2019年6月30日日曜日

0628 至高の華 京都公演

解説で梅若実が登場。西行桜の思い出など語った後、プロを目指して稽古していると西尾萌を紹介。解説は簡潔で短かった。

「鳴子遣子」
七五三の茶屋、千五郎、宗彦が何某。
蚊の鳴くような声での解説の後だったせいか、千五郎の声がいつもより立派に聞こえた。千五郎家の絶妙な間合いが面白い。

仕舞「弱法師」
片山九郎衛門。杖を手に目を閉じて舞うのは、能面を着けたときよりむしろ難しいのでは。つまずき、倒れる様がリアルだった。

「西行桜」
梅若実玄祥とクレジット。老桜の精と生身の実が一体化した感じで、演技なのか素なのか混然としている。西行(福王茂十郎)とのやり取りはしっかりした語りだったが、造り物から出てくるところで杖にすがるような様子。解説で出てきたときはスタスタ歩いていたようだったが、段差を超えるのが厳しいのか。舞は足元がおぼつかなく、杖をついて一歩一歩足を進める。老木の精らしいといえばらしい様子。
能力は茂山逸平。
上演時間は1時間15分ほど。詞章をカットした様子はなかったが、全体的にテンポが速かった。

2019年6月29日土曜日

0628 夕暮れ社弱男ユニット「京都で恋とフォーク」

70年代フォークを歌う、現代の大学のフォークソング研究会を舞台にした恋模様。二股や片思い、三角関係、四角関係入り混じり、テラスハウスか(見たことないけど)という展開。OBの束縛男が別れ話を切り出した彼女への逆恨みから押しかけてきたりと、畳みかけるようなドタバタの展開。同世代の人にはあるあるなのかもしれないが、恋愛に縁遠い者には共感しにくかった。
外国の要人が来日していて交通規制で動けないなか、反戦歌を歌うというのは、G20サミット開催中の今に掛けているようでもあり、メッセージを感じる。
「風に吹かれて」や「戦争を知らない子供たち」など、往年の名曲は今の人たちにはどう響くのだろう。ギターも歌も下手ではないが上手くもない微妙な感じで、効果が今一つに思った。
途中、殴られて意識を失った男を担いで運ぶ、前作を彷彿とさせる場面も。

6月24日 「三婆」

キムラ緑子演じる元芸者の妾、渡辺えり演じる少女趣味な老嬢、大竹しのぶの強かそうでいて隙のある正妻がそれぞれいい味を出していて、面白かった。亡くなった社長の葬儀をめぐっての正妻と妾のバトルから、芝居に引き込まれた。2幕のラストでそれぞれが歌を披露するのが一つの見せ場。20年後を描いた3幕は蛇足だったかも。

6月22日 文楽若手会

「菅原伝授手習鑑」
椎の木の段は口が碩・清允。溌剌とした語り。10分ほどで終わってしまうのが惜しい。
奥は咲寿・友之助。聞き続けるのがつくづくしんどかった。発生もなってないし、音程も聞き苦しい。本人のツイッターによると、途中経過なのだそうだが、どこへ向かおうとしているのか?三味線もなす術なしといった感じで、気の毒に聞こえた。

小金吾討死は小住・錦吾。錦吾の顔がよくなってた。これまではどこか怯えたような雰囲気があったのだが、一皮むけた感じ。三味線も落ち着いて、太夫との調和が感じられた。小住は期待通り。

すし屋の段は3分割。前は芳穂・清馗。装飾の多い派手な手を弾いていたが、弾ききれてなかったような。
中の靖・寛太郎がこの日一番の出来。浄瑠璃を聞けた。寛太郎も叩きバチを駆使した力のこもった演奏。場面を引き締めた。
後は亘・清公。

人形は簑紫郎のお里が可愛らしい。権太の玉勢はマントや手拭いを外すのに手間取っていたよう。小金吾の玉翔と逆の配役がよいかも。

「道行恋苧環」
付け足しのやうな一幕。希のお三輪、咲寿の橘姫、小住の求馬と碩。三味線は清丈、燕二郎、清允、錦吾。
人形は簑太郎の橘姫に玉誉の求馬、紋臣のお三輪。紋臣だけがちょっと雰囲気が違っていた。回を重ねたらもっとよくなりそう。

