ちょっとした言い間違いや言葉のすれ違いが誤解を生んで、こじれた話が最後にほどけるという、岡本尚子らしい作品。
冒頭の、暗転から絵本が浮かびあがる演出が印象的。
関西圏の郊外にある、住宅の裏のガレージを舞台に(柱だけのようなセットなので、はじめは何かわからなかったが…)、ミュージシャンを目指して上京するも夢破れて地元の工務店で働く竹内(太田清伸)や宅配の配達員(上瀧昇一郎)、白衣の男(小池裕之)らが出たり入ったり。住宅で暮らすのは、兄のまっさん(横田雄一郎)、次女梅ケ谷(岡部)、その娘うーちゃん(古谷ちさ)。その日は傘寿の父の祝いのために出かける準備をしているのだが、そこへ長女の元夫、松戸(稲垣卓夫)や、うーちゃんの幼馴染たけちゃん(駒野侃)も現れ…、と様々な立場の人が入り乱れる。
夢を追いかけるために地元を出ようとする若者(たけちゃん、うーちゃん)と、夢破れて地元にもどった年配組(竹内、梅ケ谷?)を対比しつつ、未来への希望を思わせる。
ドッペルゲンガー(ドップラー効果)にからめて、過去、現在、未来について語るところが分かりにくかったが、タイムカプセルとタイムマシンの言い間違いはよくできてる。タイムマシンじゃないけど、タイムカプセルにも同じような効果があるよね、という。
大阪弁満載のテンポが楽しい。岡部の貫禄が増していて、大阪のおばちゃんというより、経営者が政治家のようだった(悪口ではなくて)。容量の得ない小池の話を古谷が引き取る場面があったのだが、とたんに安心して聞くことができて頼もしく感じた。
2021年12月26日日曜日
12月26日 空晴「向こうの景色」
2021年12月25日土曜日
12月25日 新国立劇場バレエ団「くるみ割り人形」
イーリング版は1幕の前半はクララを子役が演じ、ほかの子どもたちが多く出演。男性主役がくるみ割り人形と王子に加え、ドロッセルマイヤーの甥という役どころで、冒頭からほぼ出ずっぱりというのは嬉しいのだが、クララの夢の中で憧れのお兄ちゃんがくるみ割り人形の化身になるという物語に共感できない。1幕が終わった段階では、やっぱりくるみは…と思っていたのだが。2幕の、金平糖の精と王子のグランパドドゥが圧巻。笑顔のチャーミングな池田理沙子・奥村康祐ペア。微笑みが絶えず、アイコンタクトがやさしく幸福感があふれる。これまで、くるみのパドドゥで感動したことってなかったのだけれど。2幕は花のワルツが優美で素晴らしかった。
指揮のアレクセイ・バクランが、曲と曲の間でやたら演奏者と対話してるのが印象的だった。
12月24日 十二月大歌舞伎 第二部
「吉野山」
七之助の静に松緑の忠信。
七之助は美しいのだが、痩せた顔が薄幸そうにも見える。踊り上手の2人なので不足はないのだけれど、やはり舞踊は苦手だ。
義太夫だけというのは歌舞伎では珍しいそうだが、三味線の音が軽いというか、頼りない。本業と違って聞こえるのはどうしてだろう。
「信濃路紅葉鬼揃」
玉三郎が若手5人(橋之助、福之助、歌之助の3兄弟に尾上左近、上村吉太郎)を率いる。前場は能仕立てで、静かな舞が続くのだが、6人の揃った動きが美しく、飽きさせない。フォーメーションの変化も見事。なかでも吉太郎が大健闘で、玉三郎と扇の向きや角度もピタリとそろっていた。体感がブレないのも素晴らしい。
左近はまだ子どもと思っていたら、15歳?ただ、5人の中では小柄で、圧倒的に顔が小さいのでよく目立った。後シテの鬼の化粧をしてしまうと誰が誰やら分からなくなってしまうのだが、左近だけは見分けられた。
維盛の七之助がすっきりとした美丈夫で、清々しい。静よりよかったかも。松緑の山神はすこしおどけた感じ。
2021年12月23日木曜日
12月23日 十二月大歌舞伎 第一部
「新版 伊達の十役」
序幕の足利家奥殿の場はたっぷりと50分近く。
猿之助の政岡は山城屋を思わせる。慈愛や母性は薄いものの、濃厚でこってりしてる。顔をアップで見ると、目張りがキツイせいか、悪役のように見えてしまうのだが(八汐といい勝負と思った)、遠目に見れば気にならない。千松の死を嘆くところは、胸を揺さぶるような情は感じられなかったが、いい発声で型をきっちりすると悲しみは伝わるのだなあと思った。義太夫の葵太夫もあって、重厚な義太夫狂言を堪能した。
冒頭、笑也の沖の井と笑三郎の松島という、澤瀉屋の美女2人並びがうれしい。
千松の市川右近が楽しみだったのだが、上手だったし、決して悪くはなかったのだけれど、特筆すべきほどでもないというか。千松ってだれがやってもそれなりに健気に見えるのかも。殺されて放置される時間が結構ながいのだが、じっと動かないのは立派。
鶴千代の幸一郎ってだれ?と思ったら、幸四郎の弟子だそう。
栄御前は中車。女形の白塗りで並ぶと、猿之助とよく似ている。
猿之助が節之助に替わる床下の段は短く。
休憩を挟んで、大詰は早替わりの猿之助ショー。絹川与右衛門、足利頼兼、三浦屋女房、土手の道哲、高尾太夫の霊、累、仁木弾正、細川勝元の8役に次々と入れ替わる鮮やかさはさすが。道哲の軽妙な踊りに、体幹の確かさを感じた。
猿弥と弘太郎が狂言回しの旅の尼に扮し、笑いを誘う。
玉太郎がねずみとあるので、着ぐるみ?と思ったら、鼠が変化した若衆姿で安堵。
2時間あまりの公演で、重厚な義太夫狂言やら早替わりやら笑いやらのてんこ盛り。すごく計算されていて、観客を楽しませる。コスパがいいと感じた。
2021年12月19日日曜日
12月19日 「能あそび」特別企画<さかさま会>
10日の公演を オンラインで視聴。予想以上に面白かった。
独鼓「四海波」は有斐斎弘道館館長の濱崎加奈子の謡に林 宗一郎の小鼓。発声がしっかりしているのは、普段から稽古しているからか。
ごあいさつは有松遼一。
落語は茂山逸平の「酒の粕」。桂枝雀の出囃子「ひるまま」を桂吉坊、林宗一郎、森田玲が演奏。
逸平の落語は軽やか。悪くないけど、普通のおしゃべりみたいだった。マクラのほうが知から入ってた?
狂言「柿山伏」は林宗一郎と有松遼一
能楽師の調子でセリフを発すると、重々しいというか…。軽妙な笑いではなかったけれど、それはそれで面白い。
能「船弁慶」
静御前は華道家の珠寳、知盛は笛方の杉信太朗、義経は茂山逸平、弁慶は林宗一郎、従者は森田玲、船頭は桂吉坊というオールスターキャスト。囃子方も、笛の有松遼一、小鼓の味方團、大鼓の河村晴道、太鼓の田茂井廣道と見慣れぬ顔ぶれ。
前場は比較的真面目にやっていたが、狂言方が入った後半は、吉坊や逸平が笑いを取りに行くから、面白くってしかたない。船頭が従者にからんだり、義経は船が揺れてグラグラしたり、知盛と対決して両手をあげて喜んだと思ったら、終わってふう、とため息をつくだけで笑いをとるのはさすが。そして、意外な活躍を見せたのが、知盛の杉信太朗。はじめは面をつけていたが、終盤は直面になって、膝立ちのまま義経達に迫る大立ち回り。弁慶の宗一郎が笑いをこらえられなかったのもツボった。生で見てたら拍手喝采だろう。
2021年12月17日金曜日
12月17日 国立能楽堂 定例公演
「成上り」和泉流
能村晶人の太郎冠者、炭哲男の主人、炭孝太郎のすっぱ。
やまいも がウナギになるのはいいとして、蛙がカブトムシとか、燕がトビウオって成り上がりなのか?
「海人」
金剛流にのみ伝わる変成男子の小書き。けど、女は成仏できないから男子に変ずるってなんだかなあ…。
廣田幸稔のシテ、子方は孫の明幸。前シテは体調もあって意識を飛ばしてしまったが、玉之段の舞はとんでもない。奪った玉を胸を切り裂いて隠すとは。後シテの龍王は、全長1メートルはあろうかという大きな龍の冠を被っての勇壮な舞。しっぽのあたりが動くようになっていたのには理由があるのだろうか。
2021年12月13日月曜日
12月12日 吉例顔見世興行 第二部
りき弥の名題披露で、夜鷹おとせ。花道の出で大向こうがかからないのが寂しいが、大役に緊張した面持ち。姉さん被りの手拭いの影から見える横顔が美しく、声もいい。ござを持ったまま、手拭いを外して、しまってとやることが多く、少し手間取っているようにも見えたが、他の人ならこんなに凝視しないから分からなかっただけかも。
お嬢が孝太郎、お坊が隼人と年齢差があるが、意外に(失礼!)違和感はなく。隼人のお坊はニンに合う。和尚の芝翫と3人並ぶのもしっくり。
「身替座禅」
仁左衛門の右京は品があり、見ているだけでこちらまでウキウキしてくる愛嬌に溢れる。驚いたり、膨れたり、バツが悪かったりと、表情のひとつひとつがチャーミングで、つい引き込まれる。
芝翫の玉井は、濁声のわわしい奥方。可愛さより強さが勝るが、笑いどころはしっかり押さえていた。
太郎冠者の隼人は、びっくりして飛びのく動きがややオーバーに感じたが、軽妙なのがいい。
千枝の千之助、小枝の莟玉はビジュアルは人形のような可愛さで、声も可憐。莟玉と並ぶと千之助の所作が至らないのが目についたが…。
12月11日 吉例顔見世興行 第三部
幸四郎の上方歌舞伎はやっぱりしっくりしないなぁと思ったが、脇を上方勢が固めたので全体としては楽しく見られた。
冒頭、髪結の店先で仲居お君の竹三郎と下剃竹造の松十郎の二人芝居に胸熱。若いというほどでもないが、老女でない女方を演じるときの竹三郎には華やぎがある。お元気そうで何より。医者玄伯の千次郎と松十郎のやりとりも軽妙で楽しい。愛妾司の千寿は大役への抜擢に応え、しっとりとした美しさで役割を果たした。花車お玉の吉弥はしっかりと場を引き締める。愛三郎が丁稚で、成長ぶりが頼もしい。
「蜘蛛絲梓弦」
愛之助が5役を勤め、早替わりの鮮やかさはそれほどでもなかったが、ケレンみが満載で、楽しい一幕。小姓から太鼓持ちへの早替わりは舞台上で幕から顔だけ出して、甕から引っ込んで座頭へ変わると上手の花瓶?の下から登場、さらに下手の御簾内へ引っ込んでせり上がると傾城にと、いろいろ工夫していた。痩せて輪郭がシャープになったので、傾城がよく似合い、節目がちな顔つきが美しかった。
2021年12月10日金曜日
12月10日 文楽鑑賞教室Aプロ
解説は亘・清公のコンビ。
まだ慣れないせいか、真面目で硬い印象。実演で、裏門を語るのはいいとして、婆も武士も、「腰元おかる」のままはどうか。セーラー服の団体客がいたせいか、急に自習になってはしゃぐ子どもたちといって「寺子屋」の一節を語っていた。
「野崎村の段」
中を碩・友之助。
盆が回ったところで、ヒューと歓声があがる。今の子にとってはそうなのか。
碩の安定感たるや。はしゃぎ過ぎず、ちょうどいい感じ。三味線も手堅い。
前は希・清馗。
とても聞きづらく、後半は大分意識が飛んでしまった。
後は睦・宗助、燕二郎のツレ。
睦は女の詞の高音がことごとく擦れて辛い。男の詞や地は悪くないのに。宗助の三味線が良かっただけに、残念だった。ラストの駕籠かきと舟での道行、足拍子が三味線と合っていないのはいかに。
人形は勘彌のおみつは少し老けて見え、久松の玉勢、簑一郎のお染も特筆すべきことはなかった。
12月9日 泥人魚
唐十郎が宮沢りえをイメージして書いたという戯曲だけあって、宮沢の存在感がひときわ際立つ舞台だった。冒頭、潟スキーで登場したときは、おさげ髪の無垢な少女。あまりに小柄に見え、子役かと思ったほど。磯村優斗演じる蛍一と無邪気に戯れていたところ、諫早湾の潮受け堤防を思わせる水門が次々と落とされ、遮断される。本水を使った演出はいいが、映像が併用されていたのはどうか。磯村は声が涸れ気味で、そのあとも続く膨大なセリフが辛かった。
まだらボケの詩人でブリキ店の主、静雄役の風間杜夫は変幻自在の怪演でアングラな世界観を表出。月影小夜子役の愛希れいかは、宝塚出身らしい凛とし立ち居振る舞いが役に合っていたが、もう少し毒気があってもいいかも。シェネのキレの良さはさすが。ヘルパーとおじゃる丸役の大鶴美仁音はセリフがよく、しっかりと存在を示した。
ただ、何より印象的なのは宮沢演じるやすみ。唐作品らしい、神秘的で色気のある女性で、1幕の終わりで、鱗に見立てた桜貝を張り付けた太ももをあらわに、水をかけるシーンや、2幕のクライマックスで同じ太ももに十字架を突き立てるところの凄烈な美しさ。澄んだ声で紡ぐ詩的なセリフも耳に心地よかった。
ただ、宮沢の好演が突出していた印象で、舞台全体としては消化不良な感じ。これまで商業演劇での唐作品を何度か見たが、どれも同様だった。役者はどれも悪くなかったと思うのだが、紅テントで感じたような、陶酔感というか、非現実感というか、唐の世界が醸し出す毒気のようなものが薄い。あの独特の空間でないと、戯曲の魅力が十分に発揮されないのか。
2021年12月7日火曜日
12月6日 文楽鑑賞教室 Bプロ
解説は簑太郎。体調がすぐれなかったこともあったが、ほとんど寝てしまったのは退屈だったからだと思う。首の解説で「見えないでしょうけど」って言うなら、映像を使うなりの工夫をしては?
「新版歌祭文」
中を亘・寛太郎。
何だか音程が合っていない感じで、寛太郎が弾きにくそうに見えたのは気のせいか。亘はやたら楽しそうに語っているのだが…。チャリっぽい場面だからそれでいいのか?
前を芳穂・勝平。
このところの芳穂は小さくまとめようとしているように聞こえる。師匠の影響か、そろりそろりと歩を進めているような。勝平の三味線も、いつものおおらかさがなく、鳴りが小さく感じた。
後を藤・藤蔵、清允のツレ。
この並びということもあろうが、ダントツに上手かった。登場人物の表情が豊かだし。
藤蔵は唸り声に加えて、「嬉しかったはたった半時」のあたりで悲壮感のある表情。こんなに顔に感情を乗せて弾く三味線って初めて見た気がする…
人形は一輔のおみつ、紋臣のお染は適役。久松の清五郎が、登場時から身の置き所のない哀れがただよい好演。久作の玉也はさすがの安定感で、出てくるだけで場に説得力が加わる。
2021年12月5日日曜日
12月5日 新国立劇場オペラ「蝶々夫人」
2021年12月4日土曜日
12月4日 文楽公演
「仮名手本忠臣蔵」
桃井館本蔵松切の段は小住・清丈。
小住は少し声の調子が不安定なところもあり、あたらしい師匠の影響? 素質はいいはずなので(配信で聞いた「出世景清」はよかった)、本領を発揮してほしい。清丈の三味線は安定感がある。
下馬先進物の段は南都・団吾。
南都らしくない、だみ声っぽい語りは、場の演出? 団吾はロックしてた。
殿中刃傷は靖・錦糸。
冒頭の低音は苦戦が感じられたが、師直のいじわる振りは悪くない。刃傷に及んでからの立て詞にもっと勢いがあるといいかと思った。三味線は案外淡々と。
塩谷判官切腹は織・燕三。
織の床本は⑧綱太夫のものだそうで、白木の見台に気合を感じる。いつもの力んだ感じがなく、訥々と語る様子は悪くない。が、全体的に元気で、判官が刀を突きつけてからもあまり死にそうでなく、由良助の到着が案外早かったように感じてしまった。師匠の咲とはやはり違うなあと。「九寸五分は汝へ形見」の「かた」は咲に似てると思ったが、「み」でそうでなくなった。
燕三の三味線は、静謐で、心地よい緊張感。
城明渡しは碩・清允。
御簾内だったので姿は見えなかったが、最後の「はったとにらんで~~」がいつもより控えめな感じ?
