2020年12月30日水曜日

12月29日 第四十九回圓菊一門会

菊龍「三井の大黒」

 16時からの夜の部のみ、と思って行ったら押していて、昼の部のトリから聞けた。ひょうひょうとした芸風で年の功を感じさせる洒脱さがある。

菊太楼「紙入れ」

サバサバとした感じのおかみさん。新吉のうろたえぶりが笑いを誘うが、紙入れを忘れたことに気づいたときに「おかみさんが隠しておいてくれないか」と言ってしまっては先がつまらないのでは。

北見寿代 踊りと玉すだれ

なんだかぎこちない玉すだれ。素人のように、つっかえつっかえ。踊りのほうはなんぼかましだった。

菊丸「天狗裁き」

江戸の落語家らしい、からっとしたしゃべり。

文菊「そば清」

ひたすらそばを食べ続ける面白さ。先輩たちに囲まれているせいか、おとなしめだったような。


駒子「幸せの黄色い干し芋」

出身地群馬を舞台にした新作らしいが、あまり好みではなかった。


バラクーダ岡本圭司

「日本全国酒飲み音頭」と「血液ガッタガタ」で強引に引っ張った。


志ん弥「三枚起請」

ベテランらしい安定感で、マクラで高杉晋作の都都逸に触れ、オチで納めるまで隙がなく鮮やか。

終演後、緞帳を下げずに楽屋にいる弟弟子らを集めて三本締め。私服の噺家が観られてちょっと得した気分。

2020年12月29日火曜日

12月28日 古今亭文菊新宿落語ナイト「乱れ咲き」第54夜

「鹿政談」
奈良の話なので関西弁でないと雰囲気が出ないものの、東京の人の関西弁は違和感があることが多いのでどうなるか思ったが、関西の雰囲気を出す程度に留めて、やりすぎないのがよかった。あまり不自然さはなかった。関西弁でしゃべるのは豆腐屋のみで、それも控えめだった。 
奉行にやり込められる役人の追い詰められる顔で笑わせたが、全体的には大人しめというか、ためになる教訓話を聞いているようだった。 

「二番煎じ」
こちらも上方噺。 師走の寒い時期に似合いだ。
火の用心の掛け声や、宴会と化した番小屋での都々逸など、美声を聞かせる。

道楽亭という小屋はライブハウスのような雰囲気。パイプ椅子の客席の間を通って噺家が登場し、かなり距離が近い。

2020年12月28日月曜日

12月27日 第四十回テアトル・ノウ東京公演

 天下泰平 国土安穏―コロナ終息祈願―というタイトルが追加されていた。が、「道成寺」だったはずが、いつの間にかプログラムが変わっていた。会場に行って初めて知ったのだが、どこかで告知があったのだろうか。ちょっと裏切られた気分……。

「神歌」

片山九郎衛門と観世淳夫。後半ちょっと音程が不安定になるところがあった。

「羽衣」

味方玄のシテ、ワキは宝生欣哉。和合之舞の小書き。

「樋の酒」

野村萬斎、石田幸雄、高野和憲。

仕舞「邯鄲」 浅見真州

仕舞「鍾馗」 観世善正

半能「石橋」

味方玄、味方團、武田祥照、小早川泰輝。ワキは宝生欣哉。

白獅子1人に赤獅子(と子獅子)3人という豪華版だが、動きがずれていたというか、白獅子より先に赤獅子が動くのはあれ?という感じ。


2020年12月24日木曜日

12月23日 古今亭文菊独演会

入船亭扇ぽう「道具屋」
ハキハキとした喋りで聞きやすい。後半、運びがちょっとぎこちないところも。木刀を抜こうとした客に「抜けるの物はないのか」と問われ、首の抜ける雛人形でオチ。

文菊「安兵衛狐」
一旦袖に引っ込んだ扇ぽうが湯呑みを持って出てきたのを間違えて拍手がチラホラ。坊主同士で似てるからね。

供養した幽霊に訪ねられ、はじめは怖がっていたのに「いい女だなあ〜」と相好を崩す様子、女(少女?)に化けた小狐が斜め上を向いて「コン」というのがかわいい。

文菊「笠碁」
強情を張り合うお爺たちの表情で笑わせる。笠を被って、濡れないように袖をすぽめるけど仕種、様子見にチラチラ首を曲げる様など、芸が細かい。

文菊「富久」
これまたタイプの違う富久。太鼓持ちの調子のいい様子はありながら、喧しくはないというか。
酒を飲むのは、旦那から許すのではなく、自分から強引にという感じ。懲りてない様子であまり同情できないかも。

2020年12月21日月曜日

1220 三人の国宝「祈り」

梅若実玄祥、藤舎名生、大倉源次郎という3人の人間国宝による共演で、「除災招福 疫病鎮静 災害復興 国土平安平穏 祈念」との冠詞がついている。

横笛の藤舎名生による独奏「竹林の詩」「鞍馬」

古典作品ではない自作らしく、竹林をそよぐ風や鳥のさえずりなどを感じさせる曲。

一調一管「葛城」は実の謡に源次郎の小鼓、竹市学の能管。

実は葛桶に腰かけての謡だが、声の力を感じさせる。立ち上がるときに介添えが必要そうなのが気がかりだ。

トークは3人にプロデューサーの西尾智子の司会。

3月末を最後にコロナ禍でことごとく公演がなくなり、「舞いたいという気にさえならなくなった」という実が、どんな形でもいいから会をやってと念願して実現したのがこの公演だそう。「これだけ能が好きな僕が能を好きでなくなったら死んだ方がまし」と言ったのはちょっと心配だ。

最後は創作舞「祈り」

カッチーニの「アヴェ・マリア」に横笛、小鼓、能舞が加わる。

横長の家型の作り物(白い布で囲われている)に入って登場した実は装束付き。老けた女の面に白い頭巾、装束、手には百合の花?をあしらった杖を持っている。前半は造り物の中の葛桶に座ったまま、扇を持った手を動かして舞い、後半は立ち上がったものの、移動には杖や作り物の柱をすがる様子。手を伸ばして探る様子が痛々しかったが、ラスト近くで、シオル仕草が美しく、はっとした。造り物を再び覆って退場。

テノール歌唱にLE VELVETSの佐賀龍彦。紋付き袴だったので、はじめ誰かと思った。静かな歌唱。

2020年12月17日木曜日

12月16日 第二回ことのは会

会場(国立能楽堂)の都合で21時に終わらないといけないとかで、オープニングトークは短め。橋がかりから登場するのが、ストロークが長く、思った以上に時間をとってしまったらしい。

1席目の落語は吉坊「ツメ人情」。右手だけしか動かせないツメ人形たちがかわいい。たこ助(?)の襲名披露公演の幕が開こうか、というところでおさめ、余韻の残るラスト。

続いて芳穂・友之助の素浄瑠璃「赤頭巾孝行剪刀」は真っ赤な衣装に時節柄赤いマスクが追加。床に座っておもむろにマスクを外して一笑いとっていた。

休憩をはさんで合作「梅川忠兵衛」。木ノ下裕一の解説から、素浄瑠璃「新口村」、落語「後の梅川」。

木ノ下の解説は基本的に前回と同じだが、備忘録に記しておくと、近松の「冥途の飛脚」と菅専助の「けいせい恋飛脚」の違いは八右衛門のキャラクターと新口村の天候。歌舞伎の「恋飛脚大和往来」になると、役者によって型が変わり、封印「切れ」の成駒屋、封印「切り」の松島屋、折衷型の實川延若型(図らずも封印が切れた後は、火箸を使って切ってしまう)。

芳穂・友之助の「新口村」は再演のためか、安定感が増したよう。能楽堂の音響のよさもプラスだったか。

「後の梅川」は大正時代に歌舞伎で作られたものを落語化したそうだが、それにしては八右衛門がいい人では?20時59分に終演とはお見事!

コロナ禍で客席を間引いていたせいもあるが、正面席も後ろの方は空いていて、ワキ少雨面はまばら、中正面はすべてつぶして…と、広い国立能楽堂の客席が寂しかったのがもったいない。

2020年12月15日火曜日

12月14日 Discover BUNRAKU

 解説のステュウット・ヴァ―ナム・アットキンが的確。床の亘、寛太郎や玉誉ほかの人形遣いとやりとりしながら、簡潔に必要な情報が盛り込まれていた。日本語でもこういう解説をしてほしい。太夫は narrative singing で story teller であり voice artist であるとか。

上演は「芦屋道満大内鑑 葛の葉子別れの段」で、中が咲寿に代わって小住・勝平、奥が呂勢・富助。鑑賞教室だからか、口上で「〇〇に代わって△△」という紹介はしていなかったのがちょっとかわいそう。

呂勢・富助は慣れてきたのか、心地よく聞けた。

2020年12月14日月曜日

12月13日 當る丑歳 吉例顔見世興行 第三部 

「末広がり」
狂言が元で同じ題だが大分違う。主人の代わりに米吉の女大名。時節柄、疫病が流行って恋しい男に会えないから、扇に文を認めるため太郎冠者を使いに出したと。
太郎冠者は右近。すっぱに騙されるくだりはばっさりカットし、酔っ払って帰参するところから。(けど、何で酔態?)右近は傘の上で鞠を回す曲芸を披露し、これを見せるための演目のよう。

「廓文章」
店先では竹本(二枚二挺)だが、部屋に入ってからは清元。右近=栄寿太夫がシンの三枚三梃。右近は声がいいので、専念すればいい太夫になりそう。高音部が鳥の首を絞めたように聞き苦しくなることが時折あるのは、経験不足とみた。 

幸四郎の伊左衛門は、江戸風らしいが、嫌味ったらしいワガママなボンボンという感じで可愛げにかける。伊左衛門って、頼りないけどほっとけないという可愛らしさがないと、観客の共感を得られないと思うのだが。
壱太郎の夕霧は綺麗だけど、滲み出る風情は薄い。姿も声もいいのだから、上方のこってりした匂いが加わったら。
店先の餅つきはなく、若い衆は千次郎1人だけ。喜左衛門は出て来ず、女房のおきさ(千寿)が伊左衛門とのやりとりを引き受ける。抜擢だし、期待値が高すぎたのか、やや物足りなかった。若い衆とおきさのシーンは、晴の会みたい。時短のため色々カットされていて、部屋に通してからのやり取りはなく、転換後はコタツでふて寝してる伊左衛門のが1人。最後は感動が解けて夕霧の見受けが決まり、おきさが音頭をとって大阪締めで幕。


12月13日 當る丑歳 吉例顔見世興行 第二部

「寿二人猩々」
隼人と千之助、若い2人の瑞々しい踊り。赤髪の千之助は博多人形のような愛らしさがある。踊りは腰高のためか、洋舞の創作舞踊ののように見えた。隼人は日舞らしさはまだあるが、手の広げかたが小さくて、並んだ千之助より見劣りするところがあった。
酒売りに亀鶴。

「熊谷陣屋」
11月公演中にコロナ感染した孝太郎、濃厚接触者として仁左衛門が初日から休演。体調不良で初日から秀太郎、3日目?から竹三郎も休演と、波乱続きだったが、7日から仁左衛門、10日から孝太郎が復帰し、残るは秀太郎だけ。
 
仁左衛門の熊谷の立派なこと!無骨な武士の風情でありながら、内に秘めた苦悩や哀しみが滲む。花道で振り返り、小太郎の首と別れを惜しむ場面。相模越しの視線の先に、千之助の姿。毎日祖父の芸を見たことが、今後に繋がってくれるといい。
孝太郎の相模はちょっと情が薄いか。陣山で出向いた言い訳が表面的に聞こえた。小太郎の首と対面してからはよかった。
藤の方は秀太郎の代役で門之助。本役だったら何の不足もないのだが、秀太郎だったら…と思わずにいられない。(熊谷に斬りかかるところなど、結構動きがあるので秀太郎大丈夫かと思いもしたが )それにしても、はじめは相模、次いで藤の方と立て続けに代役を勤められる門之助の凄さ。
松嶋屋総出演で、堤軍次の進之介が期待を裏切らないマイペース。梶原平次の松之助もよかった。
冒頭の高札に人が群がるところで庄屋幸兵衛の竹三郎。元気そうな姿に一安心。

2020年12月13日日曜日

12月12日 横浜能楽堂普及好演「眠くならずに楽しめる能の名曲」

中村雅之芸術監督のトークは舞台に上がらず、正面と中正面の間の通路から登場。「眠くならない」工夫があるのかと思ったら、そういう演目を選んでいるとのこと。

「夷毘沙門」 

善竹隆司の夷、山本泰太郎の有徳人、隆平の毘沙門。
婿入りを巡って夷と毘沙門が争うという、ほのぼのと可笑しい話…なのだが、あまり笑いが起きなかったような。善竹家の芸は堅いからか。
矛を使った毘沙門の勇壮な舞や、夷が大きな鯛を釣り上げるところなど、躍動感があって面白い。夷は飛び上がって一回転するなど、身体能力の高さにびっくり。

「小鍛冶 白頭」
小書なしだと、前シテが子方、後シテが赤髪のところ、老人、白髪に。
金剛の若宗家は声がいい。
後シテは白い狐の冠が丸みを帯びていて可愛らしいのに、舞はアグレッシブ。シャープな動き。
地謡は5人で黒マスク。お囃子は普段通りに見えた。

2020年12月11日金曜日

12月9日 柳家三三・玉川奈々福二人会「落語のチカラ浪曲のチカラ」

前座は菊一「饅頭こわい」
忙しなさも含めて前座らしい。前段の怖いものの言い合いのくだりがたっぷりで、饅頭を食べて怖がるところがあっさり。

三三「雛鍔」
マクラのぼやき節。コロナ禍で公演が次々中止や延期になって打たれ弱くなったと言っていたせいなのか、大阪で見たときと違う感じ。
噺は金坊のこまっしゃくれた様子がほほえましく、大名家の爺の格式、御隠居の落ち着いた様子など、身分がはっきりわかる語りわけが見事。

奈々福「ライト兄弟」
世界偉人伝と題した新作。小佐田定雄作だが、かつて志の輔の以来で書いてボツになったものだそうな。
ジョーンズやら、いかにも西洋人な名前の登場人物が「あっしは」などと喋るギャップが可笑しい。兄弟の近所のアラブ系の男が、アラビア訛りならぬ関西弁。
奈々福はコロコロと小節を聞かせて唸りまくり、聞き応えたっぷり。ホールの音響も良かったのか、これまで聞いた中で一番の声だった。
時間短縮のため(席亭に5分みじかくなると言われたそう)、裸の見台での口演は初めて見た。これまで見たのは、寄席で座って演じるときもテーブル掛けなどの装飾はあったので。

奈々福「陸奥間違い」
中入りを挟んで、立ち高座で、しつらえもしっかり。金魚のような絵柄は時期にあっているのか?
年末になるとやりたくなると言っていたが、勘違いが巡り巡って膨らんで、大いに笑わせる。誰も不幸にならないハッピーエンドで、大名家や将軍まで出てくるスケールの大きさも相まって聞いていて気持ちがいい。

三三「星野屋」
小佐田定雄脚本で歌舞伎座で上演しているからでもないだろうが。
あまり声色や仕種で女らしさを見せる芸風ではないので、お花の婀娜っぽさは薄いのだが、お花が髪を切ったと見せかけたり、30両を贋金と言ったりの騙し合いのくだりはテンポよく、息つく間もなくオチまで運んだ。



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2020年12月8日火曜日

12月7日 円菊一門 下っ端三人の悪だくみ

前座は菊一「たらちね」

はっきりした顔だちでハーフっぽい。ややせわしないがてきぱきした話しぶり。

文菊「四段目」

配信でも見たが、生はより楽しい。嘘をつこうとしどろもどろになったり、不貞腐れたり、調子に乗ったり……。表情豊かな定吉の可笑しさ。十二代團十郎の声色をはじめ、判官切腹の場をたっぷりと。切腹ではなく「腹切り」と言っていたが。


菊太楼「富久」

この会の発起人だそう。先日の一之輔の印象が強すぎて、あの時ほど引き込まれるというか、巻き込まれるような勢いはない。が、落語家らしい風情と話ぶり。

トークは生年月日の占いをネタに。文菊は「ストーカーの星」、菊志んは「素直になれない星」、菊太楼は「スタミナの星」なのだとか。ストーカーは思い込んだらしつこいが、よく言えば一途で、一つの道を突き詰めるのを仕事に活かせたら吉。菊志んの「万年反抗期」という評にあとの2人が「その通り!」と口を揃えたり、「高座で全て曝け出している」という文菊に「本当は普通に歩けるのにゆっくり出てくる」と突っ込んだりと、兄弟弟子らしいやりとりも。

菊志ん「三軒茶屋」

ガチャガチャした勢いのある話し方。ちょっとせわしない気もするけれど、噺に引き込まれた。3人続けて聞くと、同じ一門でも全く違う個性が面白い。



 

2020年12月6日日曜日

12月5日 文楽公演 第一部

 「仮名手本忠臣蔵」

二つ玉の段は希・藤蔵。清允の呼吸は盆の裏で。希は定九郎にふてぶてしさがあり、意外に悪くない。

身売りの段は芳穂・宗助。語りに貫禄がでてきたよう。

早野勘平腹切りの段は靖・錦糸。ちょっと背伸びが必要な役をいっぱいに語るのはいいなあ。初めての大役だろうが、錦糸の稽古が行き届いてかちゃんと形になっている。与市兵衛女房の哀れさより、勘平の悲劇が際立ったのは、靖の若さゆえか演出か。

人形は勘弥の勘平は不可もなく。亀次の与市兵衛は本人と同体しているよう。玉勢の定九郎は黒紋付きの衣装だった。簑一郎のおかるは珍しい。与市兵衛女房に文昇。

女房が勘平の舅殺しを訴えるところで、与市兵衛を乗せた台?が倒れ、死体が舞台から消えるハプニングが。人形は大丈夫だったのか。

12月5日 文楽鑑賞教室 Bプロ

 「二人禿」

南都、咲寿、亘、碩に清丈、寛太郎、錦吾、燕二郎、清方。Aプロより1人ずつ多いのはこれいかに? 南都がシンだと、景事の華やかさがある。

人形は玉誉、勘次郎。

解説 文楽の魅力は玉翔。やはり幕前でしゃべるときはマスク着用。幕が開いてからはマスクを外すが、左遣い、足遣いはマスク着用。図を送らないと左遣いが動けないという、お決まりの件で、左の玉彦が「不機嫌そうな顔」をして笑いをとっていた。

「芦屋道満大内鑑」

中は小住・清志郎。義太夫節らしくてよい。

奥は睦・清介。睦は高音域が辛そうで、後半はばて気味だった。聞いたところ、結構早い段で(盆が回ってから10分くらい。保名が部屋にあがったところ)から調子を上げるので、太夫はしんどいのだそう。

人形は清十郎の葛の葉、玉男の保名。紋臣は葛の葉姫でこちらのほうがしっくりくる。下手側の客席だったので、葛の葉が白い衣装に変わるところや狐に変わるところの人形の持ち替えが見えたのが興味深かった。


12月5日 文楽鑑賞教室 Aプロ

 「二人禿」

遅れて後半のみ鑑賞。靖、小住、碩に団吾、友之助、清公、清允。人形は玉翔、簑太郎。

解説 文楽の魅力は亘と寛太郎。内容的に目新しいものはなかったが、亘は幕前でしゃべっているときにマスク着用。1列目の席は空けていたのだが、必要?床に移動してからはマスクを外していた。

「芦屋道満大内鑑」

中を咲寿・勝平。声がふらつくというか、音程が安定しないので辛い。三味線ともちぐはぐな印象。

奥は呂勢・富助。珍しい組み合わせなので、期待していたのだが、どちらもおとなしめ?

