2021年9月30日木曜日

9月30日 第二十七回 能楽座自主公演

 舞囃子「善知鳥」

梅若紀彰の颯爽とした舞。踵を返すところや笠を投げるところなど、目が覚めるよう。善知鳥は能のほうが様になる気がする。地謡が舞台右奥を背に斜めに座るのは観世流。

狂言「鍋八撥」

野村万作の鍋売り、裕基の鞨鼓売り、萬斎の目代の三世代共演。やはり和泉流の狂言はさらっとしていて、なかなか楽しめない。最後、意気揚々と側転を決め鞨鼓売りに対して、とてもできそうにないとしょんぼりする鍋売りの表情が絶妙。

一調「起請文」

宝生欣哉と亀井広忠の大鼓。大鼓が連打するのってこれまであまり聞いたことないような気がする。

舞囃子「邯鄲」

栗谷明生は謡の声もはっきりしているし、舞も力強い。地謡が横向き(通常の能の上演のよう)なのは、喜多流の流儀か。

仕舞「忠度」

櫻間金記。少し枯れた芸って感じ。

一調「玉之段」

武田孝史と観世新九郎の小鼓。朗々とした声。

一調「野守」 観世銕之丞と金春惣右衛門の太鼓。貫禄の銕之丞に対し、太鼓のリズムが若い感じがした。

連吟「猿歌」替

野村万蔵、萬、万之丞の三世代共演。万作よりは萬のほうが声が聴きよい。

能「鷺」

大槻文蔵の鷺に梅若実玄祥の帝、蔵人は福王茂十郎に大臣が知登ほか。冒頭出てきた千五郎の官人が立派ななりと声で、空気が変わる。実玄祥は入退場時、左右を固める輿持ち(?)が横に渡したバーにつかまってという新技を披露(!)。ワキ座のあたりで床几に腰かける際は杖や弟子(川口晃平)につかまって、体の向きを変えるのもやっとと言った感じ。声に張りもないし。

が、文蔵の鷺の素晴らしいこと。冠の鷺は、これまで単なる飾りだと思っていたのだが、文蔵にかかると、この鷺こそが本体のように見える。ゆらゆらと揺れる様が飛んでいるようにも見えるし、文蔵の身体は鷺が見せた化身のようにさえ感じる。文楽人形と人形遣いの関係に少し似ている。橋掛かりで、いったん逃げて、蔵人の呼び寄せに応じて戻ってくるところなど、動物が警戒感を解いて人間に近づいていく様子が感じられ、リアル。舞も、鳥の羽ばたきのような感じがあった。他の人と何が違うのだろうか。

能楽座は今回で一区切りだそう。


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