北嵯峨の段は希・団吾。
寺入りは亘・ 友之助。
子供の声が全体的によくないと思った。
寺子屋の切は呂・清介。
いつも通りの慎重な語り。いまいち盛り上がらないと感じるのは、起伏の幅が小さいからなのだろう。メリハリがないというか。玄蕃ですら、迫力がないのだもの。
後は呂勢・清治。打って変わって、色彩が豊かになった感。字幕を見なくても大丈夫なのは、滑舌がよく、言葉が聞き取れるから。登場人物の一人一人が何をして、何を感じているかが明確で、物語をより深く味わえた。小太郎が潔く死んだと聞いた松王丸の泣き笑いでほろり。ここで大笑いの泣き笑いバージョンだと初めて気づいたよ。清治の三味線の鮮やかさは言わずもがな。いろは送りも音楽的で聞き惚れた。(いろは送りの前で予備の三味線が差し入れられたけど、結局使わず。万一の備え?)
人形は玉也の源蔵、勘壽の千代は珍しい配役では。
よだれくりは勘介で、お笑い担当なので少々のおふざけはいいとして、寺子屋にの冒頭で太夫が深刻そうに語る横で笑いを取るのはいかがなものが。寺子屋の冒頭で子供たちが横一列に座っているの、初めて見た気がする。
松王は玉助。
五段目の大内天変の段は小住・寛太郎。約50年ぶりの上演。前回の音源があるものの、聞き取れないところも多く、ほぼ復曲だったそう。落雷を三味線で表現する寛太郎の力演。小住も力の入った語り。
最後、菅丞相の仇と言って、橘姫と菅秀才が小刀で時平を刺すのだが、菅秀才はともかく、橘姫の勇ましさに驚く。
子供の声が全体的によくないと思った。
寺子屋の切は呂・清介。
いつも通りの慎重な語り。いまいち盛り上がらないと感じるのは、起伏の幅が小さいからなのだろう。メリハリがないというか。玄蕃ですら、迫力がないのだもの。
後は呂勢・清治。打って変わって、色彩が豊かになった感。字幕を見なくても大丈夫なのは、滑舌がよく、言葉が聞き取れるから。登場人物の一人一人が何をして、何を感じているかが明確で、物語をより深く味わえた。小太郎が潔く死んだと聞いた松王丸の泣き笑いでほろり。ここで大笑いの泣き笑いバージョンだと初めて気づいたよ。清治の三味線の鮮やかさは言わずもがな。いろは送りも音楽的で聞き惚れた。(いろは送りの前で予備の三味線が差し入れられたけど、結局使わず。万一の備え?)
人形は玉也の源蔵、勘壽の千代は珍しい配役では。
よだれくりは勘介で、お笑い担当なので少々のおふざけはいいとして、寺子屋にの冒頭で太夫が深刻そうに語る横で笑いを取るのはいかがなものが。寺子屋の冒頭で子供たちが横一列に座っているの、初めて見た気がする。
松王は玉助。
五段目の大内天変の段は小住・寛太郎。約50年ぶりの上演。前回の音源があるものの、聞き取れないところも多く、ほぼ復曲だったそう。落雷を三味線で表現する寛太郎の力演。小住も力の入った語り。
最後、菅丞相の仇と言って、橘姫と菅秀才が小刀で時平を刺すのだが、菅秀才はともかく、橘姫の勇ましさに驚く。
0 件のコメント:
コメントを投稿