2019年1月26日土曜日

1月25日 初春文楽公演第1部

「二人禿」はパスして、「伽羅先代萩」から再見。 「竹の間」の織太夫は相変わらず。八汐の嫌みっぷりがいい。團七の三味線はミスタッチが増えていたような。 「御殿の段」の千歳は7日に聞いた時より断然よくなっていた。政岡の情、2人の子供の語り分けも丁寧で、いたいけな感じが出ていた。 「政岡忠義の段」は咲太夫が復活。見た感じは元気そうだけど、声を出すのが辛そう。千松の遺体に縋り付いて嘆くところでさえ、声量が十分ではなく、物足りない感じだった。力の入りすぎで疲れる織とどっちがいいか、悩ましいところ。織の紋が入った朱色の見台を使っていたところを見ると、この見台は咲のものなのだろうか。 「壺阪観音霊験記」は沢一内の靖・錦糸。靖は病み上がりのせいか、精彩を欠いた印象。山の段の呂勢・清治は充実の床なのだろうけど、やっぱり泣けない。節は美しいし、曲はいいのだろうけど。清治の三味線が鋭すぎるのかしら。

0124 音楽劇「マニアック」

くだらなさに徹した、バカ騒ぎの舞台。いや、批判でなくて、これを狙っているのだろうし。ミュージカルでなく音楽劇というのは、こういうことかと。登場人物の心情を歌ったり、踊ったりするのだけれど、音楽が歌謡曲っぽいせいかミュージカルとはちょっと違う。タブーに挑戦というよりは、小学生の悪ふざけの延長というか・成海璃子に卑猥なセリフを言わせたり、ラストは金色の巨大な男根に跨らせて祭りのようにはやし立てたりとか、しょうもない。成海がピンクのフリフリの衣装で、スクールメイツのようなダンサーを従えてアイドル歌手のように歌ったり、シンナーを吸う不良が出てきたりと、昭和感がただよう。今の若い子ってこういうのどうなのだろう。関ジャニの安田章大は意外と小柄で、ヒールを履いていたとはいえ成海より10センチ近く小さかった。看護師長役の堀内敬子がミュージカル女優らしい正統派の歌と踊り。いろんなジャンルの人がそのまま存在することで面白がらせる。古田新太はこういうのがやりたいのだろうな。院長に操られる元ヤンの精神病院患者が「まんぷく」の赤津だった。

0123 文楽SHOW

桂佐ん吉のナビゲートで約1時間で文楽のさわりを紹介する企画の第2弾。英、中、韓の字幕がつき、客席の半分以上は外国人のようだが、入りは半分程度か。 一輔がお七の人形をつかって客席から登場。舞台に上がるといったん袖に引っ込んで、床の演奏にあわせて武士の人形でちょっとしたパフォーマンス。そのあと、太夫、三味線、人形の紹介に。靖太夫の代役だった睦太夫は、しゃべりは硬いのだが、寺子屋の涎くりと菅秀才の語り分けはさすが先輩だけあって、落ち着いて聞ける。清丈の三味線は、走ってくる音の引き分けと、短い音で「なんでやねん!」の感情の変化を現す。佐ん吉も慣れた様子だが、初めて感のあった去年のほうが面白かったかも。人形は女形の人形でいつもの解説。笑うところで「おほほほほ。って私の声が気持ち悪いんですが」という一連のセリフが、玉翔とまったく一緒(順番的には一輔が先なんだろうけど)で笑った。 ミニ公演は「火の見櫓の段」。若手でしか聞いたことがなかったので睦の上手さを再発見(失礼)。公演中は撮影OKというのは、普及活動としてはありかもしれないが、シャッター音が邪魔に感じた。

