2020年11月30日月曜日

11月29日 「オレステスとピュラディス」

ギリシャ神話に題材にしたオリジナルストーリー。「オレステス」と「タウリケのイピゲネイア」の間の、オレステスとピュラデスの旅の物語。脚本の瀬戸内美咲は、オレステスとピュラデスの友情以上の関係が徐々に変化していく様子を、5つの場で象徴的に描く。

ガランとした何もない裸舞台に客席からコロスが現れたところへ、天井から女(の人形)が落ちてくる衝撃的な幕開き。奥行きの広い舞台をフルに使って動き、踊る。脚立やコンテナを組み合わせて船や小屋を表現するなど、荒削りな舞台装置が面白い。 

一幕ごとにテーマ曲があるような感じで、ラップは杉原演出の定番だが、メッセージ性の強い言葉が響く。 途中少しだれたけど、オレステスを巡るピュラデス(濱田龍臣)とラテュロス(趣里)のラップ対決が圧巻で目が覚めた。

オレステスの鈴木仁は初舞台だそうで、ダブル主役ということだが、ウエイトはピュラデスのほうが高い印象。
大鶴義丹と趣里は、場面ごとに異なる役で場を一変させ、芝居を引き締める。1場の大鶴はピュラデスの父ストロピウスではギリシャ劇役者のようだったし、5場のプロメテウスはウェーブの銀髪がビックリマンのようで、「グリークス」の神と同じくパロディにしか見えない。趣里は3場?のおっさん役がなんだかかわいいものの、1場の老婆から別人のよう。一番合っていたのはラテュロスの赤いドレス。

(年末年始の配信を観て追記)
4場のピュラデスとラテュロスの対決シーンで印象的なセリフ。
アポロンの「気高くあれ」という言葉に従って、憎しみから離れようとするラテュロス。「どうして苦しみに自分をとどめておこうとするの?皆そう。足を引っ張り合って苦しみの中にいようとする。救いに人数制限はないのに」

5場「心がある限り、人間は憎しみから逃れられない。燃え上がった憎しみを消すことはできない。しかし、鎮めることはできる」といい、これまでの憎しみを鎮めよというプロメテウス。「なぜ俺たちが?割に合わない」と反論するピュラデスにプロメテウス「死者に炎を鎮めることはできないからだ。それができるのは今生きているものだけだ」「すべてを一人で抱える必要はない。分け合うのだ」



ラテュロス:私は殺さない
ピュラデス:なぜだ
ラ:気高くあれ。アポロンはそう私に告げた。私にとってアポロンの言葉は救いであり呪いでもあった。憎しみに支配されそうになったとき、私はその気高くあれという言葉に引き裂かれた。アポロンはわざと私を苦しめているのかもしれないと考えたこともあった。でもアポロンはすべて分かっていてその言葉を私に授けた。その言葉がなければ私がどうなるか分かっていた。私が苦しみでわが身を燃やし尽くすことを知っていた。オレステスがギリシャの総大将の息子。アポロンはまた私に試練をあたえた。これはどういう意味?あなたは楽になっていい。あなたはオレステスや私とは違う。あなたは救われていい人間。
ピ:俺はそんなこと望んでない
ラ:どうして苦しみに自分をとどめておこうとするの。皆そう。足を引っ張り合って苦しみの中にいようとする。救いに人数制限はないのに。