道行旅路の嫁入りは呂勢、咲寿、亘、聖、薫に清志郎、清公、錦吾、燕二郎、清方。
城明渡しで終わらず、最後に景事を入れてくれるのはありがたい。呂勢の美声に癒された。
ユニゾンで語るところは、不協和音?と不安になったけど。
人形は清十郎の戸浪と簑紫郎の小浪に情感があってよかった。
若狭之介の玉佳の顔芸はあまり気にならないというか、役と一体になってるのに、玉助の師直はうるさく見えるのはなぜだろう。
判官の簑二郎は慣れないせいか、切腹の緊張感が薄いように感じた。
玉志の由良助は、城明渡しでの掛け声が控えめでよい。
12月16日に再見。
靖は低音が出るようになっていたものの、嫌みっぷりが控えめになったよう。
織に何か違うと感じるのはなぜだろう。若いから重厚感が不足しているのか、ちょっと語り急いでいるような気もする。あと、いろんな意味で格好良すぎるのか。無念さとかいうより、勇んで死ににいくような感じというか。燕三の三味線が奏でる静謐さが場を引き締めていた。
城明渡しは掛け声や合図なしに「はったとにらんで~」となった。人形の動きを見ていたのか。碩は声量もたっぷり。
2021年11月28日日曜日
11月27、28日 新国立劇場バレエ団「Dance to the Future:2021Selection」
「Coppelia Spiritoso」木村優子、木村優里
優里の振付。2人は姉妹なのかな。砂時計が回転し、人形が動き出す。コッペリアのワルツに乗って少女が戯れるようなかわいらしい踊り。舞台が暗転すると、今度は人形と少女が入れ代わり、再び砂時計が回る…という演出だったのだが、暗転したところで気の早い観客が拍手をしてしまい、ムードが台無し。
「人魚姫」米沢唯、渡邊峻郁
米沢の人魚姫がはかなくて、陸に上がったばかりで、足が頽れてしまう様子も可憐。軽々としたリフトが宙を舞うようだった。
「コロンバイン」池田理沙子、渡辺与布、玉井るい、趙戴範、佐藤和輝、高橋一輝
赤、黄、青の3組の男女ペアによる、青春の輝きみたいな作品。ちょっとコケティッシュな感じもあって、楽しい。衣装がちょっと昭和っぽかった。
「≠(ノットイコール)」柴山紗帆、益田裕子、赤井綾乃、横山柊子
出演4人による共同振付だそう。抽象的な音楽、黒、白の衣装に分かれ、時にシンクロして、時に対峙して踊る。これも終盤に暗転から再びシーンが続くのだが、気の早い拍手が…。暗転の直前、柴山が振り返って何かに向かうような動きがあって、明らかに続いている感じがあったのになあ。
「神秘的な障壁」米沢唯/木村優里
ベージュのビスチェのようなものとショートパンツをまとった上にシフォンのようなガウンをまとった衣装。裸みたいにしたいのか。
「Passacaglia」小野絢子、福岡雄大、五月女遥、木下嘉人
ありきたりなコンテという感じで、あまり印象に残らず。
「ナット・キング・コール組曲」
聴きなれたスタンダードナンバーに乗って、スタイリッシュな踊り。バレエダンサーが踊るととても洗練されて見える。
11月28日 淡路人形座
渋谷の伝承ホールで公演。1人空けの座席はほぼ埋まっていた。
「伊達娘恋緋鹿子」
人形浄瑠璃というとこれなのね。お七の振りがくさいというか、少しオーバーアクションぎみ。太夫の友富士は高い声だが、義太夫というより、大衆演劇の裏声のよう。
三味線の友弥は音が軽い。
「日高川嫉妬鱗」
文楽にはない、天田堤では、道行く人々に安珍の行方を尋ね、渡し場では、蛇ならぬ緑色の龍に姿を変える。清姫の髪がはじめからほつれていたのは演出か? ガブと娘の顔との入れ替わりがあまりなく、けれん味が伝わりにくいのではと思った。
太夫は友里希の清姫に友庄のその他(通行人や船頭)。三味線は友勇で、安定感があった。
2021年11月27日土曜日
11月27日 アルトゥロ・ウイの興隆
シーンごとに字幕が映し出され、国会議事堂放火やレームの暗殺、オーストリア併合など、比喩で表している実際の事件の解説が入るのだが、説明過多に感じた。具体的な事件といちいち照会しなくても、理不尽な出来事が重なって、独裁者の台頭を許してしまった怖さは伝わると思うのだが。
アルトゥロ・ウイの草彅は初めからスター然として登場するのだが、滑舌がいまいち。途中、スピーチの訓練をして変わるのかと思ったら、そうでもなかった。そして、踊りも歌も、私には響かなかった。
2021年11月20日土曜日
11月20日 横浜能楽堂普及公演
「鎌腹」
善竹隆司のシテ、妻は山本則重、仲裁人は隆平。
隆司は田舎者っぽいおおらかさ。山本はわわしい女房だが、ちょっと声が大きい。隆平が常識人ぽい。
「鵺」
宇高竜成のシテ、ワキは有松遼一、アイに隆平。
竜成は面をかけていてもよく通る声が聴きやすい。金剛流らしい、ダイナミックな舞も見ごたえあり。後場の面は鵺(現代鵺含む)のみに用いる専用面なのだそう。
地謡は黒いマスク着用。若宗家がときおり布をつまんでいたのは、息苦しいのかしら。
囃子方の大鼓(佃良太郎)と小鼓(住駒充彦)が合っていないような気がした。
2021年11月14日日曜日
11月14日 錦秋文楽公演 第2部
「ひらかな盛衰記」
大津宿屋の段は靖・錦糸に錦吾のツレ。
この段も初見。子どもが取り違えられたのはこういうわけかと納得。でも、子どもらが行燈を倒してしまったときは、火事になるのではとハラハラした。(ただ真っ暗になるだけで、そのせいで子どもを取り違えたと)
笹引の段は咲・燕三。切場ではないので「切」字はつかず。
立ち廻りがあったり、三味線の手は面白い。お筆が格好いいが、死んだ主人を笹(竹?)に乗せて運ぶのはいかに。
松右衛門内の段は中を希・勝平、奥を呂・清介。
希は頑張ってはいたけれどあまり印象にのこらず。
呂はいつも通り。権四郎があっさり納得してしまうので???となった。
逆櫓の段は睦・清志郎。
睦は「やっしっし」は大きな声で勢いもあってよかったが、終盤高音がかすれてしまったのが惜しい。疲れがでたか。清志郎は複雑な手に気合の入った弾きっぷり。
人形は玉男の松右衛門が大きさがあって堂々としてた。玉也の権四郎、勘弥のおよし。
11月14日 錦秋文楽公演 第1部
「芦屋道満大内鑑」
保名物狂いの段は口を碩・燕二郎(簾内)、奥を織、小住に藤蔵、清公。
奥は登場人物で語り分けるのかと思ったら、悪右衛門を織も小住も語っていて、どういう分担なのか分からず。保名物狂いは初めてみたが、狐が助けられ、保名と夫婦になる経緯がよくわかった。なるほど。
葛の葉子別れの段は中を亘・友之助、奥を錣・宗助。
体調がすぐれなかったせいか、あんまり泣けなかった。
蘭菊の乱れは呂勢、芳穂、咲寿、亘、碩に清治、清馗、清丈、清允、燕二郎の5枚5挺で華やか。舞台一面の白菊が雪景色のようでもあり。
人形は和生の女房葛の葉が、しっとりとしつつも、狐らしい仕草で童子をなめたりと、人ならぬものの風情。蘭菊の乱れは一人舞台。
紋臣の葛の葉姫は可憐。童子は勘次郎で、このところ子役が多いようだが、幼気でかわいらしい。
2021年11月13日土曜日
11月13日 錦秋文楽公演 第3部
「団子売」
またか、というか、なんでここで団子売?という感じが否めない。は〇〇〇のような床は、お臼が三輪、杵造が希、ほか津国、南都、薫、文字栄に三味線は清友、団吾、寛太郎、錦吾、清方。
薫が眼鏡、マスク着用のまま舞台に出てきたので「ええ!?」と思ったが、客席にお辞儀をするころに気づいて外していたのでほっとした。周りの人は注意してあげないのかしら。
ツレの面々も、一言ずつ一人で語るパートを作ってもらっていたようだけど。
人形は玉勢と簑紫郎。
「ひらかな盛衰記」
辻法院の段は藤・團七にツレの清允。
法院と源太が障子の影で見えないあいだ、ツメ人形の百姓たちがガヤガヤする面白い場面。
神崎揚屋の段は千歳・富助に寛太郎のツレ。
以前、素浄瑠璃で聞いた時よりは物語が分かりやすかったが、なんだかなあという話だ。梶原源太のダメ男ぶりっにまったく同情できない。なんでこんな男が色男ってことになってるの?
人形は辻法院の玉佳、源太の玉助と、顔芸が先に立つ2人。梅ヶ枝の勘十郎はこういう役は好きそう。金策に必死の梅ヶ枝が、舞台下手の垣に頭を突っ込んでいる…と思ったらさばいた髪になって出てきた。確かに花魁の頭のままでは狂乱できないよなあとなっとく。
2021年11月7日日曜日
11月7日 吉例顔見世大歌舞伎 第二部
「寿曽我対面」
十世坂東三津五郎七回忌追善で、巳之助が初役で五郎を勤める。緊張感のあるキリっとしたいい五郎。セリフにも力があり、終盤は衿が汗で変色するほどの熱演。五郎はこうでなくては。時折素が見えるような感じがあったのが惜しい。十郎の時蔵と並んでも見劣りはしなかった。
工藤祐経の菊五郎をはじめ、大磯の虎の雀右衛門、朝比奈の松緑ら、菊五郎劇団の面々が脇を固め、見応えのある対面。化粧坂少将の梅枝も美しかった。
「連獅子」
仁左衛門が史上最高齢の御年77歳で親獅子に挑むというのが話題。親獅子は堂々と大きく、神々しさすら感じさせたが、全体としてはあまり感動できなかった。
出だしから時折、千之助の足元へ視線をやって気遣う様子は、役というより、中の人の心配に見えた。中盤からはだんだん役に入っていったが、谷底へ蹴落とした仔獅子を気遣ったり、生還するのを慈愛に満ちた眼差しで見守ったりというのはいいのだが、受ける千之助のほうの成長があまり感じられなかった。いや、成長はしたのだろう。余裕がある様子で、終始落ち着いて舞台に立っていたが、その分懸命さや健気さが感じられなかったのがマイナスポイント。花道を後ろ向きに引っ込むところはもっとスピード感が欲しかったし、片足立ちになると体の軸がぶれるなど、まだまだだなあと思うところも多々あった。
毛振りはゆったりと大きく毛を振る仁左衛門に対し、千之助が中盤スピードを増して若さで押していくのはよかった。
宗論は又五郎と門之助。又五郎が痩せたせいか面差しが変わり、別人のようだった。
2021年11月6日土曜日
11月6日 東京バレエ団「かぐや姫」ほか
労働者階級のようなジャケット・パンツにハット姿の群舞が、様々なフォーメーションで舞台に展開するがベジャールらしく、面白かった。
金森はバレエ団への振り付けは初めてだそうだが、群舞もパドドゥも金森らしさがありつつも、美しく自然な感じ。道児の柄本弾をはじめ村人や童、かぐや姫、翁も裸足なのは、田舎の表現か。ラスト、着飾って都へ行く場面のかぐや姫はポワントだったので、その後はポワントの踊りになるのかな。
かぐや姫の秋山瑛は小柄で可憐な様子がかぐや姫に似合いそう。1幕は子ども時代のためか、やんちゃで元気がいい。
残念だったのは、背景に映像が使われていたところ。冒頭の桜の花びらは安っぽく、竹林や小判が飛び出すところなどは、舞台表現で十分だろう。スクリーンに映るものを見たいなら映画館に行けばいいので、舞台芸術に持ち込むのは興ざめだ。冒頭から登場する、波や竹林を表現するコールドの衣装もいただけない。メタリックな光沢のある(ラメではないらしい)生地で手や脚の側面にフリンジがついているのだが、安っぽく見える。絹の光沢くらいに抑えるほうが、場面の美しさが際立つのになあと思った。
11月5日 第十六回山井綱雄之会「新作能 鷹姫」
冒頭にシェイクスピア「ヘンリー六世」の一場面。戦場で父を殺してしまった息子(島田惇平)と、息子を殺してしまった父親(廣田高志)が演じたのだが、新劇らしいセリフのテンションと音量に調子を崩され、その後の鑑賞に集中しにくかった。
この劇の主役と思しき空賦麟(クーフリン)を山井綱雄。くどいくらいの熱演。はじめに登場する老人の櫻間金記は小柄な容姿がこの世ならざる者のよう。2人目の老人、観世喜正と身長差があるので、同じ老人?という感じがした。
コロスは紋付袴に、顔の上半分を覆うマスクとヴェールのようなものが付いた帽子のようなものを被っているのだが、あまり見栄えがしない。コロスが舞台上をランダムに動き回るのは、時折動きに迷いがあるように見えた(多分、各々の動きを把握しきれていないのだろう)。
演出はカクシンハンの木村龍之介。能楽師でない演出家を立てるのは能楽史上初めての挑戦(書き下ろしの脚本家が演出するケースは別)で、鷹姫の歴史に爪痕を残したと自賛していたが…。もっとブラッシュアップして再見したい。
2021年11月3日水曜日
11月3日 国立劇場バレエ団「白鳥の湖」
木村優里・渡邊峻郁ペアは正直言って、今一つ。
渡邊の王子は、1幕の憂いは悪くないが、少し幼いというか、青いというか。なんだか高校生のよう。踊りも、体を反らすポーズなどもう少し粘ってほしいと感じた。3幕は演技が拙く、喜びの表現はわざとらしく見えて思わず苦笑してしまった。特筆すべきは3幕のソロで、トゥール・アン・レールを2回づつ続けて飛んでいたところくらいか。(ほかの人は1回だったと思う)
木村のオデットは柔らかみが足りないように見えた。腕の動きとか、体を反らすところとか。オディールもなんかもの足りない感じ。
帰国したポール・マーフィーに代わって冨田実里が指揮。1幕のプロローグなどはワクワクする高揚感がすごくよかったのだが、2幕はちょっとちぐはぐな感じがあった。けれど、小柄な全身を使って指揮するせいか、オケを引っ張っていく気概を感じる。指揮者が変わるとこんなに演奏が変わるものかと驚いた。金管はちょっと残念で、ファンファーレのトランペットはがっかりして苦笑してしまったし、ホルンも調子が外れた。
2021年10月30日土曜日
10月30日 新国立劇場バレエ団「白鳥の湖」
小野絢子・奥村康祐ペアは一番の期待を上回る大満足の舞台。今まで見た中では、ダントツの1位をささげたい。
奥村の王子は、1幕はナイーブ、2幕でオデットと出会い惹かれていく様を丁寧に描く。白鳥の王子にキュンとしたのは初めてだ。3幕は、オディールの登場での喜びから、裏切られたと知り絶望に落とされる落差が切ない。テクニック的には、3幕のソロの音楽が他の日よりテンポが速かったり、リフトの安定感がちょっと足りないように見えるところもあったけれど、役を演じるという点ではずば抜けていたと思う。愛おしい王子だ。
小野のオデットは優美。白鳥たちを束ねる王女たる気品を感じさせる。ポスターのビジュアルで、オディールはどうかと懸念していたが、何のその。自信にあふれ、誘惑する様が魅惑的。オデットのマネをしてしおらしくする一方、挑発するような視線を投げるなど、メリハリの利いた演技が良かった。フェッテはシングルで始めてダブルを数回挟む程度で、基本シングルだし、技術的には米沢に譲るが、役を演じるという意味ではとてもよかった。
ポーランド王女の池田理沙子が転倒するハプニング。
2021年10月26日火曜日
10月26日 新国立劇場バレエ団「白鳥の湖」
柴山紗帆・井澤駿ペア。
柴山のオデットはテクニックに不足はないが、慣れないせいか演じることを楽しむというところまで至らず、やることをこなすだけで手いっぱいという感じ。ところどころ音楽を十分に使い切れていないところもあり、惜しかった。どちらかというと、オディールのほうが、メリハリの利いた踊りで似合うように思った。
井澤の王子は、少し長い髪が獅子のたてがみのよう。情感を感じさせる演技ではあるが、ちょっと物足りない。ソロでは高いジャンプを披露し、テクニックも見せつけた。
クルティザンヌの緑のドレスのほう(広瀬碧?)の音の取り方が気になった。3人で並んで踊るところで一人ちょっと遅れ気味というか、音楽に合っていない感じがした。
2021年10月24日日曜日
10月23日 新国立劇場バレエ団「白鳥の湖」
初日の米沢唯・福岡雄大を鑑賞。
冒頭、20日に亡くなった牧亜佐美元舞踊芸術監督への追悼が字幕に表示され、ロビーにも写真が飾られていた。
ピーター・ライト版は初見だったが、王子の描き方に特徴がある。プロローグは父王の葬儀の場面で、1場では早く妃を娶って王位を次ぐよう、王妃からプレッシャーを掛けられている様子が描かれる。福岡の王子は、ちょっと感情表現がぎこちない感じもあるのだが、1幕の憂い、2幕でオデットと出会ってからの歓喜、3幕でオディールに幻惑される様などを丁寧に表現していたように思う。
米沢のオデットは、羽のように軽く、折れそうに華奢な感じ。オディールの打ち出しはちょっと弱いようにも思ったが、終始ロットバルトと目くばせし、悪巧みをしている感じがあった。トリプルを連発したフェッテは圧巻。振り付けのせいか、オディールがオデットの振りをしている感じがあまりなく、あっさり騙されてしまった王子が間抜けにみえた。
4幕の冒頭、スモークがたちこめるなかから、白鳥たちが浮かび上がる幕開きに拍手がわいた。
ロットバルトは貝川鐡夫。2幕、3幕、4幕と全然別人のようないでたち。最期、被り物(冠?)を奪われて、禿頭をさらされ、みじめにのたうち回るのだけど、何で王子に敗れたのかよう分からん。
2021年10月22日金曜日
10月21日 外国人のための能楽鑑賞教室
外国人の、と銘打ってはいるが、客席の9割がたは日本人だったような。解説のリチャード・エマート武蔵野大名誉教授は、能の稽古をしているようで、謡やすり足、舞の型などの実演を交えて。コトバとフシの違いはともかく、強吟と弱吟の違いは日本人でも分かりにくいと思うので、外国人向けの解説で必要なのかどうかは疑問に思った。
狂言「口真似」
大蔵基誠の太郎冠者、吉次郎の主、弥太郎の客。大蔵流らしいおかしみ。弥太郎のちょん髷は外国人の目にどう映ったろうか。
喜多流「高砂」
大村定のシテ、友枝真也のツレ、ワキは御厨誠吾。
もしかして、高砂をちゃんと見るのは初めてだったかも。登場人物は地味ながら、後半の舞が華やかなのが初心者むけなのだろうか。
2021年10月21日木曜日
10月20日 ジュリアス・シーザー
ブルータス役の吉田羊は、中世的な感じながら凛々しく、台詞がいい。感情の起伏に説得力があった。最期、可愛がっていた小姓に自殺の手助けをさせるのは、それまでの態度とのギャップが??だったが。
松本紀保のキャシアスは、意外にセリフがよくない。男の声にしようと作り声にしている感じで、アニメの声優のような不自然さが聞きづらく、前半、キャシアスの長台詞が度々あったので、つい意識を逃してしまった。
逆の意味で意外だったのは、アントニウスの松井玲奈。低い声が力強く、一番男を感じさせた。中盤の長演説も聞かせた。
2021年10月20日水曜日
10月17日 Noism Company Niigata × 小林十市「A JOUNEY~記憶の中の記憶へ~」
Noism Featuring 小林十市といった感じ。
「Opening Ⅰ」から「追憶のギリシャ」旅行鞄を手に舞台の上に一人佇む小林のもとに、金森穣、井関佐和子が合流し、3人の踊り。
さらに、椅子を手にしたダンサーらが三々五々集まり、舞台下手に移動した小林の前で「BOLERO 2020」。お馴染みの曲だが、振りは全く違って、それぞれのソロをパッチワークでつなぎ合わせたよう。だが、時々ユニゾンの動きになるのが面白い。最期は円陣になったダンサーの真ん中で小林が踊る、ベジャール版を思わせる演出。
2部の「The 80's Ghosts」はグレーの衣装を着たダンサーたちが、スモークの中舞台後ろから現れ、ゾンビのように舞う。
最後、舞台に1人残った小林が、冒頭と同じようになって幕。まるで、エンドレスでリピートするかのよう。
Noismのダンサーたちは、皆身体能力が高いのだが、群舞になると井関の動きがひときわキレがいいのが分かる。ちょっとした角度やスピードの違いなのだろうけれど。小林もブランクを感じさせない踊り。後で、ケガを押しての出演だったと知って驚いた。
2021年10月17日日曜日
10月17日 文楽巡業公演@神奈川県立青少年ホール 昼の部
「一谷嫩軍記」
熊谷桜の段は芳穂・寛太郎。なんだか、芳穂の音程がふらふらするというか、細かな抑揚つけすぎというか、新しい師匠の癖みたいなのを感じてしまったのはうがちすぎだろうか。寛太郎がちょっと弾きにくそうに見えた。
熊谷陣屋の段は前が呂勢・清治、後を呂・清志郎。
呂勢の語りに貫禄が出てきたというか、どっしり構えた感じが頼もしい。相模、藤の局の女性陣はもちろん、熊谷や弥陀六やらの低い声もしっかりして、時代物の重厚感が感じられた。何より、義太夫節らしい。
一方の呂は、、、。盛り上がるべき首実検の緊迫感のなさといったら……。気が抜けたソーダのようで、物足りないこと甚だしい。
