2018年3月28日水曜日

0326 MONO「隣の芝生も。」

雑居ビルのとなりに入居した、元ヤクザの探偵事務所と大学の同級生で営むスタンプ屋。中央の大きな回り舞台の左右に小型の回り舞台を配して、小劇場でもスムーズに場面転換してテンポがいい。若者チームのスタンプ屋の場面でちょっとだれるところもあったが、テンポのいいセリフに笑いが絶えなかった。社会批判などでなく、エンターテインメントに徹したと言っていたが、人生哲学が垣間見えるような。 奥村康彦演じるボス(元組長)がチャーミング。足を洗うきっかけになった香港の組織から命を狙われていると知ってからのビビりぶりとスタイリッシュないでたちのギャップ、「モッチモチ」(ガムのこと)「ビビばる」(驚く)といった創作言葉(実は故郷の狭いエリアで話されいた方言)がキュートだ。若者チームではトラブルメーカーの信乃助役の大村わたるのお調子者ぶりが面白かった。

2018年3月27日火曜日

0325 桃園会「深海魚」

フレームのようなセットが奥に行くにしたがって小さくなる。合わせ鏡のようにも感じられ、ウイングフィールドの狭い空間が異世界になったよう。 癖のある男と女が誰か誘拐して身代金をせしめようしているらしいのだが、手際が悪く、ごっこ遊びのようでもある。リーダー格の職安役のはしぐちしんはじめ、ハードボイルド風というか、スタイリッシュな格好つけた物腰。肉屋の森川万里が気だるい大人の女の風情で、以前観た少年役とのギャップに驚く。 似たようなシーンが繰り返され、人質が誘拐犯になったり、からかわれていた者がからかう側にまわったりと主客が入れ替わるスリリングな展開。最後のひまわり畑の映像に目を奪われた。 夜に深津演劇祭の後夜祭があり、演出家たちが深津作品について語り合った。難解と言われる深津作品だが、物事をはっきりと言葉で明示せず、周辺から示唆するにとどめているからではという指摘が複数から。なるほどと納得。

2018年3月26日月曜日

0324 茂山狂言会 春~きょうの和らいは花盛り~

「花争 慶和、鳳仁の小学生コンビ。可愛らしく健気だが、セリフが拙くて内容がよくわからない。 「猿聟」 皆が猿の面を着けているので誰が誰やら分からないのだが、千作が鯛を背負って歩く様子がそこはかとなく可笑しい。 「花盗人」 千五郎の三位、七五三の亭主、茂、竜正、虎真、網谷、丸石、鈴木が花見の衆。 「花折」 宗彦の新発意、千作が住持。千三郎、あきら、童司、松本、井口、山下が花見の衆。 宗彦の見せ場で七五三が苦々しい表情だったのはなぜだろう。  続きを読む

0323 狂言風オペラ「フィガロの結婚」

管楽八重奏と、能、狂言、文楽が競演。フィガロ、スザンナ、ケルビーノ、バルバリーナを狂言師、伯爵を文楽、伯爵夫人を能楽師がそれぞれ演じる。驚いたのは狂言師の表現力。フィガロやケルビーノは太郎冠者のようで、クラシックの演奏を従えてもセリフが立っている。伯爵(在原平平)の人形を遣う勘十郎が表現豊か。呂太夫の語りは節付けが単調な気もしたが、声はよく通っていた。三味線の友之助はクラシック経験者らしいく、三味線でモーツアルトの旋律を奏でるが、義太夫三味線は音程が不安定だったかも。能楽師の伯爵夫人は気品があって役をよく表していた。