人形は勘十郎の葛の葉。狐になると生き生きして見える。玉志の庄司はともかく、玉也の保名、紋秀の葛の葉姫、紋臣の庄司の妻は珍しい配役。玉也の二枚目は悪くないと思う。

童子は5歳なんなんだよね?昼寝の前や別れの際に乳を飲ませたり、葛の葉姫に乳が違うと言ったりするけど、とっくに乳離れしてるはずでは…。

2020年12月4日金曜日

12月3日 文楽公演 第二部

「桂川連理柵」

六角堂の段は咲寿のお絹、小住の長吉、亘の儀兵衛に清馗。 
新人公演のような布陣で、内容も…。この中では年長格の咲寿は風格に欠け、お絹の女房らしい落ち着きや女の切なさがない。小住は三枚目らしく、滑稽な感じで語るのだが発声がなんか変。前はもっと素直な語りだったのに、下手になってないか? 人形は好演しているようなのに、床がしんどいと集中できなかった。

帯屋の段の前は織・燕三。織はドヤ感の強い語りが世話になっておらず、笑いどころのはずの儀兵衛も妙に威張っている感じでおかしみに欠ける。燕三は深みのある音色だが、せっかくの演奏が生きない悲しさ。心なしか不満げな顔に見えた。 
後は藤・清友。繁斎の語りがしみじみとして爺らしく、俄然上手く聞こえた。お半はあまり可愛くないけど、全体としてちゃんと世話になってた。 

人形は一輔のお絹。主役の2人が文司の長右衛門、お半の簑二郎と華がかける気がしたが、この段では本来、お半より妻の方が重い役と思えば納得。儀兵衛の簑紫郎はなんだか楽しそう。 


2020年12月1日火曜日

11月30日 江戸落語を食べる会

コロナ禍のご時世なので、食事はお土産のお弁当に。会議室のようなテーブルの両脇に椅子を並べ、高座との距離感や妙に明るい照明が何となく落ち着かず、噺に入り込めなかった。これで7500円は高いなあ。

前座は三遊亭ごはんつぶの「子ほめ」。間は悪いし、落ち着きがなく、笑うべきところで笑えない。 

文菊の1席目は「干物箱」。親を何とかだまして吉原へ遊びに行くぼんぼんの身代わりとなった貸本屋の善さん。落語によくあるお調子者ぶりがおかしい。

「包丁」は清元の師匠というおかみさんが色っぽい。 とはいえ、浮気の現場を亭主に見つかったからといって、田舎の芸者に売り飛ばされちゃったりするもんだろうか。

2020年11月30日月曜日

11月29日 「オレステスとピュラディス」

ギリシャ神話に題材にしたオリジナルストーリー。「オレステス」と「タウリケのイピゲネイア」の間の、オレステスとピュラデスの旅の物語。脚本の瀬戸内美咲は、オレステスとピュラデスの友情以上の関係が徐々に変化していく様子を、5つの場で象徴的に描く。

ガランとした何もない裸舞台に客席からコロスが現れたところへ、天井から女(の人形)が落ちてくる衝撃的な幕開き。奥行きの広い舞台をフルに使って動き、踊る。脚立やコンテナを組み合わせて船や小屋を表現するなど、荒削りな舞台装置が面白い。 

一幕ごとにテーマ曲があるような感じで、ラップは杉原演出の定番だが、メッセージ性の強い言葉が響く。 途中少しだれたけど、オレステスを巡るピュラデス(濱田龍臣)とラテュロス(趣里)のラップ対決が圧巻で目が覚めた。

オレステスの鈴木仁は初舞台だそうで、ダブル主役ということだが、ウエイトはピュラデスのほうが高い印象。
大鶴義丹と趣里は、場面ごとに異なる役で場を一変させ、芝居を引き締める。1場の大鶴はピュラデスの父ストロピウスではギリシャ劇役者のようだったし、5場のプロメテウスはウェーブの銀髪がビックリマンのようで、「グリークス」の神と同じくパロディにしか見えない。趣里は3場?のおっさん役がなんだかかわいいものの、1場の老婆から別人のよう。一番合っていたのはラテュロスの赤いドレス。

(年末年始の配信を観て追記)
4場のピュラデスとラテュロスの対決シーンで印象的なセリフ。
アポロンの「気高くあれ」という言葉に従って、憎しみから離れようとするラテュロス。「どうして苦しみに自分をとどめておこうとするの?皆そう。足を引っ張り合って苦しみの中にいようとする。救いに人数制限はないのに」

5場「心がある限り、人間は憎しみから逃れられない。燃え上がった憎しみを消すことはできない。しかし、鎮めることはできる」といい、これまでの憎しみを鎮めよというプロメテウス。「なぜ俺たちが?割に合わない」と反論するピュラデスにプロメテウス「死者に炎を鎮めることはできないからだ。それができるのは今生きているものだけだ」「すべてを一人で抱える必要はない。分け合うのだ」



ラテュロス:私は殺さない
ピュラデス:なぜだ
ラ:気高くあれ。アポロンはそう私に告げた。私にとってアポロンの言葉は救いであり呪いでもあった。憎しみに支配されそうになったとき、私はその気高くあれという言葉に引き裂かれた。アポロンはわざと私を苦しめているのかもしれないと考えたこともあった。でもアポロンはすべて分かっていてその言葉を私に授けた。その言葉がなければ私がどうなるか分かっていた。私が苦しみでわが身を燃やし尽くすことを知っていた。オレステスがギリシャの総大将の息子。アポロンはまた私に試練をあたえた。これはどういう意味?あなたは楽になっていい。あなたはオレステスや私とは違う。あなたは救われていい人間。
ピ:俺はそんなこと望んでない
ラ:どうして苦しみに自分をとどめておこうとするの。皆そう。足を引っ張り合って苦しみの中にいようとする。救いに人数制限はないのに。

プロメテウス:人間もまた神と同じく愚かな存在であった。自分のことを特別だと思い込み、己以外は皆滅んでよいと考えている。互いに憎しみ合、その憎しみは連なり続けていた。そして憎しみがいよいよ臨界に達したとき、人間は火を使って戦争を始めた。炎は燃え広がり大地を焼き尽くした。愛をもってその炎を消そうとする人がいた。しかし簡単なことではなかった。愛というのもまた、小さな火であるからだ。愛は時として憎しみに姿を変え、大きな炎となった。ピュラデス、主会えもそうだ。お前はオレステスを愛していた。しかし今その愛は憎しみとなっている。
憎しみを消すことはできない。一度生まれた感情は残り続ける。人間には憎しみが宿る臓器がある。心だ。心がある限り、人間は憎しみから逃れられない。燃え上がった憎しみを消すことはできない。しかし、鎮めることはできる。炎は見えなくなっても記憶という火種は地中でくすぶり続ける。そしてある時突然姿を現すと激しく燃え出す。だが、その時はもう遅い。
今オレステスが抱えているものは一つの家族の怨恨を超えた、人類全体の憎しみの集積だ。彼の心だけでとうてい抱えきれるものではない。彼の心が崩壊すれば世界もまた崩壊するだろう。取り返しのつかない形で、世界の憎しみが解き放たれるだろう。
ピ:じゃあどうすれば
プ:鎮めるのだ
ピ:世界中の憎しみを鎮めるなんてできるわけない
プ:まずはおまえ自身の炎を鎮めるのだ
ピ:無理だ。俺は人を殺した
プ:ラテュロスは生きている。彼女は自らの中にある憎しみの炎を鎮めようとしてきた人間だ。今ここで死んではならない。タウリケへ行き、もう一度ラテュロスに会わなければ
ピ:なぜ俺たちが過去の憎しみまで背負わなくてはいけないんだ
プ:そうしなければ憎しみの炎はさらに大きくなる。次の世代に引き継がれてしまうからだ。
ピ:次の世代のために俺たちの世代で何とかしろっていうのか。馬鹿な事を言うな。戦争をやったのは俺たちじゃない
プ:その通りだ
ピ:じゃあなぜ俺たちが責任を負わなくちゃいけないんだ
プ:死者に炎を鎮めることはできないからだ。それができるのは今生きているものだけだ
ピ:割に合わない
プ:もっともだ。しかし今鎮めなければお前たちの後の世代の人間たちは言うだろう。どうしてあの時鎮めてくれなかったのかと
ピ:先の奴らのことなんか知ったこっちゃない
プ:それでは父親たちと同じではないか。炎を広げるには何もしなくていい。だがそれを鎮めるためには人間の強い意志が必要だ。鎮められるか、燃え広がるか、それはお前たちにかかっている
ピ:無理だ
プ:一つ一つ鎮めていくのだ。お前の炎、オレステスの炎、ラテュロスの炎。そうすれば炎は恐ろしいものではなくなる。人間に寄り添う暖かい火になる。そんな小さな火を増やしていくのだ。覚えているのだ。…の記憶も、憎しみの記憶も、等しく覚えているのだ。消すことも捻じ曲げることもしてはいけない。。喜びの記憶だけによりかかってもいけない。すべてをただ忘れずにいるのだ。それが鎮めるということだ。
ピ:すべての記憶を抱え続けるのは無理だ
プ:この世界にどれだけたくさんの人間がいると思っているのだ。すべてを一人で抱える必要はない。分け合うのだ。伝えるのだ、渡すのだ。そしてその日が来たらすべてを手放し、この地を去るのだ。お前にはできる。いいか、消そうとするのではない。鎮めるのだ

2020年11月23日月曜日

11月23日 錦秋文楽公演 第一部

「源平布引滝」

矢橋の段は亘・錦吾。御簾内。
時代物の端場だし、危なげなく。
追手から逃げる小まん(勘弥)の髪がすでに一筋垂れているのは演出かアクシデントか。後で髪を捌くのであれ、と思った。
竹生島遊覧の段は津国の実盛、小まんの南都、左衛門の文字栄、碩の忠太、宗盛の咲寿に団吾。津国は大きさがあり役に合い、南都の小まんも懸命な様子が真に迫る。文字栄は我が道、咲寿は力が入りすぎ。団吾は相変わらずロッグギタリストのよう。

九郎助住家の団は中が小住・寛太郎。のびやかな声がいいが老けの語りがまだ若い。三味線は弾き方に無駄がないというか、余計な力がない感じ。

次は靖・錦糸。瀬尾の語りに迫力があり、大きさも十分。低音を頑張って出そうとしている。成長が感じられるのは聞いていて心地よい。

前は呂・清介。何時もに増してションボリした様子で出てきたが、語り出したらいつも通り。音程はちゃんとしてるし、語り分けもでき、テクニックはあるのだろうが、迫るものが何か足りない。

後を錣・宗助。間にオクリが入らず、瀬尾か登場するところでいきなり盆が回った。イレギュラーな分割では?テンションの高いところでの語り出しは大変そうと思いつつ、この迫力は呂ではないわなと納得もした。

人形は太郎吉の勘次郎が子供らしい健気さをよく出して好演。実盛の玉男はラストの馬に乗るところで腰を黒衣に支えてもらっていた。いつも通りなのかしれないが、今日初めて気づいたのでちょっと気になった。


11月22日 錦秋文楽公演 第3部

「本朝廿四孝」

道行似合の女夫丸は睦の濡衣、靖の勝頼、亘、碩に清友、友之助、錦吾
燕二郎、清方。睦の声がかすれて辛い。

景勝上使の段は希・清丈。落ち着いた語りでぐっと良くなった。

鉄砲渡しの段は芳穂・清志郎。親父二人のやり取りが渋いが芳穂の声に合っている。投げた鉄砲を運んだ介錯が素早い動き。

十種香の段は千歳・富介。安定感があり、充実の床。もう切場語りでいいんじゃないの?後ろにそる姿が散見されたのは声が出しにくいのか。

奥庭狐火は織・藤蔵、燕二郎。織は声量があり高音も良く出ているのだが、「会いたい見たい」のくだりがイマイチグッとこない。どやなので切なさがたりないのか。

勘十郎の八重垣姫は終始ノリノリ。登場からしばらくは後ろ姿なので、オーバーアクションというか、ちょっとシナを作りすぎに感じた。奥庭はもう勘十郎ショーのよう。出遣いの足は初役?回るところなどちょっと振り回されているように見えた。


11月22日 錦秋文楽公演 第2部

「新版歌祭文」
野崎村の段の中を睦・勝平。高音がかすれる悪いクセ?が再出。千秋楽近くなり疲れが出たのか。祭文売りの語りが普通のセリフのようで、一瞬誰が喋っているのか分からなくなった。落ち着きが出てきたのはよい。勝平はおおらか。

前は呂勢・清治。お染のクドキの切なさ。思い込みの強い我儘なお嬢さんで全く共感できないのだが、音楽としての素晴らしさについ引き込まれてしまう。三味線も素晴らしい。

切は咲・燕三。心中を決意したお染久松に割って入る久作の出から。変なところで床が変わる。爺さんのしみじみした語りは流石。21年ぶりという、おみつの母が出てくる演出は、かみを下ろしたおみつが母には隠そうとする健気さが際立つ。

人形は清十郎のおみつ、文昇の久松 、一輔のお染。一輔のお嬢さんぶりが板についている。久三の小助の簑紫郎が楽しそう。油屋お勝の簑助は大分足取りが覚束なく、腰を支える4人目に加えわ、左遣いが右手を取って支える場面が散見。船に乗ってからは代役のようで頭巾を被っていた。
船頭の玉翔は泳がず、手を離れてしまった竿を足に引っ掛けて引き揚げるのみ。ここはあまりやりすぎない方がいい。

「釣女」
藤の太郎冠者、芳穂の大名、希の美女、三輪の醜女に団七、清馗、清公、清允。太郎冠者はもう少し軽快さがほしい。

人形は玉佳の太郎冠者が出てきた時から楽しそう。玉勢の大名、紋臣の美女、勘弥の醜女。̪̪醜女の首はお福だが、お福って可愛いのに。松羽目の舞台で、酒の杯は鬘桶の蓋だが、瓢箪徳利なのは折衷案? 


2020年11月22日日曜日

11月21日 舞の会―京阪の座敷舞― 

座敷舞は狭い座敷で見るために作られているので、ホールでの鑑賞には耐えないと常々思っていたが、小劇場の比較的狭い舞台で、欄間や襖を立てこんで座敷風の環境を整えていたのは悪くなかった。客席は2席ごとに1席空けた変則千鳥。

「水鏡」 吉村章月
白塗りにした姿は美しかったが、だいぶご高齢の様子。幕開きは膝を曲げてしゃがんだ姿勢だったが、はじめに立ち上がるところから足元が怪しい。しゃがんだり、回ったりするたびによろめくので、ハラハラして踊りが入ってこなかった。 

「袖の露」井上豆弘
祇園の芸妓?鶴のようにスラリとした容姿で、表情がキツいので冷たそうに見える。

「東山」楳茂都梅衣華

「善知鳥」
初演時も見たが、ちゃんと理解できなかった気がしたので再見。能とはまた違って、猟師の苦しみが激しい舞で描かれる。他の出演者と同じく座敷のセットで踊ったが、ストーリー性が強くシリアスなので、座敷にはそぐわないかもと思った。


2020年11月21日土曜日

11月20日 国立能楽堂 定例公演

「延命袋」
七五三の夫、茂の太郎冠者、千五郎の妻。
千五郎の妻のわわしさよ!単にうるさいのではなく、夫を尻に敷く強さが大柄な体によく似合う。七五三は恐妻を嘆く冒頭から絶妙な間と表情で笑わさせる。茂はなぜか微妙に調子が合っていなかったよう。

「船弁慶」 重キ前後之替・舟歌替之語
福王和幸の弁慶は、顔が小さすぎるのか、顔色がすぐれないないからか、あんまり似合わないように感じた。子役の谷本康介は澄んだ声でハキハキとして、声の調子もよい、いい義経。 
九郎右衛門のシテは、静として登場した時、面と装束のバランスが良く、和幸との身長差もあって小柄に見えた。小書き付きで、静かの舞はゆっくりと静かで、後シテの知盛は橋掛かりに出てから一度後退りして引っ込む演出が特徴だそう。
激しいお囃子で舞う知盛が義経に近づくたびに、弁慶が腕を伸ばして庇うのが萌える。


2020年11月17日火曜日

11月16日 春風亭一之輔・古今亭文菊 二人会

開口一番は菊之丞門下のまめ菊「一目上がり」。ハキハキとして、ちょっとうるさいくらい。登場人物の語りわけも形になってるし、前座らしさに好感。

文菊「強情灸」
もう何度か見ているのに笑ってしまう完成度の高さよ!

