2018年7月25日水曜日
0723 夏休み文楽特別公演 第3部
「新版歌祭文」
野崎村の段の中は文字久・清志郎。文字久の語りは何かから解放されたようにのびのび。行き過ぎて義太夫でなくなってしまった感じだ。
前の津駒・寛治になって、義太夫節らしくなりほっとする。
奥は三輪・団七に清公のツレ。オクリなどなく、ブツっと切って盆が回る。語りにくいのか、前半はいまいちだったが、久作の見せ場ではぐっと感情が高まった。
人形は清十郎のおみつ、文昇の久松がいいバランス。一輔のお染は一途な娘の可愛さがあった。お染は嫌いだけど、この娘は許してしまいそう。簑助がお勝でちょこっとだけ出演したが、空気が変わるのがさすが。登場はわずか数分で、舟に乗ったところでは別の人に変わっていたようだった。
「日本振袖始」
織、希、南都、亘に藤蔵、清丈、寛太郎、錦吾、燕二郎。
力のある床で迫力十分。だが、話としてはちょっと間延びする?岩永姫の勘十郎が酒を飲んで大蛇に変じるところが冗長に感じた。稲田姫の紋臣は可憐。素戔嗚尊の玉助はダイナミックだが、ちょっと雑かも。
0723 夏休み文楽特別公演 第1部
「瓜子姫とあまんじゃく」
呂・清介に清公、清允のツレ。呂の語りは笑いに持っていこうとしているようで、怖さが足りない気がする。山父の怖がらせる場面でも子どもたちは笑っていたし。三味線の手が多くて楽しくていいね。
「増補大江山」
芳穂、津国、文字栄、碩に清友、団吾、友之助、錦吾、燕二郎。
0722 ピッコロ劇団「布団と達磨」
岩松了が岸田國士戯曲賞を受賞した作品を30年ぶりに演出。2組の布団が敷かれた夫婦の寝室に、寝間着姿の夫と色留袖姿の妻という衣装からちぐはぐ。そこへ、様々な人が出入りするので、混乱に混乱が重なるというか。肝心なことは誰も言わないし、明確なストーリーがあるわけではないのだが、くすっと笑わされたり、身につまされたり。役者陣がどれも役にはまっていて、特に妻役の樫村千晶、妹久子役の平井久美子、時枝役の野秋裕香らの演技が印象に残った。
7月21日 夏休み文楽特別公演 第2部
「卅三間堂棟由来」
平太郎住家から木遣り音頭まで。中を睦・宗助、切を咲・燕三、奥を呂勢・清治。
睦は女の詞がかすれる癖が治っておらず、聞くのが辛い。お柳のクドキは咲だったが、声はしわがれ、声量もなく、今の体調では厳しいか。呂勢はせっかくの美声が聞かれず物足りないと思っていたら、和田四郎の骨太な悪人ぶりで聞かせた。
「大塔宮曦鎧」
六波羅館の段は中を咲寿・清馗、奥を靖・錦糸。
錦糸の顔がだんだん険しくなる。
身代り音頭の段は中を小住・勝平、奥を千歳・富助。
小住は安定感のある語りで、勝平がしっかり支える。千歳・富助は抜群の安心感。
復曲ものだが、人形付きで見るとまだ物語が練られていないというか、冗長に感じる。斎藤太郎左衛門の人物造形が複雑でにわかに頭に入りにくいし、身代り音頭で突然出てくる子どもが殺されてしまうのが唐突な感じがする。
7月30日再見。咲寿が時代物らしい語りになっていて、靖も堂々とした語りが良くなっていた。灯籠や浴衣に込めた意味の解読が初見では飲み込み切れなかったが、何度か見ると腑に落ちてきた。前段の、太郎左衛門の娘夫婦の件がちゃんと描かれていたらもっと分かりやすく面白かったかも。
0720 東京デスロック+第12言語演劇スタジオ「カルメギ」