プロメテウス:人間もまた神と同じく愚かな存在であった。自分のことを特別だと思い込み、己以外は皆滅んでよいと考えている。互いに憎しみ合、その憎しみは連なり続けていた。そして憎しみがいよいよ臨界に達したとき、人間は火を使って戦争を始めた。炎は燃え広がり大地を焼き尽くした。愛をもってその炎を消そうとする人がいた。しかし簡単なことではなかった。愛というのもまた、小さな火であるからだ。愛は時として憎しみに姿を変え、大きな炎となった。ピュラデス、主会えもそうだ。お前はオレステスを愛していた。しかし今その愛は憎しみとなっている。
憎しみを消すことはできない。一度生まれた感情は残り続ける。人間には憎しみが宿る臓器がある。心だ。心がある限り、人間は憎しみから逃れられない。燃え上がった憎しみを消すことはできない。しかし、鎮めることはできる。炎は見えなくなっても記憶という火種は地中でくすぶり続ける。そしてある時突然姿を現すと激しく燃え出す。だが、その時はもう遅い。
今オレステスが抱えているものは一つの家族の怨恨を超えた、人類全体の憎しみの集積だ。彼の心だけでとうてい抱えきれるものではない。彼の心が崩壊すれば世界もまた崩壊するだろう。取り返しのつかない形で、世界の憎しみが解き放たれるだろう。
ピ:じゃあどうすれば
プ:鎮めるのだ
ピ:世界中の憎しみを鎮めるなんてできるわけない
プ:まずはおまえ自身の炎を鎮めるのだ
ピ:無理だ。俺は人を殺した
プ:ラテュロスは生きている。彼女は自らの中にある憎しみの炎を鎮めようとしてきた人間だ。今ここで死んではならない。タウリケへ行き、もう一度ラテュロスに会わなければ
ピ:なぜ俺たちが過去の憎しみまで背負わなくてはいけないんだ
プ:そうしなければ憎しみの炎はさらに大きくなる。次の世代に引き継がれてしまうからだ。
ピ:次の世代のために俺たちの世代で何とかしろっていうのか。馬鹿な事を言うな。戦争をやったのは俺たちじゃない
プ:その通りだ
ピ:じゃあなぜ俺たちが責任を負わなくちゃいけないんだ
プ:死者に炎を鎮めることはできないからだ。それができるのは今生きているものだけだ
ピ:割に合わない
プ:もっともだ。しかし今鎮めなければお前たちの後の世代の人間たちは言うだろう。どうしてあの時鎮めてくれなかったのかと
ピ:先の奴らのことなんか知ったこっちゃない
プ:それでは父親たちと同じではないか。炎を広げるには何もしなくていい。だがそれを鎮めるためには人間の強い意志が必要だ。鎮められるか、燃え広がるか、それはお前たちにかかっている
ピ:無理だ
プ:一つ一つ鎮めていくのだ。お前の炎、オレステスの炎、ラテュロスの炎。そうすれば炎は恐ろしいものではなくなる。人間に寄り添う暖かい火になる。そんな小さな火を増やしていくのだ。覚えているのだ。…の記憶も、憎しみの記憶も、等しく覚えているのだ。消すことも捻じ曲げることもしてはいけない。。喜びの記憶だけによりかかってもいけない。すべてをただ忘れずにいるのだ。それが鎮めるということだ。
ピ:すべての記憶を抱え続けるのは無理だ
プ:この世界にどれだけたくさんの人間がいると思っているのだ。すべてを一人で抱える必要はない。分け合うのだ。伝えるのだ、渡すのだ。そしてその日が来たらすべてを手放し、この地を去るのだ。お前にはできる。いいか、消そうとするのではない。鎮めるのだ

2020年11月23日月曜日

11月23日 錦秋文楽公演 第一部

「源平布引滝」

矢橋の段は亘・錦吾。御簾内。
時代物の端場だし、危なげなく。
追手から逃げる小まん(勘弥)の髪がすでに一筋垂れているのは演出かアクシデントか。後で髪を捌くのであれ、と思った。
竹生島遊覧の段は津国の実盛、小まんの南都、左衛門の文字栄、碩の忠太、宗盛の咲寿に団吾。津国は大きさがあり役に合い、南都の小まんも懸命な様子が真に迫る。文字栄は我が道、咲寿は力が入りすぎ。団吾は相変わらずロッグギタリストのよう。