人形は玉志の熊谷がちょっと役者不足な感じ。玉也の弥陀六に安定感。
2021年10月16日土曜日
10月16日 モーリス・ベジャール・バレエ団「バレエ・フォー・ライフ」
以前、映像で見たときはピンとこなかったのだが、1曲目の「It's a beauteiful day」から涙があふれた。クイーンのドラマチックな曲と、身体能力の高いダンサーの動き、リズムの取り方の心地よさがあいまって、何とも言えないハーモニーを醸し出していた。国籍も肌の色も異なるダンサーたちが一体となって作り出す美しい舞台は調和という言葉が似つかわしい。ベジャールの作品で一番好きかも。クラシックの基礎と、少し外れた、時にコミカルな動き、リズムと振りの合わせ方がとてもよく、ロックとベジャールの振り付けは相性がいいように思う。やはり、舞台は生で見ないと分からない。
ベルサーチの衣装はスタイリッシュ。白地に様々な黒のラインが入った、スポーツウエアのような衣装に始まり、一見、黒や赤のタイツだが、サイドがすける素材になっていたり、鮮やかな原色が刺し色のように使われたり。冒頭の白いシーツや、花嫁衣裳のヴェールやドレスの裾といった、、ファブリックの遣い方が洒落ていて、眼に楽しい。照明の遣い方も見事だった。
日本公演だからか、日本出身のダンサー(大橋真理、大貫真幹、岸本秀男)にいい役が付いていて、目が行った。「Radio GAGA」でソロを踊ったのも日本人かと思ったら、中国出身のスン・ジャユンだった。正六面体の白い箱の中に、男性ダンサーがぎゅうぎゅうに集まって踊る面白さ。同じ箱の中で男女が白い羽を降る雪のようにまき散らしながら踊る「Winters Tale」も美しかった。
ラスト近く、「Break Free」に合わせてジョルジュ・ドンの映像が流れたのだが、道化のようなメイクのアップが多く、なぜこの映像? どうせなら踊る姿が観たいと思ってしまった。
ラストは藝術監督のジル・ロマンを中央に、ダンサー一人ひとりが舞台袖から出てくる演出。一人ひとりと手を取り合う姿が感動をよぶ。(――と思ったら、初演時にベジャールがやっていた)
2021年10月10日日曜日
10月10日 国立劇場10月歌舞伎公演
「伊勢音頭恋寝刃」
伊勢街道相の山の場からの通し上演。
梅玉の貢は持ち役だそうだが、思ったとおり華がいまいち。セリフが淀むところもあったりして。
出色だったのは、梅枝のお紺で、愛想尽かしのセリフのよさ、色気と品があって、これぞ立女形という風情。お紺に目を奪われたのって初めてかも。お岸の莟玉も可憐でよかったが、これは期待通り。萬太郎の奴林平は何となく愛之助を連想したが、奴ってこういうものか。お鹿の歌昇はかわいげがなく、ただの不細工。女形は初めてだそうだが、台詞が硬いのがいけないのか、化粧も可愛くしようという気が感じられないというか…。藤浪左膳と料理人喜助の又五郎が面変わりするくらい痩せていて驚いた。
それにしても客入りの悪さにも驚いた。日曜だというのに1階席センターはガラガラ。
2021年10月9日土曜日
10月9日 JACSO特別公演 神仏の心
聖徳太子1400年紀(遠忌)とのことで、所縁の演目を。
狂言「太子手鉾」
野村萬斎の太郎冠者、高野和憲の主。物部守屋を止める=漏屋を止めるの語呂合わせなのだそうだが、和泉流の狂言って笑えない。
舞楽「萬歳楽」「蘇莫者」
天王寺楽所雅亮会による。萬歳楽は中年男性4人の舞手だったのだが、これが美少年だったら…と思ったり。蘇莫者は猿のような面をつけ、面白い動きをする舞。
創作能舞「太子の心」
辰巳満次郎が善養寺恵介の尺八で舞う。太子の霊が自分の功績を語る内容は凡庸というか、面白みに欠けるのだが、能楽堂に朗々と響く満次郎の声量に感心した。
能「弱法師」
観世銕之丞のシテに宝生流の地謡という異流共演。
銕之丞が少し高い音(テナーって感じ)で謡う声がよく、橋掛かりから出てきてシテ柱に縋り付くところの姿に目を奪われた。
2021年10月5日火曜日
10月3日 金春会定期能
「小鍛冶 白頭」
中村昌弘のシテ、ワキ野口能弘、ワキツレ野口琢弘、アイ大蔵弥太郎。
はじめ番付にワキツレが書いていなかったので、はじめに出てきた人は誰?と戸惑ってしまった。
古風という金春流の流儀なのか、派手さはないけれど、地に足の着いたような落ち着きを感じた。
「栗燒」
大蔵吉次郎のシテに榎本元のアド。
「浮舟」
辻井八郎のシテ、ワキは高井松男、アイ大蔵基誠。
辻井はビブラートがかかったような美声。舞も優美。
お囃子は高野彰の大鼓、鳥山直也の小鼓、栗林祐輔の笛で、バランスよくばっちりあっている感じがした。
「融」
櫻間右陣のシテ、福王和幸のワキ、大倉教義のアイ。
福王家の人たちは声がいい。
2021年9月30日木曜日
9月30日 第二十七回 能楽座自主公演
舞囃子「善知鳥」
梅若紀彰の颯爽とした舞。踵を返すところや笠を投げるところなど、目が覚めるよう。善知鳥は能のほうが様になる気がする。地謡が舞台右奥を背に斜めに座るのは観世流。
狂言「鍋八撥」
野村万作の鍋売り、裕基の鞨鼓売り、萬斎の目代の三世代共演。やはり和泉流の狂言はさらっとしていて、なかなか楽しめない。最後、意気揚々と側転を決め鞨鼓売りに対して、とてもできそうにないとしょんぼりする鍋売りの表情が絶妙。
一調「起請文」
宝生欣哉と亀井広忠の大鼓。大鼓が連打するのってこれまであまり聞いたことないような気がする。
舞囃子「邯鄲」
栗谷明生は謡の声もはっきりしているし、舞も力強い。地謡が横向き(通常の能の上演のよう)なのは、喜多流の流儀か。
仕舞「忠度」
櫻間金記。少し枯れた芸って感じ。
一調「玉之段」
武田孝史と観世新九郎の小鼓。朗々とした声。
一調「野守」 観世銕之丞と金春惣右衛門の太鼓。貫禄の銕之丞に対し、太鼓のリズムが若い感じがした。
連吟「猿歌」替
野村万蔵、萬、万之丞の三世代共演。万作よりは萬のほうが声が聴きよい。
能「鷺」
大槻文蔵の鷺に梅若実玄祥の帝、蔵人は福王茂十郎に大臣が知登ほか。冒頭出てきた千五郎の官人が立派ななりと声で、空気が変わる。実玄祥は入退場時、左右を固める輿持ち(?)が横に渡したバーにつかまってという新技を披露(!)。ワキ座のあたりで床几に腰かける際は杖や弟子(川口晃平)につかまって、体の向きを変えるのもやっとと言った感じ。声に張りもないし。
が、文蔵の鷺の素晴らしいこと。冠の鷺は、これまで単なる飾りだと思っていたのだが、文蔵にかかると、この鷺こそが本体のように見える。ゆらゆらと揺れる様が飛んでいるようにも見えるし、文蔵の身体は鷺が見せた化身のようにさえ感じる。文楽人形と人形遣いの関係に少し似ている。橋掛かりで、いったん逃げて、蔵人の呼び寄せに応じて戻ってくるところなど、動物が警戒感を解いて人間に近づいていく様子が感じられ、リアル。舞も、鳥の羽ばたきのような感じがあった。他の人と何が違うのだろうか。
能楽座は今回で一区切りだそう。
2021年9月20日月曜日
9月20日 文楽公演 第一部
「寿式三番叟」
錣の翁、芳穂の千歳、三番叟は小住と亘、碩のツレ。三味線は藤蔵、勝平、友之助、清公、燕二郎。
人形は簑紫郎の千歳、和生の翁、三番叟は玉助と玉佳。
翁付きということで、ちょっと重々しい雰囲気だが、能楽ほどの格式は感じられず。翁の人形が面をつけるというのも、違和感がある。そもそも人形の舞というものにあまり感動しないので。人が肉体の限界に挑むようなところろに感動するのであって、端っから人間にできない動きができる人形が人間のマネをしたところで何?という感じがしてしまう。
何がそんなに楽しいのか登場から笑顔の玉佳。二人三番叟と同じく、ちょっとサボるくだりがあるのだが、少し短め(コロナ禍のせい?)。足遣いの足踏みとお囃子、三味線のリズムが崩れかけては、踏みとどまり…と言った感じで、崩壊はしなかったものの、音楽に身をゆだねることができなず、消化不良な感じ。うなる藤蔵。藤蔵が走りそうになるのを、2番手の勝平が抑えているように感じたが…。
「双蝶々曲輪日記」
難波裏喧嘩の段を希・清馗。悪くない。濡髪がやむを得ず人を殺めてしまう事情が分かりると、後の場面にも入りやすい。最期、助っ人に登場する放駒長吉(玉翔)のかしらが鬼若なので、なんだか雑魚キャラみたいだったけど、最後寄り目で見栄をするとちょっとカッコよかった。
八幡里引窓の段は中を靖・錦糸、奥を呂・清介。
靖は長五郎母の語りがもう一つ。呂に変わって、さすが語り分けが的確と思ったが、クライマックスの、十次兵衛に人相書きを売ってほしいと訴えるところの悲しみの表現がちょっと違う気がした。なんか他人事みたいというか。
人形は玉志の濡髪長五郎。勘十郎の十次兵衛が颯爽。ただ、長五郎に逃げ道を教えながら家を出る場面で、左手を胴串から離して人形の背中を見せたのはなぜ?後ろ振りみたいなもの? また、最後の右足を伸ばして決まるポーズは体幹がずれているように感じた。女房おはやの勘彌、長五郎母の勘寿らは適役。
長五郎を縛る引窓の縄が、人形や窓の大きさに比べて太すぎるのでは?
2021年9月18日土曜日
9月18日 International Choreography × Japanese Dancers~舞踊の情熱~
「ステップテクスト」スターダンサーズバレエ団(渡辺恭子、池田武志、関口啓、林田翔平)
男性の黒タイツと女性の赤タイツのコントラストがトランプのよう。音のない場面から始まり、唐突に音楽が流れて消えるのを繰り返すのが落ち着かない感じ。衝立の後ろから走り出てて来たり、舞台袖に消えたり、男性と男性、男性と女性がペアになって踊ったり、時にシンクロしたり、と変化に富んで飽きさせない。照明が凝っていてスタイリッシュ。
「二羽の鳩」よりパ・ド・ドゥ 島添亮子、厚地康雄
アシュトン振付のメルヘンチックな作品。ラストのポーズが絵画のよう。
「A Picture of You Falling」 鳴海令那、小尻健太
繰り返されるナレーションが音楽のように響き、ダンサーへのディレクションのようにも聞こえる。
マ・パヴロワより「タイスの瞑想曲」 上野水香、柄本弾
この2人は体形のバランスがいいと再発見。VTRで振付指導が男性はリフトしっぱなし、と言っていたが、まさにその通り。流れるようなメロディにのせて、浮遊感のある動きが幻想的で美しい。
「スパルタクス」よりパ・ド・ドゥ 佐久間奈緒、厚地康雄
厚地はローマの戦士らしい勇壮さ。小柄な佐久間が可憐で、いいコンビネーション。
「椿姫のためのエチュード」 中村祥子
舞台のやや下手に置かれた椅子に座った状態から始まるソロ。時にアクロバティックなポーズもあり、身体性の高さを要求する振付。ベジャール作品だからか、エチュードだからか、衣装はシンプルなレオタード。これって、体の線が強調されて、必ずしも美しくないと思うのだけど。中村もあばらが気になってしまった。
「М」 池本祥真
ベジャールの由良助のソロと金閣寺のソロを組み合わせたのだそうだが、この2つの作品って全く別のテイストでは? どちらかというと後半のほうが好み。
すべてのプログラムが終わった後で、出演者全員が踊る演出。Mの死を思わせる踊りもあり、ベジャール風味か。
2021年9月6日月曜日
9月5日 文楽公演 第三部
「伊賀越道中双六」
沼津の段の前を藤・宗助、ツレの寛太郎、後は千歳・富助に清方の胡弓。
藤は…悪くないのだけど、なんか軽い。
千歳の語りにこれぞ義太夫節という貫禄を感じる。こういうのが聴きたかった。
伏見北国屋の段を織・清友。
どや、の語り。堂々としていいけど、やっぱり歌いあげてる感じがする。私の聴きたい義太夫節とはちょっと違う。
伊賀上野敵討の段は南都、津国、亘、文字栄に団吾。なんというか、は〇〇〇感が…。
敵討ちを成し遂げて、すっきりする…のか?
人形は玉也の平作に味がある。十兵衛の玉男、お米の清十郎。一輔の志津馬がきりりとしてよい。玉勢の孫八は忠実そう。
2021年9月4日土曜日
9月4日 九月大歌舞伎 第三部
「東海道四谷怪談」
仁左衛門の伊右衛門がこれぞ色悪という色気と悪の魅力を見せつける。特に、お梅を祝言に迎えるにあたって金が要ると、お岩からなけなしの着物や蚊帳を奪っていくところ(「離すなよ」の凄み!)の残忍さにゾクゾクした。
玉三郎のお岩は気高く、武家の女の気品がある。伊藤家に騙されたと知ったときも、誇りを傷つけられた悔しさや無念さが色濃い。なにより、笑いを起こさない凄みがある。晴の会の千寿の可哀そうなお岩もよかったが、全く別の玉三郎のお岩も説得力がある。こういう演者による違いを楽しめるのも古典の面白さ。柱に刺さった脇差の向きが上過ぎて、お岩の首に刺さらないハプニング。何事もなかったかのように(さも刺さったかのように)進んでいたけれど。
松之助の宅悦も、近年の上演では笑い場になりがちなところ、笑いにならないのはやはり熟年の上手さ。歌女之丞の乳母、萬次郎のお弓、亀蔵の喜兵衛とベテラン勢が手堅く脇を固める一方、若手には物足りなさも。千之助のお梅は、彼女の恋心がすべての発端にも関わらず、伊右衛門への慕情が薄い。娘らしい恥じらいかもしれないが、他人の夫への恋心という無理を通すだけの強い思いが見えないと。小仏小平の橋之助は、すまん。珠城りょうに見えてしまうのよ。あと、小平の髷が妙に太くて不自然に見えた。与茂七はキリリとして格好良かった。松緑の直助は手堅い。
16日、23日に再見。玉三郎お岩は、ただれた顔の右半分だけでなく、素顔の左側も生気をなくし醜く見せているのが凄い。髪から血がしたたるところは衝立の中ほどがスライド式になっていて血糊は使わず。お梅との新枕のときにお岩の亡霊が惑わすところ、切り殺されてのけぞる玉三郎の腰をサポートする腕が。千之助のお梅は娘らしくはなっていたが、伊右衛門好き!という気持ちがもう少しほしい。
9月4日 文楽公演 第二部
「丗三間堂棟由来」
平太郎住家より木遣音頭の段
中を睦・清志郎。睦は語りが安定してきた。
切を咲・燕三。はじめ声が弱かっただだんだん調子が出てきた感じ。だが、高音は少ししんどそうで音程が不安定。
奥は呂勢・清治。冒頭、呂勢と清治のペースが合わないような感じ(清治が急かすような?)だったが、以降は気にならず。呂勢は堂々とした語りで、和田四郎の悪者ぶりが堂に入っている。婆が池?の上に吊られて拷問にかけられ殺されるのにびっくり。この場面、初めて見たかも。木遣音頭はさすがの美声。(20日に再見。語りの落ち着きが増し、清治も気持ちよさそうに弾いていた。義太夫節の音楽性を堪能)
人形は和生のお柳が人ならぬ者の風情があり、魅せる。玉助の和田四郎は腰に差した刀が抜けそうになるなど、所作に難あり。勘次郎のみどり丸は健気。平太郎の母・簑一郎と平太郎・簑二郎の兄弟弟子ツーショットに胸熱。
「日高川入相花王」
またか、の日高川ではあるのだが、新人の聖太夫の東京デビューなので、と思ってみていたら、掛け合いだし、ほとんど語る場面がなかった。緊張のせいか、座り姿勢がやや反り気味なのが気になった。(20日は薫太夫。落ち着いて見えた)
三輪の清姫はいいとして、船頭が咲寿か…。ツレで碩と聖。三味線は団七、清丈、錦吾、清允、清方。錦吾がしっかりしてて頼もしい。(20日の咲寿、なんだか気合入りすぎな感じで、討ち入りにでも行くかのよう。船頭は武士ではないのだから、もっと軽い感じでいいのでは?)
人形は清五郎の清姫に勘市の船頭。清姫は可憐な様子が良かったのに、川を渡る場面で人形の扱いが少々雑に見えたのは惜しいことよ。
2021年9月2日木曜日
8月27日 バレエ・アステラス2021
新国立劇場バレエ研修所の関係者に熱発があったとかで、研修生のプログラムはすべてカット。少々物足りなくはあったが、残念だったのは出演者も同じだろう。
「コッペリア」橋本有紗・鷲尾佳凛
鷲尾は京都バレエ団で見たことがあったが、帰国してこちらの所属になっていたのね。大きさのあるジャンプなど好感が持てる踊りだったし、プロポーションもいいのに、なぜか拍手が起こらず……。
「海賊」上中佑樹・塩谷綾菜
上中のアクロバティックなジャンプに拍手が起こっていたけれど、私はあまり好みではないかも。今シーズンから新国立劇場バレエ団の所属になるそう。ラストの女性ダンサーのシェネのあたりでオケが走りすぎている印象。
「ドン・キホーテ」福田侑香・荒木元也
ドンキはやはりいい。のだけど、昨秋の奥村・寺田ペアの印象が強すぎて…。荒木はふくらはぎの下が妙に細くて、バランスが悪く見える(ハンプティダンプティを連想したといったら失礼だけど…)。こちらでもラストの盛り上がるところでオケが走りすぎている感じ。ダンサーが踊りにくそう。
「薔薇の精」水井駿介・青山季可
薔薇の精の水井は、窓から部屋に飛び入ってくる軽やかさ。踊りは全く悪くないのだが、あの衣装って、日本人には難易度が高いと思う。
「タリスマン」大久保沙耶・森本亮介
初々しい感じで好感。
「ライモンダ」柴山紗帆・渡邊峻郁
他の出演者とのキャリアの違いなのだろうが、圧巻の踊り。見応えありました。
2021年8月27日金曜日
8月27日 上方歌舞伎会
翫政の与兵衛は純朴な青年といった感じ。出世を喜ぶ様子にほのぼのする。地のせりふほそれほどでもないが、歌い上げるようなところは仁左衛門の教えを感じさせる。
お早の吉太郎は節目がちになるとしっとりとした風情に色気がある。冒頭の、月見飾りをしつらえるところは余裕がないのか、手先が乱れたような。けれど、夫を思うよい女房ぶり。
お幸の當史弥は老け役のセリフ回しがよく、ちゃんと母に見えた。所作に若さが見えたのが惜しい。
濡髪の鴈大はもう少し大きさが欲しかった。
「慣彩舞七以呂波」
「傾城」
千寿は立姿が美しいのだが、表情が鬼気迫るというか、怖かったのはなぜ?昔の男を思い出すなんて色っぽい話でなく、親の仇でもうちにいくようだった。
「越後獅子」
千太郎と愛三郎。千太郎が縦に伸びていてびっくり。そのせいか、少しバランスが悪かったようで、一本下駄でグラついた。愛三郎は少年らしいかわいさ。以外に体幹がしっかりしていて、布晒しの扱いも綺麗だった。
「座頭」
千次郎。愛嬌があって嫌味がないのがいい。
「業平」
裕次郎の平安貴族が似合う。顔立ちが貴族っぽいとは意外な発見。ただ、鼓を打つのは難しい。音がちゃんと出るかが気になってしまって、踊りに集中できなかった。
「橋弁慶」
松十郎の弁慶に折之助の夜鷹。
夜鷹に翻弄される弁慶が面白く、チャーミング。花道の引っ込みで、飛び六方かと思わせてよろけ、普通に退場するおかしさ。折之助は大男を手玉に取りつつも、愛嬌があっていい。
「相模蟹」
りき弥の海女姿は可憐。拍子をとるのが少し前取りだった気がする。
「朱鍾馗」
當吉郎の鍾馗は恰幅がよく、似合ってる。
最後は出演者が勢揃いでフィナーレ。華やか。
幕が降りた後、出演者全員と、指導役の幹部があいさつ。「いつもだったら兄が…」と言葉を詰まらせる仁左衛門に涙。「松嶋屋!」と掛け声をかけたおっさんがいたが、どうなんだろう。
けど、メンバーの大半が上方歌舞伎塾出身だしと、後進を育てた秀太郎の功績を仁左衛門が何度も口にしていたのが胸を打った。我當もあいさつしたが、言葉がかなり出づらい様子。
2021年8月15日日曜日
8月15日 宝塚月組ライブビューイング
上田久美子作・演出の期待を裏切らない良作。南北朝時代はよく知らなかったので少々不安だったのだが、客を置いてけぼりにしないよう上手くまとめていたし、物語としての運びも良い。何より時代劇としての厚みがあった。
珠城りょうの誠実な人柄が役に嵌る。楠木三兄弟の関係もよく、次期トップの月城かなとに未来を託すような演出も効いた。
朝廷に翻弄され、勝ち目のない戦いで命を落とすのだが、そこで終わらず、桜が咲き誇る中での出陣式の回想シーンを最後に持ってきたのも、華やかでよかった。
美園さくらは出てくるたびに涙を流していて、よくあれだけ泣けるものだと感心。高音域がきれいなので、歌もいい。
「DREAM CHACER」
ショーはあまり期待していなかったのだが、最近の中では一番くらいに格好良かった。振り付けも悪くなく、黒燕尾や月城率いるポーイスポップグループみたいな歌と踊りも決まっていた。
サヨナラショーはアーサー王の歌に始まり、これまでの出演作から。歌はそれなりなので、こんなものかという感じだが、改めていろんな役をやっていたのだなあと感心した。エリザベートの闇が広がるがインストの踊りだけだったのがちょっと残念だったのと、幽霊刑事の件で何故かキラキラのブルーの燕尾姿だったのが??
