが明快で引き込まれる。
道行は三輪を筆頭に睦、靖、文字栄、三味線は団七、団吾、友之助、錦吾、燕二郎。三味線の音が厚く華やかな床。睦はこのところの擦れ声がなく、スランプを脱したか。
勘十郎のお千代、玉男の半兵衛は共に初役で師匠の当たり役を勤める。半兵衛は武士なので、武士の作法で腹を切る。ほかの心中物とは違うしどころなのだろうが、やや冗長に感じた。
「紅葉狩」
呂勢、芳穂、希、亘、碩に宗助、清志郎、清丈、清公、清允。琴2台が舞台端に置かれ、さっと三味線を持ち替えるのが格好いい。
呂勢の美声を堪能できるのはうれしいけれど、物語を聞きたくもあり。
人形は清十郎の更科姫実は鬼女。姫の間は出遣いで簑紫郎が左だった。扇を使っての舞など、滑らかな動きが美しい。紋臣の山神は足遣いのリズム感が悪く、ばたばたしたのが残念。
2017年11月2日木曜日
1102 iaku「ハイツブリが飛ぶのを」
九州で大規模な噴火があったあと、群発する噴火の1つがあった地方の避難所。9人の行方不明者のうち8人が死に、たった一人生き残った汽夏(坂本麻紀)は夫秋切の帰りを待っている。訪ねてきた男(緒方晋)を「秋利」と呼んで抱き付くが、その男は被災した妹を探しに来た別の男。被災者の遺族の似顔絵らしきものを描く夜風と名乗るボランティア(佐藤和駿)やのちにやってくる本当の秋利(平林之英)も現れ、サスペンス仕立てで物語が進む。坂本の肚の座った演技、緒方はリリー・フランキー風の枯れた中年男の風情。ただ一人若者の夜風の絶妙なうっとおしさ。記憶をなくした汽夏が思い出そうと途中まで口ずさむ歌。「峠の我が家」「浜辺の歌」が同じメロディ進行という仕掛けで、実は「七夕」や「夏の思い出」も同じというトリック。私は七夕を連想した。もったいぶって引っ張った割に、汽夏が記憶をなくした理由が夫の浮気だったというありがちな落ちがやや拍子抜けだった。
1101 「土佐堀川 近代ニッポン―女性を花咲かせた女 広岡浅子の生涯」
タイトル長すぎ。舞台に加島屋の大きな暖簾が下がり、店の入り口になったり、場面転換の際にスクリーンに使われたり。大同生命の協力があるのか、古い本社の写真など映像もたくさん。高畑淳子の浅子はどすの利いた声といい、骨太な演技が役柄にはまっていたが、赤井英和の信五郎は品の良さが足りずミスキャスト。浅子との絆はよく描かれていて、刺されて重傷を負った浅子を見舞うシーンはホロリときた。広岡正秋役の田山涼成は鬘が不自然なのが気になった。信五郎の父役の小松政夫は雀がちゅんとか、淀川長治の物まねなど往年のギャグ。浅子の女中で信五郎の妾になる小藤の南野陽子が意外によかった。
1030 壱劇屋 五ヶ月連続ノンバーバル殺陣芝居 「五彩の神楽 心踏音ーShintouonー」
目の見えない男が耳が聞こえず口をきけない女と出会うが、女が殺されて復讐の鬼と化す――という筋立てだと思うのだが。男に剣の手ほどきをしていた女の父がどうして敵になってしまうのかが不明で最後まで??を抱えていた。女が死んでしまうのもはじめ唐突で、後から回想シーンとして種明かしされてようやく納得した。しゃべれない女がタップで感情を表現するという手法は悪くないが、それをノンバーバル芝居でやるのはどうだろう。舞台狭しと動き回る殺陣は迫力満点。主人公、吉田青弘の凄みのある演技には引き込まれた。
10月29日 片山幽雪三回忌追善能 京都公演
片山九郎右衛門の「檜垣」の披きが眼目。後見に観世清和、地謡に観世銕之丞、梅若玄祥ら、相狂言に野村萬斎と豪華な顔ぶれ。幽雪が生前に注文しておいたという水桶は水色と白で描かれた波が鮮やか。
「察化」は茂山千作、七五三、逸平。千作の太郎冠者が大らかでほのぼのと楽しい。千作になってからのびのびとしているように感じる。
舞囃子「山姥」の梅若玄祥はなぜだか目が引き付けられる。体幹がしっかりしているせいか、動きが美しいのだ。
「恋重荷」は時間切れで前半だけで失礼した。重い荷物に悪戦苦闘する老人があわれ。
1028 貞松・浜田バレエ団「創作リサイタル」
29回目の創作リサイ
「ENSO」はコーラ・ボス・クルーセ振付の新作。コンテらしい作品で、器械体操のような衣装と動き。
貞松正一郎振付の「Far and Away~遥か遠くへ」。山口益加の踊りが目立った。
一番いいと思ったのは森優喜振付の「死の島」。今春東京で初演したものの再演。テーブルや扉、大きな布などのセットを使いつつ、黒い衣装、暗いセットの中で、迫りくる死の恐怖を秘めたような緊迫感のある踊り。
イリ・キリアンの「Falling Angels」は8人の女性ダンサーが、民族音楽のようなドラムの音に合わせて動き続ける。
2017年10月31日火曜日
1027 忠三郎狂言会 大阪
襲名後初の忠三郎狂言会で、重習曲の「花子」が眼目。歌舞伎の「身替座戦」の仁左衛門の印象が強すぎてつい比べてしまうのだが、狂言ではそこまであからさまでないのがちょっと物足りなくもあり。とはいえ、忠三郎はかわいらしさや色気もあり、小唄も聞かせた。女房を茂山仙三郎、太郎冠者を善竹大二郎。ほか「末広かり」を善竹忠一郎の果報者、善竹隆司の太郎冠者、忠三郎のすっぱで。「魚説教」の僧、大蔵吉次郎はふがふがした感じ。施主は山口耕道。
10月26日 匿名劇壇「悪い癖」
OMS戯曲賞受賞作だけあってよくできた脚本。ネイリストになる夢を実現できず、夢を実現した友人にコンプレックスを感じて引きこもっている主人公。妄想の世界では楽しい学生生活を送っている。外へ連れ出そうとする恋人がいるだけ幸せなのではとも思うが、当人には越えられない壁なのだろう。現実と妄想が交錯する具合が心地よい。白雪姫は女子の憧れみたいなセリフはこそばゆいが、この伏線があってこそきれいに落ちが付いた。
10月24日 桂吉朝十三回忌 吉朝一門会
一門7人がそろっての公演。鉄道オタクぶりを発揮したしん吉の「地下鉄」、「茶の湯」を演じた吉弥や、ネタおろしで「宿替え」を演じたよね吉など、本格派の高座がそろう充実ぶり。「あくびの稽古」のあさ吉は下手なのか味なのか。吉朝の映像で「化け物つかい」が上演されたのは、故人の飄々とした舞台がしのばれた。化け物を使うところで説明なしに次の日になってしまうのがやや不親切に感じた。
10月22日 芸術祭十月大歌舞伎 昼の部「マハーバーラタ戦記」
壮大な叙事詩を上手く歌舞伎にまとめている。ヒーローのくせに敵役につき、悩める迦楼奈(菊之助)はインド風なのか。悪だくみを図る敵役、鶴妖朶役の七之助の好演が光った。百合守良王子(彦三郎)を筆頭にした五人兄弟も個性がはっきり。阿龍樹雷王子(松也)は前半は好戦的な考えで迦楼奈と対立するものの、ラストでは平和を望むよう考えを改め、勝者となる。神々の世界を黄金の衣装で表す神々しさ、両花道や戦車をつかっての立ち回りなど、華やかな見どころ満載で、歌舞伎らしさを堪能できた。
1020 清流劇場「メアリー・ステュアート」
濃厚で骨太な歴史劇。エリザベス役の林英世の演技が素晴らしいのはもちろん、メアリー役の竹田朋子の気品ある風情もよかった。膨大なセリフ量をこなした役者たちの負担は相当なものと推察される。時に噛んでしまったりしても、役柄を損なってはいないよう。女王でありながら、国民の期待を裏切れない。臣下の男たちに翻弄され、最後のエリザベスの圧倒的な孤独感。林の美しさが際立った。
1019 ミュージカル・コメディ「パジャマゲーム」
1954年初演だけあって、設定の古さはあるものの、王道のラブコメミュージカル。適齢期の女性に向かって、「この顔とスタイルで今まで独身だなんて信じられない」なんていうセリフとか、今の時代では許されないと思う。女優デビューの北翔海莉は歌の上手さは抜群。安定感があり、女性のキーにも無理がない。が、踊りはちょっと残念。特に、フォッシー振り付けの「スチーム・ヒート」のポーズ一つ一つが今一つ決まり切らないのが惜しかった。ピルエットはきれいなんだけどなあ。工場長シド役の新納慎也は、古臭い二枚目役を好演。脇役では宝塚出身の音花ゆりが華があり目を引き付けられた。
2017年10月28日土曜日
1017 第54回宝塚舞踊会
「屋敷娘」
真彩希帆、綺咲愛里。パッと見て綺咲が華やかで目を惹くのはトップとしてのキャリアの差か。踊りが特にうまいというわけではないのだけれど。
「猿曲舞」
美弥るりか、彩風咲奈、礼真琴。姿勢の良さか、礼に目がいく。
「三つ面子守」
愛希れいか。3種類の面を次々に変えながら、踊り分ける達者ぶり。日本舞踊にしては腰が高いというか、ピョンピョンはねてる感じ。
「橋弁慶」
望海風斗の義経に紅ゆずるの弁慶。新トップの顔合わせが注目だが、2人とも着慣れてない感じは否めない。
「京鹿子娘道成寺」
宝塚一の踊り手という松本悠里が45分ほどたっぷりと。所化の若手たちの坊主姿が微笑ましく、出入りのたびに客席から笑いがもれる。でもこういう演目だから。
フィナーレは山村友五郎の指導で、それぞれが素顔の紋付き袴で。
2017年10月23日月曜日
1016 ミュージカル「ビリー・エリオット~リトルダンサー~」
ビリー役の少年がほぼ出ずっぱりで、ソロのダンスシーンも多く大活躍。子役中心でここまで見せるのは大したもの。他のキャストでも見てみたくなった。特にオールダー・ビリーとのパドドゥは、映画版ではないシーンだが、フライングも取り混ぜた見せ場に。女装好きの同級生とのちょっとキュンとするやりとりは映画ではなかったような。エルトン・ジョン風味?
父親役の吉田鋼太郎は無骨ながら愛嬌があり、バレエ教師役の柚希礼音も思ったよりらしかった。
父親役の吉田鋼太郎は無骨ながら愛嬌があり、バレエ教師役の柚希礼音も思ったよりらしかった。
1015 法村友井バレエ団 80周年記念公演
「未来へ」
80周年の記念碑的作品で、創業者からの写真をスライドショーで紹介しつつ、子供からシニアダンサーによる踊りがつく。どちらかというと踊りは付け足しみたいな感じで、スメタナの「モルダウ」というい壮大な曲が勿体なくはあった。ラストで法村牧緒・東代子が出てきたのはサプライズ?親子三代の共演で、次世代へのバトンタッチを表現したのか。
「騎兵隊の休息」
バレエ団の得意演目だそうだが、コメディタッチの作品ならもっと弾けた演技がほしい。
「赤き死の舞踏」
61年振りのリメーク上演で、今公演の目玉。作品世界はドラマチックで、それ用に作曲された曲も悪くない(一幕で、人がバタバタと病に倒れるシーンの音楽が妙に牧歌的だったのが?だが)。再演に耐える、見応えのある演目になる可能性は充分だ。残念だったのは、赤き死の精の恐ろしさが今ひとつだったこと。振り付けの篠原聖一は抽象的な恐怖ではなく、病のにかかった生身の女と解釈したそうだが、そのせいか作品の持つ得体の知れないおどろおどろしさがぼやけてしまった。光の中で再生するイメージもいただけない。80周年という祝祭には、全てが死に絶えるラストはあんまりだという考えもあるだろうが。
80周年の記念碑的作品で、創業者からの写真をスライドショーで紹介しつつ、子供からシニアダンサーによる踊りがつく。どちらかというと踊りは付け足しみたいな感じで、スメタナの「モルダウ」というい壮大な曲が勿体なくはあった。ラストで法村牧緒・東代子が出てきたのはサプライズ?親子三代の共演で、次世代へのバトンタッチを表現したのか。
「騎兵隊の休息」
バレエ団の得意演目だそうだが、コメディタッチの作品ならもっと弾けた演技がほしい。
「赤き死の舞踏」
61年振りのリメーク上演で、今公演の目玉。作品世界はドラマチックで、それ用に作曲された曲も悪くない(一幕で、人がバタバタと病に倒れるシーンの音楽が妙に牧歌的だったのが?だが)。再演に耐える、見応えのある演目になる可能性は充分だ。残念だったのは、赤き死の精の恐ろしさが今ひとつだったこと。振り付けの篠原聖一は抽象的な恐怖ではなく、病のにかかった生身の女と解釈したそうだが、そのせいか作品の持つ得体の知れないおどろおどろしさがぼやけてしまった。光の中で再生するイメージもいただけない。80周年という祝祭には、全てが死に絶えるラストはあんまりだという考えもあるだろうが。
1015 「オーファンズ」
廃屋で暮らす孤児のトリートとフィリップ兄弟。ある日、自身も孤児だったやくざ者ハロルドが訪れたことから、関係性が変化していく。ハロルドがなぜ兄弟の面倒をみてやるのか、動機が今ひとつ分からなかったが、社会から隔絶されていた兄弟が、したたかな大人と接することで成長し、生きる力を付けていく様が生き生きと描かれる。兄トリートの細貝圭は野生の獣のようなヒリヒリした風情、弟フィリップの佐藤祐基の無邪気さの対比。ハロルド役の加藤虎ノ介はいかにも翻訳劇的な、昔の洋画の吹き替えのような言い回しがやや不自然に感じたが、世慣れた大人の男らしい。わずか3人で劇場の空気を支配する、濃密な時間だった。
10月14日 Kバレエカンパニー「クレオパトラ」
熊川バレエのオリジナル作品。ドラマチックなクレオパトラの半生はバレエ作品にうってつけだが、少々詰め込みすぎか。特に一幕で、物語の展開が慌ただしく感じられた。二幕はよりバレエらしく、パドカトルや各国の踊りのような見せ場が多い。全体的に、ドラマに力点を置いているようで、踊りの美しさという点では少々物足りなかった。
中村祥子は強く気高い女王の貫禄にあふれ、鍛えられた身体美を惜しげもなく披露。カエサルやアントニウスなど、相手を取っ替え引っ替えしながらのパ・ド・ドゥはクラシックにはあまりない展開で、様々な表情の踊りが見られるのが面白い。ただ、性愛の場面での組んず解れつの直截的な振り付けや、蛇の化身という設定で地面をのたうつような振りが多かったのはいただけないところ。カエサルのS・キャシディが包容力のあるパートナーシップで、中村とのバランスもいい感じ。それまで張りつめていたクレオパトラが柔らかく、幸福感に包まれる。そのカエサルを失い、次の拠りどころとなるアントニウスの宮尾俊太郎は活気溢れる若者ぶりは予想通りだが、中村の相手としてはちょっと物足りなくもある。クールなクレオパトラがどうしてアントニウスが死んだあとあんなに取り乱したのかに説得力がない。
ラストシーンの音楽が印象的だったのと、クレオパトラの最期が美しかったので、それでよしという気になった。 カーテンコールで熊川氏登場。キレッキレの動きで挨拶し、一番の拍手をもらっていた。
中村祥子は強く気高い女王の貫禄にあふれ、鍛えられた身体美を惜しげもなく披露。カエサルやアントニウスなど、相手を取っ替え引っ替えしながらのパ・ド・ドゥはクラシックにはあまりない展開で、様々な表情の踊りが見られるのが面白い。ただ、性愛の場面での組んず解れつの直截的な振り付けや、蛇の化身という設定で地面をのたうつような振りが多かったのはいただけないところ。カエサルのS・キャシディが包容力のあるパートナーシップで、中村とのバランスもいい感じ。それまで張りつめていたクレオパトラが柔らかく、幸福感に包まれる。そのカエサルを失い、次の拠りどころとなるアントニウスの宮尾俊太郎は活気溢れる若者ぶりは予想通りだが、中村の相手としてはちょっと物足りなくもある。クールなクレオパトラがどうしてアントニウスが死んだあとあんなに取り乱したのかに説得力がない。
ラストシーンの音楽が印象的だったのと、クレオパトラの最期が美しかったので、それでよしという気になった。 カーテンコールで熊川氏登場。キレッキレの動きで挨拶し、一番の拍手をもらっていた。
2017年10月14日土曜日
1013 わ芝居「カラサワギ」落語バージョン
桂吉弥が落語で。登場人物が多すぎて、落語にするのは難しかろう。こなしていた吉弥の力量だ。が、芝居を観ていなかったら分からなかったかもと思うところもあった。最大で1シーンに4人というのは落語ではないそう。芝居と落語のコラボレーションという意味では、検討の余地あり。
1013 アマデウス
松本幸四郎の当たり役。開演前から舞台中央に背中を向けて座っている人影が、と思ったらサリエーリ役の幸四郎でびっくり。ほとんど出ずっぱりで膨大なセリフ量をこなすのはさすがだが、時折変なところでブレスが入ったりとおぼつかないところがあったのはお歳のせいか。
モーツアルト役の桐山照史は健闘していたが、幼稚な子どもで天才には見えなかった。コンスタンツェの大和田美帆ははじけた演技。
1012 わ芝居「カラサワギ」
本格小型時代劇と題した、ドタバタ時代劇。元禄の尼崎藩を舞台に、討ち入りブームに沸く藩士の混乱ぶりを面白く描く。登場人物がどれも個性的であくが強く、小劇場からはみ出さんばかり。
1008 三喬改メ七代目笑福亭松喬襲名披露公演
昼の部は喬若「骨釣り」、遊喬「上燗屋」、鶴瓶「青木先生」、さん喬「抜け雀」、口上をはさんでざこば(+塩鯛)の漫談、松喬「初天神」。
初天神は虎ちゃんが生意気でかわいく、ほのぼのした風情が漂う。ざこばは塩鯛の助けがないとおぼつかない感じで心配だ。
夜の部は喬介「犬の目」、生喬「豊竹屋」とかっぽれ、南光「阿弥陀池」、市馬「片棒」、口上をはさんで文枝「やさしい言葉」、松喬「三十石」。
市場が口上で相撲甚句を披露。素晴らしい声をたっぷり聴かせる。
1007 A級ミッシングリンク「罪だったり罰だったり」
ドストエフスキーの「罪と罰」をモチーフにした短編3本。濃密な舞台で見応えがある。
「罪だったり罰だったり」は余命宣告をされた男が、高校時代の同級生殺人の容疑者とみられる男を殺害するが、死んだ父の遺品から同級生の制服が見つかる。
「Who are you? Why are you here?」シリアを訪れた、日本人民間軍事会社のスタッフと、シリア系英国人、アメリカから遠隔操作する爆撃機で攻撃する米国人女性が邂逅する。
「世の中は間違いに満ちていて、いつだって僕はそれを黙って見過ごす」同居していた彼女の痴呆症の祖母を見ているように頼まれた男は、祖母が自殺すると予期しつつも頼まれてビールを買いに行く。おばあちゃんの好きにさせてあげたかったという選択はよかったのか。正しいと思ってしたことが間違っていたり、立場によって正義が異なったり、罪とは何かを考えさせる。
1人が何役もこなすのだが、イスラムの工作員?をやった林田あゆみが低い凄みのある声でまるで別人。達者な役者だ。
1006 地主薫バレエ団「トリプルビル」
優雅、溌剌、勇壮とカラーの異なるバラエティに富んだ演目だてで、見応えのある舞台。
「ショピニアーナ」は奥村康祐の詩人、唯のマズルカをはじめ、おとぎ話のような柔らかな風情で、絵面が美しい。
「卒業舞踏会」は芝居っ気たっぷりにコミカルな動きで沸かせる。ソロの1人が拍手が出たところで踵をついてしまったのが惜しいけど、フェッテを競うところなどテクニックも十分に見せつけた。
