2018年1月28日日曜日

0127 うんなま「search and destroy」

共有がテーマだぞうだが、そのところはよく分からず。引きこもり?ネット空間に暮らす男に様々な人が交錯する。壁にキーワードらしきものが貼ってあって、場面に応じて登場人物に張り付ける。レッテル貼りのイメージなのだろうか。現代のネット社会を描写するセリフにはへえと思うところ散見されるが、全体として何が言いたかったのだろうか。客席に役者を仕込んで、舞台と行き来させる演出。お膳立てされたハプニングにイラっとした。

0126 万作萬斎新春狂言2018

謡初の連吟「雪山」の後、小舞「風車」を野村裕基、小舞「海道下り」を野村太一郎。風車は扇をもってくるくる回る躍動的な舞だった。 「二人大名」は野村万作の通りすがりの男に中村修一、内藤連の大名。きっちり楷書な感じだった。 「頼政」は萬斎の頼政。鷹を飛ばす仕掛けに工夫したというのだが、飛び立ったように見えず、客席から失笑が。上手いことできなかったのだろうか。

1月25日 匣の階「パノラマビールの夜」

あらすじで描かれる2つの町の話は箱人形劇の男が物語る物語だった。寒空の下、山の上の屋上ビアガーデンにやってきた人形劇を生業とする旅の男とビアガーデンの店員、今夜消えるという星の観察に来た天体観測サークルの面々が集まり、詩的というより観念的な言葉をやり取りする。はまる人ははまるのかもしれないが、もったいぶって本質を飾っているようにも感じるセリフのやり取りにモヤモヤした。ビアガーデンで夜を明かした登場人物が一人ひとり舞台から去る。終わりがはっきりしない演出だったのは、どういう狙いだったのだろう。

2018年1月24日水曜日

0123 前進座新春特別公演

「初姿先斗賑」
江戸の花街で遊んでいた若旦那が、京の舞妓を見に行こうと太鼓持を連れての道中を踊りでつづる。衝立に富士山や東海道の景色を描いた簡素なセットが、晴の会みたい。國太郎の若旦那は頼りない坊々ぶり。矢之輔の太鼓持は安定感のある面白さ。最後にぼの舞妓が踊って華を添える。

「棒しばり」
忠村臣弥の次郎冠者に玉浦有之祐の太郎冠者は若々しい、フレッシュな感じ。きょうげんふうの台詞回しがちょっと急ぎ気味で、もう少したっぷりした大らかさがほしい。酩酊していくにつれ所作が乱れてくるところで、脚で盃を傾けるのがいただけない。狂言や大歌舞伎では気にならなかったので、振りが違うのか。最後、主人を蹴るようにして2日がグルグルまわりながらの幕切れ。

「唐茄子屋」
國太郎の頼りない若旦那役はハマってだが、こちらも矢之輔のおじさんが上手かった。おばさん役も、つい甥っ子を甘やかしてしまうお節介ぶりが微笑ましく、夫婦漫才のような息の合った掛け合いが笑いを誘う。

0122 ミュージカル「マタ・ハリ」

ワイルドホーン作曲とのことで期待したが、印象に残る感動的な歌はなかった。どこかで聞いたようなメロディは散見(散聞?)されたが。脚本が良くないのか、国旗柄のカーテンを多用する舞台美術が安っぽいせいか、盛り上がりが足りない気がした。
柚希礼音のマタ・ハリは衣装が美しく、腰のくびれなんかはあるのだか、いまいち色っぽくない。多分、ヒップラインが細すぎるせい。脚も高くあがり、エキゾチックな振りも難無くこなしてる風で、踊り子役は悪くなさそうなのに。歌も女性らしい高音までよく出ていたが、発声や表情が子供っぽいというか、可愛らしい感じだったのもらしくないと思った。見た目とのギャップによる色気を狙ったのだとしたら、逆効果だった。
ラドゥー大佐の加藤和樹が雰囲気がある、任務と欲望の間で葛藤する男を好演。マタを手に入れようとするシーンはこの舞台で唯一ドキドキしたところ。加藤がラドゥーとアルマンの二役をする意味が不明だが、このキャストで見る限り、役の重要度はラドゥー>アルマンと思った。
マタの恋人アルマン(東啓介)は、ひょろりと背が高く、ちょっとバカっぽいのが、年下の恋人風。母性本能をくすぐられて恋するというのもアリだと思うが、そうではないらしい。裁判に乗り込んでくるとか、ありえない展開に呆然とした。