2019年1月22日火曜日

1月22日 宝塚星組「霧深きエルベのほとり」

1963年初演の菊田一夫の作品を上田久美子が潤色・演出。トップスター紅ゆずるのソロから、幕が上がると大階段を使ったキャスト総出の華やかなオープニング。「え?これは何の場面??」と一瞬戸惑ったが、祝祭的な気分を盛り上げる。身分違いの恋と別れという、使い古されたような物語だが、カールからマルギットへの告白のセリフなど、キュンとさせるポイントを抑えている。ダレて睡魔に襲われかけると群舞で目が覚めるという感じで、テンポのよい展開で飽きさせないのは上田の手腕か。 主人公の船乗り、カール・シュナイダーは粗野だが根はやさしいというキャラが紅に合っている。ヒロイン、マルギットは世間知らずのお嬢様という風情で、これも綺咲愛里に似合う。終始裏声のような発声は役作りなのかもしれないが、ちょっとどうかと思う。マルギットの婚約者フロリアンは、物分かりのいい紳士という現実離れした人物ながら、礼真琴がリアリティをもって好演。手切れ金をせしめて立ち去ろうとするとき、カールがマルギットを札束ではたくシーンはああこれかと。ただ、マルギットのためにあえて非道な男を演じたことを、あっさりバラしちゃうラストはどうかなあ。マルギットがカールをあきらめてフロリアンと結婚したあととか、何年もたってからというならともかく、こんなに早く知られてしまってはマルギットはまた思いを再燃させてしまうのでは? レビュー「ESTRELLAS~星たち~」にはがっかり。Jポップや洋楽のヒットソングをふんだんにつかう展開に、藤井大介が演出か?と思ったら、中村暁だった。曲の最後にキャストが銀橋に並んで合唱→暗転というパターンが多用されていて、苦笑するばかり。礼の歌とダンスのうまさだけが救いだった。

2019年1月20日日曜日

0119 ミュージカル「スリル・ミー」

同性愛関係にある「私」(松下洸平)と「彼」(柿澤勇人)。ニーチェに心酔し、超人と自任する「彼」はスリルを求めて犯罪を繰り返し、彼への思慕から共犯者となっていく「私」。男優2人とピアノだけ(+ナレーション)というミニマムな構成で描かれる濃密な世界観。激しいピアノ演奏や効果音で緊張感が高まる。はじめは「彼」に追従するような気弱な様子だった「私」は、終盤、彼を自分のものにするために殺人を犯し、犯行現場に証拠となる眼鏡を落として捕まるように仕向けたと告白する。支配する者とされる者の逆転がスリリング。松下の繊細な演技に引き込まれた。緊迫感のある音楽は物語にあっているのだが、日本語の歌詞が野暮ったいような。原語で聞いてみたいと思った。

0118 メイシアタープロデュース公演「少年王國記」

離島に不時着した少年たち。救助を待ってサバイバル生活を送るうち、理性的なリーダーが否定され、暴力や富(食料)により流される危うさ。現代社会にも通じる人間模様だ。白塗りに濃淡のグレーの衣装というモノクロームの世界はスタイリッシュだが、名前で呼ばれる少年の識別がしにくく混乱した面も。リーダーのアキラ(赤星マサノリ)とアキラと対立する狩猟部隊の隊長(村尾オサム)がともに14歳で、ほかの少年は皆年下という関係なのだが、事前にパンフレットを読んで頭に入れておいたら分かりやすかったのかも。ストップモーションのような動きは「高野聖」でも用いられた演出。狙いは面白いのだが、役者の動きがまだ洗練されていないので、その効果が十分に表現しきれていないように感じた。ダンサーなど身体表現に秀でた人が演じたら違うのかも。暴力に流されて過激化していく少年達と、追われるオサムの攻防は緊張感があって引き込まれた。 気が弱くフェミニンなぷーちゃんの岸本昌也は、エイチエムピーの公演で女形をすることが多いようだが、そういうキャラなのだろうか。

