2018年6月30日土曜日
0628 玉造小劇場「眠らぬ月の下僕」
満蒙開拓団で大陸に渡った少年が敗戦の混乱に巻き込まれ、日本へ帰りたいという意思と裏腹に西へ西へと流転していく。2時間で世界一周を移動する壮大な芝居を近鉄アート館の小さな空間で見せた。舞台の上に人形劇のような小舞台を設け、人形を効果的に使う演出は文楽の影響を感じさせる。特に前半は戦争の描写で次々と人が死ぬのだが、死んだ人形は舞台の上に置き去りにされるのが、何とも言えない虚しさ、悲しさ。
主人公喜久雄を演じたうえだひろしは運命に翻弄される少年の成長を体現。場面転換時のボヤキが何とも言えない可笑しさ。岡田嘉子役の美津乃あわが女優然として印象的。
0623 文楽若手会
「万才」
咲寿、小住、碩に錦吾、燕二郎、清允。人形は玉彦、勘次郎。
「絵本太功記」
夕顔棚の段は亘・清公、尼ケ崎の段の前を希・友之助、後を靖・寛太郎。
最初からずっと聞いてきて、靖になってやっと浄瑠璃が聞けた感じ。先の2人も声はよく出ていたが、別の語りもののようで。
人形は紋臣のさつきが落ち着いた風情。簑紫郎の操は色気がある。玉誉の初菊はたどたどしい。玉勢の光秀は力あふれる。
「傾城恋飛脚」
新口村の口を碩・清允、前を小住・清丈、後を芳穂・清馗。
碩は堂々とした語りぶりで期待が高まる。褒め殺しでつぶされないことを祈る。小住は鑑賞教室からの不調から抜け出せない印象か。芳穂は芝居気が出てる。
忠三郎女房のくだりで客席が妙に笑っていたのは何でだろう。そんなにめちゃくちゃ面白くもないと思うのだが。人形がちょっとグダグダで、「今じゃない」と言ってから忠兵衛が飛び出してくるので、いつも以上に笑いが大きかった。玉翔の忠兵衛、梅川は紋秀、孫右衛門は文哉。
2018年6月23日土曜日
6月21日 文楽鑑賞教室 Dプロ
三番叟、解説は飛ばして「絵本太功記」のみ。
夕顔棚の段は小住・清丈。小住は尼ケ崎の時よりはまとまっていたような印象。
尼ケ崎の段は前が靖・錦糸、後が織・燕三。靖は低音部が苦しそうではあるものの、誠実な語り。錦糸の三味線はいまや貴重な安心感。織は出だしは勢いがあり客席にインパクトを与えたが、中盤から歌い上げる調子になってがっかり。燕三がたたきつけるような演奏でびっくり。掛け声も多かったような。
人形は紋臣の初菊が愛らしい。勘十郎のさつきは気丈な感じ?玉佳の光秀は人形より本人の演技が先に立つ。簑紫郎の十次郎は賢そうというか、武より文に秀でている印象。
2018年6月20日水曜日
6月19日 文楽鑑賞教室 Cプロ
「寿式三番叟」
希、亘、碩に勝平、寛太郎、清公、燕二郎。
お囃子のずれっぷりは相変わらずだったが、三味線が最後までまとまっていたのでギリギリのところで踏みとどまった印象。シンの勝平の安定感か。
「絵本太功記」
夕顔棚の段は咲寿、清馗。咲寿はところどころ煩いものの、さつきの老女らしさなど語り分けはまずます。
「尼ケ崎の段」は前は芳穂・宗助、後が文字久の代役の小住と清介。
芳穂は安定感があり、咲寿の後だととてもうまく聞こえる。小住は立派な体格から声はよく出ているが、光秀や久吉はともかく、さつきが老女になってない。
人形は光秀の玉也をはじめ、さつきの簑一郎、操の勘弥、初菊の紋秀と渋ぞろい。
6月16日 花形新派公演「黒蜥蜴 全美版」
