2017年8月30日水曜日
0827 壱劇屋「五彩の神楽 憫笑姫」
ノンバーバルということでセリフはなく、叫びや笑い声のみ。妹のために戦士になる姉の成長物語?なのだが、何のために戦っているのか分からず、また、途中から妹も戦っているのが訳わからない。主演の西分綾香はアニメっぽいものの表情豊かだし、殺陣でも奮闘。NMB48から客演の妹役、久代梨奈は剣に振り回されている感じで殺陣はダンスみたいだった。王?に威厳がなく、軽いのが残念。
0827 少年王者館「シアンガーデン」
隣り合わせのアパートの部屋にいる3組?寝物語をせがむ子どもたちとその父親、年齢不詳な姉妹、ガラクタでロボットを作ろうとしている男とその友人。それぞれの部屋を行き来し、時制も行ったり来たり。 言葉尻を捉えて別の言葉に繋げたり、繰り返しながらちょっとずつ変わっていったりする手法が面白い。キレのいい踊りも。映像と照明が巧みで、異次元につながっでいるような不思議な空間を醸し出す。王者館らしい舞台だった。
8月26日 山下残「無門館の水は二度流せ詰まらぬ」
舞台中央にぽっかり開いた大きな穴。その周りで息を吹きかける3人。演者はアトリエ劇研や無門館時代の思い出を語ったかと思えば、突如戦争反対のメッセージを訴えるのだが、内容がシュール。人魚が島になって、他人の身体のうえに勝手に線を引くなとか。穴から出てきたヘルメットの男が棒のようなもので人々をなぐるのが不快感極まりない。最後、壊れた人形のように身体を打ち付けたり、床を這い回ったりするのも何だか怖かった。
スモークが立ち込めたり、穴からランプやバルーンがでてきたり、照明の効果もあって異空間に迷い込んだよう。興味深い体験ではあった。
8月25日 上方歌舞伎会
「義経千本桜」から賀茂堤と佐太村。
賀茂堤は桜丸の折之助と八重の吉太郎がよかった。吉太郎は瑞々しい若妻の風情でちょっとおきゃんな感じが出てた。姫の美輝は表情が硬く不貞腐れたように見える。化粧もなんか野暮ったい。
佐太村は千寿の桜丸がいいのは期待通り。梅王の當吉郎もよかった。千代の當史弥、春の光は老けて作りすぎ。本来はもっと重々しくあるべき松王(松太郎)が若かったので、千代が母親みたいだった。
「棒しばり」千次郎の大名は顔が白すぎないか?翫政の次郎冠者が軽妙で上出来。が、振り付けがバタバタした印象。観客サービスかもしれないけれど、引っ繰り返ったりするのは新喜劇みたいだ。
0825 宝塚雪組「琥珀色の雨に濡れて」
望海風斗のトップお披露目は見応え、聞き応え十分。1920年代のフランスが舞台の、互いに惹かれあいながら実らぬ大人の恋。大きなドラマはないのだが、心理描写がしっかりしていて楽しめた。1984年初演なので、昭和歌謡?という音楽の古さだが、圧倒的な歌唱力で聞かせてしまう。ダンスも上手い、というか、ちゃんと稽古をしている踊り。体幹がしっかりしてるのと、リズムの取り方がいいのだろう。悪い意味での宝塚らしさをあまり感じなかった。望海は歌よし、踊りよし、顔もよしで、決めるところはキザにキメる。王道のトップという風情だ。こういうトップばかりだと、観ててストレスがないのだが。
相手役の真彩希帆も歌が上手くて、今後に期待がもてる。
ショーは「ドラマティックS」。早霧せいなの退団公演の作品だが、ちゃんと自分のものにしていた。タイトルはドラマティックFでもいいのでは?