1月21日 劇団☆新感線「髑髏城の七人 Season 月」

上弦の月を観劇。回転する客席や映像を駆使した演出のため、遊園地のアトラクションのような、映画館にいるような、不思議な感じ。舞台転換がスムースなので、3時間50分という長丁場でもストレスは少なかった(でも長いけど)。
福士蒼汰の捨之介は頭が小さすぎて和装が似合わず(カツラのバランスが悪いだけ?)、立ち回りでの裾さばきの雑さに興を削がれた。発声も舞台向きではないので聞き苦しい。蘭兵衛の三浦翔平は色男らしい立ち姿。ダークサイドに落ちてからの風情もいい。立ち回りは福士と大差なしだが。さすがだったのは早乙女太一で、体幹がしっかりしているので立ち回りでの美しさが際立つ。マントの捌き方もうまいし。キャストを確認せずに観たため、登場シーンのあまりに安っぽい敵役ぶりに始めは誰だかわからなかった。
狸穴二郎衛門の渡辺いっけいは病み上がりだったそうだが、出てくると舞台が締まる。

1月20日 寿初春大歌舞伎 夜の部

「双蝶々曲輪日記」
芝翫の濡髪に愛之助が放駒と与五郎の二役。取り立てて悪いところはないのだが、あれっ、こんな話だったっけという感じ。

「口上」は舞台の端から端までずらりと並んで、高麗屋の力を見せつける。藤十郎が「三代目松本幸四郎…」と言って続かなくなりあれっと思ったが、ほかはやや早口でつつがなく進んだ。

「勧進帳」は新幸四郎の弁慶に吉右衛門の富樫、新染五郎の義経。幸四郎は力の入った熱演だが、声が辛そう。山伏問答は丁寧だが、呪文みたいに聞こえるところも。舞いながら義経らへ「先へ行け」と手振りをするところで笑いが起きるのはいかがなものか。若い観客が多かったせいか、笑いがちな客席ではあったが。飛び六方はちょっと失速した感じ?もっと勢いがほしかった。
吉右衛門の富樫は弁慶への共感が感じられ、説得力がある。太刀持ちの子役がずいぶん小柄で驚いたが、頑張ってた。
染五郎は品がある姿はいいが、鼻にかかったような発生が気になった。
四天王が鴈治郎、芝翫、愛之助、歌六という豪華さ。

「相生獅子」は扇雀と孝太郎。遠目だったせいか孝太郎が綺麗だった。

「三人形」は雀右衛門の傾城、鴈治郎の若衆、又五郎の奴。

1月20日 寿初春大歌舞伎 昼の部

高麗屋三代の襲名はこれでもかという賑々しさ。
「箱根霊験誓仇討」
猿之助の代役で勘九郎が勝五郎、勘九郎に代わって愛之助が奴筆助と敵役の滝口上野。元の役よりもニンに合っているのではなかろうか。初花の七之助も凛とした武士の妻ぶり。
夫のために仇の言うなりになって命を落とす妻とか、妻の献身で病が治るとか、ありがちな話ではあるが、妻の霊?が滝のなかから見守ると言うラストが新作っぽいと思ったら、19世紀の作だとか。
勝五郎の脚が治る場面で、胡座のような姿勢からぽーんと飛び上がるのはどうやっているのか。凄い身体能力だ。

「七福神」
幹部俳優の勢ぞろいで賑やか。なにより、鴈治郎の大黒天がニコニコしてるのが可愛くて、福々しかった。

襲名披露狂言は「菅原伝授手習鑑」。「車引」は新幸四郎の松王丸に力がこもる。梅王の勘九郎、桜丸の七之助との並びもいい。勘九郎は教科書らしい丁寧な演技。七之助は化粧がシャープすぎるせいかロックバンドみたいに見えた。

「寺子屋」は猿之助の涎くりは楽しみだったのだが、期待したほどではなかった。源蔵の許しをえて遊びに行くところで子役たちを世話してあげるなど、賢さや分別が見え隠れして、無邪気なアホには見えなかったせいか。怪我をした左腕はまだ十分に動かせないらしく、力が入っていない様子だった。

新白鸚の松王丸はさすがの大きさがある。首実検では小太郎の首に向かって「でかした」と言ってから「…源蔵」と付け足す様子がはっきり。源蔵の梅玉は派手さはなく落ち着いた様子。戸波の雀右衛門に情があった。魁春の千代は白鸚といい釣り合い。園生の前は藤十郎で、出てくるだけで舞台が大きくなるよう。