期待してたけど、それを上回る素晴らしさ。河合雪之丞の黒蜥蜴は美しく、妖しく、儚げ。喜多村緑郎の明智 はクールで格好良く、でもどこか屈託がある。犯罪への好奇心を隠そうともしない少年っぽさがいいアクセントになっている気がする。主役の2人のは絵になるだけでなく、緊張感のある駆け引きがスリリングで官能的だ。通天閣での身代のやり取りのあと、警察や他の盗賊たちに追われる黒蜥蜴を明智が逃すところでは立ち回りや早替りでも見せ、2人がたがいの過去を打ち明ける場面など増えていて、関係を丁寧に描く。明智と黒蜥蜴が、裕福な家庭に生まれたよく似た境遇であったと分かり、似たもの同士、生きき別れた双子だと認め合う、。命を救ったお礼をと言う黒蜥蜴に対し、本当の名を尋ねるも邪魔が入って叶わず。「君のことは何も知らない」という明智のセリフがラストにも効いてくる。
冒頭、ラメの黒い着物の裾から覗く黒蜥蜴の足が網タイツなのはいいとして、スリッパのような靴がもっさりしてるとか、顔の輪郭ラインのやけにピンクのきついメイクとか、残念なところもあったけど、そんな欠点が気にならなくなるほどの面白さだった。
他のキャストもはまっていて、波多野警部役の今井清隆の歌や洒脱なセリフ、チンピラっぽいギラギラした感じがはまっていた雨宮役の秋山真太郎、チャイナドレスを着てるなお美しい紅子(河合宥季)の女らしさ。早苗役の春本由香も新派らしい大仰なセリフ回しが板についていた。
冒頭、ラメの黒い着物の裾から覗く黒蜥蜴の足が網タイツなのはいいとして、スリッパのような靴がもっさりしてるとか、顔の輪郭ラインのやけにピンクのきついメイクとか、残念なところもあったけど、そんな欠点が気にならなくなるほどの面白さだった。
他のキャストもはまっていて、波多野警部役の今井清隆の歌や洒脱なセリフ、チンピラっぽいギラギラした感じがはまっていた雨宮役の秋山真太郎、チャイナドレスを着てるなお美しい紅子(河合宥季)の女らしさ。早苗役の春本由香も新派らしい大仰なセリフ回しが板についていた。
0615 劇団太陽族「sumako」
日本の女優の先駆け、松井須磨子の生涯。死んだ須磨子の通夜の場面から始まり、須磨子を生き返らせるという謎の男の導きで過去へ遡って出身地の上田へ。上京、女優デビュー、島崎抱月との不倫関係…と駆け足の感があるのは約2時間の芝居では仕方ないのか。須磨子を3人の女優(船戸香里、韓寿恵、佐々木淳子)が演じるのは多面性を描くため?病死した島崎の後を追った須磨子が出した3通の遺書を3人の女優が読む場面で、このためのトリプルキャストだったのかと思った。
ラストはやや強引か。死んだ須磨子が島崎とともに新天地?を目指し、ジャズに合わせて役者たちが歌い踊る。唐突なミュージカルもどきに戸惑うし、歌も踊りも、一生懸命ではあるけど決して上手くないのがキビしい。そして時は現代へ移り、スマコならぬスマホに夢中な現代人を皮肉り、平成を弔うラストシーン。人力車に乗って現れる黒いドレスの貴婦人(平成の象徴?)のビジュアルは悪くないが。
島崎の正妻役岸部孝子の嫌味っぷりが秀逸だった。
ラストはやや強引か。死んだ須磨子が島崎とともに新天地?を目指し、ジャズに合わせて役者たちが歌い踊る。唐突なミュージカルもどきに戸惑うし、歌も踊りも、一生懸命ではあるけど決して上手くないのがキビしい。そして時は現代へ移り、スマコならぬスマホに夢中な現代人を皮肉り、平成を弔うラストシーン。人力車に乗って現れる黒いドレスの貴婦人(平成の象徴?)のビジュアルは悪くないが。
島崎の正妻役岸部孝子の嫌味っぷりが秀逸だった。
2018年6月13日水曜日
0612 社会人のための文楽鑑賞教室(Bプロ)