チェーホフの「かもめ」を日本占領下の朝鮮半島に置き換えた。トレープレフ役の韓国人俳優が嵌っていて、演技も上手。ニ―ナやマーシャ役の女優陣は古風な美しさがあってよかった。トリゴーリンは日本人。背が高く、がっしりした体格の美丈だが、ニ―ナを誘惑しながらアルカージナとの関係も絶たない狡さが憎い。横長の舞台を客席が挟む構造で、がれきのように家具や新聞紙が積まれた舞台上を俳優たちは一方向にのみ移動する。唯一、ニ―ナが戻ってきた時だけ、逆方向から登場する。KポップやJポップ、冬のソナタのテーマ曲などがキッチュで、何度か大音量で流れるボレロがドラマ性を高める。(ボレロってちょっとずるい気もする)韓国と日本の役者が韓国語と日本語のセリフで語るのだが、字幕のタイミングが合わないのか、演技を観ているうちに字幕を読み損ねたり、その逆だったりと慌ただしく、芝居に没頭できなかった。
2018年7月20日金曜日
0719 シス・カンパニー公演「お蘭、登場」
日本文学シアターvol.5ということで、江戸川乱歩をモチーフにしているそうで、人間椅子や怪しげなナイトクラブなど、乱歩風の要素がちりばめられる。様々な人物に成りすまして殺人現場に現れる、神出鬼没のお蘭に小泉今日子。お蘭を追う探偵の堤真一と刑事の高橋克実のやり取りはときにアドリブを交えて軽快だ。お蘭は冤罪で死んだ三つ子の兄弟の復讐のために動いているようだが、強いメッセージ性があるわけではない。キョンキョンの七変化や歌を楽しむ、肩ひじ張らないエンターテインメントだ。90分弱という時間設定はありがたし。
0718 地点「忘れる日本人」
紅白の紐で囲われた舞台の真ん中に木造の舟。登場人物たちは船底から1人1人這い出して来る。クラブステップでの横運動は水面を滑るようで、絶えず小刻みに手足を動かしながら語られるセリフは教訓や批判めいた内容なのだが、最期まで語られることなくブツ切れになり、中途半端に空中を浮遊しているよう。語り手は前の役者が指さした先の役者に会話ではなく、脈絡のないようにセリフが続く。挿し挟まれる「わっしょーい!」といった掛け声や、「どこどーこ」「ミチコミーチコ」などのばかりが耳に残る。
終盤、舟を神輿のように担ぎ上げようとするが、重くて持ち上がらない。会場から10人ほどの「友達」の参加を募り、舞台を東へ西へと一回りするのは何かの暗示だろうか。一言でいうとよう分からん舞台で、役者の身体能力に感心した。
2018年7月18日水曜日
0716 第二回酒都で聞く女流義太夫の会
「壷坂観音霊験記」
沢市内より山の段。駒之助の語りは痛切で、会場にはすすり泣く人もいたのだが、やはり私はこの話が好きでないようだ。津賀花の悲鳴のような掛け声も苦手だった。
人形は和生のお里に玉佳の沢市。お里のクドキで後振りになるのがちょっと大げさに感じた。
女義と文楽人形の共演は関西では半世紀ぶりだとか。たまにはこういう趣向もよろしいのでは。
2018年7月16日月曜日
0715 フィリップ・ドゥクフレ/カンパニーDCA「新作短編集(2017)」
「デュオ」
男女二人による、ダンスだけでなく、ボイスパーカッションや楽器演奏などを交えたパフォーマンス。簡単そうに見せているけど、高い身体能力あってこそ。
「穴」
二人で踊るソロという説明がユニーク。穴から這い出した男性の上半身と女性の脚が、時に1人の人間のように、あるいは未知の生物のように動く。温泉につかっているようなシーンが印象的。
「ヴィヴァルディ」
ヴィヴァルディの楽曲に合わせての踊りはクラシックな動きだが、ポップなカラーのニットタイツという衣装がモダンな雰囲気を醸し出している。
「進化」
ほかの作品でも映像は使われていたが、特に映像との連携が多い作品。生身で踊るダンサーと映像のダンサーが重なりあう。宙づりの「R」は空中浮遊をしているよう。
「日本への旅」
空港での搭乗風景から、日本に降り立っての異文化体験をコミカルかつシニカルに表演。場面転換時に短歌らしきものが挟まれ、着物風のガウンや和傘、扇子を使ってフランス人が見た「日本」が表現される。ツインテールの女性が歌い踊るのはアニメの影響か。
