新約聖書のサマリヤのヤコブの井戸の話に題をとった新作能。座・高円寺では四間四方の舞台の右側斜め後方に橋掛りがのび、左側にもやや短い橋掛かりのようなもの。地謡とワキ、アイはこちらから登場する。地謡が通常の3時の位置でなく、1時の方向に斜めを向いて座る。どんな演出意図か。
ワキ・イスラエルから来た元教師(殿田謙吉)とアイ・ロシアから来たユダヤ人移民(小笠原弘晃)は共に旅をしている。小笠原は完全に現代語、ワキは現代の言葉ながらやや重々しい語り口調。地謡は現代語で言葉は聞き取りやすいのだが、シテ(清水寛二)は面をつけているうえに完全に文語調なので、聞きにくいし、各々の語り口がバラバラで違和感がある。
装束は古典的な感じ。シテは頭巾を被っているので、面と体のバランスが自然な感じに見えて表情が生きた。
前場と後場の間のいわゆる間狂言に何故か太郎冠者風の装束に猫の面の村の猫(みょんふぁ)。面はよくできてると思ったけれど、砕けた口調に馴染めず、つい意識を手放してしまった…。
後シテのサマリアの女は若い面。舞のクライマックスで頭巾を捨て去るのだが、何か変。せっかく頭巾でいい感じだったのに、面からはみ出す輪郭が…。
英語の字幕が常についていて、チラチラ見ていたのだが、詞章の訳ではなくト書きのような感じだったのはなぜ?そして、喋っていることと微妙に内容が違ったような。
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