6月21日 七月大歌舞伎 夜の部

三谷かぶき「月光露針路日本 風雲児たち」(つきあかりめざすふるさと と読むそうな)
2作目の三谷歌舞伎は面白かったけど、深みが足りないようにも感じた。歌舞伎かというと???ここぞという場面では竹本を使ってたし、猿之助ら歌舞伎の所作を使った演出が随所にあったけど、現代劇と言われても違和感ない。何せ、八嶋が外国人の扮装で踊るように登場しても違和感がないのだから。歌舞伎としては前作の「決闘!高田馬場」のほうがよかったかな。
主役の幸四郎をはじめ、高麗屋三代がそれぞれ美味しい役。染五郎は御曹司として?やたら気を遣われて弄られていた。
10年間の出来事を3時間ほどにまとめるのだから、テンポよく話が進むのは当然として、エカテリーナとの対面、光太夫、新蔵、庄三の別れ、帰国が全て3幕に集中していたのはバランスが悪い。1幕の見せ場ってなんだっけ?ほとんど人物紹介で終わってしまった感じ。2幕は移動に次ぐ移動。それはそれで楽しいのだけど、2幕ラストの犬ぞりのシーンは思ったほどの迫力はなかった(愛一郎が犬の筆頭で悪目立ち)。3幕で登場した竹三郎と寿猿のシニアカップルは全くの付け足しで、無くても筋に影響なし。賑やかし?
面白場面は2幕の終盤で高麗蔵と宗之助、千次郎がロシア語でやり取りするところや、3幕で新蔵(愛之助)の妻になるマリアンナ(新悟)がやたら日本語のことわざを口にすることとか。ロシア語の笑いは、言葉が分からなくても笑わせるのは役者の力だろうが、アグリッピーナ(高麗蔵)の容姿が中の下だとやたら繰り返すのがくどい。
愛之助演じる新蔵がちょっとシニカルな役どころで、重厚な芝居でたっぷり見せる。久々に二枚目の愛之助を見た気分。猿之助は文句ばかり言っている庄蔵をうまく演じ、エカテリーナでは威厳たっぷり。白鷗のポチョムキンとのアイコンタクトの芝居も存分に見せた。幸四郎の光太夫は、皆で日本に帰るという熱意が空回りしているよう。洋装時の髪型を漫画に寄せていたのか、左から上の髪が盛り上がっている不思議な頭だった。

6月21日 歌舞伎鑑賞教室

解説は虎之助。照明が落ちて、何やらノリのいい音楽が流れたと思ったら、客席からは手拍子とヤンヤの歓声。高校生らしき団体客が多く、若い子が好きな音楽なのかと思ったら、ファレルの「フリーダム」という曲らしい。
舞台上では回り舞台がグルグル回り、大小のセリが上がったり下がったり。道具が何もない舞台で舞台機構をしっかり見られたのが興味深い。
虎之助はTシャツ姿の軽装で登場し、いったん袖に下がってからすっぽんから登場。幽霊の音楽で長髪に白着物姿から、引き抜きで紋付袴に。花道脇の客は立ち上がるほど驚いていたのが初々しい。作品紹介をいてうに譲り、自身は客席に降りて着席。「キャー」という歓声で、近くの女生徒からも「イケメン」と好評だった。
通りかかった姫と女中を交えて、女方の身振りを実演・体験させたり、悪者が出てきて立ち回りしたり、作者の平賀源内が出てきたりと、若い感性に訴える工夫が随所に仕掛けられていた。体験した2人の生徒は、舟に乗って花道から退場するというおまけも。

「心霊矢口渡」
壱太郎のお舟の可憐なこと。一目惚れして、連れの女にヤキモキするところなど、可愛らしさ満載。人形振りも面白かった。黒衣の後見が現れて口上ののち、人形振りに。足踏み専門の黒衣が高下駄履いて下手にいて、人形遣い役の黒衣が2人。黒衣の紐が赤いリボンみたいになっていたのが可愛いかった。
鴈治郎の頓平衛は悪人なのだが、どこか憎めない愛嬌がある。
虎之助と吉太郎のカップルは初々しい。ちょっと貫禄がない気もしたが、実年齢はそのくらいかと納得したり。


