クリスマスシーズンの定番で、ロビーに飾ったクリスマスツリーなどが雰囲気を高める
池田・奥村ペアのパドドゥはやはり幸福感が高くていいなあ。去年に比べるとアイコンタクトは控えめなように感じたのは、座席のせいかな。
子役の男の子で一際小さい子がいて、多分踊りは上手いから抜擢されたのだろうけど、周りの子たちとの身長差がありすぎて振り回され気味だったのが微笑ましかった。
クリスマスシーズンの定番で、ロビーに飾ったクリスマスツリーなどが雰囲気を高める
池田・奥村ペアのパドドゥはやはり幸福感が高くていいなあ。去年に比べるとアイコンタクトは控えめなように感じたのは、座席のせいかな。
子役の男の子で一際小さい子がいて、多分踊りは上手いから抜擢されたのだろうけど、周りの子たちとの身長差がありすぎて振り回され気味だったのが微笑ましかった。
「封印切」
鴈治郎の忠兵衛に扇雀の梅川。なんだかあまり哀れを感じないのだな。鴈治郎はどちらかというと三枚目が似合うし、扇雀は骨太の体つきなので、受け身の女というよりは、忠兵衛を尻にひいているみたいに見える。
愛之助の八右衛門は、ナチュラルに憎まれ役を好演。本人はモテるつもりなのに、総スカンを食ってしまう、こういう勘違い男っているよねと思わせる。
名題披露の翫政が太鼓持ち。
「松浦の太鼓」
仁左衛門の松浦公はワガママだけれどとてもチャーミング。「ばかっ、ばかばかばか」って3回くらい言っていて、ウフフという気持ちになる。左桟敷席だったのでお縫と其角を去らせたのを呼び止めたところ、花道に立つ2人越しにこちらを向いている仁左衛門がこちらを向いているように見えてドキドキした。舞台と同じ高さだから、目線が合うような気がするのだ。
其角の歌六は抜群の安定感。お縫の千之助は可憐だが、嘆き悲しむ仕草がちょっとクサイかも。二場で馬から落ちる松浦公を抱き止める近習の隼人が頼もしかった。
吉弥の挨拶に続いて、折之助の「汐汲」。素踊りで、汲桶や手拭い、扇、三階傘など次々に道具を変えて踊る。丁寧な踊りがよいが、海女にしてはちょっと上品すぎるように思った。
「静と知盛」は吉太郎。船弁慶の舞踊版で、元々は能の作品だから能舞台に合わせてのチョイスだろう。前半の静は暖色系の着物と袴で柔らかく、後半の知盛は黒紋付きに着物を変え、顔つきもガラリと変っていた。特に後半の知盛は薙刀を振り回しながらもキレのある動きで、ちょっと振り回されそうになりながらも堪えたのは若さゆえの体力かな。もうすっかり大人の役者なんだなぁと思った。
新作の「玉手御前」は摂州合邦辻のアレンジ。天王寺で乞食となった俊徳丸の元へ浅香姫、玉手が訪ねてきて、合邦庵でのようなやりとり。吉弥の玉手が情念の女をこってりと。過去にも勉強会で勤めたことがあるそうだが、古典の玉手とはだいぶ違う。冒頭のモノローグから俊徳丸への恋心や朝香姫への嫉妬が露わで、「邪魔しやったら蹴殺すぞ」は見せかけでなく本心といった感じ。吉太郎の浅香姫は可憐で、折之助の俊徳とのバランスもよかった。
最後に「大阪締め」でと言いながら、「祝うて三度」が出てこなかったのか「よよいのよい」と言う吉弥にずっこける吉太郎。仕切り直してお開きに。客席も暖かく、いい会だった。
彦根城博物館の能舞台で、ご当地能の「巴」を上演するという趣向。江戸時代に城内にあったという能舞台は屋外に設置され、昔と同様に自然光の下での観能できるのがいい。
「寝音曲」
大倉彌太郎の太郎冠者、善竹隆司の主。彌太郎が意外にも(失礼)正統派の演技で、謡も聞き応えがあった。
「巴」
金剛龍謹のシテ。橋掛かりでの第一声から美声に聞き惚れた。屋外の方が声の通りが良いような気がする。前シテの里女はしっとりと美しく、後シテで薙刀を持っての勇壮な舞いに迫力があった。義仲の最期に同行できず悲嘆する様など、心の動きがよく伝わった。
