サンキュウは産休にかけているだろうか。独身寮の男たちが育児体験ごっこをする中で、育児に向き合う気持ちが芽生えるという筋は、産休とは少しズレるような。
パンフレットで岡部本人も書いているように、ホンとしては未熟さを感じさせる。が、それ以上にキャストがどうかと。なだぎ武、小川菜摘がメインのゲストなようだが、作品に新しい魅力を付加するというところには至っていなかったように思う。小川はケバケバしいメイクと衣装で、ニューハーフではと疑われているという設定も無理があるというか。なだぎはオネエという設定らしいのだが、中途半端だし、そもそもオネエにする必要が感じられない。
突然死で子どもをなくした妻のため、人形を可愛がる夫を演じた國藤剛志、その人形を預かるもごっこに付き合うのに抵抗を感じる弟役の平田裕一郎はよかった。
2019年10月31日木曜日
1030 地点「ハムレットマシーン」
とても不快で、後半は早く終わらないかとばかり考えていた。不快感はおそらく狙ってのことなのだろうが、嫌なものは嫌だ。
方丈に赤いカーネーションが敷き詰められた舞台は目に鮮やか。中央には扉のような長方形の板が置かれ、奥の壁には聖母子を描いた絵画が飾られている。暗転ののち、花の上に横たわる5人の男女、1人は板の下に死体のように寝そべる。4人はそれぞれ壺、傘、トランペット、シンバルを抱えていて、自由に手が使えないため、起き上がろうともがいている。地点語らしい、不自然に文節を区切ったり、イヒッとかプハァとか不快な音節を織り交ぜたり、赤ん坊のような鳴き声をたてたりするのが不気味だ。なにより、シンバルの音が不快なこと。それも何度も繰り返すのでイライラが増す。トランペットでアメリカ国歌やフランス国歌を吹くのだが、途中でプハァと打ち切るのも鬱陶しい。
シェイクスピアのテキストからの引用がハムレットらしさを感じさせるが、全体としては不条理。絵画の後ろにいた男が、主人公なのか、カーネーションを髪にさしたり、客に向かって花をら投げるフリをしたりとキモ可愛さを演出?
方丈に赤いカーネーションが敷き詰められた舞台は目に鮮やか。中央には扉のような長方形の板が置かれ、奥の壁には聖母子を描いた絵画が飾られている。暗転ののち、花の上に横たわる5人の男女、1人は板の下に死体のように寝そべる。4人はそれぞれ壺、傘、トランペット、シンバルを抱えていて、自由に手が使えないため、起き上がろうともがいている。地点語らしい、不自然に文節を区切ったり、イヒッとかプハァとか不快な音節を織り交ぜたり、赤ん坊のような鳴き声をたてたりするのが不気味だ。なにより、シンバルの音が不快なこと。それも何度も繰り返すのでイライラが増す。トランペットでアメリカ国歌やフランス国歌を吹くのだが、途中でプハァと打ち切るのも鬱陶しい。
シェイクスピアのテキストからの引用がハムレットらしさを感じさせるが、全体としては不条理。絵画の後ろにいた男が、主人公なのか、カーネーションを髪にさしたり、客に向かって花をら投げるフリをしたりとキモ可愛さを演出?
2019年10月29日火曜日
10月29日 スーパー歌舞伎II「新版オグリ」
猿之助の小栗判官、隼人の上人、市川右近の金坊。
猿之助は上手いのだが、ヒーローの器ではないというか、私には何故だか魅力が感じられない。登場時、ものすごい美丈夫という感じのフリがあるのだが、そんなにハンサムかしら。背低いし、手足が短く、チンチクリンに見えてしまう。慎吾の照手姫は抜擢か。声がよく、健気に頑張っていたが、背が高いのと、表情が時折ゴツゴツして見えるのが惜しい。
玉太郎が最年少ながら一番の殺し屋で、不機嫌な不良少年のような風情。キャップを被り、ストリートファッションのような衣装もよく似合って、印象的だった。
一方、笑也や猿弥はスーパー歌舞伎らしい芝居だが、猿之助や玉太郎らと仲間というと少し違和感がある。母親や閻魔の妻役と少し距離感のある役だった笑三郎はそうでもなかったが。
鏡を使ったシンプルな舞台装置で、プロジェクションマッピングを駆使して場面転換する。やはり映像だと安っぽく見えてしまう。
ストリートダンスのような振り付けや、ロックっぽい音楽に演出の杉原邦生らしさが見えた。
本水の立ち回り、両サイドの宙乗り(でも、馬に乗って3階席へ飛んで行くだけ)、幕開きに桜吹雪、ラストではハートの紙吹雪と派手なサービスがてんこ盛り。
猿之助は上手いのだが、ヒーローの器ではないというか、私には何故だか魅力が感じられない。登場時、ものすごい美丈夫という感じのフリがあるのだが、そんなにハンサムかしら。背低いし、手足が短く、チンチクリンに見えてしまう。慎吾の照手姫は抜擢か。声がよく、健気に頑張っていたが、背が高いのと、表情が時折ゴツゴツして見えるのが惜しい。