6月20日 花形新派公演「夜の蝶」

河合雪之丞と篠井英介の女形対決に期待したのだが、少し物足りなかった。銀座ナンバーワン店のマダム、葉子役の雪之丞は貫禄たっぷりでいいのだが、お菊役の篠井が京都の芸妓というのに違和感。京都弁のせいなのか、着物姿が決まらなかったのか。いけずな感じが足りないのかも。
喜多村緑郎る白沢は通産省の政務官だそう。とても格好いいのだが、政治家らしくはないような。
お菊が世話するインターン役の桂侑輔、頼りなさそうなところも含めてはまり役かも。出てきたところで、ズボンのベルトの端がジャケットの外にはみ出していて、それを誰も直さないので気になって気になって。篠井や雪之丞も着物の裾が捲れてて気になる場面があった。
おきくの女中役、河合宥季。洋装のシーンで見せた脚が細くてきれいで驚いた。

6月20日 七月大歌舞伎 昼の部

「二人三番叟」
東蔵の翁、松江の千歳、幸四郎と松也の三番叟。
翁は面をかけないので、千歳の持ってきた箱が意味不明。
三番叟は騒々しい。所作板の不具合か、バンバンとうるさく、鳴り物もやかましい。現代舞踊のような派手派手しい振り付け…と思ったら、藤間勘十郎だった。2人とも寝起きのような無表情というか、目に生気がない感じで、しかもガチャガチャと動くので、うんざりした。

「女車引」
魁春の千代、雀右衛門の春、児太郎の八重。義理の姉妹というよりは、三世代のような…。児太郎の舞がたおやかで美しかった。

「石切梶原」
吉右衛門は花道の出では首が前傾し、座った姿は右に傾いていた。役作りか歳のせいか?
進之介!?と思ったら種之介だった。歌昇の赤っ面が別人のようだった。

「封印切」
仁左衛門の忠兵衛に愛之助の八右衛門。松島屋による松島屋型と期待したのだが、愛之助が力足らず。仁左衛門の忠兵衛に位負けしてた。仁左衛門の八右衛門で観たかった。というか、逆の配役でもいいのでは。仁左衛門も八右衛門の方が好きらしいし。
秀太郎のおえんは出るだけで上方の風情が漂う。声が通らず、息がしんどそうだったのが気がかり。


6月17日 文楽鑑賞教室D

「五条橋」
芳穂の牛若丸、咲寿の弁慶、ツレは碩。三味線は勝平、寛太郎、錦吾、燕二郎。三味線に安定感があり、ストレスが少ない。芳穂はともかく、咲寿は大きさを出そうとしてか無理な発声で聞き苦しく、迷走している感じが辛い。
人形は玉誉の牛若、簑太郎の弁慶。

解説は希、友之助、玉翔。あらすじ説明で、小太郎を身代わりに討ってしまうこととか、ネタバレし過ぎでは?友之助の三味線の弾き分けは、本人も言っていたようにキャラが定まっていない。観客との世代ギャップが広がってきたのか。

「寺入り」は亘・清志郎。溌剌とした語り。声がかすれ気味なのが気がかり。

「寺子屋」の前は睦・宗介。4組の配役の中で一番の若手だが、落ち着いた語りぶり。ここのところ格段に良くなっていて、芳穂や靖の兄弟子の面目躍如だ。宗介の三味線も手堅い。

後は小住・燕三。決意みなぎる表情で、力のこもった語り。聞きものとしてはいいが、胸を揺さぶるというには何か足りない。それが情なのか。子どもを亡くした親の悲哀なんて30そこそこの若者には難しかろう。