最後の「BADDY」はやっぱり好き。
2021年8月13日金曜日
8月13日 ミュージカル「ジェイミー」
森崎ウィンの主演にひかれたのだが…。のびやかな歌やダンスは期待通りだったけれど、今一つ楽しみ切れなかったのは、脚本のせいか。ゲイでになりたい16歳の少年の悩みを描くのはいいとして、リアリティがないというか、カタルシスが足りないというか。プロムにドレスを着て行くためにクラブのショーに出演するのも簡単に実現してしまうし、すぐにクラスメイトの支持を得てしまうなんて簡単すぎない?眉毛もろくに描けなかったくせに、観客を魅了するどんな魅力があったというの!? で、普通ならここがクライマックスだろうに、この作品では1幕のラスト。話はまだ続く。2幕は父親との確執が描かれるのだが、父親とは結局、決裂したまま。まあ、わからずやは放っておいてもいい。けれど、クラスで1人だけ、ジェイミーを快く思っていないイケメンのディーン(矢部昌暉)との対立も中途半端。ディーンは差別発言を繰り返し、親を使って学校にジェイミーをプロムに出席させないようクレームの電話を入れる。でも、ディーン以外のクラスメイトはジェイミーの女装姿を受け入れているし、この流れだと逆に一人で孤立してハブられないか?クラスメイトを巻き込めないのに人気者なの?(「あんたが大きな顔してられるのも学校があるから。卒業したらただの人」(大意)というプリティのセリフ、格好良かった!)最後はほかのクラスメイトに押し切られてしまうのも、うやむやな感じがした。
っていうか、ジェイミーは母親(安蘭けい)とその友人のレイ(保坂知寿)に絶対的なサポートを受けているし、はじめからクラスメイトは好意的だし、親友のプリティは頼りになるし…で、ゲイだからといって一昔前のような、孤立して悩める主人公ではないよね。ウィンの陽性なキャラクターのせいもあるのか、虐げられたり逆境にあったりする感じがしないのも、物語としてはマイナスかも。
あと、英語だったらもっとテンポよく行きそうだと思う会話も所々あって残念ポイントだった。
ドラァグクイーンのオネエサマがた(泉洋平、吉野圭吾、今井清隆、石川禅)は迫力はあるものの、美への執着が薄いのが残念なところ。美しく見せようという姿勢が足りないところが、ヘテロが女装するときにうへぇとさせられるところ。歌唱力はすごかったけど。ウィンも、シナを作る仕草なんかはよかったけど、ホットパンツの着こなしはイケてなかった。赤いドレスも、大振りのフリルはあんまりゴージャスじゃないよ。プロムってそういうものかもしれないけど。
単なる女装の男の子でなく、「ドラァグクイーンは武装して戦って相手を圧倒する」(大意)っていう、ヒューゴのセリフに納得。オドオドしてたらクイーンじゃないよね。
教師役のミスヘッジが実咲凛音と後で知った。ピンヒールを履きこなしていたのが凄かった。
2021年8月8日日曜日
8月8日 新作能「長崎の聖母」
被爆地長崎の浦上天主堂を舞台に、子どもを亡くした老婆と聖母マリアが交錯する。
ソプラノによる聖歌のような歌唱が冒頭や合間に挟まれるのは、題材に合っていて違和感はない。花の映像はちょっと安っぽく感じたが。途中、デジタルで時刻が表示され、1945年8月9日11時02分まで遡る。原爆の日が近いこともあり、不思議な時空を感じる演出。ヤコブの井戸よりは作品として成立しているように感じた。
後シテの面は頬にすすけたような黒ずみ。被爆したマリア像の象徴らしいのだが、出てきたときは違和感。だって、配役表には「聖母マリア」としか書いてないから。マリアとマリア像は違うでしょ。
ポストトークで燐光群の坂手洋二と鳥公演の西尾佳織。日本人が原爆や戦争を描くとき、被害者の立場からだけで、戦争や原爆は悪というところで止まってしまいがちだが、加害者としての立場も忘れてはいけないという坂手の主張に激しく同意。「この作品ではあえて描かず、観客に考えさせている」と言うのは??だけど。原爆の被害、悲惨でした、もう二度と繰り返さないでという主張はもっともだけれど、それだけれは再発は防げないと思うから。そういう意味で、この作品はあまり心に響かなかった。
8月7日 OSKレビュー夏のおどり「STARt」
キレのいい踊りはよかったたものの、ショーの構成や振り付けがぱっとしない。踊りが得意な楊だから、洋物の2幕構成にしたのだろうが、正直代わり映えしなくて飽きた。歌が不得手なのは仕方ないにしても、踊りだけで2時間引っ張るのならもっと工夫が欲しい。クラシカルなショーダンスやジャスだけでなく、BTS風のヒップホップもイケるのだから、その辺でメリハリはつけられるはず。
踊りでは、精悍な表情や、セクシーなウインクやら、トップらしい風格が出てきた一方、喋ると女の子なのが惜しい。別に無理して低い声を作らなくても、話し方やトーンで男らしさは出せるはず。義太夫でも勉強してほしい。
印象的だったのは、前トップの桐生麻耶から楊にバトンを託すような場面。この2人、兄弟みたいでムネアツ。そして、楊の歌を聴いた後、桐生の歌がとても上手く聞こえた…。落ち着いた声質もいい。
ちょっと面白かったのは、スーパーマンに憧れるクラーク・ケント風の冴えない営業マン楊に不良たちが絡んでダンスバトル?を仕掛けるシーン。クラークもどきの扮装はいただけなかったが、マイケルジャクソンやプレスリーもどきの扮装、曲が楽しく、踊りもそれっぽくて楽しめた。
この日は楊の誕生日だったそうで、カーテンコールの「桜咲く国」の前にサプライズのプレゼント。無邪気に喜んでいたけど、マチネでは何もなかったの?
2021年8月7日土曜日
8月7日 新作能「ヤコブの井戸」
ワキ・イスラエルから来た元教師(殿田謙吉)とアイ・ロシアから来たユダヤ人移民(小笠原弘晃)は共に旅をしている。小笠原は完全に現代語、ワキは現代の言葉ながらやや重々しい語り口調。地謡は現代語で言葉は聞き取りやすいのだが、シテ(清水寛二)は面をつけているうえに完全に文語調なので、聞きにくいし、各々の語り口がバラバラで違和感がある。
装束は古典的な感じ。シテは頭巾を被っているので、面と体のバランスが自然な感じに見えて表情が生きた。
前場と後場の間のいわゆる間狂言に何故か太郎冠者風の装束に猫の面の村の猫(みょんふぁ)。面はよくできてると思ったけれど、砕けた口調に馴染めず、つい意識を手放してしまった…。
後シテのサマリアの女は若い面。舞のクライマックスで頭巾を捨て去るのだが、何か変。せっかく頭巾でいい感じだったのに、面からはみ出す輪郭が…。
英語の字幕が常についていて、チラチラ見ていたのだが、詞章の訳ではなくト書きのような感じだったのはなぜ?そして、喋っていることと微妙に内容が違ったような。
2021年7月25日日曜日
7月24日 新国立劇場バレエ団「竜宮」
浦島太郎がモチーフの創作バレエということで子ども向けと思っていたら、侮るなかれ。森山開次の演出・振付、衣装も舞台装置も素晴らしく、大人も見応えのある舞台だった。感服。
浦島太郎の奥村康祐、亀の姫の池田理沙子のコンビが作品に嵌っていた。奥村は表情豊かで笑顔がチャーミング。純朴な青年を好演。登場場面のソロをはじめ、躍動感のある踊りもたくさん見られた。池田は愛らしい姫を好演。薄い着物を使って太郎と絡む振付が素敵。息の合ったパドドゥもよかった。
紋付き袴姿の時の案内人をはじめ、フグ接待魚、サメ用心棒脇、タイ女将ら、海のキャラクターたちも、カラフルな衣装で個性的。イカす3兄弟はタンゴ風の踊りも楽しい。
子どもたちから亀を逃がすときに、ウサギと亀の競争を挟んだり、時の移ろいの場面で織姫と彦星など、日本のモチーフを挟む演出が心憎い。赤い着物の竜田姫って?と思って調べたら、秋を象徴する女神なのね(英語盟はAutumn Queen)。太郎が玉手箱を開けて老人になるところは、翁面と狩衣をまとい、シオル動作も(ちょっと型が甘かったけど)。
前日の残念な開会式より、こちらをご披露したほうがよっぽどよかったと思った。
カーテンコールで、右手をつないだ寺田亜沙子が先へ前へ行こうとするのにちょっとむっとした様子だった奥村?何かあったの?
7月18日 夏休み文楽特別公演 第1部
「靭猿」
チラシにはないが、幕前で亘による短い解説。靭の説明など。
津国の太郎冠者が狂言役者みたい。
団吾の三味線がベンベンいってる。
猿回しの場面でキャキャキャという猿の鳴き声のような音。そういえば、語りで猿の鳴き声はなかった。
人形解説は簑太郎。文楽界のタージンとはいかに。説明がぎこちないのと、声が小さくてややわかりにくい。立役の型の実演で、「雷の呼吸一の型みたい」と鬼滅ネタ?
「舌切り雀」
小住、亘、碵に清志郎、清丈、清公、清允。
小住の根性悪そうな婆がいい。
人形はみな頭巾を被って。子供向けの新作だから?となると、靭猿が出遣いだったのは何故だろう。一応古典扱いなのだろうか。
婆が葛籠の化け物に襲われるところで、赤いユニフォーム?を着た婆が骸骨の投げるポールをバットで打つ入れ事。背番号17に大谷ならぬ「ONITAKE」。
親雀が宙吊りで登場するのはいいとして、ラストで子雀と他2羽?も宙吊りするのはいかに?みんなで踊ってめでたし感を強調するため?
7月17日 夏休み文楽特別公演 第3部
住吉鳥居前は口を碵・錦吾。悪くない。
奥は睦・団七。睦の団七がちゃんとヤクザ者らしくなっていて安堵。何年か前の鑑賞教室では、サラリーマンみたいでずっこけたから。
釣船三婦内は口を咲寿・寛太郎。浮ついたり、力んだりしてなくて、悪くない。
奥を錣・宗助。,
長町裏は織の団七に三輪の義平次、藤蔵。2人とも声量があり、迫力ある語り。義太夫節をきいた!という充実感がある。
7月17日 夏休み文楽特別公演 第2部
明石浦船別れの段 呂勢・清治、清公の琴は御簾内。
盆が回って呂勢はやや舞台向きで、清治と距離を置いた感じ。稽古で何かあった?
20分ほどの短い場面だけど、節が多くて音楽的。深雪の可憐さ、船頭の野太い声と語り分けもちゃんとしてる。だが、何故だか少し物足りない。(18日に再見。口上が「豊竹ら…呂勢太夫」と謎のトチリ。何故「ら」? 座る向きはマシになっていたが、冒頭の節のところで三味線がやや急かすように感じた。歌い過ぎるなってこと?)
阿曽次郎の出で和生に拍手があったのはいつも通りだが、朝顔の勘十郎は船の窓から顔を出したところでは拍手がなく、阿曽次郎の船に飛び乗る(勘十郎の姿がはっきり見えた)ところでの拍手、なんで?人間国宝認定おめでとうにしても、間が悪い。(と思ったら、翌日はちゃんと窓から顔を出したところで拍手があった)
薬売りの段は希・勝平。勝平のおおらかな音が、コミカルな場面に合う。希もまずまず。呂のチャリ場を彷彿とさせた。
人形は薬売りの簑一郎が手の消毒をしたら、「密です」と書いた紙をかかげたりして笑いを取っていた。
浜松小屋の段は呂・清介。
すみません。つい眠気を誘わされてしまって。声量が乏しく、高音が掠れ気味のせいか、深雪が中年のようだった。
嶋田宿笑い薬の段。
中を南都・清き。掛け合いでない南都を聴くと、語り分けの確かさにベテランなのだなと感じる。声量もあるし。が、三味線が…。最後のオクリ?て調子が外れたようでずっこけた。
奥(切ではないのね)は咲・燕三。盆の裏で細棹を弾いていたのは燕二郎?
お得意のチャリで、軽妙なのだが、声量がなく、のっけから笑い疲れた感じ。
人形は祐仙の簑二郎が大活躍。こうして見ると上手い人なのだなと。師匠の芸風を受け継いでいるのかも。
宿屋の段は千歳・富助。安定の語りで身を委ねて聴いていられる。ただ、ラストの、お座敷の主が阿曽次郎と知った深雪の狂乱の様が振り切れすぎていて唐突な感じ。
大井川の段は靖・錦糸。のっけからハイテンションだが、違和感なく語っていた。
人形は勘十郎の独壇場。18日は大井川にたどり着いたところで杖が折れるハプニング。
2021年7月16日金曜日
7月15日 VR能「攻殻機動隊」
一番の眼目は、不意に消えたり、現れたりする素子(シテ)。それも、段々と姿が朧になるような感じもあって、現実と仮想空間を行き来するわうな不思議な空間。アフタートークによると、舞台上に斜めに鏡が仕込んであるそうで、そこに写しているようだ。(終盤、下手のカーテンの後ろで舞う素子の装束が垣間見得ていたのは、鏡の前で演技していた姿?)
地謡の力も感じた。録音だったのが残念だが、地を這うような低音が異空間を描出するのに適している。ただ、演者の声についてはワキの馬頭は地声だったのに、シテは録音だったのは残念。異空間を漂っている演出か、複数で演じている便宜上からか。
装束はよく見るような能装束なのに、面がマネキンみたいなのは、作品の世界に合っているとも言えるし、能らしくないとも。
2021年7月10日土曜日
7月10日 七月大歌舞伎 夜の部
こんなに面白い引窓は初めてというくらい面白かった。急な出世を喜ぶ与兵衛(仁左衛門)がチャーミングで、母お幸(吉弥)、女房お早(孝太郎)とのやりとりもほのぼのと微笑ましかったのが理由か。もちろん、実の子と義理の子の間で揺れるお幸の母の情に泣かされたし、幸四郎の濡髪も悪くなかった。
「新口村」
鴈治郎休演のため、忠兵衛と孫右衛門の二役を扇雀、梅川を壱太郎がそれぞれ代役で勤めた。これが、予想以上によかった。なにより、壱太郎の梅川がいい。情があって、薄幸そうな風情が役にあっていて、お紺よりよっぽどはまっていた。扇雀も女方より立役のほうが似合うのでは。孫右衛門があまりヨボヨボしていなかったけど、これはこれでいいような気もする。
ただ、後半、忠兵衛の替え玉?が結構しっかり顔を見せていたのは演出としてどうなん? 「今じゃない」のくだりも、しっかり戸口から出てきたので、客席に笑いが起こっていたのも興醒めだった。
竹三郎が忠三郎女房。ちょっとセリフがもたつくところもあったけど、元気な様子が嬉しい。(しばしば舌を出していたのが気になった)
7月10日 七月大歌舞伎 昼の部
高麗屋の福岡貢には心引かれなかったが、コロナ濃厚接触で休演の鴈治郎の代役で千寿がお鹿をするので急遽遠征。
期待していなかったものの、高麗屋の伊勢音頭は何というか、セリフのテンポや間が悪いとこんなにつまらなくなるのかと…。幸四郎の貢は姿はキリッとして二枚目らしいのだが、セリフがつまらない。万野は初役の扇雀で、これもいただけなかった。イヤミが効いていないのと、いやらしさの中に色気やチャームが感じられないからだと思う。
急逝した秀太郎に代わって万次郎を演じた孝太郎も、立役が板についてない感じ。お岸の虎之助は、出でパッと人目を引く華があったのはいいが、着物の裾捌きがぎこちなく、座っての演技に難あり。じっと貢を凝視したり視線をキョロキョロさせるのもよろしくない。
千寿のお鹿は登場から大きな拍手で迎えられ、大健闘。ただ、期待したほど面白くはなかったのは、女方だから?不細工ではあるが、声やら仕草やらが可愛すぎるのかも。
よかったのは、喜助の隼人。キリッとして格好良かった。
「お祭り」
期待していなかったのだが、意外な収穫。仁左衛門の鳶頭が格好いいのはもちろんだが、千之助の芸者が予想外に上出来。まず、ほっそりした瓜実顔が美しく、芸者姿が似合う。姫よりもいいのでは。踊るときの指先も綺麗で、上半身の柔らかさが加わったらなおいいと思った。千之助が踊っている時、後ろで見ている仁左衛門の眼差しが、甘さの中に厳しさが垣間見えて印象的だった。
孝太郎も芸者だが、今回は千之助に花を持たせた格好。花道の引っ込みでは、千之助と仁左衛門が手を取り合って先へ行くのを、ヤキモチをみせながら追いかける。
大向こうがないので「待っていたとはらありがてぇ」のお決まりのセリフはなしで、無言のまま三方へお辞儀する演出に。ちょっと寂しい。
2021年7月8日木曜日
7月8日 ROCK BALLET with QUEEN
格好良かったし、面白かった! トータル1時間余だが、ぎゅっと凝縮された感じ。クイーンの楽曲のすばらしさに、トップレベルのバレエダンサーの技術が掛け合わされた充実の舞台。拍手が鳴りやまず、カーテンコールが繰り返され、最後はスタンディングオベーション。(鳴りやまなかった理由の一つは、「Born to Love You」がかかっていて、みんな手拍子してからというのもあるが)
薄暗いジャズバーに思い思いにグラスを傾ける5人の男(秋元康臣、池本祥真、井澤駿、菊池研、長瀬直義)。そこへ1人の女がやってくる。紅一点の米沢唯は、茶髪のカーリーボブがいつもと違ったモダンな雰囲気でチャーミング。で、踊りは緻密。男性陣もだけれど、速いテンポでの跳躍や回転はクラシックの舞台ではお目にかかれない感じで、ダンサーの底力を感じた。男性は井澤駿意外は知らないダンサーばかりだったが、やはり井澤は格が違うというか、輪郭がくっきりして見えた。
振付は福田圭吾。はじめは、ロックの音数の多いのに一つ一つ振りを入れているような感じで、手数が多いのではと感じたが、だんだん違和感がなくなっていった。特に「Radio GAGA」で7人がユニゾンで踊る振りが格好良かった。福田自身はバーのマスターみたいな恰好で、「bicycle race」でコミカルなソロ。身体能力の高さも魅せた。
楽曲は、ボヘミアンラプソディー、キラークイーン、Don't Stop me Now、Another One Bite the Dust、Love of my Life、Who Wants to Live Forever、Show Must Go on、Beautiful Day、RADIO GAGA?