文楽のいろはは桂かい枝のナビゲーション。床は靖太夫と友之助で、「三味線一のイケメン(友之助)とつけ麺好き(靖)」と紹介して笑いを誘う。上方落語と義太夫節はともに300年ほど前に誕生し、1人で語り分ける、見台を使う、大阪弁などの共通点がある一方、あっさりと自然に表現する落語と、大仰に三味線の演奏とともに表現する義太夫節の違いを笑いを交えて解説。小咄「くちなし」の義太夫節バージョンが面白かった。人形解説は玉誉。説明がグダグダになってかい枝に突っ込まれていた。かい枝のセリフに合わせて女形の人形が小走りし、躓いて膝を立てて踏みとどまる→ひざは実は足遣いの握りこぶしといういつもの人形解説、爪人形を交えた立ち回りなど。
「絵本太功記」
夕顔棚の段は希・寛太郎。希の声が若々しいというか、軽すぎて、さつきが似合わない。寛太郎は淡々と。
尼崎の段の前は睦・勝平。高音部がかすれる悪癖が復活していて残念。勝平の三味線は音が前に出ている感じだ。後の千歳・富助の安定感。ようやく義太夫節が聞けた安堵感で、逆にそれまでの2人の語りを落ち着いて聞けなかったと実感した。光秀の言動には全く共感できないのだが、十次郎やさつきの嘆きが胸に迫るのは語りの力だろう。
人形は簑二郎のさつき、一輔の操、簑紫郎の初菊。初菊の後ろ振りは形が決まっていて美しい。光秀の玉志は淡々としてる。十次郎は文哉に代わって玉勢だったが、きっぱりとした動きで若武者らしさにあふれてよかった。久吉は玉男でこのメンバーの中では抜群の大きさ。
さつきの住家の井戸は途中が途中でなくなってしまうのはなぜ?というか、井戸なくてもよくないか?
2018年6月11日月曜日
0611 空晴「となりのところ」
狭いながらも楽しい我が家?隣り合った3件の長屋?の住人達の物語。どう声をかけていいか分からない場面で、ありきたりでも精一杯の言葉はうれしいと思いというのが主題なのか。冒頭、客演の孫と上瀧の居合いが格好いい。古市ちさが珍しくワンピース姿で、オーバーアクション気味の演技もはまっている。上瀧が工務店の使えない店員役であれ?と思っていたら、孫と高校の同級生という設定で、最後は2人の無言のやり取りが雄弁。
終始傘袋をカサカサさせてる人がいて、視線で訴えても全く通じず。静かなシーンが多かったので、声に出して注意すると逆に自分の声が芝居を壊してしまいそうで、比較的騒がしい場面でささやき声で訴えてみようとしてっも通じず。こういう時、どうしたらいいのだろうか。
6月11日 宝塚雪組「凱旋門」「Gato Bonito!」
「凱旋門」
ラヴィック役の轟悠は18年ぶりと思えない若々しさを保っているが、歌声はキツイ。終始かすれ気味で、発声が苦しそう。望海風斗のために、ボリスの歌場面を増やしたそうだが、狂言回しのようで、ラヴィックとの絡みは少なく、2人の友情をもっと描いてほしかった。深刻ぶるラヴィックに対し、軽く享楽的なボリスという対比も言葉だけで、もう少し丁寧な描写があってもいいのでは。ジョアンの真彩希帆は最期の場面で涙を流すなど、演技派ぶりを発揮。「パララパララ」の歌など轟とのデュエットで聞かせたが、望海との歌をもっと聞きたかった。
「Gato Bonito!」
美しい猫というタイトル通り、終始猫をモチーフに、ラテンの音楽でつづる。…が、ラテンばっかりって正直飽きる。トップ2人の歌唱力を堪能できなかったのも物足りない。中盤、体の線の出るレオタード風衣装で、男役4人が望海に絡む場面があったのだが、男役の女装が好きではない(というか、あまり乱発すべきでないと思っている)ので、今一つ楽しめず。安易にファンをざわつかせるのはどうかと思う。
6月10日 京都観世会 復曲試演の会「実方」
「実方」