「韃靼人の踊り」は生のコーラスも加わって舞台からはみ出さんくらいの迫力。奥村唯が弾けんばかりの跳躍を見せ1幕とは別人のようだった。
「ショピニアーナ」は奥村康祐の詩人、唯のマズルカをはじめ、おとぎ話のような柔らかな風情で、絵面が美しい。
「卒業舞踏会」は芝居っ気たっぷりにコミカルな動きで沸かせる。ソロの1人が拍手が出たところで踵をついてしまったのが惜しいけど、フェッテを競うところなどテクニックも十分に見せつけた。
「韃靼人の踊り」は生のコーラスも加わって舞台からはみ出さんくらいの迫力。奥村唯が弾けんばかりの跳躍を見せ1幕とは別人のようだった。
2017年10月5日木曜日
10月5日 木ノ下歌舞伎「心中天の網島」
糸井プロデュースは妙なミュージカル風。随所に歌が盛り込まれているのだが、あまり上手くないというか、むしろ下手。狙ってるのかとも思ったが、西田夏菜子だけ上手いので、単に音痴なのか。特に小春。可愛らしく調子っぱずれで作品には合っているものの、曲はキャッチャーで悪くないのでちゃんと歌える人たちで聞いてみたい気もした。
治兵衛のダメ男ぶりがこの上なくて、なんで小春が惚れるのか分からないくらい。小春、おさんは感情表現が上手くはまった。おさんと治兵衛の若かりし幸せだった場面はおそらく原作にはないが、これがあったのでかえって小春とのことの理不尽さを際立たせて効果的。心中のシーンは刀を振りかざしては躊躇し、痛がってのたうち回ったり、首をつって苦しみもがいたりと、死をみっともなく描いたのがよかった。実際の心中なんて綺麗事ではないはず。
義太夫節風に語るところで、西田がヴァイオリンを弾いていて、芸達者ぶりに驚いた。
1005 宝塚星組「ベルリン、わが愛」「Bouquet de TAKARAZUKA」
紅ゆずるがナチスの支配が強まるなか、映画製作にかける青年テオ役。お笑い色を封印しシリアスな役どころは悪くないが、冒頭、映画への情熱を語るセリフの滑舌が悪いのが何とも残念。ちょっとうわずった声もいただけない。礼真琴がテオの友人で絵本作家の穏やかな男役。ふんわりとした雰囲気が良かった。ユダヤ人女優ジル(綺咲愛里)をヒロインとして起用し続け、ゲッペルスに逮捕されそうになるところを国外へ逃れるところで幕。戦争の暗い時代をあえて避けるのはちょっとご都合主義すぎる気もするが、宝塚だから仕方ないのか。
レビューはモンパリ90周年で、過去の主要な音楽をふんだんに盛り込む。オープニングの花をモチーフにした、ピンクベージュ系の衣装は華やかで美しいが、蝶と花のシーンのセットがいかにもな書割で学芸会みたいだったのと、スパニッシュのシーンの唐突さに戸惑った。紅は歌はともかく、ダンスがことごとく今一つなのは、ポーズが決まり切らないから。礼が歌、踊りともに秀でているのが改めて感じられた。
2017年10月2日月曜日
1001 「謎の変奏曲」
橋爪功と井上芳雄の二人芝居。1人の女性をめぐる男たちの心理戦で、ミステリーのように謎が明かされていく。派手な展開はなく、静かに展開するので、感動はじわじわと来るのかも。私が今一つ引き込まれなかったのは、橋爪にあまり色気を感じないからだろうか。初演はアラン・ドロンだそうだが、だったら2人のやり取りももっと緊迫感を感じられたのかなと思った。
0930 貞松・浜田バレエ団「ジゼル」
貞松融団長の前説、バレエのマイムと手話を並べて比較するのが面白い。
ジゼルの川﨑麻衣は純朴な風情がぴったり。重力を感じさせない軽やかな踊り。頭が小さく、すらりとした手足のバランスがいい。
アルブレヒトの塚本士朗はあまり格好いいとは見えなかったが、サポートが的確なのかな。川崎がよろけたのを上手くカバーしていた。
ミルタの廣岡奈美は力強さがみなぎる。ウイリーの踊りも全体的に幽玄というより勇壮だったような。
0928 ピッコロ劇団「かさぶた式部考」
好評だった舞台の再演ということで期待していたのだが、初演のほうがよかったという人も。
宗教のうさん臭さと突きつけ、豊市一家は結局救われないというラスト。焚火の火に照られされた母伊佐(平井久美子)の横顔が切ない。
智修尼の森万紀は凛とした美しさで2幕で豊市をいたぶるところの妖艶さが鮮烈。知的障害の信者、夢之助の孫高宏の鬼気迫る様子、てるえ役の吉江麻樹の切羽詰まった演技が良かった。解せないのは伊佐が最後、正気に戻ったことを忘れるため巡礼地の管理人のようになるところ。豊市が正気に戻ったという「奇跡」を描いた大きな絵馬が飾られているところになぜとどまるのか。絶えずその事実を突きつけられる場所にあえて身を置く理由がわからない。
0927 壁ノ花団「ウイークエンダー」
水不足の四国の山あいの村?で暮らす女。同居していた父は川に流され、結婚して京都に出ていた妹が帰省している。大切なものは川から流れてくるという父の教えや、ジョイとソロウと名付けた犬、採用面接に落ち続けている夫、そな夫に妊娠を告げられずにいる妹、思い出を食ってしまう幼馴染など、寓意的なエピソードが散りばめられるが、全体としてはぼんやりしている。父親やハワイと呼ばれる幼馴染を演じた金替康博がそこはかとなくおかしい。姉妹は「〜だ」というふうなぶっきら棒なものいいなのは作者の好みか。
0926 劇団新派「華岡青洲の妻」
市川春猿改め河合雪之丞の大阪お目見え。先に新派入りした喜多村緑郎と2人が入って、一気に華が増した。立ち姿の美しさに口跡のよい台詞回しが心地よい。波乃久里子の小陸は遠目だったこともあってか、妹らしい幼さがあり、「女であることが恐ろしい」などのセリフが的確で心に響く。水谷八重子は圧倒的な美しさというのとはちょっと違うけれど、独特の可愛らしさがあるので、嫁いびりが陰湿になりすぎないのがいい。ただ、青洲への執着があまり感じられず、嫁への対抗心が唐突に見えた。
2017年9月27日水曜日
0924 虚空旅団「voice training」
話し方教室に集まる人たちは、話し方以前に問題を抱えている。講師のラジオパーソナリティーも母親との確執があるようで、関係を修復させようとする妹と噛み合わなくて病気の見舞いにも仕方なくといった感じ。本音で話すのではなく、演じることが人間関係を円滑にさせるというのは、そりゃそうなのだが、終末期の親族に患者との確執を解決するよう促すというのはどうだろう。できたら理想的だけど、そんなに簡単じゃないからこじれているわけで。
9月23日 文楽巡業公演 夜の部
「曽根崎心中」
生田社前は文字久・清志郎。
天満屋を津駒・団七。調弦が甘いのか調子はずれに聞こえるところが。
天神森は呂勢のお初に芳穂の徳兵衛、希のツレに清志郎、清馗、団吾。
人形は勘十郎のお初に清十郎の徳兵衛。
またかという感じでもはや感動はない…。残念。
9月23日 文楽巡業公演 昼の部
「桂川連理柵」
六角堂を咲甫・清馗。得意げな語りぶり。清馗はミスタッチがあったような。
帯屋は前が呂勢・清治、後が呂・清介。呂勢のチャリ場は悪くはないのだが、何か物足りない。呂は相変わらずの小声で集中力が途切れる。
道行は咲甫のお半に芳穂の長右衛門、亘のツレ、三味線は藤蔵、寛太郎、清公、清允。景事の手数が派手なのは藤蔵の独壇場になりつつある。
人形は一輔のお半が可憐。お絹の勘彌はしっとり。長右衛門の文司は意外感があった。
0922 劇団S-演s「仮説Iを棄却するマリコ」
はせひろいちらしい、とぼけた会話のやり取りが冗長に感じられてちっとも笑えないのは、テンポというか、間が悪いのではないか。上演時間が2時間というのは長すぎる。シャッターの開け閉めなど劇場空間を上手く使っていた。
0922 坂東玉三郎×鼓童「幽玄」
能を題材に、打楽器で描く幽玄の世界。正座して太鼓を叩く演者自身「修行」と呼んでいるそうだが、観客にとっても修行のような2時間だった。粒を揃えたような太鼓の繊細な響きや、クライマックスでの雪崩のようなうねりには感心し、整然とした様子には玉三郎の美意識が感じられた。が、元の作品自体、これといった盛り上がりのないがないのに、ロームシアターという大箱では余計に辛い。また、鼓童メンバーによる謡らしきものも、出だしがピタッとそろわなかったり、音量が不安定だったり。明らかに能楽師のものとは比べようもないのだが聞き苦しかった。
9月19日 床だけコンサートII
三味線7丁による序曲「序章二〇一七」に続く出演者トークが面白い。呂勢の司会で、出演者一人ひとりに異なるエピソードを紹介。宗助は初めて三曲をやったときの思い出。琴も胡弓も嫌いで、特に琴は13弦もあるので近視の宗助は弾き間違えないよう、師匠に言われて暗闇で稽古したとか。清志郎は出演前に周囲にイヤな空気を醸すほどの緊張しい。呂勢が「Mっ気があるから楽しんでるでしょ」とツッコミ。清きは激やせについて。病気ではないそうで、痩せたおかげで正座しても痺れなくなった。力が入らなくなった時期もあったが、それは克服したそう。寛太郎は師匠寛治の稽古について。曲弾きなど教えてもらったが、50年以上昔のことなので記憶が曖昧で感覚で伝えられる。稽古で言われたことを直していくと翌日また違うことを言われる。「昨日はこう言ってましたとか言わないの?」との問いに「言うと目が三角になるので、ハイ、ハイと」「でもハイと(殊勝げに)言うのかと思ったら結構ぞんざいだよね」(←ナイス突っ込み)
清公は研修生時代、小指を立てる癖を直すため、清治に薬指とテープでぐるぐる巻きにされたエピソードを紹介。そう言うそばからマイクを持つ手の小指が立っているのがご愛嬌。燕二郎は師匠と同じマンション(部屋は別)で毎日食事を一緒にしていることについて。普段はその日あったことを報告する程度だが、たまにお酒が入ると芸談を聞かせてもらうこともあるそう。いまでは珍しい師弟関係だ。
睦は奈良でも東京の実家も師匠と家が近所。奈良の家は自分で選んだが、東京の家は「後から師匠が近くに越してきた」。「思い出の場所に師匠が来てイヤだとかないの?」と聞かれ「思い出は全て関西に持って行った」とかわすと「睦は真面目でつまらない」とバッサリ。靖は結婚して二児のパパ。子供ができての変化を聞かれ、「其礼成心中」で主人公の娘が家を出るところで、自分の娘もいずれ…と思ってうるっときたと。燕三も「寺子屋で主人のために小太郎を身代わりに殺すとか絶対無理!」と力説。呂勢もそろそろ身を固めないと、と言われて「男は70でも子供ができるから」とかなんとか言っていたけど。
肝心の「壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段」は素浄瑠璃でたっぷりと。まあでもこの段は語りよりも三味線や三曲の演奏を楽しむものだなぁ。あまり感情が迸るようなところはないし。三曲は燕二郎で、琴は緊張した様子だったが、胡弓はダイナミックな演奏。呂勢によると、寛治に稽古してもらった際、「胡弓では『これだけやってもまだ信じてくれないの⁈』とやけになってる」と教わったそう。そう思って聞くと楽しみが増す。
清公は研修生時代、小指を立てる癖を直すため、清治に薬指とテープでぐるぐる巻きにされたエピソードを紹介。そう言うそばからマイクを持つ手の小指が立っているのがご愛嬌。燕二郎は師匠と同じマンション(部屋は別)で毎日食事を一緒にしていることについて。普段はその日あったことを報告する程度だが、たまにお酒が入ると芸談を聞かせてもらうこともあるそう。いまでは珍しい師弟関係だ。
睦は奈良でも東京の実家も師匠と家が近所。奈良の家は自分で選んだが、東京の家は「後から師匠が近くに越してきた」。「思い出の場所に師匠が来てイヤだとかないの?」と聞かれ「思い出は全て関西に持って行った」とかわすと「睦は真面目でつまらない」とバッサリ。靖は結婚して二児のパパ。子供ができての変化を聞かれ、「其礼成心中」で主人公の娘が家を出るところで、自分の娘もいずれ…と思ってうるっときたと。燕三も「寺子屋で主人のために小太郎を身代わりに殺すとか絶対無理!」と力説。呂勢もそろそろ身を固めないと、と言われて「男は70でも子供ができるから」とかなんとか言っていたけど。
肝心の「壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段」は素浄瑠璃でたっぷりと。まあでもこの段は語りよりも三味線や三曲の演奏を楽しむものだなぁ。あまり感情が迸るようなところはないし。三曲は燕二郎で、琴は緊張した様子だったが、胡弓はダイナミックな演奏。呂勢によると、寛治に稽古してもらった際、「胡弓では『これだけやってもまだ信じてくれないの⁈』とやけになってる」と教わったそう。そう思って聞くと楽しみが増す。
9月18日 文楽九月公演 第2部
「玉藻前
清水寺の段は掛け合いで、津国、南都、文字栄、咲寿、亘、碩に団吾。南都の犬淵源蔵はまあいいとして、文字栄の采女之助は似合わない。逆のほうがよかった。碩が腰元の語りで客席からクスクス笑いが。別に悪くないと思うのだけど、ちょっと力入りすぎちゃったかな?めげずに頑張れ!
道春館は中が希・寛太郎、奥が千歳・富助。千歳は高音が掠れるところもあったが、充実の語り。大落としでちゃんと泣ける。ててじゃわやいは悲哀より力強い。三味線も激しく盛り上げる。
神泉苑は口が咲寿・友之助、奥が咲甫・清介。咲甫は歌いすぎに磨きがかかっているよう。声量はあるし音域も広いのに義太夫らしく聞こえないのはどうだろう。
廊下の段は始・清志郎。義太夫らしい語りだが、女御たちはちと苦しい。
訴訟の段は睦・喜一郎。低音部はいいのだが、高音の掠れが。ちょっとはましになってるのかもしれないが、なかなか直らないものだなぁ。
祈りの段は文字久・宗助。
化粧殺生石は咲甫、睦、始、小住、亘に藤蔵、清き、寛太郎、清公、清允。なんでだろう、かちっと揃ってないようで煩く感じた。勘十郎大活躍はいいのだが、金毛の狐を遣うのに銀ラメの裃はチカチカする。緞子くらいのほうが安っぽくならずにいいと思う。
人形は幸助の采女之助が颯爽としていい。本人の表情のキリリとしているのはいいのか悪いのか。
清水寺の段は掛け合いで、津国、南都、文字栄、咲寿、亘、碩に団吾。南都の犬淵源蔵はまあいいとして、文字栄の采女之助は似合わない。逆のほうがよかった。碩が腰元の語りで客席からクスクス笑いが。別に悪くないと思うのだけど、ちょっと力入りすぎちゃったかな?めげずに頑張れ!
道春館は中が希・寛太郎、奥が千歳・富助。千歳は高音が掠れるところもあったが、充実の語り。大落としでちゃんと泣ける。ててじゃわやいは悲哀より力強い。三味線も激しく盛り上げる。
神泉苑は口が咲寿・友之助、奥が咲甫・清介。咲甫は歌いすぎに磨きがかかっているよう。声量はあるし音域も広いのに義太夫らしく聞こえないのはどうだろう。
廊下の段は始・清志郎。義太夫らしい語りだが、女御たちはちと苦しい。
訴訟の段は睦・喜一郎。低音部はいいのだが、高音の掠れが。ちょっとはましになってるのかもしれないが、なかなか直らないものだなぁ。
祈りの段は文字久・宗助。
化粧殺生石は咲甫、睦、始、小住、亘に藤蔵、清き、寛太郎、清公、清允。なんでだろう、かちっと揃ってないようで煩く感じた。勘十郎大活躍はいいのだが、金毛の狐を遣うのに銀ラメの裃はチカチカする。緞子くらいのほうが安っぽくならずにいいと思う。
人形は幸助の采女之助が颯爽としていい。本人の表情のキリリとしているのはいいのか悪いのか。
9月17日 文楽九月公演 第一部
「生写朝顔話」
宇治川蛍狩りの段の中を小住・錦吾、奥を三輪・清友。
明石浦船別れの段は津駒・寛治に燕二郎の琴。
和生の浅香に落ち着きがあり、一輔の深雪が可憐。
浜松小屋は呂勢・清治。喉の調子が悪いのかしきりに手ぬぐいを口元にしていて、高音の伸びがいまひとつ。簑助の朝顔はすごかっただけに残念。
嶋田宿笑い薬の段は口が芳穂・清丈、奥(切ではないのね)を咲・燕三。咲の出だしはまずまずだったが、肝心の笑いが止まらないところの力のなさ。笑い疲れて声も出ないという表現なのかも、とも思ったが、ここは盛大な笑いが聞きたい。
宿屋は呂・団七に清公の琴。ここはクライマックスなのに、力強さが足りない。大井川の靖・錦糸で適正音量が聞けて一安心。靖は顔を紅潮させての熱演。
宇治川蛍狩りの段の中を小住・錦吾、奥を三輪・清友。
明石浦船別れの段は津駒・寛治に燕二郎の琴。
和生の浅香に落ち着きがあり、一輔の深雪が可憐。
浜松小屋は呂勢・清治。喉の調子が悪いのかしきりに手ぬぐいを口元にしていて、高音の伸びがいまひとつ。簑助の朝顔はすごかっただけに残念。
嶋田宿笑い薬の段は口が芳穂・清丈、奥(切ではないのね)を咲・燕三。咲の出だしはまずまずだったが、肝心の笑いが止まらないところの力のなさ。笑い疲れて声も出ないという表現なのかも、とも思ったが、ここは盛大な笑いが聞きたい。
宿屋は呂・団七に清公の琴。ここはクライマックスなのに、力強さが足りない。大井川の靖・錦糸で適正音量が聞けて一安心。靖は顔を紅潮させての熱演。
2017年9月16日土曜日
0915 コンブリ団「夏休みのばあちゃん家」
小学生くらいの男の子が夏休み、一人で、母との思い出の場所である祖母の家を訪ねる。父に内緒で、近所の痴呆症のお婆さんをかわしたり、一人で電車に乗っての旅はさながら小さな冒険。クラスメイトの飼い犬や飛び出し坊や、影法師との会話で母との思い出が語られる。終盤、夢食いという妖怪?のくだりで急に夢のエネルギー=原子力発電の話になるのが唐突に感じられたのが惜しい。少年役を2人の女優と1人の男優がかわりがわり演じるのだが、あまり違和感なく受け入れられた。
0913 マームとジプシー「あっこのはなし」
地方都市の一軒家で同居する30代女性3人の取り留めない日常会話。ああ、こんな話するよねー、というリアルな感じが上手い。同じシーンをランダムに繰り返し、行きつ戻りつ話が進むのはコントのよう。「あっこのはなし」はあっこさんの話だったり、あ、この話しようだったり、あっこ野放しだったり、あっこ鼻血だったりの言葉遊びの要素も。若々しい芝居で、役者の発声に聞きづらいところも。
2017年9月13日水曜日
0911 ミュージカル「レ・ミゼラブル」
曲はやはり素晴らしいのだが、残念ながらあまり泣けなかった。唯一涙がこぼれたのはエポニーヌ(松原凛子)のソロのみ。日本語だからなのか、キャストのためか。観終わって何か物足りない感じだ。
ジャン・バルジャンの福井晶一は特に悪いところもないのだが、打ちだしが弱い。シャベールの川口竜也も同様。キーが高いのか、もっと低音のどっしりした感じがほしい。テナルディエ夫妻は駒田一と鈴木ほのか。もっと愛嬌がほしいところ。憎たらしく嫌な奴で終わっている感じ。コゼットの生田絵梨花はキンキンした声でコゼットの可憐さとは違うような。マリウスの内藤大希は頼りなさげで、どこに一目ぼれしたのかわからない。