0323 宝塚雪組「誠の群像」

望海風斗が新鮮組の土方歳三というのは似合いの配役のはずなのだ。組の規律を守るため粛清を繰り返し、鬼と呼ばれる男が、花を愛で、俳句を嗜むやさしい一面を見せる。お膳立ては整っているのに、脚本の荒っぽさというか拙さがつくづく残念。望海はキリっとした表情で格好良く決めているのだが、その格好良さがまったくそぐわない。名刀「虎徹」に似ている刀を売りに来た武家の娘、お小夜(真彩希帆)に唐突に「俺は女に惚れたらしい」とか、鬼の表現らしい、そんな惚れた女がたいした理由もなく嫁ぎ先を斡旋されて嫁に行ってしまったり、官軍から逃げる途中で偶然再会して互いの思いを確かめ合って「乱心」してしまったり、般若を背中に描いた着物姿での踊りの何とも言えない野暮ったさだったり、列挙するときりがないくらいすべてが唐突で、ツッコミどころが満載すぎ。歌唱シーンもそれほど多くはなかったので、トップコンビの魅力が全く生きていない。けれど、休憩時間に聞こえたファンの声は「格好良かった」「泣けた」など好評だったみたいなのが謎だ。

2018年3月22日木曜日

0321 こまつ座&世田谷パブリックシアター「シャンハイムーン」

休憩を挟んで3時間の長舞台。照明の具合かセリフの心地よさか、体調がすぐれなかったせいもあって冒頭の30分ほどは瞼が開けていられなかった。 国民党の弾圧から逃れる魯迅(野村萬斎)と第二婦人の広平(広末涼子)をかくまう日本人の書店店主夫婦や医師らとの交流を描く。様々な病をかかえているのに頑なに治療を拒む魯迅と医師らのやり取り、人物錯誤症や失語症になった魯迅の言動など、笑いを誘うシーンも多いのだが、全体的に抑えた芝居で淡々と進む印象。萬斎は病身の表現のためか抑制された演技で物足りない気も。広末は澄んだ声が舞台に映えるが、少女っぽい仕草や表情がちぐはぐに感じた。書店主の辻萬長、その妻、鷲尾真知子、医師の山崎一と、達者な脇役陣は過不足ないパズルのピースのよう。歯科医の土屋佑壱が血気にはやる様子でアクセントになっていた。最後、フライング気味に拍手をする人がいて、芝居の余韻がなくなってしまったのがちと残念。

2018年3月17日土曜日

0316 あうん堂「五軒町商店街寄合会」

深津篤史の脚本。会議室のような部屋に集まった5人の男。商店街のホルモン屋で感染症の問題が起こり、材料を卸している食肉店の店主らが集まってきたということが明らかになってくるのだが、深津らしいというか、断片的な会話はしょっちゅう脱線し、なかなか本質が分からないのがもどかしく、不安を掻き立てられる。ホルモン店の手伝いをしている若い女が、実は家事手伝い用に「輸入」されたもので、それを「食用」に転用するための試食会であることが明かされるラストに向けて、徐々に俳優たちのテンションが高まっていくの恐怖。後味の悪さにやられた。

0316 ムサシ

蜷川幸雄の三回忌追悼公演で、もうこんなに時間が経ったのかと思う。 巌流島の戦いの後日談で、卑怯な手段で勝った宮本武蔵(藤原竜也)を追って、佐々木小次郎(溝端淳平)が再戦を挑む。鎌倉に新しく建てられた禅寺の寺開きの参籠禅のため、徳川家指南役の柳生宗矩(吉田鋼太郎)、寺の大檀那である木屋まい(白石加代子)と筆屋乙女(鈴木杏)、武蔵らが集まったところへ、小次郎がやってくる。 謡や舞の場面があったり、生者と死者の邂逅だったりと、能仕立ての演出。殺し合いの虚しさを説くというテーマは大切だし、憎しみの連鎖を断ち切るというメッセージはいいのだが、無駄死にしてしまった死者たちが「命大事に」という展開で力が抜けた。 不意打ちを防ぐため、それぞれの足を結んで5人6脚にしたところでは、吉田の足を藤原と溝端が両側から引っ張るなど、ふざけ合うところもあって、カンパニーの雰囲気が垣間見えて楽しかった。