人形はは簑紫郎の戸浪がしっとり。勘弥の千代は年上らしい落ち着きがある。文昇の源蔵。玉助の松王は力いっぱい。

2019年6月16日日曜日

0615 イキウメ「獣の柱」

ミステリアスな展開に引き込まれた。
見るものに快楽を与え虜にしてしまう巨大な柱が都市部に降臨する。見たものは恍惚のうちに死に至り、幸福な安楽死の一面も。宇宙人の侵略か、神の審判か、地球の意志か。人口密集地に柱が落ちると分かってなお、不安から人の集まるところへ集まってしまう人の性。地球温暖化や環境汚染への警鐘にも見える。
宇宙人?島忠(薬丸翔)の手下として動く佐久間(市川しんぺー)、堀田(松岡依都美)が、柱が出現してからも狡猾に動き回る嫌らしさ。超人的な役の多かった浜田信也ははじめ宇宙人に翻弄されるがたかと思いきや、やはり選ばれた側に移った。
現代社会に問題提起する示唆に富む脚本。柱の出現は地球の意志ではないかという指摘に唸った。
終演近くなっても、望の身になにが起こったのか、50年後の世界がどうなっているのかなど謎が多く残る。エンディングは納得できるものだったが、謎が残されたところにはモヤモヤした。

0614 南河内万歳一座「~21世紀様行~唇に聴いてみる」

劇団の代表作だけあって見ごたえあり。火事を目撃した青年役に鈴村貴彦。清々しい雰囲気、周囲に翻弄され、戸惑う様子が良く似合う。主人公の初恋?の相手、あの子役の坂口美紅が清廉な存在感で印象的。内藤裕敬が喪服の若奥様。内藤の女装は出ただけで面白い。70年代が舞台だが、十分現代性のあるテーマ。 突如始まる運動会では客席を巻き込んでの玉入れ。リレーのスペクタクル。ラストの大量の空き缶は度肝を抜かれたが、ちょっとずるい気もする・

2019年6月15日土曜日

6月14日 文楽鑑賞教室C

「五条橋」
床は希、碩、小住に清丈、友之助、清公、清允。希はニンにあっているためか、寺子屋やりよっぽどいい。碩は弁慶にしては声が若いが、力強さを感じる。総じてバランスのいい組み合わせ。
人形は玉翔が大柄な体を活かして力強く、紋吉の義経も悪くない。

「寺入り」
咲寿・清馗。三味線が変わったせいか、不安定さが増した。戸浪、千代の語り分けはまずまずだが、節の音程がフラフラしてた。

「寺子屋」
前は織・藤蔵。前段とガラリと世界観が変わったのは立派。極太の筆で描いたような、華々しいというか、大仰というか、派手な寺子屋だった。源蔵から計画を明かされた戸浪の嘆きぶり。「せまじきものは…」なんかは堂々と歌い上げた感じ。

後は靖・錦糸。泣けた。松王丸の泣き笑いが良く、千代の嘆きも派手さはないけど、心に沁みた。

人形は一輔の千代がしっとりと情がにじむ。
和馬のよだれくりは大人しめ。ふざけ過ぎも良くないが、ちょっと物足りなくもある。


0612 万作萬斎狂言会

素囃子に続いて
「法師ヶ母」
万作のシテ。後場で物狂いもの風の舞狂言になるのだが、万作の謡が聞きづらく、意識が途切れてしまう…。

万作の芸話は祖父と父に習ったことの自慢など。

「釣針」
萬斎の太郎冠者。ツボは押さえているが、笑いを取りに行くというよりはかっちりした印象。萬斎が大きく飛んだのに音もなく着地したので、身体能力の高さを再認識。主人の妻の顔は太郎が覗いただけ(萬斎は微妙な表情)で、主人と妻、女中らが退場した後で、太郎が妻と対面。舌出しのおかめに逃げ惑って幕。

6月10日 社会人のための文楽鑑賞教室B

解説はアナウンサーで、極めてオーソドックス。上手くまとまっているのだが、もう少し遊びがほしい気もする。希・友之助、玉翔、玉誉で裏門の段の一部を実演。おかるのセリフを、老女、武者で語り分けたり、駆けてくる三味線を姫、武者で弾き分けたり。

「菅原伝授手習鑑」
寺入りは亘・清丈。言葉が明瞭で聞きやすいが、高音が掠れる。
寺子屋の前は呂勢・富助。珍しい組み合わせ。富助の三味線は的確で、音に隙やブレがない感じ。呂勢も出だしからよく、語りの明瞭さ、人物の語り分けがくっきりして、床を見ないでも聞いていられる。正しい寺子屋を聞いた。
後は芳穂・勝平。松王の大きさがあり、聞き応えあり。
人形はオクリのところで子供たちがふざけ合う。少しはいいけど、やり過ぎると物語を阻害すると思う。