アンジョルラスの上原理生は何度もやっているせいか達者で安定感がある歌唱、演技で好感が持てた。
2017年9月10日日曜日
0909 「地域とつくる舞台」シリーズ アイホールがつくる「伊丹の物語」プロジェクト 「さよなら家族」
市民から寄せられた写真でつづる伊丹の歴史。豆腐屋を営む女性とその家族を軸に、戦後から現在までを描く。
近くの空港で発着する飛行機の爆音、大阪万博でタイからきた象が行軍したことなど、地元の人にはへえというエピソードなのだろう。姉と弟の喧嘩のようすなど、昭和の家族の「あるある」という懐かしさ。豆腐屋の作業のパントマイムが、豆腐屋の仕事を知らない人には分かりにくく、長く感じた。昔伊丹にあったというストリップ小屋のエピソードは写真もなく、なぜ取り入れたのか不明だったりと、やや冗長に感じた。
9月8日 大阪女優の会「あきらめない、世界を~不寛容社会からの脱却~」
今年で15回を迎える、反戦の公演。10代から90代までの女優・俳優が作り出す舞台がこれだけ続くというのは立派なものだ。
脚本は伊地知克介、岩崎正裕、小原延之の合作?で、構成・演出を岩崎。だからなのか、エピソードの寄せ集めという印象をぬぐえなかった。不寛容な社会の象徴として、戦後の歌謡曲の放送禁止事例(正確には放送局の自主規制)の紹介、「君が代」のアレンジについて、戦時中の演劇に加えられた検閲ついてなどを紹介する構成。。知らなかったことで「へえ」と思うところもあったけど、歌や急な展開に誤魔化されたようだった。
9月7日 大槻能楽堂ナイトシアター 第一夜
大槻能楽堂による初心者向けの公演。大槻文蔵とわかぎえふによるトークで能の基本や演目の見どころを解説したのち、今回は「土蜘蛛」。視覚的に派手だし、初心者向けにはいいと思う。「能って難しい?いえ、決してそんなことはありません」というサブタイトルがついていたのだが、文蔵は「簡単とは言えない」とバッサリ。仰るとおりではあるのだが。簡単ではないけれど、分からないなら分からないなりの楽しみ方があるよということか。パンフレットに土蜘蛛には朝廷に楯突いた人々の象徴という説明はなるほどと感じた。土蜘蛛の精は大槻裕一。若々しく、キビキビとした印象。客席には初めての人も多く、普段とは違うざわざわした雰囲気だった。
0907 ミュージカル「ヤングフランケンシュタイン」
小栗旬が登場すると会場中から黄色い声援。人気はすごくあるようで、客席は満員だった。奥さんネタとか、個人的なことでくすぐったり、アドリブのギャグを繰り出したりとおふざけを頻繁に挟んで笑いを取ろうとしていた。歌が壊滅的に下手なのに驚いた。曲はキャッチ―で聞きやすいのだが、なぜ彼でミュージカルをしようとしたのか不明。フランケンシュタインの役にはまっているとも思えないし。ムロツヨシや瀧本美織、賀来賢人らがエキセントリックな登場人物をうまくこなしていた印象。だが、ストーリーは二の次で、小ネタで笑わそうという感じで、私は乗れなかった。会場は笑っていたけれど。ブリュッハー役の保坂知寿が歌、芝居ともに達者。なんとなく様子が分かってしまったので1幕で退場。
2017年9月5日火曜日
0904 プレイヤー
イキウメの前川知大の脚本を長塚圭史が演出。藤原竜也や仲村トオルら役者陣も存在感のある人がそろい、2時間50分が長くは感じなかった。
地方都市の劇場で、オーディションで集まった役者が芝居の稽古をしている。劇中劇と劇が入り乱れ、演出家が芝居に入り込んでしまうなど、現実と芝居の境目が分からなくなる。劇中劇は死者の言葉を生きた人を通して再生するという、新興宗教のような団体を描く。脚本を役者を通じて現実空間に再現するという芝居とどこかオーバーラップする。劇中劇で瞑想の指導者・時枝役を演じる仲村トオルが凄みのある演技。藤枝の導きで死んだ女性の知人で事件を追う刑事・桜井(藤原)が次第に取り込まれている様が不気味だ。さらに、桜井の同僚で最後まで瞑想に懐疑的だった刑事までも操り、殺人を犯させてしまう恐ろしさ。カルト教団ってこういうものなのかも。演出家役の真飛聖は場を導く指導者のようで、クライマックスでは芝居に口をはさんで芝居を方向付ける。瞑想集団は環境保護団体でもあって、世界を変えるために精神を残して集団自殺するのだが、どうやった環境が改善されるのかがよく分からなかった。まあ、その辺はどうでもいいのかもしれないが。
9月3日 酒都で聴く素浄瑠璃の会 人間国宝 女義太夫 竹本駒之助を聴く
「加賀見山旧錦絵 長局の段」
駒之助の体調もよかったようで、1時間あまり、たっぷりと聞きごたえのある浄瑠璃だった。お初の感情が高ぶる場面では、見台を叩いての熱演。残念だったのは三味線の力不足。津賀花はスカ撥がたびたびあり、クライマックスの早い手で盛り上げるところも追い込みがたりないように感じた。
2017年9月3日日曜日
0902 よね吉・千五郎ふたり会 第6回「笑えない会」
トークの後、「木六駄」。千五郎の太郎冠者は牛を追う動きがリアルで、牛の群れが見えるよう。酒に酔うところはちょっと煩い。橋掛りのない平舞台だったせいか、茶屋の主人の前を行ったり来たりするのが変な感じだった。
よね吉は「幸助餅」をネタおろし。染丸直伝だそうだが、染丸らしさはあまり感じなかった。中盤、雷が大笑いする途中で幸助のセリフに変わるなど、慌ただしく感じるところももあったが、力の入った熱演で、最後はホロリとさせられた。
0901 ミュージカル「にんじん」
大竹しのぶが38年振りににんじんを演じると話題の公演。懸念された、おばさんが頑張って少年を演じているという痛々しさは感じなかったものの、少年には見えなかった。表情を歪めたり、不自然に手を曲げたりする仕草や子どもを演じる声優のような作り声が不自然で、知的障害の青年みたいだった。
物語はただただ救いがない。現場を受け入れ、自立していくというラストなのだろうけど、にんじんが幸せになると思えなかった。麦畑のセットは美しかったけど。
そのほかのキャストはどれもよくはまっていた。母親役のキムラ緑子が理不尽ににんじんに辛く当たる身勝手さと苦悩を活写。父親の宇梶剛士も自信を失った男の悲哀が感じられた。母親にら溺愛されながら家を出てしまう兄を中山優馬。母親がにんじんばかり構うのが面白くない、ひねくれた様子。結婚して早く家を出たい姉の秋元才加、婚約者の中山義紘もらしかった。女中の真琴つばさは頼もしく、ちゃんと女に見えた。歌は総じてもう一つだったが、名付け親の今井清隆が安定感のある歌唱。
アンサンブルのシーンで、タンクトップに短パンの女性が駆け回ったり転がったり。何の表現だったのだろう。
2017年8月30日水曜日
0827 壱劇屋「五彩の神楽 憫笑姫」
ノンバーバルということでセリフはなく、叫びや笑い声のみ。妹のために戦士になる姉の成長物語?なのだが、何のために戦っているのか分からず、また、途中から妹も戦っているのが訳わからない。主演の西分綾香はアニメっぽいものの表情豊かだし、殺陣でも奮闘。NMB48から客演の妹役、久代梨奈は剣に振り回されている感じで殺陣はダンスみたいだった。王?に威厳がなく、軽いのが残念。
0827 少年王者館「シアンガーデン」
隣り合わせのアパートの部屋にいる3組?寝物語をせがむ子どもたちとその父親、年齢不詳な姉妹、ガラクタでロボットを作ろうとしている男とその友人。それぞれの部屋を行き来し、時制も行ったり来たり。 言葉尻を捉えて別の言葉に繋げたり、繰り返しながらちょっとずつ変わっていったりする手法が面白い。キレのいい踊りも。映像と照明が巧みで、異次元につながっでいるような不思議な空間を醸し出す。王者館らしい舞台だった。
8月26日 山下残「無門館の水は二度流せ詰まらぬ」
舞台中央にぽっかり開いた大きな穴。その周りで息を吹きかける3人。演者はアトリエ劇研や無門館時代の思い出を語ったかと思えば、突如戦争反対のメッセージを訴えるのだが、内容がシュール。人魚が島になって、他人の身体のうえに勝手に線を引くなとか。穴から出てきたヘルメットの男が棒のようなもので人々をなぐるのが不快感極まりない。最後、壊れた人形のように身体を打ち付けたり、床を這い回ったりするのも何だか怖かった。
スモークが立ち込めたり、穴からランプやバルーンがでてきたり、照明の効果もあって異空間に迷い込んだよう。興味深い体験ではあった。
8月25日 上方歌舞伎会
「義経千本桜」から賀茂堤と佐太村。
賀茂堤は桜丸の折之助と八重の吉太郎がよかった。吉太郎は瑞々しい若妻の風情でちょっとおきゃんな感じが出てた。姫の美輝は表情が硬く不貞腐れたように見える。化粧もなんか野暮ったい。
佐太村は千寿の桜丸がいいのは期待通り。梅王の當吉郎もよかった。千代の當史弥、春の光は老けて作りすぎ。本来はもっと重々しくあるべき松王(松太郎)が若かったので、千代が母親みたいだった。
「棒しばり」千次郎の大名は顔が白すぎないか?翫政の次郎冠者が軽妙で上出来。が、振り付けがバタバタした印象。観客サービスかもしれないけれど、引っ繰り返ったりするのは新喜劇みたいだ。
0825 宝塚雪組「琥珀色の雨に濡れて」
望海風斗のトップお披露目は見応え、聞き応え十分。1920年代のフランスが舞台の、互いに惹かれあいながら実らぬ大人の恋。大きなドラマはないのだが、心理描写がしっかりしていて楽しめた。1984年初演なので、昭和歌謡?という音楽の古さだが、圧倒的な歌唱力で聞かせてしまう。ダンスも上手い、というか、ちゃんと稽古をしている踊り。体幹がしっかりしてるのと、リズムの取り方がいいのだろう。悪い意味での宝塚らしさをあまり感じなかった。望海は歌よし、踊りよし、顔もよしで、決めるところはキザにキメる。王道のトップという風情だ。こういうトップばかりだと、観ててストレスがないのだが。
相手役の真彩希帆も歌が上手くて、今後に期待がもてる。
ショーは「ドラマティックS」。早霧せいなの退団公演の作品だが、ちゃんと自分のものにしていた。タイトルはドラマティックFでもいいのでは?
0824 宝塚宙組「神々の土地~ロマノフの黄昏~」
上田久美子作・演出で期待値を上げすぎたのか、不完全燃焼な感じ。歌や踊りのほとんどない、ストレートプレイ的なのはいいとして、人物像の描き方に深みがなく、これといったクライマックスがないので盛り上がりに欠ける。演技力の問題もあるだろうが、演出家本人もまだ煮詰めきれてないのでは。テーマとしては悪くないし、登場人物も掘り下げる余地がたくさんありそうなので、もっと面白くなるのではと思いながら観た。
レビューは稲葉大地の「クラシカル・ビジュー」。宝石箱をひっくり返したような華やかで煌びやかな舞台で、これぞレビューという醍醐味を味わえた。まあ、ダンスの振り付けがイマイチ…と思うところは多々あったけど。グランジュテとか、バットマンとか、なんであんなに重たげなのか。黒燕尾の群舞は圧巻(振り付けはともかく)で、キラキラしたのよりシンプルな方が映える。全員でのコーラスなど、歌でも聞かせた。
8月20日 内子座文楽
亘の解説に続き、呂太夫襲名の口上から。床に和生、清介、呂太夫、呂勢と並ぶ。呂勢の進行は5月の国立劇場とほぼ同じ。「若太夫に繋がる嶋太夫の名前を捨てて…」のくだりがなかったのはなんでだろう。清介は「芸は所詮人間性。その点新呂太夫は懐が深く情のある温かい人柄。奥行き、情のある、大輪の花を咲かせてほしい」と卒なくまとめると、和生は「新呂太夫とは同じ日に文楽協会に挨拶に行った同期で、朝日座の踊り場ですれ違って挨拶したのが初対面。呂は水掛不動さんの前だったと言うが、そんな映画みたいなシチュエーションじゃなかった。50という年月はかくも記憶を曖昧にする」と。文字にすると面白くもないが、和生の朴訥とした話ぶりだと大爆笑。あったかい襲名披露だった。
続いて本編の「蘆屋道満大内鏡」。
「葛の葉の段」は睦・清丈、呂・清介。睦は相変わらず声が掠れて辛そう。呂は手堅くまとめた印象。人気は和生の葛の葉がしっとりとして、動物の身であることを隠そうとする奥ゆかしさ、ふと露見してしまう獣らしさがいい。童子の勘次郎もよかった。
「乱菊の乱れ」は呂勢、希、亘に宗介、寛太郎、清公、清允。蠟燭(内子の和ろうそくだそう)の差し出しで花道から登場。幻想的な雰囲気。
0819 文楽素浄瑠璃の会
「冥土の飛脚 淡路町の段」
咲・燕三。咲の語りが上手いのであろうことは分かるのだが、声に力強さがなく、響いてこない。ボリューム絞ってるみたいで、ゴニョゴニョと詞章もはっきりしない。さすがという声もあったが、私には物足りなかった。
「菅原伝授手習鑑 桜丸切腹の段」
千歳・富助。滋味溢れる住やその教えを受けた文字久と違って、明朗な語り口で八重や白太夫の悲しみが浮かぶ。時折アウアウするのさえなければ。
「源平布引滝 松波琵琶の段」
津駒・藤蔵。いやあ、2人とも大熱演。津駒は唾液を滴らせ、藤蔵は唸る。泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸の語り分けが明快で、面白いのなんの!人形なしでも十分というか、ないほうがいいとすら思う。三味線が弾きまくるので、藤蔵は満足であろう。
2017年8月20日日曜日
0818 ダンス×文学シリーズvol.1 マクベス
森優貴の振り付け。マクベスを振付家として解釈し――というのがよく分からん。何で王じゃないのか、振付家たる所以はどこに?特に一幕が何を表現してるのか私にはサッパリだった。二幕の中盤、シンクロした動きが面白いと思ったが、暗転→位置転換して踊り出す、というパターンが繰り返されて飽きてしまった。照明は美しい。コンテンポラリーの見方って難しい。
0817 サファリ・P「財産没収」
少年と少女の会話劇に作者自身を割り込ませ、渡りゼリフの様に発言者が交錯する。はじめは誰が誰だか混乱したが、次第に二重構造が面白く感じられた。舞台には数個の灯りが吊るされ、椅子が3脚とワインの空き瓶。黒いドレスを着たボディが倒してある。赤いリボンが渡されるのは現在と過去との境界線にも、財産差し押さえの印にも。壊れた人形のようにばたりと倒れたり、もがいたりするダンサーの動きはセリフよりも雄弁だ。
2017年8月17日木曜日
8月14日 八月納涼歌舞伎 第三部 「野田版 桜の森の満開の下」
美しかったし面白かったけど、歌舞伎かと言われるとそうではないような。歌舞伎役者が演じることで芝居の深みや密度は増していたように思うけど。
満開の桜の下に散在する鬼の屍が乱れ舞う印象的な幕開き。耳男の勘九郎は父勘三郎を思わせる熱演。スピード感のあるセリフと動きで終始引っ張る。夜長姫の七之助はメイクがのっぺりしていて(多分アイメイクが控えめすぎなせい)もっと美しくできるのにと思ってしまった。セリフは初演の毬谷裕子の影が見え隠れ。演じてる感が出てしまったのがもったいない。もっと歌舞伎っぽくというか、七之助の調子のほうがいいように感じた。クライマックスの殺しでの海老ぞりはたっぷりで壮絶に美しかった。
オオアマの染五郎はハマリ役。ちょっと悪い役がこんなに似合うとは。
何より観ててたのしかったのは、マナコの猿弥。笑いどころを押さえ、美味しいところを持っていく。タバコをふかしながらのモノマネは渡部篤郎?あと、エナコの芝のぶが悪婆というか蓮っ葉な女が意外にはまってた。
8月13日 杉本文楽「女殺油地獄」
冒頭、近松門左衛門による口上という体で杉本氏?が解説。女殺が衝動殺人を描いた意欲作というのはいいとしても、徳庵寺堤で与兵衛を裸にして泥を拭いてやったというのは??着物の泥を洗うために脱がせたけど、襦袢や下着まで脱がしたわけではなかろうに。豊島屋の段で自分を好いていると思っていた女に裏切られて殺意を抱いたというのも承服しがたい。お吉が気を持たせるような態度をとるのが悪いと言わんばかりなのは、男の身勝手ではないか。いろんな解釈があるのだろうけど、これが定説みたいな言いぶりで、普段文楽を観ない人も多い公演なので誤解を与えないか心配だ。
人形は玉佳(左は玉翔)で、執筆に疲れた近松がラジオ体操のような動きをするのが面白く、拍手が出てた。
続いて清治、清志郎、清馗による序曲、殺しのテーマ。ブルースギターのような演奏で、テクニックを駆使しているのがよく分かる。メガネをかけて譜面を繰る清治も珍しい。
豊島屋の段は前後に分けて、前は千歳・藤蔵の素浄瑠璃。お沢、徳兵衛の情は流石に聞かせたが、声の調子が悪そうだったのが惜しい。
奥は上手、下手に分かれて掛け合い。下手が与兵衛で、呂勢・清治に清馗のツレ。上手はお吉で靖・清志郎。呂勢は与兵衛にしては声が高すぎる気がしたが、靖が意外に良かった。掛け合いにすると話は分かりやすくなるのかも。
人形は手摺がないので浮遊してるみたい。舞台下駄なしだったので、足遣いだ大変そう。油で滑るところは、左右に加え、奥行きも活かして立体的なのはいいが、いかんせん、もともと浮いて見える人形なので滑っている感じがしなかった。
いろいろ書いたけど、悪いとまでは言わないが、時間物足りない短く物足りない。まあ、フェスティバルホールで観た「曽根崎心中」ほと酷くはなかった。人形もちゃんと見えたし。
0812 ミュージカル「ピーターパン」
二十数年ぶりに観たが、胸に迫るものがあって涙が出た。宮尾俊太郎の演出でここまで変わるかと驚く。
幕が上がる前、揃いの白い衣装に身を包んだキャストが大きな絵本を持って客席を徘徊。表紙には様々な国の言葉で「ピーターパン」と書いてあり、物語の冒頭を朗読したり、子どもたちに読ませたりして作品世界に誘う。子どもはすでに大はしゃぎ。
開演時間になると、キャストたちは舞台に駆け上がってオープニング。夢の世界に引き込まれる。
最年少ピーターパンの吉柳咲良は溌剌として少年らしく、伸びやかなうたも好感がもてる。若いから仕方ないとは思うが、セリフの滑舌ご悪いのが残念だ。ウェンディの神田沙也加は時折若作りしすぎに感じられたが、概ね好演。彼女か歌うと途端にミュージカルらしくなる。ティンカーベルへの対抗心や、ピーターがお父さんになってくれたらお母さんになってあげるというくだりで、これまで観たものよりピーターパンとへの恋心がはっきり表現されているように感じた。
ラストは再び、絵本を手にしたキャストが緞帳前に並ぶ。ピーターパンは世界中の絵本の中に生き続けているというメッセージのよう。妖精の粉を客席に振りまくラストまで、夢のように美しい舞台だった
0811 土田英生セレクション「きゅうりの花」
いやあ、面白かった。笑った。
芸達者な役者が揃ったので、会話のテンポが絶妙。特に金替康博の何とも言えない間が秀逸だ。内田淳子のちゃきちゃきした感じがいいアクセント。加藤啓のうざったさ加減が絶妙で、舞台経験があまりないという神田聖司もさわやかな好青年ぶり。諏訪雅は嫌みな感じはいいのだが、ちょっと素人っぽい?