ワキは福王和幸。倍音の下に響くような声がなく、あっさりした声に聞こえたのは屋外だからだろうか。アイは善竹隆平。
「心霊矢口渡」
壱太郎のお船に鴈治郎の頓兵衛は数年前の国立劇場以来。壱太郎にはよく合っている役なのだが、昼食後だったためちょっと意識が飛んでしまった…。冒頭の、義峯に一目惚れした可愛さ、最後の太鼓を打つ場面、六蔵(亀鶴)との立ち回りなど見どころたっぷり。
義峯の鴈乃助、うてなの段之のカップルは訳あり感。船頭八助に竹之助。立役も違和感なかった。
「博奕十王」
猿之助の博奕打、青虎の閻魔大王。猿之助の踊りは軽快で表現力が豊か。踊りだけでも楽しい。
「傾城反魂香」
鴈治郎の又平に猿之助のおとくは、鴈治郎襲名以来。前回がよかったので期待していたのだが、又平が吃りというよりものすごく滑舌の悪い人になっていて、「さしすせそ」が「シャシィシュシェショ」みたいな感じ。何を言っているのかほとんど聞き取れなかった。苗字を許されてからの愛嬌は鴈治郎の持ち味。猿之助は遠目のせいか、化粧のせいか、香川照之に似て見えた。ちょっと意地悪そうな顔にも見えたど、セリフがうまいので段々違和感はなくなった。
修理之介の翫政に胸熱。又平が修理之介の足に縋りつくところなど、どんな気持ちで演じているのだろうと思ったり。土佐将監の寿治郎も元気な姿が嬉しい。
「男女道成寺」
愛之助の白拍子桜子実は狂言師左近、壱太郎の花子。愛之助の女方はどうかと思っていたけれど、普通に美しかった。ちょっと千寿に似てた。踊りも、壱太郎と並んでも遜色ない感じ。シンクロしたふりが美しい。狂言師の正体を表してからの三つ面を使っての踊りわけは後半バタバタして見えたけど。
壱太郎は初役だそうだが、男女でない道成寺は経験があるだろうし。
剛力の不動坊に千太郎、普文坊に愛三郎。千太郎は白拍子に見惚れる仕草などにおかしみがあった。
京山幸太を進行役に、新作浪曲で作品紹介。
林本大のシテで「羽衣」。袴能で見るのは初めてで、所作や謡に集中できた。
紋四郎の落語は「宿替え」
南龍の「一休禅師地獄問答」。地獄太夫の悲話なのだが、前振りが長すぎて、今ひとつ感動に至らず。のちのトークで「可哀想で」と言っていたけれど、ちゃんと泣かせてほしい。
碩太夫・燕二郎で「妹背山婦女庭訓 姫戻りの段」。緊張した面持ちだったのは、師匠の燕三が客席にいたからか。清々しい演奏だった。
第2回で初演した作品の再演ということだが、キャストも内容もだいぶ変わっていて、新作のよう。
清八は初演に続いて松十郎だが、喜六は翫政。同期だった千次郎とのコンビは対等の友人といった感じだったが、翫政とのコンビは、作中で喜六が清八のことを「兄貴」と呼ぶように兄弟っぽさがあった。翫政は少しぎこちなさが残るところもあったが、立派な主役ぶり。
七度狐の千壽が初演に続き、というかそれ以上の大活躍で、煮売屋の婆から遊女おこん、仙女と次々に姿を変え、婆の怪しさ、遊女の色っぽさとガラリと変わる鮮やかさ。
初演は3人だけだったが、幕開きの巫女役に當史弥、千太郎、七度狐の手下の根太・お仲夫婦に佑次郎、りき彌と、上方役者勢揃いの様相。昼間は南座出演の千次郎も駆けつけ、尼妙林役で花を添える。
煮売屋で注文をするところで、勧進帳のようなやりとりがあったり、遊女が清八を誘惑するところで、油地獄のようなシーンがあったりと、歌舞伎のパロディが散りばめられているのも面白かった。
冒頭、亀屋東斎のこしらえで千次郎が挨拶をする映像を流したのだが、声が小さく聞き取れない。…と思ったら客席後方から千次郎が駆け降りて舞台に上がり、急遽口上。演出かと思ったら本当にトラブルだったらしい。
16時開演の回を所見。
「お染久松」
花柳幸舞音のお染、藤間豊彦の久松、花柳輔蔵の猿曳。白塗りやセリフのある舞踊はどうしても歌舞伎役者には敵わないと思ってしまう。
「藤娘」