一之輔「富久」 
お年玉の準備やら神棚の掃除やらのマクラから。久蔵の境遇のアップダウンの激しさに引き込まれて、ハラハラする楽しさ。笑った。 

一之輔「つる」
白髪の老人→爆発の老人(岡本太郎か!)、岩礁→バンドウイルカ(城みちる)というくすぐり?が入って、今まで聞いたことのない賑やかなつるに。

文菊「お直し」
マクラで、古典落語の世界と現代では価値観が変わってしまったので、現代風に工夫しなくてはと言いつつ、一之輔の「つる」をチクリ。一之輔が二人喋ってるというのはその通りなのだが、ちゃんと別人だと聞き分けられるから不思議。二人とも坊主ながら芸風は真逆なのが面白い。よくぞ二人会をやってくれたと思う。 
吉原が舞台の人情噺?元花魁の女房が色っぽい。若い衆の旦那のダメっぷりも。

2020年11月15日日曜日

11月15日 吉例顔見世大歌舞伎 第四部

 「義経千本桜 川面法眼館」

獅童の忠信に染五郎の義経、莟玉の静御前という配役は若手だがいずれもニンに合っていてバランスがいい。

獅童は狐詞があまり高音でなく、語尾を切り上げるような口調も少ないのだが、粗削りというか、雄々しい感じ。欄干の上に乗るところや欄間から降りてくるところが、意外にもたついた感じだったりもしたが、全体的にあまり作り事めいていない感じがした。

莟玉の静は、声よし姿よし。染五郎もだが、顔が小さいせいか髷が大きすぎるように感じた。

國矢の亀井六郎、団子の駿河次郎。

11月15日 ミュージカル「NINE」

 藤田俊太郎演出にひかれて観劇。主人公グイドを取り巻く女性たちに、それぞれのイメージカラーの衣装をまとせる一方、アンサンブルは紫とグレー、男性ダンサーは黒の衣装という、色使いが見事。キャスト全員で歌い踊る、レビューのようなシーンが華やかでいい。ブロードウェーミュージカルの歌詞をすべて日本語訳せず、英語やイタリア語?ドイツ語?などを織り交ぜていたのはどういう意図だったのか。ステージの上半分を覆う、透けるスクリーンに字幕を出すのだが、読みにくく、芝居に集中しづらかった。

グイド役の城田優は、ブロードウェーばりの響きのある歌声だけでなく、映画の撮影シーンではオペラ風の歌唱も聴かせた。妻だけでは飽き足らず、様々な女性を必要とするのだが、その貪欲さ、我儘さは少し薄かったかも。

妻、ルイザ役の咲妃みゆは、2幕のグイドに別れを告げる場面の独唱が聞かせた。

プロデューサー役の前田美波里は、レオタード姿で脚線美を披露。グイドの愛人、カルラ役の土井ケイトは、頭の悪そうな役が上手い。娼婦サラギーナ役の屋比久知奈の歌が良かった。

2020年11月11日水曜日

11月11日 能楽座 第二十六回公演―観世元信 茂山千作 偲ぶ会―

 舞囃子「海士」 梅若紀彰

独吟「近江八景」 梅若実は床几に座って。声は衰えたとはいえ、まだまだ迫力十分。後ろに川口晃平が控え、体を支えていたのか。同時に支障を口ずさんでいた様子だったのはいい勉強なのだろう。

舞囃子「卒塔婆小町」 大槻文蔵の所作の美しさ。だが、謡の心地よさに眠気を誘われてしまった。地謡に梅若実。こちらでも一人だけ床几に座っていた。

狂言謡「祐善」 千五郎は声が大きく、押し出しがよい。

一調「遊行柳」 粟谷明生と三島元太郎の太鼓

一調「勧進帳」 武田孝史と河村大の大鼓

能「天鼓」 観世銕之丞のシテに福王茂十郎のワキ。結構最後までワキのセリフがある。元信の追善なので太鼓にまつわる曲を選んだのだろう。鼓をしつらえた造り物が舞台の前方に置いてあるため、正面の席だとシテの姿が隠れてしまうことを知った。

2020年11月8日日曜日

11月8日 十一月歌舞伎公演 第一部

 「平家女護島」

珍しい、六波羅清盛館の場から。

菊之助の東屋は凛として美しく、役として説得力がある。(俊寛には過ぎた女房という気がしなくもないが……)

好色なじじいといった感じの清盛役は誰!?と思ったら、吉右衛門の二役でびっくり。

歌昇の有王丸、種之助の菊王丸の件は奴さんのよう。。

。おなじみの鬼界ヶ島の場は、これまで見た中で一番。細部まで十分に見えた気がした。俊寛の吉右衛門はちょっとよぼけていて、人が好さそう。瀬尾の赦免状に自分の名がないことを嘆くのに、地面に横たわって手足をばたつかせる駄々っ子のよう。

錦之助の少将、吉之丞の康頼。千鳥の雀右衛門は「りんぎょがってくださんせ」というのがいじらしく可愛い。

瀬尾の又五郎が憎々しく、二役で丹左衛門の菊之助はさっそうとして好対照。

幕切れは、岩に上るも遠ざかる船になすすべもなく、呆然とした様子の俊寛。自らの選択で島に残ることにしたのに、あからさまな未練を見せるのは釈然としないと常々思っていたので、この演出は多少とも納得。

2020年11月4日水曜日

11月3日 十一月歌舞伎公演 第二部

「彦山権現誓助剣」

仁左衛門の毛谷村。あまり好きな話ではないが、輝くばかりの若々しい六助に清々しい気持ちになった。何か若返ってませんか? 弾正の嘘が分かり怒りに震える様に正義感があふれ、力の入りようといい、気持ちいい舞台だった。

梅枝の長男、小川大晴が弥三松役で初お目見得。子役に上手い芝居は必要ないとはいえ、間が悪いというか、セリフをようよう言っている感じだし、ときおり声の緊張感が途切れてトーンがおぼつかない。まだ2日目だから、日を重ねればよくなるのかも。

微塵弾正の弥十郎は悪人ぶりがちょっと物足りない。

お園の孝太郎はいじらしさ、可愛さはあるのだが、何か足りない。誰かが色気が足りないと評していたが、そういうことか。

14日に再見。仁左衛門が花道に登場すると割れんばかりの拍手。弾正の不正がばれ、敵であることが明らかになっていざ、というところで、腰掛を使っていたのは通常の演出だったろうか。階段を上り下りしたりするのはさっそうとしていたので、足が悪いとも見えないのだが。怒る六助が庭の石を地面にめり込ませるところは、所作板に穴が開いていてそこへ沈む構造?

大晴は大分しっかりしていた。六助の怒りにあわせて一緒にきりっとした顔をしていたりと、芝居に入っている感じがした。

「文売り」

梅枝が艶やか。所作もきれい。

清元の延寿太夫はやはり声がしんどい。

「三社祭」

鷹之資の悪と千之助の善。鷹之資の踊りの上手さは相変わらずだが、おととしの顔見世でも踊って慣れてきたのか千之助の動きが見違えるほど滑らかになっていた。

2020年11月1日日曜日

11月1日 新国立劇場バレエ団「ドン・キホーテ」

 昨日のドンキがあまりにもよかったので、急きょ行くことを決めのだが、結論としては昨日ほどの感動には至らなかった。いや、素晴らしかったのですよ。十二分に。けれど、感動というのはテクニックだけではないというか……。

小野絢子のキトリに福岡雄大のバジル。公演のトリを飾るだけに、バレエ団随一のコンビなのだろう。確かなテクニックは安定感がある。小野はポジションがピタリと決まり、軽やかな跳躍、回転技と、どの場面も美しい。福岡はジャンプの高さ、キレのよい回転で見応え充分。。一番の見せ場は1幕のリフトの長いこと!思わず声が漏れた。……が、ドンキで期待するのとはちょっと違うのだなあ。小野は姫感が強く、キトリにしては高貴すぎ、落ち着いた様子は成熟した女性を思わせる。福岡も同様。バジルはもうちょとお調子者でもいいのでは?あと、音の取り方が少し好みではないというか、オケと合わさったときのスリリングな感じがなかった。なぜか、この日の群舞も同様。2人ともバリエーションが巻き気味というか、少し曲が余ってフィニッシュを待っているように見えた。3幕のキトリのフェッテでは、オケがテンポを速めたり遅くしたりもしていたようだった。

この日のもう一つのお目当ては、奥村康祐のガマーシュ。昨日とは全くの別人で、全くもって三枚目の嫌みな貴族っぷり(←褒めてる)。ガマーシュってこんなに面白い役だった!?と驚いた。舞台のすみにいるときもいろいろ小芝居を仕掛けているので目が離せず、中央で踊るダンサーを見るのがおろそかになってしまうほど。

サンチョ・パンサの福田圭吾もよかった。愛嬌にあふれ、観客へのアピールも楽しい。1幕でトランポリンで飛ばされるところでは、3回目は空中で1回転!すごい運動能力。

2020年10月31日土曜日

10月31日 新国立劇場バレエ団「ドン・キホーテ」

 こういうドンキが観たかったのよ!という大満足な舞台。1幕の冒頭からあふれんばかりの祝祭感に涙ぐみそうだった。オケがよかったのも一因か。下手側の2階席は、舞台全体もダンサーの表情も、さらにはオーケストラピットもよく見え、感動もひとしお。指揮は冨田実里。

結構アップテンポで進むのだが、キトリの池田理沙子、バジルの奥村康祐をはじめ、コールドにいたるまで誰も遅れず、角々のはっきりしたキレのある踊りと音楽との一体感が心地いい。今季から舞踊芸術監督に就任した吉田都の影響もあるのだろうか。止めはねがしっかりしているというか、緩急があって、音に合ってストレスを感じさせないのがいい。

池田は華奢な体が少女らしく、品よく賢そうでいながら、少し小悪魔的な魅力もあるキトリ。バジルの奥村も少年らしいやんちゃさがあり、二人とも芝居気があるので、2人がイチャイチャするところも楽しく見せる。それでいて、キレのある踊りでもしっかり見せるのが素晴らしい。奥村はジャンプはそれなりだが、回転技が得意なのか、連続で回っても軸がぶれず、スピードも落ちないのが凄い。

2幕のドゥルシネア姫の池田はあまりニンではないように見えたのは、高貴さが薄いからだろうか。3幕は1幕ほどの感動はなかったが、テクニックがしっかりしており、十分堪能した。奥村が池田の腰を支えて回るところで1回、息が合わずにもたつくところがあったのが残念だったが、アイコンタクトがよく、パートナーシップも素晴らしい。

1幕で、闘牛士らが地面にナイフを突き立てるところで、3回とも数本が倒れてしまったのは床が硬すぎるのか、ナイフがなまくらなのか……。こういうところで気を散らされるのは好ましくない。

エスパーダの井澤駿は髭のせいもあってか気障な感じだった。

2020年10月26日月曜日

10月25日 東京バレエ団「M」

 冒頭の海の群舞が美しい。

少年役の大野麻州は健康優良児という感じで少年時代の三島由紀夫というイメージではなかったが、ほぼ出ずっぱりの難役をよくこなしていた。少年の手を引いて登場する白塗りの和服の婦人(池本祥真)は母なのかばあやなのか。婦人が着物を脱ぎ捨てると、ㇱ(死)になるという展開。狂言回し的な存在で、実質的な主役?

イチ(柄本弾)、ニ(宮川新大)、サン(秋元康臣)や聖セバスチャン(樋口祐輝)、船乗り(ブラウリオ・アルバレス)ら、男性ダンサーに名前のある役が多いのが象徴的。アルバレスは若き日の美輪明宏を思わせる美丈夫。射手の南江祐生は着物を片脱ぎするのがもたつき(おそらく手を襦袢と着物の間に入れてしまった)、矢を射るまでの時間があまりに長く、作品の緊張感を途切れさせてしまったのが残念だった。

小鼓と笛の演奏に掛け声が入り、少年の自決シーンでは刀の代わりに扇を用いるなど、能楽の要素がちりばめられているのが、抽象性を感じさせる。芝居とはいえ、少年に刀で自決させるのはいたたまれない気がするので、扇と分かってちょっとホッとした。

2020年10月25日日曜日

10月24日 木ノ下歌舞伎「糸井版 摂州合邦辻」

再演にして濃度が増し、アングラ感が高まった。玉手御前の内田慈をはじめ、多くのキャストが初演から引き続き、個々のキャラクターが際立って見えた。
冒頭に、合邦が玉手を刺す場面を見せ、その後も折々にそのモチーフを挿入する手法で、嫌でも物語が玉手の死に向かっていることを印象付ける。
何本もの柱が林立するセットは初演を踏襲しているが、ちょっと古びた木目調が目についた。 
内田の玉手はブルーの濃いアイメイクが際立ち、毒婦感が増した感じ。2幕の回想シーンで、幼少期に合邦と手を繋いで歩く無邪気さと、らい病で醜くなった俊徳丸に恋を仕掛ける妖艶さのギャップ。朝香姫を蹴り殺すというのが鬼気迫るあまり、その後のモドリとの整合性に戸惑った。
つい1週間ほど前に文楽の合邦住処を見たばかりなので、違いにいろいろ気づくことも。一番の相違は、文楽では合邦の物語なのに対し、糸井版では婆おとく(西田夏奈子)の存在が大きいこと。幼少期の回想シーンでは、玉手(お辻)と父、合邦との思い出を描き、パパと娘のデュエットが一つの見せ場なのだが、現代シーンでは玉手を刺した後の合邦はあまり印象がない。おとくは久しぶりに迎えた玉出にあれこれ世話を焼いたり、死んだ後は長尺のソロ歌唱で嘆きを一手に表現する(そして、この歌が聴かせる!)。役者の力量なのかもしれないが、色々と感慨深いものあり。
合邦が玉手に手をかけるシーンでは、西田のヴァイオリンと高山知宏のトランペットを伴って、伊東佐保(だったか?)が義太夫風の語りが迫力を増す。  
朝香姫(永井茉梨奈)は俊徳丸(土屋神葉)より背が高く、昔のお姫様というより、己の力で突き進む現代的な強い女性像。子供の頃、将来結婚しようという俊徳丸と次郎丸の両方に「まる!」と答えていたのはどうかと思う。これでは、次郎丸がしつこく迫るのもしょうがないのでは。 

2020年10月24日土曜日

10月23日 恒例 志の輔らくご

第一部は「大忠臣蔵~仮名手本忠臣蔵のすべて」と題した解説。 

12年目のスクリーンに映した浮世絵を見せながら、大序から十一段目までを説明するのだが、75分となかなかのボリューム。全段を把握していないひとにはよさそう。毎日同じ話をしているだろうに「確か、○年ほど前…」と記憶があやふやだったり、国立劇場開場50周年上演したで歌舞伎の忠臣蔵通し上演を「2か月連続で」と誤ったりするのは信頼感が下がる。

第二部は落語「中村仲蔵」。評判の志の輔版は初めて聞いた。仲蔵が名題に取り立てられるまでを丁寧に語っている(30分ほど)一方、妻とのやり取りはあっさりめ。斧定九郎の新演出で登場するところで、客席の下手側の花道に相当する場所にスポットライトがあたる演出など、照明を効果的に使っていて、大ホール(1300人のキャパに半数だが)の観客を引き付けるのはさすが。だが、語りに緊張感がないというか、ちょっとはしょったり、流したりするところがなきにしもあらずと感じた。落語で同じ演目を毎日語るというのは、弊害もあるのかなと思った。

赤坂ACTシアターが来年から改装工事に入るそうで、この会は今年で最後になるそう。図らずも間に合ってよかった。

2020年10月23日金曜日

10月22日 ザ・グレイト文楽

オンラインで視聴。

チェロの宮田大の演奏による「BUNRAKU」と勘十郎のコラボはほとんど見られず、アーカイブでの視聴も気づいたら終わっていた……。

「花競四季寿」は津駒、織、小住、碩に寛太郎、清志郎、錦吾、燕二郎、宗助という床。寛太郎がシンで宗助がトメに回ったのが注目だった。終始緊張した面持ちの寛太郎だったが、大過なく勤めていた様子。

人形は「鷺娘」を簑紫郎が勤めるなど、若手が健闘。「萬歳」は玉翔と簑太郎だったが、玉翔の上手さが眼を惹いた。人形の目線が決まっているので、動きがちゃんと見えるのだ。一方の簑太郎は今一つ視線が定まらず、動きがぎくしゃくして見えた。出演はほかに、勘次郎、勘介、簑之、玉延、勘昇、清之助。

2020年10月19日月曜日

10月18日 「GOEMON抄」

 公演中止となった「GOEMON」の代わりに、ハイライトシーンの上演とトークの公演。

セリ上がって登場する今井翼のフラメンコダンスと歌唱が結構たっぷり。種之助の口上に続いて、紋付き袴の素踊りのスタイルで、五右衛門(愛之助)と三山(吉弥)の立ち回り、秀吉(鴈治郎)の独白、阿国と五右衛門、カルデロンのフラメンコなどのシーンが次から次へと。種之助と吉太郎の立ち回りも。印象としては、今井の見せ場が多かったかな。

アフタートークでは、今井が踊りに力が入るあまりパンツが破けたと告白。千秋楽だったから?「次は本公演で」と熱入りまくりの壱太郎や、「カルデロンの父の役をやりたい」という鴈治郎など、カンパニーの雰囲気のよさが感じられた。

10月18日 清流劇場「逃げるヘレネ」

まず、衣装やが洒落ていて、スタイリッシュ。コロスはブルーのゆったりしたワンピースに四角くベールのついた帽子、ヘレネは白の、スカートがたっぷり膨らんだドレス、紙衣のようなメネラオスの衣装…。エジプト王が英国調のドレスだったのはなぜだろう?
コロスのフォーメーションや、ヘレネとメネラオスのイチャイチャするダンスなど、振り付けも気が利いていた。

ヘレネの永津真奈はたたずまいが美しい。千秋楽の疲れからか声がややハスキーだったが、膨大なセリフをよくこなした。預言者テオノエの木全晶子は威厳があり、声もよく通る。メネラオスの高口真吾もセリフが良かった。全体的に、役者のセリフが明瞭で聞きやすかった。
最後、船で逃亡した様子を告げる使者(勝俣諒平)の長台詞は少し荷が重かったか。

換気休憩を2回挟み、俳優はマウスガード、最前列の客もフェイスシールドという厳重な感染症対策。俳優ならマウスガードは、声がくぐもったり、息で曇ったり、飛沫が付着したりと、鑑賞の妨げになるのは否めない。
門番の老女(服部桃子)がメネラオスとやり取りするところで、ビニールのシートを間に挟んだり、触れた手を消毒したり、ヘレネとメネラオスが会話するところで筒を糸電話のように使ったり、吹き戻しでマウスガードごしにキスしたり、と、ソーシャルディスタンスを逆手に取った今ならではの演出も。

2020年10月18日日曜日

10月17日 文楽巡業公演 昼の部 @所沢ミューズホール

 「二人三番叟」

国立劇場と同じような、能舞台仕立て。

床は後方に横並びで、藤、津国、希に清志郎、友之助、清公、清方の顔ぶれ。

舞台後方だからか、音量が今一つで、清志郎らしからぬ切れのなさ。藤は口を開くときに顎を右にずらす癖が目に付いた。悪い癖でなければいいのだが。

お囃子は下手舞台袖にいたらしく、小鼓を立って打っているのが垣間見えた。何だか急いているようで、お囃子に三味線の演奏が追い立てられているように聞こえた。

人形は玉誉の代役で玉翔と簑太郎。玉翔は人形の目線がしっかり決まっていて、上手いなあと思った。


「摂州合邦辻 合邦住家の段」

中は亘・清馗。結構長くて25分くらい?