九郎助住家の団は中が小住・寛太郎。のびやかな声がいいが老けの語りがまだ若い。三味線は弾き方に無駄がないというか、余計な力がない感じ。

次は靖・錦糸。瀬尾の語りに迫力があり、大きさも十分。低音を頑張って出そうとしている。成長が感じられるのは聞いていて心地よい。

前は呂・清介。何時もに増してションボリした様子で出てきたが、語り出したらいつも通り。音程はちゃんとしてるし、語り分けもでき、テクニックはあるのだろうが、迫るものが何か足りない。

後を錣・宗助。間にオクリが入らず、瀬尾か登場するところでいきなり盆が回った。イレギュラーな分割では?テンションの高いところでの語り出しは大変そうと思いつつ、この迫力は呂ではないわなと納得もした。

人形は太郎吉の勘次郎が子供らしい健気さをよく出して好演。実盛の玉男はラストの馬に乗るところで腰を黒衣に支えてもらっていた。いつも通りなのかしれないが、今日初めて気づいたのでちょっと気になった。


11月22日 錦秋文楽公演 第3部

「本朝廿四孝」

道行似合の女夫丸は睦の濡衣、靖の勝頼、亘、碩に清友、友之助、錦吾
燕二郎、清方。睦の声がかすれて辛い。

景勝上使の段は希・清丈。落ち着いた語りでぐっと良くなった。

鉄砲渡しの段は芳穂・清志郎。親父二人のやり取りが渋いが芳穂の声に合っている。投げた鉄砲を運んだ介錯が素早い動き。

十種香の段は千歳・富介。安定感があり、充実の床。もう切場語りでいいんじゃないの?後ろにそる姿が散見されたのは声が出しにくいのか。

奥庭狐火は織・藤蔵、燕二郎。織は声量があり高音も良く出ているのだが、「会いたい見たい」のくだりがイマイチグッとこない。どやなので切なさがたりないのか。

勘十郎の八重垣姫は終始ノリノリ。登場からしばらくは後ろ姿なので、オーバーアクションというか、ちょっとシナを作りすぎに感じた。奥庭はもう勘十郎ショーのよう。出遣いの足は初役?回るところなどちょっと振り回されているように見えた。


11月22日 錦秋文楽公演 第2部

「新版歌祭文」
野崎村の段の中を睦・勝平。高音がかすれる悪いクセ?が再出。千秋楽近くなり疲れが出たのか。祭文売りの語りが普通のセリフのようで、一瞬誰が喋っているのか分からなくなった。落ち着きが出てきたのはよい。勝平はおおらか。

前は呂勢・清治。お染のクドキの切なさ。思い込みの強い我儘なお嬢さんで全く共感できないのだが、音楽としての素晴らしさについ引き込まれてしまう。三味線も素晴らしい。

切は咲・燕三。心中を決意したお染久松に割って入る久作の出から。変なところで床が変わる。爺さんのしみじみした語りは流石。21年ぶりという、おみつの母が出てくる演出は、かみを下ろしたおみつが母には隠そうとする健気さが際立つ。

人形は清十郎のおみつ、文昇の久松 、一輔のお染。一輔のお嬢さんぶりが板についている。久三の小助の簑紫郎が楽しそう。油屋お勝の簑助は大分足取りが覚束なく、腰を支える4人目に加えわ、左遣いが右手を取って支える場面が散見。船に乗ってからは代役のようで頭巾を被っていた。
船頭の玉翔は泳がず、手を離れてしまった竿を足に引っ掛けて引き揚げるのみ。ここはあまりやりすぎない方がいい。

「釣女」
藤の太郎冠者、芳穂の大名、希の美女、三輪の醜女に団七、清馗、清公、清允。太郎冠者はもう少し軽快さがほしい。

人形は玉佳の太郎冠者が出てきた時から楽しそう。玉勢の大名、紋臣の美女、勘弥の醜女。̪̪醜女の首はお福だが、お福って可愛いのに。松羽目の舞台で、酒の杯は鬘桶の蓋だが、瓢箪徳利なのは折衷案? 