2021年6月25日金曜日
6月24日 文楽若手会
太夫が芳穂以下の7人だけになっていて、顔ぶれの若さにおののく。まあ…そうか……。
「菅原伝授手習鑑」
茶筅酒の段は亘・寛太郎。同世代の女3人の語り分けは難しいのだなあと改めて思う。きゃんきゃん言ってる感じが何とも辛いし、白太夫が老人らしくないし。三味線はちょっと硬いか。
喧嘩の段は碩・錦吾。三味線のピッチも高いようで、全体的にきゃんきゃんした印象。喧嘩だから?
訴訟の段は小住・友之助。ようやく落ち着いて聞けるトーンになったものの、やはりこの段は語り分けが大変だ。
桜丸切腹の段は芳穂・清馗。いろんな意味で軽い。若手会だから仕方ないのだろうが。
人形は簑史郎の白太夫。老け役は挑戦だろうが、登場から自身が老人のように背を丸めていたのはちょっと違うのでは。千代の勘次郎が良かった。特に訴訟の段で去るところ、この先の悲劇を予感させるような憂いがあった。
「生写朝顔話」
宿屋の段を希・清丈、清方の琴。声はね、いいと思うの。朝顔に合っているし。でもなんか間延びするというか。
大井川の段は咲寿・清公。気合が入っているのは分かる。けど方向が違う。なんか目が座っていて、変に怖かった。
人形は次郎左衛門に玉翔、朝顔に玉誉。朝顔は目が見えない描写がもう一歩。(能勢の六角座の人の方が上手かったような…)
「万才・鷺娘」
靖、亘、碩に清允、燕二郎、清方。靖は一番文楽らしかったけど、若手会でこの演目いるの?時間合わせでないんかいなと思わずにいられない。三味線は若手にシンを経験させるという意味があるのかしら。
人形は万歳の簑之、勘介はともかく、鷺娘の簑太郎が…。見せ場の多い役なのに、引き抜きが2回とももたもたしていて残念な仕上がり。客も拍手したらいかんと思う。
2021年6月23日水曜日
6月22日 能楽鑑賞教室
解説は宝生流の高橋憲正。歌舞伎や文楽の解説はいろいろ工夫しているので、能楽はどうかと興味があったのだが、淡々と能の歴史や狂言との違いなどを話すだけ。というか、ちょっとグダグダ…。正面席の上手側に女子学生(中学か高校)の集団がいたり、中央がごっそり空いていたり、で調子がつかめなかったのかもしれないが、これでは能楽への興味は沸かないだろうなあと思った。実際女子学生たちは無反応だったし。九尾の狐の話とか、もうちょっと面白くできないか。
狂言「寝音曲」は高野和憲のシテ、中村修一のアド。和泉流だからか、ちっとも笑えなかった。つい最近、映像とはいえ四世千作のチャーミングな太郎冠者をみてしまったから余計に。
能「殺生石」はシテ野月聡、ワキ御厨誠吾。
釣鐘状の作り物は前半分のみで、真ん中から割れる構造。ワキ正面席だったので、前場の後、シテが着替えのを後見が手伝う様子が垣間見えて興味深い。後シテは九尾の狐といいながら、狐っぽさは皆無なのだが。変化があって面白い曲。
2021年6月20日日曜日
6月19日 イキウメ「外の道」
マジシャンとの出会いで、物の見え方が変わってしまった宅配ドライバーの寺泊(安井順平)。かつて手伝ったパーティーで若い政治家の男が急死した事件に、何か裏があるのではと疑っていたところ、マジシャン(森下創)の手品に共通点を見出す。脳に何か(氷?)を入れられたことから、奇妙な行動をとり始める。
2021年6月13日日曜日
6月13日 六月大歌舞伎 第二部「桜姫東文章 下の巻」
冒頭、舞台番役の千次郎が上の巻のあらすじを解説。舞台上に写真パネルを置いて、紙芝居のように引き抜いて絵を変えるのだが、写真は数枚だけだし、大きさも控えめ。
病み衰えた清玄は桜姫への執着を募らせ、気持ち悪さに拍車がかかり、悪党ぶりを増す権助は顔にあざができてからの色悪っぷりにしびれる。対極的な2役を色濃く演じる仁左衛門の凄さよ。ただ、ほとんどが顔にあざがある状態なので、ビジュアル的には少し残念。玉三郎は奇跡のような美しさ。立ち回りで決まるたび、絵になる2人だ。清玄の幽霊に真実を知らされ、権助が父と弟の仇であることを知る過程の心情の変化が鮮やか。権助と2人で話すところで珍しくセリフをとちっていた? 女郎屋から戻って、蓮っ葉な口調と姫言葉が混在するところはお見事。他の役者ではこうはいかない。
ラストはお家再興に望みをかけ、浅草雷門の前に吉田家の面々がそろって大団円。仁左衛門が大友常陸之助役で出てきたのには少し驚いたが、コロナ感染で休演していた千之助も復帰してめでたさが増す。最期は「本日はこれにて大切り」で、鮮やかな幕切れ。陰惨な場面が続いただけに、こういう終わり方だと気持ちが晴れる。
6月12日 「夜は短し歩けよ乙女」
先輩役の中村壱太郎は上ずった声で話すのが、独りよがりなオタク気質に合っていた。現代劇で男役は初めてだそうだが、こういう役なら。黒髪の乙女は乃木坂46の久保史緒里。衣装がかわいく、話口調が役にあっていたが、ラップなどはもう少しリズム感がほしかった。
事務局長(白石隼也)やパンツ総番長(玉置玲央)らキャラクターが立っていて、ガチャガチャした世界観をよく再現していた。竹中直人、鈴木紗和らが要所を締め、石田豪太、酒井善史らヨーロッパ企画の俳優も味を出していた。
ただ、休憩20分を挟んで3時間の上演時間は少し長い。コロナ禍で上演時間を短くしようという気はなかったのかというのもあるし、途中冗長な場面もあったのでもっとコンパクトにできたはず。悪質な風邪が蔓延するところで、飛沫が飛び散る様子を映像で見せたのも不快だった。そもそも、この状況下で、タチの悪い風邪が流行る話をするのはデリカシーに欠けるのでは。
2021年6月6日日曜日
6月6日 オペラ「Only the Sound Remainsー余韻ー」
能の「経正」と「羽衣」に着想した新作オペラ。オペラといっても、バリトンとカウンターテナーの歌手と4人のコーラス、ダンサー1人、オーケストラは7人という小規模編成。ただ、能のミニマムさを現すには適していたのかもしれない。現代音楽家カイヤ・サーリアホの曲は、現代音楽らしい不協和音や民族楽器を思わせる打楽器やエレキサウンドが融合し、幻想的な世界観を醸し出す。シーッという囁き声に始まり、余韻で終わるのも、情緒があった。これまで観た能にインスパイアされた作品のなかでは、最も上質なものではないか。
バリトンのブライアン・マリーがワキ、カウンターテナーのミハウ・スワヴェツキがシテ、もう一人の森山開次は?と思ったが、シテの分身のような役どころか。
「清正」では舞台の真ん中に縦長の衝立が並べられ、1枚の大きなスクリーンのよう。下手から現れたマリーは行慶であると名乗り、経正を弔うため琵琶(リュートと言った?)「青山(ブルーマウンテン)」を持参したと名乗る。小道具なしで仕草で表すのだが、能ではなくてオペラなのだから、眼に見えるものがあってもいいのでは。また、衣装は黒いシャツ(?)にパンツというそっけないものだったが、もっと装飾性のあるもののほうが好ましい。
シテははじめシルエットで登場し、高い歌声だったので女性かと紛らわしかった。シルエットは森山のダンスと重なり、激しく踊る様は修羅道の苦しみ?
「羽衣」では中央に縦長のスクリーン1枚で、これが羽衣らしい。
天女をカウンターテナーとはいえ男性が演じるのは少し違和感。森山の踊りは、鳥や蝶の羽ばたきのようで動物的というか野性的というかなので、天女の舞からイメージする優美さとは違うように思った。ラスト、踊りながら舞台後方に去っていく森山と、ええじゃないかみたいに踊るマリーは何だったのだろう。
終演後、斜め前に座る女性のもとへ劇場関係者が駆け寄るので何者かと思ったら、作曲者のサーホリアで、スポットライトを浴びて挨拶していた。
6月5日 NODA・MAP「フェイクスピア」
若い男は気を失うたびに記憶を取り戻し、名前がmonoであること、神から言葉を盗んだプロメテウスの従兄弟であること、息子に渡すために言の葉の入った箱を奪ったことが明らかになっていく。
一方の楽は、自殺を図ろうとしたところ、最後に幼い頃に亡くした父の声を聞くために恐山ならやってきたことが明かされる。楽の父はパイロットで、墜落事故(日航ジャンボ?)の直前の言葉がボイスレコーダに収められていた。「顔を上げろ」という言葉が、生きろというメッセージになり、「楽、し(死)んで、楽生きる」という最後のセリフが力強く響いた。
野田秀樹がシェイクスピアとその息子でラッパーのフェイクスピアで舞台をかき混ぜ、前田敦子はアタイの母で伝説のイタコや、星の王子様、白いカラスの3役で彩を添えた。アブラハムの川平慈英と三日坊主の伊原剛志はちょっと存在感が薄かったか。
2021年6月5日土曜日
6月5日 新国立劇場バレエ団「ライモンダ」
米沢唯・福岡雄大ペアは技術、ビジュアルが伴って、夢のような美しさ。福岡の正統派のハンサムぶりがジャン・ド・ブリエンヌにぴったり。米沢の姿の美しさとあいまって、1幕のライモンダの夢のパドドゥたるや!まさに夢の世界で、うっとりさせられた。
物語はツッコミどころ満載で、ストーリーは二の次というバレエ作品は多いけど、これは特にでは。アブデラクマンが横恋慕したからって、なんで婚約者が決闘に応じなければならないのかとか、ジャン・ド・ブリエンヌ はなにも殺さなくてもいいんではとか、自分のためとはいえ人を殺した男でいいのかとか…。
アブデラクマンの中家正博は法村友井バレエ学校出身と知ってびっくり。バレエ団には在籍していなかったようだが。健闘していたけれど、もう少し押しが強くてもと思った。
2021年5月31日月曜日
5月30日 「スリル・ミー」配信
田代万里生・新納慎也ペアを視聴。「伝説の」かどうかはともかく、歌唱の安定感は抜群で安心して聞いていられた。解釈の違いも面白く、田代の「私」は冒頭の証言のところからすでに泣いていて罪を悔いているようにも、彼の不在を悲しんでいるようにも見える(ほかはどちらかというと諦めに感じた)。「彼」との関係では、すがるような様が愛おしく、「彼」のためなら何でもやってしまうような危うさを感じさせる。「彼」の新納は父親に愛されていない苛立ちから強がっているようで、冷たく支配的な言動の裏に脆さがある。キスシーンのエロさも他と違っていて、はじめ軽くキスしてから唇を開くよう促す仕草や、拘置所では耳の後ろをなめ上げてからの深い口づけと、容赦ない。ラスト、私の裏切りを知ったところでは、支配していたつもりで囚われていたことへの諦めと、負けを認めて安堵とがないまぜになった感じ。ほかのペアだと裏切られたと知って彼の心は私から離れてしまうと思ったが、この2人はこのまま離れられずに別世界へ行ってしまいそう。「究極の愛」とはこのことか。新納「彼」が一番「私」への愛着を感じさせたし、田代「私」の「彼」のためには何でもやってしまう危うい愛も感じた。
素晴らしいペアではあるが、少し物足りなかったのは、歌が普通にうまいので、成河・福士のような歌声のコントラストによる面白さに欠けるところと、福士「彼」の冷酷な魅力。
2021年5月30日日曜日
5月29日 「スリル・ミー」配信
全ペアオンライン配信してくれるというので、見比べる楽しみが。以前だったら、松岡広大・山崎大輝ペアはパスしていたと思うのだが、最近若い役者に嵌ることがあったので試してみたら…やっぱりあかんかった。
事前に見た評によると、松岡・山崎ペアは「若さゆえの暴走」なのだとか。実年齢に近い分、リアリティがあるのかもしれないが、若いとは経験値がないということで、芝居の深みに欠ける。松岡の歌唱が安定しないのもマイナス。54歳の芝居は、不自然にゆっくり喋る様がおじいちゃん?のよう。あまりスリルを感じられず、物足りなく感じた。
一方の成河・福士誠治ペアは見て唸った。福士はともかく、成河って正直苦手な役者なのでどうかと思っていたのだが、何より歌唱が安定しているのが頼もしいし、演技がしっかりしている。19歳と53歳の切り替えも見事だし、若いころの「彼」に依存している不安定さに狂気がにじむ。福士の「彼」は冷酷でぞくぞくする色気。歌唱は高音部が少し不安定なものの、低い声に魅力があり、成河とのハーモニーもバランスがいい。ミュージカルだし、歌がちゃんとしているというのは必須条件。歌の多い作品なので特に。
ピアノは荒々しい篠塚祐伴(松岡・山崎)に対し、落合崇史(成河・福士)はシャープな印象。続けて聞いたせいか、ピアノの違いもくっきりして、興味深かった。
5月29日 国立能楽堂 5月特別公演
「半蔀」
シテは宝生流大坪喜美雄、ワキ殿田謙吉、アイ大蔵弥太郎。
立花の小書きにより、前場で後見によって生け花が運ばれる。池坊流だそうだが、松などの生木や流木のような枯れた枝、色とりどりの生花を寄せた不思議な造形。頂上のあたりに夕顔らしい小花。舟のような台かと思いきや、案外花瓶が小さく、運ぶときにグラグラしていた。
後場の夕顔の作り物は舞台上下手よりに。以前観たものは橋掛かりだったので、流儀によって違うのか。
そういえば、地謡のマスクがなくなっていたような。
「蚊相撲」
大蔵吉次郎の大名、基誠の太郎冠者、善竹大二郎の蚊の精。
大蔵流らしいおおらかさで、チャーミングな大名、しっかり者の太郎冠者。そこここで笑いがおきた。一部笑いすぎの人もいて鼻白んだけど。勝負に負けた蚊の精は、断末魔の一声からよろよろと退場。
「鷺」
野村四郎改め幻雪のシテ。扇を持つ手が終始震えていたのが気にかかる。アイの大倉弥右衛門は冒頭、声がかすれ気味だし、笛の一噌庸二ははじめ音が出ないしで、高齢の演者たちにハラハラする一幕だった。
ツレの観世銕之丞の声の立派さ。ワキは福王和幸。橋掛かりで結構なアクションがあったのに、柱の陰で見えなず残念しきり。
2021年5月23日日曜日
5月22日 セルリアンタワー能楽堂 開場二十周年記念 定期能五月ー宝生流ー
「文立山」
山本東次郎のシテ、山本則俊のアド。
東次郎の大らかな風情がほのぼのとした後味。
「船弁慶」
後之出留之伝の小書き。
宝生和英のシテ、子方は出雲路啓、ワキは森常好とワキツレ2人、アイは山本凛太郎。
宝生和英の舞台は不思議だ。静として登場した橋掛かりで見たときと、舞台で舞うときの面が別のもののように表情が違って見えた。角度によって表情が違うとはよく言われることだが、これほどはっきり感じたのは初めて。息遣いまで感じられるほどで、役の心情がくっきりと感じられた。謡がはっきり聞き取れるのもありがたい。
義経役の子方が舟に乗り込んだところで戻してしまうハプニング。慌てて地謡が駆け付けて始末しながら「舞台を降りるか」とでも聞いたのだろう。小さな手で口元を押さえて、首を振る様子が健気だった。そのあと最後まで舞台を勤め上げたのは立派。結構セリフもあったし。
脇席だったので、静の舞のあいだ弁慶がなぜか苦虫をかみつぶしたような表情をしているのが気になって集中をそがれた。
2021年5月22日土曜日
5月21日 国立能楽堂 定例公演
「蝸牛」
茂山逸平の山伏、網谷正美の主、丸石やすしの太郎冠者。この組み合わせは珍しいのでは。
逸平の間、丸石のとぼけた感じが面白く、久々に声を出して笑った。一部、話を先取りして笑う人がいて白けかけたけど、茂山家の狂言は素直に楽しい。
「西行桜」
梅若実のシテ、ワキは福王茂十郎、ワキツレに和幸ほか、アイは茂山七五三と、充実した配役だったのだが。実が造り物の中に入って舞台に上がるというのは今や恒例で驚かないが、舞台に配置されてから中でゴソゴソやっている様子が幕越しに見えるほど。幕を下ろすと、白い鬘に直面(髭をあしらっていたか)姿。花をあしらった杖を右手に、座ったまま体を左右に向けるのも覚束ない様子。謡にももはや声の力強さはない。「素囃子」の小書きがあり、舞は省略。杖を手に造り物の前に出ると、左手にも杖をもち、2本でようやく体を支えてゆっくりと一回転する程度。杖で床を突く音が足拍子の代わりか。後半はお囃子が奏でられるなか、橋掛かりへ。三の松の前あたりで一言発して、退場するのだが、足が滑って進まず、後見が3人がかりで支えてようよう引っ込んだ。最期はワキが脇正まで出て揚幕のほうを見やり、桜を惜しむ風情。この日のための演出か。当初90分の予定が70分ほどで終わった。いろんな意味で手に汗握る舞台に、いろいろ考えさせられた。
2021年5月17日月曜日
5月16日 文楽公演 第三部
「摂州合邦辻」