盆踊りをデスメタル調にしたのは初演時からなのだろうか?牧歌的な振りになっていたので昔ながらの民謡に戻したのかと思っていたら、最後まさかのフォーメーションダンスに仰け反った。後味は苦いのだけど、からりとしてる。
0811 アーティスティック バレエ・ガラ
世界で活躍するバレエダンサーを集めての贅沢な公演。冒頭、出演者紹介のように次々に舞台に上がり一節踊って見せたり、それぞれのプログラムの始めにスクリーンで演目と演者が紹介されるのは初心者には親切だ。
一番の収穫は平野亮一の踊り。「ライモンダ」のはじめはぎこちなさもあったけど、だんだんのびのびしてきて、「マノン」は色気もあって素晴らしかった。背が高く、ガタイがしっかりしているのでリフトに包容力があり安定しているのもポイント高い。相手役の西野麻衣子はキツイ感じがしてあまり好みではないが。映画を見ても思ったが、何かに怒っているみたいに終始挑戦的というか、攻撃的というか…。踊りが硬く感じてしまう。
ウィーン国立劇場のプリンシパル、木本全優・橋本清香ペアはぴったり息の合い方が並外れてる。同じ振りで踊るところのシンクロ具合が凄いのだ。
ポーランド国立バレエの海老原由佳・ダ―ウィッド・チェンチェミエックのペアはレディオヘッドの曲のコンテが面白かったし、ドンキも悪くなかった。が、チェンチェミエック、衣装のせいか肩幅が狭く頭でっかちに見えてしまった。
プレルジョカージュ・バレエ団はコンテが主体なのかな。津川友利江とジョンシャール・ジュスニの踊りはシンプル。日本舞踊との共演は今一つ。アバンギャルドっぽいメークと衣装でなく、古典的な日舞とのコラボのほうが面白いと思うのだが。
2017年8月11日金曜日
0810 六本木歌舞伎「座頭市」
三池崇史の演出は視覚的。Tシャツ、スエット姿の海老蔵が舞台中央に現れ、本水の雨の中で立ち回りを演じる。そのあと、舞台上手でバナナを食べるなか、客席から花魁の寺島しのぶが登場。海老蔵は舞台上で赤い着物姿に着替えて芝居がスタート。そのあとは寺島が花魁と盲目の少女の早変わりを何度もしたり、右団治演じる敵役がぬえ?になったりと視覚的には面白いのだが、ストーリー上の必然性が感じられない。寺島は花魁と少女を巧みに演じ分け、市に迫るところなど上手く見せるが、歌舞伎らしくはないかなあ。海老蔵は客を馬鹿にしているのが不快。休憩時間に俳優がロビーや客席をうろついていたり、2幕の冒頭で客席を巻き込んでラップをしたりとサービス精神旺盛なのは認めるが…。
2017年8月10日木曜日
8月9日 第19回福聚会
「草津乳母餅」は清介・清公。清介の浄瑠璃は音楽的。終始歌っているようだった。閻魔大王が乳母と再会する滑稽な話。
「天網島時雨炬燵」は清丈・団吾。チャリ場はお得意そうだけど落語みたい。
「恋女房染分手綱」の道中双六の段は宗助・藤蔵に友之助のツレ。宗助は本職かと思うほどの出来栄え。聞けば嶋太夫に稽古してもらったそう。三味線の藤蔵も良かった。
トリは重の井子別れの段で燕三・燕二郎。出だしは声量がなく淡白な感じだったが、尻上がりで良くなった。
2017年8月7日月曜日
0806 あべの歌舞伎晴の会「東海道四谷怪談」
晴の会初の古典は上出来で見応えあった。何より千壽のお岩が哀れさが際立っていて、伊右衛門に着物を剥がれて足蹴にされたり、「これが私の顔かいな」と嘆くところでは思わず涙が出た。宅悦とのやり取りでは怖がらせることに力点を置いて芝居をする人が多いのだが、千壽のお岩はただただ哀れ。四谷怪談で泣いたのは初めてかも。与茂七は珍しい立ち役で、スッキリとした男前の好演だった。松十郎の伊右衛門は一幕は凄みがたりず物足りなく感じたが、二幕の非道ぶりは仁左衛門を彷彿とさせる色悪ぶり。講釈師の千次郎が狂言回しで長い物語をコンパクトにまとめ、直助の小悪党ぶりも嵌ってた。三幕で真相を知った直助の一人語りもたっぷり見せた。やはりこの3人が中核なのだなと思う。りき弥はお袖とお梅の2役なのだが、美声だし可憐な女形ではあるのだが、役の違いとか感情の表現はもう一つ。休憩をはさんで3時間10分ほどと、当初の予定より伸びたようだが、長いとは感じなかった充実の舞台だった。
2017年8月5日土曜日
2017年8月2日水曜日
0801 宝塚月組「All for One~ダルタニアンと太陽王~」
「三銃士」のパロディみたいな楽しい芝居。キャラが立っていて面白く、一番の功労者はルイ14世役の愛希れいかだろう。元男役だけあって、王としての威厳を現しながら、娘に戻ったときのかわいらしさ。生き生きとしてチャーミングな役はこれまであまり見なかったが、妖艶な悪女よりもこの人のキャラには合っていると思った。ダルタニアンは純粋な人物像が魅力的だが、やや存在感が薄かったかも。ラストのデュエットダンスはたっぷり時間があったのにリフトがなかったのも不満だ。きらびやかなセットや衣装が目に楽しく、小ネタをまぶして遊んでいるのも面白い。後半、ダルタニアンらの潜伏先にベルナルドが踏み込んでおきながらそのまま引き下がってしまうなど話の運びに無理があったり、ご都合主義だったのが残念だが、総じて面白く見た。これまで見た宝塚のオリジナル作品では一番かも。
0731 アザー・デザート・シティーズ
寺島しのぶ演じる作家の主人公と家族の葛藤を描く、ひりひりするような心理劇。佐藤オリエの母、麻美れいのおばと芸達者ぞろいで、緊迫感のある家族模様が描かれる。中村蒼演じる弟が緩和剤になっていた。最後、意外にハッピーエンドというか、和解が成立してしまったのが意外というか。東京公演で急逝した中嶋しゅうの代に急きょ立った役斎藤歩は十分なできなのだろうが、先入観のせいか少し物足りなく感じてしまった。
0730 淡路人形座「玉藻前曦袂」
三段目から五段目を通して上演。たっぷりと芝居が見られるのはいいね。
「道春館の段」の床は友庄と友勇。友庄は声量はそれほどでもないが、情感あふれる語り。「ててじゃわやい」なんかは。友勇はちょっと音がぼんやりして、間が悪いと感じるところもあった。人形は頭が大きくて手足とのバランスが悪いようなのが、粗野な感じで味がある。
「神泉苑の段」では最後に飛んでいく狐のぬいぐるみがご愛敬。「七化けの段」では舞台転換の間に客席に狐の人形が現れて怪しい雰囲気を醸し出す。1人のご婦人のリアクションで会場が温まった。早変わりは人形を持ち変えるだけでなく、人形遣いの早着替えで、裃だけでなく着物がいろいろ変わって楽しい。が、何も持っていない人形遣いが舞台に立っているのはなんだか違和感。洗練されていないのだが、これが淡路の味なのだろう。
0729 こぐれ塾「寝取られ宗介」
劇中劇と劇の人物が混然として話がつかみにくく、途中何度か意識が飛んでしまった。とはいえ、宗介役の菊池均也がいい風情で、変態男なのに嫌みがない。走ってハケるときのぴゅーって感じがすごくよかった。レイ子役の遠海まりこはキレイだが、何かが足りない気がした。劇中劇で着ているお志摩の着物が訪問着だか付下げだかで、下ぞり屋の女房にしてはフォーマルすぎるのではないかと気なった。
2017年7月26日水曜日
0725 夏休み文楽特別劇場 名作劇場
「源平布引滝」
義賢館の段の中が靖・錦糸、奥を咲甫・清友。
靖は低音の発生に苦労している様子だが、時代物の堂々とした雰囲気。咲甫は芝居っ気ありすぎに感じた。
和生の義賢が風格があって立派。
矢橋の段は亘・錦吾。簾内だがライトが当たって姿は確認できた。
竹生島遊覧の段は津国、南都、文字栄、碩、希の掛け合いに三味線は清馗。
大きな船が舞台いっぱいで迫力あり。
九郎助住家の段
中を希・寛太郎、次を文字久・団七、切を咲・燕三、奥を呂勢・清治。
咲は技術で体裁は保っていたが、痩せて声に力がないのがつくづく残念。切場を語り切る体力がないのはともかく、無理くりぶった切ったような転換もどうか。
呂勢は声がよく出ていて目が覚めるようだった。
0725 夏休み文楽特別公演 親子劇場
「金太郎の大ぐも退治」
芳穂の金太郎に靖の鬼童丸、亘、碩は赤鬼、青鬼。三味線は清志郎、清丈、友之助、燕二郎、清允。
芝居っ気のある芳穂に靖の悪役ぶりがよく嵌る。初舞台の碩は落ち着いた様子で声もよく出ていた。清志郎率いる三味線が攻撃的でスリリング。
人形はすべて頭巾をかぶっているので誰だか筋書で確認しながら見た。玉佳の金太郎はダイナミックな動き。玉勢は大ぐも・鬼童丸と配役にあるが、大ぐもはほかの人が遣っていたようで実際は鬼童丸だけ?最後宙乗りで銀の紙吹雪を巻きながら空へと去っていくのが格好いい。悪役っていうよりヒーローのようだった。
「赤い陣羽織」
文字久・藤蔵→呂・清介、清允→三輪、始、芳穂、咲寿、小住に喜一郎、燕二郎のリレーで。
台本に手を加えてはいけないという条件があったそうで、現代語の詞章は義太夫節らしくはないが、文字久がのびのび語るのは悪くなかった。呂はなんだかパッとしたところがなかった。女房の咲寿、声が甲高くて若すぎないか?
おやじとお代官がそっくりで入れ替わるというのが面白みという設定は、人形も人形遣いも別々の人が演じる文楽よりも役者の早変わりで見せる歌舞伎のほうが面白いかも。
2017年7月25日火曜日
0723 劇団四季「ノートルダムの鐘」
期待値が高すぎたせいか思ったほどの感動ではなかったが、コーラスの迫力で心が揺さぶれる場面がたびたびあった。エスメラルダは容姿やダンスはもう一つと思うところもあったが、歌がいい。神父の屈折ぶりがこの物語のキモなのだろう。存在感が十分あった。日本語の歌詞は野暮ったく感じるところもあり。
7月22日 夏休み文楽特別公演 第3部
「夏祭浪花鑑」
住吉前で咲寿・団吾。発語時の発声が弱いのが気になったが、語り分けがしっかりしてて驚く。三婦の風格、お梶の女房らしさも感じられた。続いて睦・宗介。睦は去年よりは団七らしさがあった。
三婦内は小住・清公。声はよく出ていたが、語り分けに難あり。千歳・富助は安定感があり安心して聞いてられる。簑助のお辰が流石の貫禄。ちょっと首を傾げたり、肩を入れたりする仕草に心情が溢れる。(後日再見して気づいたのだが、介錯が常に簑助の腰を支えていた。それだけ衰えがあるのかと心配)
長町裏は津駒・咲甫に寛治。得意げな咲甫は自信を持って語っているのがよく分かる。津駒の嫌味っぷりとかっぷり四つで聞き応え十分。「悪い奴でも…」と間を持たせず「舅は」までを一息で。人形も勘十郎の団七はお手の物。ただ、腕関節が、2つあるみたい。足遣いがよくて、キッパリとしてた。義兵次の玉也は嫌みの程度がやりすぎないのがいい。
歌舞伎との違いで気づいたことは、住吉前で三婦のふんどしは外さない、三婦内に獅子舞が探りに来ない(後の詞章では来たことになっている)、訪ねてきたお辰におつぎが嫉妬するくだりはなし、鉄弓を当てたお辰に水と薬を飲ませる(←どこで準備してたんだ?)、お辰の「うちの人が惚れたのは…」のくだりはなし、磯野丞は傘をささない、こっぱの権らを懲らしめるところで三婦は着替えず、権の足をもって引きずっていく(←生身の役者では無理)。長町裏では団七は義平次に金の入った包みを見せる(歌舞伎では懐に入れたまま触らせる)、揉み合ううち泥場に蹴りこみ義平次が泥まみれ、水を浴びたあと(本水ではない)団七は体をふく。三婦内と長町裏の幕開きにだんじり囃子。
0722 宝塚星組「オーム・シャンティ・オーム」
紅ゆずるのコメディセンスに溢れる、楽しい舞台。歌と踊りがもう一つなのは置いておくとしても、インド人らしさが乏しいのはいかがなものか。綺崎愛理は痩せすぎでないところがインド美人らしくていい。首を左右に動かすのも様になっていた。歌は裏声になるのが早くて聞きづらい。低音部から全部裏声にしちゃったほうがいいと思う。サンディに演技指導をするところで、ブルゾンちえみ風の演技。上手かったけど、話の筋には合ってなかったのでは。
2017年7月18日火曜日
0717 あごうさとし「リチャード三世ーある王の肉体ー」
無言劇と有人劇を続けて観劇。
無人劇はリチャードのセリフを標準語、関西弁、沖縄弁、東北弁で語り、「純粋言語」を探る試みだとか。ランダムに様々なイントネーションに変っていく独白は人格が統一されていないよう。ただ、最終的に東北弁の印象が強かったのは言葉のもつインパクトなのか。ブラックボックスの真っ暗な舞台に入り、不安定な砂場に足を取られつつ、ブラックライトや赤いライトに照らされる。壁が鏡面になっているので、奥行が広く見えたり、自分やほかの観客の姿が見えたりして不思議な感覚に包まれる。室内に照らされた白い糸がぼんやりと浮かぶ。ドラマトゥルクの先生は空間が分断されていると言ったがが、私には道しるべのように感じられた。
無人劇は男性3人に女性2人の役者(ダンサー?)。リチャードを男性3人が演じることで、肉体のいびつさを追求したのだとか。最初、不思議な恰好を役者たちが真似していくのだが、後で聞かされたところでは観客の仕草を取り入れているそう。そこのところはよくわからなかったのだが。クライマックスで3人の男と1人の女が揉み合う迫力に圧倒された。3人のリチャードがときに民衆になったり、ほかの人物になったりするので、誰がしゃべっているのかわかりづらいところも。あまりセリフの滑舌が良くない人がいたので、長台詞が辛いところがあった。
7月16日 遊劇体「ふたりの蜜月」
暗く、重たい、ざわっとする芝居だ。のっけからハイテンションで掴み合う姉妹に圧倒される。材木店のけいえいが傾き、両親は無理心中を図ったらしいが、はっきりとは明かされない。妹といい、仕事中に左手を失った従業員といい、いやらしい人々に気持ちを逆なでされる。高校の同級生が空気を緩和させてくれるのが救い。パンフには不幸ではないと書いてあったが、救いのなさに気持ちが沈んだ。姉が憧れているらしいヤスオさん、どこがいいのかちっとも分からない。
0715 宝塚星組「阿弖流為ーATERUIー」
礼真琴は陽性のヒーローがよく似合う。話の運びはダレるところもあったが、ヒーロー礼の存在感で全てよし、という気持ちになった。真直ぐなキラキラした男の子という風情は少年マンガの主人公のよう。歌は聴かせるし、重たげな衣装のせいでパッとしないもののダンスのキレもある。終演後、客席は総立ちで、カーテンコールが3回もあった。
2017年7月11日火曜日
7月9日 いいむろなおきマイムカンパニー「バタフライエフェクト」
冒頭、舞台にいいむろが一人。手をひらめかせて蝶のように見せたり、魚類から爬虫類、哺乳類へと進化するような動きが面白い。劇団員らが入っての場面は、回りのダンサーらが人物だったり、情景だったり。壱劇屋のルーツがここにあるというのがよくわかる。ただ、明確なストーリーなしに90分はちょっと辛い。1時間したあたりから飽きてしまった。
2017年7月8日土曜日
0708 下鴨車窓「乾いた蜃気楼」
うだるような暑さのなか、断水のため毎日水をもらいに行かなければならない。リストラにあった男とその妻のところへ、高校時代の同級生がNHKの勧誘員として訪れる。卒業してから没交渉だったらしく、高校時代にあった秘密が明らかになっていくのだが、事故にあった同級生を助けられなかったからってここまで気に病まなくてもいいのでは?と思わなくもない。
0707 ミュージカル「グレート・ギャツビー」
井上芳雄のギャツビーはニンじゃない。夢咲ねねのデイジーよりも育ちがよさそうに見えて、成り上がり感がない。田代万里生のニックとキャラがかぶってるのもよろしくない。歌の上手い2人なので、デュエットは聞きごたえがあったけれど。全般的に歌も踊りも宝塚っぽい。トム・ブキャナンの広瀬友祐、ジョーダン・ベイカーのAKANE LIVの存在感が良かった。
2017年7月7日金曜日
7月6日 エイチエムピー・シアターカンパニー「月の光」
ピンターの戯曲を日本初演だそう。脚本のせいなのか、演出のせいなのか、セリフが頭に入ってこなくて、チンプンカンプン。死にかけている男とその妻。男は妻の親友と浮気していたらしく、妻自身も親友とただならぬ関係にあったよう。2人の息子とも確執があり、見舞いにも来ない。娘の存在が不思議だ。
セットらしいセットはなく、床や壁にテープでラインが引いてあるだけ。テーブルや電話などを壁に投射するのはこの劇団らしい演出で面白い。
2017年7月5日水曜日
0704 七月大歌舞伎 夜の部
「舌出三番叟」
どこで舌を出したのかわからなかった…。壱太郎の千歳がきれい。鴈治郎は時折藤十郎によく似ていてハッとした。
「盟三五大切」
仁左衛門の源五兵衛が美しくてぞくぞくした。前半より後半の狂気をまとってからがもう。命乞いする小万が最後まで三五郎への思いを訴えるのを聞いて絶望していく心理描写や小万の首を愛おしそうに抱え、ほおずりするような様子を見せたりとすごく濃密な芝居だった。人殺しをした自分は討ち入りに参加する資格がないと言っていたのに、最後は浪士たちが迎えに来たら行ってしまうの?はよくわからない。時蔵の小万はたまに室井滋みたいに見えた。染五郎の三五郎はこちらのほうが似合ってる。
0704 七月大歌舞伎 昼の部
「夏祭浪花鑑」
染五郎、初役の団七はスマートすぎて団七縞の衣装がそぐわない感じ。頭が小さいのがよくないのか。大阪弁がどうとかいうよりも、泥臭さというか、べたな感じが欲しい気がする。泥場でざんばら髪になった時も落ち武者のようで。最初髪が腰くらいまであって長すぎないかと思っていたら、最期は短くなっていた。どこかで切る場面あったっけ?
時蔵のお辰は最後の「ここじゃござんせん」が粋で格好いい。焼きごてはもっとべったりつけてもいいのでは。松也の徳兵衛は江戸っぽくて、加賀鳶みたい。
義平次の徳三郎は憎たらしい。立ち回りは家によっての違いなのか、泥池が舞台の中央客席よりのところにしつらえてあり、一度舞台上手にはけて出てくるなど、観たことない形だった。
「二人道成寺」
時蔵と孝太郎。二人と言いながら、時蔵が一人で踊っている時間が多く、孝太郎の比率が7対3くらいのイメージだった。おおむね美しいのだけれど、回るところなどで足さばきが男らしいところがちょいちょい。最後の鐘への恨みを見せるところは孝太郎の表情がよかった。
2017年7月3日月曜日
0702 山海塾「海の賑わい 陸の静寂―めぐり」
コントロールされた動きは時に波に揺れる海藻のようで、時に無機質な物体のよう。ライトが変わるだけでそこが水中にも、砂漠にも見える。舞台上手には水の入った透明のボウルが下がっていて、場面に応じて上がったり下がったり。1時間半ほど、言葉なしの体の動きだけで観客を引き付ける。何を言わんとしているのか、はっきりとは提示されないのがかえって観客の想像力を広げるのだろう。
2017年7月2日日曜日
0624 文楽若手会
「寿柱立万歳」睦、靖、小住に寛太郎、錦吾、燕二郎、清允。
睦の声がのっけから厳しい。どうしちゃったの?三味線はキビキビしてて気持ちいい。人形は太夫が玉誉、才三が紋臣。コミカルな人形でも紋臣は滑らか。
「菅原伝授手習鑑」
車曳の段は松王・小住、梅王・咲寿、桜丸・睦、杉王・亘、時平・靖に清丈。
小住の松王が立派過ぎるくらいで、時平より年配に聞こえた(いいのか?)。睦がキツイのは変わらないとして、靖がもう一声欲しい。大笑いも息が続かないのか、真っ赤な顔して頑張ってるんだけど、後半声が掠れてた。咲寿はちょっとずつ良くなってるようで、元気はつらつにプラスαが見えてきた。
寺入りの段は亘と清公。うーん、まだまだだなあ。声は悪くないと思うのだが。
寺子屋の段は前を芳穂・清き、後を希・龍爾。芳穂は上手く語るのだが、ちょっと歌いすぎにも。希はなんだか聞いててしんどい。言葉の区切りかたが違うのか。語りわけも今ひとつで、女二人の区別がつかないし。
人形は松王の二人(車曳の玉翔、寺子屋の玉勢)が奮闘。玉勢は籠からの出でコケる(ツメの人形にぶつかったそうな)も立て直し、大きい松王だった。千代の蓑紫郎は上手さが際立った。
0623 アルディッティ弦楽四重奏団
コンテンポラリー音楽は興味深くはあるが、難解というか、楽しくはない。効果音のような音など、楽器の可能性を探求している感じがした。
後半はダンサー白井剛とのコラボ。白井は四肢がバラバラの意思で動いているかのような自在な動きで身体能力の高さを感じさせる。薄暗い舞台に黒っぽい衣装なのでせっかくの動きが見えにくい。
2017年6月19日月曜日
0619 OSK日本歌劇団 レビュー春のおどり
「桜鏡~夢幻義経譚~」
尾上菊之丞の作・演出・振付だけあって、振りが華やかできれい。桐生麻耶の弁慶が似合いすぎ。ここまで弁慶の衣装を着こなせる女優はいないだろう。高世真央の義経、楊琳の那須与一など、適材適所な配役で、ストーリー性のある舞台が面白かった。
「Brilliant Wave~100年への鼓動~」
ダンスのOSKの面目躍如。テンポの速い音楽で踊る踊る。キレのいい動きが見応え充分。宝塚だと足を上げるところなんか「よいしょっ」って感じなのだが、OSKは軽々なのだ。ロケットもハードだったなあ。
6月18日 文楽鑑賞教室 Cプロ
「二人禿」は芳穂、靖、咲寿、亘に喜一郎、清丈、錦吾、団吾。人形は紋秀に玉翔。玉翔は女形の人形を遣うと本人もちょっとなよっとする。
「仮名手本忠臣蔵」
下馬先進物の段は希・龍爾。のびのびしたいい声だが語り分けはもう一つ。龍爾の三味線はちょっとインパクトが弱い気がする。
殿中刃傷の段は靖・錦糸。靖の師直は品格は出ているが憎らしさが薄いので、これしきの事で刃傷に及ぶかなあと。大笑いもちょっと声がかすれ気味で、もっとできるはず。判官の切迫感は十分なだけに惜しい。
判官切腹の段は千歳・富助。これこれ、これが聞きたかったというような充実した床。
城明け渡しの段は小住・燕二郎。はったと>睨んでだと思うのだが、はったとが迫力不足で尻上がりになっていた。
人形は和生の由良助がいい。緊張感の漲る入りから、判官の最期を見て息を飲むところ、城を去るところでは、他の人より歩幅が大きかったような。はったと睨んでも、他の人は「はっ」とか短く掛け声をかけていたのを足遣いの足踏みをきっかけにしていた。 本蔵が賄賂を贈るところ、目録が手すりの前方に落ちてしまったのでどうするのかと思ったら、伴内の左遣いがサッと拾って手渡していた。切腹の段でも襖が落ちるし、ハプニング続きでハラハラした。
2017年6月17日土曜日
6月17日 ディスカバー文楽(鑑賞教室Dプロ)
茂山童司の太郎冠者が英語を交えて解説。狂言っぽい言い回しで英語を話すのが面白い。
「二人禿」は始、芳穂、希、咲寿に清馗、清丈、清公、清允。
無料だったのでイヤホンガイドを使ってみたのだが、大失敗。語りの間も余計な事ばかりしゃべっていて、床がきちんと聞こえない。見ればわかることをいちいち説明するのも邪魔だ。人形は紋吉と勘次郎。勘次郎のほうが可愛かったように思った。
解説「文楽のいろは」は靖・龍爾にバイリンガルの太郎冠者がインタビュー。三味線の引き分けは、男前のジョニー・デップにマッチョなアーノルド・シュワルツェネッガー。「I'll be back!」も決まって受けていた。人形の玉翔は「most handsome puppeteer」と。「どんぐりころころ」はちょっとアレンジが違って、こちらも面白い。
「仮名手本忠臣蔵」
下馬先進物の段を小住・寛太郎。声はよく出ていたが、語り分けはもう一つか。寛太郎の三味線は楷書というか、きっぱりしている。
殿中刃傷の段は睦・清志郎。清志郎の三味線は明確でいいなあ。睦は出だしはよく声が出ていて落ち着いているように思ったが、話が進むにつれ不安定さが。師直の憎たらしさがあまり出ていないのと、判官の切迫感が薄い。
判官切腹の段は文字久・燕三。燕三の三味線が情感豊かで素晴らしい。文字久は「由良之助はまだか…」のあたりとか、ちょっと緊張感にかけるのか、ものすごく睡魔に襲われた。
城明渡しの段は亘・清允。
人形は判官の清十郎の足がよくない。切腹の段で上使を迎えるときの足がそろっていないうえ、あさってのほうを向いている。切腹のところの着物は前回よりはましだったが。鷺坂伴内の玉佳が細かい動きまで面白く、袖の下を要求するところでは手を出して招く仕草も。一輔の若狭助がきっぱりしていてよかった。由良之助は玉也。安定感があっていい由良之助だった。
0616 劇団ジャブジャブサーキット「月読み右近の副業」
オカルトのような、ミステリーのような展開で先が知りたくなる。がけ崩れで麓との往来ができなくなった山奥の隠れ家が舞台。占い師というか、未来が読めるらしい不思議な能力をもつ君塚右近にこの公演で退団する咲田とばこ。クールな突き放したような話し方が何とも言えない間で面白い。本を読んでトリップしてしまう訳アリ気な少女、小雨のまどかリンダがアニメキャラみたいな可愛さ。全身ボロボロの謎の女が屋敷に迷い込むと不思議なことが起こりだす。この女を演じた空沢しんかのしゃべりかたがやや冗長で集中力が途切れた。
2017年6月13日火曜日
0613 文楽鑑賞教室 Bプロ
社会人のための文楽鑑賞教室で、冒頭幕前で太郎冠者に扮した茂山童司が軽く作品紹介。
「二人禿」は睦、靖、咲寿、小住に清志郎、龍爾、清公、団吾。睦は声が辛そうだ。人形は簑紫郎と簑太郎。何だか動きがぎこちなく感じた。
解説は太郎冠者の案内で、太夫・三味線にインタビュー。座り方の説明では台座を回転させて後ろ姿を見せるなど工夫が面白い。義太夫節版「どんぐりころころ」は絶品!