2019年1月18日金曜日

0117 ミュージカル「オン・ユア・フィート!」

グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーンの楽曲でグロリアの半生をつづる。「マンマミーア」や「ジャージーボーイズ」のような路線を狙ったのだろうが、それらに比べて楽曲が知られていないうえに、これといった困難がなく、グロリアの母の反対が最大の障害といった程度で、物語の起伏が乏しい。「コンガ」が世界的にヒットするところで1幕が終わってしまったので、この先どうなるの?(何か描くべき物語があるの?と思ったほど。グロリアが重大な事故にあって復帰したというのは知らなかったが、物語の山場としては弱い。1幕、2幕とも最後の曲で客席総立ちのライブ風になったが、アメリカだともっと盛り上がるのかも。 グロリア役の朝夏まなとの長身は、他のキャストとのバランスが悪い。夫、エミリオ役の渡辺大輔は朝夏より背が高かったので何とかなったが、相手役には苦労しそうだ。セリフが外国映画の吹き替えみたいだったのは演出なのか。ラテンの歌唱や踊りがどこかあか抜けないのは、全キャストに共通してた。渡辺はラテン男ぶりが軽薄そう。歌は安定していた。存在感が光ったのは母親役の一路真輝。娘と対立する強情さの背景に、自身が若いころ歌の道に進めなかった後悔があることがきちんと見えて、ただの嫌な母親になっていなかった。歌唱も説得力があった。グロリアの妹、レベッカ役の青野紗穂はパワフルな歌声。プロフィールを見たら「RENT」のミミ役をやったとあって納得。

2019年1月16日水曜日

0115 有頂天団地

渡辺えりとキムラ緑子の喜劇シリーズ。昭和中期の建売住宅を舞台に、庶民の主婦らのいざこざが描かれる。あまり大きな事件は起きず、ささいな日常を描く芝居で3時間持たせるのは正直しんどい。大人しい専業主婦役の渡辺は、登場時こそそのギャップに笑えたが、だんだん地の力強さが出てきて役柄とミスマッチ。小学校に通うおじいちゃん役の笹野高史がほっこり。中途半端な昔なので、マダムジュジュとか、バナナとか時代を感じさせる小ネタがいまいちピンとこなかったが、もう少し上の世代なら楽しめたのかも。(客席にはウケていた)

2019年1月14日月曜日

0113 夕暮れ社弱男ユニット「サンクコストは墓場に立つ」

不条理劇という触れ込みだが、コントみたいだった。大学の建て替えに伴い、保管されている献体を新校舎に移す作業を命ぜられた学生2人。1人が電話している相手は同じ学生だが、バックれて繋がらない。そこへ、派遣会社からやってきたという3人の女が現れ、献体を運び始める。担架やストレッチャーを使わず、素手で抱えて移動するというのがそもそもありえないし、訳知り顔で仕切りたがる女(まゆみ=稲森明日香)の話ぶりがイラっとする。遺体への抵抗感から作業に加われず、途中で帰ろうか迷う女(久米=向井咲絵)の煮え切らなさもしつこいくらい。途中遺体が動き出したり、ヤケになって次々と遺体を運ぶところはテンポのいいコント。運び終わったところで、何故か遺体が勝手に歩いて元の水槽に戻るのはシュールだ。
遺体役は山下残で、脱力して運ばれるのは運ぶ方も運ばれる方も体力的に負荷が高そう。学生の1人詩織役の安岐裕美がスラリとした美人で声もよかった。
時折床下から振動するほどの大音量はびっくりするが、なんの効果を狙ったのか。

2019年1月13日日曜日

0112 「SOMETHING ROTTEN!」

ミュージカルコメディで過去の有名ミュージカルの名場面や音楽のパロディが随所に盛り込まれるのだが、いま一つ笑えなかったのは福田雄一の演出が肌に合わないからだろうか。出演者の内輪話みたいなのが多く、くどく感じる。主人公ニック役の中川晃教の歌のうまさ、ミュージカルスターらしい存在感を再確認。ライバル、シェークスピア役の西川貴教は期待したほどではなかったが、それはたぶん演出のせい。(開けた衣装から覗く胸筋が妙になまめかしく女性の胸みたいだと思っていたら、本人もセリフで触れていた)ニックの妻ビーの瀬奈じゅんは男装シーンが板についていた。ニックの弟、ナイジェルの平方元基は歌が上手く、好青年。ポーシャ役の清水くるみは声がかわいらしいが、時折低音で本音を話す演出が好みではない。預言者役の橋本さとしはアドリブっぽく笑いをとる担当か。