玉太郎が最年少ながら一番の殺し屋で、不機嫌な不良少年のような風情。キャップを被り、ストリートファッションのような衣装もよく似合って、印象的だった。
一方、笑也や猿弥はスーパー歌舞伎らしい芝居だが、猿之助や玉太郎らと仲間というと少し違和感がある。母親や閻魔の妻役と少し距離感のある役だった笑三郎はそうでもなかったが。
鏡を使ったシンプルな舞台装置で、プロジェクションマッピングを駆使して場面転換する。やはり映像だと安っぽく見えてしまう。
ストリートダンスのような振り付けや、ロックっぽい音楽に演出の杉原邦生らしさが見えた。
本水の立ち回り、両サイドの宙乗り(でも、馬に乗って3階席へ飛んで行くだけ)、幕開きに桜吹雪、ラストではハートの紙吹雪と派手なサービスがてんこ盛り。
2019年10月27日日曜日
1027 京都観世能
「安宅」
勧進帳、瀧流の小書き付き。
緊迫感が薄く、気の抜けたような安宅だった。河村和重の弁慶は足が悪いのか立ち上がる時に手をつき、押し戻しでは止めきれずに1メートルくらい富樫側に移動していた。
「卒塔婆小町」
一度之次第の小書きがあり、小町が登場するところから(なぜ?)。
梅若実は体調が回復してきたようで、特注の太い杖でなく、細い、普通の小道具の杖。足元は覚束なげなのだが、それが老婆ゆえとも見え、老いた我が身を嘆く言葉にも実感がこもり、演技とリアルが渾然一体に感じられた。
「墨染」
七五三が休演で、千五郎の大名、逸平の太郎冠者、茂の女房。墨の涙、塗りたくりすぎ(笑)
「融」
十三段之舞の小書き。延々と舞が続いて、見応えあるが、一日之最後の曲としてはお腹いっぱい感が。
iPhoneから送信
勧進帳、瀧流の小書き付き。
緊迫感が薄く、気の抜けたような安宅だった。河村和重の弁慶は足が悪いのか立ち上がる時に手をつき、押し戻しでは止めきれずに1メートルくらい富樫側に移動していた。
「卒塔婆小町」
一度之次第の小書きがあり、小町が登場するところから(なぜ?)。
梅若実は体調が回復してきたようで、特注の太い杖でなく、細い、普通の小道具の杖。足元は覚束なげなのだが、それが老婆ゆえとも見え、老いた我が身を嘆く言葉にも実感がこもり、演技とリアルが渾然一体に感じられた。
「墨染」
七五三が休演で、千五郎の大名、逸平の太郎冠者、茂の女房。墨の涙、塗りたくりすぎ(笑)
「融」
十三段之舞の小書き。延々と舞が続いて、見応えあるが、一日之最後の曲としてはお腹いっぱい感が。
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2019年10月25日金曜日
1024 野田地図「Q」
クイーンのオペラ座の夜の楽曲を用い、ロミオとジュリエットに源平の争いを掛け合わせた独特の世界を構築。
若い瑯壬生(ロミオ)の志尊淳、愁里愛(ジュリエット)の広瀬すずというピュアなカップルの瑞々しさ、それからの瑯壬生・上川隆也と愁里愛・松たか子がいい感じで世俗にまみれているというか、経験値の違いがかんじられる。1幕と2幕が対になっている構成も面白かった。
広瀬は叫んだり、顔を歪めたりと、映像ではみたことないような演技で頑張っていたが、一人で長ゼリフを喋るような場面では辛かった。志尊は、愁里愛のいとこを殺めてしまうシーンが圧巻。フェミニンなイメージを裏切って猛々しく、また、ボヘミアンラプソディーの音楽の効果もあって、一番の見せ場だった。
戦いがおわっても、戦後にさらにひどい状況が襲いかかる。届かなかった白紙の手紙に託されたメッセージが切ない。
野田秀樹のウーバが、広瀬と同じ髪型なのがかかわいかった。・
若い瑯壬生(ロミオ)の志尊淳、愁里愛(ジュリエット)の広瀬すずというピュアなカップルの瑞々しさ、それからの瑯壬生・上川隆也と愁里愛・松たか子がいい感じで世俗にまみれているというか、経験値の違いがかんじられる。1幕と2幕が対になっている構成も面白かった。
広瀬は叫んだり、顔を歪めたりと、映像ではみたことないような演技で頑張っていたが、一人で長ゼリフを喋るような場面では辛かった。志尊は、愁里愛のいとこを殺めてしまうシーンが圧巻。フェミニンなイメージを裏切って猛々しく、また、ボヘミアンラプソディーの音楽の効果もあって、一番の見せ場だった。
戦いがおわっても、戦後にさらにひどい状況が襲いかかる。届かなかった白紙の手紙に託されたメッセージが切ない。
野田秀樹のウーバが、広瀬と同じ髪型なのがかかわいかった。・
2019年10月21日月曜日
1021 シスカンパニー「死と乙女」
行き詰まる三人芝居。独裁政権下で起こった拷問の被害者と、加害者が、革命後に再会してしまったら…。宮沢りえが拷問の悪夢に未だ苦しんでる妻役を熱演。復讐に燃える狂気に息を呑む。段田安則はしらばっくれている感がなく、本当に冤罪なのかと揺らぐ。堤真一は、理性的ではあるが、妻のいうことを信じ切っていない、薄情さのある夫を好演。