中を睦・勝平。声はよく出ていたのだけど、何か制御されていない感じで聞き苦しい。講中ががやがやするのをチャリっぽくしようとしたのかもしれないが。
前は錣・宗助。なぜか心地よく眠くなってしまい…。「惚れてもらふ…気」がかわいかった。
後は呂・清介。合邦の「これが坊主のあらうことかい」で一度びっくりするような大声だったけど、ほかは節約モード? 玉手に鳩尾を切り裂いて…と頼まれたのを入平に振るところなど、コントみたいで、客席の笑いを呼んでいた。ここはうろたえたあまり突飛なことを言ってしまうのではないのか。
人形は和生の玉手は錯乱しすぎないのがよい。「蹴殺すぞ」では蹴らず、その後の取っ組合いで脚が出ていたのは工夫か。だいたいあそこで笑いが起こるからねえ。合邦の玉也、合邦女房の勘寿は適役。勘寿はもう婆と同体に見えた。紋臣の浅香姫が可憐、俊徳丸の簑紫郎もよかった。総じて人形はよかった。
「契情倭荘子」
蝶の道行き。織の助国、芳穂の小巻、南都、亘、碩のツレ。三味線は藤蔵、清馗、寛太郎、清公、清允。
パステルカラーの舞台に華やかな音色。織は気持ちよさそうに歌っている。
人形は玉助の助国、一輔の小巻。玉助の右手の二の腕がなくなっていたのが気になって気になって…。景事は所作が目立つから。一輔と並ぶと特に。
2021年5月16日日曜日
5月15日 五月大歌舞伎 第三部
「八陣守護城」
吉右衛門が病気休演のため、佐藤正清は歌六。…だったのだが、拵えのせいか歌六に見えず戸惑った。雛衣の雀右衛門は琴の演奏がたどたどしい。途中から、下座が加わっていたよう。種之助の轟軍次、吉之丞の鞠川玄蕃。20分あまりの短い演目なのに、意識が飛んでしまった…。
「春興鏡獅子」
菊之助の弥生が充実。﨟󠄀たけた美しさ、麗しさに、確かな芸。踊りの名手はほかにもいるけれど、見た目が伴うとより目に楽しいのは否めない。自らの意志で手足を動かしているというより、内からの衝動に突き動かされるような舞いに引き付けられた。胡蝶の精に亀三郎と丑之助。懸命に舞うのがかわいらしい。亀三郎のほうが少しお兄さんなのか、足腰がしっかりしているように見えた。
2021年5月13日木曜日
5月12日 渋谷・コクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑」
緊急事態宣言で中止になっていた公演が再開された初日のチケットが運良く取れて参戦。(昼の部もあったようだが、夜の部)コロナ禍の鬱々とした気分を晴らすにはもってこい。正直、前半は失敗したか…と思っていたのだけれど、最後の屋根の場でスカッとした。
客入れの時から舞台の幕は開いていて、役者たちが行ったり来たり。市松役の長三郎が走り回っていたり、町人たちが小芝居をしたりと楽しませる。開演時間が近づくと、神主を中心に役者が囲み、成功祈願のお祓い。勘九郎と松也は拵えの途中といった体で、現実と芝居の世界が重なったような演出。
前半は笹野高史を狂言回しに、登場人物や状況を説明するのだが、時間短縮のためかちょっとせわしない。勘九郎の団七は、父・勘三郎の団七を彷彿とさせる。…というか、真似しているように見えたし聞こえた。ただ、江戸の団七だなというのが残念な点。どうしても、スッキリ格好良くなってしまうのだ。大阪弁が特に不自然というわけではなかったと思うのだが(イントネーションが?と思うところはいくつかあったけど)、なんかこそばゆい。勘三郎のは愛嬌でカバーされていたものが、勘九郎の真面目な性質があだになった気がした。
泥場は本水を使っていたけれど、舞台転換にあまり時間を取らない工夫か泥の量は少なめだったよう。前半は蝋燭をかざして照明にしていたが、殺しのクライマックスでは黒衣が手持ちのスポットライトで下からあおったり、影を印象付けたり。照明で情景を描く現代劇の手法だけれど、従来の歌舞伎の型がしっかりしているので、少々くどくも感じた。
2幕の九郎兵衛内の段からは、あまり歌舞伎ではかからない場面なので目新しさがあったのと、団七と徳兵衛の友情が、大立ち回りの中で描かれ、息をつかせぬ展開。逃げ場がなくなり、ストロボライトに照らされた2人が走る姿がストップモーションのように見えた。終演後はカーテンコール1回では飽き足らない観客の拍手が続き、すでに化粧を落とした勘九郎がガウン姿であいさつ。久しぶりの生の舞台を堪能した。
松也は徳兵衛とお辰の2役。徳兵衛は前にも江戸風のを見ていたので想定の範囲内。お辰はすっきりと粋で格好良かった。
七之助のお梶は二幕の九郎兵衛内の場からが見せ場。情のあるいいおかみさんだった。長三郎は元気いっぱい。楽しそうなのがいい。
2021年5月9日日曜日
5月8日 新国立劇場バレエ団「コッペリア」
配信のラストを飾った小野絢子・渡邊峻郁ペア。小野の実力を再認識した。圧巻だったのはポワントワークの美しさ。配信だから細かな動きまでよく見えたというのもあるのだろうけど、一つ一つのポーズがお手本のようにキレイだった。演技もよく、少女の愛らしさとちょっとコミカルなところがスワニルダに合っていた。正直、最近の舞台ではあまり演技は…と思っていたので、見直した。コッペリウスの山本隆之との踊りも素晴らしく、今回の4組では一番。渡邊は初役だということもあってか、ちょっと硬かったか。
2021年5月5日水曜日
5月2日、4日、5日 新国立劇場バレエ団「コッペリア」
緊急事態宣言で無観客開催になった公演を、4組のキャストで無料配信するという太っ腹。
まずは2日の米沢唯・井澤駿、4日の木村優里・福岡雄大、5日の池田理沙子・奥村康祐祐を視聴。それぞれキャラクターの個性が異なって、同じ演目なのに違って見える面白さ。米沢のスワニルダは理知的。端正な踊りでちょっとお姉さんぽい。木村は少女らしいコケティッシュさがありコッペリウスを手玉に取る感じ。池田は少し硬かったようだが、素直でかわいらしい。フランツはちょっと気取った井澤、ハンサムな福岡、陽気な奥村。福岡が普段のノーブルな様子と違って、少し柔らかい雰囲気がよかった。コッペリウスは2日、5日の中島駿野も悪くなかったが、何といっても、4日の山本隆之が素晴らしい。人形とのダンスの流れるような軽やかさ、同じK☆バレエスタジオ出身の福岡と対峙する場面は、なんとも贅沢。生で見られなかったのが本当に惜しい。
5月3日、4日 エリザベート TAKARAZUKA25周年 スペシャルガラコンサート アニバーサリースペシャルver
望海風斗のトートが聴きたくて、3日を視聴したのだが、通信環境がわるくて後半が満足に聞けなかったので4日にリベンジ。
望海のトートは、間違いのない歌唱力。役の表現も緻密で、こういうトートが観たかったし、聞きたかった。歌声が会場に広がって場を制圧する感じが黄泉の帝王を体現した。惜しむらくは、対するエリザベートの歌唱力が追い付いていなかったことと、金管が大事なところで調子はずれだったオケ。残念。
エリザベートはact1が夢咲ねね、2が明日海りお。夢咲は少女時代は悪くないと思ったが、大人になってからも子供っぽさが残るというか、皇后らしさにかける感じ。歌唱も高音域が不安定で、1幕終盤のソロの最後の「私に~」はえいやっと発生している風でハラハラ。明日海は女性にはなっていたけれど、エリザベートの苦悩を裏付ける弱さや繊細さのようなものがなく、死に救いを求めなくてもやっていけそう。歌もずっと裏声だったせいか、感情の起伏が感じられなかった。
ルキーニの宇月颯はキャラクター造形がくっきり。フランツの鳳真由は誠実な人柄はいいが、歌唱に難あり。ルドルフは3日の澄輝さやとのほうが4日の七海ひろきより好み。やはり本役での経験があるほうが役作りがしっかりしてるし、澄輝の少し繊細そうなところがルドルフらしいと思った。
2021年5月2日日曜日
5月1日 エリザベート TAKARAZUKA25周年 スペシャルガラコンサート ’16宙組ver
緊急事態宣言をうけて急遽無観客開催となった公演をオンライン配信で視聴。
'16ということはもう5年前か。朝夏まなとのトートに実咲凛音のエリザベート、蒼羽りくのルドルフ、純矢ちとせのゾフィーという当時のキャストに、望海風斗のルキーニ、北翔海莉のフランツを迎えて、歌唱力がアップ。全体的にもパワーアップした感があり楽しめた。
朝夏トートは退団して声のキーが高くなったのと、歌いだしの音程が安定しないのが難点ながら、感情表現は増したようで、物語にぐっと引き込まれた。ミルクから民衆を扇動するところではぞくっとしたし、フランツとの最終弁論も丁々発止が楽しめた。これは北翔フランツの功績も大きい。
実咲エリザベートは高音域が安定していて安心して聞けるのと、懸命に自由を希求する人物造形に好感が持て、私のなかでは一番のエリザベート。
望海のルキーニは少し気だるい様子。持前の歌唱力で、狂言回しとして作品を引っ張る。北翔のフランツは、結婚し、子どもを持ったことで役への理解が深まったと自身も言っていたが、役の深みが増した。皇帝の謁見の場から、揺れ動く心情表現が見事だった。
2021年4月24日土曜日
4月23日 カメレオンズ・リップ
脚本もいまいち。「甘美なだまし合い」ってどこが?うそにうそをかさねるばかりで面白さが感じられないし、何よりちょくちょく挟まれる尾籠な描写に嫌悪感しかない。物語上必要でもなさそうだし、下ネタの出したら客が笑うと思っているなら幼稚だ。
2021年4月23日金曜日
4月22日 国立能楽堂企画公演
「木六駄」
千五郎の太郎冠者に宗彦の主、七五三の茶屋、松本薫の伯父。
千五郎の実力を初めてと言っていいくらい体感した。牛を追う様で12頭の牛を引き連れる空間の広さが感じられ、雪の降る中で往生する辛さが身に染みた(今と季節感には外れるけど)。笑いを取りに行くより、こういうちょっと渋い作品のほうが本領が発揮されるのかも。
「泰山木」
世阿弥作とされながら、観世流には伝わっていなかったという復曲もの。(金剛流では「泰山府君」の題で所演)観世清和の天女、泰山府君には金剛永謹を招き、ワキに福王茂十郎、和幸、知登の親子、アイの花守には茂山千三郎という顔ぶれ。
福王親子が3人そろって声を発すると、声がよく似ているということがよくわかる。独特の深く、響きのある声が異世界に誘う。
桜を愛で、盛りの短さを惜しむという物語の起伏はあまりない。復曲時には、世阿弥の時代のようにシテやワキも地謡を謡う演出だったそうだが、今回は現行型の地謡だったので、特に目新しさもなく。
2021年4月21日水曜日
4月17日 文楽公演 第三部
「傾城阿波の鳴門」
改めて聴くと、ひどい話だよなあ…、としみじみ。遠路はるばる会いにきた娘を追い返すお弓も辛いが、何より許し難いのは十郎兵衛!年端も行かない子供から金を巻き上げたり、騒ぐからと口を塞いであげく殺してしまうなんて。死体の始末といって、障子を立て掛けて燃やしてしまうのもびっくりだ。
前は御簾内で碩・燕二郎。短いながら役目をきっちりと果たした。盆に乗せず、あえて御簾内にするのは修行の意味もあるのかな。やたら出遣いにする人形との違いを感じたり。
前は千歳・富助。
あの…千歳さん、調子悪い?特におつるの詞が力入りすぎの感じで、可愛さや哀れさが感じられなかった。声が掠れ気味で、高音が耳に障ったのもあるか。
続く靖・錦糸が上出来!靖の声が素朴な雰囲気に合っているのもあり、物語の哀れさが胸をついた。この日に限っては、千歳よりよかったとすら思う。錦糸の三味線も過不足なく安心できる。
人形は勘十郎のお弓、休演の玉也に代わって玉佳の十郎兵衛。おつるの勘次郎がよく、哀れさが増した。
「小鍛冶」
床は織、睦、芳穂、小住、亘に藤蔵、清志郎、友之助、清允、清方。
織は神の役を意識してか重々しい様子。清方は胡弓も弾いて、入門からまだ日も浅いのに。
人形は玉佳の宗近、ダブルキャストの老翁実は稲荷明神は後半の玉志。肝心の相合槌が、玉志のリズム感が肌に合わす、なんだか気持ち悪かった。狐振り?で飛ぶように移動するところで何故か横向き気味だったのも??だった。
2021年4月19日月曜日
4月18日 文楽公演 第一部
錣、芳穂、希、靖、碩、文字栄に宗助、清馗、寛太郎、錦吾、燕二郎。
人形は万才が簑紫郎、玉勢、海女が簑二郎、関寺小町が勘弥、鷺娘が清十郎。清十郎の鷺娘は引き抜きも決まってよかった。
「恋女房染分手綱」
道中双六の段は睦・勝平にツレが咲寿、清公。
睦は声がよく出ていて、破綻がなく好演。声はいいのだから、この調子でいってほしい。咲寿は声の調子が外れぎみだがちょっとふざけた感じの役には合っていたか。
切は咲・燕三。
人形は和生の重の井に気品があり、隠された情を感じさせる。
三吉の玉彦も健気。
2021年4月18日日曜日
4月17日 文楽公演 第二部
感染拡大が続く大阪に来ていいのか迷ったけど、簑助が今月限りで引退を表明したので意を決して来阪。来てよかった。
簑助が登場する「楼門の段」は呂勢・清治。大和風だという、美しい節が呂勢の美声で心地よい。清治の三味線も心なしか柔らかく聞こえ、約50分の耳福。
簑助の違う錦祥女が登場すると、いつもより大きく、長い拍手。この間も床は演奏を続けているわけで、手短に!と思わなくもないが、気持ちはわかる。簑助は楼門の上でほとんど動かないながら、表情豊かな人形遣いは健在。ただ、いつもは自身の顔や目線はあまり動かさない印象だったのに、この日は人形より先に簑助ご眼下の老一心を覗き込んだら、遠方を見やるような様子が見受けられた。
(翌日再見。簑助はいつも通り。途中、老一官が長めに語るところで椅子に腰掛けているようなが様子があり、そのせいでいつもと違って見えたのかも)
続く「邯鄲館の段」は呂・清介。力の入った三味線には及ばないものの、今日はよく聞こえるな…と思っていたら、盆が回って次の藤・清友の音量が全然違う!(翌日改めて聞いてみると、やはり声量が足りない。甘輝が錦祥女に剣を突き立てる緊迫感のある場面での立て詞も気が抜けたようで、聞くのが辛かった…)
紅流しより獅子が城の段は藤・せいとも。藤はタガが外れることもなく、ここぞという時は大きな声がよく響いた。
初めの「平戸浜伝いより唐土船の段」は掛け合い。希の和藤内、小住の小むつはニンからいったら逆では…とおもったが小住が検討。希は声は悪くないのに、一本調子というか、板についてない感じがする。ほか、津国の老一官、南都の一官妻、咲寿の栴檀皇女。「とらやうやう」て何だろう?中国語らしさが全く感じられないのだが。
三味線は清志郎、清丈、清公。
千里が竹虎狩の段は口が御簾内で亘・清允。奥は三輪に団七、団吾、錦吾。この段って三輪の持ち役なの?虎役がひょうきんな動きで笑いをとっていた。三輪とのからみはあっさりめ。
人形は玉助の和藤内。人形より本人の演技が大きいのが目についた。表情がついてしまうくらいはまあ仕方ないところもあるだろうけど、人形よりも大きく首を振ったり、睨みをきかせたりするのはどうかなあ。
甘輝館から後の錦祥女は一輔。終始眉間に皺がよってたようなのはいかに。人形は簑助が遣っていたものと冠や髪飾りが違った。座るとき左の膝を立てていたのはワザと?それにしては半端な感じだったが。
栴檀皇女の清五郎が珍しい若い女形で、可憐だった。
2021年4月12日月曜日
4月11日 笑えない会番外編 笑える会
オンラインで視聴。
落言「冷庫知新」のみメモ。村上慎太郎作・演出で興味があったが、ドタバタ劇という感じ。家の主(よね吉)が、何でもかんでも冷蔵庫に入れてしまう妻をぼやきつつ、一人ビールを傾けると、冷蔵庫の中のひよこ饅頭(千五郎)、賞味期限切れのマヨネーズ(茂)、備長炭(宗彦)が、食材がぎゅうぎゅうに詰め込まれた冷蔵庫から脱出しようと悪戦苦闘(?)。
ひよこ饅頭は千五郎のフォルムからの配役?茶と黄色系の装束でそれっぽく見えなくもない。マヨネーズは黄色い装束にオレンジ(朱色?)の烏帽子、備長炭は黒づくめ。備長炭っていうキャラもよくわからないなあ。4人がわちゃわちゃしている面白さだけで、何だかあまり印象に残らない作品だった。小佐田定雄の落言「神棚」はもうちょっと、物語の骨格がしっかりしていたように思う。
2021年4月11日日曜日
4月10日 四月大歌舞伎 第三部
念願の!仁左衛門&玉三郎の桜姫‼︎チケット取るのに苦労したかいあった!!!