「仮名手本忠臣蔵」
下馬先進物の段は芳穂・清丈。うーん…、師直の格が足りない気がするのと、もっと太さが欲しいか。清丈の三味線はきっぱりしていていい。
殿中刃傷の段は咲甫・藤蔵。咲甫の師直はいじわるさが足りない。もっとネチネチやってほしい。大笑いはのっけからフルスロットルな感じで、クライマックスの前に拍手が出てしまった。藤蔵の唸りがいいスパイス。
塩谷判官切腹の段は津駒・清友。津駒の語りが明快で、こんな内容だったのねという発見が随所に。
城明渡しの段は亘・燕二郎。
人形は師直の勘十郎が何故か不安定というか、小物っぽく見えた。判官の清十郎も足と動きがあっておらず、切腹の段での着物のさばき方がぎこちなく、脱いだ後の形ももさもさして美しくなかった。よかったのは玉勢の若狭助。血気盛んな若者らしい。
2017年6月12日月曜日
6月11日 文楽鑑賞教室 Aプロ
「二人禿」
睦、希、亘、南都に喜一郎、寛太郎、錦吾、燕二郎。
人形は紋臣と玉誉。紋臣の人形は動きが柔らかくていい。
解説は靖、龍爾、玉翔。これまで見たものとほとんど同じ。龍爾は自分でも言っていたがキムタクはもう古いのでは?そろそろ新ネタを。玉翔は「中年太りだけど男前の玉翔です」と。作品解説の靖太夫に振るとき、「第二子が生まれたばかりの…」と暴露したものの、靖は困惑気味にスルー。
「仮名手本忠臣蔵」
下馬先進物の段は始・清馗。始は立派でいいのだが、高師直は格が足りない気がした。
殿中刃傷の段は呂勢・宗助。呂勢のいじわるっぷりがノリノリで楽しそう。師直の大笑いが堂々として、拍手が起きていた。
切腹の段は呂・清介。なぜだろう、急に睡魔が。
城明渡の段は長くて退屈。はったと睨んでの咲寿が意外によかった。
人形は玉也の師直が憎たらしく、和生の判官は品がある。勘十郎の由良之助は押しが強いというかやったるで感が強い。
2017年6月11日日曜日
0610 ボリショイバレエ「パリの炎」
民衆の力強い踊りが印象的だ。足を踏み鳴らしたり、力強く地面を蹴ったりと優雅さとは対極の踊り。劇中劇で出てきた女性ダンサーの手足が人形のようにスラリと長く、竹馬を履いて出てきたのかと思ったほど。ほかの場面ではそうは見えなかったので衣装の印象もあるのか。
0609 イキウメ「天の敵」
2時間半ほどあったのだが、全く時間を感じさせない。引き込まれた。ストーリーのち密さと役者の力量が充実しているからこその密度の濃い芝居。食と健康という現代人の最大関心事をこうも皮肉に料理するとは。菜食主義者ならぬ飲血で不老を手に入れた男を演じた浜田信也が人ならぬものの不気味さを醸し出す。ジャーナリストの安井順平も上手い。
0609 宝塚花組「邪馬台国の風」「Sante!」
弥生時代が舞台という珍しい作品。少年タケヒコの成長物語というのはいいとして、立ち回りは迫力不足で卑弥呼とのロマンスもいまいち。霊力を失った卑弥呼に対し、女として俺と生きろみたいなことを言うのって違和感がある。暗転の場面転換が多くて、物語が細切れになるのも、集中力がそがれる。レビューはいろいろな音楽を盛りだくさん。男役に女装をさせたがるのは好ましくないと思う。スーツ姿の男役による群舞が恰好いい。柚香光のスタイルの良さにほれぼれした。
2017年6月9日金曜日
0608 ミュージカル「パレード」
主人公が陥れられていく一方で、最後までカタルシスのない重たい芝居だ。ミュージカルに似合わない気がするが、逆に華やかな音楽と物語の深刻さの対照がより心に響くのかも。
レオ役の石丸幹二をはじめ、歌唱力の高いキャストがそろっていたので歌の聴きごたえが十分。特にコーラスの迫力たるや。石丸は冒頭の夫のいやさ加減が絶妙。こんな人が近くにいたら嫌になるよなあという。妻ルシール役の堀内敬子は感情表現が豊か。ただ、元四季と期待していたわりに、高音が結構早くから裏声になるのと、感情を乗せすぎて音程が不安定になるように感じた。
6月4日 六月大歌舞伎 夜の部
「鎌倉三代記」
雀右衛門の時姫が可憐で美しい。だんだん美しくなられているような気がする。松也の三浦之助はすっきりとした若武者ぶりが清々しい。佐々木高綱の幸四郎は悪役らしい憎々しさが強く、実は味方に最後まで見えなかった。
「曽我綉俠御所染」
仁左衛門の御所五郎蔵が何しろ格好いい。五七調のセリフの美しさや役者の格好良さを見せる芝居のはずなのに、五郎蔵が皐月に愛想尽かしをされるところなど心情描写が巧みで胸打たれた。雀右衛門の皐月もキレイだ。星影土右衛門は敵役らしい風格。米吉の逢州も美しい。
「一本刀土俵入」
猿之助のお蔦は蓮っ葉な年増女を好演。こういう、世知にたけた女は上手いしはまってる。幸四郎の茂兵衛がどうしても年より臭いのがしんどかった。
2017年6月3日土曜日
0602 「銀二貫」
寒天問屋を舞台に大阪商人の人情を描く。桂ざこばが病気で休演し、急な代役になった高田次郎が素晴らしい。情のある主人らしく、ざこばより店の品が上がったかも。番頭の曽我廼家文童が安定の面白さ。高田との息もぴったりで、芝居の笑いの部分はほぼ扇この2人が担っていたといっていいかも。扇治郎の松吉は武士の身分を捨てて丁稚奉公をするという物慣れなさが、本人のキャラクターに重なると思えば適役なのか。糸寒天の開発のくだりが唐突というか、試行錯誤というには適当な思い付きのよう。宮嶋麻衣が予想以上に好演。
2017年6月2日金曜日
0601 劇団太陽族「かえるでんち」
深津篤史作品で、廃校になった中学校を利用した生涯学習センターを舞台に現在と中学時代の思い出が交錯する。くだらないあだ名で呼び合う男子たち、クラスメイトのマドンナへの思い込みの激しい言動など、男子なら共感できるのか?犬から感染するらしい風邪は怖さより、何事も陰謀説にしてしまう迷信深い人のめんどくささを感じた。三田村啓示の演じる挙動不審さ、船戸香里演じる突飛な女の造形が印象的だった。最後、劇中歌を出演者皆で歌ったのは余計だったかも。
2017年5月29日月曜日
0529 壱劇屋「新しい生活の提案」
妻との関係が冷え切った男が生活を変えようと市役所の生活課に相談し、人生が思わぬ方向に変化していく不条理コメディ?笑うせぇるすまんを思わせるような。ストーリーをダンスやマイムで進めていくところは、歌のないミュージカルのよう。おおむね面白かった、途中ちょっと冗長に感じるところもあった。
2017年5月28日日曜日
0528 「ダニーと紺碧の海」
客席の多くはスタンディングオベーションで感動していたようだが、私には陳腐な話に思えた。松岡昌宏演じるダニーの暴力的な怒鳴る男に嫌悪感を抱いてしまったせいもあるだろうが、脚本のせいなのか、役者のせいなのか、共感できなかった。土井ケイトは上手いのだが。生きづらさを抱えた男と女が出会って愛が生まれるってありふれてイージーすぎないか?たまたま出会った人が運命の人って、説得力がないし、刹那的な選択の先には不幸な結末しか見えない。この2人が上手くいって幸せになれるとは到底思えないのだ。一夜の夢で終わるほうがまだ納得できる。舞台装置は印象的。中央奥に水道の蛇口。冒頭は流れる水が金色に輝く。そのあと、流れたり止まったり。床の水たまりはいつの間にか現れて驚いた。海のイメージなのか。
虚空旅団「飛ぶ夢、アルベルト・キシュカについての短いお話」
深津篤史の戯曲は飛ぶ夢にまつわる不思議な世界はファンタジーというか童話のようにかわいらしい。夢が人型をしていて、貸しているのか売っているのか。夢を求めて訪れる人たちに対応する主は不眠症に悩む。土本ひろきが優柔不断そうな、けど力が抜けていい風情。キシュカを元妻と二役にしているのはどういう意図なのだろうか?全く別人に感じられた。キシュカのキャラクター造成がアニメの少年のようで、ちょっと間違うとイラっとさせそうなところ森川万里は上手い具合におさめてた。
2017年5月25日木曜日
0525 南河内万歳一座「守護神」
就職活動を題材に、経済問題を皮肉る。たれのない塩だけの焼き鳥屋や、こってりでもないラーメン屋、立ち食いではない蕎麦屋、家庭料理のような串カツなど、期待値を上げないでがっかりさせない料理屋。保険料が1日50円と低額な変わりに、保険金は最大300万円、不慮の死のみしか支払われない生命保険。デジャブのように繰り返される言葉遊びは面白いけれど、ちょっと飽きてしまったのは若手が多かったせいか。
2017年5月24日水曜日
0524 玉造小劇店「おもてなし」
みやなおこ演じるお兼が何しろ格好いい。船場ことばも耳に心地よく、粋とはこういうことかと。
最後、次男は先代の血をひいてないのに跡継ぎに収まった?お兼がすごくしたたかな女に見えた。
0523 桂吉弥独演会
やはりうまいと唸らされる半面、期待を上回ることはなく残念。「稲荷俥」ではマクラで米朝直伝という鳥に関する小話を披露。「くしゃみ講釈」はくしゃみをこらえる様子がやりすぎでないのがいい。新作の「とりたつ」は焼き鳥屋をめぐる話。スープを飲みながら働く女の愚痴をこぼす女性像に現実感が薄い。子どもを迎えに行く前に焼き鳥屋に立ち寄らないし、ましてスープ一杯だけ飲んでいく人なんているのか?オチかと思ったらまだ続く…という展開は工夫なのだろうけど、あまり成功しているとは思えなかった。
佐ん吉の「稽古屋」は踊りの所作や唄をたっぷり披露。前座の弥太郎は「転失気」。出だしを間違えたのはネタなのか天然なのか。
0523 劇団伽羅倶梨「明日☆りのべぇしょん」
うだつの上がらない男2人が田舎の温泉旅館に詐欺を仕掛ける。そのうちの1人が先代主人に瓜二つなのだが、ストーリーに絡まないのはなぜだろう。だったらそっくりな設定いらないのでは?いかにもなうまいはなしに簡単に騙されそうになる旅館の人たち、詐欺が判明してからも特に理由もなくあっさり許してしまうのが腑に落ちず、観劇後感が悪かった。某劇団のように登場人物が踊りながら顔見世するオープニングは無理をしているように感じてしまった。
2017年5月22日月曜日
5月22日 匿名劇壇「レモンキャンディ」
斜めに傾いた舞台で落下する飛行船の中の最後の7日間。乗り合わせた8人は実験なのか、恋愛バラエティなのか、治療なのか、それぞれいわくありげ。テンポのいい会話で疾走感のある展開だ。レイプとか裁判とか、極限状態に置かれた人たちの嫌な面を余さず移す。最後、7日間と思っていたのが実は、という衝撃のラストは意外性のある終わり方だけど、けむに巻かれたような気もしなくはない。勢いのある漫画を読んでいるような、密度の濃い90分だった。
2017年5月21日日曜日
0521 木下歌舞伎「東海道四谷怪談ー通し上演ー」
休憩含め6時間あまりの長丁場だが、密度の濃い芝居だった。お岩と伊右衛門夫婦の物語として知られるが、むしろ直助・お袖を軸にした物語として観た。お袖の土居志央梨が清廉で美しく、直助の箱田暁史はバイタリティあふれる男。与茂七の田中佑弥が背が高い男前で、三角関係の緊張感もよかった。3場でお袖を2人が刺殺し、直助が自害する場面の美しさといったら。一方、お岩・伊右衛門は歌舞伎に比べやや物足りない。伊右衛門が岩に惚れていながら、やむを得ず裏切らざるをえない立場に追い込まれていく様子、未練が残っている様は納得のいく人物造形だが、髪梳きは不気味さが抑えられていたようだった。お弓・お大の西田夏奈子が達者。小平役の森田真和は年齢も性別も不詳な不思議な雰囲気。按摩宅悦役だった島田曜蔵がケガで降板し夏目慎也が代役。やむを得ないがカンペを見ながらのセリフがテンポを乱していたのが残念。
5月20日 メルボルン・シティ・バレエ&上杉真由バレエスタジオ第1回共同公演
「Catalyst」
男女2組のコンテンポラリー。ノイズのような機械的な音楽に躍動感のある動きが面白い。
「逢魔が時」 何でだろうか、学生っぽく感じた。
「カルメン」 タイトルロールのカルメンをMCBのキャロライナ・ペイス、ドン・ホセをダイナン・ウッド。だが、ホセの婚約者、ミカエラを踊った益川結子の心情描写が豊かで、印象に残った。カルメンは男を翻弄するという魔性の女。何を考えているかわからないので、心情はあまり表現されないということなのだろう。エスカミリオに青木崇。登場で空気を変える存在感はさすが。
「逢魔が時」 何でだろうか、学生っぽく感じた。
「カルメン」 タイトルロールのカルメンをMCBのキャロライナ・ペイス、ドン・ホセをダイナン・ウッド。だが、ホセの婚約者、ミカエラを踊った益川結子の心情描写が豊かで、印象に残った。カルメンは男を翻弄するという魔性の女。何を考えているかわからないので、心情はあまり表現されないということなのだろう。エスカミリオに青木崇。登場で空気を変える存在感はさすが。
0520 劇団犯罪友の会「ラジオのように」
主要キャストが若手だったので、健闘はしていたが拙さが拭いきれず。中田彩葉、川本三吉がでると途端に芝居が締まる。焦点の定まらない筋立て、1970年代といいつつ、微妙に今の風俗や言葉が紛れ込んでいるのに違和感を覚えた。
2017年5月16日火曜日
0515 ミュージカル「王家の紋章」
あの世界をどうやって舞台化するのかと期待半分、不安半分だったが、合格点は超えているのでは。気恥ずかしくなるくらい少女漫画の世界だ。
ただ、舞台に浸ることはできなかった。メンフィスの浦井健治は鼻にかかったような歌声が好みではなく、キャロルの新妻聖子も上手いのだが歌い方が俗っぽい感じがする。アイシスの濱田めぐみ、イズミルの宮野真守、ライアンの伊礼彼方ら歌上手がそろっていたのは聞きごたえがあったが、それぞれのソロが作られているので物語としての連続性が薄くなったようにも感じた。シルヴェスター・リーヴァイの曲なのに、何一つ記憶に残らなかった。
ミタムンの愛加あゆが焼き殺された後、亡霊のような姿でたびたび登場していた理由がよくわからなかった。
少女漫画の舞台化ということでは、貫地谷しほり主演の「ガラスの仮面」に軍配。紫の薔薇の人をはじめキャラクターの再現度が高かったから。
2017年5月15日月曜日
5月14日 5月文楽公演 第2部
「加賀見山旧錦絵」
筑摩川の段
簾内で顔が見えないが亘・燕二郎。謡がかりの冒頭から意外によく語っていた。後半は三味線の独演状態で手数が多く、聴きごたえがあった。人形も黒衣姿なのだが、又助は玉志。水中にもぐっての大立ち回りに見ごたえあり。
又助住家の段
中は咲甫・清志郎、奥は呂勢・宗助。咲甫はのびのびとしたいい声なのだが、歌いすぎで義太夫節らしくないように感じた。チャりっぽい場面だからか。後半、又助と求馬の主従の無骨なやり取りは呂勢のニンではなさそうだが、渾身の語りで圧倒された。こんなに力いっぱいの呂勢を聞いたのは久しぶりな気がするが、満足度高し。
草履打の段
津駒、睦、希、咲寿、小住の掛け合いに寛治。寛治の三味線は力弱さが増しているようで気がかり。津駒の岩藤はいじわるっぷりが凄まじい。人形は岩藤の玉男がノリノリな様子で、尾上の和生との息もあってた。
廊下の段
咲甫・団七。岩藤が悪役というより婆さんぽい。
長局の段
千歳・富助。前半は抑え気味で、正直何度か意識を失いかけたが、お初の嘆きからのラストが凄まじい。三味線がバシバシ弾きまくるなか盆が回るのでぶつかりやしないかとハラハラした。中盤、芝居の話にかけて尾上の真意を探るところのお初の語りが可愛かったのが発見だった。人形はお初の勘十郎が大活躍なのだが、後半動きが大きくなるとがさつな感じがした。狐とか人外のものならいいのだけれど、それなりの身分の女なら動きにも品を保ってほしい。
奥庭の段
始、希、津国、亘に喜一郎。始の岩藤が立派で憎々しい。
0513 PDA「エクストラバガンザー豪華絢爛ー」
男性バレエダンサーが踊りたおした1時間20分。時にコミカルに、時に格好よく、色々なタイプの踊りが盛りだくさんで、あっという間に時が過ぎた。18人の群舞は手や脚の動きがシャープで残像が見えるほど。ゲストの宮原由紀夫はさすがの存在感で、同じ振りでもちょっと際立つ。カウントの取り方が微妙に速いのか、キレのある動きに惹きつけられた。
椅子取りゲームの罰ゲーム。指定されたクラシックのソロを踊るというもので、「パキータ」を踊った岡田兼宜が上手くて驚く。次に踊った末原雅広もジャンプにキレがあった。宮原が「バラが咲いた」の歌でお茶を濁したのは残念だったが、最後は青木崇が「ドンキホーテ」を踊って締めた。
カーテンコールでは皆息も絶え絶えの様子で、いかにハードな舞台だったかが察せられた。非常に満足感の高い時間だった。
2017年5月12日金曜日
0511 舞台「フェードル」
大竹しのぶが期待外れだった。熱演しているのだが、役ではなく「熱演している大竹しのぶ」に見えてしまった。後半、嫉妬にかられて狂乱するところで客席に笑いがあったのも残念。端で見ると滑稽なくらいの苦悩という表現だったら笑いがあってもいいのかもしれないけれど、そういう演出ではなさそう。
イッポリットの平岳大、エノーヌのキムラ緑子らは期待に違わぬ好演。アリシ―の門脇麦は上ずったような声と滑舌の悪さが残念だったが、平とのラブシーンには引き込まれた。
テゼの今井清隆、声がよく目が覚めるよう。ミュージカル俳優だというので納得。
0508 宝塚雪組新人公演「幕末太陽傳」
佐平次は永久輝せあ。難しい役どころだが本役の早霧せいなをよくなぞって健闘していた。歌は本役よりうまいし。おそめの野々花ひまりは初ヒロイン?手慣れないのは仕方ないにしても、若手のはずなのに妙に老けて見えたのはなぜだろう。全体的には、間やテンポが今一つ。
2017年5月6日土曜日
0505 お豆腐の和らい
「棒縛」
千作の主人、七五三の次郎冠者、あきらの太郎冠者という、今となっては滅多に見られない顔合わせ。熟練の芸がえもいわれぬ味になって、爆笑というよりはクツクツと笑いが止まらないような感じ。次郎冠者が可笑しく、とぼけた返事の間がたまらない。棒に縛られたところでは、思わず「危ないじゃないか」と本音が漏れたり。酒を盗み飲んだと主人に攻められた次郎冠者が逆ギレして主人を追いかけて幕内へ。しみじみと可笑しい一幕だった。
「六地蔵」
こちらもシニアが大活躍で、三笑会の3人がすっぱ役で舞台を右へ左へ駆け回る。地蔵のポーズがふざけていて笑いを誘った。
「御田」
五穀豊穰を祈る、神聖な狂言かと思ったら、早乙女に向かって器量が悪いとか汚れているとか言ってけっこう酷い。千五郎は三番叟を思わせるような、飛んだり跳ねたりの動きが派手。熱演しすぎたか、後半は声が掠れてた。
2017年5月5日金曜日
0503 京山小圓嬢芸道七十周年記念 小圓嬢・まどか親子会
掛け合いの「一本刀土俵入り」のみ聞いた。小圓嬢は調子が今一つだったようで、声のハリがなかったが、味のある語りぶり。まどかは美声を聞かせ、隣の小圓嬢から「うまい!」などと言われて照れ笑いする一幕も。客席もいっぱいで、祝賀ムードにあふれるいい舞台だった。
0503 五月花形歌舞伎 夜の部
「野崎村」
後半だけ見たのだが、髪を下ろしたお光が可愛くないのが残念だ。髪型のせいか。
歌昇の久松に児太郎のお染。この2人のせいではないが、久松とお染にはちっとも共感できないなあ。
久作の弥十郎とお常の竹三郎が出ると舞台が締まる。
「怪談乳房榎」
勘九郎が菱川重信、正助、三次の3役を早変わりで魅せる。速さはもちろん、いろんな手法を使って飽きさせない。七之助の妻お関は美しい。色悪という浪江の猿之助は色男というより悪そう。