0313 プルートゥ PLUTO

シディ・ラルビ・シェルカウイの演出・振付で、ダンスと芝居が融合したよう。浦沢直樹の漫画を舞台に投影したり、漫画との融合も随所に見られ、新しい表現を観た気分だ。 アトム役に森山未來、ウランに土屋太鳳と踊れる役者をそろえ、ダンスシーンのレベルは高い。天馬博士の柄本明、アブラーの吹越満ら、個性の強い俳優の存在感が舞台を引き締める。実はアトムより活躍しているゲジヒトは大東駿介。時々、小栗旬みたいに見えた。森山のアトムは少年というには大人すぎるのだが、清々しい正義感を感じた。飛ぶシーンではアンサンブルのダンサーらがリフトするのが、のんびりしていて舞台とあっていないように思った。土屋ははつらつとしたウランがはまっている一方、ゲジヒトの妻ヘレナではしっとりとした大人の女の風情。

0312 工藤俊作プロデュースプロジェクトKUTO-10「財団法人親父倶楽部」〜死んだと思って生きてみる〜 

余命僅かと診断されたオッサン3人が、謎の組織の支援を受けて「最後にやりたいこと」を実現していく。遣りたいことといっても、ハチャメチャだった父親の真似をしてみたり、飛行船から水風船を落としたりと、しょうもない内容ばかり。妙齢の男性は共感するのかもしれないが、今一つピンとこなかった。最後、なぜかオッサン3人がアイドルソングを歌って踊るのがなんだかなあ。 会社社長役の保がいい風情。久保田浩はまたしても「羽曳野の伊藤」なのだが、髪がぼさぼさでくたびれた様子なのは演出なのか。後藤ひろひとが財団の職員で、善良な笑うセールスマンみたいだった。 藤本陽子が主人公の妻や、アトラクションのスタッフ、小劇場出身で現在は映像で活躍する女優など複数の役をがらりと違った様子で演じ、達者だった。

2018年3月12日月曜日

3月11日 五笑会特別公演

「末広かり」 山下守之の太郎冠者に千作の果報者、島田洋海のすっぱ。 山下は少々硬く見え、千作の芸が相対的になのか大きく見えた。島田が大らか。 「千鳥」 井口竜也の太郎冠者に茂の主人、千五郎の酒屋。 井口はのびのびした声で朗らか。千五郎の主人とも互角に渡り合う感じ。 「仁王」 増田浩紀の博打打甲、鈴木実の乙、参詣人にあきら、網谷正美、丸石やすし、松本薫、宗彦、童司、千三郎、七五三。プログラムにはなかったが、茂と千五郎も参加して、大勢で賑やかな舞台に。千三郎は金剛能楽堂から駆け付けたとかで、参詣人のお願いが一通り終わったところで走りこんでの出演だった。一門の結束が見えるような、楽しい舞台だった。

2018年3月10日土曜日

0309 清流劇場「アンドラ」

アンドラという架空の国はスイスがモデルという。ナチスドイツによるユダヤ人差別、戦火が迫る時代の社会情勢を、架空の国に移して寓意的に描く。主人公のアンドリは教師の養父が隣国から救い出したユダヤ人の子供として育てられる。ユダヤ人差別から希望する職に就けなかったり、ともに育った妹との結婚を反対されたりして希望を失い、執拗に繰り返されるユダヤ人だからというレッテル貼りによって、次第に「ユダヤ人らしく」振る舞うようになる。養母が救いを求めた神父が、「ユダヤ人であることを受け入れ、自分を愛せ」と諭すのは、神父の立場からすると全くの「正論」なのだが、善意から出ているがゆえに一番残酷に聞こえた。アンドリは、教師の男が隣国の女と愛し合った末に生まれた子供で、ユダヤ人ではないといいう「真実」が明らかにされるが、時すでに遅しで当のアンドリ自信もユダヤ人でありつづけようとする。暴走した民衆は止めようがなく、悲劇劇な結末を迎えるのがキリストの最後にも似る。嫌な奴しか出てこないが、誰もが「自分は悪くなかった」と言い張る。明らかな差別主義者の指物師の親方ですら、「彼にふさわしい仕事を与えた」と言い張り、教養のあるはずの医師も「アンドリに非があった」という。差別問題の根深さに絶望的な気分になった。 アンドリ役の高口真吾が希望にあふれた若者が容赦なく追い詰められていく様子を克明に表現。医師の林英世の、嫌みなインテリぶりに説得力があった。兵士役はダブルキャストだそうで、私が観たのは上海太郎。スケベ親父といった風情なのだが、「俺は目を付けた女はすべてモノにしてきた」みたいなセリフがあったので、もっと男前の兵士だったら感じが違ったのかなと思った。