0714 エイチエムピー・シアターカンパニー「忠臣蔵・序 ビッグバン/抜刀」松組
男ばかりの松組は舞台の反対側(表側)。亀甲型のパネルの前に広い舞台空間があり、移動可能な短い柱を並べて場面転換を表現する趣向。アフタートークによると、総体的に小柄な女性と違って、大柄な男性のほうが舞台空間で存在感を発揮できるのだとか。
浅野内匠頭の佐々木誠は生真面目というか、原理原則にこだわる青さ。吉良の殿村ゆたかは恰幅がよく、小心さというよりは老獪な印象。柳沢の竹内宏樹はアサーティブな役人といった風情、大納言の坂本正巳は俗っぽい。大石の岸本は若さや行動力のあるリーダー。キャストだけでも亀組とはずいぶん印象が異なる。
刀による武力で争った戦国時代が終わり、金や気遣い、忖度で物事が決まる時代への移行期。武士ならではの刀の力にこだわる浅野と、新しい価値観を推し進める柳沢らの対立という構図がはっきりする。ここで刀を抜いたらまた関ヶ原に戻ってしまう。大納言が「武士らしいのは浅野」と言うのが象徴的だ。浅野の辞世の句「このたびのことやむをえざることにてもはやここまで」に、武士の面目、様々な思いが込められている。肉親への復讐ではなく、主君のための仇討ちは、将軍や朝廷に楯突く反逆になってしまうが、「忠臣」と名乗ることで汚名をすすぐ。
アフタートークで、「仮名手本忠臣蔵」の恋愛要素を除いて「権力の構図の中で起こる人間ドラマ」を描いたとの説明を聞いて納得。
0710 エイチエムピー・シアターカンパニー「忠臣蔵・序 ビッグバン/抜刀」亀組
女優ばかりの亀組。仮名手本忠臣蔵を原作としながら、柳沢や大納言がフィーチャーされているのに戸惑った。
亀甲模様のパネルが3つ並び、ゴムのように伸び縮みする格子がかかっている。パネルは漫画のコマのようでもあり、格子をかき分けるようにして役者が登場する。登場人物は男ばかりだが、顔の中心を丸く白塗りするメイクはお面の効果があるのか、女優が演じる違和感を感じさせない。
浅野内匠頭の米沢千草は生硬な青年の風情があり、思いつめていく様子を逼迫感をもって表現。「この恨みをとどめたら、武士の魂が死ぬ」というセリフが象徴的で、「仮名手本」のようなかっとなっての犯行ではなく、将軍、天皇までを視野に入れた反逆だ。柳沢吉保が謀の元凶で、将軍の威を笠に着て権威をふるう。水谷有希の男前ぶりが際立つ。吉良上野介の森田祐利恵は権力になびくズルさ、小心さとの対比が巧みだ。大納言のナカメキョウコの食えない公家ぷりもいい。はたもとようこの大石内蔵助は風格があり、立派な家老。
場面転換や人物紹介で映像によるテロップを多用するのは、分かりやすい反面、安易でうるさくもある。ゆったりした白い衣装に薄手のローブをまとったような衣装がギリシャ風だったのはどういう狙いなのか。刀が黒いゴム製?でぶらぶらしてたのも気になった。
亀甲模様のパネルが3つ並び、ゴムのように伸び縮みする格子がかかっている。パネルは漫画のコマのようでもあり、格子をかき分けるようにして役者が登場する。登場人物は男ばかりだが、顔の中心を丸く白塗りするメイクはお面の効果があるのか、女優が演じる違和感を感じさせない。
浅野内匠頭の米沢千草は生硬な青年の風情があり、思いつめていく様子を逼迫感をもって表現。「この恨みをとどめたら、武士の魂が死ぬ」というセリフが象徴的で、「仮名手本」のようなかっとなっての犯行ではなく、将軍、天皇までを視野に入れた反逆だ。柳沢吉保が謀の元凶で、将軍の威を笠に着て権威をふるう。水谷有希の男前ぶりが際立つ。吉良上野介の森田祐利恵は権力になびくズルさ、小心さとの対比が巧みだ。大納言のナカメキョウコの食えない公家ぷりもいい。はたもとようこの大石内蔵助は風格があり、立派な家老。