前は呂勢・清治。隙のない三味線に豊かな語り。玉手の「惚れてもらう、気」の「気」の言い方がかわいらしく、色気があった。合邦の詞など、低音は少し物足りない。

後は呂・清介。人差し指と親指で筆の尻をつまんで文字を書いているような、さらさらとした語りで、聞かせどころのはずの合邦の嘆きもあれ?という感じ。だが、終演後に話しかけられた、文楽初めてというご婦人は「最後の太夫が凄かった」と仰せだったので、波長が合う人には響くのだろう。

清介の三味線が、語りを補うように力強くて驚く。

人形は勘十郎の玉手に玉志の合邦。浅香姫(清五郎)を蹴り倒すところは案外おとなしめだった。

2020年10月12日月曜日

10月11日 令和2年10月歌舞伎公演 第一部

「ひらかな盛衰記 源太勘当」 

梅玉の梶原源太。貴公子然とした二枚目は得意とするところなのだが、なんだかパッとしなかった。弟、平次の幸四郎とのバランスも悪いのでは。千鳥をめぐるさや当てもなんだか…。扇雀の千鳥は腰太で、可愛げが足りない。

魁春の母延寿は風格があった。


「幸希芝居遊」

興行が禁止されたなか、芝居がやりたくて芝居小屋に集った役者たちがいろいろな役を演じて…という、ごった煮のような出し物。なのだが、衣装を変えるでもなく、役者の子どもがごっこ遊びをしているような他愛なさ。幸四郎が十役以上?やっているようだが、詰め込み過ぎでどれも印象に残らず、さらーっと流れてしまう。最後は面を掛け替えて数をこなすのもがっかりだし、夢落ちもつまらない。つくづくこの人のセンスは合わないわ…。

2020年10月10日土曜日

10月9日 桂よね吉独演会

 前座の笑金は「道具屋」。東京での落語は初めてだそうで、緊張が手に取るよう。

よね吉「ふぐ鍋」。遠慮しているのか、東京の客がおとなしいのか、マクラにいつものような勢いがなくて少々物足りない。本編では酒を飲んだり、鍋を食べたりと仕草のうまさを見せつけた。涼しくなってきたとはいえ、まだ鍋には早いかな。

中入りを挟んで二乗。自粛期間中に娘と公園巡りをしたマクラは覚えているのだが、何やったっけ?(「短命」だった)

よね吉「たちきれ」。この日のお目当てだけあって、大満足。一人芝居のような、熱の入った演技に引き込まれた。何だか色っぽい話のような気がしていたのだが、人情噺というか、小糸の回りの人々の感情の機微が丁寧に描かれる。小糸のいじらしさや、芸者衆のかしましさを鮮やかに描く。若旦那が蔵に閉じ込められてこられなかったことを知ったときの、小糸の母の乾いた泣き笑いにぐっと来た。

2020年10月5日月曜日

10月4日 逸青会

東京公演の後に撮影したというオンライン版を視聴。舞台上のカメラが橋掛かりに登場する役者を前から撮影したり、映像ならではの目新しい工夫も。

「二人三番叟」
逸平の狂言と菊之丞の日本舞踊が同じだけどちょっと違う振り付けで共演するのが面白かった。武張った狂言に対して、たおやかな日本舞踊というか。菊之丞いわく、三番叟は日本舞踊でもいろいろあるが、本家本元の狂言と一緒にやるのはプレッシャーなのだとか。衣装も狂言のものだったし。

「いたりきたり」
新作は平家と源氏の武士の亡霊を、旅の僧が供養するという話。能のワキ方のように旅の僧が登場するが、その後も現れた亡霊とやり取りをしたりと結構見せ場がある。東京公演に出演した尾上右近が僧役だったが、京都公演の林宗一郎のほうも見てみたかった。(途中の回想シーンの映像で那須与一の扇の的を再現するところで、宗一郎が義経役で出演したが、セリフはなかったような)

2020年10月4日日曜日

10月4日 十月大歌舞伎 第三部

「梶原平左誉石切」

半年ぶりの仁左衛門。ちょっとセリフを言いよどんだりしたが、朗々としたセリフ回しに聞きほれる。
しょうもない話ではあるのだが、梶原の心情が丁寧に描かれているので見応えがあった。
二つ胴を切るところで梅の花びらが舞い、手水鉢は手前で後ろ向きになるのではなく、手水鉢の後ろに回って正面を向いて切る演出。2つに割れた手水鉢の間を駆け抜けて前へ出る躍動感に若々しさがあった。
六郎太夫の歌六、孝太郎の梢に安定感。梶原の後ろの大名に美形がいると思ったら、玉太郎、歌之助だった。松之助が囚人役で、酒づくしが楽しい。台本をカットしたせいか、梢が戻ってくるまでが早く感じた。
客入りはまだまだで、2階席は3列目までしか入っていない感じ。

10月3日 笑えない会番外編「笑える会」

9月26日に京都で開催した公演をオンラインでも配信。配信スタートの1時間前から、よね吉と千五郎(茂も)がチャットに参加して、オンタイムで裏話や質問に答えたりする演出が心憎い。

「萩大名」
千五郎の大名、茂の太郎冠者、千之丞の亭主。
パソコンのスピーカーでは「古木」を「五目」と言うなどの言い間違いが同じように聞こえ(←後でテレビにつないで見直した)、そうなるとなにも面白くないので驚いた。

「蛸芝居」
吉朝師匠が柱巻きの見栄が好きで、あちこちで披露していたとえいうマクラから、芝居の場面をふんだんに盛り込んで、柱きの見栄やら、だんまりやら、座布団の上でよくもそこまで…という大熱演。笑った!

「神棚」
よね吉の落語、茂の神様、千之丞の女房、千五郎の姑。
千五郎がダースベーダーのテーマで登場したり、フォースを使って提灯を貼ったり、茂のパーマをいじったりと、アドリブ満載で、寝ているよね吉が笑いをこらいかねているのがなおおかしい。防戦一方だった茂が、「なかなか」の使い方でよね吉にダメだししたり(酒を飲んで「なかなか!」というのは違うということらしい)。落語と狂言のいいところがミックスされ、落ちもきれいについて、よくできた話だね。

2020年10月3日土曜日

10月3日 NOW ZOOM ME ライブビューイング

見るつもりはなかったのだが、SNSでの評判がよかったので釣られて後悔しきり…。これで怒らない宝塚ファンってつくづく優しいと思う。
まず選曲にセンスがない。バブルと銘打っているのに時代がバラバラ。渡辺美里とTMと、80年代アイドルと、アンルイスと学園天国がなんで一緒くたなの!? 編曲のせいか、歌唱力のせいか、元曲の良さを殺してるのはわざと? 世代的には知らないだろうけど、稽古の時に聞いてみなかったのかしら。加えて。2幕はじめの寸劇の惨憺さたるや。壬生義士伝やファントムの名シーン、ソングをあんな風にズタズタにしていいの?パロディのつもりか知らんが、ドタバタコントにしてはシャレがなくてちっとも笑えないし(苦笑はしたか)、面白くない。せっかくの歌うまトップなのに生かし切れていないのが残念でならないだ。リクエストで選んだという、「ひとかけらの勇気」からの3曲が唯一行ってよかったと思えたところ。

望海の歌唱力は折り紙付きだが、英語の発音はもう一つ。子音、特にfとvの発音が甘いのでは。back street boysの「shape of my heart」を歌ってくれたのはうれしかったけど。

10月2日 伝統芸能 華の舞

コロナ禍で延期された公演を北とぴあで所見。冒頭に右團次がマスク姿であいさつ。

「吉原雀」
右若の女、右左次の男、右田六の鳥刺し。

「二人椀久」
九團次の椀久に廣松の松山太夫。客席が暗くなると眠くなる…。

「連獅子」
右團次の親獅子に右近の仔獅子。テレビで見ると大きくなったと思ったが、並ぶとまだまだ子供らしい。
右近の仔獅子は親獅子を懸命に見つめてついていく健気さがある。2回公演で疲れが出たのか、冒頭はちょっと眠たそう?身体はまだできていないようで、座ったり立ったりすると体幹がぶれるのはご愛敬。毛振りは堂々としたもので(ちょっと短かったか)、これからが楽しみ。トータルで45分ほどか。宗論は廣松と九團次。

2020年9月30日水曜日

9月27日 三島由紀夫没後50周年企画「MISHIMA 2020」

オンライン配信で視聴。

「真夏の死」(「summer remind」)
海の事故で子どもをなくした妻(中村ゆり)と夫(平原テツ)の2人芝居。演出・加藤拓也。
演出が好みではなかった。夫が風俗で浮気をするところで、平原が立ったり座ったりしながら夫と風俗嬢を演じるのがまだるっこしいし、中村が次の子を出産するところでバルーンが膨らむのも、その中から腸のような(へその緒?)物体が出てくるのも、趣味がわるい。物体を丸めて抱きかかえ、子どものように扱うのだが、ラストシーンで妻はそれを海へ放り投げる。せっかく生まれた子を捨てちゃったの?よくわからない。


「班女」近代能楽集より
橋本愛の花子は美しく、狂気もリアルに演じられていたし、中村蒼の吉雄も華やかな美男子を好演していたが、圧巻だったのは麻実れいの実子。40歳という設定は現代では実年齢では演じられないのだなというのは置いておいて、セリフ、立ち居振る舞いの確かさで、近代能楽集の世界を確立していた。
2人が扇を交換するプロローグは、逆光になったシルエットが美しく、舞のよう。ただ、ここでは舞扇だったのが、後半では真っ黒な扇になっていたのはなぜ?

2020年9月27日日曜日

9月26日 東京バレエ団「ドン・キホーテ」

急に見たくなって前日にチケットを抑えたのだが、4階席から見たせいか不完全燃焼な感じ。
上野水香のキトリ、柄本弾のバジルで期待が高すぎたのか……。
上野はやることはきっちりやっているのだが、ジュッテやリフトが重たげに見えた。久しぶりの公演だったからまだ本調子ではないのだろうか。キャラクター的にも、キトリには下町娘らしい、弾むようなおきゃんな雰囲気が欲しい。上野は育ちがよさそうで、ちょっとすましている風なのだ。
柄本は悪くはないのだが、印象に残らず。上野と並んでも背が高いのが意外な発見だった。

2020年9月19日土曜日

9月14日 文楽公演 第二部

病気休演だった咲太夫が復帰したというので、急きょ。

市之進留守宅から盆が回って数寄屋の段の咲・燕三が現れる。織から咲へ変わると、登場人物の人格が変わったかのよう。もともと、おさゐや権左の人物像というのは、とくに現代から見ると現実的でないのだが、語り手で変わるもので、その違和感はとりあえず横へ置いて、物語に集中できる気がした。おさゐは仮にも茶道の師匠を勤めるほどの人物の女房なのだから、それなりの落ち着きがあってしかるべきで、嫉妬に我を忘れるにしても、あまりヒステリックになるのは違う気がする。それと、緩急のある語りは、やはり切場語りだ。メリハリがあるから安心して聞いていられるわけで、終始押してこられると(筒一杯というのとは違って「どうだ、すごいだろう」という押しつけがましさ)だと聞いているほうは疲れる。

伏見京橋妻敵討ちの段は、様式美の世界と再認識。賑やかな盆会と敵討ちの対比、討たれる者のあわれ。切られた権左がおさゐに覆いかぶさるようにこと切れるのはなぜだろう。濡れ衣なのに。

9月13日 九月大歌舞伎 第三部

「双蝶々曲輪日記」

与兵衛役を初役の菊之助に譲って、吉右衛門が濡髪。体が重そうなところはあるけれど、体格的にも吉右衛門が濡髪のほうがしっくりくる。
菊之助の与兵衛は清潔感があり、誠実さが感じられる。女房お早を雀右衛門、母お幸を東蔵と、適材適所の配役。ただ、全体で1時間10分ほどで、どこかカットされていたのか、物足りなさが残った。
竹本は後半を葵・淳一郎。黒いマスクをしており、少しやりにくそうだった。

9月12日 文楽入門

「壷坂観音霊験記」

亘の短い解説に続いて、沢市内より山の段。前を靖・錦糸、後を錣・宗助に燕二郎のツレ。
亡くなった嶋太夫が、呂太夫襲名時に勤め、好んでいたと聞いたので、少し違う気持ちで聞いてみたが、やはりあまり好きな演目ではなかった。近代に作られたのでフシがいいのかな。
靖・錦糸のは、素浄瑠璃でも抜粋版を聞いたことがあったが、しみじみとしている。靖は途中、顔を紅潮させる力演。錦糸の音は素朴というか、余計なものがない感じ。
錣・宗助は相性がよさそう。ツレの三味線は、観音様が出てきて目が見えるようになってからなので、弾き終わってから終演までの間が短く、ハラハラする。
人形は清十郎のお里に玉助の沢市。がけに身を投げてから息を吹き返すところで、人形より先に人形遣いが姿をあらわすのは興ざめ。
物語に集中できなかった一因は、実際に壷阪寺を訪れて、あんながけがないことを知っているから。土曜日というのに、客入りが半分くらいしかなかったのも、寂しかった。19時45分開演というのは遅いよなあ。

2020年9月10日木曜日

9月10日 文楽公演 第二部

なぜかこれだけ完売している第二部に戻りがあったので急きょ。

「槍の権三重帷子」
浜の宮婆の段は藤・團七。三味線の音が乱れ気味。25分弱の場面でこれといった見せ場はなく、権三のダメ男ぶりが垣間見られるばかり。藤はこれでいいのか?
人形は出遣いで、お雪の紋臣がかわいらしい。ところで、お雪が権三に贈った帯には縦に紋が描かれているのだが、これでは帯を締めたときに横を向いてしまうのでは…。

浅香市之進留守宅の段は織・藤蔵に清允の琴。織は堂々とした語りぶり。なぜか娘お菊の声が太くてかわいくないのは、連日の重責で喉を酷使しているせい?堂々としているのは結構だが、心の機微のようなものは感じにくいかも。中盤あたりから、いびきのような唸り声のようなものが聞こえる…と思ったら、藤蔵?複雑な手が多くて、三味線としては力の入るところだろうが、音楽を阻害してしまっては本末転倒。
人形はここから頭巾をかぶって。今回特別の演出なのか?乳母の話を立ち聞きするおさゐ(和生)の心理描写が細かい。
琴の台が朱塗りだったのは、織の見台をそろえたのだろうか。

数寄屋の段は病気休演の咲の代役の織と燕三。舞台転換もあって、いったん盆で引っ込んでから、再びの登場。燕三は顔が引き締まったような。
織は引き続いての熱演だが、嫉妬に狂うおさゐが怖い。

伏見京橋妻敵討の段は三輪、芳穂、小住、亘、碩に清友、団吾、友之助、清公。びしっとそろった三味線が心地よい。
人形は再び出遣い。市之進の玉佳がりりしい。

改めて見て、変な話だなあと思っていたら、後ろの席の初老の夫婦?が同じような感想を言い合っていた。斜め後ろの席に駒之助がいたのだが、終始うつむき加減で身じろぎしないので、感想はうかがえず。床に並んだ小住がそのあたりをガン見していたのは、気づいたのか、知っていて確認したのか。

2020年9月7日月曜日

9月7日 文楽公演 第三部

公演が再開され、第三部としては初日を所見。

「絵本太功記」
「夕顔棚の段」は睦・清志郎。第一声はよかったが、節遣いで音程が不安定に感じた。時折声がひっくり返りそうな感じ。清志郎は気迫のこもった撥さばき。

「尼ケ崎の段」は前が呂勢・清治、後が呂・清介。
盆が回って、清治の頭が白くなったような。単に白髪が増えただけ?三味線の音は力強く、一安心。
呂勢は丁寧に語っている印象。歌いあげそうになるのを抑えたようなところがあり、時代物の重厚さを出していた。が、光秀の登場の前(25分くらい)で交代というのは残念。初菊のクドキなどちょっとした聞かせどころはあるものの、ここからというところなのに。
変わっての呂は、光秀の登場はボリューム不足だし、全体的に語りが軽い。清介の三味線が激しく重厚なので余計に霞んで聞こえない。
人形は一輔の初菊が可憐。簑二郎の操はしっとり、勘寿のさつきは哀愁がある。光秀の玉志は人形を扱いあぐねているようで、もしかして体調が悪い?久吉の文昇も、登場時はよかったものの、鎧姿になったクライマックスでは、人形を支えきれないのか体が傾いでいた。


22日の千秋楽に再見。呂勢の語りがぐっと良くなっていて、のびのびと感じられた。初菊のクドキでは泣けた。

9月5日 文楽公演 第一部

およそ半年ぶりの本公演。開場時間になると、半分以下に間引かれた客席からいつもより力強い拍手。演者が登場してからもしばらく鳴りやまず。

「寿二人三番叟」
芳穂、津国、南都、咲寿、文字栄に勝平、清馗、寛太郎、清方。
三味線は一撥めから力の入った様子。少し急きぎみなのを押しとどめた感じ。第一声の芳穂はブランクを感じさせない、堂々とした声(体格も一回り恰幅がよくなっていたような…)津国との掛け合いも悪くはない。
だが、なんだか三味線のまとまりが悪い感じ。どうにかこうにか勝平が手綱を引いてまとめているのだが、ちぐはぐな感じが否めず。人形の足拍子、お囃子もなんだかちぐはぐで、もみの段はともかくも、鈴の段に入ってからが特に気持ち悪かった。
人形は玉勢と簑紫郎で、動きがちょっと勢いあまる感じだったのは、気合の表れか。能舞台を模した感じで、手すりよりも高くしつらえられた舞台には橋掛かりがあり、3本の松もあったのはいつも通りだっけ?