2018年3月9日金曜日

0308 ハイバイ「ヒッキー・ソトニデテミターノ」

 劇団主催の岩井秀人が開演前の挨拶・注意している間に役者が舞台に現れてそのまま芝居に入っていく不思議な展開。舞台上のテーブルや椅子を移動させて場面転換が行われたり、シーンに関係のない役者が舞台上に佇んでセットのようになったりするのがユニークだ。  引きこもりの支援団体を通じて、3人の引きこもりの青年とその家族が描かれる。23歳の鈴木太郎(田村健太郎)は小5から引きこもり、家では親に暴力を振るう。世間が思う引きこもりのイメージに一番近いだろう。斎藤和夫(古舘寛治)は28年間引きこもっている48歳の男で、妻を亡くした老齢の父親が面倒を見ている。穏やかな様子で理路整然と話す様子は一番問題がなさそうだが。作・演出の岩井秀人が演じる森田富美男は元が引きこもりで、今は引きこもりの支援施設で働いている。岩井自身がかつて引きこもりだったという予備知識のせいか、コミュニケーションの下手さ加減がリアルだ。支援施設の女性、黒木役のチャン・リーメイがはきはきして有能そう。  合宿所での訓練をはじめ、それぞれ就職が決まった太郎と和夫。両親や世間への不満を隠そうともせず、軋轢ばかり起こしている太郎ではなく、人当たりのよい和生が、初めて仕事に向かったその足で飛び込み自殺をする。引きこもりの問題が一筋縄ではいかないことが突きつけられる。「外に出ることがいいのかなんて分からない」という黒木に、森田が「外に出るほうが幸せになる可能性が高くなるから、いいのだ」と断言するところに、作者の意思を感じた。セリフでも、外に出ることで不幸になる可能性も高まるとは言っていて、事実そうなのだが、やはり、引きこもったままでいいとは言えないと思うのだ。引きこもりになる理由は様々で、簡単に批判などできないのだが、引きこもりでいられるのは生活を支えてくれる両親がいることが前提だ。引きこもりの高齢化が進んで、両親がなくなったらどうなるのか。遠くない将来の社会問題を思わずにいられない。

2018年3月8日木曜日

3月7日 三月大歌舞伎 夜の部

「於染久松色読販」
玉三郎の土手のお六に仁左衛門の喜兵衛で面白くないはずがない。息のあった様子で、時折笑いをこらえている玉三郎。1時間にも満たないのは物足りない。仁左衛門の悪役は凄みがあって格好いい。玉三郎の悪婆は魅力的だが、ちょっと老けて見えた。丁稚の吉太郎が美味しい役をよく勤めた。

「神田祭」
前幕と打って変わって華やかな一幕。見つめあったり寄り添ったりする仁左衛門・玉三郎のコンビおお似合いぶりを見せつけられるよう。

「滝の白糸」
壱太郎が大役に初挑戦で、2時間あまりを大健闘。台詞回しに玉三郎の面影を色濃く感じ、まだ自分のものになっていないようにも。セリフがリアルすぎるのか、もっと夢見ごごちに陶酔させてくれないとしんどい芝居だなと思った。
1幕の馬車と車の競争シーンがセリフでの説明になってしまうのは仕方ないとして、欣也が全く出てこないのはどうだろう。白糸が焦がれる気持ちに共感しにくいと思うのだが。
そしてやはり最後に納得できず、モヤモヤする。欣也に最後に送った100円は何のため?すでに検事代理になって金沢に赴任することが決まっていたのなら、収入は保証されていたのでは?そして、それほどの恩人を追い詰める欣也の、融通のきかない正義感って何だ?っていうか、関係者と分かった時点で担当を降りるべきだろう。
南京の彦三郎は憎たらしい敵役ぶり。米吉の桔梗が健気。春平の歌六はセリフご怪しいところがあってハラハラしたが、説得力あり。吉弥のおえつは出番は少なかったが、印象を残した。