0112 劇団壱劇屋10周年記念公演「TABOO」

野田秀樹の戯曲に、客演なしの14人の劇団員が挑んだ意欲作。 北朝と南朝の争いを背景に、芸能の成り立ちを描き、舞台人の今にもつながるテーマ。主人公一休を演じた山本貴大がほぼ出ずっぱり。純朴な雰囲気が役に合っていたが、ヒロイン(?)の萌役の高安智美が、小悪魔的な娘の嫌らしさが鼻について好きになれなかった。世阿弥がモチーフの世阿弥陀役の大熊隆太郎が妖しい魅力をふりまき、楠役の竹村晋太郎が要所を締める。一休の母、梢役の安達綾子がしたたかな女らしく好演。自天皇の西分綾香が勢いのある弟役で気持ちよかった。 舞台装置は真ん中に三間四方(?)の八百屋の舞台があり、むき出しの背景、舞台袖が垣間見えるほどのシンプルさ。 10周年記念公演らしく、開演前にキャストが客席を回り、写真撮影に応じるなどのサービス。客席は3分の2ほどの埋まり具合だが、密度濃く感じた。

0111 笠井叡 迷宮ダンス公演「高丘親王航海記」

壮大な冒険物語をダンスでどう表現するのか、興味があったのだが。私の趣味には合わなかったというべきか。
笠井の舞台は初めてだが、感覚が古く感じた。舞台監督のような男が出てきてダンサーを呼び、照明にキュー出しする冒頭から、モーツァルトの交響曲やオペラの選曲、巨大な男根をぶら下げて踊るダンサー、急にテクノ調の曲に変わり、高丘親王役の笠井がサングラスにパイプを加えて出てくるところ、最後に出てきた女性ダンサーの胸が露わに透けた衣装――など、鼻白むような演出が多かった。
講談師?によるナレーションが入るものの、説明不足で、誰が誰だか分かりづらく、話の断片をぶつ切りにして繋いだような展開も、観客が置いてけぼりな感じがした。

0110 玉造小劇店「お正月」

一軒家の正月の風景をモチーフに、明治の初めから近年までの一家の歴史を辿る。これだけの長い2時間でまとめたのは大したものだが、多くの登場人物が入れ替わり立ち替わり慌ただしく、深みにかけたところも。
面白く見られたのは役者陣の達者さ。毎年黒豆を持ってくる隣家の女の代々を演じた小椋あずき、一家の兄弟に金をせびりにくる女郎屋の女将のわかぎゑふ、関東大震災を逃れて大阪に嫁いできた女役の水町レイコなどが印象的。
阪神大震災に遭って家を手放す決意をした後、東日本大震災の被災者らしい東北弁の女が越してくるラスト。管理人役の茂山宗彦のおかしみのある演技で恋の始まりを感じさせ、ほのぼのした幕切れだった。


0109 ミュージカル「マリー・アントワネット」

1幕は登場人物の誰にも共感できなくて戸惑ったが、2幕に入って俄然引き込まれた。何より、花總まりの王妃らしさ。気品、ドレスの着こなしがこれほど板についた人は日本では他に考えられない。前半の無邪気さから一転、零落してから芽生えた王族の誇りを湛えた表情に魅入った。フェルセンとの別れのデュエットはじんときた。
マルグリットのソニンは上手いのだが、そもそもただの平民の娘が王妃にただならぬ憎しみを抱く過程が唐突に感じた。
フェルセンの古川雄大は落ち着いた歌唱、演技で好演。年上のマリーを諭す立場になっていた。オルレアン公の吉原光夫は声量のあるら押し出しのいい歌唱で、憎らしい敵役を体現。最後、マルグリットの告発で転落する姿に溜飲が下りた。ルイ16世の原田優一は気弱で善良な国王らしかった。

0108 ミュージカル「日本の歴史」

テキサスで牧場を営む一家の歴史と日本の歴史がリンクする構成が意外にもはまっている。何もない荒野に移住してきた一家の草創期と、卑弥呼の時代、平安期の貴族社会、武士の台頭は小作、織田信長の革新と石油の採掘などが重ね合わされ、共通点に気づかされる。 シルビア・グラフが主要な役を多くこなして好演。テキサス一家の肝っ玉母さんの一方、卑弥呼や織田信長、西郷巳之吉まで。何より歌がうまく、存在に説得力がある。宮沢エマも、一家の娘のほか、平清盛から「もとどり」まで幅広く。新納慎也との3人が歌パートを引っ張った感じ。中井貴一が女帝役などで笑いをとる一方、頼朝役で義経の香取慎吾と対峙するところは、シリアスなドラマを見せた。 白い床、壁のシンプルな舞台には奥から轍のような線が引かれ、歴史の道を示すよう。引幕を左右に動かすことでスピーディーに場面転換して飽きさせない。音楽がどれもキャッチ―で、「歴史は因果関係」「人生で大事なことは人生で大事じゃないこと」「今私が悩んでいることは昔誰かが悩んだこと」など、印象的なフレーズが耳に残る。たった7人のキャストに、演奏も4人のアンサンブルとは思えない、広がりのある舞台だった。

