2017年12月20日水曜日

12月18日 文楽公演

「ひらかな盛衰記」 義仲館の段から逆櫓の段までを通して。駒若丸と槌松を取り違えるところが上演されるので、筋が分かりやすい。 義仲館は始、巴御前の南都、山吹御前の希、お筆の亘に団吾の三味線。始の大きな語りがいい。 大津宿屋の段は靖・錦糸に清允のツレ。靖の安定感が増して頼もしい。 笹引の段は咲甫・清友。咲甫としては最後の舞台だが、浪々と歌い上げるような語り。 松右衛門内の段は中を芳穂・喜一郎、奥を呂・清介。芳穂は日高川よりはだいぶいい。呂は三味線が激しくなると声がかき消されるようなところもあったが、力強く語るところもあって、聞きごたえあった。 逆櫓の段は睦・清志郎。清志郎の激しい三味線が気持ちを掻き立てる。睦は奮闘していたが、やっしっしのところで声がかすれるのが辛かった。それほど高音ではないと思うのだが。 人形は幸助の松右衛門が大きな動きで、汗だくの熱演。槌松の和馬がなんか可愛かった。

2017年12月19日火曜日

1218 文楽鑑賞教室Bプロ

「日高川入相花王」 芳穂、靖、咲寿、亘、碩に清丈、友之助、清公、錦吾、清允。芳穂の清姫は高音が辛い。靖の船頭は嵌る。人形は簑紫郎の清姫に文哉の船頭。蛇に変わって川を渡るところは、足や左に振り回されている感じ。 解説は希、寛太郎、玉誉。3人とも真面目すぎというか、硬い。 「傾城恋飛脚」の「新口村の段」は小住・清公が簾内で口を語ったのち、呂勢・宗介の前に、千歳・富助の後。呂勢はいつもよりのびのびと語っている感じだが、感情に乏しいい。千歳になってぐっと引き込まれた。

1217 貞松浜田バレエ団「くるみ割り人形」

お伽の国バージョンを所見。クリスマスパーティの場面など、子どもを加えた大人数の群舞が華やか。場面ごとに色合いの異なる衣装やセットも目に楽しく、飽きさせない。特に1幕最後の雪のワルツは雪降る中の群舞が夢のような美しさ。クララと王子の乗るサンタクロースの橇が電動カートみたいなのはご愛嬌。
金平糖の精の代わりに御伽の国の王女が出てくるのだが、音楽の繋がりが今ひとつ。クララ役の東沙綾は少女らしいのびのびした踊り。くるみ割りの王子の塚本士朗々は安定感があり、パートナーシップも悪くない。お伽の国の王女の竹中優花はどこから遠慮しているのか、踊りが小ぢんまりして見える。王の武藤天華も未熟さが見え、パドドゥがぎこちないところがあった。

2017年12月17日日曜日

1216 花組芝居「黒蜥蜴」

義太夫節の演奏付きで、江戸川乱歩の世界が歌舞伎仕立てで演じられる。セリフ回しや所作は歌舞伎そのものなのだが、テンポが速いのか、間が詰まっているのか、せわしない印象。もっと作品世界に浸りたい。笑いが随所にちりばめられているのは楽しいのだが、芝居の流れは途切れる。黒蜥蜴の加納幸和はアイメイクが控えめなせいか、あまり美しく見えず、おばさマダムという言葉どおり。早苗役の堀越涼も可愛くないし。明智小五郎は白塗りで赤い口紅なので、男前のピエロみたい。もっと男らしさが欲しい。そんなこんなで1幕は今一つの印象だったのだが、ラストの黒蜥蜴が毒をあおって明智に抱きしめられる場面は美しかった。まあ、それまでの、黒蜥蜴と明智が惹かれ合う描写がなかったので、唐突ではあったのだが。