0119 ゴツプロ「三の糸」

津軽三味線の代々にまつわる物語。もともと三味線の心得のある人たちかと思ったら、このために1年かけて稽古したそうで、そう思えば最後の演奏はなかなかのもの。単純なリフのようなものを重ねる、作曲の良さもあるのだろうが。

40歳代を中心とする、おっさんばかりのメンバーという制約のなかで芝居をつくるにあたって、世襲の伝統芸能というのはいい題材。まあ、血縁なのにちっとも似てないという点は置いといて。捨て子の兄弟が三味線に出会って生きる糧を得、代を重ねるに連れて流派となり、メディアにももてはやされる。才能のあるなし、長男と次男の確執など、今もどこかでありそうな。「三味線は芸術じゃない。生き方だ」というセリフに複雑な気持ちを抱えながら観た。

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2018年1月17日水曜日

0117 Plant M「blue film」

震災後久しぶりに故郷の町を訪れ、使われなくなった廃線のある公園に迷い込んだかがり(出口弥生)に駅長が事故で電車が遅れていると告げる。幼馴染の少年団の子どもたちや、駅を訪れた喪服姿の兄弟と姉など、いろいろな人が入れ代わり立ち代わり。現実と空想の世界が交錯する。出口のモノローグから始まったのだが、語頭が弱い発音のせいか不安な気持ちになるのは意図しているのか、癖なのか。ヤヨイ役の大浦千佳が子どもたちのリーダー役を溌剌と演じる。最後、遅れていた電車がやってくるのは、震災で止まっていた時間が動き出すという意味か。深津作品では震災で時間が止まってしまった人たちが良く描かれる。舞台後方の搬入口が開いて、外が見える演出。何も知らない歩行者や自転車が通りすぎるのが不思議な感覚だった。たった1日きりの上演とは贅沢だ。

2018年1月16日火曜日

0115 坂東玉三郎 初春特別舞踊公演

お年賀の口上。玉三郎は今日がお年賀最終日だからと長めに話してくれたようで、小道具や衣装もいいものが手に入れにくくなっており、伝統芸能を支える人たちも含めていかに次代に続けてくのが難しいと。壱太郎は稽古中から玉三郎の教えを受け、様々学んでいる様子。 「元禄花見踊」は玉三郎と壱太郎が姉妹のよう。上方歌舞伎の役者たちも加わって華やか。 「秋の色種」は2人踊り。曲が良すぎて踊りにくいので琴を演奏することにしたそうな。 「鷺娘」は壱太郎。憧れの演目だそうで、懸命さが伝わる踊り。ちょっと動きが硬いのと、引き抜きのときの準備に余裕がなさそうなのが垣間見えたが、こういうことは数を重ねていくしかないのだろう。 「傾城」は玉三郎がただただ美しかった。舞台後方が開いて雪が舞うラストが幻想的。

2018年1月14日日曜日

0113 劇団態変「翠晶の城」

さ迷える愛「序」というタイトルがついた新シリーズ。2人ずつ対になっての動きは舞踊的で、絵面のようにバランスの取れた場面も多く、前作よりも芸術性は高いように思った。「とにかく転がりたかった」と主宰の金満里がアフタートークで言っていたが、むしろ2人だけの立って歩ける演者たちが素早く舞台を横切ったり、客席下りしたりという転がらない動きが印象的だった。金持ち、貧乏、ニートを通して経済を描いたというのはピンとこなかったが。

0113 ガバメンツ「ハイヤーズハイ」

ちょっと設定に無理があるが、気にしないで笑ってくれということか。死んだ俳優の代表作となる脚本を作ろうという導入にまず戸惑う。脚本は行き当たりばったりの展開で、それはそれで面白いのだが、「代表作」と思うと腑に落ちない。落ち目の脚本家役の近藤貴久の声がいい。

2018年1月12日金曜日

0111 かがみのかなたはたなかのなかに

鏡にうつった「たなか」(首藤康之)の影が「かなた」(近藤良平)。「たなか」は鏡の向こうの「けいこ」(松たかこ)に恋をするが、鏡のこちら側にいるのはワンピースを着た長身の男「こいけ」(長塚圭史)。「もしもし」「しもしも」みたいな、逆さ言葉や言葉あそびがちりばめられ、絵本を読むような不思議な感覚。首藤と近藤が鏡合わせのようにシンメトリーで踊るような動き。不思議と近藤のほうが、端正な動きに見えたり。自信がなく消極的な「けいこ」が「たなか」と「かなた」に取り合われて変わっていく様が嫌な女だ。ワンピースからのぞく長塚の足首が意外に細くて驚いた。 開演前のロビーでちょっとしたパフォーマンスがあったり、客席係の案内もしゃれていたりと、楽しませる演出があった。

