2019年5月27日月曜日

0527 オフィスコットーネプロデュース「埒もなく汚れなく」

瀬戸山美咲作・演出で大竹野正典の半生を描く。妻の小寿枝が一人で登山している場面から始まるのは、「山の声」の冒頭を思わせる。高校時代の映画製作から始まり、横浜の専門学校、卒業後は関西に戻り、結婚。バイトをしながら劇作に打ち込む姿と、海難事故で亡くなった日の模様が織り交ざり、テンポよく芝居が進む。劇作に行き詰り、山登りに打ち込む日々、ブランクの後、登山家をモデルにした「山の声」を書き、絶賛された直後の死。壮絶な人生が2時間余りで描かれるのは濃密な時間。
自信がないのか、評価されることへの不安か、戯曲賞で入選しても専業の劇作家になることを拒み、技師として働き続けることにこだわる。大竹野の作品を世に知らしめようと、戯曲賞に応募したり、専業のプロになることを望む小寿枝へとの諍いの様子が壮絶で辛い。業の深い人だなあというか。演劇をするということは、客を入れて公演するということは、他人に認めて盛りたいからではないの?作家というものは多かれ少なかれ、身勝手なものなのだろうけれど、妻という理解者への甘えなのかもしれないけれど、私はとても付き合いたくないと思ってしまった。

0526 オフィスコットーネプロデュース「山の声―ある登山者の追想―」

大竹野正典の遺作で、槍ヶ岳登山で命を落とした大正〜昭和初期の登山家加藤文太郎がモデル。最後の登山の様子に絡めて、山登りの人生が回想される。男2人だけのセリフ劇で、登山にさして興味野ない者としては途中退屈に感じるところもあったが、吹雪のなか進むラストは圧巻。
雪山の単独登頂を数々達成し、世間にもてはやされていた“ヒーロー”について、単に金がなくて案内者を雇えなかったことや、単独登山は人付き合いが悪くてチーム行動ができないから単独登山だったこと、たまたま居合わせた他所のパーティーのルートを辿ってただのりと批判されていたこたなどと負の部分も描いていたのが興味深い。最後の登山では、加藤を先輩と慕う吉田富久と2人で行動したため、相手への見栄から判断を誤ったという描写。途中の山小屋に装備を残し、わずか2日分の食料だけで頂上を目指したのは驕りではなかったと指摘する。犯罪者を多く描いてきた大竹野だけに、山に魅せられた男たちを美化するでなく、むしろ心の闇を暴露するかのよう。そのせいもあって、山家のロマンに少しも共感できなかった。
大竹野としては、山登りと劇作を重ね合わせるところもあったよう。けど、妻子のために山で死んではいけない、と言われながら、結局は死んでしまったのだよね…。
劇中では名前を呼んでいるのだが、役名は登山者1(戎屋海老)、登山者2(村尾オサム)。

0526 京都観世会五月例会

「賀茂」
金剛流とは表記が違い、中身もところどころ異なるのが興味深い。
里女が持つ桶が金塗りで青で波のような模様(金剛流はシンプルな木の桶)だったり、アイの道祖神の面が笑ったような顔だったり、天女が舞ったあとワキの隣に並ぶのだが、ワキ柱の近くを開けて天女が一番前になった金剛に対し、観世はそのまま一番後ろに着く、など。
シテの梅田嘉宏が里女と別雷神、前シテツレの橋本忠樹が里女、後シテツレの鷲尾世志子が天女。女性の声が珍しかったのと、小柄なので童のようだった。

「文荷」
七五三の太郎冠者に宗彦の次郎冠者、網谷正美の主人。七五三は声の調子が悪いようで、かすれ気味。宗彦が補っていた感。

「夕顔」
シテの河村和重は足元が覚束ず、作り物から出てくるところでもたついたり、座り姿勢から立ち上がるところで後見が手を貸したりとハラハラ。声のハリもなかったようで残念。

「藤戸」
シテの橋本雅夫も足元が怪しかったが、前シテが老女なので逆にはまって見えた。「人目も知らず伏し転び」と倒れこむところは胸をつかれた。動きがスローなせいか、予定時間がずれ込み、最後を見逃したのが残念。
アイは千三郎に代わって逸平。