藤真紫の藤の精を見たかったのだが、正直期待はずれ。最初、藤の花の間から登場するところは可憐でよかったのだが、肉付きの薄い顔だちのせいか、年増に見えてしまった。
「棒縛り」
若柳里次郎の次郎冠者、西川大樹の太郎冠者、市川松扇の大名。なんなんだろう、間が悪いのだろうか。ちっとも面白くなかった。
歌舞伎のみかたは萬太郎。尾上緑が女方のこしらえで登場し、貝殻骨を寄せるなど女方の表現をレクチャー。親子で楽しむの回だったので、客席には子どもがたくさんいて、皆で真似をしているのが微笑ましい。
「紅葉狩」
松緑の維茂、梅枝の更科姫、亀蔵の山神、玉太郎の野菊、左源太の左近、右源太の萬太郎、高麗蔵の田毎ほか。梅枝の更科姫のたおやかさ、美しさ。二枚扇の舞も美しい。姫の姿の時から鬼の本性を垣間見せるときには、怖さも滲ませる。
「鈴の音」
簑太郎時代の勘十郎作。作曲は清介。
カッパが綺麗な音が出る玉=鈴を拾う。友だちの狐のカップル(カッパの友だちがなぜ狐?とは思うけど)に自慢していたら、水の中では鈴が鳴らないので狐の首に着けてやる。大喜びで飛び跳ねて鈴を鳴らしていると、猟師に見つかって狙われることに…と、鈴を持つ不都合が次々明らかになって、結局は桜の木に掛けて音色を楽しむことにする。子ども向けに動物がでってきたり、沼の中の様子が透けて見えたり、というのは楽しい趣向だけれど、話に深みがないなあというのが正直な感想。
靖、小住、亘、碩に友之助、清公、清方という若い床に、人形は簑紫郎の河太郎、簑太郎のコン太、勘次郎のはつね、狩人の玉彦という若いメンバー。河太郎の動きが滑らかでよかった。
解説を挟んで「瓜子姫とあまんじゃく」は千歳・富助に錦吾、燕二郎。
千歳の語りはちょっと硬いというか、声に深みがない感じがした。口語調だし、普段の語りとは勝手が違うのだろうが。前回聴いた嶋太夫の語りはなんとも言えない味があったと懐かしく思った。
人形は紋臣の瓜子姫が可憐。じっさ勘市、ばっさ清五郎。あまんじゃくの玉佳が大暴れ。
「心中天網島」
北新地河庄の段の中を睦・勝平、前を呂勢・清治、後を織・清志郎。
睦は掠れ声が聞きづらい。女性だけでなく、治兵衛も辛かった。口三味線で開放弦を口ずさんでいるはずなのに、音程がぶれるのはいかに。湿気のせいか勝平の三味線の音色がいまひとつ冴えない。
前は繊細な心理描写を三味線の旋律が彩り、呂勢は音採りが安定しているので安心して聞いていられる。義太夫節は音楽なのだなあと改めて感じた。途中、床裏から駒の入った箱が差し入れられ、交換していた。舞台に出て音の感じが違うとなったのだろうか?どうやって合図したんだろう。
織は表情が先に立つ感じで情感たっぷり。清志郎が突っ込んでいく演奏で緊迫感があった。
天満紙屋内の段は口を咲寿・寛太郎、切を錣・宗介。
今日の咲寿は声が安定していて悪くなかった。
錣は切の字がつき、弟子の聖太夫が白湯くみで控える。滴るような情が溢れる語りで、感情を揺さぶられる。
大和屋の段は咲・燕三。
久しぶりに元気そうな姿を見られて一安心。声は少し弱いものの、節づかいの確かさは頼もしい。
道行名残の橋づくしは三輪、睦、津国、咲寿、文字栄に団七、団吾、清丈、清公、清方。
人形は勘十郎の小春に玉男の治兵衛、和生のおさんと同世代3人が久しぶりに揃う豪華さ。小春は首がもげるくらい深く俯いていて、ちょっと心配になるくらい。治兵衛のダメ男ぶり、おさんの出来過ぎぶりと、人物描写が的確。玉也の孫右衛門の抑えの効いた演技がよかった。
思い出話はくまざわあかねを聞き手にあきらが寂聴との思い出を。最初の結婚の頃の経緯が「京まんだら」に書かれているのだそう。のちにドラマ化された時には自身がモデルになった透役をされたのだとか。
「呂蓮」「鐘の音」に続いて、寂聴作の「居眠り大黒」
宗彦の大経師、しげるがその妻、千之丞の番頭、千五郎の大黒天、山下の坂本の女という配役。