これまで色々な桜姫を観てきたけど(歌舞伎だけじゃなく)、これぞ決定版という感じ。2人の色気が凄まじい。36年ぶりの共演で、お二人ともが若さと美貌を保っているのが奇跡的。若作りの痛さは微塵もないもの。何度でも観たい。
仁左衛門は清玄と権助の演じ分けが凄い。清玄はシュッとした容姿なのに、ちょっと頼りないというか、煮え切らないというか、白菊丸をみすみす先立たせて怖気付くみっともなさ。17年後、高僧となり立派そうにふるまうものの、破戒してからの桜姫への執着がなんともうざい。一方の権助は悪の色気。桜姫との濡れ場の色っぽいことといったら!後ろの席のご婦人(けっこう年配)が変な声出してたよ。
玉三郎は白菊丸の可憐さ。お稚児さんはこうでないと。そして、桜姫は一見おぼこい姫でいながら、権助の入れ墨を一目見るや一変。権助に迫るときの恍惚、妖艶さ。視線で、身のこなしで、言葉より雄弁な誘い。視線が絡み合うのがなんとも言えん。
局長浦の吉弥もよかった。歌六は最近老け役でばかりみていたので、残月が長浦より年下⁉︎とビックリ。悪五郎の鴈治郎は悪役なのに憎めない。ちょっと下膨れの顔がいい人そうというか。千之助が吉田松若で出演。花道の引っ込みで、歌舞伎の動きになってない。もっとお稽古してください、と思った。
2021年4月10日土曜日
4月10日 国立能楽堂 普及公演
「夕顔」
金春流は地謡がマスク着用。客席は1列目を開けただけの満席なので、ちぐはぐな感じ。いつまで続くのか。
ワキは飯冨雅介。ワキツレ2人を連れてものものしい。ワキ座の辺りに来てから、半径50センチほどのなかでしきりに向きを変えるのはどういう演出なのだろう。
2021年4月9日金曜日
4月9日 奈々福・吉坊 二人会
前読みは富士綾那「陸奥間違い」。本人も季節外れと言っていたが、練習中なのかまだぎこちないところも。声はよく、節もしっかりしているが、セリフの語り分け、キャラクターの描き方がもう一つ。
奈々福は「悲願千人切りの女」(抜き読み)。ホームグラウンドの木馬亭だからか、今まで聞いた中で一番伸び伸びしていた。一声で前座との力量の差がくっきり。女千人斬りを果たしたという、幕末・明治の歌人松の門三艸子の物語。こんな女がいたとは…。三艸子に惚れて惚れて身分を捨てた男の、報われない恋が切ない。
吉坊は「たちきり」。期待していたほどではなく…。よね吉の熱演が耳に残っていて。外の騒音(音楽?)が漏れ聞こえてきたのにも興がそがれた。
アフタートークは、吉坊が最近ツイッターで毎日和歌を挙げている件について。四天王寺の雅楽の話から、能楽のルーツまで、えらい専門的なお話だった。
2021年3月29日月曜日
3月28日 子午線の祀り
萬斎が以前言っていた通り、大勢で声を合わせた語りは聞きやすかった。が、萬斎演じる知盛の台詞があまり頭に入ってこなくて辛かった。滑舌はいいし、発声もしっかりしてるのに。
一方、影身の内侍の若村麻由美は物語全体の語り部のような役どころでもあり、説得力のあるセリフがいい。弁慶も美声。
舞台装置がよく、三日月型のオブジェが傾斜に配置され、回転したり、真ん中で分かれたり。中央は黒い鏡面状の床面が水面のように見え、海戦や海の近くで進む物語によく合った。
2021年3月28日日曜日
3月27日 OSK日本歌劇団 レビュー春のおどり
桐生麻耶が蘇我入鹿、伊達政宗、堀部安兵衛と三様の男に扮するのだが、駆け足すぎてそれぞれの役の掘り下げが浅いし、脈絡がよく分からん。冒頭は大和風の衣装での群舞。あまりないパターンだし、目にも鮮やかで素敵なのだが、大化の改新のドラマが込み入って分かりづらい。蘇我入鹿って先帝(女帝)の隠し子なの?そして、引退公演とはいえ、トップが滅ぼされる側ってどうよ。ただ、桐生はトップとしての風格が増し、立っているだけで存在感を放つ。低音の良さが生きて、歌も良かった。こんなに歌のいい人だったかと思った。
唯一見応えがあったのは、政宗と出雲阿国(楊琳)の舞比べ。政宗が阿国を押し倒す場面もあったり、楽しませた。が、これもなぜこの組み合わせ?と疑問が尽きない。
和物といいながら、ロック調の曲やステップが多く、日舞らしい振り付けが少なめだったのも残念だった。
第2部は荻田浩一演出の「Victoria!」。
オーソドックスな洋物レビューで、取り立てて印象はないのだが。ラインダンスはコロナ禍で人数が少ないせいか、ダンサーの間隔が広く、一体感が薄いし、スピード感も物足りなかった。
2021年3月27日土曜日
3月26日 舞姫と牧神たちの午後
「Danae」
木村優里、渡邊峻郁。
上半身裸(女性は肌と同色のタンクトップ)に黒のタイツ、フレアスカートというシンプルな衣装。衣服を着けている女性はともかく、男性の体を美しく見せるのは難しいと感じた。決して緩んだ身体ではないのに、軽い不快感があるのはなぜだろう。バッハの音楽に乗せた官能的な踊り。
「かそけし」
酒井はな、森山未來。上下つなぎの道化のような衣装で、冒頭は「牧神たちの午後」を思わせる横向きの動きも。ちょっとコミカルな動きをしたり、森山の本領という感じ。髪をタイトにまとめていたせいか、酒井が中性的というか、男性的に見えたのが意外だった。
「Butteifly」
池田理沙子、奥村康祐。ダンサーの身体性を見せられた感じ。終始動きっぱなしで運動量が相当だったようで、終演後も笑顔が見られないほどだった。
「極地の空」
加賀谷香、古崎裕哉。
「Let's Do It!」
山田うん、河合ロン。ジャズの音楽に乗せた楽しい踊り。
「A Picture of You Falling」より
湯浅永麻、小尻健太。
2021年3月24日水曜日
3 月23日 三月大歌舞伎 第三部
「楼門五三桐」
吉右衛門の石川五右衛門。姿は立派だが、思いのほか声が通らない。体調が悪いのかと気がかり。真柴久吉は幸四郎、右忠太に歌昇、左忠太に種之助。たった20分ほどの一幕で納得させるほどではなかったか。
「隅田川」
玉三郎初役と聞いて意外に思っていたら、清元の演奏では初めてとのこと。それでも前回の長唄バージョンを加えても2回目とは意外。
子をなくした母の物狂いを描く作品は多くあれど、広い歌舞伎座の観客をほぼ1人で引き付けるのは並大抵でない。心ここにあらずといった物腰、静かな狂乱が深い悲しみを湛えていて見入った。舟長は鴈治郎。
2021年3月22日月曜日
3月21日 MONO「アユタヤ」
劇場で観そびれたので、オンラインで視聴。
江戸時代初期、シャムロに移り住んだ日本人の居留区が舞台の時代劇。筑前や備前など、日本各地の方言や、シャムロとの混血や現地生まれなどの片言の日本語などが飛び交う。武家出身の者たちが上に立ち、現地人や日本人でも現地生まれで日本を知らないものを見下すなど、差別の構造が見え隠れし、次第に締め付けが厳しくなっている。
正義感の強いツル(立川茜)はそうした状況を立て直そうと活動している。後につかまって牢に入れられてしまうほど。事を荒立てず、温厚に暮らす兄、一之介(尾方宣久)に不満を漏らした際の一之介のセリフが印象的。信念を言葉にしてしまうとこぼれて落ちるものがある。正しいことを追いすぎるとやがて人を許せなくなる。人を責めるとなぜかもっと腹が立つ。本当は近かった人をやがて憎むようになり、気づいた時にはもとには戻れない…。コロナ禍の閉塞感が他人への攻撃に向かう今の状況を映したよう。
武家の娘、ヒサ役の石丸奈菜美の、程よく高飛車で調子が良く、状況が変わると手のひらを返したようになるしたたかさがいい味。純朴な青年、梅蔵の渡辺啓太や混血児クラの高橋明日香らも、キャラが立っていた。深刻になりそうなところで、喜左衛門(奥村泰彦)の「ござるのでござる」「ワッシャ」など変な侍詞が楽しい。
日本が鎖国政策に入ろうとしている時世もあり、新天地を求めてカボチアへ移ることを決めた一行。ユートピアの希望を感じさせる幕切れだった。
2021年3月21日日曜日
3月20日 3月歌舞伎公演
「時今也桔梗旗揚」
歌舞伎が描く明智光秀ということで、冒頭は「麒麟が来る」のテーマ曲にのって、鶴屋南北の弟子筋に扮した亀蔵が解説。ドラマに不満があるので、テーマ曲を聞いても盛り上がらなかったし、ちょっと時期外れの感が…。上野公園にやってきたキリンのエピソードも余計(というか、長い)
饗応の場、本能寺馬盥の場と、春永の嫌がらせにひたすら耐える光秀がただただしんどい。愛宕山連歌の場の最後で使者を切り捨てるものの、カタルシスには至らない感じ。本能寺の変は描かれないし。
初役で光秀を演じた菊之助は、健闘していたものの、やはりニンではない。耐え忍ぶ、辛抱立ち役のような役どころなのだと思うのだが、やることに手いっぱいなのか辛抱している様子があまり感じられなかったのも惜しい。春永の彦三郎は顔色にムラがあり(正面からはそうでもなかったが、花道などで横から見ると)、権力者というよりは赤っ面のような軽さを感じてしまい、光秀への理不尽な仕打ちも、小物っぽく見えてしまう。
よかったのは、梅枝の光秀妻皐月。武家の妻らしい品格があり、落ち着いた語り口も説得力があった。
蘭丸の萬太郎、力丸の鷹之資は美少年ぽくはないが背格好が似ていて好対照。
2021年3月20日土曜日
3月19日 渋谷能 第二夜
「内外詣」
金剛流のみに伝わる曲で、舞がたっぷりの祝賀的な演目。
シテの神主は金剛龍謹。直面でやや緊張した面持ちながら、面がないと美声がより聞こえるのがよい。中入りした後、後シテでは白装束に赤毛の鬘、2枚重ねた扇とマスクで獅子の舞い。機敏な動きで舞金剛らしい勇壮さ。隙間からのぞく眼差しもいい。後見座で再び神主の扮装にもどるのも興味深い。後見が獅子の装束で目隠しをするなか、2分ほどでの早替わり。神主の舞いは荘厳。
ツレの巫女は山田伊純。若さゆえか舞には少し稚気が感じられた。ワキツレが2人もいて1人は舞台にかかる位置に座っていたので、舞の途中、ほとんど接触しそうなくらい近づいてはらはらした。
ワキの勅使は福王知登。深みのある声が父、茂十郎を思わせる。
地謡は6人でマスク着用。半分くらいは見知らぬ名前で、東京の門弟か。そのせいかは分からないが、地謡のまとまりが今一つだった気がした。
冒頭に石田ひかりと金子直樹の解説。石田が聞き手になる形なのだが、中途半端に知ったかぶりをするのが不快。
2021年3月14日日曜日
3月13日 三月大歌舞伎 第二部
「熊谷陣屋」
仁左衛門の熊谷、孝太郎の相模、門之助の藤の方と、昨年12月の京都顔見世とほぼ同じ配役。芝居がこなれていてもいいはずなのに、なぜかかみ合っていないように感じた。仁左衛門の熊谷は無精らしい骨太さが増したようで姿がよく、繊細な心理描写が深みを増して、心の動きがひしひしと伝わってくるようだったし、ほかの役者もそれぞれの役に適っているのに、感動できなかったのはなぜだろう。客席には泣いている人もいたので、私のコンディションの問題か。
「雪暮夜入谷畦道 直侍」
菊五郎の直次郎、時蔵の三千歳はじめ、菊五郎劇団のおなじみの顔ぶれ。こちらは役者同士の歯車がかみ合って、芝居の面白さを堪能できた。菊五郎は顔の艶が良くなっているようで、若々しく見えた。
熊谷が1時間半、直侍も1時間あまりとたっぷり。3部の中で間違いなく一番お得。
3月13日 三月大歌舞伎 第一部
「猿若江戸の初櫓」
勘九郎の猿若、七之助の阿国が一座の者たちと江戸へ下ってくる。舞踊仕立てで、踊りが達者な勘九郎がいかんなく本領を発揮。亡き勘三郎のために作った舞踊だからか、台詞を話すたびに勘三郎の面影がよぎる。
若衆に宗之介、男寅、虎之介、千之助、玉太郎、鶴松。はじめ、千之助一人だけが踊りだした猿若の踊りを見ていて、あれと思ったら、ほかの若衆も次々に引き込まれていくとえいう筋立てだった。よそ見しているのかと思ってしまったよ。
奉行板倉勝重に扇雀、福富屋に弥十郎、女房に高麗蔵。
「戻駕色相肩」
松緑の治郎作に愛之助の与四郎、莟玉の禿。
松緑のギョロリとした目が役に合って映える。愛之助はすっきりとした男前風だが、取り立てるほどのものはない。莟玉は可憐だが、禿というには顔立ちがシャープすぎるような。
舞踊2本というのはバランスが悪く、休憩をいれて1時間20分というのは短い。このあとの第二部と同じ値段って、納得いかない気がした。
2021年3月7日日曜日
3月7日 木下歌舞伎「義経千本桜―渡海屋・大物浦―」
安徳帝が典待局に誘われて海の下へ向かおうとする場面から、舞台は過去へ遡り、鳥羽上皇から崇徳、後白河へと続く皇室の跡目争いや、源平の戦いがポップに描かれる。源義朝や平清盛は特攻服のような上着で、背中に「全国制覇」「盛者不衰」の文字。「渡海屋」の場面に至るまで40分あまり、争いに敗れて死んだ者は着物を脱ぎ捨てて去り、赤と白を基調とした着物が次々と舞台を埋めていく。
源平の勝敗が決したのち、帝から初音の鼓を拝領した義経が、頼朝の不興を買い、静と別れる場面もあり、本編?(渡海屋)に至るまでの状況がよくわかる。
渡海屋では、銀平ら船問屋の人々はニッカポッカ―に長靴という漁師のいでたち。義経一行はタキシードや作業服風から、ジーンズ、アロハに短パンと、カジュアルな恰好に。
魚尽くしや女房おりうののろけなど、見せ所はちゃんと残しつつ、テンポよく進む。
大物浦で義経への恨みを述べる銀平の独白は、古典のセリフ。ナレーションのような義太夫節をアンサンブルが語るが、どちらも発声が現代劇風なので、台詞を聞く心地よさがないのが惜しい。一方、安徳帝を大人の女優が演じていたため、台詞が明瞭で、争いをやめようと持ち掛ける義経に反発していた銀平が、安徳帝の詞で意を改めるまでの様子がより分かりやすかった。手負いになった銀平の血まみれの衣装のなかに、レインボーカラーや東京オリンピックのロゴ。最期は、碇の代わりに、死んでいった者たちの着物を束ねたものを抱えて海に飛び込む。敗れていった者たちのすべてを抱えていくかのよう。
ラストは弁慶ら一行が去ったあと、一人義経が舞台に残り、白装束の人々が念仏踊りのように踊りながら周囲を囲む。無常観というか、義経の孤独が鮮明になり、タイトルロールであることがよくわかる幕切れだった。
清盛や弁慶を演じた三島景太が、ガタイがよく、坊主頭に髭という姿が日本人離れして異彩を放っていた。
2021年2月28日日曜日
2月27日 ロームシアター京都 舞台芸術としての伝統芸能Vol.3 人形浄瑠璃文楽
「端模様夢路門松」
勘十郎が簑太郎だった30歳の頃に作ったという新作。ツメ人形の門松が三人遣いになりたいと夢見る。ツメ人形や動物がたくさん出てきて、賑やか。舞台裏(廊下)、劇中劇の戦場(ツメ人形の日常、侍役の三人遣いに投げ飛ばされ踏みつけられる)、夏祭りの長町裏、と3場面を展開して意外とお金がかかっている。オチは門松に想いを寄せる女中役のツメ人形といい仲になってハッピーエンドの可愛らしい作品。
床は碩に清介、清公、清允。清允は細棹、胡弓も。初演が嶋太夫だそうで、碩の語りに面影を感じたような気がした。
「木下蔭狭間合戦 竹中砦の段」
人形付きでは87年ぶりという復曲上演。桶狭間の戦いと、竹中官兵衛家のドラマが交錯し、物語が二転三転する怒涛の展開に息つく暇もないほど。床は錣・藤蔵。錣は大汗かいての熱演。藤蔵は激しい撥使いで、気づいただけで4回も糸を繰っていた。終始、ほとんど1音ごとに唸っていて、糸を繰りながりも掛け声をかけていたのには感心した。
2021年2月25日木曜日
2月25日 金春会定期能
昨年4月に開催予定の代替公演。
「西王母」
梅井みつ子のシテ、アイではなく子方は見吉麻由、ワキは高井松男。
梅井は小柄で声はしゃがれ気味。足遣いがぎくしゃくしてみえたのは、一歩ずつ足をそろえるせいか。子方の登場は後場のみで、木に生った実を持ってくるのが金剛流と違うところ。
「秀句傘」
三宅右近のシテ、アドは三宅近成、三宅右矩。
愛嬌があって朗らかなシテ。秀句はよくわからなかったが。
「井筒」
長谷川順子のシテ、則久英志のワキ。地謡の5人と笛方も女性だった。
長谷川は詞が聞き取りやすいが、声の響きが少し物足りなく感じた。面とのバランスがいい背丈で、等身大な感じ。地謡もだが、女性の声だと地を這うような響きはないので、少し違って聞こえる。
則久はテノールのよく響く声で、女性のキーとは相性がいいのかも。
「鵺」
森瑞枝のシテ、ワキは村瀬堤。
橋掛かりを歩くとき、一歩ずつ足をそろえるようにするのは流儀なのだろうか。ぎこちなく見えてしまう。前シテはちょっと小柄な妖怪といった風情だが、後シテになると鬘とのバランスか四頭身のように見えて、恐ろしさが減じる。舞は手足が短く、ちょこまかした動きで、面が横に大きく口を広げてにやりと笑っているように見えたこともあって、どこかコミカルな印象。
3曲ともシテを女性が勤めるというのに興味を引かれて観劇。総じて体が小さいので面や装束とのバランスに違和感があったのと、謡の声の浮いた感じ(聞き取りやすい面もあるが)、足拍子の弱さが気になった。女性ならではの魅力はどういうことなのだろうかと考えさせられた。
2021年2月24日水曜日
2月23日 赤坂文楽#23 ワカテ名作チャレンジ
千歳・碩の師弟トークに続いて、「壺阪観音霊験記」。トークでも言っていたが、碩の沢市は第一声で目が見えると分かる。盲目の人の詞は語尾を浮かせるということだが、感情を入れて語ると技術がおろそかになってしまうのだとか。三味線の燕二郎は音があまり鳴っていない様子で、精彩に欠けた。新しい曲だけに、派手な手がついているので、余計に気になったのかも。若手にとって世話ものは難しいのだなと再認識。清方がツレ。
人形は簑紫郎のお里に簑太郎の沢市。沢市も目が見えるようだった。
2021年2月21日日曜日
2月21日 第六十一回 式能 第一部・第二部
第一部
金剛流「翁」
金剛永謹の翁、大倉弥太郎の三番三、大倉基誠の千歳。
永謹の声に包容力を感じた。深みのあるいい声。
弥太郎は掛け声や動きが武道家のようい勇ましい。高い位置で束ねた髪がちょんまげのようで、烏帽子にフィットすると思った。
「西王母」
翁から引き続き。シテは今井清隆、ツレ今井克紀、ワキ野口能弘、ワキツレ大日方寛、野口琢弘、アイ大蔵教義。
桃の実がちょっとくすんだ色?