「嫗山姥」
廓噺の段の口を希・清丈、奥は千歳・富助に錦吾のツレ。
沢瀉姫や局など、女キャラが多い段なので、希の声質には合っている。10分ほどの出番を不足なく勤めた印象。
千歳・富助が出てくると安定感。けれど、八重桐の廓噺は他の人で聞きたいかも。千歳がときおり咳をしていたのが気になった。何事もなければいいのだけど。
人形は勘十郎の八重桐が大活躍。玉也が時行役という若い男前を遣うのが珍しい。八重桐が現れてこそこそ隠れるところとか、ダメンズではあるが。それにしても、変な話だよなあ。時行よ、妹に敵討ちを先越されて情けないからって腹を切らなくても…。そこで八重桐に子が宿ってスーパーパワーを身に着けるという展開もあっけにとられた。

引き続き、2部を鑑賞する予定が、開幕時間後10分ほどたってから、急きょ中止のアナウンス。スタッフに体調不良者が出たとのことで、観客は大きな混乱なく受け入れたようす。技芸員の人たちもぞろぞろと帰っていく様子に遭遇した。

2020年8月24日月曜日

8月23日 第六回あべの歌舞伎 晴の会「浮世咄一世仇討」

落語「宿屋仇」が原作の、第1回の晴の会で上演した「」を再演。

中核の3人に先立ち、オープニングでは他のメンバーも、古典歌舞伎の人物になって舞台上を行き交う。當吉郎の梅川(!)、りき弥のお染、當史弥のおえん、佑次郎の八右衛門、翫政の忠兵衛、千太郎の久松という配役。彼らは本編では黒衣となって色々とお手伝いするのだが、顔をしたまま(ファンサービスのためか、頭巾はかぶらずフェイスシールドだったのでよく見えた)なのが違和感。

本編は、屏風をパタパタさせて部屋の移動を表す演出がよくできている。
無骨な侍、万事世話九郎役の松十郎、調子のいい女中いさき役の千寿、陽気な源兵衛役の千次郎と、ニンにあったキャラクターが板についている。千寿は回想シーンで色気のある武家の女房にがらりと変わり、演じ分けも鮮やか。

大向こうは舞台に一番近い客席の最後列にビニールシートに囲われて、千次郎が客席に宿屋の場所を尋ねるところで、笠で口を覆うなど、コロナ対策らしき配慮も見られた。

8月22日 文楽素浄瑠璃の会

「日吉丸稚桜 駒木山城中の段」
錣の相手は大抜擢の寛太郎。
はじめはおとなしめというか丁寧に弾いている感じだったが、中盤の五郎助がお政の首を落とすところでの雄叫びのような掛け声で目が覚める。大落としから、三味線の派手な手が入るところは、力のこもった熱演。錣との息も、はじめはしっくりこない感じだったが、だんだん丁々発止な緊張感が心地よい。
ただ、何というか、どんでん返しに次ぐどんでん返しで、義太夫らしいといえばそうなのだが、あまりな展開。力技で持っていかれた感があり、途中から何だか分からないけどすごい、という気分だった。

「生写朝顔話 宿屋の段」
咲は肩衣越しでも分かるほど痩せたのが見て取れ、幕開きに下げていた頭を直すときに見台についた手で支えるような仕草に不安を覚えたが、語り出すといつもの調子。とはいえ、詞が多く、節などの聴かせどころが少ない場面なので、朗読劇を聴いているよう。
燕三の三味線に燕次郎の琴が合わわさり、息のあった師弟共演が心地よい。

「恋女房染分手綱 重の井子別れの段」
千歳・清介は三谷文楽と同じ顔合わせだが、文楽劇場では珍しいのでは。
ここへ来てようやく義太夫節らしい語りを聴いた気分。ちっともおかしくない話なのに、何故か三吉の詞で笑いが起こる。それも度々。千歳の語りに不足はなく、話を解ってないのかいな。
終演時、清介の顔に満足げな笑み。

2020年8月17日月曜日

8月17日 第一回千五郎の会

当代の十四世千五郎になってから初めての東京での会。3月の予定がコロナ禍で5月に延期され、さらに8月に。加えて、客席の収容人数を制限するため1日2回公演という異例の開催。当初予定していた大蔵家の参加がなくなり、演目が「三本柱」から「末広かり」に変更になり、千五郎は大曲の「釣狐」を1日に2回演じるという挑戦になった。1日2回目の17時の会を所見。
開演5分前に千五郎から挨拶。当初は父、五世千作と出演予定だったが、亡くなったため取りやめも考えたが、供養にもなると開催を決意したこと。コロナ禍で2度の延期を経てようやく開催にこぎつけたことなどを語る。客席には1席置きに千作の写真を使ったチラシ?が貼ってあり「舞台から見ると父がたくさん」と。笑顔の千作に吹き出しで「このお席は使えまへん」「なんや、そうしゃるなたんすちゅうやつですわ!」とありほっこりした。
「末広かり」 千五郎の果報者に逸平の太郎冠者、島田洋海のすっぱ。 挨拶の後、5分ほどで着替えて登場した千五郎。2度の釣狐に加えて、末広かりまでとは、意気込みが感じられる。が、声大きい。大きいのは悪くないのだが、なんか耳に障るのだよ。スピーカーの音量を上げ過ぎて音割れしているような感じとでもいうか…。改めて気が付いたのだが、千五郎の狂言は何でかあまり笑えないし楽しくない。怒っているみたいだからか、などとつらつら考えた。
「狐塚」 茂の太郎冠者に宗彦の次郎冠者、七五三の主人。 打って変わって、ほのぼのと楽しい。鳴子で鳥を追い払うところや、主人を狐と疑ってしっぽがないか確かめるところが微笑ましく。七五三の主人も大らかでいい。
「釣狐」 千五郎の老狐、千之丞の猟師。
老狐の登場時から足首のあたりから狐の着ぐるみが見えていたり、動いた拍子に袖から狐の毛皮がのぞいたりしていたのは、演出だろうか。ずいぶんはっきり見えていたが。伯蔵主に化けたものの人に近づくことの恐ろしさで震える様子など、狐の心理描写が分かりやすかった。節回しも自然で、さすが当主の貫禄。面越しでもはっきりセリフが聞き取れるのはありがたい。中入りで引っ込むところで、橋がかりに差し掛かったところで着物の裾をまくり上げ、しっぽを見せる。
千之丞の猟師ははじめから疑っている様子が明白で、何か企んでいそうな感じ。老狐との緊迫感のあるやり取りに見ごたえがあった。

2020年8月16日日曜日

8月15日 三谷文楽「其礼成心中」

久しぶりの三谷文楽。内容は知っているのであまり笑えはしなかったのだが、生の義太夫節はいいなあと。(たとえマイクを使っていたとしても…)となりの女性は初見だったらしく、終始笑ってうらやましかった。

冒頭の三谷君人形はマスク姿。人形がしゃべらず、マスク(頭巾)をしている文楽はコロナ向きと言っていたが、「太夫は高いところにいるので飛沫は飛びません」は間違い。高い分、より遠くまで飛沫は飛ぶでしょう。後方にいるので客席までは届かない、というならあながち間違いではないのだろうが、人形遣いは浴びまくっているわけで…。三味線は皆グレーのウレタン製らしきマスクを装着していたが、呼吸でペコペコするのが見えて息が辛そう(特に清志郎)。三味線も息を詰めたりするからね。能楽や歌舞伎座で使っていたようなマスクのほうが楽そうだ。

病から復帰した呂勢は少しやせたのか顔の精悍さが増したよう。1場の語りは急いでいるのか間を詰めている感じで、笑いどころで笑わせていないのが惜しい。続く千歳は熱量の高い語りで、客を乗せていく。お福役で加わった靖は落ち着いた様子。呂勢も2回目の登場や、終場の千歳との掛け合いでは充実の語りで満足。半兵衛の千歳とおかつの呂勢がユニゾンで語るところは、音程さがあるのでハーモニーのようで心地よかった。(過去のパンフレットを見たら、おかつ・千歳、半兵衛・呂勢と書いてある!今回入れ替えた?)「曽根崎心中」や「心中天網島」など古典からの引用も多く、よく聞くフシが多用されていて、義太夫節として楽しめると改めて思った。

人形は、半兵衛・一輔、おかつ・玉佳、お福・紋秀ら主要キャストは前回と同じ。六助の玉勢が大近松を兼務、小春の玉翔はちょっと意外。玉佳は八右衛門もやってた。若手もそれぞれ昇格したようで、三谷君人形は簑悠が遣っていたよう。

2020年8月14日金曜日

8月11日 文菊のへや 第七夜

「死神」というので期待していたのだが、期待値が高すぎたのか物足りなかった。死神の造形が淡々としていたのは狙いなのかもしれないが、癖のあるキャラとして演じる噺家に慣れているので、凡庸に見えた。ラストの、蝋燭の火を移すところの主人公の描写はさすが。火を移すのには成功するが、死神に吹き消されるというオチはオリジナルか。

8月11日 宝塚宙組「FLYING SAPA」ライブ中継

場内はほぼ女性客。開演5分前くらいから劇場の様子がスクリーンに映し出されたが、スクリーンの向こうの客席よりも映画館の客性がシーンと静まり返っていて怖かった。

人類の争いにより滅んだ地球から逃れた人々が水星に移住しているという近未来的SF。人々は左腕に装着した“へその緒”によって見えない膜に覆われて外気から守られ、酸素や栄養の供給を受かる代わりに、思想を管理される。不穏な考えを持つものは直ちに拘束されて矯正措置を施され、平和が保たれている。緻密な設定により構築された世界観の裏に、多様性がなくなり同質化した社会は果たして幸せなのかという哲学的な問題意識が描かれていて、上田久美子らしい見応えのある物語。小説か漫画で読みたいと思った。

歌は劇中歌のようなものが少しあるだけ、宇宙や近未来感がコンテンポラリー風のダンスで表現させるほかは、ストレートプレイのよう。衣装や装置もキラキラ感は皆無で、薄暗く、およそ宝塚らしくはない。上演時間短縮のためか、最後のパレードもなかったし。 主人公オバク(サーシャ)の真風涼帆はシリアスながら勿体をつけたようなセリフ回しが、宝塚くさい。前半は目が半開きのような様子。記憶をなくした苛立ちや無気力の表現で、後半との変化をつけるためなのだろうが、つい睡魔に襲われてしまった。タルコフ役の寿つかさがほぼ出ずっぱりで、安定感のある演技。(露出が多いので、もしかして退団?と思ってしまった) カーテンコールで千秋楽の挨拶があり、感極まって涙ぐむ真風。同時期に公演していた花組や星組は休演したことを思うと、全日程をやりとげられて本当によかった。

2020年8月9日日曜日

8月7日 能楽公演2020~新型コロナウイルス終息祈願~10日目

舞囃子「乱」 片山九郎右衛門は充実した謡と舞。爪先立ったまま横移動しつつ、姿勢を低くする動きが何度も繰り返されるのだが、一見簡単そうに見えて高い身体能力が要求されるだろうと感嘆した。 仕舞「鶴亀」は高橋章。 狂言「棒縛」 シテは大蔵基誠の次郎冠者、善竹大二郎の太郎冠者、アドは善竹十郎。基誠の狂言は笑いの要素が多くて楽しい。最後は坊に縛られた次郎冠者が主人に反撃し、橋掛かりを追いかける。 「道成寺」 シテは宝生和英。ワキは福王和幸、ワキツレは福王知登、村瀬堤。和英のシテは小柄なせいかリスのような可憐さ、ワキと対峙するといたいけな感じで、恐ろしさの裏に隠れた清姫の哀れさが際立つ。乱拍子では、爪先を上げた足を内転する動きがなかったように見えたが、宝生流の型なのか。鐘入りは鐘の縁を手で確かめてから飛び上がるので、おとなしめな印象。 ワキ正面で見たせいか、蛇体になったシテが橋掛かりに追い詰められた後、反撃して舞台に戻る場面の迫力を感じた。後ろ足なのに滑るような速さで、ワキツレとぶつかるのではというスリルもあり。後シテもやはり、恐ろしさとともに、哀れさが感じられた。 鐘を釣る綱は鐘と同系色(深紫?)金剛流よりも細いようで、きしむ音なども少ない。舞台に鐘を釣るときに、綱がなかなか天井の滑車を通らず、3回くらいやり直しをしていてハラハラした。

2020年8月7日金曜日

0806 神田伯山独演会~講談と浮世絵の世界Ⅱ~

現代の浮世絵師、石川真澄とのトークから。初代神田伯山を描いた浮世絵や、北斎の怪談画など、なかなか興味深い。 一席目は短く「鼓ケ滝」。講談バージョンは初めてだが、次々にダメだしされる西行が俗っぽいというか、普通の青年のよう。そして子どもが可愛くない。 二席目は「小幡小平次」。トークでも少し触れていたが、浮世絵に書かれた場面は講談ではないそうな。客席の照明を落とし、音響も使って雰囲気を盛り上げる。殺しの場面の陰惨さは、自身も得意というだけに、ゾッとする迫力。太九郎をそそのかすおちかは凄みがあるが、女としての魅力はどうかなあ。小南陵の悪女のほうが好みなのは、女の狡さというか、弱さが垣間見えるからかもしれない。おかちの元の旦那が初代団十郎を舞台上で刺し殺した犯人で、そのおかちと所帯を持った小平次が仕事を干されて…という設定はなくてもいいように思った。

2020年8月5日水曜日

8月4日 能楽公演2020~新型コロナウイルス終息祈願~7日目

舞囃子「葛城」を本田光洋。大和舞とあった。

「川上」は野村萬のシテに能村晶人のアド。あまり笑える演目ではないが、萬の演じる盲目の男の淡々とした様子がしみる。せっかく目が明いたのに、妻を離縁しないといけないという皮肉。落語の「心眼」といい、盲目の人を扱う演目はなぜにこうやるせないのか。

「安宅」 勧進帳と滝流之伝の小書付き。 シテを観世銕之丞。堂々とした体躯、顔立ちなのだが、弁慶に似合わない気がしたのはなぜだろう。 ツレ5人というのは人数を絞ったのか。少し舞台が空いて見えた。子方は谷本康介。能の子方は元気いっぱいという発声で、あまり心に響かないのだが…。 押し戻しで、銕之丞はツレを押しとどめるというより、力を合わせて押されてしまったように見えた。 ワキは福王茂十郎。ちょっと調子が悪そうに見えた。 アドは山本則重と則秀。

2020年8月1日土曜日

8月1日 八月花形歌舞伎 第一部

5か月ぶりの歌舞伎座での公演。トップバッターは愛之助と壱太郎の「連獅子」。

幕が上がる前にアナウンスが入り、満場の拍手。(「宝塚か!」と心中で突っ込んだ)内容は来場への感謝に加え、感染予防対策の説明や協力の呼びかけなど。

緞帳が上がり、愛之助、壱太郎の登場で、再び満場の拍手。大向こうがかからないのはちょっと寂しいが、拍手はいつもより長かったような。
愛之助の連獅子は何度も見ているが、今日は動きが滑らかで、堂々とした落ち着いた様子に親らしい情愛が感じられた。谷底に蹴落とした仔獅子を探すようにあたりをうかがうところなど、心情描写が丁寧だった。壱太郎の踊りは愛之助に比べると少し拙く見えたが、若さ溢れる初々しい風情があった。

宗論は橋之助と歌之助。歌之助はのびのびとした踊りで、踊ることが好きそう。掛け合いはの間合いはまだ手慣れない感じで、あまり笑えなかった。

獅子の精になって毛振りはやや短めか。

長唄やお囃子、後見はすべて黒い布を垂らすマスクを装着。笛までもマスクの下に構えて吹いていたが、やりにくくないのだろうか。

久しぶりの歌舞伎公演だが、客席は思ったよりはおとなしめ。会話を控えるよういわれていることもあるのかな。2階の一等席の後方には空席も目立った。

2020年7月31日金曜日

7月29日 能楽公演2020~新型コロナウイルス終息祈願~ 5日目

舞囃子「鷺」
野村四郎はしばしば苦痛を耐えるような表情を浮かべ、足を上げるのがしんどそう。感情表現化とも思ったが、能楽ではあまり表情を作らないはず。体調が悪いのを押しての出演なのだろうか。今にも倒れそうでハラハラした。

「月見座頭」
山本東次郎のシテ、山本則俊のアド。東次郎の座頭は、年を経て枯れた感じ、秋の風情を豊かに描く。にしても、アドは何であんなことを…ひどい。最後の「くさめ、くさめ」で手打ちにしたというか、後を引かなず達観した感じになるのだが。

「道成寺」
古式の小書き。前シテの面が若い女、後シテの蛇体が赤頭で柱に絡みつく演出なのだそう。金剛龍謹のシテは声がいい。乱拍子は小鼓(幸正昭)との緊迫感のある駆け引きに息をするのを忘れるほど。鐘入りでは、鐘の真下に入ったところで跳躍し、鐘とともに落下するキレのよさ。後シテで衣を掻き合わせるように(風呂上りのバスタオルみたいに…)しているのに違和感があったが、柱に巻き付く際に脱ぎ捨てるためだったよう。
鐘は一気に降ろすのかと思っていたら、乱拍子のあたりからジリ、ジリと下げてくる。綱がきしむ音や鐘後見の動きにも緊迫感があふれる。
地謡の5人、後見、鐘後見は黒い布を垂らすタイプのマスクを着用。地謡の声はちゃんと聞こえたし、意外と違和感はなかった。
笛は杉市和に代わって杉信太朗。音色が明瞭できっぱりしてよろし。

7月27日 能楽公演2020~新型コロナウイルス終息祈願~ 3日目

舞囃子「初雪」
金春流の櫻間金記。小鼓の亀井俊一はやはり音がでていなかった。

「二人大名」
千五郎の大名の立派なこと。忠三郎は調子がいい。通りがかりの男に大蔵吉次郎。

「葵上」
古式の小書き。大槻文蔵のシテの素晴らしいこと。はじめの発声は心配になるほどのしわがれ声だったが、所作の美しさは比類ない。面をしていても視線が定まっているように感じられるるというのが今日の発見。六条御息所が葵上を打擲した後、橋掛かりへ引っ込む後ろ姿に滲む哀しさ。後シテの般若も哀しい。

2020年7月26日日曜日

7月25日 文菊のへや 第六夜

落語は「青菜」。隠居の泰然とした様子、植木屋のお調子者ぶり。上方で聞いたのとは違う噺のように聞こえた。柳蔭は江戸では直しというのね。

アフタートークは古典と新作について。文菊は明治や大正以降の、洋館とか自動車が出てくるような、たぶん洋服を着ているような人がでてくる世界観は語りづらいそうな。

2020年7月19日日曜日

7月12日 ART歌舞伎

後日、アーカイブで視聴。
凝った衣装や舞台美術、演奏で完成度の高い作品に仕上がっていた。が、歌舞伎というより新作舞踊という印象。出演者のうち2人(中村壱太郎、尾上右近)は歌舞伎役者だが、あとの2人(花柳源九郎、藤間涼太朗)は日本舞踊家だし。

「四神降臨」「五穀豊穣」「祈望祭事」 ミノムシのような衣装は五穀豊穣だったか。最後の「花のこゝろ」のみ、ストーリー性があって歌舞伎っぽいのかな。夫と子をなくした女(壱太郎)が物狂いになり、夫とよく似た男(右近)と出会うも、男は戦で命を落とす。女は白塗りに赤い輪のメーク。白っぽい衣装、ドライフラワーのヘアピースというアートっぽいいでたち。遠目にはキレイだけど、映像作品なのでアップになるとちょっと……。右近は長い髪を垂らし、黒系の衣装で、戦国武将ゲームのキャラクター風?