大黒天の月詣りに行くと装って坂本の愛人に会いに行く大経師、主人の浮気を暴露して後釜に座ろうと目論む番頭を宗彦と千之丞がノリノリで演じる可笑しさ。しげるの妻も、いつもの1.5倍くらいのわわしさで、コントを見ているような面白さ。坂本の女は「ぷんぷん」などのセリフに時代を感じるが、若い女の軽佻浮薄ぶりがよく出てる。4人が取っ組み合って争っていると大黒天が目を覚まして全てをおさめてしまうという大団円。ケラケラ笑ってスッキリした。
「富士松」
野村萬の太郎冠者に万蔵の主。
「関寺小町」
観世銕之丞のシテ、ワキは宝生欣哉ほかワキツレが3人。子方は谷本康介。
うーん。私には関寺の魅力は難しいようで…
「二人三番叟」
芳穂、咲寿、碩、聖に清馗、寛太郎、清公、清允。
人形は文哉、玉勢。
「仮名手本忠臣蔵」
二つ玉は亘・友之助に胡弓の清允。
身売りは小住・勝平
勘平腹切りは織・燕三
「レ・シルフィード」
白い衣装に身を包んだ妖精たちの幻想的な踊りだが、少し現実感が回見えてしまったように感じた。
「牧神の午後」
以前観たニジンスキー版と異なり、ロビンス版は現代のバレエの稽古場が舞台。男女の恋心というテーマがわかりやすい一方、踊りというより芝居を見ているような感覚だった。
「ボロヴェッツ人の踊り」
荒々しい男性群舞など、勢いを感じさせる一幕。
貞松浜田バレエ団にとって、バレエ・リュスの作品は初挑戦だそうで、慣れない様子もあったけれど意欲作。ロビーには薄井憲二コレクションから関連資料の展示もあり、世界観を感じられた。
上村吉弥が長年続けてきた公演を、弟子の吉太郎らが引き継ぐという胸熱。
歌舞伎のいろはは茂山逸平を案内役に、拵えをした狂言の女役(鈴木実)と歌舞伎の女方(片岡千太郎)の比較や、見得やツケ打ちの実演など。鈴木のわわしい女ぶりがおかしい。実演で参加した祐次郎や當史弥らが活躍す
ミニ公演は「吉野山」で、吉太郎の忠信に千壽の静御前。
吉太郎はキリッとした所作が気持ちよく、千壽の踊りには秀太郎の面影を感じた。
「桂川連理柵」
石部宿屋の段を三輪、咲寿に勝平、清允。
咲寿は丁稚長吉みたいな役だといいのかもしれないが、ガチャガチャした感じが抜けないなあ。
六角堂を希・団子。
帯屋の前を呂勢・清治、切を呂・清介。
呂勢の儀兵衛の馬鹿笑いが面白い。意地悪な役はピカイチだ。
道行朧の桂川は睦、芳穂、津国、碩、薫に団七、友之助、錦吾、清方。
軍の招聘で上海に渡った服部良一(松下洸平)が、「夜来香」の作曲者黎錦光(白洲迅)、李香蘭(木下春香)らと、1945年6月にコンサートを開催する。物語はこのコンサートの模様として生演奏の歌唱があり。その間に過去のエピソードを混ぜ込む構成。
冒頭、「こんなご時世なのにご来場くださり…」みたいなセリフがあり、もちろん、太平洋戦争の終戦間近の混乱した時期という設定なのだが、ロシアによるウクライナ侵攻という時勢とも重なって見える。
松下が目当てで観に行ったのだが、はしゃぎすぎに感じるくらいのテンションの高さがいただけなかった。服部良一の為人がそうなのかもしれないが、戦時下の日本男性として違和感。座長としては立派につとめ、舞台を引っ張っていたとは思うけれど。
ジャズバーの女主人?マヌエラ役に夢咲ねね、川島芳子役に壮一帆、共産党のスパイ、リュバ・グリーネッツ役に仙名彩世と、宝塚出身者が多く、それぞれに歌を披露する場面があったこともあって、どことなく宝塚風味が漂う。夢咲は、気風のいい女性という役どころなのだろうが、口調や動きが雑な印象。深いスリットのチャイナドレスで踊るところなど、柔らかみにかける直線的な仕草が残念な感じ。壮一帆は元男役だけあって、男装は決まっていたが、女装のチャイナドレス姿で1曲披露したのは?? 観客の混乱を見越してか、歌い終わってから「川島芳子でした」というのもなんだかだ。仙名はミステリアスな雰囲気が役に合ってよかった。途中1曲披露したのは、別役でだよね? リュバは子どものころの李香蘭に声楽の指導をした人物という設定だったけど…。