1216 燐光群「クジラと見た夢」

基地移設問題で揺れる沖縄県名護市(劇中ではヒゴ)とイルカ・クジラ漁を巡る話。50年ぶりに故郷へ帰った男はかつてヒゴでクジラ漁をしていた漁師。今もこの地にはイルカ漁が残り、漁業権維持のために、地元の一人たちは兼業で漁師を続けている。市の東西に湾があり、状況は全く異なるのに1つの漁業組合が取り仕切る。基地のため、漁業権を放棄した東側のおかげで、西の港の人達も補助金を受け取っている不条理。いつもの燐光群の芝居同様、へえと思う情報満載。舞台は堤防になっていて、いろんな人達が入れ替わり立ち代り訪れるが、場面の変化が乏しく、イルカの追い込み漁の描写などはややキツかった。最後はイルカが起こす奇跡、ファンタジックな幕切れ。

1215 くじら企画「サヨナフ」

ピストル連続殺人犯、永山則夫をモデルにした芝居。永山の住むアパートに4人の男が訪れる。永山の支持者だという彼らは、永山が殺した被害者で、事件の様子や少年時代の出来事が明かされる。無知ゆえの犯行で、悪いのは取り残された者を生み出した社会だという主張に同情できなかったのは、永山の身勝手さが活写されていたからだろう。ただ、秋月雁は永山には少々年を取りすぎで、役とのアンバランスさが否めなかった。少年時代を演じた森川万里が鋭くナイーブな演技だが、健気にみえたのは役には合っていないのかも。姉役の藤井美保が、終始手や口元が震えていて、緊張のあまりなのか、役作り(姉は精神を病んでいる)なのか。後者だったらすごい。ラストシーンは撒かれる遺骨がキラキラと光ってきれい。

2017年12月15日金曜日

1214 「4 Stars 2017」

ミュージカルスターのシンシア・エリヴォ、ラミン・カリムルー、シエラ・ボーゲスに城田優という4人の共演。城田は思っていたよりも歌えていたが、やはり格が違うのは否めない。何より圧巻だったのは、初来日というシンシア・エリヴォの歌。1幕目はちょっと緊張していたのか、遠慮がちに聞こえたが、2幕ではのびのびと歌声を響かせ、出世作という「カラー・パープル」の「I'm Here」でステージは最高潮になった。なぜか「エリザベート」の楽曲が日本語で披露されたのだが、ラミンの日本語は音節と合っていなくて、せっかくの名曲が台無し。ただ、彼のトートで1舞台聞いてみたいと思わせた。

1211 神田松之丞 講談漫遊記vol.1

猫背で下からすくいあげるような視線やねっとりと絡みつくような語り口が不快感と紙一重。でもすごく聞かせる。 満席の観客の半分ほどは初めて松之丞を見るという人だったせいか、少々やりにくそう。中入り前は2演目の予定を短めの話3つに変更していた。 「山田真龍軒」は宮本武蔵の戦いぶりが活劇風。ちょくちょく笑いを挟みつつ。大阪にゆかりの「違袖の音吉」は少年音吉が嫌みなガキ。「扇の的」は短かったが、本格的な古典を聞かせる。 中入り後は本日メインの「赤穂義士銘々伝〜神崎の詫び証文」。忠臣蔵関連で3本の指に入る講談なのだそうだが、冷静に考えると何というか、しょうもない話だ。酔っ払いに絡まれた侍が我慢したってだけだし。ただし、そんなしょうもない話でグイグイ引き付られた。はじめは探り探りだった客席も、最期にはすっかり掴まれていたようだった。