2019年10月19日土曜日
10月19日 芸術祭十月大歌舞伎 夜の部
「三人吉三巴白浪」
梅枝のお嬢に愛之助のお坊、松緑の和尚という顔ぶれ。愛之助のお坊と松緑の和尚は前にも見たことあると思い出した。その時はお嬢が菊之助だった。
梅枝お嬢と愛之助お坊は、目と目で語り合うところが多く、信頼し合う二人の関係が色濃く描かれる。梅枝は可憐な娘から男に戻るさまが鮮やか。意外に男の場面が多いのだが、何かしら色気がある。愛之助のお坊は爽やかな二枚目。和尚の松緑も頼れるアニキという感じ。
土左衛門の歌六は少しセリフが怪しいところもあったが、説得力のある人物像。おとせの尾上右近と十三郎の巳之助は運命に翻弄される若いカップルらしさがあった。
「二人静」
能仕立ての舞踊劇。舞台に児太郎の菜摘女が一指し舞った後、すっぽんから玉三郎の静が登場。相舞は息のあった様子で、シンクロの踊りが美しい。すっぽんから捌けた静は、舞台下手から再登場。能装束のような衣装で抑制された動きなので、少々地味にかんじる。
演奏は、長唄、常磐津、竹本に囃子方という豪華な布陣で(竹本は三味線のみ)さすが玉様と思った。
梅枝のお嬢に愛之助のお坊、松緑の和尚という顔ぶれ。愛之助のお坊と松緑の和尚は前にも見たことあると思い出した。その時はお嬢が菊之助だった。
梅枝お嬢と愛之助お坊は、目と目で語り合うところが多く、信頼し合う二人の関係が色濃く描かれる。梅枝は可憐な娘から男に戻るさまが鮮やか。意外に男の場面が多いのだが、何かしら色気がある。愛之助のお坊は爽やかな二枚目。和尚の松緑も頼れるアニキという感じ。
土左衛門の歌六は少しセリフが怪しいところもあったが、説得力のある人物像。おとせの尾上右近と十三郎の巳之助は運命に翻弄される若いカップルらしさがあった。
「二人静」
能仕立ての舞踊劇。舞台に児太郎の菜摘女が一指し舞った後、すっぽんから玉三郎の静が登場。相舞は息のあった様子で、シンクロの踊りが美しい。すっぽんから捌けた静は、舞台下手から再登場。能装束のような衣装で抑制された動きなので、少々地味にかんじる。
演奏は、長唄、常磐津、竹本に囃子方という豪華な布陣で(竹本は三味線のみ)さすが玉様と思った。
2019年10月18日金曜日
10月18日 御園座 吉例顔見世
「碁太平記白石噺」
雀右衛門の傾城宮城野と孝太郎の信夫の姉妹が好対照で面白い。奥州訛り丸出しの信夫の純朴な可愛らしさ。それでいて、宮城野と姉妹に見えるのが不思議。竹本は葵太夫。義太夫節に乗ってのクドキが見せ場だと思うのだが、やたら大向こうがかかるのがウザかった。
「身替座禅」
仁左衛門の右京のチャーミングなこと!玉の井をまんまと騙して、座禅の了解を取り付け「うふふふふ」とほくそ笑むところや、花子に会いに行く時の「いてくるぞよ」の浮かれた様子、浮気がバレたときのしまったという顔…。ほんわかと幸せになれる舞台だ。玉の井の鴈治郎は、嫉妬に地団駄ふむところが、怪獣じみてなんとも可愛い。太郎冠者は錦之助。千枝の吉太郎、小枝の千太郎の若者コンビが初々しく、可憐。吉太郎は声がよく、踊りも滑らかで、いい女方。千太郎は声変わりのせいかセリフが辛そうだった。
「瞼の母」
秀太郎のおはまが泣かせる。獅童の忠太郎との一対一のやりとりで、心情が変化していく様が繊細に描かれる。忠太郎を帰してから、娘お登勢(壱太郎)に本心を打ち明けるところが胸を打った。
序幕の半次郎一家も、国矢の半次郎、母おむらの吉弥、妹おぬいの千寿が好演。
雀右衛門の傾城宮城野と孝太郎の信夫の姉妹が好対照で面白い。奥州訛り丸出しの信夫の純朴な可愛らしさ。それでいて、宮城野と姉妹に見えるのが不思議。竹本は葵太夫。義太夫節に乗ってのクドキが見せ場だと思うのだが、やたら大向こうがかかるのがウザかった。
「身替座禅」
仁左衛門の右京のチャーミングなこと!玉の井をまんまと騙して、座禅の了解を取り付け「うふふふふ」とほくそ笑むところや、花子に会いに行く時の「いてくるぞよ」の浮かれた様子、浮気がバレたときのしまったという顔…。ほんわかと幸せになれる舞台だ。玉の井の鴈治郎は、嫉妬に地団駄ふむところが、怪獣じみてなんとも可愛い。太郎冠者は錦之助。千枝の吉太郎、小枝の千太郎の若者コンビが初々しく、可憐。吉太郎は声がよく、踊りも滑らかで、いい女方。千太郎は声変わりのせいかセリフが辛そうだった。
「瞼の母」
秀太郎のおはまが泣かせる。獅童の忠太郎との一対一のやりとりで、心情が変化していく様が繊細に描かれる。忠太郎を帰してから、娘お登勢(壱太郎)に本心を打ち明けるところが胸を打った。
序幕の半次郎一家も、国矢の半次郎、母おむらの吉弥、妹おぬいの千寿が好演。
2019年10月15日火曜日
1015 庭劇団ペニノ「蛸入道 忘却の儀」