コンサートを企画した陸軍中将山家亨役の山内圭哉、憲兵隊長役の山西 惇ら、個性的なキャストが脇を固め、全体としてはまとまっていた…のかな。
「新・三国志」
関羽篇とのサブタイトルで、劉備(笑也)による蜀建国までをフォーカス。関羽篇といいながら、物語の主人公は劉備で、実は男装の麗人だった、というトンデモ設定なのだが、「民が飢えず、売られず、殺されない国をつくる」という劉備の夢が、「女子供のたわごと」と揶揄されたり、流血を好まないのを「男らしくない」と責められるなど、ジェンダー問題を想起させ、今の時代により響く内容になっていた。…が、「夢見る力」って別に女に特有のものでもないのでは? と思うなど、劉備が女であることの必然性があまりないように感じた。表向きは自身を漢王朝の皇帝の末裔だと主張しているものの、実は縁もゆかりもない出自という設定も疑問だ。シンプルに、皇帝の血をひきながら女であるから公式には面に立てなかったとかいう設定のほうが、夢のような理想を掲げる理由になるし、もっともらしいと思うのだが。それと、関羽(猿之助)とのロマンスがちっともロマンチックでなかったのはなぜだろう。1幕の最後に手を握ったり、荊州に赴く関羽との別れで2人きりになって言葉を交わしたりするのだが、なんだか関係性がそっけないというか、気持ちが通っているように見えなかった。2人のロマンスって、この作品の肝じゃないの?
中車が、冒頭、原作者羅貫中の弟子だか子孫だかの羅昆虫を名乗って解説していたかと思ったら、幕が開くと張飛として登場。諸葛孔明は弘太郎改め青虎。襲名披露の口上はなかったが、関羽らが、劉備の軍師に招く際に「青き虎となって…」と入れ事で盛り上げる。
呉軍の軍師、陸遜の猿弥、華佗の寿猿ら、澤瀉屋の面々が頼もしく脇を固めるなか、司馬懿の笑三郎の芸域の広さに感嘆。はじめ出てきたとき、誰だかわかなかったくらい。NARUTOの大蛇丸で影のある敵役ができるのは知っていたが、また違った雰囲気だった。
孫権の福之助がキリっとして、若き盟主を好演。香渓の右近は気の強い娘役がよく似合い、キレイだった。関羽の養子、関平の団子はもう立派な青年。背が高くて頭が小さいので、次世代の子という感じがする。
30分の休憩挟んでトータル2時間40分という制限でいろいろカットしたせいもあるのだろうが、場面の継ぎ接ぎのような感じが否めず、消化不良な感じ。最後に、劉備ら蜀の面々と並んで張飛が花道を歩いてくるので、「え?死んだんじゃなかったの??」と混乱。そのあと呉、魏と、キャスト全員が花道から引っ込んでいくので、フィナーレのパレードの演出だったらしい。最後の最後に、関羽の猿之助が宙乗りし、桃の花びらが舞うのだが、これって物語上の意味あるの? 宙乗りに全くテンションが上がらない性質なので、なんだか…だった。
錣の会主催。錣と藤蔵による、「ひらかな盛衰記」松右衛門内より逆櫓の段は約90分とたっぷり聴かせる。最後の舟唄まで上演するのは珍しいのだとか。
アフタートークによると、当初「合邦」を予定していたが、昨年末に呂が素浄瑠璃の会でやったばかりなので外し、錣は「すし屋」をやりたかったが、藤蔵の勧めでこうなったのだとか。藤蔵いわく、権四郎は錣のキャラにあってると思ったのだとか。
力いっぱいの語りと、勢いのある三味線(掛け声もたっぷり)で、聞きごたえは十分だったのだが、「やっしっし」のあたりはちょっとキーが高すぎ、声がかすれているように感じた。三味線の音がなんだか耳に障るなあと思っていたら、右手の人差し指をけがして、撥をちゃんと握れなかったそうなので、その影響かも。ケガしているなどとは感じさせない、勢いのある演奏だったが。