0824 宝塚宙組「神々の土地~ロマノフの黄昏~」
上田久美子作・演出で期待値を上げすぎたのか、不完全燃焼な感じ。歌や踊りのほとんどない、ストレートプレイ的なのはいいとして、人物像の描き方に深みがなく、これといったクライマックスがないので盛り上がりに欠ける。演技力の問題もあるだろうが、演出家本人もまだ煮詰めきれてないのでは。テーマとしては悪くないし、登場人物も掘り下げる余地がたくさんありそうなので、もっと面白くなるのではと思いながら観た。
レビューは稲葉大地の「クラシカル・ビジュー」。宝石箱をひっくり返したような華やかで煌びやかな舞台で、これぞレビューという醍醐味を味わえた。まあ、ダンスの振り付けがイマイチ…と思うところは多々あったけど。グランジュテとか、バットマンとか、なんであんなに重たげなのか。黒燕尾の群舞は圧巻(振り付けはともかく)で、キラキラしたのよりシンプルな方が映える。全員でのコーラスなど、歌でも聞かせた。
8月20日 内子座文楽
亘の解説に続き、呂太夫襲名の口上から。床に和生、清介、呂太夫、呂勢と並ぶ。呂勢の進行は5月の国立劇場とほぼ同じ。「若太夫に繋がる嶋太夫の名前を捨てて…」のくだりがなかったのはなんでだろう。清介は「芸は所詮人間性。その点新呂太夫は懐が深く情のある温かい人柄。奥行き、情のある、大輪の花を咲かせてほしい」と卒なくまとめると、和生は「新呂太夫とは同じ日に文楽協会に挨拶に行った同期で、朝日座の踊り場ですれ違って挨拶したのが初対面。呂は水掛不動さんの前だったと言うが、そんな映画みたいなシチュエーションじゃなかった。50という年月はかくも記憶を曖昧にする」と。文字にすると面白くもないが、和生の朴訥とした話ぶりだと大爆笑。あったかい襲名披露だった。
続いて本編の「蘆屋道満大内鏡」。
「葛の葉の段」は睦・清丈、呂・清介。睦は相変わらず声が掠れて辛そう。呂は手堅くまとめた印象。人気は和生の葛の葉がしっとりとして、動物の身であることを隠そうとする奥ゆかしさ、ふと露見してしまう獣らしさがいい。童子の勘次郎もよかった。
「乱菊の乱れ」は呂勢、希、亘に宗介、寛太郎、清公、清允。蠟燭(内子の和ろうそくだそう)の差し出しで花道から登場。幻想的な雰囲気。
0819 文楽素浄瑠璃の会
「冥土の飛脚 淡路町の段」
咲・燕三。咲の語りが上手いのであろうことは分かるのだが、声に力強さがなく、響いてこない。ボリューム絞ってるみたいで、ゴニョゴニョと詞章もはっきりしない。さすがという声もあったが、私には物足りなかった。
「菅原伝授手習鑑 桜丸切腹の段」
千歳・富助。滋味溢れる住やその教えを受けた文字久と違って、明朗な語り口で八重や白太夫の悲しみが浮かぶ。時折アウアウするのさえなければ。
「源平布引滝 松波琵琶の段」
津駒・藤蔵。いやあ、2人とも大熱演。津駒は唾液を滴らせ、藤蔵は唸る。泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸の語り分けが明快で、面白いのなんの!人形なしでも十分というか、ないほうがいいとすら思う。三味線が弾きまくるので、藤蔵は満足であろう。
2017年8月20日日曜日
0818 ダンス×文学シリーズvol.1 マクベス
森優貴の振り付け。マクベスを振付家として解釈し――というのがよく分からん。何で王じゃないのか、振付家たる所以はどこに?特に一幕が何を表現してるのか私にはサッパリだった。二幕の中盤、シンクロした動きが面白いと思ったが、暗転→位置転換して踊り出す、というパターンが繰り返されて飽きてしまった。照明は美しい。コンテンポラリーの見方って難しい。
0817 サファリ・P「財産没収」
少年と少女の会話劇に作者自身を割り込ませ、渡りゼリフの様に発言者が交錯する。はじめは誰が誰だか混乱したが、次第に二重構造が面白く感じられた。舞台には数個の灯りが吊るされ、椅子が3脚とワインの空き瓶。黒いドレスを着たボディが倒してある。赤いリボンが渡されるのは現在と過去との境界線にも、財産差し押さえの印にも。壊れた人形のようにばたりと倒れたり、もがいたりするダンサーの動きはセリフよりも雄弁だ。
2017年8月17日木曜日
8月14日 八月納涼歌舞伎 第三部 「野田版 桜の森の満開の下」
美しかったし面白かったけど、歌舞伎かと言われるとそうではないような。歌舞伎役者が演じることで芝居の深みや密度は増していたように思うけど。