2018年1月11日木曜日

0110 越路吹雪に捧ぐ〜トリビュートコンサート

出演は鳳蘭・安寿ミラ・真琴つばさ・姿月あさと・湖月わたる・春野寿美礼・水夏希・凰稀かなめ・咲妃みゆ・鳳翔大・伶美うらら・中原由貴・水沙るる。 やはりというか、鳳が歌う「ろくでなし」「愛の賛歌」が別格。最後に話した越路と岩谷時子のエピソードも、当時を知る人のリアリティがあって面白かった。 必ずしも歌の上手い人を集めたのではなさそうな人選が不思議。なぜか真琴だけ、芝居仕立ての歌だったのだが、1つ目は越路を意識しすぎて空回りしてる感じだったが、2つ目のはよかった。春野の歌のうまさが際立った。

0110 宝塚宙組「不滅の棘」

愛月ひかるが不死の男、エリイ/エロールを演じる。冒頭の1600年代と、後の1900年代で性格がガラリと変わっていて、同一人物には見えなかった。全体的に脚本が粗く、ギャグかと思うほど。フリーダとの愛の描写がほとんどないので、後でその子孫の娘とのやり取りが腑に落ちない。最後の、エリイが消える場面の演出はキレがあったけれど。ヒロイン、フリーダ役の遥羽ららは可愛いし、高音もよく出ているが、歌い方が荒っぽいのが惜しい。純矢ちとせの芸達者ぶりに感心した。

0109 宝塚花組「ポーの一族」

あの「ポーの一族」をどうやって舞台化するのか。原作のファンではなくとも期待よりも懸念が上回っていたが、観ての感想は、原作の世界観を壊してはいないということ。エドガー役の明日海りおは、さすがに14歳の少年には見えないが、年齢不詳な少年らしさを描出。ビジュアルの美しさは比類なく、普段よりもやや高めのキーで話すのが役にあっていた。アラン役は柚香光。どちらかというと気の強いイメージの人だが、アランの気の強さと繊細さ、はかなさが出ていて大健闘。思えば、エドガーは外見は少年だけど中身は100歳を超えているので大人が演じる利点があるが、アランは本物の少年なわけで、より難しかったのでは。変にBLぽくなかったのも、私としては評価したい。 残念なのは「僕はバンパネラ」とかいうさえない歌とか、古臭い曲調とか。物語の背景説明のため情報量を盛り込んでいるので、肝心のエドガーとアランが共感しあうところの描写が足りない気がした。メリーベルがバンパネラになるくだりのユーシスの自殺とか駆け足すぎて、原作を知らない観客にはさっぱりだったのではないか。 シーラ役の仙名彩世は男爵への愛にあふれる素敵な女性。きれいな高音で歌もよかったが、主人公とのからみは薄いので盛り上がりに欠ける。

2018年1月8日月曜日

1月8日 初春文楽公演 第二部

「良弁杉由来」 通してみて、思っていたほど感動しなかったのは、ストーリーが単純すぎるせいか。歌舞伎で「二月堂の段」だけを観たほうがよかったのは、藤十郎・鴈治郎の親子共演の効果だけではないと思う。人形の動きがあまりないので、素浄瑠璃のほうが感動できる気がする。 志賀の里の段は三輪、小住、亘、碩に団七、友之助、錦吾。 光丸がさらわれる物語の発端なのだが、ドラマが感じられないのはなぜなのか。碩が要所要所で短いけど重要なセリフを任されているのが頼もしい。 桜の宮物狂いの段は津駒、始、芳穂、咲寿に藤蔵、清志郎、寛太郎、清公、清允。 津駒の声が景事とあってないのか、藤蔵の三味線と合っていないのか。重厚な三味線が聞かせどころか。 東大寺の段は靖・錦糸。安定感が増してきたものの、説明的な場面なので、聞かせるという雰囲気ではない。 二月堂の段は千歳・富助。期待値が高すぎたせいか、あまり感動できなかったのが残念。通しで見ているので分かり切った物語を繰り返されるのがくどく感じた。 「傾城恋飛脚 新口村の段」 口の希・団子は御簾内で。希は美声だが、忠三女房にしては上品すぎる感じ。 前は呂勢・寛治。初めての組み合わせだそうだが、予想以上によかった。音が華やかで広がりがあるというか。呂勢はのびのび語っている感じで、窓から覗き見ながら境遇を嘆き合う梅川・忠兵衛が涙を誘う。寛治の三味線もいつもよりしっかりした音色を響かせる。 後は文字久・宗助。文字久の梅川が予想以上によかったものの、前が良かっただけに、あのまま聞きたかった。

