2024年8月17日土曜日

8月17日 大槻文蔵と読み解く 能の世界〜能作者そして作品〜

対談は小田幸子と世阿弥をテーマに。世阿弥を50分で語るのは無理とのことで「恋重荷」を中心に紐解く。シテツレの女御は初めから舞台にいるが、ワキや前シテの荘司からは見えていない設定(御簾内にいる?)。後場から出てもよさそうなところ、いないはずの女御の視線の先で荘司らのやり取りが展開されるという演出に作者の狙いがあると。荘司がどうして死んだのかは明記されていないが、重荷に頭をぶつけて死ぬという解釈でそう演じていると文蔵。現行曲では荘司は言葉で女御を責め立てるのみだが、古い演出では、荘司の霊が女御を追い回して打擲するといった直接的な場面があるとか。最後、守護神となって千代に女御を守るというが、鬼に恨まれるのとどちらが怖いかという指摘に深く頷く。

「蝸牛」 

善竹弥五郎の山伏、忠重の主、忠亮の太郎冠者。
枯れた風というか、セリフも動きもおっとりした感じ。世代の違う忠亮だけ声量が大きい。


「恋重荷」

赤松禎友のシテ、大槻裕一のツレ、福王茂十郎のワキ、善竹隆司のアイ。
裕一の女御は清楚な感じ。上手に座っている間、頭も動かさずにじっとしているのは辛いと言っていたが、そう聞いて見てみると大変そう。後場で死んだ荘司を見せられたり、怨念に苦しめられたりとただただ気の毒。因果と言っても、重荷を持たせたのは女御の指示ではないのに。最後、守神となってずっと見守っていると言われ、佇む姿は絶望のあまり呆然としているように見えた。
シテは重荷を持てずに絶望し、重荷の脇で音を立てて膝をつくのが死んだということらしい。その後、橋掛かりから引っ込むのだが、肉体は動いているけど中身がないというか、役の命は離れているように見えた。ただ、その後、アイやワキが荘司の死骸を前に色々するので、現代劇だったら着物か何かを残すだろうなと思った。
小鼓は大倉源次郎。シテの面を丹後に伝わる古いものを使ったのにちなんで、同時代(室町期)の弥七?作の胴を使ったとか。

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