0305 能「~薔薇に魅せられた王妃~ 現代能 マリー・アントワネット」

実襲名後、梅若実玄祥としての最初の舞台となってしまった「マリー・アントワネット」。薔薇に魅せられたというタイトルどおり、舞台にはバラの花があしらわれ、シテの頭にもバラの飾り。産経ホールブリーゼの設備を生かして、舞台後方からせりあがっての登場。実の足を気遣ってという意味もあるのだろうが、歌舞伎のすっぽんからせりあがるような効果もあったよう。まあ、実は足元がおぼつかなく、ハラハラしながら観たので、内容に集中できなかったかも。 橋がかりがなく、手の短いT字型の舞台で、上手側に地謡とお囃子が並ぶ配置。フェルゼンの福王和幸が凛々しく、憂いをたたえた風情に情緒がある。 合狂言に元宝塚の北翔海莉と未知のえる。ぱっと華やかな様子で、舞台の雰囲気を変える合狂言としての役割としては十分。バラを「しょうび」と言うなど、基礎知識をさりげなく盛り込んでいた。

2018年3月4日日曜日

0303 第二回瑠璃の会

「菅原伝授手習鑑 寺入りの段」は呂太夫の義太夫教室の生徒だという豊竹呂秀、豊竹呂響、住輔の弟子の豊澤住静が初舞台。 太夫は掛け合いで、呂秀は千代や菅秀才など綺麗どころ?。落ち着いた声がよくあっていたが、今一つ劇場全体に響くほどの声量が足りない。声量不足は呂響も同じで、涎くりのようなコミカルな役はよくあっていたが、戸波はちょっと世話過ぎたか。住静は緊張感した様子で、慎重な撥さばき。何度かミスタッチは見られたが、つつがなく乗り切った。 「恋女房染分手綱 重の井子別れの段」は土佐恵・駒清。 初舞台と比べるのは失礼だが、プロの演奏にホッとする。三吉が金をもらう筋がないと断る場面が一番ぐっときた。 「丗三間堂棟由来 木遣り音頭の段」は住蝶・住輔。 住蝶の声がよく、お柳の嘆き、木遣り音頭を聞かせる。住輔の三味線は前半は悪くなかったのだが、後半(特に木遣り音頭のところ)ツボが甘いのか、音程が外れているようで、気が散ってしまった。

2018年3月3日土曜日

0302 南船北馬「さらば、わがまち」

LGBT、聾者、身体障碍者、在日コリアン、シングルマザー、ほとんどニートの役者、エリートサラリーマンからあいりん地区に転職した男――何らかのマイノリティーを抱える人たちの日常を描く。 オーディションで選んだという出演者は、役者ではない人もいたようだが、当て書きのせいもあって誰もが達者。進行役のトランスジェンダー?の門田草が巧みな仕切り。シングルマザーの木下菜穂子が美しく、しっとりとした声がよかった。身体障碍者の森田かずよの身体表現の雄弁さにも感心した。レズビアンの細井美保(ぶった斬れのベティ)と在日コリアンの姜愛淑は若いせいか、攻撃性が強いのが痛々しく見えた。

2018年3月1日木曜日

0301 若手素浄瑠璃の会

「菅原伝授手習鑑 車曳の段」は碩・清允。 若々しく、力みなぎる語りに好感。デビュー1年たっていないとは思えない、堂々とした語りっぷり。一番合っていたのは梅王丸。松王や時平は低音が十分でなく、敵役らしさがたりないか。時平の大笑いはたっぷり過ぎるほどで、いつもの3倍くらいの長さに感じた。途中2回拍手が入ってしまい、間が抜けた感も。 清允の三味線はミスタッチも何度かあったが、きっぱりとしていい。 「一谷嫩軍記 組討の段」は靖・錦吾。 2人とも真面目過ぎるのか、心に訴えてくるものが薄かったような。大落としとか、クドキとか、盛り上げる場面がないという難しさもあるのだろう。