「菅原伝授手習鑑」
車曳の段をオールスターキャストで。太夫は呂の松王、錣の梅王、藤の桜丸、呂勢の杉王、織の時平に清介の三味線。呂は声を上げながら袖から登場し、本公演より力入ってる?という語り。織は時平の大笑いを豪快に(いつもより長かった?)演じて会場の拍手をさらったが、声が若々しく、松王の呂と入れ替わった方がよかったのではと思うなど。
人形は玉男の梅王、和生の桜丸、勘壽の杉王、玉也の時平、勘十郎の松王という豪華版で全体として本公演より一回り大きい舞台と感じた。和生の桜丸のポーズが美しい。勘十郎の松王は登場時に槍?に右足をかけて極まるのが格好いい。
座談会は山川静夫を司会に、咲、清治、団七、和生、勘十郎、玉男が国立劇場の思い出を語る。車椅子で登場した咲は「車曳の後だから」と冗談。天ぷら屋で滑って油地獄、11時間手術したのだそう。にこやかに話していたけれど、坐位を保つのが辛いのかずっと肘掛けを握りしめていた。清治は山川に声をかけられてトチッたとか。忠臣蔵の通しをかけた時、12月14日に泉岳寺にお参りに行くのをサボったらそのまま寝過ごして、⑧綱太夫にこっぴどく叱られた。団七は清治と同期で昭和29年デビュー。当時は松竹傘下で新橋演舞場?で公演していたが、国立劇場という立派な劇場ができた。大阪の朝日座は音が悪かったのに比べ、音がいい。④津太夫の三味線を弾いた時、一撥目で皮を破ってしまったが、「一の糸が切れた」と書かれたのに憤慨。皮が破れるのは構わないが、糸が切れる、ましてや一の糸というのは三味線弾きにとって恥。最後は、玉男が主、勘十郎が左、和生が足を使ってお園の後ろ振りを披露。
天地会は寺子屋の段。口上に出てきた清方は拍子木の打ち方が覚束なく、人形の左に入っていた勘介が指導するという、幕開きから何だかおかしい。
三味線に入った勘十郎のオクリから始まるのだが、途切れ途切れ。横でニコニコしている玉佳はいるだけでおかしい。一撥だけで引っ込んでしまう人もいた中で、玉彦がまあまあ弾けていた(なぜか最初の登場では、指擦りを持ってこさせただけで引っ込んでしまう不審な動きをしていたが)のと、後半をほとんど一人で弾いていた呂勢。いろはオクリの前には、糸を繰って駒を替えるまでやっていたのはさすがで、語りに入った団七から「うまい!」の声も。(よほど大変だったのか、終演後は立てなかったみたい)
太夫は勝平や宗介、清介、燕三がしっかりと引き締め、ほかは一言だけ語る者や棒読みの者など。藤蔵は三味線が遅れた時に催促するように左手を見たり、自分で「テーン」とか言ったり、見台を叩いて拍子を取ったと笑いを取っていた。お面白かったのは棒読みながら結構長い間語っていた文司、手振りを入れたり、「楽屋に帰ってプレミアムモルツ」と言ったり自由な玉也、「えぇ〜」の間がなんとも言えない一輔など。いろはオクリは団七と清志郎で、団七は歌うよう。後半を語った清志郎は大きな声で団七をびっくりさせてた。
人形は菅秀才とよだれくり遣った燕二郎の健闘が光った。ツメ人形は皆自由に動かしていて、手習子を遣った富助がニコニコしていたのが印象的。文字栄の千代が目を瞑ったままだったり、上を向いたり俯いたりしている人形があって、左に入った本職の人形遣いが懸命にフォローしていたり、とハラハラドキドキ。左、足の人形遣いも皆頭巾なしだったので、必死の表情が見えて、それもまたおかしかった。
初めから終わりまで笑いっぱなしで、昨日泣いた寺子屋でこんなに笑えるとは。
開演前や休憩時間に技芸員らがロビーでファンサービス。「文楽名鑑」にサインしたり、写真撮影に応じたり。錣と友之助に長い行列ができていた。
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