2018年10月28日日曜日

1026 ミュージカル「ジャージーボーイズ」

歌中心のコンサートのような舞台かと思ったら、春夏秋冬にバンドの栄枯盛衰を重ね、それぞれのメンバーが語る構成がよく、人間ドラマとして楽しめた。新歌舞伎座の音響がいまいちという事情もあるのかもしれないが。4人の個性が歌だけでなく、踊りでも表現されていて、揃いの振り付けなのに性格の違いが見えたのが面白い。 中川晃教はフランキーを忠実に再現したせいか、ねっとりした歌い方。この“天使の歌声”できる人はなかなかいなさそう。

2018年10月26日金曜日

1025 劇団太陽族「トリビュート」

ビートルズの音楽にのせた短編集というので、それなりに面白いだろうと期待していたのだが…。冒頭、客演の三田村啓示が素のような恰好で前説らしきものを始めるのだが、「客演なのにこんなことさせられて」とか、「薄いダメだししかできない演出家が」とか、自虐を装って笑いを取りに行こうとするのが全く面白くなくてのっけから白ける。最後の話は新聞の交換紙を皮肉ったもので、関係者のウケを狙ったのか。新入りの日経の担当者が死んだモルモットを持ち歩き、同居する猿(男)を殺したと匂わせる意図がよくわからない。岸部孝子が歯が抜けたような発声だったのが耳障り。以前はこんなことなかったと思うのだが。

10月24日 永楽館歌舞伎

「御所桜堀川夜討」 弁慶上使はあまり面白くないと思っていたのだが、なかなかどうして。愛之助が弁慶役に嵌っている。演出家の水口氏いわく、「臭く演ると面白くなる」のだそうで、愛之助の顔芸が生きた。吉太郎が卿の君としのぶの二役に抜擢。健気さ、可憐さが涙を誘う。瀕死の状態になると多分ちょっと男の素が出てしまうので、おわさの壱太郎と並ぶと老けて見えたのが惜しかった。壱太郎のおわさはクドキをたっぷりと。ちょっと間を埋め切れていないように感じるところもあったが、年齢を考えれば仕方ないか。花の井の吉弥、侍従太郎の大谷桂三がしっかり固めた。 「口上」 愛之助、壱太郎は恒例の内容。初参加の桂三が自身の鬘ネタを披露しだし、こんな風に自虐ネタで笑いを取る人だとはと驚く。吉弥はマイクを取り出して、出石賛歌を歌いだすサービスっぷり。客席には副市長がおり、来年の開催も約束していた。 「神の鳥」 リクエスト投票で選ばれた作品。道成寺や暫の要素が入り、歌舞伎らしいエッセンスがつまって気楽に楽しめる。最後の鹿之介の登場までに、舞台上の千次郎らが朝ドラいじりをしたり、「USA」ダンスを披露したりというのは千秋楽のお楽しみなのだろうが、早替わりの間をもたせていたようにも。子コウノトリ役で14歳の愛三郎が出演。表情に硬さが残るものの、懸命に勤めた。

1023 近代能楽集「竹取」

セリフは少なく、コンテンポラリーダンスのような身体での表現。すり足のような動きや足袋のような履物、謡がかったセリフ回しなど、能の要素が取り入れられる。小林聡美と貫地谷しほりは発声、声質がよく、セリフが耳に心地いい。ダンサーの中に混じると動きは劣るのは仕方ないのか。同じ振りをしてるのに、どこか精彩を欠く。
舞台上の天井からゴムのようなものを吊るし、錘を動かして様々に変化させる演出。竹林のようだったり、囲いのようだったり、能舞台のようだったり。照明も面白く、舞台奥に映したシルエットでかぐや姫と翁を大小で見せたり、ラストは舞台上に張った水に投影した光が月のようだったり。

2018年10月23日火曜日

10月21日 十月大歌舞伎 夜の部

「宮島のだんまり」
総勢13人か登場する豪華なだんまり。見慣れない女形がと思ったら種之助だった。

「吉野山」
玉三郎の静は花道の出から品のある美しさ。忠信より年上っぽいというか、上位にある感じがした。勘九郎の忠信は終始格好良い。狐の本性を見せるところも匂わせる程度で、動物っぽい可愛さを抑えていた。キッパリした踊りのうまさ。狐の耳みたいな髪飾りもなかった。巳之助の早見藤太はなぜかおじさんぽい。