2019年1月9日水曜日

0107 初春文楽公演 第2部

「冥途の飛脚」 淡路街の段は口を希・団吾、奥を文字久・藤蔵。団吾の弾き方はロックギタリストみたいだ。文字久はしみじみした語り。 封印切の段は呂・宗助。やはり声量が足りないのが致命的。忠兵衛が気色ばむところはさすがに大声だったが。忠兵衛のどうしようもなさは表現されていたのか。 道行相合かごは三輪、芳穂、文字栄、亘に清友、清馗、友之助、清公、清允。 「壇之浦兜軍紀 阿古屋琴責の段」 津駒、織、津国、小住、碩に清介、ツレ清志郎。三曲は寛太郎。師匠の代役を含めて3役に登場の織はすべて違う見台だった。 勘十郎ショーみたい。左は一輔、足は勘次郎。

0107 初春文楽公演 第1部

「二人禿」 睦、南都、咲寿、碩に勝平、清丈、錦吾、燕二郎。華やかな床。 人形は一輔、紋臣。たおやかな女形2人で目に楽しいい。特に一輔はちょっと首をかしげる仕草が禿らしく可愛らしい。 「伽羅先代萩」 竹の間の段を織・團七。題名にちなんでか竹の模様の見台。堂々たる語りぶり。 御殿の段は千歳・富助。政岡の理知的な語りはよく似合うが、子どもがもっさりして可愛くないのはなぜだろう。 政岡忠義の段は病気休演の咲に代わって織・燕三。朱色の見台は小ぶりで骨董品らしい洒落たもの。熱演なのだが、なぜだか泣けない。 人形は和生の政岡が抑制された動き。子役は千松の玉翔が健気な様子。栄御前の簑助はたいしてしどころもないような。 「壷坂観音霊験記」 土佐町松原の段を亘・燕二郎。あまりかかることのない段。 沢一内より山の段の前を靖・錦糸、奥を呂勢・清治、ツレの清公。音楽的な盛り上がりは分かるが、呂勢・清治をもってしても感動できないのは、やはりこの話が好きではないのだろうと再認識。

2019年1月7日月曜日

0106 京響クロスオーバー バレエ×オーケストラ

バレエとオケの競演。オーケストラピットがいつもより高くなっているようで、演奏者の顔が見える。1曲を除いて全てバレエつき。

1部はワルツ。「眠れる森の美女」のワルツは群舞で、男性二人のほかは女性ばかり。有馬バレエの藤川雅子が目立った。手足が長く舞台映えするのと、空間の使い方、間の取り方が他と違って見えた。

福岡雄大のソロ「悲しきワルツ」が恰好よく、パドドゥでもノーブルな魅力。ペアの渡辺理恵は「眠り」3幕のグランパドドゥはそれほどでもなかったが、2部の「タイスの瞑想曲」がエレガントで素敵だった。

韓国のペア、イ・ドンタクとカン・ミソンは1部の「シンデレラ」のパドドゥは特筆することがなかったが、2部の「眠り」2幕のグランパドドゥで、男性が腰をホールドして回転するときの軸のブレなさ、回転数の多さに驚いた。一人で回るのはそれほどでもなかったので、男性側が上手いのか。ただ、男性のジャンプは軽やかさに欠け、ソロはイマイチ。

中村恩恵・首藤康之ペアは2部の「アダージェット」が秀逸。恋人の亡骸を抱いて登場した男。うでを持ち上げたり、抱き起こしたりしてみても、恋人の身体は力なく横たわるばかり。女が動きを取り戻し、2人で踊るも束の間。再び動かなくなる女。両手を広げてのシェネが男の慟哭のようだった。