アフタートークで錣が、2月公演で演じた「弁慶上使」は登場人物の誰にも共感できなくてやりにくいというので笑ってしまった。
「平家女護島」
鬼界が島の段を呂と清介の代役で清公。
呂は相変わらずの慎重運転で、丁寧なのかもしれないが義太夫節にはもっと力強さとか豪快さがほしいと思ってしまう。切語りになるのだから、一段の奮起を期待したい。
清公は朱を見ながらとはいえ、大役をよく勤めた。
人形は玉男の俊寛が抑制された動きでよろし。勘市が怪我で休演し、簑紫郎が丹座衛門を代役。
「釣女」
芳穂の太郎冠者、小住の大名、碩の美女、南都の醜女に錦糸、清丈、寛太郎、錦吾。清允は休演。
錦糸が淡々と弾いていたのは、まあまあと思っているからか。(そもそもそんなに好きな演目ではないので、思い入れられない)
人形は大名が玉勢、太郎冠者の文司が病気休演で玉助が代役、美女の紋吉、醜女の清五郎。
「春調娘七種」
千之助の静御前に梅枝の十郎、萬太郎の五郎。
千之助は姿は可憐だけれど、2人と並ぶと所作が見劣りしてしまう。
梅枝の立ち役は珍しいが、柔らかい風情がいい。萬太郎は小柄ながら元気が漲る。
「義経千本桜」
渡海屋から大物浦。仁左衛門の一世一代とあって、客席の期待も高い。
仁左衛門の知盛は、これで最後というのがもったいない。銀平の格好良さ、知盛の白装束のハッとするような美しさ。感情表現がこまやかで、安徳天皇の言葉でふっと得心する様子がよく伝わる。岩に上るあたりから満場の拍手だったが、私は拍手はせずにただ見ていた。あまりの緊張感に拍手などできなかったのだ。
周りの配役も素晴らしく、孝太郎は典侍の局になったとたん、凛とした気品が漂う。安徳天皇は小川大晴は集中力を保って、長台詞もしっかり。相模五郎の又五郎は、ちょっと動きがしんどそうだったけど、入江丹蔵の隼人も、義経の時蔵も役によく合ってよかった。弁慶の左団次は渡海屋では出ず、大物浦のみ。セリフのないところで首が小刻みに揺れていたのが気になったが、大きさが感じられた。
主演のアダム・クーパーはじめ、キャストの全クオリティーが高く、歌も踊りも残念な人が一人もいないという素晴らしい舞台。これぞエンターテインメントというのを堪能した。そして、このコロナ禍(コロナ禍下?)にあって、1月公演がキャンセルになりながらも来日してくれ、こんな素晴らしい舞台を見せてくれたことに感謝。カーテンコールでは涙がでそうだった。数日前に思い立ってチケットを取ったにも関わらず、15列目のセンターブロックで、しかも前2列ががら空き(プロモーターのミスか団体客のキャンセルか)で、視界良好。過去公演よりも時間は短かったようだが、密度の濃い好演だった。
ドン役のアダムは踊りがいいのは当然として、声がよく、歌も上手い。タップも軽やかにステップを踏んでいたし。顔は相変わらずのハンサムだったけどお腹周りに貫禄がついて、ちょっともっちゃり。シャツにニットベストという衣装だと特に体形が気になってしまった。寄る年波よね…と思っていたが、調べたらまだ50歳なの⁉ ちょっと老け過ぎでは…。
キャシー役のシャーロット・グー(?)は古風な美人で、鈴を転がすような美声。脚がきれいで踊りもいい。コズモ役のロス・マクラーレン(?)も歌も踊りも申し分なく。リサ役の女優(名前が分からない)は、アニメ声で憎たらしい敵役を好演。
カーテンコールでは、全キャストが雨の中、白シャツに黒ベスト、ハットのいでたちで「SINGIN'IN THE RAIN」を歌って踊り、客席に水しぶきを浴びせるサービスぶり。
1幕を観ながら、当然録音よね…と思っていたら、2幕の冒頭で舞台後方を見せる演出があり、生オケであることが分かった。初日(昼公演もあったので、ステージとしては2回目だが)ということもあって、演出家一行が2階席で観ていたし、この状況下で大勢のスタッフが来日し、贅沢な舞台を見せてくれたことに感謝!