0503 五月花形歌舞伎 昼の部
「戻駕色相肩」
勘九郎の声や口調が亡き勘三郎に似ていてハッとする。年々似てきているような。
「金幣猿島郡」
道成寺をベースに源平の争いを絡めたスペクタクル。猿之助の清姫ははなっから可憐さがなくて、我が強そう。恋に狂って変貌するまでもなく、元からの気質のように見える。清姫と忠文とが表裏となり、物語が広がる。七織姫の七之助、安珍実は頼光の勘九郎と息の合った芝居が楽しい。
2017年5月1日月曜日
0430 フィンランド国立バレエ
第1部 北欧バレエ・ガラ
「白鳥の湖」より、スペイン、ハンガリー、ロシアの踊りとオディールと王子のパドドゥ。
たいして期待はしていなかったのを見事に裏切られた。いい意味で。ダンサーのレベルは高いし、何より振り付けがモダンでしゃれてる。衣装も素敵だ。北欧だけあってダンサーは総じて長身。そのせいか、ジャンプや回転はちょっと物足りないところもあり、トリプルが欲しいところがダブルで、しかも回転不足ぎみだったり。オディールのハ・ウンジはパリっとした踊り。王子のホールドでくるっと回ってからの顔の切り方がシャープだ。
「トゥオネラの白鳥」はコンテンポラリー。細くて長身の男女のダンサーのリフトがアクロバティックで、男性の頭上に乗ったり、女性の片足をもって逆T字型に吊るしたり。
「シェヘラザード」はあまり印象に残らなかった。
「悲愴」オバQのようなメーク+全身白塗りに長いチュチュを履いた男性ダンサーが時にコミカルに踊る。生足がのぞくのでもしやパンツを履いてないのではとハラハラしたのは内緒だ。
「ドン・キホーテ」よりファンタンゴ、グランパドドゥ。
バジルのミハル・クルチェマーシュは長身で見栄えがするが、ジャンプや回転は少し物足りない。キトリのアリーナ・マーシュ、最期のフェッテで中盤ぐらつき、最後はちょっと早めに切り上げてた。惜しい。
第2部 「たのしいムーミン一家~ムーミンと魔法使いの帽子~」
際モノかと思いきや、意外にちゃんとバレエだった。まあ、ムーミン一家の動きは着ぐるみの割には優雅で、つま先立ちになったり、アラベスクをしたりしていたのが可愛い。短い脚でちょこちょこ動くのに「かわいい」と歓声が。それに比べて妙に手が長いのだが。はじめ、ムーミンとパパの見分けがつかず、ムーミンママがなぜかベッドの中でもエプロンをしていたり、家の中でハンドバッグを持っているのはご愛敬?ミイがちょこまかと沢山動いて、狂言回しのような役どころ。スナフキンはとても長身でなんだか違う。コールドの花の精や雪の精、ルビーの精が衣装、振りともに素敵で、バレエらしさを出していた。
2017年4月29日土曜日
0429 唐組「ビンローの封印」
地下の偽ブランドマーケットを舞台に、元船員の男や地下マーケットのボスなどたくさんの登場人物が錯綜する。誰もかれもがいかがわしく、ナンセンスなやり取りががやがやと進む。「賑やかな芝居」というのはその通り。元船員・製造の福本雄樹が若々しく、一本気な主人公を好演。海賊のヤンは赤松由美。浮浪者のような恰好で登場し、途中で女であることがばれるのだが、胸をはだける必要があるのか?帽子を取ればいいのでは。主人公が憧れる船長の娘あかねの藤井由紀は登場シーンは短いのだが、舞台に出ると空気が変わるのがさすがだ。ラストシーン、公衆トイレが大海原へ漕ぎ出す船のようになる。不思議な幕切れ。
2017年4月28日金曜日
0428 Plant M「凛然グッドバイ」
劇場の場所が分かりづらくて迷ったため、冒頭を見逃した。
出口弥生とののあざみの2人芝居はコンパクトな劇場空間を濃密に埋め尽くした。自らを生まれついての詩人と信じるが才能がないと判断されるセンと、180%を超える才能があるとされながら薬物に侵されて言葉すら失ったデモ。デモに言葉を取り戻させようとするセンとデモの葛藤がヘレン・ケラーとサリバン先生のやり取りに重なる。デモを更生させたセンは戦場で受けた銃弾による痛みから薬物に頼るようになり、逆に廃人となってしまう。娘には負け犬と軽蔑されているセンは哀れに見えるが、デモは彼女こそ先生であり、詩人だったと言う。芸術とは何か、才能とは、と改めて考えさせられる。詩人って何も生み出さない人と思われがちだが、「世界の秩序(?)は詩人によって保たれている」とうセリフが印象的だった。
0427 宝塚雪組「幕末太陽傳」「Dramatic”S”!」
落語の居残り佐平次をベースにした映画の舞台化。いわゆる二枚目ではない、コミカルなこの役は宝塚では早霧せいなでしかできないと思う。居残りのほか、品川心中、お見立てなど落語のエピソードを盛り込んでテンポよく進むが、ちょっと盛りすぎの感もあり、これといった見せ場のないまま終わってしまう。主人公が新天地へ旅立つという幕切れはサヨナラ公演として上手くまとまっているが、佐平次が死病を患っているという描写が薄いので、最期に生きる意欲を抱いてアメリカへ行くとう決意が唐突に感じられた。高杉晋作役の2番手望海風斗は三味線をつま弾いて都都逸を口ずさむ登場シーンが粋。
ショーも上手くまとまっているものの、これといった見せ場に欠ける。冒頭の早霧のソロダンスから、歌よりも踊りに重点を置いた構成なのは、歌があまり得意でないトップだからだろう。踊りもねえ、動きはシャープなのになんだか冴えないのは何でだろうと考えつつ観て気づいたのは、リズムに合ってないから?オンテンポよりもやや早いのと、手足が伸びきってないので慌ただしく見えるのでは。次期トップの自覚からか、望海の歌と踊りに頼もしさが増していたように感じた。初舞台生のロケットがオーソドックス過ぎて物足りなかった。
2017年4月24日月曜日
0423 桂南天独演会
凄くあったかい独演会だった。客席の熱が高く、温かい。
「ちりとてちん」のマクラで師匠南光がパンフレットに寄せた文章を読んで泣いたと明かし、内弟子時代の思い出を笑いを交えながらたっぷりと。感極まって落語ができなくなりそうなほどだったが、立て直して勢いのあるちりとてちんだった。客席のウケが異常なくらいいいののあって、予定時間を大幅にオーバーしたらしい。(後に出た紅雀によると25分が50分になった)
「だんじり狸」ほのぼのしたいい話だ。だんじり囃子に見送られるラストが変わっている。
「愛宕山」ブリーゼの広い空間を上手く使って、自然の中の広々とした雰囲気がよく出ていた。落語を聞いているのに、お天気空の下を歩いているような。
2017年4月14日金曜日
0411 4月文楽公演 第2部
「楠昔話」
碪拍子の段は咲甫・清友。山があって川があって昔話のようなのどかな風景のなか、仲睦まじい老夫婦…と思っていたら小学生のような口論を始める。咲甫は声が若いので老人らしさは物足りないが、団子売りや落ち武者のちょっと滑稽な語りは上手い。
徳太夫住家の段は中が始・喜一郎、奥が千歳・富助。始は堂々とした体格にたがわぬ声で頼もしい。千歳は老夫婦の語りも味があり、娘、嫁の語り分けもくっきり。ストーリーはあまりのシュールさにもうなんか唖然。喧嘩のあげく差し違える老夫婦って激しすぎる。
「曽根崎心中」
生玉社前の段を睦・清志郎。高音の擦れはあったがだいぶましになったよう。ちょっと硬さは残るけど、大抜擢によく応えたのでは。
天満屋の段を津駒・団七。情感あふれる濃い天満屋だ。
天神森の段のお初を呂勢、徳兵衛を咲甫、ほか芳穂、希、亘。三味線は寛治、清志郎、寛太郎、清公、燕次郎。若い美声の太夫ばかりなので、音楽的に聞こえた。
人形は勘十郎のお初に清十郎の徳兵衛。勘十郎のお初はちょっとくどいと思うところもあるが、清十郎の徳兵衛は抑制のきいた物腰がいい。天満屋の縁の下に隠すところもスムースだった。ラストは徳兵衛がお初を刺し、自分の首に刃を突き立てるところまで。
2017年4月10日月曜日
0409 浪花人情紙風船第一七回公演「てん、てこ、まい。~芸人長屋は、春爛漫~」
芸人ばかりが暮らす貧乏長屋のドタバタ喜劇。桂九雀が落語やクラリネットを披露したり、洋あおいが女剣劇一座の座長で男役の芝居をしたり、喜味屋たまごの三味線、手品などそれぞれの芸を披露する一幕も。紅壱子は安定の存在感で、幼いころに手放した息子との再会に涙する見せ場ではホロリとさせられた。が、「上手い!」って掛け声はいかがなものか。
2017年4月9日日曜日
0408 Zsystem「キラメキ~私はトビウオ、あなたは太陽~」
世界初というシンクロナイズドスイミング芝居。シンクロを取り上げるというのはユニークだが、トレーニングをしていない女優の中には水着姿が厳しい人もいて見るのが辛かった。プールのような反響音で水中のような雰囲気を作ったり、肩倒立でシンクロの演技を再現したりといろいろ工夫はされていた。が、演技シーンが多すぎたかも。ダンサーとしてのレベルも決して高くはないので、飽きてしまった。
コーチに思いを寄せるエースの少女との恋愛めいたやり取りとか、そのコーチが少女時代に憧れた先輩と最後にキスするとか、なんだか唐突で共感できなかった。もしかしてこれは男性が書いた脚本だからなのかもしれない。
4月8日 4月文楽公演 第1部
「寿柱立万歳」
三輪、津国、南都、小住、文字栄に清馗、龍爾、錦吾、清允、団吾。人形は紋臣と清五郎。
華やかで賑々しい。が、途中テンポがもたついたような。足踏みの間が悪かったのか。
「菅原伝授手習鑑」
茶筅酒の段は芳穂と宗助。白太夫の枯れた感じ、チャりにもう少し軽みがあるといい感じ。
喧嘩の段は咲寿と清丈。落ち着いて語ろうという努力は感じられ、義太夫らしくなってきた。喧嘩場で少しわあわあした印象が残るのが惜しい。(4月29日、ダブルキャストの小住。若手らしからぬどっしりとした体格で低音部が安定している。一方、高温はちと聞き苦しく、喧嘩場はガヤガヤした感じだった)
訴訟の段は靖と錦糸。低音が少し辛そうだが、安定感が増してきたか。
桜丸切腹の段は文字久と藤蔵。声がよく出ていて語り分けも明快だが、住太夫の印象がまだ強く残っているので「なんまいだ」に深みが足りなく感じた。三味線の熱演はいいのだが、うんうん唸りすぎで八重のクドキのあたりなどはちょっと煩く感じた。
嫁たちは揃いの着物でそれぞれ夫にちなんだ柄。八重だけが振り袖。
「口上」
咲の案内で清治、勘十郎が挨拶。咲の呂律が怪しくてハラハラする。
清治が「先代の呂太夫は映画俳優に誘われるほどで、文楽に似つかわしくないくらいの美男子だったが、当代は…ご覧ください。まことに文楽に似つかわしい」と言って爆笑を誘っていた。
寺入りの段は呂勢と清治。何とも贅沢な寺入り。戸波と千代の語り分けが明快で、涎くりのチャリも面白かった。「一日に~」の名台詞をサラリと言っていたのが好印象。あまり引っ張ると嫌みだから。
寺子屋の段は前が呂と清介、切が咲と燕三。呂は出だしはやや声が小さかったが中盤はよく通っていた。クライマックスでもうひと盛り上がり欲しかった。技術的には的確なんだろうなあと思うのだが。盆が回って咲の語りになると、差が歴然。咲としては本調子からは程遠いのだが、切場語りの力を見せつけた。
2017年4月7日金曜日
4月6日 文之助・市馬ふたり会
遅れたので前座の市江は見られず。
文之助が「茶屋迎い」「蔵丁稚」。茶屋迎いでは唄や義太夫節、蔵丁稚では芝居をたっぷりと披露。最初ちょっと噛みかみだったけど、後半は文句なしだった。ちょっとあっさりしすぎてるかな。
市馬は「松曳き」「寝床」。口跡がいいのと、語りのテンポが心地いい。
2017年4月5日水曜日
0404 白蟻の巣
三島由紀夫の初の長編戯曲だそうで、切れ味の鋭いナイフで削いだようなセリフが痛いよう。ブラジル移民の大農場のオーナー夫婦とその運転手の夫婦の奇妙な三角?四角?関係。過去の過ちをうやむやにしたまま、何事もなかったように夫婦関係を続けるが、閉塞感が次第にふくらみ、緊張感が高まる。そこから逃れるのは死だけだと思いながら、結局何事も変えられない。気が弱く、妻の浮気がとがめられない主人を平田満が好演。ゆっくりとした話し方ですべてを受け入れてしまう寛容さがいらいらするくらいだ。心中未遂を起こした妻を安蘭けい、浮気相手の運転手を石田佳央。運転手の妻の村川絵梨が若くエネルギーにあふれる演技で、古い世界に属する3人との対峙が鮮やかだった。
2017年4月4日火曜日
0403 コメディ・トゥナイト!ローマで起こったおかしな出来事《江戸版》
何というか、いろいろと残念な舞台だった。ポスターのはじけた笑顔から懸念はあったのだが、予想を裏切らなかった。
前説からコメディ、コメディとくどいくらいに強調するのだが、ちっとも笑えない。稽古はできていてこれが完成形なのだろうが、少しずつ歯車があってない感じでテンションが空回りしている。唯一吹いてしまったのは、2幕でルー大柴が女装して出てきたところ(←意外に完成度が高かったので)歌は平野綾と鈴木壮馬は聞きごたえがあったが、その他は下手ではないけど上手くもなく。何よりメロディが古臭く感じた。女郎の女たちのダンサーは踊れる人が多かったみたい。けど、中途半端な外国風など設定がいまいちだった。
後半、3人の女が入れ代わり立ち代わり現れるところなど、ドタバタしているところがよかったので、もっと全体的にテンポよくして、ドタバタぶりを徹底するほうがいいのでは。
2017年3月27日月曜日
0326 ファミリーミュージカル「さよなら、五月 -サヨナラ、サツキ-」
メイシアターと千里金蘭大学の共同事業が10回目を迎えた。閉館間近の五月会館をめぐって、賛成派と反対派が入り乱れ、32年間の歴史を振り返りつつ、様々な人の劇場への思いをつづる。メイシアター自体が改装のため1年間の閉館を控えているということもあり、虚実が入り混じった物語に入り込みやすい。小学生から中高年までの総勢40人ほどのキャストそれぞれに見せ場があり、キャッチ―なメロディの歌が繰り返され耳になじむ。ダンスもヒップホップを基本に、うまく振り付けされていて、何より楽しそうなのがいい。素人芝居ではあるのだけれど、数人交じっていたプロの役者が上手く引き立て、完成度は予想以上に高かった。
0325 「河内キリシタン列伝」
5人の女優による群像劇。役のときは袴姿で、ナレーションや群衆などはフードをかぶったり、宣教師服を2人の役者が掲げもって頭のない人形のように動かしてフランシスコザビエルを現したりと、いろいろ工夫がされていて面白かった。扇を刀の代わりにしたり、笛や鼓の音を使ったりと、能のモチーフが用いられていた。が、高山右近はともかくも、三箇頼照・池田教正・三木半大夫・結城弥平次とあまりなじみのない武士の名前は耳で聞いただけでは頭に入ってこず、終始プログラムで確認して頭の整理をしなければならなかった。1時間半ほどのあいだに20年間の歴史を、しかも5人もの主要人物の物語を紡ぐので、どうしてもダイジェストになってしまい、教科書的な印象をぬぐえなかった。
2017年3月25日土曜日
0324 劇団態変「ニライカナイ」
身体障碍者による表現というのを初めて見た。暗転後、爆音のようなノイズが恐怖感をあおる。「アボタカ、アボタカ」というか細い声に細い脚が舞台下手に放り投げられる。上手からは芋虫のようにはいつくばってうごめく人々。白っぽく照らされた舞台に小泉ゆうすけがエプロンのような衣装で現れる。頭にはポットのふたのような、取っ手のついた被り物、鳥を思わせる動きが印象的だ。中盤、金滿里が1人舞台中央を這いながら、苦労のはてに黒い袋のようなものを脱ぎ捨てる。束縛からの解放。片足が不自由そうな役者が1本脚で舞台を縦横に跳ねまわったり、四肢欠損の役者(向井望)がるように動いたりと、それぞれができる動きで精一杯の表現をしているのはよくわかる。しかし、正直途中退屈に思う場面があったし、障碍者が頑張っているということを超えて芸術の域に達しているかというと疑問符がつく。彼らの動きが精一杯以上のことはできないのなら、舞台装置や演出が補うことで芸術になるのだろうか。
2017年3月23日木曜日
0321 サファリ・P「悪童日記」
濃密な1時間の舞台だった。ダンサーでもある役者による身体表現は踊りとも芝居とも。ローテーブルのような装置を自在に動かして、道になったり、穴になったり。男優ばかりで、モノトーンの普段着のような衣装のまま老婆にもなり、少女にもなる。なで肩の俳優は背が高くて男前なのに、兎口の少女になると妙に淫靡。渡りセリフのような台詞回しも面白く、5人で全ての登場人物を表現するため演じる役柄がくるくる変わるのに不思議と混乱しなかった。たった1時間なのに、原作の要素がしっかり描かれていたのが凄い。
2017年3月21日火曜日
0320 第二回味方團能の会「安宅」
仕舞「老松」
次男遥の初舞台。ほぼ歩いているだけのようだが、なぜか舞台の端近くを大きく動いていた。3歳児童らしくいろいろ段取りを間違えているらしく、時折地謡の圓が手を出していたのが微笑ましい。
舞囃子「羽衣」
林喜左衛門。
能「安宅」
弁慶・圓、義経・慧、富樫・福王知登ほか。
弁慶、義経を含め12人の一行が舞台に上がると迫力がある。特に富樫にばれそうになって一同がいきり立つところでの押し問答、おしくらまんじゅうのように体当たり。
3月20日 エイチエムピーシアターカンパニー「アラビアの夜」
不思議な演劇空間に酔いしれた1時間15分だった。11階建のマンションを舞台に3人の男と2人の女。ほとんどセットのない舞台で、役者が時にドアになったり、買い物袋になったり、コニャックのボトルになったり。体の動きだけで階段を昇り降りする様子やソファーに横たわる様子をみせる。別々の場所にいる人のセリフが錯綜し、夢の中なのかアラブのお伽話のような世界が混ざって混沌とする。
0319 エクステ「夕映え作戦」
高校生向けワークショップの卒業生で作った劇団だけあって、良くも悪くも学生演劇。はつらつと元気なのはよろしいが、演技に拙さが残るのと、老け役にどうしても無理がある。戦国時代と現在を行ったり来たりしながら、躍動感のある立ち回りが随所にあり、最近はこういうのが流行りなのかしら。戦うことしか教えられなかった忍者の娘が現代の中2男子と出会って戦いの虚しさや命の大切さを知る。ありきたりな話だが、一生懸命の演技に好感が持てた。
2017年3月19日日曜日
0319 茂山狂言会 50周年記念
50回目を迎える恒例の狂言会で、第1回目と同じ演目を並べる趣向。
「福部の神」
あきらの瓢の神に宗彦、逸平、千五郎、茂、島田洋海、井口竜也、松本薫、丸石やすしの鉢叩き。各年代の一門の9人が舞台に上がりおめでたい雰囲気。
舞囃子「船弁慶」
後半部だけで十数分ほど。金剛の若宗家は声がよく押し出しもいいように思う。
子どもたち5人が入れ替わり立ち代わり小舞を披露。トップバッターは竜正で虎真が最後。
「狸腹鼓」
千三郎の狸に童司の喜忽太。千三郎はおばに化けているときが可愛い。
「木六駄」
七五三の太郎冠者、千作の茶屋が息の合った様子。
0318 オフィスシカプロデュース「親愛ならざる人へ」