2020年11月22日日曜日

11月21日 舞の会―京阪の座敷舞― 

座敷舞は狭い座敷で見るために作られているので、ホールでの鑑賞には耐えないと常々思っていたが、小劇場の比較的狭い舞台で、欄間や襖を立てこんで座敷風の環境を整えていたのは悪くなかった。客席は2席ごとに1席空けた変則千鳥。

「水鏡」 吉村章月
白塗りにした姿は美しかったが、だいぶご高齢の様子。幕開きは膝を曲げてしゃがんだ姿勢だったが、はじめに立ち上がるところから足元が怪しい。しゃがんだり、回ったりするたびによろめくので、ハラハラして踊りが入ってこなかった。 

「袖の露」井上豆弘
祇園の芸妓?鶴のようにスラリとした容姿で、表情がキツいので冷たそうに見える。

「東山」楳茂都梅衣華

「善知鳥」
初演時も見たが、ちゃんと理解できなかった気がしたので再見。能とはまた違って、猟師の苦しみが激しい舞で描かれる。他の出演者と同じく座敷のセットで踊ったが、ストーリー性が強くシリアスなので、座敷にはそぐわないかもと思った。


2020年11月21日土曜日

11月20日 国立能楽堂 定例公演

「延命袋」
七五三の夫、茂の太郎冠者、千五郎の妻。
千五郎の妻のわわしさよ!単にうるさいのではなく、夫を尻に敷く強さが大柄な体によく似合う。七五三は恐妻を嘆く冒頭から絶妙な間と表情で笑わさせる。茂はなぜか微妙に調子が合っていなかったよう。

「船弁慶」 重キ前後之替・舟歌替之語
福王和幸の弁慶は、顔が小さすぎるのか、顔色がすぐれないないからか、あんまり似合わないように感じた。子役の谷本康介は澄んだ声でハキハキとして、声の調子もよい、いい義経。 
九郎右衛門のシテは、静として登場した時、面と装束のバランスが良く、和幸との身長差もあって小柄に見えた。小書き付きで、静かの舞はゆっくりと静かで、後シテの知盛は橋掛かりに出てから一度後退りして引っ込む演出が特徴だそう。
激しいお囃子で舞う知盛が義経に近づくたびに、弁慶が腕を伸ばして庇うのが萌える。


2020年11月17日火曜日

11月16日 春風亭一之輔・古今亭文菊 二人会

開口一番は菊之丞門下のまめ菊「一目上がり」。ハキハキとして、ちょっとうるさいくらい。登場人物の語りわけも形になってるし、前座らしさに好感。

文菊「強情灸」
もう何度か見ているのに笑ってしまう完成度の高さよ!

一之輔「富久」 
お年玉の準備やら神棚の掃除やらのマクラから。久蔵の境遇のアップダウンの激しさに引き込まれて、ハラハラする楽しさ。笑った。 

一之輔「つる」
白髪の老人→爆発の老人(岡本太郎か!)、岩礁→バンドウイルカ(城みちる)というくすぐり?が入って、今まで聞いたことのない賑やかなつるに。

文菊「お直し」
マクラで、古典落語の世界と現代では価値観が変わってしまったので、現代風に工夫しなくてはと言いつつ、一之輔の「つる」をチクリ。一之輔が二人喋ってるというのはその通りなのだが、ちゃんと別人だと聞き分けられるから不思議。二人とも坊主ながら芸風は真逆なのが面白い。よくぞ二人会をやってくれたと思う。 
吉原が舞台の人情噺?元花魁の女房が色っぽい。若い衆の旦那のダメっぷりも。

2020年11月15日日曜日

11月15日 吉例顔見世大歌舞伎 第四部

 「義経千本桜 川面法眼館」

獅童の忠信に染五郎の義経、莟玉の静御前という配役は若手だがいずれもニンに合っていてバランスがいい。

獅童は狐詞があまり高音でなく、語尾を切り上げるような口調も少ないのだが、粗削りというか、雄々しい感じ。欄干の上に乗るところや欄間から降りてくるところが、意外にもたついた感じだったりもしたが、全体的にあまり作り事めいていない感じがした。