「助六」
今公演で一番見たかったものだが、うーん。仁左衛門の助六は文句なしに格好いいのだが、ちょっと衰えも感じたり…。花道の出は若々しく見え、七之助の揚巻に合わせたのかしらとも思ったが、台詞はともかく動きが。意休にキセルを渡すときに脚を床几の上にあげたり、床几の上に足を投げ出して意休を挑発したりするところなど、動きがもたついたように見えた。七之助の揚巻は出の風格、美しさは十分。セリフを重ねると地が出るのが惜しい。勘九郎の白酒売ははんなりした風情。松葉屋女房の秀太郎、遣手お辰の竹三郎、出番は短かったけれど、郭町の雰囲気がぐっとでる。

10月21日 十月歌舞伎公演「平家女護島」

俊寛の前後を付けた「通し狂言」とのことだが、原作にあるらしい常盤御前や義経の話は入らず。芝翫が清盛と俊寛の二役。
「六波羅清盛館の場」は俊寛が島に残ると決意する要因になる東屋の自害の様子が描かれる。芝翫の清盛は国崩しらしい暴虐ぶり。東屋は孝太郎。この手の役は手に入れている感じ。東屋に同情的な清盛の甥、教経に橋之助。爽やかな風情がいいが、東屋の首を打つとき刀を抜くのがもたつく。もっと手早くやってくれ。有王丸の福之助は動きに稚拙さが残るが、力一杯。

「鬼界ヶ島の場」はやはり好きになれず。俊寛が高僧のわりに潔くないのぎ腑に落ちないのだ。芝翫は船を見送る慟哭の様子が激しく、そんなに後悔するなら始めから島に残るなんて言うなと思ってしまう。最後の最後で諦観した様子で遠くを見ているのはよかった。慎悟の千鳥は健康的な田舎娘の所作なのだが、化粧のピンクがきついのか、ケバく見えたのが惜しい。亀鶴の瀬尾は手足の赤さに比べて顔が白すぎないか?

「敷名の浦磯辺の場 御座船の場」
清盛が後白河院を海に投げ込んだり、千鳥と東屋の亡霊が現れて業火に焼かれたりと、怒涛の展開。千鳥が泳いで後白河院を助ける大活躍。ただの田舎娘が俊寛娘という意識で何でこんなに政情をる知っているのかとは思ったが。
有王丸の立ち回りが水の中。浅瀬なのかもしれないが、倒れた敵は溺れるだろう。

10月20時 文楽素浄瑠璃の会

「鎌倉三代記 金閣寺の段」
靖太夫の懸命な語りに好感。まだ荒削りで大膳の大きさ、悪さが足りない感は否めないが、雪姫の可憐さ、健気さが良かった。錦糸の三味線が確かな足取りで導く。

「三十三間堂棟木由来」
出だしの咲太夫の節遣いに、さすが切り場語りと思ったが、後半は息切れしたのか聞いていて辛く、何度か意識を飛ばしてしまった。特に高音部が搾り出すようで。燕三は終始眉間にシワ。体調が悪かったのだろうか。

「日向島の段」
織太夫は声がよく、声量もあり、語り分けも明確。緩急のある語りで、間違いなくこの日一番だったのだが、今ひとつ心に響かないのは何故だろう。心が込もってない感じがするからだろうか。宗介はいつもながらの手堅い三味線だったが、いつになく神妙な面持ち。
冒頭の謡がかりの前に空気を整えているところでの「織太夫!宗介!」、最後のフライング気味の「大当たり」とも、大向こうの間の悪さったらなかった。

1019 アマヤドリ「豚に真珠の首飾り」

友人の結婚式に集まった女たち4人の会話劇。普段のおしゃべりを再現したような台詞は指示語が多かったり、主語が曖昧だったりで、内容が明確でないので、ちょっとイラつく。説明的になりすぎるとリアルではなくなってしまうのだろうが、観客には不親切な気がする。後半、重度の障害をもって生まれた新婦の子どもの延命措置を巡って言い争いになるのだが、現在進行形でなく、過去の発言に対してあんなに怒るのは違和感がある。うーん、正義感の強い女子はああなるの?少しでも長く生きることが人類の幸せでそのためにはどんなコストでも払うべきという人命至上主義者?反論する側も、障害児を育てる困難から新婦の人生が犠牲になると思ったとかいうのだが、実際障害児を育てている新婦かどうなのかとか、子どもが成長していく過程でどう変わったかなどの説明があまりない。「結局、踊ることしかできない」というのが私の意見に近いかなあ。所詮、当事者にしか決められないことだし。