劇団鹿殺しの丸尾丸一郎の作・演出。主役に奥菜恵を迎えたが、人形のようなかわいい顔の奥菜が毒舌を吐く意外さだけで2時間引っ張っちゃった感じ。もうひとひねり欲しかったし、奥菜もいい歳なのでそれほどの意外感もない。結婚式の前日、会場となるホテルの一室で感動的な「花嫁から両親への手紙」を書こうとするうち、過去の様々なことを思い出し、親族の予想外の行動で結婚式が台無しになるという筋立てなのだが、これってありがちではないか。客席をステージの前後に配したり、一段高い台状のステージを左右に動かして過去と現在の転換にしたり、結婚式のシーンで観客を招待客の席に座らせたりといった工夫は面白い。オレノグラフィティの音楽で、セリーヌディオン風のBGMとか、キロロ風の歌とかもへぇと感心はしたけれど決定打にはなりえない。花嫁の友人の木村さそり(?)のキレッキレのダンスはすごいけど、芝居にあっていたかどうかは疑問だ。
0317 宝塚星組「スカーレットピンパーネル」
紅ゆずるの大劇場での新トップお披露目。ファン待望の雰囲気が客席から感じられる気がする。歌はあまり上手くないと危惧していたが、準充実した歌いっぷり。冒頭の銀橋でのソロから朗々と歌い上げた。コメディシーンはお手の物で、プラパンの弾けた演技、ピコ太郎ネタで笑いを誘うなど、笑いのツボを存分に押さえていた。マルグリッドの綺咲愛里と並ぶと、美男美女でお似合い。いいトップコンビになりそう。シリアスなシーンで滑舌が悪いのが気になった。
綺咲は登場シーンの歌は今ひとつだつたが、他は悪くない。地声の歌がいまいちなのかも。中盤のオペレッタ風の歌なんかはよかったのだが。
ショーヴランの礼真琴はこの役には不似合いなキャラだが、大健闘。歌が上手いので、ソロの聞かせどころも説得力があった。ショーでのキレのいいダンスもよかった。
2017年3月16日木曜日
0311 三月大歌舞伎 昼の部
「明君行状記」
青果ものらしい、理屈っぽい話。亀三郎演じる善左衛門がなんであんなに殿様に突っかかるのか。若さゆえの潔癖さ?梅玉の池田光政は本領発揮というか、殿様らしさが似合いすぎるほど。
「義経千本桜」
渡海屋から大物浦。仁左衛門の銀平実は知盛が悪かろうはずもないのだが、充実の舞台を堪能させてもらった。花道の出から骨太な様子だが、白装束に変わってからは武士らしい本性を現す。手負いになってからは、時折喉を掻き毟る仕草をみせ、後に胸元から引き抜いた矢に付いた血を舐めてみせる。細部までこだわりというか、配慮の行き届いた演技だ。
時蔵の内侍の局は、銀平の空見自慢のところはちょっとあっさりしすぎにも思ったが、銀平が白装束に着替え、安徳帝を上座に据えてからは表情が一変。宮廷の女官らしい気品がただよっていた。
右近の安徳帝は期待しすぎたのか案外普通だった。
「神楽諷雲井曲毬 どんつく」
幹部俳優勢揃いの華やかな舞台だが、正直退屈。巳之助の踊りがまだまだなのか、どんつくが以前演じたちょっと足りない男みたいに見えた。松緑は玉入れで失敗を重ね、舞台上でも笑いが漏れるほどだった。
0310 工藤俊作プロデュースプロジェクトKUTO-10「あたらしいなみ」
映像も手がけるサカイヒロトの作品だけあって、上演前からスクリーンに携帯電話マナーの注意や他劇団の予告映像などが流され、いつもと違う雰囲気。
作品中も映像が効果的に使われ、視覚的な印象は鮮やか。冒頭、俳優らが客席を通って舞台に上がり、主人公以外はなぜか黒いマスクで目を覆っている。波に揺られるように左右に体を揺らす。「風景が変わる」を合図にばめんや時代が次々と切り替わる。断片的なシーンから、主人公が大学時代に仲間と映画製作に取り組み、リーダーの失踪でラストシーンができなかったこと、主人公が何かトラウマをか抱えているらしいことが見えてくる。テンポよく場面転換が進むのに、何故か時間が経つのが遅く、1時間15分ほどの上演が、とても長く感じた。
0309 清流劇場「オイディプス王」
充実した舞台だった。膨大なセリフをこなした役者陣の健闘はもとより、ほとんど動きがなく、会話だけで展開する芝居を飽きさせず、セリフを届けた演出もよかった。よりはっきりセリフの意味を伝えたいところはマイクで、それ以外は地声でとメリハリをつけたり、仮面をつけたコロスに語らせたり。オイディプスとクレオンの口論のシーンに陽気な音楽をつけたのも印象的だった。
だんだん追い詰められて行くオイディプスの緊張感に息を呑んだ。高口真吾は台詞回しがいいというイメージではなかったのだが、説得力のある芝居だった。
ラストシーンは運命に翻弄されるだけでは終わらないというオイディプスの意思が示される。原文でも解釈が分かれるそうだが、ただ神に弄ばれるだけでは現代には受け入れにくいのかも。
イオカステの林英世がさすがの存在感。仮面を着けてコロスの1人でいるときも、際立っていた。
2017年3月6日月曜日
0306 MONO「ハテノウタ」
老いを防ぐ薬の普及で若い姿のまま100歳超まで生きられるようになった世界。だが、法律により100歳の誕生日に安楽死しなければならない。100歳を目前にした高校の同級生が数十年ぶりにカラオケボックスに集まる。昔懐かしい歌やビミョーなダンスに盛り上がったり、無神経な発言をする奴がいたりと笑いどころがそこかしこにあって面白いのだが、芝居としての満足感には何か足りない。皆がこぞって不老薬を飲むなかで、飲まない選択をする人は変わり者扱いされている。現代にも共通する問題へのメッセージがもっと欲しかった。
2017年3月5日日曜日
0304 桂文枝半世紀落語会
「三枝から文枝への軌跡」のサブタイトルで、三枝時代の「背なで老いてる唐獅子牡丹」、最新作「大・大阪辞典」、古典落語「愛宕山」の3席。一番面白かったのは「背なで~」で、「大阪辞典」は大阪人あるあるなのだが目新しさがなく(客席は笑っていたが)、「愛宕山」はさらりと流している風で楽しくなかった。
ゲストの桂歌丸は酸素吸入器をつけたまま、病気の話をマクラに笑点の思い出を短く。
2017年3月4日土曜日
0303 陥没
ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出。達者な役者が集まってまっとうに芝居をすれば面白くないはずがない。東京オリンピック前夜という雰囲気はあまり感じられなかったが、軽快なセリフのやり取りや絶妙な間が面白く、3時間余りの舞台があっという間に感じられた。
井上芳雄、小池栄子の主役2人はもちろん、居るだけで回りの空気を支配してしまうような存在感の高橋惠子、とぼけた雰囲気の緒川たまきが印象的だった。
1つ引っかかったのは、瞳(小池)が浮気した是晴(井上)と別れ、人格的に問題があり、かつ父の借金と偽って莫大な借金を背負わせる大門(生瀬勝久)と結婚してしまうところ。(これがないと物語そのものが成立しないのだけれど)お嬢さん育ちで分からなかったという説明はあったけど、女性を馬鹿にしているように思うし、是晴は会社の専務まで勤めながら、社長の借金を承知してなかったのも釈然としない。
2017年3月3日金曜日
0302 兵庫県立ピッコロ劇団「歌うシャイロック」
約3時間の長丁場だったが、長いとは感じなかった。それだけ魅力ある舞台だったということか。
元宝塚の剣幸の演じるがポーシャが中心の舞台になるかと思いきや、シャイロック(孫 高宏)と娘ジェシカ(今井佐知子)の好演が光った。特に今井。ロレンゾとの純真な愛や、裏切られてからの絶望、父シャイロックとのやり取りなどが自然で生き生きして見えた。ただ、これだけしっかりした娘が気がふれてしまうというのは納得いかない。
剣のポーシャは行かず後家のオールドミスという設定で、ろくな求婚者が来ないのにうんざりしていて、やんちゃというかお茶目というか。バサーニオに惚れてる風ではなく、結構冷めた感じで、男のどうしようもなさにしかめっ面をしたりするのが可愛いかった。女優歴が長くなったせいか、男装シーンは期待ほど格好良くはなかったけれど。
空晴の上瀧昇一郎が公爵役。意外に声が良くて驚いた。
シャイロックのセリフで「イスラムの教えに合わない」とか「アッラーに従う」とかいうのが気になった。ユダヤ教徒のシャイロックがイスラム??何か意図があるのだろうか。
2017年2月27日月曜日
0226 三代目桂春団治一周忌追善落語会 夜の部
一門による口上。ほとんど昼の部と同じだが、梅団治のみ違う話をしていて好感度アップ。
梅団治「野崎参り」
三代目とは違うけれど、これはこれで愛嬌があって面白い野崎参り。
春若「代書」
三代目は「代書屋」というところをあえて「代書」にしているそうな。
市馬「二番煎じ」
声がいい人の落語は聞いていて心地いい。上質な落語を聞いたという満足感。
鶴瓶「青木先生」
アフロヘアの頃から三代目には可愛がってもらい、1000円もらっては髪切ってこいと言われたとか、形見分けでもらった帯を披露したり。春之輔のあほ話も。
三代目の墓が母校である浪花高校の近くにあるという話題から、思い出の国語教師をからかう話へ。誇張しすぎてちょっと嫌みかも。
ざこば「月並丁稚」
三代目に教わった2つのネタから披露。口上を覚えられないアホな丁稚が上手い。
春之輔「幸助餅」
得意ネタに挙げているわりに期待外れと言わざるを得ない。雑というか練られていない感じだ。結構な数の登場人物がいるのに語り分けが明確でないのでわかりにくい。
はじめに「人情話です」といって話し始めるのもどうかなあ。
0226 三代目桂春団治一周忌追善落語会 昼の部
幕開きは一門による口上。福団治がやたらと「一門の結束」を口にしていたのが気になる。新春団治について誰も触れないのも変だ。
春雨「皿屋敷」
カジュアルというか軽い皿屋敷だ。日舞をやっているだけあってお菊の所作はきれい。羽織を脱ぐのも、三代目にはかなわないまでも結構シュッとやっていたのに拍手がなかったのは気の毒。
文珍「憧れの養老院」
小話かと思っていたらネタだったらしい。
歌丸「紙入れ」
こんなに淡々とした紙入れは初めて。おかみさんも地声のままで色気をつくるということがほとんどないのだ。
高座まで歩くのが辛いらしく、いったん幕を閉じてから板付きで登場。声にもハリがなかったが、間の取り方が絶妙で笑いを誘った。
小春団治「アーバン紙芝居」
いかけ屋を現代風にアレンジしたそうで、がり勉の小賢しい小学生やこまっしゃくれた4歳児などキャラクターが楽しい。
鶴光「竹の水仙」
左甚五郎が宿代代わりに竹で水仙の花を拵える。鶴光の古典落語は初めて聞いた。
福団治「藪入り」
子どもが出てくる人情話は鉄板だけど、ほかの話も聞きたいような。
0225 浪曲名人会
「南部坂雪の別れ」 真山一郎
歌謡浪曲の仰々しい音楽、派手な衣装は私は苦手かも。討ち入りの当日、大石内蔵助が瑞泉院を訪ね、秘密を洩らさないまま別れを告げるというデリケートな場面なのだが、瑞泉院の声色が下町のおばちゃんみたいで気分がそがれてしまった。
「定九郎出世噺」京山小圓嬢
落語でもよく知られた中村仲蔵の話なのだが、芸の工夫よりも夫婦愛にフォーカスがおかれている。仲蔵が大抜擢で五段目の定九郎の役を振られるというのも違う。それまでは名前もない役ばかりだったとはいえ、弁当場というのは抜擢と言うほどの躍進ではないような気がする。
芸歴70年の小圓嬢の声のハリ、つやに驚く。
「松坂城の月」松浦四郎若
講談で聞いた印象が強く、話の運びがまどろっこしく感じた。
「異国の母」三原佐知子
迫力のある声に圧倒される。お涙頂戴の浪花節らしいというか。ただ、小学校6年生になっても喋り方が幼いままというのはどうなんだろう。
「樽屋おせん」春野恵子
不義を疑われていたおせんがとうとうやけっぱちになって一線を越えてしまうという驚きの展開。
春野恵子は人気者らしく「待ってました」のかけ声も。よく通る声だし、頑張っているのはよく伝わるが、一節歌うたびににっこり微笑むのは笑いすぎでは。話にも合っていないし。歌い終わりにアクセントが付くのも耳に触った。
「曲垣平九郎―どど平の住込み―」京山幸枝若
最後の立ち回りは迫力があって面白いが、ぶつっと切れて続きは…とやるのは大トリとしてどうなのだろう。消化不良感が残った。
2017年2月25日土曜日
0223 若手素浄瑠璃の会
「ひらかな盛衰記」松右衛門内より逆櫓の段
1時間10分あまりを小住が語り切った。後半はしんどそうなところもあったが、藤蔵が激しくうなる三味線で尻をたたいているよう。
小住は声量もあり、堂々とした語り振りなのだが、詞章が頭に入ってこないのはどうしてだろう。言葉や音程をたどるのに精一杯な感じがするからか。時折言葉が違って聞こえたのも気になった。
「新版歌祭文」野崎村の段
希と清志郎にツレの清允。
希は声がよく、声量もまずまず。詞章が分かりやすいのは経験の差なのかなあ。
0223 ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」
舞台を近未来に移し、登場人物はスマホを持っていたりする。荒廃した世界観で、キャピュレット家の荒廃ぶりが強調して描かれる。ジュリエットの両親の関係が破たんしていて、母親はティボルトと不倫関係にあったり、当のティボルトは従妹のジュリエットに片思いしていたり、パリス伯との結婚を進めながら、母親がジュリエットに本当の父親は別の人だとほのめかしたり。ティボルトはソロも多く、1幕ではロミオより目立っていたほど。なのにそういった伏線が後半に生きてなかったような気がする。
古川雄大のロミオに木下春香のジュリエット。歌は悪くなかったと思うが、演出のせいか、2人が恋に落ちる運命性が感じられなかったので、その後の展開がしっくりこない。
2人の結婚式がスマホの写真で拡散され、皆に知れ渡っても両家の争いはやまず。2人が死んだのを見て初めて争いを悔いるという展開も、愛がすべてに勝というテーマを薄めているようで疑問。
0222 松竹座 二月花形歌舞伎 夜の部
「金閣寺」
梅枝の雪姫が気品、可憐さのあるいいお姫様だった。屋台にもたれた憂いの表情も、縛られながらの演技もきれいだった。
上置きの又五郎が松永大膳で舞台を引き締めていたものの、歌昇の此下東吉、種之助の十河軍平、右近の松永鬼藤太などは花形だなあという印象。歌昇はおそらく二枚目を目指しているのだろうに、ちんちくりんな感じがするのはなぜだろう。
「連獅子」
松也の親獅子に右近の小獅子。松也の年で親獅子はまだ早いのは仕方ないにしても、踊りの上手さが逆転してたのも辛かった。
毛振りがそろってないし、振り終わりのタイミングすら合わせられないってどうよ。
2017年2月20日月曜日
2月19日 国立劇場開場50周年記念 文楽公演 第一部
「平家女護島」
六波羅の段
靖・錦糸。
二段目の切だそうで、35分ほどを語り切った。
あづまやが若すぎたり、教経と越中次郎兵衛の語り分けが甘かったりといろいろ感じるところはあったが、大健闘と言っていいのでは。
女のクドキあり、立ち回りありの盛りだくさんで、見どころ、聞かせどころが満載だった。
鬼界が島の段
英・清介。
声もよく通っていて悪くない出来だったが、緩急が乏しかったのか盛り上がりに欠けたように思う。場面としては千鳥のクドキとかいろいろ見どころがあるのに。
物語としては、未練がましい歌舞伎よりも文楽のほうが好み。俊寛の物語に特化している歌舞伎より千鳥がクローズアップされてるのもいい。
船路の道行きより敷名の裏の段
咲甫の清盛、三輪の丹左衛門、有王丸の津国、千鳥の南都、法王の始にツレの咲寿、亘。三味線は藤蔵、喜一朗、清馗、燕二郎、清允。
華やかな三味線の演奏が盛り上げる。咲甫の清盛は敵役にしてはシュッとした男前。
人形は何と言っても簑助の千鳥のかわいらしさ。道行では簑紫郎に変っていたが、これもよかった。
2月18日 国立劇場開場50周年記念 文楽公演 第三部
「冥土の飛脚」
淡路町の段
口を休演の松香に代わって咲甫・清友。
端場だからかもしれないが、ちょっと早口すぎて何言ってるか分かりにくいところも。
奥は呂勢・清治。
忠兵衛のダメ男ぶりがこれでもかと。中之島の武家に金を届けるはずが、知らず梅川のいる方へ歩いてきてしまった忠兵衛が、行こうか行くまいかと逡巡するところ、絶妙な間で笑わせた。八右衛門の野太い声と忠兵衛の柔らかい話ぶりと、語り分けがはっきりしていてききやすい。
封印切の段
千歳・富助。
切場語りの風格がただよってきたよう。忠兵衛があまりにダメ男すぎて、全く同情できないのだが。梅川も最初に商売の金ではないかと疑っているので、喜び転じて悲劇~の落差が薄くなってしまう。忠兵衛はやはりダメ男なのだが、歌舞伎のほうが可愛げがあるし、梅川のイノセンスなところも哀れを誘い、気持ちの盛り上がりがあるように思う。文楽はあほがあほやって勝手に自滅してる身勝手な話にしか感じられなかった。
廓の女郎たちが忠兵衛を「たださん」とよぶのばなんでだろ。歌舞伎は「ちゅうさん」だよね。
道行相合かご
文字久、睦、希、小住、文字栄に団七、団吾、清丈、龍爾、錦吾。
殺風景な野道を行く2人。雪景色の中の逃避行よりリアルなのかもしれないが、寂しい限り。
人形は玉男の忠兵衛に清十郎の梅川。清十郎の出しゃばらない遣いぶりが好印象だった。
2月18日 国立劇場開場50周年記念 文楽公演 第二部
「曽根崎心中」
生玉社前の段
文字久・宗介。
悪くない。むしろ床はよかったと思うのだが、やはり私はこの物語が好きではないと再認識した。遠くで起こっていることを眺めているようで、全然入り込めない。
天満屋の段
咲・燕三。
体調が思わしくないのか、声に力がなく、高音が擦れて聴きづらかった。
天神森の段
津駒、咲甫、芳穂、亘に寛治、清志郎、寛太郎、清公。
津駒は情感たっぷり。咲甫は自分に酔っているようで、ちょっと薄情そうに聞こえた。
人形は玉男の徳兵衛に勘十郎のお初。お初は少々オーバーアクションな感じ。天満屋の段でお初の裲襠に徳兵衛を隠してひき入れるところ、さっと軒下に隠れられずモタモタしてたのが気になった。そんなんじゃ見つかるでしょ。
2017年2月18日土曜日
0217 南船北馬「赤い靴はいて」
アラフォー女性5人の会話劇。奔放な母の介護をめぐる姉妹の確執、登校拒否の娘と義母の介護に追われる中学教師に鋭い言葉を投げる独身の同僚、先行きに不安を抱えながら猫に愛情を注ぐ派遣社員、それぞれに問題をかかえ、相手に不満を抱いている。セリフの一つ一つが実感をもって感じられる一方、痛くて苦しい。個性的な5人の女優たちが存在感を放ち、引き込まれた。国語教師役の高橋映美子の声や話ぶりが心地よかったのと、妹役の木下菜穂子のひんやりとした空気感が印象に残った。
2017年2月13日月曜日
0212 烏丸ストロークロック×庭ヶ月「凪の砦」
宗教に救いを見いだせなくなった夫婦が始めたホスピスを舞台に、人の最後を考える。ホスピスで働く人たちも行き場をなくしたような人たち。家族とか地縁とか薄くなっている時代において、こういうコミュニティは一つの解なのだろうと思う。だからこそ、最期、自身で施設が崩壊してしまうというラストが不可解だった。
0210 宝塚宙組「王妃の館」「VIVA!FESTA!」
浅田次郎のおふざけ小説をどうやって宝塚にするのかと思ったが、それらしくまとまっていた。ビジュアルはなんだかなあという感じだけど。ルイ14世のくだりを劇中劇にしないで、亡霊となって現れるルイが現代のキャストと絡ませたのがよかった。ディアナやプティ・ルイのエピソードは回想シーンでコンパクトに。ドタバタコメディのドタバタぶりはそれほどでもなかったけれど、朝夏まなと、実咲凛音らが上手く笑いに持って行っていた。
レビューは祭りをテーマに。冒頭のリオのカーニバルが、前の星組と被っていたのがマイナス点。黒燕尾やムードあるデュエットダンスなど、レビューらしい出し物だった。
2017年2月6日月曜日