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2019年1月6日日曜日

0104 大槻能楽堂自主公演能 新春能

「翁」 大槻文蔵の翁に裕一の千歳、野村裕基の三番叟。威厳のある翁。三番叟は若々しい。 「隠狸」 和泉流のみに伝わる曲だそう。野村万作の太郎冠者に萬斎の主人。太郎冠者が主人に隠れて狩った狸の作り物が、大さっぱな感じでかわいらしく、笑いを誘う。隠した狸をめぐって、主人と太郎冠者が酒を酌み交わしながら小舞を舞う。大らかで楽しい演目。 「国栖」 「天地の声」の小書き付き。観世銕之丞が漁翁と蔵王権現。後シテが笛の音とともに走り出る演出が鮮やか。 後ツレの天女を観世淳夫。天女の舞が優美。 追手の兵の合狂(野村萬斎、深田博治)が翁に言いくるめられて引き下がるのが簡単すぎる気もするが。

0103 壽初春大歌舞伎 夜の部

「金門五三桐」の通し。三代猿之助四十八撰の1つながら、あまり上演されてこなかったのは話があまり面白くないからかも。 冒頭、離島に船が流れ着き、早川高景(弥十郎)が宋蘇卿の書き置き(?)を発見して事の背景を知るのだが、高景が誰で、何のために船に乗っていたのかの説明がないので戸惑う。前半の、久吉の跡目をめぐる、久次(猿弥)と久秋(笑也)の駆け引きも、なじみの薄い登場人物なうえ、関係が複雑でついていくのに骨が折れる。久次の乳母役、大炊之助が宋蘇卿の正体を現し、息子への遺書を白鷹にしたためるところや、白鷹の精(扇雀)が狂ったように踊るところあたりが見どころか。 後半、五右衛門が中心になったくだりでは、テンポアップして楽しさが増した。 愛之助が石川五右衛門と此村大炊之助の二役。五右衛門は「GOEMON」と違って黒髪ではあるものの、役作りとしては大した変わらないのかも。終盤の立ち回りがスピード感があって面白い。葛籠抜けからのスペクタクルな展開で、スカッとした後味だった。

0103 壽初春大歌舞伎 昼の部

「土屋主税」 大高源吾の愛之助が嵌っている。落合其月の猿弥とは息があっていて、テンポよくやり取りが進む。晋其角の弥十郎は身体の大きさがおおらかさにつながる。河瀬六弥の虎之介が討ち入り報告のセリフを、淀みなく語っていて感心。扇雀の土屋主税は気持ちよさそうにセリフを語っていた。 「寿栄藤末廣」 藤十郎の米寿記念で、鴈治郎、扇雀、壱太郎、虎之介の3世代5人がそろう華やかな舞踊。藤十郎はさすがに動きがミニマムになったが、独りで舞うところもあり、堂々たる女帝ぶり。虎之介が少し振りを間違えたのか、1人だけ動き出しが速かったところがあったのはご愛敬。 「河庄」 壱太郎の小春が、背中で耐える風情がよい。今まで見た河庄で一番哀れな小春かも。鴈治郎の治兵衛はグダグダした情けない男ぶり(そういう役だから)。だが、長いので、集中力が途中で切れた。江戸屋太兵衛の愛之助と五貫屋善六の亀鶴が気心の知れた悪友ぶり。箒の三味線で浄瑠璃を語って治兵衛をけなすところ、楽しそうに演じていた。

0102 松竹新喜劇 新春お年玉公演

「裏町の友情」

隣り合うクリーニング店と燃料屋の主人は先代から続く喧嘩友達。だが、クリーニング店の息子と燃料屋の娘は密かに想いを交わしている。借金のカタに燃料屋を売ろうとしていることを知ったクリーニング店の主人は密かに金を用立てしようとするが…。一筋縄ではいかないドタバタで笑わせつつ、クリーニング店の好意を受け入れ、礼を言う一言でほろりとさせる。
クリーニング店店主の八十吉が手堅く、息子役の扇治郎の惚けた様子がほのぼのさせる。燃料屋の娘(桑野藍香)にハンドバッグのプレゼントを渡すところで、ポケットから缶詰を取り出して笑いを取ることも忘れず。相変わらず上手くはないのだが、キャラが確立してきたよう。

