唐十郎が宮沢りえをイメージして書いたという戯曲だけあって、宮沢の存在感がひときわ際立つ舞台だった。冒頭、潟スキーで登場したときは、おさげ髪の無垢な少女。あまりに小柄に見え、子役かと思ったほど。磯村優斗演じる蛍一と無邪気に戯れていたところ、諫早湾の潮受け堤防を思わせる水門が次々と落とされ、遮断される。本水を使った演出はいいが、映像が併用されていたのはどうか。磯村は声が涸れ気味で、そのあとも続く膨大なセリフが辛かった。
まだらボケの詩人でブリキ店の主、静雄役の風間杜夫は変幻自在の怪演でアングラな世界観を表出。月影小夜子役の愛希れいかは、宝塚出身らしい凛とし立ち居振る舞いが役に合っていたが、もう少し毒気があってもいいかも。シェネのキレの良さはさすが。ヘルパーとおじゃる丸役の大鶴美仁音はセリフがよく、しっかりと存在を示した。
ただ、何より印象的なのは宮沢演じるやすみ。唐作品らしい、神秘的で色気のある女性で、1幕の終わりで、鱗に見立てた桜貝を張り付けた太ももをあらわに、水をかけるシーンや、2幕のクライマックスで同じ太ももに十字架を突き立てるところの凄烈な美しさ。澄んだ声で紡ぐ詩的なセリフも耳に心地よかった。
ただ、宮沢の好演が突出していた印象で、舞台全体としては消化不良な感じ。これまで商業演劇での唐作品を何度か見たが、どれも同様だった。役者はどれも悪くなかったと思うのだが、紅テントで感じたような、陶酔感というか、非現実感というか、唐の世界が醸し出す毒気のようなものが薄い。あの独特の空間でないと、戯曲の魅力が十分に発揮されないのか。
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