満開の桜の下に散在する鬼の屍が乱れ舞う印象的な幕開き。耳男の勘九郎は父勘三郎を思わせる熱演。スピード感のあるセリフと動きで終始引っ張る。夜長姫の七之助はメイクがのっぺりしていて(多分アイメイクが控えめすぎなせい)もっと美しくできるのにと思ってしまった。セリフは初演の毬谷裕子の影が見え隠れ。演じてる感が出てしまったのがもったいない。もっと歌舞伎っぽくというか、七之助の調子のほうがいいように感じた。クライマックスの殺しでの海老ぞりはたっぷりで壮絶に美しかった。
オオアマの染五郎はハマリ役。ちょっと悪い役がこんなに似合うとは。
何より観ててたのしかったのは、マナコの猿弥。笑いどころを押さえ、美味しいところを持っていく。タバコをふかしながらのモノマネは渡部篤郎?あと、エナコの芝のぶが悪婆というか蓮っ葉な女が意外にはまってた。
8月13日 杉本文楽「女殺油地獄」
冒頭、近松門左衛門による口上という体で杉本氏?が解説。女殺が衝動殺人を描いた意欲作というのはいいとしても、徳庵寺堤で与兵衛を裸にして泥を拭いてやったというのは??着物の泥を洗うために脱がせたけど、襦袢や下着まで脱がしたわけではなかろうに。豊島屋の段で自分を好いていると思っていた女に裏切られて殺意を抱いたというのも承服しがたい。お吉が気を持たせるような態度をとるのが悪いと言わんばかりなのは、男の身勝手ではないか。いろんな解釈があるのだろうけど、これが定説みたいな言いぶりで、普段文楽を観ない人も多い公演なので誤解を与えないか心配だ。
人形は玉佳(左は玉翔)で、執筆に疲れた近松がラジオ体操のような動きをするのが面白く、拍手が出てた。
続いて清治、清志郎、清馗による序曲、殺しのテーマ。ブルースギターのような演奏で、テクニックを駆使しているのがよく分かる。メガネをかけて譜面を繰る清治も珍しい。
豊島屋の段は前後に分けて、前は千歳・藤蔵の素浄瑠璃。お沢、徳兵衛の情は流石に聞かせたが、声の調子が悪そうだったのが惜しい。
奥は上手、下手に分かれて掛け合い。下手が与兵衛で、呂勢・清治に清馗のツレ。上手はお吉で靖・清志郎。呂勢は与兵衛にしては声が高すぎる気がしたが、靖が意外に良かった。掛け合いにすると話は分かりやすくなるのかも。
人形は手摺がないので浮遊してるみたい。舞台下駄なしだったので、足遣いだ大変そう。油で滑るところは、左右に加え、奥行きも活かして立体的なのはいいが、いかんせん、もともと浮いて見える人形なので滑っている感じがしなかった。
いろいろ書いたけど、悪いとまでは言わないが、時間物足りない短く物足りない。まあ、フェスティバルホールで観た「曽根崎心中」ほと酷くはなかった。人形もちゃんと見えたし。
0812 ミュージカル「ピーターパン」
二十数年ぶりに観たが、胸に迫るものがあって涙が出た。宮尾俊太郎の演出でここまで変わるかと驚く。
幕が上がる前、揃いの白い衣装に身を包んだキャストが大きな絵本を持って客席を徘徊。表紙には様々な国の言葉で「ピーターパン」と書いてあり、物語の冒頭を朗読したり、子どもたちに読ませたりして作品世界に誘う。子どもはすでに大はしゃぎ。
開演時間になると、キャストたちは舞台に駆け上がってオープニング。夢の世界に引き込まれる。
最年少ピーターパンの吉柳咲良は溌剌として少年らしく、伸びやかなうたも好感がもてる。若いから仕方ないとは思うが、セリフの滑舌ご悪いのが残念だ。ウェンディの神田沙也加は時折若作りしすぎに感じられたが、概ね好演。彼女か歌うと途端にミュージカルらしくなる。ティンカーベルへの対抗心や、ピーターがお父さんになってくれたらお母さんになってあげるというくだりで、これまで観たものよりピーターパンとへの恋心がはっきり表現されているように感じた。
ラストは再び、絵本を手にしたキャストが緞帳前に並ぶ。ピーターパンは世界中の絵本の中に生き続けているというメッセージのよう。妖精の粉を客席に振りまくラストまで、夢のように美しい舞台だった
0811 土田英生セレクション「きゅうりの花」
いやあ、面白かった。笑った。
芸達者な役者が揃ったので、会話のテンポが絶妙。特に金替康博の何とも言えない間が秀逸だ。内田淳子のちゃきちゃきした感じがいいアクセント。加藤啓のうざったさ加減が絶妙で、舞台経験があまりないという神田聖司もさわやかな好青年ぶり。諏訪雅は嫌みな感じはいいのだが、ちょっと素人っぽい?