7月18日 浅草演芸ホール 夜の部

鯉斗の「紙入れ」の途中から。男前で人気が出そう。あだっぽいおかみさんだが、色気が安っぽいというかちょっとやり過ぎな感じも。 阿久鯉「浅妻船」 ねづっち 米多朗「浮世床」 談幸「町内の若い衆」。いい意味で力の抜けた高座。 伸&ステファニー。昭和感ただようマジック。 伯山「違袖の音吉」。張扇を連発することもなく、手堅い語り。立て板に水の口跡の良さには聞きほれる。生意気な少年音吉なのだが、なぜか可愛くない。妙に大人びているというか。(本来なら、大人びた口を利くのが可愛く見えるのだろうが。子どもの作り声が過ぎるのかしら) 中入りを挟んでニュースペーパー。小池百合子のモノマネコントだが、予定時間をオーバーしたらしく、高市早苗(!)の登場がちょっとだけだった。 鯉栄「任侠流山動物園」。講談バージョンもあったとは!鯉栄の語りはテンポがよくて気持ちがいい。陽の講談といった感じか。 夢丸「旅行日記」 東京ボーイズ 笑遊「無精床」 正二郎 トリは松鯉の「お岩誕生」。四谷怪談のお岩様の誕生の話しだが、いわくつきのお生まれだったとは。幽霊が出るところでは客席を暗くして、懐中電灯?で松鯉の顔だけを照らすべたな演出。最後、物語のいきさつを説明している途中で幕を下ろしてしまったのは、前座のしくじり。

2020年7月13日月曜日

7月12日 シアターコクーンライブ配信「プレイタイム」

戯曲は岸田國士の「恋愛恐怖病」だが、本編に入る前に劇場のバックヤードや稽古風景の映像が流れる。昇降するリフトと戯れるように身体を動かしながらセリフを発する森山未來。ウエーブヘアにヴィクトリア朝?のドレスをまとった黒木華が開演前のあいさつ。
本編は舞台の上部に渡されたリフトの上での男と女の会話。友達以上恋人未満の男と女の駆け引き。ラスト、立ち去る男に向かって「本当にもおしまいよ」と女が言ったあとでリフトが上がったのだが、その時の揺れのせいで嗚咽しているようにも見えた。
エピローグは、観劇後の客席のようなところで森山と北尾亘が感想を語り合う。劇中劇のような、劇中の男が友と話しているような。


2020年7月7日火曜日

7月6日 文菊のへや 第五夜

落語「たがや」。花火で季節ものだが、物騒な噺だなあ。逆漫画みたいだ。
四方山話によると、この話は地噺で、無観客でやるのは難しいのだそう。落語でチャンバラをするのは難しいとも。ところどころでくすぐりを入れたのはそのせいだろうか。

5回目を祝して、日本酒・肴とともにトーク。前回の「心眼」は最後に手を取るシーンが工夫だそう。

2020年7月6日月曜日

7月5日 観世会定期能

「放下僧」
シテ藤波重孝、ツレ坂井音雅、ワキ野口能弘、アイ山本則孝。
シテに「小次郎/兄」とあり、ツレに「牧野小次郎」とあるのだが、どっちが小次郎?上演時間が35分ほどだったので、省略されていたのだろうか。
地謡が4人なのはコロナ対策か。マスクはしていなかった。

「文立山」
山本泰太郎、山本則秀。ちょっと早口?あまり笑えず。

「半蔀」
シテの角寛次朗が休演で武田志房が代演。ワキ福王茂十郎、アイ山本則重。
茂十郎のワキなのに、前半の里女とのやり取りがばっさりカットされ、造り物がしつらえられた五条の場面に移行する。タイムテーブルには40分とあったが5分くらい短かった。
小鼓の亀井俊一は登場時からうなだれたような姿勢で、力なく、心配になるほど。鼓の音色もさえなかった。

「鉄輪」
片山九郎衛門のシテ、ワキ殿田謙吉、アイ山本則秀。
半蔀ほどではないものの、ところどころ省略された上演。
九郎衛門は衣をパッと脱ぐ仕草が侍のように見えた。

客席は前後左右を1席ずつ開けて。あまりガラガラという感じはなく、ゆったり見られていいかも。

2020年6月29日月曜日

6月28日 浪曲映画祭 3日目

「国定忠治」は戦後まもない1946年公開の映画で、GHQの検閲により刀を抜くことが許されなかったのだとか。忠治役の坂東妻三郎はクライマックスで刀を使っていたように見えたのは気のせい…?動く坂妻は初めて見たが、しっかりした顔だちで舞台映えする風貌。今日のイケメンとは違うなあ。
忠治に思いを寄せる芸者、お町の飯塚敏子はうりざね顔の趣のある美人だが、歯並びの悪いのが目に付いた。昔は矯正なんてなかったろうし。

浪曲は京山幸太の「国定忠治と火の車お萬」。忠治のキャラが映画と違いすぎ、折々に挟むギャグ?が好みでなく、あまり物語に入り込めなった、すまん。

鼎談は幸太、隼人と映画監督の入江悠。浪曲に興味があるという入江のリードで、2人の入門の経緯やら、現代における浪曲のありかた、文楽の字幕の是非やら。同い年だけど入門の早い隼人を幸太が「兄さん」と呼んだり、もともとはヘビメタバンドをしていた幸太が浪曲に出会って入門した経緯とか、ほほうと思うエピソードがいろいろ。けど入江さん、いずれ映画で浪曲をというのは素晴らしいけど、「京山さん」はないよ。

真山隼人の浪曲は「越の海物語」。造り酒屋の丁稚が相撲取りに入門するまでの発端だが、続く映画「雷電」とはあまり関係がないような。どうせなら、雷電の浪曲が聴きたかったが、レパートリ―になかったのだろうか。隼人の浪曲は、弱冠25歳とは思えない風格。声もよく出ているし、老成した感あり。

映画「雷電」は宇津井健が主役の太郎吉。細身のイメージだったが、学生相撲程度にはがっしりした身体は作ったのだろうか。浅間山の噴火をきっかけに出会った少女、おきんとの恋模様なのだが、この娘、たいしたトラブルメーカーだ。上田の女郎屋に売られるも、客に手籠めにされそうになるところを太郎吉に助け出される。江戸の商家に奉公に出たところ、老中の本多に見染められて奥女中になり、手掛けになりそうになるところを逃げて、一人前の力士になるまではおきんに合わないと誓って相撲修行をしている太郎吉のところへ駆け込む…。
太郎吉のブレブレなところにも付き合いきれん。上田の庄屋に目を掛けられて相撲修行をしているところ、百姓一揆に駆り出された父親に会うや、親子一緒に暮らしたいと田舎に引っ込んでしまったり、かというと、江戸に向かうおきんに「江戸で会おう」と言われて再び庄屋のもとに戻ったり。続雷電は見ずに帰った。

2020年6月27日土曜日

6月27日 はじめての動楽亭リモート寄席その四

米朝事務所による、動楽亭からのリモート寄席。会場にも30人ほどの観客がいるようで、寄席の雰囲気も感じられた。

米團治「七段目」。自身の立場にかけて立派な親の元に生まれたボンボンの辛さから噺へ。入れ事で八百屋お七の人形振りや十二代目団十郎のモノマネもあり、ちょっとバタバタした感じもあるが、芝居噺を聞いたなあという満足感。

文之助「星野屋」。湿っぽさのない、さばさばした感じ。だましだまされのどんでん返しが続くラストがテンポよく、楽しめた。

アフタートークで文之助が小唄を披露。ちょっと三味線と音程が合っていなかったような…。

6月27日 図夢歌舞伎「忠臣蔵」第一回

ZOOMを使って歌舞伎を上演するという試み。後学のためにと視聴してみたが、満足には程遠い出来だった。
音声が安定せず、冒頭の猿弥の口上はほとんど聞こえないし、かと思えばお囃子の音が妙に大きかったり。対話している顔世御前と師直の音量がちぐはぐで聞きづらいこと。しょっちゅうフリーズするのにも閉口した。かと思えば、スタッフが映りこんでしまったり。
作品としては、幸四郎が師直、本蔵、判官を演じるのは、面白い試みではあろうが、独りよがりな感じ。顔世御前と師直のくだりは、画面を左右に分割して別々のところで演じるのを合成した形。背景はぴったり合わさっていたが、人のやり取りはちょっと無理があった。手先を画面外にやってしまったらちょっとは違ったのかも。判官と師直のやり取りが、判官の目線で見る師直だったのは斬新だが、歌舞伎の化粧で汗が滴る顔をアップで見るのはキツかった。判官の手元の画を挿入するのだが、指が太くて、大名らしくないのも興ざめだった。アフタートークでは、猿弥の接続が切れてしまって、壱太郎の部屋に乱入するハプニング。それはそれで、面白かったが、商品としてはどうかと思う。
トーク中、猿弥も言っていたし、コメントにもあったが、これで4700円は高い。歌舞伎座と同じという背景や、拵えにコストがかかっているのは認めるけれど、あまり効果がなかったように思う。実験で、いろいろ不都合があったことも含め、半額で十分。技術がこなれて洗練されてからなら、それなりの金額でもいいけれど。ライブで視聴していたのは1100人ほどで、思ったより少ない印象。アーカイブの期間を当初の24時間から、1週間に伸ばしたのはよい対応だが、どれだけ視聴が伸びるのか。

2020年6月26日金曜日

6月26日 浪曲映画祭

浪曲の口演と浪曲にちなんだ映画の企画を渋谷のユーロスペースで。

奈々福の浪曲「赤穂義士電―俵星玄蕃」。朗々とした声で聴かせるが、あまり話に入り込めなったのはニンでなかったからだろうか。

映画「忠臣蔵 暁の陣太鼓」は中山安兵衛(後の堀部安兵衛)の森美樹の格好良さ!安兵衛に思いを寄せる三日月お勝の瑳峨三智子の粋なこと!花魁の取り合いで喧嘩をして安兵衛に仲裁されそうになる若旦那にトニー谷が出ていたり、大石主税が林与一だったりと、配役も凄かった。

6月24日 文菊の部屋 第四夜

落語はあまり高座にはかけないが、大切にしている噺という「心眼」。
盲人の按摩、梅喜が茅場町の薬師如来に願掛けし、目が見えるようになる。馴染みの旦那に女房のお竹が人三化け七よりもひどい醜女だと聞き、江戸一という芸者の小春と一緒になろうとするが……。文菊の演技は素晴らしいのだが、目が見えるようになったからと、コロリと態度を変える梅喜の豹変ぶりがひどい。苦しいときに助けてくれた女房の顔も見ず、他人の噂だけで捨てるか?と。自分が男前と知ってうぬぼれるのもたいがいだ。お竹はこんな男とは別れるのがいいと思う。

よもやま話では、師弟について。最近、弟子を2人とって見習い期間中だとか。住み込みは無理までも、通いにはしたいとのことで、夫人の了承をえたそうな。どんな弟子が育つのか楽しみ。師匠の圓菊には、コテンパンに自我を否定されたそう。今の時代には全く馴染まないが、一門にいい落語家がいることを考えるとそうした修行を経ないと芸は育たないのだろうか?

2020年6月25日木曜日

6月18日 浅草演芸ホール 夜の部

19時の中入り後から。

柳勢「出来心」。間抜けな泥棒の話。なぜかあまり印象に残らない。

小ゑん「鉄の男 中」図らずも、続きが聴けたらしい。

小菊

文菊「千早ふる」「ちはやぶる」でなく「ちはやふる」というのは、知ったかぶりだからなのだろうか。

わさび「死神」 不気味さが薄く、そこらへんにいるおっちゃんのような軽い死神。「ふぅっ」と息を吹きかけてこと切れる唐突さがシュールなギャグマンガのようだった。

2020年6月15日月曜日

6月14日 浅草演芸ホール 6月中席 夜の部

19時の中入り後から初見。客席を半分に減らしての興行だったが、客入りは3分の1未満といったところ。

柳勢、宝塚話の漫談。宝塚のトイレの男女の表示がポーズを決めてて凄いというのだが、トイレの凄さはそんなところじゃないのよ、と思う。
小ゑん「鉄の男」。鉄オタ話の導入部なのか。ゴジラのおもちゃが欲しい子どもに鉄道模型を買ってくるオタクな父。キハとかモハとか。
粋曲の小菊。間のトークが少し声が小さくて聞きづらい。湿気で三味線の調子が悪く、糸が切れてしまったのが気の毒。
文菊は「あくび指南」。待ってましたの声がかかる。間といい、風情といい、上手いねえ。15分だけど堪能した。
さん生「替り目」。マイクの加減か、酔っ払いのセリフが声大きすぎ。
仙三郎社中の仙成、仙志郎の曲芸。
わさび「明烏」。昨年11月に真打に昇進してから初めての主任だとか。3日目のトリで柄じゃないと自嘲。落語家には柄があって、白酒は毒、一之輔は乱、自分は雑と言っていたが、確かに雑というか忙しない感じ。時間に追われているような語り口で勿体ない。坊ちゃんの堅くてウブな様子は良かった。

2020年5月24日日曜日

5月23日 エイチエムピー・シアターカンパニー「ブカブカジョーシブカジョーシ」

仮想劇場ウイングフィールドで、vimeoを使ったオンラインの上演。
中間管理職のジョーシ(高安美穂)が、問題のある部下アメミヤ(ナカメキョウコ)の突き上げと、上司からの圧力の板挟みになり、追い詰められていくという不条理劇。
別々の場所にいる俳優の姿を白黒に変換して重ねることで、1つの画面上にあるかのように見せる。デフォルメされた姿は、シュールなアニメーションのようで、作品世界に合っていた。音声は別録りだったのかおおむねスムーズだったが、動画は時々フリーズするなど課題あり。人物の位置関係がビミョーにずれたり、サイズ感がいびつだったりするのも、この作品には嵌っていた。
新型コロナ感染症の拡大防止のための緊急事態宣言下で、集まっての稽古も、上演もできないという、特殊な条件下だったが、演劇の新たな挑戦ではあろう。
映像を駆使した作品を手掛けてきたこのカンパニーならではで、他所でもすぐにできるというわけではないだろうが。
そして、HMPの女優陣の達者さ。こんなに不鮮明な映像でも水谷有希の格好良さを再認識。宝塚の男役のような凛々しさ(でもヅカほどわざとらしくない)があるのだ。

2020年4月30日木曜日

4月 国立劇場 令和2年3月歌舞伎公演

菊之助が初めて三役を勤める「義経千本桜」。松竹と同じく、期間限定でネット配信してくれたのはありがたいが、こちらは2時間以内に収めるためにところどころカットされているのが惜しい。本筋には影響しなくても、役者の見せどころだったりするわけで。

Aプロ 伏見稲荷鳥居前の場から、渡海屋、大物浦。
鴈治郎の義経は、品格はともかく、悲壮感が足りない気がする。福々しいから?
鳥居前の静御前は米吉。かわいらしい静。弁慶が誰かと思ったら、亀蔵だった。役によってがらりと変わるのは、芸達者ゆえか。
忠信実ハ源九郎狐の菊之助。花道の引っ込みで狐の素振りが出るところ、少々くどく感じたのは、ネットの画面で観ているからか。

渡海屋、大物浦は、菊之助の銀平。ミスキャストに思えるが、以前の鑑賞教室で意外にも健闘していたのは実証済み。画面で見るせいか、最後の瀕死のところが嘘っぽく見えてしまった。お安実ハ安徳帝は丑之助。少々セリフが棒読みだが、愛される可愛さ。
相模五郎と入江丹前の魚尽くしや、お柳(梅枝)ののろけの件がカットされてしまったのが残念。

Bプロは椎の木、小金吾討死から鮨屋まで。
菊之助初役のいがみの権太は江戸風なのかなあ。シュッとした男前で、ダメ男の可愛げがないのに違和感を覚える。
人相書きと弥助(梅枝)を見比べて合点するところはちょっと説明的。母おくらの前でウソ泣きをするところ、義太夫では「舌がとどかぬ」と言っているのにその素振りはなく、茶で湿らせるだけだったり、家をでたところで「親父が帰ってきた」となぜか家の中に戻り、隠れるのがよく分からん。そのまま家の陰にでも隠れていたらいいのでは?小せんが自ら名乗り出て身代わりになるところも、上方風とは違うのか。

Cプロは道行初音旅から河連法眼館。
道行の静は時蔵。忠信実ハ狐の菊之助はこの役が一番はまっている。逸見藤太の亀蔵の芸域の広さよ。

河連法眼館の静は梅枝。菊之助は忠信の凛々しさ、狐の愛らしさ、身のこなしの軽快さと、申し分なし。

2020年4月26日日曜日

4月 三月大歌舞伎

「新薄雪物語」

全日程公演中止になった歌舞伎座の公演を、期間限定でネット配信したのを所見。
仁左衛門と吉右衛門の顔合わせを楽しみにしていたので、ネットで観られたのはせめてもだけど、やはり生の舞台で観たかった。

伊賀守の吉右衛門、園部兵衛の仁左衛門がいいのは無論、梅の方の魁春の古風なたたずまいがこの芝居にはよく合っている。松ヶ枝の雀右衛門もよき。
薄雪姫の孝太郎、左衛門の幸四郎は、年の差のせいかしっくりこない感じもしたが。


2020年3月29日日曜日

0328 講談ひるず

此花千鳥亭に行ってみた。こじんまりとした、アットホームな小屋。新型コロナ対策で、客席の間隔をあけ、換気を十分にしていたので少々寒い。

露の真をゲストに、トークとそれぞれの芸を1席ずつ。ぶっちゃけ話もあって楽しんだ。

小南陵の「妲妃のお百」が面白い。男をたらしこむときのちょっと甘えた声が色っぽくて、これでもかという悪女ぶりが気持ちいいくらい。男のどすの利いた声も堂に入っていて、聞きごたえあった。

2020年3月21日土曜日

0320 いいないんええよにん

茂山千之丞の呼びかけで、狂言、落語、講談、浪曲の4人がコラボ。初日は浪曲、落語、狂言の顔合わせ。
生の舞台に飢えているのか、客席の入りはほぼ満席(関係者も多かったけど)。空気清浄機狂言や換気、手の消毒などいろいろ配慮されていた。

浪曲の隼人は老けた見た目をネタに客を掴み、堂々と。

落語のよね吉は「蛸芝居」。とはいえ、笑いがくるまでマクラをしゃべり続け(関係者の笑いが少なかったらしい)、予定時間をオーバーした模様。ブラックボックスの舞台はやりにくそうだが、汗だくになって蛸を熱演。

狂言はあきらと千之丞の「無布施経」。e9の舞台は三間四方の能舞台とよく似た構図だが、床や壁が黒いせいか、ずいぶん様子が違って見える。前衛劇を見ているような。

アフタートークはくつろいだ雰囲気で楽しかった。

2020年3月16日月曜日

0315 第4回 瑠璃の会

新型コロナの影響で、客席の入りは半分程度。おのずと客同士の距離感が保たれている。

「菅原伝授手習鑑」車曳の段は呂秀、呂響と駒清。
落ち着きが増してきて、それらしくなってきた。この二人はセットのようになっているが、並べられて常に比較されるのも気の毒な気がする。それぞれの良さを生かした演目が聴いてみたい。

「生写朝顔話」明石浦船別れの段は住年・住静。


「心中天網島」土佐恵・駒清。
近頃、文楽で聞いたばかりなので、女義との違いを意識してしまう。治兵衛の情けなさはあまり女声に向かないのでは。

「傾城恋飛脚」新口村の段は住蝶・住輔。
いい曲をいい声で聴くのは心地いい。春夏秋冬の締めとして、聞きごたえがあった。

2020年3月15日日曜日

0314 貞松浜田バレエ団「創作リサイタル31」

新型コロナの影響で、無観客、関係者のみの上演だったが、充実の舞台だった。

「The Bach variations」
大石裕香振付の新作。色調の異なるブルー系の衣装がシンプルにきれい。ポワントをつかった、クラシカルな振り付けで、品がいい。G線上のアリアの冒頭、千手観音のようなポーズが面白い。

「media」
湯浅永麻のソロ。決して理想的なプロポーションではないのだが、惹きつけられる。ロボットダンスのような動きがあったり、バックのカーテンにリフトされたり、包まれたりするのが面白かった。