「お祭り太鼓」

これぞドタバタ劇だが、曾我廼家文童や高田二郎、井上恵美子ら芸達者が揃って走り回るのがおかしい。業突く張りの金貸しを演じた久本雅美が意外にも抑えめに見えたほど。主人公の提灯屋を天外。正直者を演じるのはともかく、白塗りは似合わないと思った。丁稚の扇治郎が最後を持っていく美味しい役どころ。


2019年1月2日水曜日

1228 「ア・ラ・カルト」

大阪バージョンはゲストがローリー。黒髪のサラリーマン風のいでたちで、とぼけたセリフがおかしいが、先日見た尾上菊之丞のほうが役者が上だった。メニューを見ながらの演技が、本当にセリフが入っていないように見えたもの。歌やギター演奏も思ったより少なめで少々物足りなかった。

1227 「民衆の敵」

温泉で栄える町。医師兼科学者が温泉が汚染されていることを発見する。パイプの付け替えなど対策をとれば問題ないと、早期対策を訴えるが、初めは賛成していた人たちがいざ自分に害が及ぶと分かると手のひらを返す。民衆の支持を得ていたと思ったら一転、民衆の敵と糾弾される。移ろいやすい民意の危うさを活写。「正義は力がなくては意味がない」というセリフが刺さった。ことを隠蔽しようとする行政、日和見のマスコミ、何処かの国を見ているよう。
はじめ反対していた妻が、孤立無援になった夫わ支えるのは何故だろう。
アンサンブルがダンスのような動きが不穏な空気を伝える。大量の石が降ってくるラストに戦慄した。

1224 バグダッドカフェ「野獣降臨」

野田秀樹の脚本らしく、言葉遊び、唐突な場面転換、こじつけのような展開。アポロ11号、月のうさぎ、伝染病などのモチーフがパッチワークのように繋ぎ合わさせる。衣装もTシャツやジャージと着物をパッチワークしたみたい。役者たちは覚えにくそうな長ゼリフをよくこなしていた。
場面転換や小道具のようなダンサーがよく動いていた。ちゃんと踊りだった。一瀬尚代はじめ、女優陣は総じてよかったのだが、男性3人のパートが退屈だったのは何故だろう。2時間余だったのに、長く感じた。

1223 M&Oplaysプロデュース「ロミオとジュリエット」

宮藤官九郎演出は古典の脚本で出来るだけふざけてみましたといった感じ。まんまやる、という割には、クドカンテイストが散りばめられていたような。どうも、学生の悪ノリのように見えて、面白がるより白けてしまった。金髪のマッシュルームヘアのロミオ(三宅弘城)は何故か短パンの子供のような出で立ち。マキューシオ(勝地涼)のクネクネダンスや、ティボルト(皆川猿時)のおふざけ、客席には受けていたけど、私には面白くなかった。ジュリエット(森川葵)は可愛い女優なのだが、セリフ回しが一本調子。演出かもしれないが。最後の場面、パリス伯がキャピュレットの墓へ来て、ロミオに殺されるというのは創作かと思ったら、原作がそうらしい。ジュリエットを助けるために現れた神父が、ロミオとパリスの死を知って、ジュリエットを置いてどこかへ行ってしまう。これも原作まんまらしいが、そんなことしたら、ジュリエットが後追い自殺するの当たり前じゃんとモヤモヤした。

12月22日 十二月大歌舞伎 夜の部

梅枝初役の「阿古屋」のみを幕見で。
花道の出は拍手もジワもなかったが、堂々とした立派な傾城。面長の古風な顔立ちが阿古屋に似合っている。客の気を引き寄せる何かが足りないのか、初役だから客も緊張してるのか。三曲の演奏もそつなくこなし、きちんと稽古したことがうかがえる。三味線で下手に奏者がでてきたのはルーキーだから?琴、胡弓は義太夫の助けはあったけど、一人で弾いていた。
若手の奮闘も立派だったが、1時間15分の舞台を退屈させなかったのは、玉三郎の岩永のおかげも大きい。人形振りで要所要所で笑わせて観客を飽きさせなかった。おそらく瞼に目を描いて大きく見開いたように見せていた。所作は踊りの名手だけあって、人形らしいおかしさ。本人の足に人形の足を付けてブラブラさせていたが、左足だけ後見が動かしていたのは何故だろう?