盆踊りをデスメタル調にしたのは初演時からなのだろうか?牧歌的な振りになっていたので昔ながらの民謡に戻したのかと思っていたら、最後まさかのフォーメーションダンスに仰け反った。後味は苦いのだけど、からりとしてる。
0811 アーティスティック バレエ・ガラ
世界で活躍するバレエダンサーを集めての贅沢な公演。冒頭、出演者紹介のように次々に舞台に上がり一節踊って見せたり、それぞれのプログラムの始めにスクリーンで演目と演者が紹介されるのは初心者には親切だ。
一番の収穫は平野亮一の踊り。「ライモンダ」のはじめはぎこちなさもあったけど、だんだんのびのびしてきて、「マノン」は色気もあって素晴らしかった。背が高く、ガタイがしっかりしているのでリフトに包容力があり安定しているのもポイント高い。相手役の西野麻衣子はキツイ感じがしてあまり好みではないが。映画を見ても思ったが、何かに怒っているみたいに終始挑戦的というか、攻撃的というか…。踊りが硬く感じてしまう。
ウィーン国立劇場のプリンシパル、木本全優・橋本清香ペアはぴったり息の合い方が並外れてる。同じ振りで踊るところのシンクロ具合が凄いのだ。
ポーランド国立バレエの海老原由佳・ダ―ウィッド・チェンチェミエックのペアはレディオヘッドの曲のコンテが面白かったし、ドンキも悪くなかった。が、チェンチェミエック、衣装のせいか肩幅が狭く頭でっかちに見えてしまった。
プレルジョカージュ・バレエ団はコンテが主体なのかな。津川友利江とジョンシャール・ジュスニの踊りはシンプル。日本舞踊との共演は今一つ。アバンギャルドっぽいメークと衣装でなく、古典的な日舞とのコラボのほうが面白いと思うのだが。
2017年8月11日金曜日
0810 六本木歌舞伎「座頭市」
三池崇史の演出は視覚的。Tシャツ、スエット姿の海老蔵が舞台中央に現れ、本水の雨の中で立ち回りを演じる。そのあと、舞台上手でバナナを食べるなか、客席から花魁の寺島しのぶが登場。海老蔵は舞台上で赤い着物姿に着替えて芝居がスタート。そのあとは寺島が花魁と盲目の少女の早変わりを何度もしたり、右団治演じる敵役がぬえ?になったりと視覚的には面白いのだが、ストーリー上の必然性が感じられない。寺島は花魁と少女を巧みに演じ分け、市に迫るところなど上手く見せるが、歌舞伎らしくはないかなあ。海老蔵は客を馬鹿にしているのが不快。休憩時間に俳優がロビーや客席をうろついていたり、2幕の冒頭で客席を巻き込んでラップをしたりとサービス精神旺盛なのは認めるが…。
2017年8月10日木曜日
8月9日 第19回福聚会
「草津乳母餅」は清介・清公。清介の浄瑠璃は音楽的。終始歌っているようだった。閻魔大王が乳母と再会する滑稽な話。
「天網島時雨炬燵」は清丈・団吾。チャリ場はお得意そうだけど落語みたい。
「恋女房染分手綱」の道中双六の段は宗助・藤蔵に友之助のツレ。宗助は本職かと思うほどの出来栄え。聞けば嶋太夫に稽古してもらったそう。三味線の藤蔵も良かった。
トリは重の井子別れの段で燕三・燕二郎。出だしは声量がなく淡白な感じだったが、尻上がりで良くなった。
2017年8月7日月曜日
0806 あべの歌舞伎晴の会「東海道四谷怪談」