莟玉の静は、声よし姿よし。染五郎もだが、顔が小さいせいか髷が大きすぎるように感じた。

國矢の亀井六郎、団子の駿河次郎。

11月15日 ミュージカル「NINE」

 藤田俊太郎演出にひかれて観劇。主人公グイドを取り巻く女性たちに、それぞれのイメージカラーの衣装をまとせる一方、アンサンブルは紫とグレー、男性ダンサーは黒の衣装という、色使いが見事。キャスト全員で歌い踊る、レビューのようなシーンが華やかでいい。ブロードウェーミュージカルの歌詞をすべて日本語訳せず、英語やイタリア語?ドイツ語?などを織り交ぜていたのはどういう意図だったのか。ステージの上半分を覆う、透けるスクリーンに字幕を出すのだが、読みにくく、芝居に集中しづらかった。

グイド役の城田優は、ブロードウェーばりの響きのある歌声だけでなく、映画の撮影シーンではオペラ風の歌唱も聴かせた。妻だけでは飽き足らず、様々な女性を必要とするのだが、その貪欲さ、我儘さは少し薄かったかも。

妻、ルイザ役の咲妃みゆは、2幕のグイドに別れを告げる場面の独唱が聞かせた。

プロデューサー役の前田美波里は、レオタード姿で脚線美を披露。グイドの愛人、カルラ役の土井ケイトは、頭の悪そうな役が上手い。娼婦サラギーナ役の屋比久知奈の歌が良かった。

2020年11月11日水曜日

11月11日 能楽座 第二十六回公演―観世元信 茂山千作 偲ぶ会―

 舞囃子「海士」 梅若紀彰

独吟「近江八景」 梅若実は床几に座って。声は衰えたとはいえ、まだまだ迫力十分。後ろに川口晃平が控え、体を支えていたのか。同時に支障を口ずさんでいた様子だったのはいい勉強なのだろう。

舞囃子「卒塔婆小町」 大槻文蔵の所作の美しさ。だが、謡の心地よさに眠気を誘われてしまった。地謡に梅若実。こちらでも一人だけ床几に座っていた。

狂言謡「祐善」 千五郎は声が大きく、押し出しがよい。

一調「遊行柳」 粟谷明生と三島元太郎の太鼓

一調「勧進帳」 武田孝史と河村大の大鼓

能「天鼓」 観世銕之丞のシテに福王茂十郎のワキ。結構最後までワキのセリフがある。元信の追善なので太鼓にまつわる曲を選んだのだろう。鼓をしつらえた造り物が舞台の前方に置いてあるため、正面の席だとシテの姿が隠れてしまうことを知った。

2020年11月8日日曜日

11月8日 十一月歌舞伎公演 第一部

 「平家女護島」

珍しい、六波羅清盛館の場から。

菊之助の東屋は凛として美しく、役として説得力がある。(俊寛には過ぎた女房という気がしなくもないが……)

好色なじじいといった感じの清盛役は誰!?と思ったら、吉右衛門の二役でびっくり。

歌昇の有王丸、種之助の菊王丸の件は奴さんのよう。。

。おなじみの鬼界ヶ島の場は、これまで見た中で一番。細部まで十分に見えた気がした。俊寛の吉右衛門はちょっとよぼけていて、人が好さそう。瀬尾の赦免状に自分の名がないことを嘆くのに、地面に横たわって手足をばたつかせる駄々っ子のよう。

錦之助の少将、吉之丞の康頼。千鳥の雀右衛門は「りんぎょがってくださんせ」というのがいじらしく可愛い。

瀬尾の又五郎が憎々しく、二役で丹左衛門の菊之助はさっそうとして好対照。

幕切れは、岩に上るも遠ざかる船になすすべもなく、呆然とした様子の俊寛。自らの選択で島に残ることにしたのに、あからさまな未練を見せるのは釈然としないと常々思っていたので、この演出は多少とも納得。