中央に囲炉裏のある木製の寺が舞台・客席。般若心経をもじった経が唱えられ、太鼓や弦楽器、巨大な笛の音が加わってボルテージが上がっていく。観客も経典を手にしながら観劇するのだが、薄暗くて読めないのが不快だ。怪しい宗教の儀式に立ち会わされているようで、没入するより警戒感を抱いてしまう。音や匂い、振動など五感を刺激されるので、一緒にトランスできたら楽しいのか?タニノの狙いは観客を巻き込むことか。
タニノクロウが前説で、いい役者とはと考えた時に、赤ん坊や動物と演出家に目が行くと。片や何も知らない、片や舞台の全てを知る者だ。途中、囲炉裏に火が点かなくて役者がタニノに助けを求めるのは、アクシデントに見せかけた演出か。
タニノクロウが前説で、いい役者とはと考えた時に、赤ん坊や動物と演出家に目が行くと。片や何も知らない、片や舞台の全てを知る者だ。途中、囲炉裏に火が点かなくて役者がタニノに助けを求めるのは、アクシデントに見せかけた演出か。
2019年10月14日月曜日
1014 笑えない会
「離婚の沙汰」
「吃り」を改題。恐妻に追いかけられた男が逃げ込んで登場し、のっけからけたたましい。茂の恐妻はいつものわわしい女の5割増くらいの喧しさ。吃りで口下手なオトコが、謡だとすらすら話せるという設定なのだが、千五郎の吃りは控えめで、あまり不自由していなさそう。ここのメリハリがはっきりする方が面白いと思う。
謡と舞は堂々たる様子。仲裁役の網谷がちょっととぼけた感じで、いい味だしてた。
「浮かれの屑より」
よね吉が大汗かいて大熱演。紙屑屋の選り分け作業をすることになった男が、手紙や浄瑠璃本に触発されて芝居や踊りに興じる。所作板の上に直接座布団を置いていたのだが、途中座布団を舞台袖に放り投げ、膝立ちで踊る踊る。よね吉はがさつそうに見えて所作が手馴れていて流麗だった。
「吃り」を改題。恐妻に追いかけられた男が逃げ込んで登場し、のっけからけたたましい。茂の恐妻はいつものわわしい女の5割増くらいの喧しさ。吃りで口下手なオトコが、謡だとすらすら話せるという設定なのだが、千五郎の吃りは控えめで、あまり不自由していなさそう。ここのメリハリがはっきりする方が面白いと思う。
謡と舞は堂々たる様子。仲裁役の網谷がちょっととぼけた感じで、いい味だしてた。
「浮かれの屑より」
よね吉が大汗かいて大熱演。紙屑屋の選り分け作業をすることになった男が、手紙や浄瑠璃本に触発されて芝居や踊りに興じる。所作板の上に直接座布団を置いていたのだが、途中座布団を舞台袖に放り投げ、膝立ちで踊る踊る。よね吉はがさつそうに見えて所作が手馴れていて流麗だった。
2019年10月13日日曜日
1013 エイチエムピー・シアターカンパニー「忠臣蔵」
浅野内匠頭切腹後から討ち入りまで。
朝廷、幕府、赤穂藩のそれぞれの思惑が交錯し、腹の探り合い、駆け引きがスリリングに展開する。
舞台に張ったゴムのように伸縮する紐はこれまでのなかで一番洗練されて見えた。縦横に、幅⒈5メートルくらいに連ねた白い帯が、時に扉や窓、時にスクリーンとして使われる。中納言や柳沢に嬲られるところでは、帯に絡められたようになり、討ち入りの場面では、照明の効果もあって、浪士らの影や隙間からみえる姿が緊迫感を高めた。
役者陣も男役が板につき、大石蔵之介役の高安美穂のどっしりした家老ぶり、吉良上野介=森田祐利栄の狡猾さ、吉田忠左衛門=大熊ねこの豪快さ、真っ直ぐさ、柳沢吉保=水谷有希の男前ぶりは相変わらず。
脚本では金にフォーカスしたのが興味深い。柳沢の小判の改鋳により貨幣価値が下がり、物価が高騰したことが、刃傷事件の遠因となり、中納言が赤穂藩取り潰しの噂を流して藩札の取り付け騒が起きたことが討ち入りへと追い込む。吉良を打ち取れば敵討ちになるのか。本当の敵は浅野どけに切腹を命じた幕府では?その裏には、将軍の母への叙位を巡る朝廷と仲介役を演じた吉良の存在が…と。力関係を簡潔に見せすぎた感もあるが、赤穂事件の因果関係を紐解く一つの解が示された。
朝廷、幕府、赤穂藩のそれぞれの思惑が交錯し、腹の探り合い、駆け引きがスリリングに展開する。
舞台に張ったゴムのように伸縮する紐はこれまでのなかで一番洗練されて見えた。縦横に、幅⒈5メートルくらいに連ねた白い帯が、時に扉や窓、時にスクリーンとして使われる。中納言や柳沢に嬲られるところでは、帯に絡められたようになり、討ち入りの場面では、照明の効果もあって、浪士らの影や隙間からみえる姿が緊迫感を高めた。
役者陣も男役が板につき、大石蔵之介役の高安美穂のどっしりした家老ぶり、吉良上野介=森田祐利栄の狡猾さ、吉田忠左衛門=大熊ねこの豪快さ、真っ直ぐさ、柳沢吉保=水谷有希の男前ぶりは相変わらず。
