2022年10月9日日曜日

スカーレット・プリンセス

ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場による、桜姫東文章の翻案。想像していたより原作に忠実。役の名前はそのままだし、歌舞伎では観たことのない、印を盗まれるところも上演し、お家騒動の経緯は分かりやすかった。…と思ったら、2幕は人物関係が込み入ってくるのでちょっと分かりづらい。歌舞伎の桜姫を知っているから脳内で補っえたけれど、初見だったらどうだろう。

興味深いところは色々あったけれど、元の歌舞伎を超えるものになったいたかは微妙。桜姫の魅力は退廃美だと思うのだが、この作品には退廃は色濃いが、美しいとは思えなかった。白塗りが剥げてまだらになったり、キッチュなメイクや鬘がボサボサだったりは、私にはグロテスクに感じた。文化の違いなのか、時代性なのか。70年代くらいのアングラ芝居にも通じるような、あえて崩れたものを見せているのかも。

清玄と権助の二役を演じたオフィリア・ポピは、演じ分けが達者過ぎて全く別人に見えてしまい、せっかくの早替わりの驚きが薄いのが勿体ない。そもそも顔をよく知らないというのもあるが。小柄であるほかは、発声のしかたや身のこなしはしっかり男に見えた。 
清玄がグレーの長い髭でだいぶ年寄りに見える。プロローグは転生後かと思って戸惑ったほど。高僧になった清玄は金色の衣で、肩車。桜姫を見て白菊丸への思いが再燃したり、姦淫の罪を着せられたりしたところで肩車から降りるのは、堕落したという表現か。 何人もの稚児をたぶらかして…みたいなセリフがあったのだが、白菊丸だけでなかったの?
権助は小悪党という感じ。
白菊丸/桜姫はユスティニアン・トゥルク。白菊丸は全身白塗りの裸体(褌のような白いビキニパンツのみ)で、体を縮めていたのは赤子のイメージなのかな。
桜姫はセグウェイに乗って登場。滑るように動くのが、不思議な感じ。白塗りが剥げたり、メイクが依れたりするのは、私には醜く見えた。 

一幕の終わりに急に出てきたお十。だからか、「私はお十」と名乗って笑いを誘っていた。

所々、字幕が遅れてしまい、既に相手が話し出してから内容がわかったりしたので、話の筋にすんなり乗れない。公演を重ねたら改善するのだろうが。
コーラスで詩的な言葉も多く、字幕では味わいきれない。

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