1018 清流劇場「メデイア」

現代風のリビングのようなセットで、衣装もスーツやワンピースなど現代風。メデイアは子供達のためにパンケーキを焼いたり、シンクで皿を洗ったり、子供達はテレビゲームに興じたりと、日常感のある振る舞いで、重々しいギリシャ劇のセリフを身近に感じさせる。一方、あまりに男尊女卑的なセリフが気になったのは、現代人が話すことへの違和感だったのかも。
林英世は説得力のある台詞、演技で理性を上回る激しい怒りに翻弄されるメデイアを体現。イアソンの一方的な裏切りが原因とされるが、そこまで執着すべき男には思われず。むしろそれまで彼女がしてきた数々の殺人の報いを受けているように感じた。イアソン役の西田政彦はサラリーマン風?コリント王の娘との結婚は息子たちのためと詭弁を弄するのところなど、説得力が足りない気がした。

1017 ミュージカル「タイタニック」

セリフが少なく、歌唱で物語が進行するので、歌の上手い役者を揃えたのは正解。二等客のキャロライン役な菊池美香が多彩な表現力があってよかった。夫婦やカップルが救命ボートとデッキに分かれるシーンは感動的だったけれど、泣けるほどではなかった。前の席の客は盛大なすすり泣いていたのでびっくり。ただ、後味の悪い物語だ。タイタニックの史実に基づいている以上仕方ないのではあるが、最大の山場がオーナーと船長と設計士が責任のなすり合いをするところというのがなんともやりきれない。誰にも感情移入できないし。記録にこだわるオーナーは当然だとして、船長が押し切られるというより自ら進んで速度をあげようとしているように見えるのが不可解だった。設計士が主役というのもよく分からない。最後に設計上のミスに気づいて歌い上げるソロはあまりに後の祭りすぎて、蛇足にすら思える。オーナー役の石川禅が船長や船員への居丈高な態度から我先に救命ボートに乗ってしまう卑劣さまで、嫌な奴ぶりが際立った。
大掛かりな舞台装置はなく、不穏な音楽で危機が迫るようすを暗示したり、音と照明のみで氷山の衝突や船が沈む様子が伝わった。

2018年10月15日月曜日

1014 NODA ・MAP「贋作 桜の森の満開の下」

舞台美術が素晴らしい。冒頭、舞台を覆う紙状のシートを破って鬼が出てくるところや、振り落としのようにブルーやゴールドの薄膜が垂れ下がってくるところ、ピンクのゴム状の紐が舞台を横切り、四角く囲って枠のように使ったり、場面転換のところでさっと舞台袖に引き上げたりと効果的。 夜長姫の深津絵里が無邪気で残酷な姫を好演。耳男の妻夫木聡はどこがどうとは言いにくいのだが、とても役に合っていたと思う。オオアマの天海祐希は早寝姫を口説く場面の男前なこと。マナコの古田新太は調子が悪いのか、セリフを噛むところが多かったような。

1014 エイチエムピー・シアターカンパニー「高野聖」

セリフが少なく、ストップモーションのような動きが面白い。ダンサーのように身体表現に特化した役者たちではなかったので、動きがややあいまいだったのが惜しい。ダンサーに演じさせたらどうだろうか。音もなく、息遣いでタイミングを合わせているのかとおもったら、役者の耳にイヤホンがあり、常にビート音楽が流れていたのだそう。舞台上に林立する黒い柱のようなものは、裏が白いゴム状のもので、めくって字幕を映したり、間から役者が手や顔を出したりしていた。女役の原由恵が妖艶で、目で旅僧を誘うところがよかった。

1011 劇団四季「リトルマーメイド」

フライングを使った演出は浮遊感があって水中の表現に合っている。が、ディズニーらしいストーリーには共感できなかったが、子供向けにはこれでいいのか。アリエル役の三平果歩は美人というよりは愛嬌のある顔だが、声をなくしてからバカみたいに笑っているのはどうかと思う。歌の才能があって、姉妹で歌うときにはいつもソロをとるという設定にしては、ずば抜けた上手さは感じられなかった。エリック役の竹内一樹は、役者のせいか、脚本のせいか、ちっとも魅力を感じない。むしろ悪役のアースラ役の恒川愛がよかった。ドスの利いた歌やセリフで魅せた。最後、あっさり退治されてしまうのは、あまりにも安易で、むしろかわいそう。

1006 新作能「沖宮」

石牟礼道子の原作、志村ふくみの衣装での新作能。石牟礼の原作は正直、能らしくないなあと思っていたが、手が加えられて能の形式になっていた。 ワキを村長役にし、村長に伴われて少女あやが登場する。島原の乱の戦場となった原城に赴くと、天草四郎の亡霊(金剛龍謹)が現れる。四郎の衣装は臭木で染めた水縹色。内から発光するような不思議な色合い。人柱となるあやがまとう緋色の衣装を四郎が授けるのはいいが、地謡に合わせて水ですすぐ仕草は少々分かりにくいかも。あや役の豊嶋芳野は緋色の衣装が良く似合い、か細い声で「兄しゃま」と呼びかけるのが可憐。あやの舞、四郎の舞もあるが、竜神(金剛永謹)による豪快な舞が能らしい見どころ。天候にも恵まれ、公演中は雨風が止んでいたのが、最期にパラパラと雨粒が落ちて、雨乞いの祈りが届いたかのようだった。