2020年11月4日水曜日

11月3日 十一月歌舞伎公演 第二部

「彦山権現誓助剣」

仁左衛門の毛谷村。あまり好きな話ではないが、輝くばかりの若々しい六助に清々しい気持ちになった。何か若返ってませんか? 弾正の嘘が分かり怒りに震える様に正義感があふれ、力の入りようといい、気持ちいい舞台だった。

梅枝の長男、小川大晴が弥三松役で初お目見得。子役に上手い芝居は必要ないとはいえ、間が悪いというか、セリフをようよう言っている感じだし、ときおり声の緊張感が途切れてトーンがおぼつかない。まだ2日目だから、日を重ねればよくなるのかも。

微塵弾正の弥十郎は悪人ぶりがちょっと物足りない。

お園の孝太郎はいじらしさ、可愛さはあるのだが、何か足りない。誰かが色気が足りないと評していたが、そういうことか。

14日に再見。仁左衛門が花道に登場すると割れんばかりの拍手。弾正の不正がばれ、敵であることが明らかになっていざ、というところで、腰掛を使っていたのは通常の演出だったろうか。階段を上り下りしたりするのはさっそうとしていたので、足が悪いとも見えないのだが。怒る六助が庭の石を地面にめり込ませるところは、所作板に穴が開いていてそこへ沈む構造?

大晴は大分しっかりしていた。六助の怒りにあわせて一緒にきりっとした顔をしていたりと、芝居に入っている感じがした。

「文売り」

梅枝が艶やか。所作もきれい。

清元の延寿太夫はやはり声がしんどい。

「三社祭」

鷹之資の悪と千之助の善。鷹之資の踊りの上手さは相変わらずだが、おととしの顔見世でも踊って慣れてきたのか千之助の動きが見違えるほど滑らかになっていた。

2020年11月1日日曜日

11月1日 新国立劇場バレエ団「ドン・キホーテ」

 昨日のドンキがあまりにもよかったので、急きょ行くことを決めのだが、結論としては昨日ほどの感動には至らなかった。いや、素晴らしかったのですよ。十二分に。けれど、感動というのはテクニックだけではないというか……。

小野絢子のキトリに福岡雄大のバジル。公演のトリを飾るだけに、バレエ団随一のコンビなのだろう。確かなテクニックは安定感がある。小野はポジションがピタリと決まり、軽やかな跳躍、回転技と、どの場面も美しい。福岡はジャンプの高さ、キレのよい回転で見応え充分。。一番の見せ場は1幕のリフトの長いこと!思わず声が漏れた。……が、ドンキで期待するのとはちょっと違うのだなあ。小野は姫感が強く、キトリにしては高貴すぎ、落ち着いた様子は成熟した女性を思わせる。福岡も同様。バジルはもうちょとお調子者でもいいのでは?あと、音の取り方が少し好みではないというか、オケと合わさったときのスリリングな感じがなかった。なぜか、この日の群舞も同様。2人ともバリエーションが巻き気味というか、少し曲が余ってフィニッシュを待っているように見えた。3幕のキトリのフェッテでは、オケがテンポを速めたり遅くしたりもしていたようだった。

この日のもう一つのお目当ては、奥村康祐のガマーシュ。昨日とは全くの別人で、全くもって三枚目の嫌みな貴族っぷり(←褒めてる)。ガマーシュってこんなに面白い役だった!?と驚いた。舞台のすみにいるときもいろいろ小芝居を仕掛けているので目が離せず、中央で踊るダンサーを見るのがおろそかになってしまうほど。

サンチョ・パンサの福田圭吾もよかった。愛嬌にあふれ、観客へのアピールも楽しい。1幕でトランポリンで飛ばされるところでは、3回目は空中で1回転!すごい運動能力。