6月10日 文楽鑑賞教室A

「五条橋」
南都の牛若丸に小住の弁慶、亘のツレ。三味線は清志郎、友之助、錦吾、燕次郎。
人形は牛若が清五郎、弁慶が勘市。勘市は珍しい大振りの人形を持て余したのか、体幹が左に傾いて見える。後ろを向いた時、足遣いの姿が丸々目に入る。これは正解?

解説は靖が「五条橋では一人一役の掛け合いだだった…」と説明していたのがよかった。いつも、「太夫は一人で様々な人物を語り分ける」といか言わないので、直前に掛け合いを見せられていた観客は戸惑うだろうと思っていたのだ。実演で、牛若と弁慶のセリフを入れ替えていたのも、違いがわかりやすくてよいと思う。
寛太郎、玉誉はいつも通り。

「菅原伝授手習鑑」
寺入りは咲寿・団吾。落ち着いて語っていたのはいいが、いまいち覇気が足りないというか、眠たそう?出だしのフシの音程が不安定に聞こえた。

寺子屋の段は前が藤・清友。のびのび語っているのだが、ちょっと軽い。他人事みたいに聞こえる。玄蕃でくちびるをブルブルさせ、松王の咳払いはえづいてるみたい。清友はめずらしく、音が外れていたような。
後は希・清介。女の声が総じて高く、千代や戸波が娘のよう。清介はじれったいのか、語りが口をついていた。

0609 金剛永謹の会

「樋の酒」
野村萬斎の太郎冠者、太一郎の次郎冠者、裕基の主人。太郎と次郎の裃が兎と亀の柄でかわいい。茂山千五郎家を見慣れていると、和泉流はかっちりして見える。

「薄」
上演記録のない、幻の能の復曲で事実上の初演。ますほの薄の謂れは耳で聞いても分かりづらいが、事前の解説があったので理解できた。
作り物を運び入れる時、中に誰か入っている風だったが、シテは橋掛りから登場。ワキの僧に弔いを頼んでから作り物に入り、装束を替えていた。その間、間狂言の萬斎が、登蓮法師の逸話やますほの薄の謂れを語る。のちシテは地謡や囃子に乗って舞う。永謹の声はソフトで聞きやすく、言葉が良くわかった。上演時間は予定では1時間強だったが、1時間半近くはあった。
雪の小面は清楚というか、無垢な感じ。薄の精という草木には合っている。

0608 パルコプロデュース「ハムレット」

英国人演出家は舞台装置や衣装が北欧風のファンシーさというか、かわいい感じ。荘厳さがなく、王家らしく見えないのが難か。
岡田将生のハムレットは、熱演だし、悪くはないのだろうが、悲壮感が少なく見えたのは、道化風の化粧やパンク風の衣装が軽く見えるのだろう。
松雪泰子のガードルートが流石の存在感。快楽に流された女というよりは、理知的な母らしい。
黒木華のオフィーリアは、狂気の演技に引き込まれた。楽しげにも聞こえる歌が哀れ。
山崎は道化役には軽く、現代風なのかも。
ラストは、ハムレットの独白が冗長に感じた。ボローニアスより先に毒剣に刺されたはずのハムレットがいつまでも雄弁で、叔父王を押さえつけたりするほど元気なのが解せない。

0608 大阪観世会

「羽衣」
彩色之伝の小書付き。天女は長山礼三郎。袖を振りかぶって頭の上に掛けるのが上手くいかないようで、ただ手を挙げているような形になっていた。
ワキは福王和幸。

「千鳥」
善竹隆平の太郎冠者、弥五郎の酒屋、上西良介の主人。隆平はともかく、あとの2人は良く言えば朴訥。少し間が悪い感じがした。太郎冠者と酒屋のやり取りがあまり笑えなかった。