脚本では金にフォーカスしたのが興味深い。柳沢の小判の改鋳により貨幣価値が下がり、物価が高騰したことが、刃傷事件の遠因となり、中納言が赤穂藩取り潰しの噂を流して藩札の取り付け騒が起きたことが討ち入りへと追い込む。吉良を打ち取れば敵討ちになるのか。本当の敵は浅野どけに切腹を命じた幕府では?その裏には、将軍の母への叙位を巡る朝廷と仲介役を演じた吉良の存在が…と。力関係を簡潔に見せすぎた感もあるが、赤穂事件の因果関係を紐解く一つの解が示された。
2019年10月12日土曜日
1011 パリ・オペラ座バレエ
「AT THE HAWKS WELL」
鷹姫と同じ原作ということで興味を持ったが、杉本博司演出は合わないと再認識。
舞台装置は簡素で、中央に能舞台のような正方形の板づくりの床が置かれ、真後ろに橋掛りが伸びている。後方には半円状のスクリーン。後ろで踊るダンサーの影や、水平線から光が差すような映像を映す。音楽はテレビの砂嵐のような、チューニングの合わないラジオのようなノイズ。
ダンサーの衣装はジャングルの戦士のよう。主役級の男性はオムツのようなパンツに嵩のあるマントで、色はシルバーとシャンパンゴールド。マントを翻したり、影に隠れたりする。女性はメタリックな赤で、スリットの入ったレオタードに翼のような大きなものを肩にまとう。幾何学的な動き。アバンギャルドな、インスタレーションを見せられているよう。
ラストに能楽師が老人姿の現れ、一節の謡と舞。最後に杖をゴールドに投げ与えて終わり。能楽師の登場で場が一変し、格調高く、全ての辻褄が合わせられたよう。何より、能のスタイルを変えずにそこにあることの力強さを感じた。
「BLAKE WORKSI」
英語のポップ音楽に乗せての踊り。オペラ座のダンサーの身体能力の高さを見せつける一方、稽古着のような簡素な衣装では学生の発表会のよう。オペラ座の豪奢な空閑で見たいのはコレジャナイ感が残った。
鷹姫と同じ原作ということで興味を持ったが、杉本博司演出は合わないと再認識。
舞台装置は簡素で、中央に能舞台のような正方形の板づくりの床が置かれ、真後ろに橋掛りが伸びている。後方には半円状のスクリーン。後ろで踊るダンサーの影や、水平線から光が差すような映像を映す。音楽はテレビの砂嵐のような、チューニングの合わないラジオのようなノイズ。
ダンサーの衣装はジャングルの戦士のよう。主役級の男性はオムツのようなパンツに嵩のあるマントで、色はシルバーとシャンパンゴールド。マントを翻したり、影に隠れたりする。女性はメタリックな赤で、スリットの入ったレオタードに翼のような大きなものを肩にまとう。幾何学的な動き。アバンギャルドな、インスタレーションを見せられているよう。
ラストに能楽師が老人姿の現れ、一節の謡と舞。最後に杖をゴールドに投げ与えて終わり。能楽師の登場で場が一変し、格調高く、全ての辻褄が合わせられたよう。何より、能のスタイルを変えずにそこにあることの力強さを感じた。
「BLAKE WORKSI」
英語のポップ音楽に乗せての踊り。オペラ座のダンサーの身体能力の高さを見せつける一方、稽古着のような簡素な衣装では学生の発表会のよう。オペラ座の豪奢な空閑で見たいのはコレジャナイ感が残った。
2019年10月9日水曜日
1008 現代能「マリー・アントワネット」
梅若実による現代能」マリー・アントワネット」パリ公演。念願の舞台がはオペラ・コミックで実現した。客入りはよく、4階席まで客が入り、1階席は補助席が出るほど。
舞台装置はほとんどなく、黒いカーテン、床がむきだしのまま。デコラティブな装飾が施された劇場空閑をいかすねらいか。
フェルゼン役の福王和幸が現れたのち、後方のカーテンがひらいてマリーが現れる。両サイドにバラの蔓がまかれたポールが2本、門のように立ててあるのが唯一のセット。2人の薔薇の精に導かれて前方へ。冠に紅薔薇はなく、薔薇の精は白薔薇を冠っている。
マリーのセリフは最小限にカットされ、地謡が代わるところが多い。杖を手放せない様子で、扇と持ち替えての舞。舞は短く最小限。舞台後ろが照明でイロを変え、青きドナウの青から薔薇色に変化する。
間狂言は北翔海莉の一人舞台。薔薇で飾られた鈴を持ち、三番叟のように四方を踏む。琴や三味線の演奏と相まって、能とは別世界。途中、薔薇を加えてキメるところは、元男役の面目躍如。
後場は薔薇の精?の立ち回りののち、朱色の装束に白い頭巾を被ったマリーが登場。慣れない土地に輿入れし、孤独や寂しさから過ちを犯した?と地謡。最後は装束を脱ぎ、頭巾を外して、白装束、白髪姿になり、下手へ退場。足元が覚束ない様子で、長袴が足元に絡まりそう。足早に行くも、最後までハケきれず、袴の裾が舞台上に残っていた。
マリーに続いて囃子方が退場した後も、しばらくは拍手が起こらなかったのは、能のしきたりを理解しているからというより終わりか分からず戸惑っていたようだった。
現地の人に感想を聞いたら、ポエティック、マリーの悲しみに共感したなど。寡黙な人というのは、当人が発する声が少なかったからか。マリーについてはよく知らないという声も複数聞いた。現地の人に馴染みのある人ではないよう。