2017年12月11日月曜日

1210 エイチエムピー・シアターカンパニー「盟三五大切」

客席に向かって扇状に広がる舞台には黒いラインが貼ってある。伸縮するラインで部屋を区切ったり、生死の境を現したり。小道具はほとんどなく、黒い紙で畳や煙草盆、食器などを表現。衣装は「四谷」と似たデザインだが、こちらは黒ずくめ。源五兵衛、小万、三五郎の3人のみが白塗り。役名や場面などの映像は床面に投じる。「本心」がキーワードのようで、源五兵衛が小万のために100両を与えるところや、八右衛門が源五兵衛の身代わりにとらわれるところ、意に反して義士に列せられるところなどで「本心」が語られる。原作と異なり、三五郎が源五兵衛の生き別れた息子としたのは、人物関係を簡潔にするためだろうか。忠義のために思ってしたことが実は主君を損なうことだったという皮肉がぼやけるように感じた。 女ばかりの妖狐組は高安美帆の源五兵衛。小柄で華奢なのは源五兵衛という役には不利と思う。小万の林田あゆみも期待が高すぎたのか、ちょっと物足りなかった。2人とも白塗りのメークがそぐわない感じで、もうちょっと格好良く/可愛くできたのではないかとモヤモヤした。ラストちかく、小万の首を落としたところは、照明の効果もあって顔が白く浮き上がり、美しい舞台だった。八右衛門の水谷有希が恰好いい。思えばぶれずに忠義を貫いたのはこの人だけで、作中で一番格好いい役かも。芸者菊野との変り身の早さも鮮やか。 男ばかりの鬼組は澤田誠の源五平衛に岸本昌也の小万。澤田の男前ぶりが源五平衛にはまり、はじめは義のためにと自制していたのが、小万の「本心」と言われて心が揺らぐところなどの心理描写が明快だった。岸本は四谷のお梅の時にはやしていた髭を剃ったせいではなかろうが、こちらのほうが役らしかった。そしてなぜか、こちらも八右衛門(高橋絋介)が格好良かった。

2017年12月10日日曜日

1209 藤間勘十郎 春秋座 花形舞踊公演

市川猿之助と2人での舞踊会の予定が、猿之助のケガでプログラム変更に。冒頭、私服姿の猿之助が現れ、あいさつ。観客サービスの篤い人だ。今後も会を続けて、観客が嫌というほど宗家と踊り狂いたいという発言に大きな拍手。 「二人三番叟」は素踊りで勘十郎の翁に中村玉太郎の千歳、隼人、梅丸の三番叟。動きにぎこちなさは残るが、若々しい三番叟。 「流星」は尾上右近の流星に隼人の牽牛、梅丸の織女。簡素なセットだが、白塗りの衣装付き。梅丸が可憐。右近は踊りが上手く、面を変えての踊り分けも達者。最後は宙乗りで沸かせる。 「春興鏡獅子」はまた素踊りで、勘十郎の弥生。滑らかな動きが美しく、素踊りで娘らしさが見えるのはさすが。右近は姿勢が悪いなと思ったら、飛鳥井の老けを表現していたのか。胡蝶の精に花柳凛と若柳佑輝子。

1208 庭劇団ぺニノ「ダークマスター」

高層ビルが建ち、再開発が進む街にひっそりと建つ古い洋食屋。日本一の料理を作るが、マスターの愛想のなさから閑古鳥が鳴いている。偶然入り込んだ自分探しの旅の途中の若者が、マスターに取り入られ、耳に小型イヤホンを仕込まれて変わりに店に立つように仕向けられる。観客にもイヤホンが渡され、二階に引っ込んだマスターと若者のやり取りを疑似体験できる仕掛け。はじめはイヤホンからの指示でおっかなびっくり調理していた若者が、次第に自信を得、マスターと一体化しながらやがてかつてのマスターのように倦んでいく様が不気味。吐息などが耳元で聞こえ、ゾクリとする。後半現れる中国人が謎。調理の様子を撮影したり、料理をタッパーに入れて持ち帰ったりしていたのは店の味を盗む狙いだろうが、大金を置いたり、名刺を残したりしたのはもっと深い意味があったのだろうか。

1208 南河内万歳一座「びっくり仰天街」

アパートの外に家財道具一切が運び出された路上に3人の正装した女の後ろ姿と思うと、振りむいたのは内藤裕敬でいきなりの女装で笑いを取る。通夜の会場を探して迷う人と、住人が行方不明になったアパートの始末に右往左往する人らが入り混じり、かみ合わない会話を繰り広げる。住人は男だったのか、女だったのか、何歳だったのか。家財道具や、葬儀に集まる人を見られることは、生前明らかにしていなかった秘密を知られてしまい、内臓を見られるように恥ずかしいのかも。