仕舞「源太夫」は金春憲和、「花筐」は櫻間金記に代わって金春安明。
狂言「御田」は山本東次郎のシテ。
ほのぼのとして祝祭感にあふれる演目。陽気な神職と、アド以下、7人の早乙女が華やか。
「関寺小町」は古式の小書き。
シテは本田光洋、ツレは子方の中村千紘、ワキは森常好にワキツレが3人。
金春流では一子相伝で宗家のみが演じていたところ、初めて宗家以外の能楽師が演じるという記念すべき舞台だったのだが、関寺を初めて観るということもあり、あまりピンとこないというか…。基本的に枯れた芸なのだろうが、子方とシテの舞比べとか、子方が凄く上手いというでなく、シテの動きが演技なのか老化なのか判然としなかった。
仕舞の「雲林院 クセ」(梅若万三郎)と狂言の「二千石」(七五三、宗彦)は体調不良もあって半分くらいうとうとしてしまったのだが(スミマセン…)、大槻文蔵の「求塚」が凄かった。
現代の感覚では到底受け入れられないストーリーではあるのだが(菟内日処女には全く落ち度はないのに、二人の男に一方的に恋焦がれられたあげく、死んだ後も地獄で苦しめられるとか、ひどすぎる。前世の宿業と言われても納得しがたく、責められるべきは、身勝手で諦めの悪い2人の男だと思う)、ドラマチックな演技にハッとさせられた。舞などの動きが多いわけではないのだが、少しの所作に緩急があって、物語を強く訴えた。前シテの「これを最期の言葉にて この川波に沈みしを」で足を鳴らすところや、後シテで僧に供養を願うところの悲痛さなど、これまでの能公演では感じたことないほど心が揺さぶられた。文蔵はしゃがんだ姿勢から立つところで少し危うさが感じられるところもあったが、おおむね動きに淀みはなく、今年80歳になるとは思えない身体だ。
ツレの菜摘女に坂口貴信、大槻裕一、ワキは森常好、ワキツレ梅村昌功、則久英志、アイは茂山逸平。
「岩戸の景清」
難有浅草開景清とあるように、新春浅草歌舞伎のメンバーによる新作…かと思ったら河竹黙阿弥作だった。キビキビ動く隈取の江間義時は誰?と思っていたら種之助だったらしい井。巳之助の北条時政、隼人の和田義盛はきりっとしており、莟玉の千葉介常胤はすっきり、米吉の衣笠、新悟の朝日は美しく、歌昇の秩父忠信には堅実さが…と浅草メンバーの成長ぶりが感じられる一幕。景清の松也は座頭格として健闘していたけれど、ニンではない感じが否めない。数日前まで代役を務めていた猿弥で観たかった、と思ってしまった。
「義経千本桜 川面法眼館の場」
四代目猿之助の四ノ切は得意演目としているだけあって、見応えあり。NHKの劇場中継で観たときは、この人の嫌らしさが目に付いてしまったが、3階席からと遠目だったのがよかったのか、芝居に集中できた。舞台全体を見渡せるので、静や義経の様子にも目を配れたのも収穫だった。雀右衛門の静かは可憐。義経は門之助で、静を迎えるところを注目していたのだが、やはり淡々として表情は変わらず。
寿猿が局千寿で、初めて女形姿(老女形だけど)を見た。普通にと言っては失礼だが、キレイだった。東蔵の法眼、笑也の奥方、猿弥の駿河次郎、弘太郎の亀井六郎。
冒頭、スライドとナレーションで伏姫と八犬士誕生のいきさつを説明し、序幕は大塚村蟇六内から。
菊之助の信乃ははまり役で、スッキリとした美青年。浜路の梅枝もよいが、本郷円塚山の場で早々に退場してしまうのがもったいない。
松緑が網乾左母二郎と犬飼権八の2役で、一瞬誰?と混乱した。セリフは相変わらず、語尾に癖があり、少し浮いて聞こえる。左近が犬江親兵衛仁で、親子で花道でする芝居が見どころになっていた。左近は小柄に見えるけど、15歳とな。