12月21日 「ア・ラ・カルト」

ゲストの尾上菊之丞がお目当て。セリフが入っていないようで、メニューをチラチラ見ながらの芝居が可笑しい。
鶴岡正義の役名で、高泉演じる小泉京子と同姓同名の有名人の話で盛り上がる設定。けど東京ロマンチカの鶴岡雅義って知らんがな。料理教室に通っていながら得意料理が分からなかったり、「3歳からお囃子を習っていて…あれ、僕は何歳なんだろう」とか、芝居としてはグダグダだったのだが、あの物腰で言われるとまあいいかという気になる。あとスーツのボタンがパツパツだったのも気になった。衣装合わせしなかったのかしら。
ピアソラの「リベルタンゴ」に合わせての舞は、静と動が鮮やか。歌が聴けたのもお得感あった。声がいいので。美空ひばりが好きだそうで、最後の場面では「悲しき酒」の一節も披露。(美空ひばりの一番好きな曲、漢字2文字とだけ記憶していて、後で調べたら「落葉」か「裏窓」か?)

ショートショートの芝居は、最後の老夫婦のがほのぼのとして好き。珍しく高級レストランにつれて来るも、妻はもっとおしゃれして来たかったと不満げ。夫からのプレゼントの帯どめに「高すぎるから買うのをやめた」というのが、さもありそうで面白かった。

12月21日 十二月歌舞伎公演「増補双級巴」

吉右衛門が五右衛門をするというので、後学のために観てみた。芸はともかく、お話としては面白さに欠けた。
道中出会った身重の女中をふとしたはずみで殺してしまい、そこで生まれた遺児が五右衛門という発端。女中は殿様のお手付きで、五右衛門が大名の血を引いているという。
が、次の幕では早くも、あまりの手癖の悪さに奉公先で金を盗んで出奔している。養父は腹違いの妹を廓に売って借金を返そうとしたところへ、五右衛門が帰ってきて、大金を渡して妹を身請けしたと思ったら、ふとしたはずみで刺し殺してしまう。唐突な展開だ。
理不尽はまだまだ続く。大詰めでは、なさぬ子(五郎市)に辛く当たる五右衛門の後妻おたき(雀右衛門)。父の留守に義母が間男したと勘違いした五郎市は男を刺すつもりでおたきを殺めてしまい、瀕死のおたきは盗賊稼業に染まらないよう五郎市辛くあたり、追い出そうとしていたと明かす。どんでん返しも唐突すぎて楽しめなかった。
歌舞伎らしい面白さは3幕。遊び暮らす足利義輝(錦之助)が、御台(東蔵)と傾城(雀右衛門)の衣服を替えさせ、傾城が廓言葉で御台のふりをする。逃げる五右衛門の葛籠抜けもあり。お年のせいかのんびりした葛籠抜けで、葛籠も心なしか大きいような…。足はブラブラさせずに、正座のように納めていた。和史くんが葛籠抜けのちょっと前に2階席にやってきて見学してた。
菊之助の秀吉は猿らしくなく、高貴なプリンスの風情で別のお話のようだった。

1219 貞松浜田バレエ団「くるみ割り人形」

御伽の国バージョン。ゲストの吉田旭がくるみ割り人形/王子役。被り物のくるみ割り人形は仕方ないとして、パッと衣装を引き抜いて(というか、左右から引っ張る)現れた王子の姿が。オパール色とでも言おうか、白っぽくキラキラ光る上衣に白のタイツという衣装が気恥ずかしく、直視できない感じ。1幕の終盤、クララ(宮本萌)とのパドドゥは流れるようで心地よく、ようやく踊りを楽しめた気分。クララは元気があってよろしいが、もう少し柔らかさがある方が好みだ。
雪のシーンはバレエ団の名物だけあって、見応え十分。スピード感のある白の踊りがいい。雪の量は去年より少なかったかな。

2幕は花のワルツが一番。パステルカラーの衣装が美しく、踊りも優雅。残念だったのは、御伽の国の王(武藤天華)と女王(廣岡奈美)のグランパドドゥでポーズが短くて慌ただしかったり、フィッシュダイブがスローモーションだったり。ポワントで立つ王妃の肩を掴んで回したのにはビックリした。