2022年2月26日土曜日

2月26日 人間浄瑠璃「新・鏡影綺譚」

森村泰昌と勘十郎による新作。
冒頭の曽根崎心中の観音巡りがプロローグのようになり、森村による書き下ろしの物語へと進む。彫っている人形に魂が入らないと嘆く人形師、今日十郎のもとに、悪魔コッペパン(!)が現れ、魂と引き換えに人形に魂を入れてやろうと唆す。目玉をくり抜かれ、代わりに水晶の目を与えられた十郎が鏡を見ると、鏡に映ったお京人形(森村)か鬼と化し、炎の中に投げ込まれる。炎をかたどったフレームにプロジェクションで揺れる炎が映し出されるなど、視覚的にも変化に富み、80分を短く感じた。
森村の人形は、自身の顔をかたどった面をかけて表情を消して動く様が人形らしい。面は控えめなメイクが中村芝のぶに似ていた。両手は大ぶりな女形人形の手を用い、足元は足遣いが着物の裾を捌いて表現。勘十郎は着物の背から左手を差し入れ、首の動きを指示していたよう。左右の手は文楽人形のように人形遣いが動かし、森村自身の手は隠れていた。
鬼に変化するところは、作り物の目と牙を剥いた口を顔に貼り付け、捌いた髪や角を付ける早替わり。炎に包まれる場面で全体がぐるりと回ったので見えてのだが、森村自身は滑車つきの台に乗っていて、4人目の人形使いが滑車を動かして移動する仕組み。
最後のセリフ、「俺を助けてくれたお京は、人間なんやろか、人形やったんやろか」が、この作品の全てを表しているように思う。物語の中の人間を人形が演じ、人形を森村が演じるという逆転により、異空間に誘われたような感覚。

床は織に清介、清公、清允。詞章が現代語風だったので語りは朗読劇に近い印象。コッペパンの詞を高めの調子で道化っぽくしていたが、低音で不気味にするのが良かったのではと思った。三味線は現代音楽っぽく感じた。

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