晴の会初の古典は上出来で見応えあった。何より千壽のお岩が哀れさが際立っていて、伊右衛門に着物を剥がれて足蹴にされたり、「これが私の顔かいな」と嘆くところでは思わず涙が出た。宅悦とのやり取りでは怖がらせることに力点を置いて芝居をする人が多いのだが、千壽のお岩はただただ哀れ。四谷怪談で泣いたのは初めてかも。与茂七は珍しい立ち役で、スッキリとした男前の好演だった。松十郎の伊右衛門は一幕は凄みがたりず物足りなく感じたが、二幕の非道ぶりは仁左衛門を彷彿とさせる色悪ぶり。講釈師の千次郎が狂言回しで長い物語をコンパクトにまとめ、直助の小悪党ぶりも嵌ってた。三幕で真相を知った直助の一人語りもたっぷり見せた。やはりこの3人が中核なのだなと思う。りき弥はお袖とお梅の2役なのだが、美声だし可憐な女形ではあるのだが、役の違いとか感情の表現はもう一つ。休憩をはさんで3時間10分ほどと、当初の予定より伸びたようだが、長いとは感じなかった充実の舞台だった。
2017年8月5日土曜日
2017年8月2日水曜日
0801 宝塚月組「All for One~ダルタニアンと太陽王~」
「三銃士」のパロディみたいな楽しい芝居。キャラが立っていて面白く、一番の功労者はルイ14世役の愛希れいかだろう。元男役だけあって、王としての威厳を現しながら、娘に戻ったときのかわいらしさ。生き生きとしてチャーミングな役はこれまであまり見なかったが、妖艶な悪女よりもこの人のキャラには合っていると思った。ダルタニアンは純粋な人物像が魅力的だが、やや存在感が薄かったかも。ラストのデュエットダンスはたっぷり時間があったのにリフトがなかったのも不満だ。きらびやかなセットや衣装が目に楽しく、小ネタをまぶして遊んでいるのも面白い。後半、ダルタニアンらの潜伏先にベルナルドが踏み込んでおきながらそのまま引き下がってしまうなど話の運びに無理があったり、ご都合主義だったのが残念だが、総じて面白く見た。これまで見た宝塚のオリジナル作品では一番かも。
0731 アザー・デザート・シティーズ
寺島しのぶ演じる作家の主人公と家族の葛藤を描く、ひりひりするような心理劇。佐藤オリエの母、麻美れいのおばと芸達者ぞろいで、緊迫感のある家族模様が描かれる。中村蒼演じる弟が緩和剤になっていた。最後、意外にハッピーエンドというか、和解が成立してしまったのが意外というか。東京公演で急逝した中嶋しゅうの代に急きょ立った役斎藤歩は十分なできなのだろうが、先入観のせいか少し物足りなく感じてしまった。
0730 淡路人形座「玉藻前曦袂」
三段目から五段目を通して上演。たっぷりと芝居が見られるのはいいね。
「道春館の段」の床は友庄と友勇。友庄は声量はそれほどでもないが、情感あふれる語り。「ててじゃわやい」なんかは。友勇はちょっと音がぼんやりして、間が悪いと感じるところもあった。人形は頭が大きくて手足とのバランスが悪いようなのが、粗野な感じで味がある。
「神泉苑の段」では最後に飛んでいく狐のぬいぐるみがご愛敬。「七化けの段」では舞台転換の間に客席に狐の人形が現れて怪しい雰囲気を醸し出す。1人のご婦人のリアクションで会場が温まった。早変わりは人形を持ち変えるだけでなく、人形遣いの早着替えで、裃だけでなく着物がいろいろ変わって楽しい。が、何も持っていない人形遣いが舞台に立っているのはなんだか違和感。洗練されていないのだが、これが淡路の味なのだろう。
0729 こぐれ塾「寝取られ宗介」
劇中劇と劇の人物が混然として話がつかみにくく、途中何度か意識が飛んでしまった。とはいえ、宗介役の菊池均也がいい風情で、変態男なのに嫌みがない。走ってハケるときのぴゅーって感じがすごくよかった。レイ子役の遠海まりこはキレイだが、何かが足りない気がした。劇中劇で着ているお志摩の着物が訪問着だか付下げだかで、下ぞり屋の女房にしてはフォーマルすぎるのではないかと気なった。
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