千歳・碩の師弟トークに続いて、「壺阪観音霊験記」。トークでも言っていたが、碩の沢市は第一声で目が見えると分かる。盲目の人の詞は語尾を浮かせるということだが、感情を入れて語ると技術がおろそかになってしまうのだとか。三味線の燕二郎は音があまり鳴っていない様子で、精彩に欠けた。新しい曲だけに、派手な手がついているので、余計に気になったのかも。若手にとって世話ものは難しいのだなと再認識。清方がツレ。
人形は簑紫郎のお里に簑太郎の沢市。沢市も目が見えるようだった。
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