1207 桂佐ん吉"ハメモノ”と落語の世界

三味線の内海英華、鳴り物に桂そうば、小鯛、米輝を配してハメモノの解説。雨や波などの効果音をクイズ形式で紹介したり四天王の出囃子を演奏したり、「七度狐」の実演まで、ボケと突っ込みが随所に入る、大爆笑の一幕だった。中入りをはさんで、内海英華の女道楽と佐ん吉の「蛸芝居」。嫌みなところのない、いい出し物だった。

1205 「この熱き私の情熱」

「それは誰も触れることができないほど激しく燃える。あるいは、失われた七つの歌」という長い副題。上下2段、横5つに仕切られた部屋のはそれぞれ趣きが異なり、原作者ネリー・アルカンの7つの側面を表している。6人の女優が別々の部屋にいて、それぞれ交わることはない。ただ一人のダンサーが、時に男装して部屋を行き来する。散文詩のようなセリフは寓意的で、ときにユニゾンで語られ、ときに歌になる。伝わってくるのは、女として生きることの圧倒的な辛さ、困難。彼女は最終的に死を選ぶのだけれど、美しく才能もあったネリーを何がそこまで追い詰めたのかはわからない。ただ、どうしようもない息苦しさを感じた。
背中の大きく開いたドレスを着た松雪泰子が美しく、前半はほとんどセリフがないのだが惹きつけられる。ラスト近くの独白の落ち着いた声もいい。

2017年12月5日火曜日

1204 吉例顔見世興行 夜の部

「良弁杉由来」
鴈治郎の良弁大僧正に藤十郎の渚の方。当たり前だがまごうことなき親子。藤十郎はセリフや動きがおぼつかないのは演技のようにも見える。

「俄獅子」
時蔵の芸者が粋でいなせ。橋之助、福之助、歌之助の鳶頭は若々しくていいのでは。襲いかかる若い衆を、鳶頭たちが蹴散らすのはいいとして、芸者衆がやたら強いのはなんでだろう?

「人情噺文七元結」
芝翫の長兵衛は、知盛よりも板についた様子。セリフ回しや仕草に勘三郎の影響を感じた。扇雀のお兼とは息が合って、夫婦喧嘩の丁々発止が面白い。最後の場面で衝立の横から顔を出すのは扇雀の工夫か、面白い。娘お久は壱太郎。健気でかわいい娘。文七は七之助。昔見たときよりは情けな具合は減っているが、本来の役はこのくらいしっかりしているのかも。角海老女房お駒の魁春は事情を飲み込んだ大人の対応。鳶頭の仁左衛門がごちそうで、この仕切りで劇中口上。本人たちも言っていたように、貧乏ななりでの口上がご愛敬。

「酒呑童子」 酒が飲めると喜ぶ童子は愛嬌のある表情なのだが、化粧のせいか勘九郎の顔が真ん中によっているようでこけしみたい。鬼になってからのほうが様になる。踊りの達者さは勘三郎を彷彿とさせる。源頼光を七之助、橋之助の平井保昌、福之助、歌之介は濯ぎ女と従兄弟が勢ぞろい。

1204 吉例顔見世興行 昼の部

「寿曽我対面」
橋之助の五郎は若々しく、動きが大きいのがいい。足を踏み出す一歩が大きく立派。ただ、内から溢れ出す気迫のようなものはあまり感じられず、十郎に止められるのが形ばかりに見えたのが惜しい。七之助の十郎はシュッとした男前。朝比奈の勘九郎ははじめ誰だか分からず、声を聞いて勘三郎に似ているなあと。どんな役も器用にこなす。進之介が鬼王新左衛門でちょこっと登場。梅玉の仕切りで劇中の口上。役の拵のままなので、名乗りはなし。勘九郎が「天国の祖父、勘三郎も喜んでいると思う」という一言でホロリとさせる。

