能の「経正」と「羽衣」に着想した新作オペラ。オペラといっても、バリトンとカウンターテナーの歌手と4人のコーラス、ダンサー1人、オーケストラは7人という小規模編成。ただ、能のミニマムさを現すには適していたのかもしれない。現代音楽家カイヤ・サーリアホの曲は、現代音楽らしい不協和音や民族楽器を思わせる打楽器やエレキサウンドが融合し、幻想的な世界観を醸し出す。シーッという囁き声に始まり、余韻で終わるのも、情緒があった。これまで観た能にインスパイアされた作品のなかでは、最も上質なものではないか。
バリトンのブライアン・マリーがワキ、カウンターテナーのミハウ・スワヴェツキがシテ、もう一人の森山開次は?と思ったが、シテの分身のような役どころか。
「清正」では舞台の真ん中に縦長の衝立が並べられ、1枚の大きなスクリーンのよう。下手から現れたマリーは行慶であると名乗り、経正を弔うため琵琶(リュートと言った?)「青山(ブルーマウンテン)」を持参したと名乗る。小道具なしで仕草で表すのだが、能ではなくてオペラなのだから、眼に見えるものがあってもいいのでは。また、衣装は黒いシャツ(?)にパンツというそっけないものだったが、もっと装飾性のあるもののほうが好ましい。
シテははじめシルエットで登場し、高い歌声だったので女性かと紛らわしかった。シルエットは森山のダンスと重なり、激しく踊る様は修羅道の苦しみ?
「羽衣」では中央に縦長のスクリーン1枚で、これが羽衣らしい。
天女をカウンターテナーとはいえ男性が演じるのは少し違和感。森山の踊りは、鳥や蝶の羽ばたきのようで動物的というか野性的というかなので、天女の舞からイメージする優美さとは違うように思った。ラスト、踊りながら舞台後方に去っていく森山と、ええじゃないかみたいに踊るマリーは何だったのだろう。
終演後、斜め前に座る女性のもとへ劇場関係者が駆け寄るので何者かと思ったら、作曲者のサーホリアで、スポットライトを浴びて挨拶していた。
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