「正尊」
起請文、翔入之小書。
観世清和の正尊、福王茂十郎の弁慶。
全員が直面で、前場はセリフのやり取りが多く、芝居らしい。静役の子方、長山芽生がぷくぷくで五月人形のよう。舞もなんだかほのぼの見えた。
後場は弁慶と義経以下ワキツレ4人に、正尊率いる姉和と立衆9人という大人数での立ち回り。迫力があってワクワクした。

0607 匿名劇壇「大暴力」

ショートショートやもっと短い場面を連ねた作品。全体で1時間半ほどだったか。
暴力がテーマで、様々な形で身体的、精神的暴力が現れる。殺人事件の現場や災害の様子を動画で見る男に、それは良くないと諭す彼女が「だったら別れる」と言うと、「それは言葉の暴力では?」。ゴミ処理場や火葬場など、近所にあったらイヤだけど、そのものがなかったら困るから、うちの街に建ててもいいよ、という歌がなんか良かった。
劇団の稽古風景という設定で、舞台の上で行われているのがその芝居の稽古だったり、劇団員同士の諍いだったりたいう二重構造が、本物の劇団員の姿とオーバーラップする。
暴力がテーマだから仕方ないのだが、暴力の描写は芝居と分かっていても気分はよくない。

0607 宝塚雪組「壬生義士伝」

腕は立つが貧乏で、家族を養う金を得るために人を斬る。物語としての深みはあるけど、キラキラしたところの一切ない主人公って宝塚的にどうなの?楽曲は全体的に昭和っぽい古さ。場面転換の音とか。
望海風斗は誠実感があり、和装での立ち居振る舞いや立ち回りも綺麗。「おもさげながんす」のセリフが耳に残る。戦場で銃弾に倒れる場面では涙を流す人が沢山いた(演出の石田昌也もだ!)ようだが、私は泣けなかった。なぜ、無謀な戦いに赴いたのか。それでいながら、死の直前に京にいる故郷の幼馴染を訪ねたのはなぜか。過程をもっと丁寧に描いてほしかった。
妻が口減らしのためにお腹の子共々川に身を投げるとか、おしんか。
鹿鳴館の準備をする人たちが回想するという構成もどうか。ダンスの外国人講師役(舞咲りん)が鼻に付く演技。

ショーの「ミュージックレボリューション」は、芝居が地味だった分期待したが、うーん。
オープニングのロック調?黒とシルバーの衣装とか、ゴスペル風?のダボっとした白いチュニックとか、どれも垢抜けない。OSKを連想した。全体的にテンポが早く、踊りの密度は高いが、いっぱいいっぱいで、雑になっているところもあった。

0606 Kバレエカンパニー「シンデレラ」

絵本の世界そのままという表現に納得。ダリの絵のように歪んだフレームの中で、カリカチュアされた姉や継母たち。中村祥子のシンデレラは華奢で虐められるのが可愛そう。引き倒されて投げ出された脚の美しいこと。
妖精たちはバラはともかく、ろうそくや蜂、ティーカップは分かりにくい。多額の費用をかけたという馬車はなるほど豪華でスムースに動くが、舞台の上を2周半くらい引き廻すのはやり過ぎでは。お城に着いたシンデレラが金色に輝くマントを引きずって門へ向かう1幕ラストが絵的だ。
2幕で登場した王子、宮尾俊太郎はなんだかもっさりして見えた。首が詰まったようだったせいか、ドラマやバラエティでのヘタレキャラのイメージがついてしまったのか、王子オーラが足りない気がした。
12時の鐘がなるところでは、コールドに囲まれたシンデレラが一瞬でみすぼらしい格好に変わる早替りもあり、しかけも随所に工夫している。
踊りのレベルは高く、主役のパドドゥの振りは洒落ていたし、コールドもよく揃っていた。がイマイチ感動できないのは、お伽話に浸れなかったからかも。
ラストで再び王子とシンデレラを乗せた馬車が到着し、2人が手を取り合って城へ向かう。