休憩ののち「土蜘蛛」。頼光と土蜘蛛の2人だけで、1幕同様、カーテンが開いての登場。あまり動かす、蜘蛛の糸は杖を持たない左手のみ。高さがなく、あまり遠くまで飛ばない感じ。土蜘蛛の代わりに頼光役の福王和幸が前後左右に動きながらの立ち回り。約20分ほどの短い舞台。
カーテンコールは藤間勘十郎が付き添って。舞台前方まで歩み、2人で蜘蛛の糸を飛ばすサービス。カーテンコールは2回ほどあったが、スタオベはなく、ブラボーの声も疎らだった。
舞台装置はほとんどなく、黒いカーテン、床がむきだしのまま。デコラティブな装飾が施された劇場空閑をいかすねらいか。
フェルゼン役の福王和幸が現れたのち、後方のカーテンがひらいてマリーが現れる。両サイドにバラの蔓がまかれたポールが2本、門のように立ててあるのが唯一のセット。2人の薔薇の精に導かれて前方へ。冠に紅薔薇はなく、薔薇の精は白薔薇を冠っている。
マリーのセリフは最小限にカットされ、地謡が代わるところが多い。杖を手放せない様子で、扇と持ち替えての舞。舞は短く最小限。舞台後ろが照明でイロを変え、青きドナウの青から薔薇色に変化する。
間狂言は北翔海莉の一人舞台。薔薇で飾られた鈴を持ち、三番叟のように四方を踏む。琴や三味線の演奏と相まって、能とは別世界。途中、薔薇を加えてキメるところは、元男役の面目躍如。
後場は薔薇の精?の立ち回りののち、朱色の装束に白い頭巾を被ったマリーが登場。慣れない土地に輿入れし、孤独や寂しさから過ちを犯した?と地謡。最後は装束を脱ぎ、頭巾を外して、白装束、白髪姿になり、下手へ退場。足元が覚束ない様子で、長袴が足元に絡まりそう。足早に行くも、最後までハケきれず、袴の裾が舞台上に残っていた。
マリーに続いて囃子方が退場した後も、しばらくは拍手が起こらなかったのは、能のしきたりを理解しているからというより終わりか分からず戸惑っていたようだった。
現地の人に感想を聞いたら、ポエティック、マリーの悲しみに共感したなど。寡黙な人というのは、当人が発する声が少なかったからか。マリーについてはよく知らないという声も複数聞いた。現地の人に馴染みのある人ではないよう。
休憩ののち「土蜘蛛」。頼光と土蜘蛛の2人だけで、1幕同様、カーテンが開いての登場。あまり動かす、蜘蛛の糸は杖を持たない左手のみ。高さがなく、あまり遠くまで飛ばない感じ。土蜘蛛の代わりに頼光役の福王和幸が前後左右に動きながらの立ち回り。約20分ほどの短い舞台。
カーテンコールは藤間勘十郎が付き添って。舞台前方まで歩み、2人で蜘蛛の糸を飛ばすサービス。カーテンコールは2回ほどあったが、スタオベはなく、ブラボーの声も疎らだった。
2019年10月4日金曜日
1004 ピッコロ劇団「ブルーストッキングの女たち」
青鞜編集部の様子が活気ある華やかさ。当時としては相当お転婆な人たちなのだろうが、大正期の女性たちの言葉が美しい。だからこそ、おままごとのように見えなくもないのだが。
封建的なはずのあの時代に、自由恋愛を謳歌する様はワイドショーのよう。野枝と大杉が結ばれるところはなかなかの濡れ場で、背景の障子のようなセットが崩れるのは終わりの始まりを暗示してきるのか。
伊藤野枝役の田渕詩乃が、溌剌としたエネルギーを感じさせ、好演。松井須磨子役の森万紀は、1幕の劇中劇の場面は硬すぎるように感じたが、2幕の自殺前夜の様子は鬼気迫って胸をつかれた。大杉夫人、愛人、平塚らいてうら、女性陣が個性的なキャラクターをしっかり描写してた。男性陣はなぜか、共感できない人ばかりで疲れた。
封建的なはずのあの時代に、自由恋愛を謳歌する様はワイドショーのよう。野枝と大杉が結ばれるところはなかなかの濡れ場で、背景の障子のようなセットが崩れるのは終わりの始まりを暗示してきるのか。
伊藤野枝役の田渕詩乃が、溌剌としたエネルギーを感じさせ、好演。松井須磨子役の森万紀は、1幕の劇中劇の場面は硬すぎるように感じたが、2幕の自殺前夜の様子は鬼気迫って胸をつかれた。大杉夫人、愛人、平塚らいてうら、女性陣が個性的なキャラクターをしっかり描写してた。男性陣はなぜか、共感できない人ばかりで疲れた。
1004 宝塚月組「I am from Austria」
ゲネプロを所見。エリザベート以来のウィーンミュージカルとあう触れ込みだが、エリザベートとは全く異なるポップな音楽とストーリー。キャッチーなメロディで耳に馴染むが、エリザベートほどの感動はないかも。
オーストリアの四つ星ホテルにハリウッド女優がお忍びで訪れるところから物語が始まる。ホテルの改革を志す御曹司と伝統を重んじる両親の確執、オーストリア出身の女優は捨てたはずの故郷のよさを再発見する。SNSで顧客情報が流出したり、ホテルの余り物をホームレスに振舞ったりと現代的な問題を取り入れているものの、前半は脈絡がなくバカバカしいほど中身のない話。何より、女優が御曹司に惹かれる過程が安易すぎに思った。情報漏洩のお詫びに差し入れたチョコトルテが懐かしい味だったから?それとも、御曹司らしからぬ気取らない人柄なのか?どちらにしても、警戒心の高いはずのセレブの心を動かすには弱いのでは。