「義経千本桜」
渡海屋から大物浦。
芝翫の銀平実は知盛は、姿は悪くないし、口跡もまずまずなのだか、内から滲み出る情感が薄いのか迫力不足。多分仁左衛門の教えを受けているのであろう、セリフ回しはそれらしいところが多々あるものの、気持ちがこもっていないよう。時蔵のお柳は町人らしい軽さがなく、夫自慢も今ひとつ。典侍の局になってからは気品があってしっくりきた。
鴈治郎の相模五郎は、銀平に曲げられた刀を戻すところで、中途で放り出して、勘九郎の亀井六郎に「後は任せた」というのに笑った。ご注進では動きが重たく、ドタドタしてた。外見はパタリロみたいだし。
秀太郎の義経の気品、弥十郎の弁慶の大きさ。安徳天皇(多分、大西啓翔くん)のセリフがたどたどしいのだが、それが返って哀れを誘う。

「二人椀久」
仁左衛門の椀久に孝太郎の松山。椀久が美しいのはいうまでもないが、スッポンがなく、舞台後方の紗幕の後ろから登場した松山が美しくて驚く。横顔もきれいに見えた。

1201 エイチエムピー・シアターカンパニー「四谷怪談〜雪ノ向コウニ見タ夢」

歌舞伎だと5〜6時間かかる長編ドラマをを7人の役者で90分ほどにまとめながら、冒頭の浅草寺の場や夢の場などが入っていて驚く。お梅が伊右衛門を見初める浅草寺はともかく、夢の場は不要では?
舞台上に碁盤の目のように黒い線が張られ、場面の変化が分かりやすくなった。線はゴム状に伸びるので、後半、幽霊となった岩が枠を潜って移動し、この世のものならぬ様子を表すのも効果的だった。白い衣装や床など映像を投影して、役や場面を示す。登場人物が多いのを観客に分かりやすくする工夫だが、自ら名乗る人人名前を投影する必要はないのでは。また、前回も思ったが、岩の顔が崩れるのが不鮮明な映像では分かりにくく、怖さが薄い。
伊右衛門が武士に返り咲いて出世に執着する男で、岩がそれを打ち砕く存在。伊右衛門自身も、出世のために面相が変わっている。現世での出世に囚われる愚かさ?
男ばかりの鼠版は、髭面の役者が娘役だったりするのだが、不思議と違和感はない。伊右衛門と岩だけが白塗りなのは、二人を際立たせるためだろうが、お岩の役者が、与茂七や小平を兼ねるので混乱する。全体的に役の演じ分けが曖昧で、今は何の役だか考えさせられる場面が多かった。女ばかりの猫版は役者が皆達者で、演じ分けが明快。伊右衛門の水谷有希が男前だった。

2017年12月1日金曜日

1129 ミュージカル「レディ・ベス」

ミヒャエル・クンツェ&シルヴェスター・リーヴァイの作品で小池修一郎演出という「エリザベート」のスタッフなのだが、ストーリーも音楽もあまり残るものがなかった。前回の日本公演が世界初演で、ほぼ同じキャストでの再演なのだそう。初演より進化したというのだが。花總まりのベスは可憐さの中に王族の気品がある。ロビンとの恋が唐突というか、なぜ惹かれたのかが分からない。ロビンの加藤和樹は自由の象徴なのだろうが、老成しすぎ?身分の差を超えてベスが惚れるほど魅力は感じられなかった。メアリー1世の未来優希が存在感、歌唱力ともに説得力があり好演。ベスの教育係アスカムの山口祐一郎は狂言回しの役割も果たす。キャットの涼風真世はこの役が悪いというのではないが、エリザベス役も似合いそう。スペイン王子フェリペ役の平方元基、演出なのだろうが片肌脱いだり、キメキメでポーズしたりするのがやりすぎに感じた。