大蔵流「宝の槌」
善竹大二郎のシテ、アドは善竹十郎(果報者)、野島伸二(すっぱ)。
大二郎は声がよく、朗らかでいいのだが、野島がちょっと棒読みっぽいというか…。
喜多流「東岸居士」
シテ粟谷明生、ワキ工藤和哉。
粟谷はテノールの美声で穏やかな舞が荘厳。
和泉流「魚説法」
野村万作のシテ、裕基のアド。
第二部
観世流「胡蝶 物著」
梅若紀彰のシテ、ワキは福王和幸、ワキツレ村瀬堤、矢野昌平。
小書きにより中入りせず、後見座で後シテの扮装に。
大蔵流「土筆」
山本東次郎のシテ、アドは山本則俊。
東次郎の本領を見た。周囲を見渡す視線で青々と広がる野辺が見え、土筆を袂に入れる様子のリアルさ、友人に言い負かされていたたまれない様子など、ほのぼのとしたおかしみが漂う。相撲をとのが微笑ましく、負けて拗ねるのがかわいい。
金春流「俊寛」
櫻間金記のシテ、ツレは政木哲司、柴山暁、ワキは福王茂十郎。
平判官康頼と丹波少将成経は直面で、判官は頭巾を被っている。清水で酒盛りと戯れるところへ、恩赦の使者が現れて…という展開は、文楽や歌舞伎と同じだが、沖へ出ようとする船の艫綱に俊寛がとりつくと、綱を断ち切って振り払う。絶望感が際立つ演出。
茂十郎の声が能楽堂に響き、重厚感を増す。
地謡は布のマスク着用。
和泉流「痩松」
野村万禄のシテ、河野佑紀のアド。
宝生流「野守」
今井泰行のシテ、村山弘のワキ。
地謡がマウスガードをしているのは初めて見た。
2021年2月20日土曜日
2月20日 イキウメの金輪町コレクション 乙
「輪廻TM」
輪廻転生の過去や未来を見られるというタイムマシンを発明したという、寺に住む怪しげな路上生活者(大窪人衛)と元大学教員(盛隆二)の元へ、来世を確かめたいという男(安井順平)が訪れる。なぜか女性もののハンドバッグを手にし、女言葉なのは…??という疑問は次の作品で明かされるという上手い演出。
「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」
女(松岡依都美)がひとり、ビルの屋上から飛び降り自殺しようとしていると、スーツ姿の2人の男(森下創、浜田信也)が現れる。自殺を止めはしないけれど、なにやら知っているようで…。どこかで見たと思ったら、MONOの「涙目コント」に提供された作品だった。演者が違うと印象が変わるものだ。(女の魂が、自らが殺した男・安井順平の体に移って天寿を全うすることで、来世で女性天皇になるというオチが「輪廻TM」につながる)
「許さない十字路」
何だかよくわからないけれど、「許さない」と言われ続けって怖い。
「賽の河原で踊りまくる『亡霊』」乙バージョン
安井順平の鬼、亡者は大窪、盛、森下、浜田。同じ脚本でも役者が変わると雰囲気が変わる。初見のせいか、鬼は松岡のほうが好みだった。奪衣婆は同じく瀧井公美。事務員風の衣装は色違い?ちょっとのぞかせるエスっぽさがいい。
2月20日 新国立劇場バレエ団「眠れる森の美女」
小野は姫タイプと思っていたが、オーロラはちょっと違うかも…。2幕の登場、17歳の誕生日にしては落ち着きすぎていて、もっと初々しさやこぼれるような多幸感がほしいと思ってしまった。ローズアダージョもミスなく、立派だったのだが、もうちょっと余裕が見たかったというのは、高望みしすぎ?フィナーレの福岡とのパドドゥは圧巻。息の合った様子で、確かなテクニックを見せつけた。
2021年2月19日金曜日
2月18日 イキウメの金輪町コレクション 丙
「インタビュー」
笑いのツボが今一つ、と思っていたら、その後に続く町の節分祭で役所の地域課の職員が出し物としてやっていたという設定。だからわざといまいちにしたのかは不明。相槌が失礼で相手をいらっとさせるというのは面白いのだが、間なのか、セリフのチョイスなのか、あまり笑えなかった。会場の客はよく笑っていたけど。
「弁明」
町のジオラマを作ったのがすごい。内輪ネタぽくて、金輪町の作品をよく知っている人ならともかく、ちょっとついていけなかった。
落語「高速ジジババ」
柳家三三と前川知大が組んだらどうなるのか、というのが一番の興味だったのだが、結論は今一つ…。体調もあるのかもしれないけれど、途中何度かうとうとしてしまった。三三が町の理髪店の店主で、趣味で落語をやっているという設定。ネタだと思ったらマクラだったり、SF的な設定を表現するのに落語はあまり向いていないのではと思った。
「賽の河原で踊りまくる『亡霊』」
河原の石の代わりに段ボールを積んでは鬼に崩され…と体を張った芝居。鬼の松岡依都美のちょっとうんざりした様子がいい味出してた。奪衣婆の瀧内公美のクールな様子がいい。
2月19日 国立能楽堂 定期公演
「塗附」
高澤祐介のシテ、アドは三宅右近、小アドは三宅近成。
和泉流のなかでは今まで見たなかで一番フランクというか、親しみやすかった。陽気な感じというか。
「砧 梓之出」
大槻文蔵のシテ、裕一のツレ、福王茂十郎のワキ。
シテが曲の始めに舞台に登場する演出。面が体の一部になっているというか、視線が定まっているので自然に感情が伝わってくる。正直、このシテの気持ちには同情しにくいのだが(3年経ってもわざわざ使いをよこすのは夫の誠意じゃないの?と思う)、絶望的なまでの悲嘆が伝わってくる。これに比べると、ワキの裕一は、面が造り物のままというか。
茂十郎は声がよく、フシのある詞に聞きほれた。
地謡頭に梅若実。床几を使うのはやめて、専用の座椅子を用意していた。周りの人から頭ひとつ出るだけなので、違和感が少なくていいかも。
2021年2月13日土曜日
2月13日 第六回復曲試演の会
2020年6月の予定か、コロナ禍で延期され、ようやく上演。
西野晴夫法大名誉教授の解説によると、篁は隠岐で死んではいないので、隠岐に流された後鳥羽院と逢うのは史実に反することなどが嫌気されて上演されなくなったのではとのこと。
今日の上演を見て、登場人物たちの立ち位置や詞がよく伝わり、面白いと思ったが、それは復曲の初演で、演じ手たちが手探りなため、より心情がストレートに現れたからかもと思った。復曲にあたっては創成期の手順に従ったといい、台本の意図を伝えるための試行錯誤がまだ荒削りのため、長い年月を経て磨き抜かれた古典にはない、生々しさがあるのではと。
シテの小野篁は味方玄、ツレ(両シテ?)後鳥羽院は片山九郎右衛門、ワキ宝生欣哉、アイ小笠原由祠。
シテは前場はワキとのセリフ劇。船に乗り隠岐島へ行きたいと求めるワキとの緊迫感のあるやり取り。後場は鬼の面に笏を持ち、閻魔大王の補佐をしていたという伝承を思わせる。笏を放ったり、飛び上がって胡座で着地したりと、躍動感のある舞。
後鳥羽院は後場で登場。橋掛かりでの詞が会場に響きわたる。直面で遮るものがないせいでもあるのだろうが。篁が舞っている間、脇座で座っているのだが、視線が中正面席の方を向いていて篁を見ていないのは何故だろう。
仕舞
「実盛」河村和重
足元がおぼつかなく、立ち上がる時によろけたり、足の運びも不安定でハラハラ。
「雨の段」大江又三郎
「山姥 キリ」井上裕久
「葵上」
古演出によるとあり、破れ車の作り物と青女房が出てくる。
シテ河村晴道、ツレの巫女・片山伸吾、青女房・大江信行、ワキの横川小聖・有松遼一、ワキツレ岡充、アイ泉慎也。
大江信行の青女房が、頭ひとつ高く、小ぶりの女面をつけると9頭身くらいあって異世界の人のよう。
ワキは六条御息所を鎮めるところが格好いい。橋掛かりに追い詰めてから押し戻されるところで、後ろ向きに舞台へ戻りシテ柱にぶつかるアクシデント。何事もなかったように続けていたけれど、びっくりした。
2021年2月9日火曜日
2月8日 宝塚雪組「f f f -フォルティッシッシモ-」「シルクロード~盗賊と宝石~」ライブビューイング
「f f f -フォルティッシッシモ-」
望海風斗の退団公演の大劇場千秋楽。上田久美子作・演出で期待の舞台。コロナ禍で延期されなければ、ベートーベン生誕250周年に上演されるはずだったものの、コロナ禍だからこその演出もあり、十二分に楽しませた。
冒頭、モーツアルトやヘンデルが天の裁きを待っているという設定。神のために音楽を作ったバッハは先に天国へ行くことができ、王侯貴族のために音楽を作ったモーツアルトらをどうするかは、後世の音楽家に委ねられているとして、音楽は誰のものかが一つのテーマであることが明かされる。
「英雄」の演奏会のシーンではベートーベンや演奏家がオケピから登場。コロナ禍で生オケが使えない状況を逆手にとった憎い演出。肖像画でよく見る、ぼさぼさの頭で情熱的なベートーベンの姿が望によく似合う。
幼少期に父親に虐待されたり、思いを寄せた女性に裏切られたりと、ベートーベンが苦境に陥るたびに現れる謎の女(真彩希帆)は、銃を差し出して死へ誘うなど「エリザベート」のトートを思わせる役どころ(思えば、冒頭の死者が裁きを待っているという設定も)だが、中盤からは作曲作業に打ち込むベートーベンの世話を焼くなど、少しずつ関係が変化していく。運命のテーマをピアノでつま弾いていたベートーベンに女が加わって連弾になり、壮大な交響曲に発展。最後は、女を運命と受け入れ、愛することで歓喜の歌が生まれるという展開に舌を巻いた。(余談だが、執筆中のベートーベンと女のちょっとほっこりするやり取りでファンサービスも忘れないのが心憎い。「一つだけやってほしいことがある」「(迫られと誤解した風にうろたえて)…なに、いやよ」などのやり取りや、パンを投げつけるシーンなどアドリブが交じり、トップ2人の関係性が垣間見えて微笑ましい)
曲はそれほど印象に残らなかったものの、歌上手のトップコンビらしく、ソロやデュエットで歌う場面が多かったのはよかった。せっかくベートーベンなのだから、全曲ベートーベンのアレンジでもよかったのではと思う。
ベートーベンが当初は心酔して交響曲をささげようとまでしたナポレオン(彩風咲奈)や度々曲を送ったというゲーテ(彩凪翔)との関係も丁寧に描かれ、物語に厚みを加えた。終盤のロシア遠征で壊滅状態のナポレオンとベートーベンが本音で語り合う場面は一つの山場だった。サヨナラ公演だけあって、お金をかけて丁寧に作っているなあと感心したのは、ナポレオンの戴冠式。ほんの数分なのに、豪華な衣装といったら!
「シルクロード~盗賊と宝石~」
生田大和演出のショーはシルクロードを中東から中国へと旅する。トップお披露目の「ひかりふる路」のとき、「悲劇ばかりやらせているから、次は明るい役で」と言っていたのだが、全体的に暗い色調で「明るい」というほどはじけてはいなかったような。
続く、サヨナラコンサートは「ドン・ジュアン」から始まり、「ファントム」や「ひかりふる路」など、名曲のオンパレード。コンサートの名に恥じず、歌をたっぷり聴かせてくれたのが何より。トップ2人のデュエットも楽しめ、幸せな気分。満足度の高い舞台だった。
2021年2月7日日曜日
2月7日 文楽公演 第三部
淡路町の段の口は小住・清丈。清丈はややせわしない感じ。ミスタッチもあった?小住は落ち着いていい語り。
忠兵衛が勝手なことばかり言うのは、まあそういう話なのだけど、口先ばかり感が強くて、哀れさがないので、あまり同情できない…。多分、織は色んな意味で強者なので、弱い男の心境を理解できないのではと思った。
封印切は千歳・富助。
はじめは、無骨な語り口が世話物に似合わないなあと思っていたが、クライマックスの封印を切るあたりでは引き込まれた。忠兵衛の勝手ぶりには同情できないものの、梅川が哀れで。
人形は禿の簑悠が健闘し、三味線を奏でるところがよく合っていた。左は弾かないところではじいていたところもあったけど。
2月6日 花形演芸会
三笑亭夢丸「徳ちゃん」
桂小すみ 音曲
2月6日 文楽公演 第二部
「曲輪文章」
口は睦・勝平に錦吾のツレ。破たんなく、無難な感じで店先での餅つきの様子を華やかに。
咲太夫一門総出で、咲の伊左衛門、織の夕霧、おきさに南都、男に咲寿。喜左衛門は藤。三味線は燕三、ツレ燕二郎。
男衆の咲寿は冒頭の賑やかし。咲は枯れた芸で、落ちぶれた伊左衛門を描出。織の夕霧は元気そう。美男美女のイチャイチャを楽しむ演目なので、文楽より歌舞伎向きと思う(出演者におよるが)
人形は玉男の伊左衛門に清十郎の夕霧。夕霧は病の表現なのか、首が襟元にめり込んでいるようなのが気になった。おきさの簑助は休演で、一輔が代演。
「菅原伝授手習鑑」
寺入りを希・清馗。希が意外に悪くない。
寺子屋の段の前を呂・清介。出だしは悪くないと思ったが、中盤から息切れした感じ。
後は藤・清友。いろは送りがひびかなかった。
人形は松王の玉助が立派な武士のよう。人形以上に視線をあちこちにやるのが目に付いた。玉也の源蔵が重々しくてよし。玉翔のよだれくりはふざけすぎず。
2月6日 文楽公演 第一部
咲寿、津国、碩、文字栄に三味線は清志郎、寛太郎、清公、清方。
この並びなら牛若丸は咲寿とはいえ、シンかと思うと…。声は大きいのだが、腹から出てる感じでなく、何というか上滑りして聞こえる。
三味線はよくまとまって聞きやすい。
人形は玉勢の牛若丸、文哉の弁慶。弁慶の足と左が振り回されているようだった。
「伽羅仙台萩」
竹の間の段を靖・錦糸。
まだ練れてないというか、声が硬く、女ばかりの語り分けに難あり。意外に八汐があまりよくなく、あまり悪そうでなかった。
御殿の段の前は呂勢・清治。
清治の文化功労者顕彰記念とのことで、三味線の聴かせどころが多く、音楽的。呂勢も落ち着いた語りで、朗々と美声を聴かせた。さまざまな感情を音で表現しているのが耳に楽しく、飯炊きで退屈しなかったのは初めてかも。最近は子どもの詞で笑いが起きることが多いのだが、「お腹が空いてもひもじゅうない」でも笑いがなかったのはよかった。
後は錣・藤蔵。
圧が強い。
人形は八汐の玉志が意外に悪が強くない。和生の政岡に安定感。一輔の沖の井、簑紫郎の小巻、簑二郎の栄御前。
2021年2月6日土曜日
2月5日 イキウメの金輪町コレクション 甲
「箱詰め男」
人の記憶をコンピュータに移して(アップサイクルといったか?)、肉体が死んでも精神は生き続けるという現代と地続きの近未来(設定は2050年くらい?)が舞台。ただ、記憶だけではいくら正確でも人間味に欠け、AIスピーカーのようなやり取りが可笑しく、空恐ろしくもある。香りという、感情を揺さぶる要素を加えることで、人間らしい対話ができるようになるものの、いつまでも鮮明で薄れない記憶に苦しめられる。箱男=不二夫の浜田信也は声だけで無機質な言葉つきから、感情に振り回される様への変化を表現。息子、宗男役の安井順平、不二夫の友人・時枝役の森下創。記憶に現れる不二夫の弟、輝夫役の大窪人衛はちょっとエキセントリックな役
袋叩きに遭っていた男(仮釈放中の男・大窪)を助け、自宅に招き入れるコンサルタントの男(盛隆二)の偽善?ぶりがいかにもありそう。むやみに見知らぬ人を家に上げることに消極的な妻(松岡依都美)の常識が少し緩和剤になっていたが、ああいう根拠なく自信満々な男ってイライラする(そういう狙いなんだろうけど)。仮釈放中の男は、見ず知らずの男を容易く信用するというコンサルタントを試したのか、本当なのか。コンサルタント夫婦は子供を亡くしたらしく、そのことが今のあり方に影響しているようなのだが、詳しくは語られない。性善説のようにまず人を受け入れる姿勢って、どういう経験をしたらなるのだろう。ちょっと怖い、後味の悪さが残った。
「いずれ誰もがコソ泥だ、後は野となれ山となれ」
最後は万引き者のプロ・畑山(安井)と懸賞生活を送る女(瀧内公美)。畑山は必要以上には万引きしないという“美学”をもって万引きにいそしむが、やりたい放題の万引き犯・平雅(浜田)が現れ、店や社会の存続自体を危うくする。平雅の持っているスーツケースでは32インチテレビや高級シャンパン数十本は入りきらんだろう…というのは置いておいて、限度を無視して狩りつくそうとする空恐ろしさ。
2021年2月3日水曜日
2月3日 国立能楽堂定例公演
野村万蔵のシテ、萬の太郎冠者、小笠原由祠のすっぱ。(誰かと思ったら匡から改名したそうな)
知らないものを買いに行かされた太郎冠者がすっぱに騙される…という滑稽な話だが、あまり笑いは起こらない。萬の太郎冠者は淡々として、余計なものを削ぎ落としたよう。
「杜若」
在原業平の有名な歌が題材で、分かりやすいが、業平が仏の化身で女たちを救済したとは…。
ワキとシテの対話が多く、節のある詞のやり取りが聞きどころなのだろうが、野口は発生にムラがあるというか、音量が乱れるのが聞きづらかった。
シテは後見座で装束を変えるのだが、前半も錦糸の入った綺麗な装束で、みすぼらしくはないのでは。後半は冠に唐衣が中性的な感じがした。
2021年2月2日火曜日
2月2日 二月大歌舞伎 第二部
「於染久松色読販」
玉三郎の土手のお六に仁左衛門の鬼門の喜兵衛と、久しぶりにがっつり組んでの共演に期待が高まる。お染の七役はなく、小梅莨屋から瓦町油屋までの強請場がメーン。悪い夫婦ながら息もぴったりで、長年連れ添ったような慣れた様子を醸し出す。
ただ、今回印象に残ったのは脇役陣の活躍。子役の丁稚長吉に真秀、髪結いに福之助と、お江戸の御曹司たちもよかったが、番頭の千次郎、丁稚久太の吉太郎、中間の松十郎と上方勢の活躍がうれしい。千次郎はチャリ場を引っ張る役どころで、死体に灸をすえるところで手指の消毒をしたり、真秀の丁稚が気を利かせたところで「しのぶお母さんの仕込みがいいから」と言ったり。ちょっと芝居が浮足立っている感じは初日のせいか。松十郎は花道で仁左衛門とがっつり芝居をするのが頼もしく、吉太郎は道化の役どころをしっかり演じて花見の引っ込みでは大きな拍手をもらっていた。
「神田祭」
鳶頭の仁左衛門と芸者の玉三郎が終始いちゃいちゃしている一幕。こういう仁左・玉が観たかった!と堪能した。美男美女の並びは目の保養だ。
23日に再見。花道に近い中央席の前方だったので、よく見えたこと!喜兵衛が悪事を働くときに周囲に目を配る周到な様子や、お六とのアイコンタクトによるあうんの呼吸。この2人にしか出せない空気感だと思う。神田祭はちょっと疲れも見え、初日ほどの多幸感はなかったけど、やはり眼福。
2021年1月25日月曜日
1月25日 オペラ「トスカ」
ナマで見るのは初めてだったが、イタリアの伝統的な演出(マダウ=ディアツ)というのにひかれて所見。1幕ラストのテ・デウムの荘厳な様子や、デコラティブな舞台装置、衣装にオペラを見ているという満足感。トスカのキアーラ・イゾットン、カヴァラドッジのフランチェスコ・メーリ、スカルピアのダリオ・ソラーリと、主要キャストは外国からのゲストで、ほかは日本人キャスト。やはり日本人にイタリアオペラは難しいのか。
メーリはチャーミングな二枚目。カーテンコールで見せた陽性の笑顔が素敵。だが、カヴァラドッジよ、トスカのせいで親友がつかまったり、挙句自殺しちゃったりしたのに、そのことには一言も触れず、3幕でのラブラブぶりってどうなん!?と思った。
ソラーリは悪役ながらも魅力あふれるバリトン。まあ、2幕で「力で女を屈服させるのがサイコー」とか「すぐに捨てる」とか凄い下種なのだが、声が低いってだけで悪役認定てちょっと気の毒かも。
トスカのイゾットンは歌声は素晴らしいのだが、1幕で登場したときはカヴァラドッジと相思相愛というよりはちょっとうっとおしがられている感じに見え、2幕でスカルピアを刺すところは迫力に欠けた(食卓ナイフであんなに簡単に人が刺せるとは思えず)。
オペラ界では当たり前のことなのかもしれないが、幕事に主要キャストが幕前であいさつするのはいかがなものか。1幕はまだしも、2幕なんて直前で殺されて倒れてたスカルピアが歩いて出てくるってなんか変だ。
2021年1月20日水曜日
1月19日 GINZA de petit 能
林宗一郎が中心となって企画した、短い時間で気軽に能を楽しめる公演。
宗一郎の挨拶や大倉源次郎による短い解説を挟んで、狂言と能を1曲ずつ、トータルで90分ほどというのは、仕事帰りにも立ち寄りやすい。
狂言「因幡堂」は茂山逸平の夫、善竹大二郎の妻、後見・野島信二。とぼけた夫の様子やわわしい妻におびえる様が可笑しい。
「一角仙人」は宗一郎のシテ、坂口貴信の旋陀婦人、宝生欣哉の官人。龍神は子方の林彩八子、林小梅。
歌舞伎の「鳴神」のモチーフになっただけあって、楽しい展開……なのだが、寝不足のため途中意識が飛んだ(涙)。子方は鐘のような造り物の中に隠れて登場し、クライマックスで破って登場。仙人との立ち回りもあって見応えあり。(仙人の面を刀がかすめてヒヤリとしたが)
2021年1月17日日曜日
1月16日 初春歌舞伎公演「通し狂言 四天王御江戸鏑」
遅刻して幕開きの三番叟は見逃したが、対面風の勢揃いの序幕。二幕はお座敷の場面で、ソーシャルディスタンスを保って長い棒の先に徳利を付けたり、客の間に衝立を立てたり。ウーバーまがいのデリバリーが来たり、女郎花咲役の菊之助を中心にNiziUの縄跳びダンスを披露するなど、世相を取り入れた遊び心で楽しませる。三幕はガラリと変わって、頼光館で大蜘蛛が襲い掛かり、四幕の蜘蛛の精の宙乗りは客席の上でなく舞台上を右へ左へ。時間短縮のため初演時より大幅にカットされているそうだが、必要な要素は盛り込まれている感じで、見応えがあった。