「I'm for ...M.」
予定していたアディ・サラントが来日できなくなり、急遽2週間で作ったのだそう。女性3人。沢山の傘が下がった舞台、ダボっとした白シャツと黒パンツの衣装が効いていた。森優貴の作品はからりとして、どこか不条理劇を見ているような。

「CACTI」
アレクサンダー・エクマン作、日本初演。
ダンサーでなく、ミュージシャンでなく、ヒューマン・オーケストラと言う通り、台を叩いてり、手を打ったり、息遣いで音を立てる。台を立てて後ろから頭や上半身を覗かせ、急に隠れたりすると、水の中に潜ったように見える。上半身わはだけた衣装に、スイムキャップのようなものをかぶっているのでそう見えたのかも。
男女のデュオは、じゃれあっているようだが、動きとしては高度な振り付けで、目が離せない。
全体としてテンポよく展開するので、飽きさせない。

2020年3月2日月曜日

0228 OSK日本歌劇団「愛と死のローマ〜シーザーとクレオパトラ〜」

全体として良くまとまっていたし、衣装も悪くなかった。シーザーの楊琳はじめ、アントニウス(愛瀬光)やプトレマイオス13世(登堂結斗)らのキャラクター造形がアニメっぽいというか、少女マンガ的。セリフも、公的な場面はともかく、私的な会話となると高校生みたいに青臭い。シーザーは50代のはずなのに…。このノリは役者のせいというよりは、脚本に非がある。戦闘シーンがどれも同じような踊りだったのは改善の余地ありだが、キビキビした動きに纏まりがあるのはダンスのOSKの面目躍如。
シーザー、クレオパトラ以外の役者は皆、市民や戦士のアンサンブルなど、複数の役を掛け持ちしていた。ポンペイウス役の緋波亜紀も、暗殺された後、ローマ市民役で再び舞台に出てきて、これはこれで嬉しい。

新型コロナの影響で急きょ千秋楽となってしまった公演。カーテンコールでは、この公演で卒業する緋波らが挨拶したが、あまり実感がないというのはその通りなのだろうなあと。後日お別れの会をするそうだが、やり切れないよね。

0227 若手素浄瑠璃の会

「妹背山女庭訓」は亘・錦吾。
亘は姿勢良く、声が良く出ていたが、全体的に軽い。大判事、定高ともに格調不足。錦吾は緊張からか音が硬い。終盤、三の糸が切れ、慌てて糸を繰ろうとしたところで黒衣が替えを差し出すファインプレー。掛け声からの叩きバチもなんとかこなしたが、内心は冷や汗ものだだたろう。

「心中天網島」河庄の段を賛助出演の織と清馗。
織が語ると治兵衛が格好いい男のよう。時代物の武将ならともかく、何を語っても男前になってしまう。治兵衛はどうしようもなく情けない男だがほっておけない可愛げのあるというところが肝だと思うのだが。そしてやはり、得意げで浪曲めいている。
清馗の三味線は、押さえが軽いのか、音がぼんやりして聞こえる。なんだか歳をとって見えたのは、稽古疲れか、髪型がぺっちゃりしてたからか。
聴き終えて、なんだかとても疲れた。


2020年2月24日月曜日

0223 京都観世会二月例会

「巻絹」
河村浩太郎のシテに浦田親良がツレの男。
シテは巫女の姿のまま神楽を舞い、狂乱していくさまが興味深い。

「呂蓮」
茂山あきらの出家に千三郎の男、鈴木実の女房。終盤に登場する女房がわわしい女で、ガラリと雰囲気が変わる可笑しさ。鈴木の女房におかしみがある。

「大原行幸」
梅若実のシテに片山九郎衛門の内侍、味方玄の局、大江又三郎の法皇。
シテとツレの2人は大振りの作り物の中に入って登場。引き回しの中に隠れて登場するのは、体調不良の梅原には都合がいいのだろう。
声には独特の力があるが、太い杖を用いたり、造り物から出るところで局に手を引かれたりと、やはり体調は良くなさそう。

「海士」
橋本光史のシテ、ツレの房前大臣を梅田晃熙。
後シテの龍神は女神で、舞はおとなしめだった。

2020年2月23日日曜日

0222 インディアン・ロープ・トリック

空へ投げたロープを伝って登る魔術師?の伝説をモチーフに繰り広げられる物語。時代を追って伝説が繰り返され、劇場空間がインドの市場と混然としてくる。円形の舞台をぐるりと客席が囲み、大道芸を観ているような雰囲気。
出演者は3人の役者とドラム1人。魔術師と弟子、見物人など役割を変えつつ、観客を物語の世界へ誘う。紅一点のサンジュクタ・ワーグはダンサーなのか、シェネのような回転を見せた。タンバリンのような小型のドラムが多彩な音色を奏でるのに驚いた。言葉は英語が中心で、時折ヒンドゥー語?が混じるのだが、字幕がだいぶ省略されているようでもどかしかった。

2020年2月22日土曜日

0221 匿名劇壇「運命的なアイデア」

フラッシュフィクションという寸劇を連ねた構成。
社内結婚を促進しようというキャンペーンで、フラッシュモブを使ったプロポーズを撮影しようとしている現場、らしいのだが、関係なさそうなエピソードが織り交ぜられ、嘘か本当かがあいまいになる。恋愛がモチーフというか、ちょっとエッチなエピソードが多く、少し戸惑った。
好きと告白しようとしてチョコパンを食べてもぐもぐしてしまう話がかわいかった。

2020年2月18日火曜日

0217 MONO「その鉄塔に男たちはいるという+」

1998年に初演した作品を劇団30周年に当たり再演。本編に先立ち、新メンバーによる番外編が30分ほど。
同じ鉄塔を舞台に、本編の数十年前の設定。離婚危機にある夫婦と、夫の妹、その友人で現地で暮らす女が旅する。分かり合えない男と女、兄弟、友人のチグハグさが可笑しくもあり悲しくもあり。夫婦の息子が、成長して本編のマイムカンパニーのメンバーになるというかかわりがあるものの、内容面での関連がよく分からなかった。

本編は、戦地へ慰問に来たマイムカンパニーのメンバーが逃走し、鉄塔に隠れている。近く戦争が終わると聞いて、それまで難を逃れようとしていると、逃走兵が合流して…。極限下にありながらもくだらないやり取りを続ける男たち。20年以上前はどうだったか分からないが、今の時代により現実感が高まっているような設定。ラストはまさかと思わせながら、やはりの幕切れ。何となくでは逃れられない現実の厳しさを突き付けられたよう。

2020年2月17日月曜日

2月16日 二月大歌舞伎 昼の部

「菅原伝授手習鑑」より加茂堤 筆法伝授 道明寺

十三世仁左衛門の追善で、当たり役の菅丞相を当代仁左衛門が。神々しいまでの気品がありながら、道明寺で庭の池を見やるところなどは色気も感じさせる。人形と本物の演じ分けも見事だか、やはり刈谷姫とも別れの涙に情が溢れる。

千之助が刈谷姫。線が細く、声もいいので、姫の拵えは似合う。が、女方の経験が少ないので所作はまだまだ。斉世親王の米吉がスッとした品がある。
桜丸の勘九郎、八重の孝太郎は良い夫婦ぶり。
園生の前の秀太郎、苦しいのか息をふうふう言っていたように見えた。

筆法伝授、希世の橘太郎はもう少し滑稽味があってもいいかも。梅玉の源蔵、時蔵の戸浪が手堅い。腰元勝野の莟玉が可憐。

道明寺は玉三郎の覚寿が思っていた以上によぼよぼしたお婆さんで、気丈に振る舞う様子に情がこもる。立田の前の孝太郎が刈谷姫の千之助を終始気遣う様子で、役と混然としていた。

2020年2月16日日曜日

2月15日 二月大歌舞伎 夜の部

「八陣守護城」
我當の佐藤正清はほぼ座ったままで、右手は刀の柄に添えたまま。滑舌が悪くせりふは聞き取りづらかったが、元気そう。脇に控える進之介が終始気遣う様子。
終盤、刺客として登場する千次郎が颯爽としてよき。

「羽衣」
玉三郎の天女に勘太郎の伯竜。能仕立てですり足の平行移動の舞なので、変化に乏しく退屈。花道から登場した天女の声に癖があり、耳に障る。天女が鞨鼓を下げているのは何故だろう。

「文七元結」
菊五郎の長兵衛は円熟。足取りに軽さがなかったり、動作が重かったりするものの、セリフの間や情感はこれぞという感じ。
お兼の雀右衛門は、長屋のおかみさんを好演。地色の拵えだと、バカリズムに顔が似ている。
文七の梅枝は真面目な感じが役に合っている。もう少し頼りなげでもいいように思ったが、このくらいの方がリアルなのかも。
お久の莟玉が、健気で可憐なのだが、セリフの情が足りない気がした。あと、前半は地色の地味な化粧なのに、50両を返して家に帰ると白塗りになるのは別人みたいだ。

「道行故郷の初雪」
梅川忠兵衛を秀太郎と梅玉で。秀太郎は当たり役の梅川を丁寧に勤め、足取りはおぼつかないものの、時折ドキリとする可愛らしさわ美しさがある。
松緑の万才は時間つなぎ?

2020年2月15日土曜日

2月14日 霜乃会+「講談会☆聖バレンタインデー」

バレンタインにちなんで?南龍が「細川忠義の血達磨」。立て板に水の勢いで畳みかけてほしいところで、言いよどむようなところがあるのが気になった。

2020年2月14日金曜日

0214 第十回システィーナ歌舞伎「NOBUNAGA」

織田信長が実は双子で、宣教師や吸血鬼が絡んで、のトンデモ展開に目が点。今井翼の復帰作なので、1幕ではフラメンコのソロ、2幕では歌唱と見せ場たっぷりはいいとして、愛之助=信長との絡みは少なめ。だからって、ラストで手を携えてポルトガルへってのはどうよ。
今井のフラメンコはカウントで踊ってる感じがした。歌は、決して下手ではないのにゾワッとした。過去の愛之助の歌でもゾワッとしたから、システィーナ歌舞伎の歌が苦手なのかも。
愛之助の信長は逆立った短髪で洋装。獅子のイメージか。声の調子だけで双子を演じ分けるので、いまいち分かりづらい。イザベラに籠絡されて吸血鬼になった三郎が放蕩にふけっているあいだ、四郎はどうしていたのかとか、急に現れた四朗に「信長を討て」と言われたら人格の不一致にもっと戸惑うのではとか、イザベラは四郎の存在を知らなかったの?とか、色々突っ込みどころはあった。クライマックスが、光秀が信長を討つ場面なので、座頭のはずの愛之助の存在感が今ひとつ。
事実上の主役では?という明智光秀は吉弥。老け役でない立役で、キリッとした役は珍しい。
見所は森蘭丸の壱太郎。誘惑しようとするイザベラ応じて駆け引きする色っぽさや、信長の前で家臣を嬲り殺しにするる残忍さなど、新境地ひ開いた感。二役でお市の方が浅井とともに攻め滅ぼされんとするところは、独白と舞で本領を発揮。
前半の信長軍の軍議の場面で、翫政の秀吉役は抜擢?と思ったが、出番はこの場面だけで残念。よく似合っていたのに。愛治郎、愛三郎らも家臣の一人として列席して、凛々しい姿を見せた。
システィーナではお約束になりつつある、歌劇出身者たちの踊りがなあ…。場つなぎで必要なのだろうけど、ピンクのヒラヒラのドレスが安っぽく、ドレスがの上に着物を羽織って踊るのも取ってつけたよう。比叡山焼討ちや本能寺の場面で、赤い旗や布をはためかせて炎を表現する演出は悪くなかったが、衣装がもっと抽象的だったらよかったのに。

2020年2月12日水曜日

0211 アリーナ・コジョカル ドリームプロジェクト

東京公演のAプロとBプロのいいとこ取りのようなプログラム。菅井円香とキム・キミンの「海賊」から。録音で、舞台装置なしという条件ではあるが、2人のテクニックを堪能。菅井は端正な演技で、キムはダイナミック。パートナーワークは東京より息が合ってたよう。

「マノン」はベッドや書物机のセットがあるが、音が生演奏でないので少し物足りない。コジョカルの可憐さは変わらず。

菅井の「ヴァスラフ」はコンテンポラリー。さっきポワントで踊ってて、ここでは裸足で、次のドンキでまたポワント!?とびっくりしたけど、クラシックと打って変わって、力強い踊り。

「ドン・キホーテ」はナンシー・オスバルデストン、菅井、キム、玉川貴博。2人のキトリは東京と同じだが、菅井の相手のバジルが玉川貴博に。ソロで跳躍を披露したものの、回転技はキムだけで競演がなく、ちょっと肩透かしだった。

「エディット」「ABC」は東京と同じ。

2幕は「マルグリットとアルマン」。ポルーニンのアルマンは魔王のような迫力で、別の物語のよう。マントを翻して、病床のマルグリットに会いに来るところとか、猛禽類にさが襲いかかってくる勢い。コジョカルのマルグリットは華奢で、今にも手折られそう。これはこれで、見応えのある一幕だった。

2020年2月10日月曜日

0209 ジゼル・ヴィエンヌ、エティエンヌ・ビドー=レイ「ショールームダミーズ#4」

日本人キャスト6人によるクリエーション。マネキンとダンサーが入り混じり、主客、支配するものと従うものが入れ替わる展開はスリリング。ダンサーばかりの配役の中で、俳優の朝倉千恵子が狂言回し的な役割りを担うのだが、表情の演技がはっきりせず、意図が分かりにくかった。

2020年2月9日日曜日

2月8日 文楽 第2部

「新版歌祭文」
睦・勝平→織・清治→咲・燕三のリレー。
咲の久作がよかった。だが、久作がお夏清十郎を例えに2人を諌めるところで笑いが起きるのはなぜか分からん。
人形は久松を玉助。あんまりしどころのなさそうな役で、なぜ2人の女に惚れられるのか。諸悪の根源はお前だろ!と責めたくなる(←多分褒めてる)

「傾城反魂香」
1月大阪と同じ配役。
錣は語りがより多彩になった感じ。又平のどもりはどもりらしく、女房の軽口もよりくっきり。

口上は基本的に大阪と同じだったのだが、おいどのエピソードで「顔面蒼白になって」とか余計な描写を加えたせいか、宗介がうつむきながら笑いをこらえていたように見えた。

2月8日 文楽公演 第3部

「新口村」

口は御簾内で亘・友之助。
呂・清介。呂の語りはいつも通りなのだが、曲がいいのだなあとしみじみ思った。

人形は玉佳の忠兵衛に勘弥の梅川、玉也の孫右衛門。地味にいい配役。「今じゃない」のところで、明らかに知っていて笑っている人がいた。(忠兵衛が飛び出すだいぶ前、孫右衛門が「名乗って出い」と言うところですでに笑っていたから)何故?話の筋を分かっていたらここは笑うところではないと思うのだが。

「鳴響安宅新関」
藤の弁慶、織の富樫、芳穂の義経に南都、文字栄、亘、碩。三味線は藤蔵を筆頭に、清志郎、清丈、清公、錦吾、清允、清方。
織、藤蔵の熱演は周囲から浮き上がるほど。
人形は玉男の弁慶に玉志の富樫。山伏問答の緊迫感など、歌舞伎のほうに分があると改めて思った。

2月8日 文楽公演 第1部

「菅原伝授手習鑑」
車引の段は靖の梅王、咲寿の桜丸、芳穂の松王、碩の杉王、津国の時平に清友。
靖、芳穂はこういう役は問題なし。碩もちょっと雑魚っぽい杉王みたいのは難なくこなす。咲寿は床本めくるのが格好つけ過ぎな割に、ガチャガチャした語り。津国の時平は、大笑いか長々と続き、拍手が起きていた。
人形は蓑紫郎の桜丸の型がきれいだった。

茶筅酒は三輪・團七。声がよく、チャリっぽいところも、嫁3人の語りわけもしっかり。

喧嘩の段は小住・清馗。小住は声がよく出ていいなだが、上品にまとまっているような感じもする。

訴訟の段は靖・錦糸。冒頭の低い声が辛そうで、今ひとつ精彩を欠く。難しいのかな。錦糸の顔も渋い。

桜丸切腹は千歳・富助。白太夫が八重を説得するところは情にあふれ、拍手がないのが不思議なくらいだったが、それ以外は元気すぎるというか、渋みが足りない感じだった。住太夫のイメージが強いからかも。一音一音を切ってスタッカート気味に語るのが、耳に触った。
人形は蓑助が切腹する桜丸を遣い、八重の勘十郎と師弟共演。玉也の白太夫は安定。


2020年2月8日土曜日

2月7日 少女仮面

冒頭の少女貝(木崎ゆりあ)と老婆(大西多摩恵)の場面に続き、喫茶「肉体」のボーイたちの場面は唐作品に力及ばずという感じで楽しめなかったが、春日野八千代役の若村真由美が出てきてからはぐっと引き込まれた。客席後方から、強烈なスポットライトを浴びて登場する煌びやかさ。低い声でのセリフが男役らしく、現役の宝塚の男役よりらしいのではと思うほど格好いい。貝と嵐が丘の一節を演じ、フィナーレで登場するところなど、思わず拍手しそうになったし。
無機質な舞台装置、ポップにボカロ編曲された悲しき天使など、杉原らしい味付けがはまっていた。
人形役の森田和真が上手い。

2020年2月7日金曜日

2月6日 アリーナ・コジョカル ドリームプロジェクト Aプロ

コジョカルが怪我で、プログラム、キャストか変更されていたのだが、満足度の高い公演だった。

1部「バレエ・インペリアル」は女性ダンサーの群舞が美しい。白いチュチュは雪の精のようで、フォーメーションも凝っていて見応えがある。

2部は「海賊」から。アリ役のオシール・グオーネは黒人で、厚い筋肉質な体が役に合っている。跳躍も回転もブレのない確かな技術。スピンの後半、スピードが上がったように見えたのがすごい。 メドゥーラは菅井円加。健全な感じのする踊りだ。

新作の「エディット」はピアフの歌に合わせてのソロ。ナンシー・オスバルデストンは舞台に上がる前の怖れから、打って変わった情熱的な力強い踊りへ。歌っていないのにピアフの情熱的な歌唱が感じられる。

ヨハン・コポーの「ABC」は洒落た作品。アルファベットの頭文字の順にキーワードがアナウンスされ、それに合った動きをするというもの。Aでアラベスクとか、Cでシャッセとか、バレエの動きをしたかと思うと、ニジンスキーら過去のダンサーの名前でそれっぽいポーズをしたり。Vのバリエーションではジゼルや色々な役をメドレーで。ちゃんと踊れるというところも見られて面白い。色んなダンサーで見てみたい。