後半は音楽の良さに救われてそこそこ見られた。
珠城りょうは人の良さそうな役柄が前作とダブる。娘役は華やかな容姿、ちょっとお転婆ないところがよく似合う。男役<娘役な役どころは大劇場お披露目だから?ラストのフィナーレでのデュエットダンスは、高いリフトでくるくる回って見応えあった。
トップ2人より好演が目立ったのは、母親役の海乃と父親役な鳳月杏。鳳月はひげが似合う。アルゼンチンのサッカー選手役の暁知星は、マッチョなスポーツマンという難しい役どころを怪演。低い声で重量感を出し、心なしか体つきもたくましく見えた。フィナーレではロケットの真ん中も務めて活躍。
踊りはなんかいいなと思ったら、三井聡の振付が大半で納得。
オーストリアの四つ星ホテルにハリウッド女優がお忍びで訪れるところから物語が始まる。ホテルの改革を志す御曹司と伝統を重んじる両親の確執、オーストリア出身の女優は捨てたはずの故郷のよさを再発見する。SNSで顧客情報が流出したり、ホテルの余り物をホームレスに振舞ったりと現代的な問題を取り入れているものの、前半は脈絡がなくバカバカしいほど中身のない話。何より、女優が御曹司に惹かれる過程が安易すぎに思った。情報漏洩のお詫びに差し入れたチョコトルテが懐かしい味だったから?それとも、御曹司らしからぬ気取らない人柄なのか?どちらにしても、警戒心の高いはずのセレブの心を動かすには弱いのでは。
後半は音楽の良さに救われてそこそこ見られた。
珠城りょうは人の良さそうな役柄が前作とダブる。娘役は華やかな容姿、ちょっとお転婆ないところがよく似合う。男役<娘役な役どころは大劇場お披露目だから?ラストのフィナーレでのデュエットダンスは、高いリフトでくるくる回って見応えあった。
トップ2人より好演が目立ったのは、母親役の海乃と父親役な鳳月杏。鳳月はひげが似合う。アルゼンチンのサッカー選手役の暁知星は、マッチョなスポーツマンという難しい役どころを怪演。低い声で重量感を出し、心なしか体つきもたくましく見えた。フィナーレではロケットの真ん中も務めて活躍。
踊りはなんかいいなと思ったら、三井聡の振付が大半で納得。
2019年10月3日木曜日
10月3日 第1回ことのは会
言葉を使う芸能の競演とのことで、今回は落語の桂吉坊、文楽の芳穂太夫・友之助、木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一が出演。
全員によるご挨拶ののち、吉坊の落語「ツメ人情」。失敗ばかりで破門されそうな若手人形遣いを、ツメ人形が助ける、異色の人情噺?
新作浄瑠璃「赤頭巾奉行剪刀」
赤い紋付に紅の裃、赤い座布団。友之助は三味線の駒も赤(どこで買ったのか?)
童話の赤頭巾を義太夫節で。突如時代がかった言葉遣いになったかと思えば、オペなと現代語がでたり、狼が悪人らしく笑ったり(大笑いにしては短め)、面白い作りだった。三味線は友之助が「凝りすぎた」と言っていたが、古典で聞いたフレーズがふんだんに盛り込まれて楽しかった。
休憩を挟んで、合作「梅川忠兵衛」。プログラムに「前 木ノ下裕一/奥 芳穂太夫 友之助/後 吉坊」とあり、木ノ下さん何するのかと思ったら、前説というか、レクチャー。梅川忠兵衛のタイトルは、「冥途の飛脚」「けいせい恋飛脚」のような、特定の作品を取り上げるのではなく、「梅川忠兵衛の世界」という意味だそう。近松の「冥途の飛脚」の前に、梅川と忠兵衛が出てくる話があるが、忠兵衛が梅川に騙されて金を運ぶ脇キャラだったとか。近松の冥途の飛脚とその改作のけいせいと恋飛脚、歌舞伎の「恋飛脚大和往来」へと続く流れ、違いなどを説明してくれ、頭の整理がついた。
奥は文楽「新口村」の後半、孫右衛門が登場するところから。共に初役だそうで力の入った熱演。もう少し柔らかみがあったらと思うところもあったが、聞き応えがあった。
吉坊は大正期に歌舞伎で作られたという後日談を落語化。忠兵衛は打ち首になったが、梅川は生き残り、再び廓勤めをしている。後を追わないのを薄情だと誹られる梅川を庇って八右衛門が身請けを申し出るが…という筋立て。吉坊は噂話に花を咲かす遊女たちの描写がうまく、途中、梅川忠兵衛の芝居を真似て幇間が踊るところも。芸達者ぶりを堪能した。
全員によるご挨拶ののち、吉坊の落語「ツメ人情」。失敗ばかりで破門されそうな若手人形遣いを、ツメ人形が助ける、異色の人情噺?
新作浄瑠璃「赤頭巾奉行剪刀」
赤い紋付に紅の裃、赤い座布団。友之助は三味線の駒も赤(どこで買ったのか?)