場面転換や人物紹介で映像によるテロップを多用するのは、分かりやすい反面、安易でうるさくもある。ゆったりした白い衣装に薄手のローブをまとったような衣装がギリシャ風だったのはどういう狙いなのか。刀が黒いゴム製?でぶらぶらしてたのも気になった。
2018年7月11日水曜日
0710 復曲試演会「花魁莟八総」
復曲試演会の最終回は八犬士誕生を描く富山の段。伏姫とか八房とか、知っているタームが出てくるので親しみやすいが、物語の冒頭部なので盛り上がりには欠ける。本息の語り・演奏ではないので仕方ないのだろうが。
犬の顔に代わる伏姫の首は大江巳之助さんが作ったものがすでにあるそうで、人形つきの上演もできそうな様子。
7月8日 第6回 ながと近松文楽「出世景清」
近松門左衛門が竹本義太夫に書いた最初の浄瑠璃。「通し上演」と銘打ってはいるが、ダイジェスト版で上演時間はトータルで2時間あまりだが、物語の全体像は分かる。総じて面白くはあったり、歴史的な意義はあるのだろう。西日本の大雨で新幹線がストップし、座員の皆さんはフェリーで大阪港→門司港、バスで長門入りし、観客も当日の朝に山陽新幹線は通常運転に戻ったものの、在来線は止まったままで、いろいろ困難を乗り越えての上演・観劇だったので、観劇もひとしおといったところか。(文哉は岡山から45時間かけて現地入りしたとか)
前半は素浄瑠璃で。熱田の段(靖・燕二郎)、東大寺の段(芳穂・清馗)は短くあらすじを紹介する程度。阿古屋住家の段は呂勢・燕三で、比較的しっかり聞かせる。阿古屋の嫉妬が凄まじく、三味線の手もよくて拍手が出ていたほど。呂勢はエキセントリックな女性が上手い。この段に関しては人形なしのほうが良かったと思った。
六波羅河原の段からは人形付きで。前は芳穂・燕二郎、後は三輪・清志郎。小野姫の清十郎がよくて、拷問にかけられるところなど哀れさが際立つ。勘十郎の景清は竹垣を薙ぎ払って登場。ヒーローらしい派手な演出だ。
六波羅新牢の段は靖・清馗、牢破りの段は睦・宗助。阿古屋の裏切りを許せないのはいいとして、2人の子どもに手をかけるのをぼーっと見ている景清ってなんだ?3人の遺体が折り重なる乱暴さも、古い作品ならではなのか。せっかく牢を破って出てきたのに、すごすご牢に戻るのも理解できん。(さすがに客席からは笑いが漏れていた)
観世音身替の段は三輪、睦、芳穂、靖の掛け合いに清志郎。晒首になった景清の顔がだんだん面長になって…と思っていたら観音の顔に変わる仕掛け。目新しさはあるが、もうちょっとスピーディーにやるほうがいいかも。
清水寺の段は呂勢・燕三。景清が両目をえぐって頼朝に差し出すところなど、視覚的には面白い。景清の葛藤が深く描かれていたらもっと感動するのかも。
ダイジェスト版だったためか、全体的に登場人物の造形が浅く、突飛な行動に戸惑う展開。今の浄瑠璃との違いを楽しむという意味では興味深くみた。念願かなって涙ぐんでいた鳥越文蔵早大名誉教授に象徴される公演だった。
2018年7月6日金曜日
0705 ミュージカル「モーツアルト!」
山崎育三郎のウォルフガングは歌もうまいし、容姿もいいのだが、一味足りない。たぶん、天才らしい、傲岸不遜な様子が足りないのだと思う。権威的な父や大司教との対決の物語ではあるのだが、ウォルフガングが普通の人に見えてしまった。
コンスタンツェの生田絵梨花は歌は上手いが、悪妻の毒気が全くなく、可愛いいい子。役にまったく合っていない。
レオポルト役の市村正親、コロレド大司教の山口祐一郎の貫禄、男爵夫人の香寿たつきの歌唱力は聞きごたえがあった。
クンツェ&リーヴァイの作品らしく、「エリザベート」を思わせる音も。
0704 七月大歌舞伎 夜の部
「御浜御殿綱豊卿」