0525 金剛定期能

「加茂」
前シテは女人2人、後シテは天女と別雷の神という4役を3人で演じているらしいのだが、どんな分担になっているのか分からず。たぶん、後シテの神は永謹だろうが。シテツレは宇高徳成、豊嶋幸洋。ワキは福王知登とワキツレ2人、アイもいて舞台上は賑やか。
里女は若いのと年上のとで、加茂川?に水を汲みに来たところでワキと会い、秦の氏女が流れてきた白羽の矢を拾って懐妊し、男の子を授かった話を聞かせる。解説によると、大和古来の加茂氏と渡来人野秦氏の婚姻の話なのだとか。
アイは善竹隆平に代わって隆司。道祖神の役なので、老人のような面をかけている。
別雷の神の舞は勇壮で舞金剛らしい。客席の照明を落としているので、気づくと瞼を閉じていた…。

「鬼瓦」
善竹弥五郎のシテ。肩の力の抜けた、飄々とした演技におかしみが滲む。

「小袖曽我」
曽我兄弟の話だが、歌舞伎と違って十郎がシテ。母の言いつけを破って寺を抜け出し、敵討ちに出かけようとする五郎を取りなす役所で、キリリと凛々しい。五郎のキャラは、母に感動されて泣いたりと、歌舞伎とはだいぶ違う。
母以外は直面で、龍謹の十郎はちょっと表情が硬く感じた。
ラスト、敵討ちの許しをえた兄弟がシンメトリーで舞うのがキビキビとした美しさ。

0524 キンキーブーツ

三浦春馬のローラはドラァグクイーンぶりが板についてる。腕の筋肉のムキムキ具合が凄いし、歌や踊りでシナを作ったり、蠱惑的な笑みを浮かべたり。何より、のびのびと演じてる感じが良かった。1幕の終わり近くでヒールに躓いたり、時折疲れた表情に地が透けたりしていたが、瑣末なことと思える。
対する小池徹平のチャーリーも堂に入った演技。ソロの歌が聞かせたのがうれしい驚き。歌いこんで上手くなったのか。
ソニンのローレンはコケティッシュな三枚目に安定感がある。崩れた演技をしても歌がしっかりしているのが凄い。
そして何よりはシンディ・ローパーの楽曲がいい。聞いていて踊りだしたくなる楽しさ。

5月19日 文楽公演 第一部

98年ぶりに復活したという大序「大内の段」は御簾内で、咲寿→小住→碩→亘、錦吾→清允→燕二郎→清公のリレー。太夫と三味線をペアで書かなかったのは、三味線が先に交代して暫く前の太夫を弾いていたから。小住の安定感、碩の声の良さ、亘はつらつといったところか。人形は黒衣。

小松原の段は芳穂、咲寿、南都、文字栄、津国、小住に団吾。下ネタを品良くまとめた感じ。文字栄の桔梗がミスキャストと思いきや案外しっくり。

蝦夷子館の段は口が亘・清公、奥が三輪・清友。亘はもう少し聞きたかった。三輪は手練れた様子。人形が出遣いになり、玉佳の蝦夷子は文司の入鹿より大物っぽいのでは。玉男のせいではなかろうが、大判事の日よりっぷりがこの先を暗示してる。

猿沢池は希・友之助。希の声がででいない。

鹿殺しは御簾内で、碩・錦吾。碩の三作が子供らしい。

掛乞の段は睦・寛太郎。近頃の睦は小じっかりというか、手堅くなってきた。

万歳は織・清志郎に清允のツレ。芝六忠義の冒頭10分ほどまで続けて語るという変則。何故だろう。心地良くなって後半意識が…。織は山の段の雛鳥と打って変わって、染太夫風の骨太の語り。同じ時期に二つの役を掛け持ちするのは大したもの。

芝六忠義は咲・燕三。疲れが出たのか、全体的に力がない語り。
人形は勘十郎が鎌足で驚いた。チョイ役なんだし、別の人でもいいのでは。

太宰府は靖・錦糸。のっけから良く声が出ていて、義太夫節らしい。入鹿の大笑いは後半息切れしたかな。



2019年5月18日土曜日

5月17日 文楽公演 第二部

妹山背山の段
背山は大判事の千歳、久我之助の藤、三味線は藤蔵→富助。妹山は定高の呂勢、雛鳥の織、三味線は清介→清治に清公の琴。
第二部から観るとのっけからのテンションに圧倒される。重厚な背山に対して華やかな妹山という対比が鮮やか。千歳、呂勢は2回目とあって、初役時のような力みが抜け、語りに深みが出てきたよう。呂勢の定高は腹に一物あるというか、言葉とは逆の本心が隠れているのが感じられ、胸に響く。
三味線も丁々発止の弾き合い。富助がバシバシ弾いているなあと思っていたら、クライマックスで胴が割れたらしい。最初、藤が扇子を舞台袖に投げたので、あれ?と思っていたら、続いて千歳が後ろの壁を叩いて合図して、聴くと三味線の音が少し変で、胴に亀裂のようなものが。間もなく代わりの三味線が差し出された。それだけ熱演だったということか。
人形は雛鳥の前半を遣った簑紫郎が恋する乙女の恥じらいを初々しく。久我之助は玉助。柄の大きい役が似合うので、ミスキャストかと思いきや、青臭い感じというか、若さゆえの潔さみたいな感じがあって意外に好演。若手同士というのもバランスが良かった。