0106 欲望という名の電車

大竹しのぶのブランチに北沢一輝のスタンレー、鈴木杏のステラ。適材適所の配役は期待通りで、3時間20分ほど(休憩含む)の舞台を飽きさせずに引き付ける。ただ、期待を上回ることはなく、意外感はなかった。大竹のブランチは舞台にいる間セリフをしゃべり通し。本人もパンフレットで言っていたように、繊細さというより野太い狂気。クライマックスの狂気に陥るところで、花売りのような人たちがブランチを取り囲むのが面白い演出。北沢のスタンレーは粗野な男の陰にある劣等感を感じさせる好演だった。鈴木は時にブランチの保護者的役割を、年齢差を感じさせない包容力で表出。

0105 「アテネのタイモン」

吉田鋼太郎が演出・主演。何もないがらんとした舞台と思っていたら、ハンガー掛けとともに役者がバラバラと現れ、ウォーミングアップを始める。吉田や藤原竜也が登場してしばらくして、舞台前方に整列してから芝居に入る。楽屋内を覗き見るような、粋な演出は蜷川流か。 セリフに次ぐセリフ劇で、力量のある役者ぞろいなので十分引き付けられたが、物語としては、なんだかモヤモヤ。前半のタイモンのお人よしぶりにも唖然とするが、後半の世を恨む様も自業自得に思われて同情できない。あまり上演されないのも納得だ。シェイクスピア劇初挑戦という柿沢勇人が体当たりの好演。

0104 初夢で「見たよ、聞いたよ」浪花節

真山誠太郎・隼人の親子浪曲は「忠臣蔵花の舞」。 隼人が判官、誠太郎がその他という語り分けで、演歌浪曲の誠太郎に対し、隼人は生の三味線で。身振り手振りを交えての、演劇的な語り。 天中軒雲月は「若き日の小村寿太郎」。 いい声でたっぷり聴かせるが、気持ちよくなって寝てしまった。寝るほどよかったということで…。 真山一郎は「忠臣蔵外伝 俵星玄蕃」。 時代劇を見ているような芝居ぶり。音楽と語りのタイミングが合ってないところが惜しい。 中入りをはさんで京山幸四若・幸太の掛け合い浪曲は「河内十人切り」。 幸太が熊太郎で幸四若がお縫ほか。幸四若が女性のセリフを語ると客席から忍び笑いがでるのは仕方ない。幸太が意外に野太い声で驚く。肝心の十人切りの前で時間切れ。 仕事があったので、この先はパス。

1月3日 初春文楽公演 第1部

「花競四季寿」 睦、津国、咲寿、小住、文字栄に清友、喜一郎、清丈、錦吾、燕二郎。 睦は声がしんどそうで、津国は景事向きではない。ユニゾンの不協和音ぶりたるや。 人形は万才が玉勢の太夫に紋臣の才蔵。鷺娘は文昇。 「平家女護島 鬼界が島の段」 呂・清介。呂は薄氷を踏むような、そろりそろりとした語り。終盤声がよく出ているところがあったので、この調子で全編通してほしい。 人形は簑助の千鳥がたっぷりと。しなやかな動きで魅せるが、千鳥の見せ場ってこんなに長かったろうかと思うほど。やはり足元がおぼつかない様子で、中盤、遣使と俊寛らのやりとりで袖に引っ込んでいた。 口上では、咲太夫が亡父の思い出や五十回忌への思いを語るくだりで涙で声を詰まらせ、客席から励ますように「咲太夫!」の掛け声。新・織太夫は終始かしこまった表情。 「摂州合邦辻」 中の南都・清馗。のびやかな声で出だしとしては十分。 切は咲・清治。咲は全盛期ほどではないものの、気合の入った語り。玉手御前の心に決意を秘めた様子を丁寧に。清治の三味線はいつもより抑えめな感じながら、要所要所をきっちり抑える。 後は織・燕三。織は渾身の語りで、身体が揺さぶられるよう。聞いているだけでぐったり疲れた。要所は合邦の嘆きと言っていたが、むしろ玉手のクドキでぐっときた。燕三の三味線も激しく盛り上げ、怒涛のような一幕だった。