童話の赤頭巾を義太夫節で。突如時代がかった言葉遣いになったかと思えば、オペなと現代語がでたり、狼が悪人らしく笑ったり(大笑いにしては短め)、面白い作りだった。三味線は友之助が「凝りすぎた」と言っていたが、古典で聞いたフレーズがふんだんに盛り込まれて楽しかった。
休憩を挟んで、合作「梅川忠兵衛」。プログラムに「前 木ノ下裕一/奥 芳穂太夫 友之助/後 吉坊」とあり、木ノ下さん何するのかと思ったら、前説というか、レクチャー。梅川忠兵衛のタイトルは、「冥途の飛脚」「けいせい恋飛脚」のような、特定の作品を取り上げるのではなく、「梅川忠兵衛の世界」という意味だそう。近松の「冥途の飛脚」の前に、梅川と忠兵衛が出てくる話があるが、忠兵衛が梅川に騙されて金を運ぶ脇キャラだったとか。近松の冥途の飛脚とその改作のけいせいと恋飛脚、歌舞伎の「恋飛脚大和往来」へと続く流れ、違いなどを説明してくれ、頭の整理がついた。
奥は文楽「新口村」の後半、孫右衛門が登場するところから。共に初役だそうで力の入った熱演。もう少し柔らかみがあったらと思うところもあったが、聞き応えがあった。
吉坊は大正期に歌舞伎で作られたという後日談を落語化。忠兵衛は打ち首になったが、梅川は生き残り、再び廓勤めをしている。後を追わないのを薄情だと誹られる梅川を庇って八右衛門が身請けを申し出るが…という筋立て。吉坊は噂話に花を咲かす遊女たちの描写がうまく、途中、梅川忠兵衛の芝居を真似て幇間が踊るところも。芸達者ぶりを堪能した。
2019年10月2日水曜日
1002 青年団「走りながら眠れ」
大正期に生きたアナキスト、大杉栄とその妻、伊藤野枝の会話劇。大杉がフランスから帰国し、関東大震災後の混乱のさなか殺されるまでまでの数ヶ月を4シーンで描く。
大杉役の古谷隆太が、こういう男はモテるよなぁという魅力があり、野枝役の能島瑞穂は子供っぽいところがありつつ、大杉という癖のある男を受け止める包容力を感じさせ好演。
この後、二人が殺されると知っているから、セリフに込められた不穏な空気や刹那的な幸福の儚さを感じられたけど、予備知識なしで観たらどうだったろう。アフタートークで平田オリザ自身も言っていたが、不親切な芝居なのかも。
大杉役の古谷隆太が、こういう男はモテるよなぁという魅力があり、野枝役の能島瑞穂は子供っぽいところがありつつ、大杉という癖のある男を受け止める包容力を感じさせ好演。
この後、二人が殺されると知っているから、セリフに込められた不穏な空気や刹那的な幸福の儚さを感じられたけど、予備知識なしで観たらどうだったろう。アフタートークで平田オリザ自身も言っていたが、不親切な芝居なのかも。
2019年10月1日火曜日
1001 人形劇団クラルテ「女殺油地獄」
1973年にクラルテが初めて手がけた近松作品を久しぶりに再演。人形は当時のものだそうで、左右非対称で歪んだ顔の与兵衛に凄みがある。
はっとしたのは、河内屋でおさわが与兵衛に折檻するところや、殺しの場面。1人遣いだけあって、動きにスピード感があって迫力があった。殺しの後、暗転して静寂になる演出もよかった。
油地獄を通して1時間45分ほどだっが、殺しの後の新町、北新地の場面はなくてもいいように思った。
役を演じてない人たちが、コロスのようにナレーションを担当。一人で語るのはいいのだが、複数で語ると声のトーンやタイミングにズレがあり、何を言っているのか聞きづらかった。歌になるとそうでもないのだが。以前、野村萬斎が現代劇の役者で声を揃えて語るのがうまくいかず、謡の手法を取り入れたらうまくいったと話していたが、そういうことなのかも。
アフタートークは文楽座の勘十郎と神宗のご隠居。勘十郎は与兵衛を遣うとき、借金を断られ、「借りますまい」と言って顔を背け、自分の持ってきた油樽が目に入った時に殺意を抱くのだそう。油で滑るところは、足遣いがエンジンで一番大変。左遣いはプレーキで、実は主遣いは一番楽なのだとか。おさわが40代と聞いて驚く。文楽の女形は、娘、老女形の次はいきなり婆で、間が抜けているのでそうなるのだとか。
はっとしたのは、河内屋でおさわが与兵衛に折檻するところや、殺しの場面。1人遣いだけあって、動きにスピード感があって迫力があった。殺しの後、暗転して静寂になる演出もよかった。
油地獄を通して1時間45分ほどだっが、殺しの後の新町、北新地の場面はなくてもいいように思った。
役を演じてない人たちが、コロスのようにナレーションを担当。一人で語るのはいいのだが、複数で語ると声のトーンやタイミングにズレがあり、何を言っているのか聞きづらかった。歌になるとそうでもないのだが。以前、野村萬斎が現代劇の役者で声を揃えて語るのがうまくいかず、謡の手法を取り入れたらうまくいったと話していたが、そういうことなのかも。
アフタートークは文楽座の勘十郎と神宗のご隠居。勘十郎は与兵衛を遣うとき、借金を断られ、「借りますまい」と言って顔を背け、自分の持ってきた油樽が目に入った時に殺意を抱くのだそう。油で滑るところは、足遣いがエンジンで一番大変。左遣いはプレーキで、実は主遣いは一番楽なのだとか。おさわが40代と聞いて驚く。文楽の女形は、娘、老女形の次はいきなり婆で、間が抜けているのでそうなるのだとか。
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