すでに数パターンの復曲能があるそうだが、今回は後シテの実方が老人ではなく若い姿で登場するところが特徴だそう。かつての美男子が老いた自分の姿に気付くという筋で、老女物の男性版だという。前シテと後シテの姿が変わるのは、見物としては目先が変わってありがたいが、若い姿で観ず鏡に映った自分の老いた姿を見て嘆くという表現は難解かもと思った。実方の片山九郎衛門は、老人の面をかけても実年齢の若さが隠し切れない感じ。10人の地謡が地響きのようで心地よかった。
「野守」
シテは浦田保浩。前シテの老人と後シテの鬼のメリハリがはっきりしていて、面白い。
2018年6月9日土曜日
6月9日 文楽鑑賞教室 Aプロ
「二人三番叟」
靖、咲寿、亘に清馗、友之助、錦吾、清允。人形は紋秀、玉誉。
何でだろう。三味線とお囃子と足踏みのリズムが噛み合っていなくて気持ち悪い。清馗が終盤ニヤっとしていたのが謎。
「絵本太功記」
夕顔棚の段は南都・清志郎。清志郎の三味線は目が覚めるよう。
尼ヶ崎の段は前が呂勢・清友、後が津駒・藤蔵。
呂勢の語りは耳に心地よく、初菊のクドキが胸に響く。20分ほどと短いのが残念。
津駒は渾身の語りだが、時代物には合わない声。藤蔵は力が入りすぎているように感じた。
人形はさつきの和生に安定感。初菊の紋臣が可憐。操の清十郎はしっとり。光秀は玉助で力いっぱいの大きさがある。十次郎の清五郎、終始人形が左(主遣い側)に傾げていたように見えた。
2018年6月8日金曜日
0607 イキウメ「図書館的人生Vol.4襲ってくるもの」
短編3本。時代もシチュエーションも違うけれど、少しずつつながっている。
「箱詰め男」は近未来。アルツハイマー認知症にかかった脳科学者が自分の脳をコンピューターにアップロードする。寄木細工の箱に収められた男は肉体を失った変わりにすべての記憶を保っている。あらゆる質問に答えることができ、記憶は正確だが、感情がなく、AIスピーカーのようなやり取り。ネットや家電とつながって、サイト検索や家電の操作もしてしまうし。感情を刺激するような感覚があれば欲望が生まれるのではと、嗅覚センサーを付けたことで、感情が揺さぶられ、欲望も生まれる。が、眠ることができないコンピューターは感覚をオフにできず、常に覚醒した状態に苦痛を感じるようになる。脳科学者の妻役の千葉雅子がリアル。脳科学者の安井順平は声だけだが、AIスピーカー然とした冒頭から、感覚が呼び覚まされた様子を繊細に描写した。
「ミッション」は「一時停止を無視しろ」という衝動にかられて死亡事故を起こし、服役した男が主人公。出所後、事故で死亡した高齢者が認知症になりかかっていて、逆に交通事故の加害者になりかねなかったと知り、衝動にしたがったことが世界にいい影響を与えているのではと考えるようになる。自らの考えに拘泥する狂信的な男を演じる大窪人衛は前作の印象と被る。同僚の田村健太郎は、マエカノとの関係がこじれてストーカー認定されていたという過去を明かす。一見いい人そうに見えるちょっと困った男を好演していた。
「あやつり人形」就職活動を始めた女子大生由香里は、「就活生の型にはまらず、自分らしくすればいい」という兄の助言に釈然としない感じをもっている。ガンが再発した母は仕事を続けたい意向をもちながら、子どもたちの勧めで積極的な治療を選択する。治療の副作用が大きく、辛そうな様子に由香里は治療よりも母の希望を優先すべきではないかと考えるようになる。「あなたのためだから」という言葉が、実は発した側の気持ちを楽にするための言葉だというのではないかという問題提起が鋭い。由香里の彼氏役の田村が、一見いい人なのにどうしようもなくうっとおしい男だった。