2018年1月2日火曜日

1229 移動レストラン 「ア・ラ・カルト Live Show」

アラカルトの料理のように、1皿ごとに違うシチュエーションのショート芝居が繰り広げられる。サラリーマンの先輩後輩が訪れる「フランス料理とワインを楽しむ会」の先輩役の高泉淳子がよい風情。ゲストのレ・ロマネスクのTOBIとは、ええ歳の男女のお見合いのような設定。TOBIがそこはかとなく可笑しい。休憩を挟んでのミニライブ、レ・ロマネスクの「祝っていた」が頭から離れない。

1228 ロッキー・ホラー・ショー

開演前に売り子に扮したキャストが客席を歩き回り、ペンライトや吹き戻しなどのグッズを販売。ミュージカルというよりライブのようなノリだ。前回公演では、フランクの古田新太の快演ぶりが印象的だったが、ちょっと期待外れ。だって、ハイヒールでないんだもの。小池徹平のブラッドはまあ普通だったが、ジャネット役のソニンがイラっとするぶりっ子ぶり(←褒めてる)。ISSAのリフラフはせむしの衣装から首が浮いてたりと役になり切れてない感じだったが、コロンビア役の女王蜂アヴちゃんが不思議な存在感。狂言回しのローリーやサックスの武田真治らはすでに定連のよう。

12月26日 十二月大歌舞伎 第二部

「らくだ」 愛之助のやたけたの熊五郎と中車の久六は2度目。中車のうまいのは相変わらずだが、愛之助のセリフのテンポが良くなっていた。畳みかけるような話しぶりが強面らしい。らくだの亀蔵が反則の面白さで、熊五郎が大家宅で無理難題を吹っ掛けるところで、戸外でやりたい放題。観客の視線を奪っていた。 「蘭平物狂」 この芝居は、終盤の、名題下たちの大立ち回りを観るものなのだと認識。刃物を見ると乱心するという蘭平(松緑)のキャラクター設定がよくわからないし、在原行平(愛之助)や大江音人(坂東亀蔵)ら、出てくる人が皆欺いているややこしさ。左近が蘭平の息子、繁蔵役で活躍。このための舞台だったのかなあ感が強い。花道を使ったり、舞台を埋め尽くすほどの大人数での立ち回りがこれでもか、とばかりに繰り広げられ、食傷するほどだった。

12月26日 十二月大歌舞伎 第一部

「実盛物語」 実盛の愛之助が久しぶりにちゃんとした歌舞伎を見せてくれた。去年の顔見世以来2度目だと思うが、武将らしい大きさ、仁左衛門を思わせる口跡よい台詞、数段よくなっていたように思う。女房小よしの吉弥、九郎助の松之助、葵御前の笑三郎など、適材適所の配役。亀蔵の瀬尾もよかった。倅太郎吉の星一輝くん(多分)も可愛く好演。 「土蜘蛛」 松緑の子息、左近が太刀持ち役で共演。

12月24日 KAAT竹本駒之助公演 第九弾「奥州安達原 袖萩祭文の段」

静かな出だしから徐々に盛り上げる。お君が袖萩に着物をかけてやるところでは涙が。駒之助の情にあふれる語りはもとより、津賀寿の三味線が畳みかけるようでしびれた。

1223 虚空旅団「アトリエのある背中」

売れない画家のもとを訪れる金持ちの女性はいったい誰なのか。謎が最後まで明かされないまま。もしかして、途中何度か意識が途切れたせいで分からなかっただけ?絵のモデルの女優と画家の緊張感のある関係、ミステリアスな画商、何かを隠している妹夫婦など、様々な思惑が交錯する。大人の芝居という感じ。

1222 壱劇屋 五彩の神楽「荒人神」

作・演の竹村晋太朗が主役のシリーズ最終回。剣の達人が魔女(?)に魂を売って不敗の力を手に入れるも、結局呪縛から解き放たれるというような。後半、過去シリーズの主役たちが入れ替わり登場し、総集編のようなにぎやかさ。殺陣5割り増しみたいな感じで、ひたすら動く動く。怒涛のような85分(ちょっと押したか)だった。