2019年6月5日水曜日

0605 玉造小劇場配給芝居vol.25「大阪芝居 タクシー編」

タクシー会社で働く人々にまつわるオムニバス。ストリートミュージシャンになりたい男(小池裕之)とその恋人(松井千尋)を乗せた運転手(うえだひろし)、親の反対を押し切って小説家志望の男と結婚した娘に孫が生まれたと聞くも素直に喜べない男(や乃えいじ)が、ひ孫の誕生祝に駆け付ける老夫婦(わかぎえふ、上田泰三)を乗せる、結婚式の媒酌人をまかされ緊張する夫婦にもっと気楽にとレクチャーする男日系メキシコ人の男女の祖母の生まれた土地探しにつきあう、今日定年を迎える男、タクシー会社の若社長は女子社員にプロポーズしようとするが…。尾崎豊や長渕剛、浜田省吾風の歌や、甲斐バンドの「HERO」など、70~80年代の歌謡曲もいい選曲で、全体としてまとまりがよく面白い。

6月4日 新作歌舞伎「NARUTO」

南座バージョンのNARUTOとのことだが、大筋は変わらず、というか、前作をよく覚えていないので違いがよく分からなかった。
巳之助のうずまきナルト、隼人のうちはサスケはそれぞれよりキャラが板についた風。嘉島典俊のカカシもよりアニメキャラっぽい。
細かなところは覚えていなかったものの、2回目の観劇であまりワクワクしなかったのは、ジャンプらしいキャラ設定、ギャグ、ストーリー展開の単調さ(既視感)とともに、セットが2次元に頼りすぎていたせいではないか。ワンピース歌舞伎と比べるのは酷かもしれないが、スクリーンに描いた絵やプロジェクションマッピングが多く、三次元の作りこんだセットがあまりなかった。あとやはり、物語を詰め込みすぎかも。原作やアニメのファンなら、知っている話だろうが、原作をよく知らないとちょっと慌ただしく感じた。梅玉のうちはマダラは大物感があり、立ち回りも多くて見ごたえあり。
南座ではこれまで見たことないくらい、外国人客が多く、会話を耳にしたところフランス語圏みたい。楽しんでいたようで、休憩のたびに興奮した様子で話していたし、グッズも買い込んでいた様子。最後の本水では歓声が上がり、前のめりで観ていた。

2019年6月3日月曜日

0602 ピッコロ劇団「銭げば!」

空晴の岡部尚子脚本・演出。岡部らしい笑いのテイストがちりばめられ、いつものピッコロと違うおかしみ。 ミュージカル風の歌と踊りからスタート。全般に歌も踊りもクオリティが高いが、主役のアルパゴン役の孫高広の踊りがぎこちなく(多分役作りではななさそう)いい味出してる。
野外劇場のように柱と階段に囲まれた円形の舞台、出番でない役者は衣装を脱いで怪談から舞台を見下ろす。アルパゴン、エリーズ(木之下由香)、マリア―ヌ(金田萌果)のほかは、2~3人が1役で、それぞれの役者が複数の役を演じる。衣装を着けることで役柄を表現するのだが、思っていた以上に混乱なくすんなり受け入れられる。
子供たちの結婚を許し、虎の子の金貨を取り戻しての大団円だが、岡部演出のアルパゴンは嬉しさより戸惑っているように見えた。

0601 京都薪能

「平安」 43年ぶりの上演。「大典」よりも詞章が柔らかく、舞台である平安神宮で作品世界と現実が一体化して見える。「別きて新しき今の世に」を「令和の世に」と変えて、令和初を寿ぐ。シテに井上裕久、ツレの天女を4人に増やし、舞台上と橋掛かりに配置して花を添える。うち2人は女性らしく、小柄で女童のようにも見えた。 「草紙洗小町」 田茂井廣道のシテに有松遼一のワキ。ツレ5人に子方の帝と舞台上に大勢が並び、賑やか。が、ワキの大伴黒主が改竄した書物でシテの小町を陥れようとする話って…。祝言色のある演目というのが不思議。 「福部の神」 踊り念仏の場面が入る「勤入」の小書き付き。鉢叩きに茂山千五郎以下8人が並び、賑やか。シテの紅梅殿は終盤に登場。 「石橋」 金剛流は激しく動くというのだが、紅白に桃色の牡丹の作り物の陰で見えないことが多く、ちょっと期待外れ。シテは今井清隆。