2018年6月6日水曜日
0603 1789―バスティーユの恋人たち―
加藤和樹のロランはちょっと大人すぎる感じ。歌はうまくていいのだが、ロランはもっと若くてバカっぽいほうがいい気がする。神田沙也加のオランプ、龍真咲のアントワネット。龍は高音もよく出ていたが、どことなく気品がないのはなぜだろう。前かがみぎみの姿勢のせいか。新歌舞伎座は舞台が近くて臨場感があり、革命勃発の群舞はぐっと来た。
0603 sound theater Ⅷ
パーカッションの石川直、ピアノデュオのレ・フレール、タップダンスのRON×Ⅱ、ストリートダンスのKENTARO!!という異なるジャンルの共演。アップテンポの曲は躍動感があって楽しいが、あまり変わり映えがしないので途中ちょっと飽きた。参加型にしたい観客がやたらと手拍子をするのだが、タップの音が聞こえなくなるので遠慮してほしい。演者が求めたときはよしとして。
0603 少女都市「光の祭典」
粗削りなところや、ほとばしるエネルギーを感じ、良くも悪くも若さにあふれる芝居。主人公の狩野陽香をはじめ、役者陣は表現がぎこちなく感情移入しにくいが、客演の松田はテレビなどでの活動経験のおかげか安心して見られた。登場人物が多くて関係性が複雑なので、話についていくのに苦労する。途中のミュージカルシーンが唐突で戸惑った。作者が何か伝えたいということはひしひしと感じられ、観ていてしんどい。
6月2日 梅若実襲名披露 京都公演
梅若実は「菊慈童」。赤や黄色の菊をあしらった道具が綺麗。途中足元がふらついたように見え、ハラハラした。ワキの福王茂十郎の重厚感と菊慈童の寂寥感が素晴らしい対比。
「佐渡狐」
七五三に代わって宗彦が佐渡の百姓。あきらが越後の百姓、千作の奏者。
ワイロを渡して口裏を合わせる宗彦と千作が目配せしてニヤリとする仕草がおかしい。ただ、急な代役のせいもあろうが、千作、あきらとの芸の風合いが違うように感じた。年輪の差か。
「石橋」
片山九郎右衛門が後シテの白獅子、清愛が赤獅子で、歌舞伎の連獅子のような毛振りはないけれど、キビキビとした躍動感があり、心が浮き立つ。
「佐渡狐」
七五三に代わって宗彦が佐渡の百姓。あきらが越後の百姓、千作の奏者。
ワイロを渡して口裏を合わせる宗彦と千作が目配せしてニヤリとする仕草がおかしい。ただ、急な代役のせいもあろうが、千作、あきらとの芸の風合いが違うように感じた。年輪の差か。
「石橋」
片山九郎右衛門が後シテの白獅子、清愛が赤獅子で、歌舞伎の連獅子のような毛振りはないけれど、キビキビとした躍動感があり、心が浮き立つ。
0531 トリコ・A「私の家族」
尼崎連続変死事件をモチーフにした作品。喫茶店に集まる人々を「家族」と呼んで共同生活に取り込み、恐怖と甘言で精神的に支配していく様がリアルで、空恐ろしい。主犯格の女は無自覚に周りを巻き込んでいて、明確な悪意のないまま負のスパイラルが加速していく。友達を助けに行ったはずの女が、いつのまにか支配されている。あそこから逃げ出す機会はいくらでもあったはずなのに。思考停止に陥るのはある意味、現状追認が心地いいからだ。自我を保つことの難しさよ。
0530 南河内万歳一座「秘密探偵」
自転車での追いかけっこが繰り広げられるオープニングから、ガヤガヤと賑やかな芝居。浮気調査の探偵をことごとく邪魔する謎の探偵を探る展開。探偵たとが変装して入り乱れ、青年の家に押掛女房する謎の女などキャラの立った面々が面白かった。
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