「マノン」のパドドゥはコジョカルとフリーデマン・フォーゲル。コジョカルは軽やかな足取りで、儚げ。繊細な演技がドラマチック。 フォーゲルは好青年な感じ。

ラストは「ドン・キホーテ」のデヴェルティスマン。オスバルデストンと菅井のキトリとグオーネとキム・キミンのバジル。それぞれダブルキャストで踊りまくったら、そりゃあ盛り上がるさ。キムは高いジャンプがかつての熊川哲也を彷彿とさせる。バジル2人と、道化役(玉川貴博?)が3人並んで回転技を繰り広げるクライマックスが圧巻で、キムの速さ、安定感か際立った。


2020年2月3日月曜日

2月2日 イマーシブシアター サクラヒメ

正直言ってつまらなかった。1時間15分ほどの上演時間では仕方ないとはいえ、物語が薄い。3階席から観たが、 フラット舞台の後方半分ほどが見えず、何かをやっている気配が感じられるのがもどかしい。これはどこの席だったとしても、一定場面は見えないようになっており、舞台全体を見られない不満は多かれ少なかれありそう。フラット舞台にいる観客は逆に、目の前の限られた場面しか見えないだろうし、それで物語のどれほどを理解できるのか。
5人の恋人候補は、どれも人となりが描き足りない。アクロバットの鳶の男がやたら跳ねていたり、陰陽師がなぜかタップだったり。踊りを見せるなら見せるで、もっと密度高くてもいいのでは?セリフが録音みたいだったのも興ざめ。誰か贔屓の演者がいれば、その人が間近で見られる楽しみはあるのかも。

2020年2月1日土曜日

1月31日 霜乃会プラス 文楽

「一谷嫩軍記 組討の段」を碩太夫、燕二郎。
力いっぱいの熱演で好印象。碩は声がよく、語り分けも十分だし、フシも聴かせた。燕二郎はよく手が回り、明晰な音がいい。ちょっと力みすぎたかというところもあったが、若いうちはこれくらいでないと。

0131 「キレイー神様と待ち合わせした女―」

松尾スズキの代表作とのことで、4時間近い長い舞台ながらよく練られていて内容が濃い。戦争の虚しさとか、大豆兵のクローンとか、時代性のあるテーマを笑いに包んで訴える。
戦争は嫌だけど、戦争利権で生きている強かな母ちゃん役を演じた皆川猿時が意外によかった。後半、政治家に転じるのも筋が通っている。
主人公ケガレの生田絵梨花はミュージカルで活躍しているだけあり、歌が達者。成人したミソギ役の麻生久美子は歌は今一つだったが。
少年ハリコナ役の神木隆之介は初舞台だそうで、歌も踊りも懸命な様子に好感が持てる。ちょっと空回りしている感じもあったが。
マジシャン役の阿部サダヲのテンションがこの役には合っている。
総じて面白い舞台だったが、誘拐・監禁された少女という設定が男の変な妄想が透けて見えて嫌らしいとか、知恵遅れのバカとか、ホモセクシュアルを揶揄するような描き方はどうしたものかとか、少々引っかかるところはあった。

2020年1月29日水曜日

0128 文楽研修発表会

29期生は太夫志望が2人。
二人三番叟は希、咲寿と並んで。三味線は寛太郎がシンで手堅い演奏。研修生ではないが、足遣いのリズムが転びがちで良くなかった。

「寺子屋の段」は愛知県出身の。落ち着いた語りぶりに感心。聞くと、地元の人形浄瑠璃で経験があるのだとか。語り分けもはっきりしており、1年目とは思えない出来栄え。

「裏門の段」は兵庫県出身。力みが感じられるものの、精一杯の語りは好印象。神戸大出身だとかで、年かさの応募なのでやる気はありそう。おかるの高音が苦し気だったが、よく声が出ていた。

2020年1月26日日曜日

0126 金剛定期能

「神歌」
金剛龍謹、宇高竜成らによる素謡?
翁の詞章を掛け合いで。声の良さが存分に発揮された。

「老松」
道真公ゆかりの太宰府天神の梅と松。
前シテの老人と後シテの老松の精は永謹。威厳のある姿。前場の最後、少し立ち上がりづらそうだった。
小書付きで、後ツレに梅の精。おそらく龍謹だが、舞姿が美しい。空気をまとったようなゆったりした所作が優雅。

「胡蝶」
梅と戯れる胡蝶の精が可愛らしい。前日に文楽の廓文章を見たせいか、お囃子が餅つきのように聞こえた。

2020年1月25日土曜日

0124 寿初春大歌舞伎 夜の部

「連獅子」
幕見で所見。澤瀉屋の連獅子は初めてだったが、シャープでスピード感がある。踊巧者の猿之助は、親獅子の風格があり、背の高い団子よりも大きく見える。団子は初役の初々しさがあり、キビキビとした動きが爽快。猿之助に親の慈愛は感じなかったが(親というより、師匠の厳しさや暖かさ)、団子には親を慕ういじらしさがあった。
親獅子が子獅子を足蹴にするところ、舞台中央から上手に向かって。後場の演台は3つをピラミッド状に重ねて、牡丹は上手と下手に一つづつ。一段高いところで親獅子が威厳を示す狙いか。

2020年1月20日月曜日

1月19日 初春文楽公演 第二部

「鏡山旧錦絵」
長局の段は掛け合い。岩藤は呂勢の代役で靖、尾上に芳穂、亘、碩、小住と並び、清治が引率の先生のよう。
靖は声質が岩藤に合い、代役として十分の働き。意地悪さが増すともっといい。

廊下の段は藤・団七。岩藤が上品過ぎに感じた。

長局のの段は千歳・富助から。尾上の振り絞るような心情が痛切。小春がちょっとガチャガチャして聞こえた。
後は織・藤蔵。テンション高く、熱気ある床。

奥庭の段は靖・錦糸。緊迫感のある語りで、敵討ちのカタルシスがあった。

人形は和生の尾上が耐え忍ぶ役どころを品を保って表現。玉男の岩藤は人形が目を細めたように見えたと思ったら、目も動く人形だった。
勘十郎のお初が大立ち回り。目には楽しいが、ちょっとオーバーアクションにも感じた。

1月19日 壽初春大歌舞伎 昼の部

「九十九折」
大正時代に初演の上方の芝居。店のために罪を被った清七(幸四郎)が、娘のお秀(壱太郎)と恋仲にありながら、店を追われるという展開はさもありなん。静かにうつむく壱太郎から、言葉にできない思いがあふれる。
酒で憂さをはらそうとしたところで、お秀にそっくりの芸者(雛勇)と出会ったことで、運命が大きく変わる。雛勇の家に転がり込むも、旦那や間夫がいないはずはないと出ていこうとする清七は十分に理性を保っているようだが、力蔵(愛之助)が現れたことでだまされたとはっきり悟った清七は店からもらった300両を叩きつける。清七に情がわいた雛勇が取りすがって詫び、力蔵へ愛想尽かしをすると、逆上した力蔵との争いとなり、死んでもいいと言っていた清七がなぜか2人を切り殺す。理不尽な殺人の後味が悪い。
壱太郎が可憐なお秀と蓮っ葉な雛勇を演じ分け、愛之助の力蔵はチンピラ風情がピタリとはまる。
お店の養子となった新造役の松江。頼んないボンボンぶり。

「大津絵道成寺」
愛之助が藤娘、鷹匠、座頭、船頭、鬼の5役を演じる変化舞踊。常磐津の見台から座頭が現れたりと工夫を凝らしていて、目に楽しい。引っ込んでの早替わりはともかく、舞台上での引き抜きや、昆布巻きなどはちょっともたついて見えた。

「酒屋」
藤十郎が体調不良で休演のため、扇雀がお園と三勝の二役。鴈治郎はお園父宋岸と半七の二役。
扇雀のお園は、茜屋に帰っての第一声がだみ声のようで、興をそがれる。風邪でもひいたのか、そのあとも声が悪く、お園の哀れさが今一つ伝わらない。せっかくのクドキで、いびきが聞こえたり、「用事があるから帰る」とゴソゴソするオッサンがいたりと、客席もトホホだった。
半兵衛の橘三郎、おさよの寿治郎に情がある。子役のお通、行儀よくじっと座っていて人形のよう。

2020年1月18日土曜日

0118 「サイレンス」アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ

川端康成の短編小説にインスピレーションを受けたという室内オペラ。ヴァレンティノのクリエイティブディレクターが衣装を担当したとあって、スタイリッシュ。音楽家が虹色のようなパステル調の色合いで、ローブのような衣服にターバンを巻いた姿が民族調。シンプルなセットで、箱がタクシーの座席やテーブルとイスになる。楽団の後ろのスクリーンに映像が投影され、タクシーの車窓や言葉をなくした小説家の目、女の幽霊などが映し出される。
2人の歌手と語り手の3人の舞台。ところどころ日本語が混じるのだが、「カタカナ」という音が面白かったのか、執拗に繰り返される。
言葉を失った小説家とタクシーに女の幽霊が乗り込んでくるという怪談が交錯する。濃密な時間、90分ほどの上演時間を感じさせない。ラスト、スクリーンに女の幽霊の映像、舞台後方に白いローブに長い黒髪に着替えた女が登場し、恐怖感をあおる。映像の女の幽霊、婚礼衣装のような白い打掛はなぜ?

0118 二兎社「私たちは何も知らない」

青鞜の編集部を現在の感覚で描く。彼女たちに立ちはだかる障害は現在にも共通するもので、現代風の衣装で現代のものとして描く意図は理解できなくはないのだが、違和感が残った。冒頭、青鞜創刊時に寄せた平塚らいてうの言葉をラップで歌うのが今っぽいというか、洒落ていたが、暗転の転換が多用され、ドラムのSEが繰り返されるのが集中を妨げる。最後は戦時中や戦後のらいてうらの活動を駆け足に紹介する感じ。へえという意外感はあったが、詰め込んだように感じなくもない。
平塚らいてう役の朝倉あきは清楚なたたずまいで、育ちの良さが感じられる。黒のプリーツスカートに白や紺のブラウスという衣装はおしゃれで素敵。伊藤野枝役の藤野涼子はチェックのシャツにジーパンで、粗野な貧しさを体現。空回りする理想、計画性のなさといった問題はありつつも、もがく女たちの姿は現在も続いている。
尾竹紅吉役の夏子が少年のような不器用さ、少女らしい執着を現して魅力的。
らいてうの恋人、奥村博役の須藤連は、ちょっとなよっとして、若い燕らしくはあるが、頼りない感じ。
山田わか役の枝元萌が、困難を乗り越えてきた女のたくましさを体現して頼もしい。

2020年1月14日火曜日

0114 宝塚雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」

望海風斗が男役としての風格を増した。スーツがよく似合い、少年時代の初々しさ、上昇志向に溢れる青年期、後悔をかかえて生きてきた壮年期を存分に演じた。今だけでなく、宝塚の歴史上も、ここまで骨太の男を演じられるのは他にないのでは。デボラに思いをぶつけるも拒絶され、一人嘆く一幕のラストが圧巻。堂々とソロを歌い上げ、観客を一手に惹きつけた。
デボラ役の真彩希帆は、歌の上手さが役柄によく合い、ブロードウェイで成功すると歌姫らしい華やかさ。
労働組合とマフィアの癒着や、裏切りなど、なかなかにハードな内容で、清く正しく、の宝塚らしからぬ硬質な作品。

2020年1月12日日曜日

0112 京都観世会一月例会

「翁」
観世清和の翁。脇正面席で橋掛りがよく見えたので、宗家の歩みが正確で美しいのがよく分かった。上下運動がほとんどなくて、滑るように動くのだ。
三番叟は茂山茂。気迫溢れる面差しで、気合い漲る舞。足踏みが力強く、スピード感があった。

「養老」
林宗一郎のシテ。面の隙間から覗く肌がツヤツヤしてて、老人らしからず。若いから仕方ないと思うが、若いうちにこういう役をやるのは何故だろう。後シテは颯爽として清々しい舞だった。

「末広がり」
茂山七五三の主人、千五郎の太郎冠者。間合いが何とも言えず可笑しい。

「東北」
福王知登は重低音ボイスというか、低く響く声が魅力。
シテの片山伸吾は優美。

仕舞は浦田保浩の「高砂」、井上裕久の「屋島」、大江又三郎の「梅 キリ」、片山九郎衛門の「船弁慶 キリ」。九郎衛門がキレのある舞。

「春日龍神」
宮本茂樹のシテ。龍神の舞が勇壮。

2020年1月11日土曜日

0111 常陸坊海尊

秋元松代戯曲、長塚圭史演出とあって期待したのだが、期待ほどではなかったというのが正直な感想。秋元戯曲ではピッコロ劇団の「かさぶた式部考」のほうが感動があった。
一番の違和感は、雪乃(中村ゆり)。1幕の子どもっぽさから、2幕でいきなりファムファタールというか、サディステックに男たちをいたぶる豹変ぶりに必然性が感じられなかった。終戦後、行方不明になる安田はおばばと百合たちと共にあったのだが、それだけで何番目かの海尊になるには十分では。サディスティックな百合は魅力的ではあるのだが、新たな海尊を生み出すのに必要なのかは疑問だ。男はああいう女にしいたげられたいのだろうか?
おばばの白石加代子は代替の利かない存在感で、山伏を引き付ける魅力もあり。

2020年1月10日金曜日

0110 一劇屋「劇の劇」

演劇をやめると宣言した男のセリフが芝居だったり、夢オチだったり…と、な何が本当で何が演技だか分からなくなる。3人の舞台で、運動量が半端ない。マイムやダンスと芝居が入り混じり、興味深く展開するが、後半少しダレたか。

2020年1月8日水曜日

0108 シスカンパニー「風博士」

坂口安吾の小説をモチーフに戯曲化。とはいえ、かなりオリジナルな設定になっているよう。
元研究者で風船爆弾の開発に携わり、大陸で日本軍相手の女郎屋の亭主をしているというフーさんに中井貴一。飄々とした様子が過去に何かを捨ててきた男の、諦念のようなものを感じさせる。冒頭、「青い空」というセリフがあるのだが、舞台奥の背景はグレーがかった色合いだったのは何故だろうか。
フーさんに預けられる、戦争で家族を失った娘役の趣里がいい。ショックのあまり頭のネジが飛んでしまった娘を所在なさげに、時に無邪気に体現。セリフなしで、身体を動かす時のしなやかさ。脚が綺麗に伸びていると思ったら、バレエをやっていたそうで納得。
曰くありげな遊女、鶯の吉田羊が格好良く、新兵卒の林遣都は初々しく、哀れだ。
ファルスという触れ込みだが、戦争の悲惨さを描いてあまり笑いはしなかったが、終始からりとした芝居で、悲惨さや湿っぽさは少ない。最後はバイクでの逃走劇で、爽快感があった。


2020年1月6日月曜日

1月6日 寿初春大歌舞伎 夜の部

「義経千本桜」
秀太郎の義経が素晴らしい。よく通る声、品のある語り口。何より、花道から来る静を迎える時の慈愛に満ちた眼差しが胸を打つ。義経って大事な役ではあるのだろうけど、どこかお飾り的というか、あまり注目したことがなかったのだが、役者によって説得力が違うのだなあと。
愛之助の忠信は、ちょっと身のこなしが重くないか?ひらりと欄干を乗り越えて部屋へ上がるところとか、欄干を渡るところとか、狐の本性を表して飛び跳ねるところとか、もっと軽やかであってほしい。セリフも所作も表面的な感じで、もっと感情を込めるのが松嶋屋ではないの?
壱太郎の静は声よし、姿よし。
法源の當十郎はセリフが怪しくてハラハラした。

「夕霧名残の正月」
鴈治郎の伊左衛門に扇雀の夕霧。扇屋亭主の竹三郎、、女房おふさの吉弥がいい風情。

「伏見の富くじ」
賛否両論の否定的意見も聞いたが、褒められたものではないものの、眉をひそめるほどでもないかなぁという感想。暗転から歌謡曲のイントロのような音楽が流れ、しょうもないギャグを連発するなど、新喜劇のよう。大筋は落語の高津の富だが、花魁道中に一目惚れしたり、大事の屏風を紛失して潰れた商家の再興を目指したりといった要素が加わり、籠釣瓶の見初めを思わせるシーンも。
紙屑屋の幸四郎は、途中途中で「あんた江戸の人?」というツッコミを入れ、不自然な関西弁をカバー。鳰照太夫の鴈治郎は月のように丸いとか、突いたらこしあんが出てきそうとかひどい言われようだが、愛嬌がある。

2020年1月4日土曜日

1月3日 文楽公演 第1部

「七福神宝の入舩」

三輪、津国、芳穂、靖、亘、碩、文字栄に清友、清志郎、清馗、清丈、友之助、清公、清方。

紅白幕が振り下ろされ、七福神が舩に乗って登場。寿老人の玉志、大黒天の勘市、布袋の清五郎、弁財天の紋臣、福禄寿の紋秀、恵比寿の簑紫郎、毘沙門の亀次。

寿老人が琴、大黒天が胡弓、弁天が琵琶を奏で、それぞれ、清公、友之助、清友が演奏。友之助が曲弾き。布袋が腹太鼓、福禄寿が頭の上に獅子頭を乗せたりと、かくし芸大会の様相。小ネタもいろいろあり、賑々しく笑いを誘っていた。

清介の息子、清方が初舞台。ツレ弾きのみでソロパートはなし。最後、足がしびれたようで、這って床裏に退場していた。



「傾城反魂香」

竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫の襲名披露で、土佐将監閑居の段。希・団吾の口の後、床上で口上。呂太夫は修業時代の笑い話を披露するのだが、これって必要?今一つ間が悪いというか、冗長で笑いも少なめ。錣太夫はクスリともしていなかったような。

津駒の吃又は純朴な感じが似合う。どもり具合もちょうどいい塩梅に思った。

文楽では初めて見たが、虎が小ぶりでかわいかったり、奇跡が起きたのを又平夫婦も、将監もすぐに察して、とんとん拍子で名前を許される、歌舞伎版はちょっとくどいと思うが、こちらはあっさりしすぎているようにも感じる。そしてどちらも、将監は師匠としてというか、人として又平に冷たすぎるように思う。



「曲輪文章」

吉田屋の段。口は睦・勝平にツレの錦吾。高音部のカスレが再発してしまったのが残念。



後半は咲の伊左衛門に織の夕霧、藤の喜左衛門、南都のおきさ、男の咲寿と咲太夫一門勢ぞろい。三味線は燕三に燕二郎のツレ。

人形が入り、正月支度をしている揚屋が舞台なので華やかではあるが、やはり文楽向きではない気がする。咲はおっとりとした語り口が大店のボンボンらしいが、色男っぽくはないし、織の夕霧はいい声で歌ってる。咲寿の男って、吉田屋の店先で伊左衛門をボコボコにしようとする店の者たちで、役名をつけるような役でなし。燕三の三味線に艶があり、曲輪の華やかさが感じられた。

人形は玉男の伊左衛門に和生の夕霧。和生はらしくないと思うのは先入観なのか。本人も馬鹿馬鹿しいと思ってやってそう。簑助がおきさで無駄遣い感が。