2017年2月5日日曜日
0204 ミュージカル「キャバレー」
長澤まさみの主演が話題だが、歌声もよく出ていたし、思っていたよりは達者だった。特に、2幕冒頭のソロはよく歌えていてびっくり。ただ、ナチスが台頭する不安な社会情勢を背景にした退廃的な雰囲気には程遠く、別の芝居を見ているよう。思うに、長澤まさみという女優は根っからの陽なのだ。裸電球のような曇りのない明るさというか。あまりにあっけらかんとしていて、それはそれで一つの個性だけれど、この芝居には合っていないと思う。
MCの石丸幹二は、歌えば聞きほれずにいられない声だし、サックスも披露しての活躍だけれど、残念ながらあの衣装は似合わない。
ミス・シュナイダーの秋山菜津子の存在感が圧巻。
0204 ミュージカル「フランケンシュタイン」
音楽も役者もよかったのに、観劇後感はモヤモヤ。何より、1部と2部の世界観が違いすぎて、あまりの突飛さに戸惑った。それぞれのシーンはよくできているのに、そこに至るまでの過程が省略されてしまっているので、ブツ切れの断片を並べられているような印象で、物語に入り込めなかった。
特に、アンリとビクターの友情をもっと深く描いて、怪物の怒りや恨み、復讐に至る過程を描写してくれたらもっと共感できたのに。1幕の終わりでビクターの罪をかぶって死刑に処せられるアンリがいきないり「愛してる」と言ってしまうところとか、唐突で。
タイトルロールはビクター・フランケンシュタイン(柿澤勇人)なのだが、アンリ・デュプレの小西遼生のほうが印象的だった。
2017年2月3日金曜日
0203 劇団太陽族「大阪レ・ミゼラブル」
音楽劇と銘打っただけあって、歌と踊りはだいぶ頑張ったなと思ったが、いかんせん本職ではない役者ばかりなので、決してうまくはなく素人っぽい。あえて下手さを狙っているのかもしれないけど。特に、船場仁(ジャン・バルジャン)を演じた森本研典の歌が辛かった。曲は悪くなさそうなので、歌唱力のある人に歌わせたらもっと心を揺さぶられたのかも。ホルモン屋のメニューを盛り込んだ歌詞など、作りこんでいるというのは分かるが、感動したり、思い切り笑ったりというところには至らなかった。
風刺やパロディとしては物足りない印象だ。冒頭シーンで、都構想が実現した大阪で、万博の建築現場で働かされる犯罪者というのが一番の皮肉で、後は原作をほぼ忠実に再現。一番笑いがあったのが、梢恵(コゼット)と真理生(マリウス)のべたな恋愛のやりとりだったというのは、物語の本質では笑いが効いていなかったという証では。
0202 二月花形歌舞伎 昼の部
壱太郎のご挨拶から。座組といい、浅草歌舞伎のようだ。
「義経千本桜 渡海屋・大物浦」
若々しくフレッシュな碇知盛。松也の銀平は柔らかすぎる印象だったが、知盛の正体を現してからは骨太な感じがでて悪くなかった。
壱太郎も女房お柳はまだ板についていないよう。典侍の局の姿は美しく、今まで見た中で一番似合っているかも。
種之助の相模五郎は弾むようで、いいか悪いかは別として元気で溌剌としている。右近の入江丹蔵は型どおりというか、リアリティが薄い。新悟の義経、歌昇の弁慶とも、丈に合わないような印象。花形だとはいえ…。
「三人形」
梅枝の若衆に種之助の奴、新悟の傾城。新悟は大柄なのがネックだ。ほっそりして立ち姿は美しくても、並んだ立ち役よりも頭一つ大きいのでは。表情が硬いというか冷たい感じなのも気になった。客につれなくあしらうという設定なのかもしれないが。
2017年1月29日日曜日
0122 PM/飛ぶ教室「足場のゴースト」
工事現場から転落死したおじいを桂雀三郎。飄々とした雰囲気はこの人ならではだが、たまに素になっているように見えたのが気になった。物語に入り込むのに水をさされるようで。役に没頭しないのは落語家ならではなのかもしれないけど。
再再演だけあって、こなれた様子。どもりの野呂が達者で時折うっとおしいほどだった。突然の親しい人の死をどうやって受け入れていくのか。観劇の余韻は心地いいものだった。
0128 第27期文楽研修終了発表会
「万才」
太夫の田中碩人が、並んだ咲寿や亘に引けをとらない堂々とした語りぶり。
人形は吉田陸夫がキビキビとしたいい動き。東寛二は足がそろわなかったり、向きがずれてしまったりとちょっと見劣りする。上を見るくせがあるらしく、主遣いとの距離が離れすぎているせいではないか。
素浄瑠璃「一谷嫩軍記」熊谷桜の段
堂々とした風情はいいが、言葉の頭のアタックが強すぎるきらいが。変な癖がつかないといいのだが。
「本朝二十四孝」
吉田が白須賀六郎、東が原小文治の主遣いだったのだが、出番が短すぎてあまり印象に残らなかった。
0122 民俗芸能公演 淡路人形芝居
「賤ヶ嶽七本槍」
清光尼庵室の段
太夫の友里希、小柄な女性ながら低い声も頑張って、複雑な節回しで聞かせていたが、声量がこの会場には足りない。三味線に掻き消されがちなのが惜しい。続く友和嘉・友吉は手堅く、切りの友庄・友勇は流石の貫禄あり。
深雪たちが遠眼鏡で合戦の様子を見るところ、柴田勝久とその敵の人形が客席後方から登場、通路半ばまで出てきて立ち回り。一人遣いで複雑な動きはないけど客席は湧く。
蘭の方の身代わりに深雪の首を打つとき、人形が仰向けに倒れて前方に首が落ちるのはいかがなものか。文楽でも同じようだけど、どうせ船底に隠れて捌けるのだから、俯せに倒れる方が自然では。
深雪を還俗させて婿を取らせる話はどうなったのか。それと久吉、実子をあっさり殺しすぎ。ちょつとは苦悩しろよ…。
真柴久吉帰国行列の段
メリヤスに乗って、総勢30~40人が次々と。お猿が馬の背によじ登ったり、長い棒の先端に房飾りがついたものを投げて交換するなど見所もあり。
七勇士勢揃の段
馬に乗った七勇士が横一列に並ぶのは壮観。3人遣い+馬1人×7で28人かと思ったら、久吉もいるから32人が舞台に出ているのだ。加藤正清と山路将監、佐久間玄蕃の立ち回りなど、戦闘シーンが面白い。小さい人形で遠見にしたり、梨割や首が外れたり。
太夫、三味線はそれぞれ2人。掛け合いというより、久吉方と敵方で分担してる感じ。友庄が出のタイミングを間違えたか、友和嘉のところを語りそうになったような。
0122 古今亭文菊独演会
前座は柳家小多け「手紙無筆」。テンポも間もまだまだで完成度は低いのだが、所々クスクス笑いが起きていた。とぼけたセリフがおかしいのか。
文菊は「初天神」と「うどんや」。季節らしい2席。
「初天神」はマクラで子役の話から始まって、こまっしゃくれた子どもへと自然な流れ。金坊がうっとおしいの一歩手前の可愛さ。おとっつあんはその辺にいそうなリアル感。お腹ん中へ落っこちたで落とさず、団子屋の蜜壷につけるまで。おとっつぁんが飴を取った指輪を舐ったり、団子の蜜を啜ったりするのをたっぷり見せた。
「うどんや」落ちを聞くまでなんの話か分からず、落ちて「かぜうどん」かと思ったら、江戸落語では名前が違うのね。酔っ払いとのやり取りがくど過ぎず、引き込まれた。
0121 寿初春大歌舞伎 昼の部
「将軍江戸を去る」
門前での押し問答、歌昇や種之助の衣装が身体に合ってなくて借り物のよう。
山岡鉄太郎の愛之助は声がやや辛そうだが、この座組のなかでは聞かせるほうか。いつもより朗々とした響きはなかったが、話の内容が一番伝わった。これまで観た鉄太郎はどれもわあわあ騒ぐばっかりで、何を言っているのかさっぱりだったが、初めて理解できた。
伊勢守は又五郎。貫禄があって説得力があるのだが、伊勢守の長台詞のところで真後ろの席のご婦人が奇声を発して具合が悪くなったらしく、何やらごそごそしていて舞台に集中できなかった。
染五郎の慶喜は慣れた感じ。台詞を歌ってた。
「大津絵道成寺」
愛之助が五役を早替わり。すっぽんから登場した藤娘が予想外に綺麗だった。時折、玉三郎ににて見えてびっくり。目線のやり方が色っぽかったのと、笠の紐で輪郭が細く見えたせいかも。踊りはしなやかさが増していて、それらしくなっていた。早替わりは、常磐津の見台から登場したり、黒御簾に飛び込んで捌けたりと工夫して楽しませたが、壁がスムースに回らなかったり、引き抜く前に着物の前身頃がはだけていたり、昆布巻きでもたついたりと色々課題あり。大歌舞伎と銘打ってるからにはもっと洗練されたものを観たい。
「沼津」
何より歌六の平作が良かった。年齢が相応になったせいもあろうが、重いはずの荷物が軽そうだったほかは、これまで観たどの平作よりもそれらしかった。惜しむらくは吉右衛門の十兵衛があまりキリリとした二枚目に見えないことか。清々しさが感じられないのだよ。お米を見初めるところなんかも、好色そうで。
お米は雀右衛門。しっとりと美しく、ただの村娘でない、吉原の過去を感じさせる色気があった。
2017年1月15日日曜日
0114 新国立劇場バレエ団「シンデレラ」
初めて生で見たが、ダンサーのレベルが高いという評判に納得。メーンキャストはもちろん、コールドも安定感があった。
シンデレラの小野絢子はテクニックがしっかりしていて危なげがない。繊細というか、華奢というのではないけれど、可憐な少女らしい風情。姉たちが男性ダンサーで背が高かったのでそう感じたのかもしれないけど。王子の福岡雄大、道化の福田圭吾も目を惹く踊り。
1幕の最後でシンデレラの乗った馬車が舞台をさーっと回るのだけれど、もっとゆっくりシンデレラの姿を見せてほしい。父親というのは初めて観たかも。姉たちは継母の連れ子と思っていたけれど、異母姉?2幕の最後は、魔法が解けて普段の姿に戻ってから逃げていく。
0114 点の階「・・・」
ときおりハッとするようなセリフがあるのだけれど、レトリックをひけらかしているよう。小説として書かれたことが指南書として読まれるって、文章では簡単だけど、実際にはありえないでしょという思いをぬぐえない。窓の外を見る女の挙動不審ぶりが度を越えていて、ずっと違和感。ラストにその理由は明かされるのだが、いきなりSFになってしまうのは突飛に感じた。点転棋士という男の演技も舞台の調和を乱していたように思った。そういう役どころなのかもしれないけど、急に音声のボリュームが変わってしまったような不快感があった。亡くなった師匠の意図が分からなかったのも消化不良な感じ。白い靴下の男の三田村啓示がとぼけた風情で空気を緩和してくれた。
2017年1月11日水曜日
0110 宝塚月組「グランドホテル」「カルーセル輪舞曲」
「グランドホテル」
珠城りょうの大劇場お披露目。体格がよく胸板が厚いのでスーツがよく似合い、男爵役がはまる。歌や踊りには拙さも残るが、トップらしい風格が出てきたのでは。感心したのはリフトの安定感。ラスト近く、銃殺された男爵とエリザベタのパドトゥで肩から胸に高さを変えての長いリフトが男性ダンサーのような力強さ。愛希れいかはエリザベタにしては若すぎるきらいはあるが、芸達者ぶりを発揮して高慢なプリマらしさを現していた。バレエはちょっと残念だったか。手の表現は綺麗なのだが、脚の形がバレエダンサーぽくないんだよね。オットーの美弥るりかが主役を食う熱演だった。
「カルーセル輪舞曲」
レビュー90周年記念で、「モン・パリ」へのオマージュなのかな。パリから宝塚への世界旅行…なのだが、パリからNY、南米へ行った後、太平洋を渡って日本に来るのではなくなぜか砂漠?
冒頭の回転木馬をイメージした白いきらびやかな群舞や、色とりどりのサンバの衣装など、ひたすらキラキラして華やか。
2017年1月9日月曜日
0108 京都観世会一月例会〈其の一〉
「翁」
面箱を掲げて最初に登場した井口竜也がのっけから手足を震わせていてハラハラした。そんなに重いの?
翁は井上裕久、千歳は大江広祐。囃子方も皆長袴姿で、格調高いというのか厳粛な感じ。
三番三の千五郎は、自身の襲名の時よりは肩の力が抜けた感じで、見やすかった。
「老松」
松の精が出てきて舞うだけでなんでこんなに長いのか。
「三本柱」
千作の果報者は朗らかで見ていて楽しくなる。3本の柱を3人で、1人が2本ずつ担いでこいという謎かけのような話。
仕舞は梅田邦久が休演?で鶴亀は上演なし。
大江又三郎の東北。
「熊野」
熊野の観世清和、帰郷を許されて橋かがりを引っ込むところで表情が明るくなったように見えた。ただ、これもよく分からん話だ。帰郷を許してやるなら最初からそうしろよと言いたくなる。
仕舞は杉浦豊彦の田村、林喜右衛門の羽衣、片山九郎右衛門の野守。野守は扇を2枚持って凛々しく舞うのが面白かった。
「乱」
時間切れで途中で出てしまったので、肝心の猩々乱を見られず。
2017年1月7日土曜日
0107 OSK日本歌劇団「高山右近伝」
高槻城主、高山右近の福者認定記念の公演。
こんな人がいたのを知らなかったので、へえとは思ったが、脚本のせいかこの人が高槻のために何をしたのかが今一つピンとこない。
問題の多い領主、和田惟長に暗殺されそうになったのを返り討ちにした際、首を半分切るほどの重症を負って生還したというのがクライマックスか(嘘みたいだけど後で調べたら史実らしい)。この惟長が領民にとってひどい領主だったというのなら、地域を救った英雄ということにもなるのだろうが、ただ己の身を守っただけ?キリシタンとしての功績もよくわからないし。
高山右近の香月蓮は立ち姿は凛々しくていいが、歌が今一つ。妻の和紗くるみも同様。
右近の父、友照の緋波亜紀はさすがの安定感だった。
最後、洋装でアイネクライネナハトムジークをアレンジした曲に乗ってダンスのシーンが違和感。和装で通すほうがいいんじゃないのかな。
0107 初春文楽公演 第2部
「染模様妹背門松」
油店の段
中を咲甫・清友、切を咲・燕三。
お得意のチャリ場は「私失敗しないので」「アイ・ハブ・ア・ペン」「君の名は」など流行語満載。咲はちょっと声に力がなかったか。わざと力を抜いて語っていたのかもしれないが。
番頭善六の勘十郎が楽しそう。
生玉の段
芳穂・団吾にツレで小住・錦吾。
芳穂のお染が可憐。
質店の段
千歳・富助。先月の九段目に続いて好演が光った。なんか文句の付けようがない感じ。久作の情愛が泣かせる。
冒頭の祭文売りの陰声は靖か。
蔵前の段
掛け合いで、松香、三輪、希、津国、南都に喜一郎、ツレ燕二郎。
とってつけたような配役だ。
全体を通して、お染・久松には全く同情できない。清兵衛が嫌な奴ならまだしも、2人の関係を知った上ですべて飲み込んで助けてくれるわけだし。何より、質店の段の最後で、久松を田舎に連れ帰るのは正月になってからでいいでしょと言ってしまう母お勝!久作がいろいろ心配して、早く2人を引き離さないとと言っているのにすべてがおじゃんになってしまうじゃないの~とモヤモヤした。
0107 初春文楽公演 第1部
「寿式三番叟」
正面の舞台後方に9人の三味線と太夫が並ぶのは圧巻だが、客席に届く音が弱く感じた。音が天井に抜けてしまうのだろうか。
シンが清治だったせいか、三味線はテンポよく聞かせた。翁を呂勢、千歳を始、三番叟を睦と芳穂と、嶋太夫門下で固めていたのが感慨深い。
人形は和生の翁が格調高く。一輔、玉佳の三番叟は三枚目のほうを一輔、二枚目のほうを玉佳と本人のニンとは逆で、それも面白かった。
「欧州安達原 環の宮明御殿の段」
中を靖・錦糸。ますます安定感が増してきたよう。頼もしい語りだ。
次は咲甫・藤蔵。うなる三味線に語りもよく応えている。
前を英・清介。袖萩祭文など見せ場の多い場で、娘お君の健気さなど聞かせたが、やはり声が小さいのがつらい。
後は文字久・団七。時代がかった武士が活躍する場面ははまる。力強く頼もしい語り。
「本朝廿四孝」
十種香の段
津駒と休演の寛治に代わって清志郎。大役の重圧かやや硬かったように感じた。慎重な撥運びというか。
人形は八重垣姫を初役で勘十郎。人形からにじみ出るような感情はやはりまだ簑助には及ばないか。出の後ろ姿の印象が薄いし、恋に突っ走るところもかわいらしくはあるのだが、姫の気品に欠けるのか町娘のような気安さ。簑助が遣った腰元濡衣はしっとりとした色気。勝頼の和生は感情を抑えた様子がよい。
奥庭狐火の段
呂勢・宗助。八重垣姫のほとばしる思いを切々と。期待通りだが、それ以上を期待したくなる。宗助の三味線は的確。螺鈿の見台が豪華絢爛。
勘十郎もこちらは慣れたもの。最後は3人出遣いで左は一輔、足は勘次郎。狐の人形も和馬、玉延、玉路、玉彦が出遣いで。
15日に再見。三番叟の三味線は攻める度合いが増していたよう。清公病気休演で寛太郎が加わる。
9人がそろって語るところでも呂勢の声が一つ前に出ているように感じた。
2017年1月4日水曜日
0103 壽初春大歌舞伎 夜の部
「鶴亀」
鶴と亀に扮したおめでたい踊り。藤十郎の女帝はミニマムな動きに磨きがかかっている。
「口上」
藤十郎の披露は恒例となった読み上げスタイルだったが、歌之助を「歌右衛門」と言いかける間違いにハラハラ。
我當が痛々しい。新芝翫は気持ちの入った口上だった。
「勧進帳」
仁左衛門の富樫は颯爽として期待通り。だが、山伏問答が期待ほど盛り上がらなかったのは、芝翫の弁慶がゆったりしすぎているせいか。13日に再見。山伏問答は緊迫感が増していたが、期待値にはまだ足りない気がする。
「雁のたより」
鴈治郎の三二五郎七は柔らかいはんなりした雰囲気はいいのだが、二枚目には見えない。
0103 壽初春大歌舞伎 昼の部
「吉例寿曽我」
雪の対面という、雪景色が季節にあう。工藤祐経かと思ったら奥方梛の葉というパロディ。曽我兄弟は一万、箱王という名で、歌之助、福之助の兄弟が逆転しているのだが、歌之助は兄には見えないよなあ。それになんだか子供歌舞伎みたいだ。腰元に芝のぶや千寿、りき弥ら綺麗どころがそろって目に楽しい。梛の葉の秀太郎がきりっとした奥方で舞台を引き締めた。
「梶原平三誉石切」
新芝翫の襲名狂言で、石切梶原をやりたかったんだそうだ。
東蔵の六郎太夫が情があっていい風情。児太郎の梢はかわいらしいのだが、花道を引っ込むところがなぜか艶っぽく見えた。
剣菱呑助の弥十郎が酒の銘柄を掛けて襲名を盛り込んだセリフで沸かせた。
「恋飛脚大和往来 新口村」
仁左衛門、忠兵衛より孫右衛門のほうがしっくりくると思ってしまったことがショックだ。
2017年1月2日月曜日
0102 米朝一門会
小鯛「やかん」
吉弥「犬の目」
南光「阿弥陀池」
テンポよく落ちまで疾走するよう。
塩鯛「一人酒盛」
にぎやかな落語だ。
文之助「マキシム・ド・ゼンザイ」
高級店をちゃかした様子が面白いが、ちょっとうっとおし。
ざこば「一門笛」
ざこばお得意の人情話。上手いのだが、子ども井戸に身を投げるくだりが後味が悪い。
0102 天空狂言2017
「舞初式」
一門が勢ぞろいで厳かに。千五郎が当主になって初めてで、当主らしさが出てきたか。
「節分」
童司の鬼がなんだかかわいい。
「合柿」
柿売をあきら。渋そうな顔がたまらん。
1231 ミュージカル「ミス・サイゴン」
ダイアモンド☆ユカイのエンジニアに期待していたのだが、遠慮しているのか演技が小さく感じた。彼のキャラにはあっているし、もっと魅力的にできそうなのに。
キム(キム・スハ)やクリス(小野田龍之介)ら主要キャストは歌が上手いのだが、今一つ心に響かないのはなぜだろう。クリスがややぽっちゃりだったのも、説得力がない所以かも。子役が可愛かった。冒頭、ビキニ姿で煽情的に踊る女たちにびっくり。20年ほど前にロンドンで見たときは、こんなシーンはなかったと思うのだが。
登録:
投稿 (Atom)