仁左衛門の綱豊卿のセリフの心地よさ。中車の助右衛門も懸命に渡り合っていて、やり取りの緊迫感を楽しめた。
が、さんざんそばへ寄るのを拒んでいた助右衛門が意を決して綱豊に近づくところで笑ってしまう観客ってどうよ。それまでのやり取りは振りではないのだが。
お喜世の壱太郎(何気に今月大活躍では?)、江島の扇雀、浦尾の吉弥ら、女形陣も役にはまっていて、バランスのいい舞台。
「口上」
20分の予定が5分ほど巻いて終了。あまり面白いことを言う人はなかった。
「女殺油地獄」
幸四郎が「最終目標」と言っていた大阪での油地獄だが、終始違和感が拭えなかった。どこがどう、とは言い難いのだが、強いて言えば、徳庵堤から人格破綻者に見えた。与兵衛は強がっているアホな男だけれど、そこには愛嬌がないといけないと思うのだ。幸四郎の与兵衛は危うげで、あまり近寄りたくない感じ。そのせいか、最期の殺しの場面での狂気との落差が少なかったのでは。猿之助のお吉はふてぶてしいというか、貫禄がすごい。与兵衛より大分年上に見えた。年下の幼馴染を放っておけず、つい世話を焼いてしまうというというより、冷静に考えているよう。殺しの場面でも、ついほだされちゃいそうになる様子が薄かったように感じた。
おさわの竹三郎、口入小兵衛の松之助が上方の風情。
それにしても、襲名披露公演の最後がこれって。どよーんとした気分で劇場を後にした。
0704 七月大歌舞伎 昼の部
「廓三番叟」
孝太郎の傾城、壱太郎の新造、歌昇の太鼓持。華やか。後見が金糸で鶴を縫い取った打掛をおろすとき、手が滑ってあわやという場面が。
「車引」
鴈治郎の梅王、扇雀の桜丸はなんだか気が抜けたよう。竹本のせいか、もっさりした感じ。仕丁のなかに、体が傾いでいる人が何人かいたのも気になった。桜丸の化粧はキリリと強めで、たおやかさがないのもいつもと違う感じ。
寿治郎の金棒引が若々しくて驚く。松王丸は又五郎、時平は弥十郎。
「河内山」
襲名披露狂言で、白鸚の河内山宗俊。花道を出たところから、足取りがおぼつかなく、せりふも老人のようにもごもごしてる。老け感の演出なのだろうか。
波路の壱太郎は可憐だが、ちょっと芝居が大げさか。弥十郎の高木小左衛門が分別のある忠臣らしく、安心感。
「勧進帳」
仁左衛門の富樫の大きさに感服。第一声から世界観が変わるのはさすが。
幸四郎の弁慶は1月の歌舞伎座よりは無理がなく、身の丈に合っているように感じた。緊張感のあるやり取りは客席にも伝わったが、「人が人に似たりとは」で笑いが起こってしまうのは力不足のゆえか。飛び六法はかろうじて手拍子にならず、一安心。
太鼓持ちの山川大遥くんがちっちゃくて可愛く、懸命に頑張る様子に目を惹かれた。
2018年7月4日水曜日
0630 藤間勘十郎 文芸シリーズ其三
「恐怖時代」
北翔海莉のお銀のは少し痩せたのか、すらりとした姿。凛とした声がよく通り、流し目が妖しい美しさ。もろさはあまり感じられないが。男たちを籠絡するとき、横を向いたときに除く本音の表情がいい。人が殺される場面で顔をそむけるのも、嫌なものから逃げる弱さが出ていた。三林京子の存在感が物語の世界を構築していた。河合宥希は役者のように美しい小姓という設定なので、男装した少女のよう。北翔と並ぶと男女逆転とは言わないまでも、姉妹のようだった。血の表現が、白い幕に血しぶきというのは安易な気がしたが、終始美意識にあふれる舞台だった。
「多神教」
恐怖時代に比べると焦点がぼけた印象。舞台上でセリフを発するのではなく、録音されたそれぞれの声に合わせての芝居はどういう意図だったのか?舞踊劇だったせいなのか、ピンとこなかった。
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