二幕目からはテンポよく進み、足利館の屋根上での立ち回り、利根川べりの夏、対牛楼の秋、扇谷定正居城の春と、四季の風景も美しく、正月公演にふさわしい華やかさ。菊五郎の犬山道節は出てくるだけで安心感があるし、時蔵の犬坂毛野は立ち役化とおもいきや、女田楽に扮して華麗な剣舞を見せ、それぞれに見どころがあって楽しめた。
スティーブン・ソンドハイムの歌なのに、キャストの半分以上が歌に難ありというのがつくづく残念な舞台だった。望海風斗の魔女は圧倒的な歌唱力だったけど、ほかは……。2人の王子(広瀬友祐・渡辺大輔)のデュエットは悪くなかったのと、赤ずきんの羽野晶紀がいいキャラを出していたほかは、正直、歌を聴くのが辛かった。パン屋夫婦の渡辺大知と瀧井公美、シンデレラの古川琴音など、役者としては評価している人たちだったので、マイナスのイメージになってしまうのが惜しい。ジャック役の福士誠治はこんなに歌えなかったっけ?という印象(1幕目、配役を確認せずに観ていたので、この歌が下手な役者はだれ?くらいに思っていた)。8~9割方歌える人をそろえて、残りをキャラクターを表現するためにどうしてもこの人の演技力が欲しいということで、あまり歌えない人を入れるならまだしも、歌える人が少数派というのはいただけない。
赤ずきんとシンデレラ、塔の上のラプンツェル、ジャックと豆の木というなじみのある童話を森でつなぐ物語はよくできていて、1幕は(歌を抜きにすれば)楽しく見られた。が、1幕の最後にシンデレラとラプンツェルがそれぞれ王子と結ばれて大団円の満足感があったので、2幕が少し蛇足に感じた。というか、2幕でハッピーエンドのその後を描くなら、もっと中身が欲しかった。呪いが解けて子どもを授かったパン屋の夫が、自分が抱くと赤ん坊が泣くといって妻に子育てを押し付けるところや、追い求めていた女を手に入れた王子たちが次のターゲットを求めるくだりはリアリティがあったけれど、それ以外はピンとこない。1幕は魔女が影の主役という感じで、継子のラプンツェルとの関係(魔女のセリフで、「世間はひどいところだから、塔に閉じ込めて守っていた(世界は野蛮だから、子供のままでいなさい。永遠に?)」みたいなのがあって、毒親とそれに反発する娘みたいなシーンがあったし、パン屋の息子の呪いを解こうとするのも、ラプンツェルとの関係修復のためだった)がテーマなのかなとも思えたが、2幕では早々に退場してしまって、物語を担うのがシンデレラとパン屋、赤ずきん、ジャックになってしまうし。人を食う巨人が出てくると、どうしても進撃の巨人を連想してしまうのもよくないと思う。
「テーマとヴァリエーション」
米沢唯と奥村康祐のペア。技巧的な振付が濃密に盛り込まれているのに、ゆったりとこなしていてせかせかして見えないのはさすが。ステップやポーズの一つ一つが美しく、あらゆる瞬間が絵面のようで眼福。奥村は白の衣装が良く似合い、端正でノーブルな踊り。特に終盤、男性ダンサーを率いて踊るところはぐっと来た。米沢は回転で軸がぶれないのが素晴らしかった。主役の2人はもちろん、群舞もキレイにそろっていて優美。特に池田理沙子の腕の遣い方が柔らかく、音楽的だった。
「ペンギン・カフェ」
去年は配信で観たが、生で観るとより楽しい作品。
ペンギンの広瀬碧の愛らしさ。ユタのオオツノヒツジの木村優里は初役だそうだが、もっとコケティッシュでもいいかも。井澤駿の伊達男ぶりは、今井翼に似ている気がする。
テキサスのカンガルーネズミの福田圭吾は飛び跳ねっぱなしで、凄い運動量。
ケープヤマシマウマの奥村康祐はアフリカンダンスのようなリズムで、アクロバティックな動きなのに哲学的に見える。女性陣の衣装がスタイリッシュで素敵。
ブラジルのウーリーモンキーは福岡雄大。高い跳躍を連発する軽々とした動きで、身体能力の高さを再認識した。