10月5日 播磨国風土記

浄瑠璃とうたってはいたが、嶋太夫の朗読に津賀寿の演奏が添えられた風。声の高低、息遣いの巧みさは健在だったけど、浄瑠璃の節がないのが物足りない。作者はステンドグラス作家が本職とのことで、脚本の言葉の力が弱い。嶋太夫の声をもってしても響くものが少なかった。津賀寿の演奏は荒れ狂う海の描写など迫力があったが、ちょっとトゥーマッチに感じた。

本編の前に、葛西聖司による解説。古い写真を見せながら、嶋太夫の半生を振り返る。呂太夫時代、喜左衛門(二代目?)とのツーショットは貴重、杉本文楽の稽古で熱の入った指導ぶりも興味深かった。嶋太夫による「飴を買う女」の朗読も。言葉がたどたどしく感じたのは、老いなのか演出なのか。

1004 前進座「裏長屋騒動記」

落語の「らくだ」と「井戸の茶碗」をもとに山田洋次が脚本。らくだ役の松浦海之介は不愉快な演技。乱暴者で嫌われ者ではあるのだが、尾篭な話や狼藉ぶりが笑えなかった。娘お文の今井鞠子は可憐でヒロインにはまる。化粧がちょっと白過ぎたか。侍の乳母やお殿様の役で河原崎国太郎が出てくると安心して笑える。侍役の忠村臣弥は若手の二枚目役の安定感が出てきた。
演出では暗転が多用されていたのが退屈。場面転換が多いのは分かるが、せっかく廻り舞台があるのに、いちいち幕を下ろして花道や幕前で場つなぎするのは安易ではないか。

1003 十月大歌舞伎 夜の部

「双子隅田川」
市川右近の可愛いこと!タイトルロールだけあって、出番も多く、事実上の主役。梅若と松若の早替りもあり、宙乗りもありで、大人の役者を喰っていた。2年前の初舞台でこれをやったというのはすごいなぁ。
右近改め右団治は鯉つかみの扮装が一番似合っていた。本水は控えめかと思いきや、ラストで滝が開いて大量の水が。猿之助の班女御前は物狂いの様がいい。
九団治が海老蔵に似てて、大詰めで花道を出たところは見間違えた。海老蔵本人は気の入らない演技で、右団治が熱演してる横で退屈そうな顔。残念。

1003 十月大歌舞伎 昼の部

「め組の喧嘩」
ってこんな馬鹿馬鹿しい話だったっけか。海老蔵の辰五郎はいつもながらのどこか遠い目をしていて、人を馬鹿にしたようなふわふわとしたセリフには粋や覚悟は感じられない。ただの、半グレチンピラの喧嘩で白けるばかり。鳶か集まって決起するところで、妙な間があったのも緊張感がない。初役だそうだが、彼がやる意味があったのか。雀右衛門の女房もニンに合わないと思う。
子役が可愛く、辰五郎が決死の覚悟で殴り込みに行くところでいつ掴もうかと間合いを図っていた。寿猿はセリフが入っていないのか、床や扇子をやたら見ていたのが気になった。

「団十郎花火」
新作の舞踊、スクリーンに花火を映す演出が安っぽい。
後日、「華果西遊記」を所見。右團治の孫悟空は手品のように如意棒を出したり、鮮やかに棒をあやつったりと器用なところを存分に見せる。分身の右近が可愛い。宙乗りでは筋斗雲をスリッパのように履くのが面白い。米吉の三蔵法師の凛とした美しさ。弘太郎の猪八戒、猿四郎の沙悟浄が面白く、孫悟空と息の合ったやり取り。笑三郎の西梁国女王の妖艶さ、廣松の芙蓉も健闘。

2018年10月1日月曜日

0928 シス・カンパニー「出口なし」

3脚のソファーと銅像があるだけの部屋に招き入れられる1人の男と2人の女。会話から地獄であるらしいと分かる。見ず知らずの人間によってにわかに作られた関係によって苦しめられる様は、サルトル作だけあって哲学的な示唆に富む。多部未華子がキンキンした声で化粧も濃く魅力的でなかったのが残念だ。

0927 ヨーロッパ企画「サマータイムマシン・ブルース」

15年前に初演したというだけあって、学生ノリが色濃い。「ワンスモア」と比べると、脚本の練り具合も浅く、単調。こちらを先に見るべきだった。