杉酒屋は津駒・宗介。津駒が30分ほどって短すぎないか?
道行恋苧環は芳穂、靖、希、咲寿、碩に勝平、清丈、寛太郎、錦吾、燕二郎。テンポがゆっくりめで、総じて声が出ておらず、照明も暗くてなんだか精彩を欠く道行だった。希は調子が悪いのか橘姫の高音が辛そう。

鱶七上使の段は藤・清馗。全体的に緩く聞こえた。大笑いの声が上ずったようなのもどうか。

姫戻りは小住・友之助。浄瑠璃らしい語りで安堵。

金殿は呂・団七。病み上がりのためか、ウィスパーボイスに磨きがかかってる。

5月17日 オフシアター歌舞伎「女殺油地獄」

倉庫の会場に設えられた舞台は三間四方ほどの正方形。開演前はぐるりと白い幕で覆われ、都会の喧騒?や文字などの映像がランダムに流れる。

幕が降りると舞台中央に与兵衛(獅童)が佇む。が、最初の一言でげんなりした。何なのだあの気持ち悪い関西弁は。獅童が情け無い男を演じる時によくやる、上ずったような声もいただけない。安酒場で小兵衛(赤堀雅秋)に借金を催促されているのだが、小兵衛が堅苦しい武士言葉なのも違和感がある。こいつはもっと小物ではないのか。仲間の男たちがやってきて、与兵衛と小菊の仲を冷やかすのだが、与兵衛が帰ると口々に悪口。小菊もおだてれば金を出すいいカモだと言っているとか。与兵衛はアホで無軌道な若者だが、いちおう二枚目だと思っていたのだが違うらしい。
小菊の壱太郎は、与兵衛の手を取って甘い言葉を囁く様が色っぽい。喧嘩になって引っ込んですぐ、お吉として登場する変わり身も鮮やか。今度は世話好きのお姉さんといった風情。お光役の子役の女の子がなかなか達者。荒川良々の演じる七左衛門は、「帯といて⁉︎」「べべ脱いで⁉︎」といちいち繰り返すのが、歌舞伎を見慣れない人にはわかりやすくていいのかも。
野崎詣りに訪れた夫婦(翫政、吉太郎)がイチャモンをつけるところ。自分たちはささやかながら幸せだという参詣人の男から与兵衛が「幸せなのか」と問いかけられるのが意味深。
おかちが先代徳兵衛の霊が取り付いたフリをするところ、吉太郎がドスの効いた声で凄みがある。が、与兵衛が「先代」と呼びかけるのは変では?そこは親父とかでしょ。吉弥の母おさわは情に溢れる芝居だが、何もないセットで場を持たせるためか、やたらと移動していたのが気になった。
豊島屋に儀兵衛夫婦が訪ねてくるところは、与兵衛が舞台の外に立って中を伺う。せっかく顔や姿がよく見えるのに、うろうろするばかりで、これといった心理描写が見られなかったのがもったいない。殺しはあっさりめ。油桶を倒すのは最後の最後で、滑ってのすったもんだは短い。早々に与兵衛が刀を落としてしまい、とどめは首を絞めていたような。全てが終わったところで起き出してきた子供に「何してるの?」と問われた与兵衛が「遊んでるんや」と答えるやりとり。しっかりと与兵衛の顔を見ているので、今後の伏線かと思ったのだが。
金回りが良くなって豪遊する与兵衛。あいそを振りまいていた小菊が、「あいつはもうダメだ」と突き放す冷たさ。
逮夜では、お吉を弔うお光が与兵衛を見て怯えた様子を見せるのだが、それ以上はなし。殺しの直後に顔見てるんじゃないの?天井から落ちてきた血染めの書きつけの筆跡が元で犯行がバレる。叔父森右衛門(猿三郎)は捕まる前に与兵衛を見つけて逃がそうとしていたが間に合わず、縄にかかる与兵衛は老親と対面する幕切れ。
チーム上方の個々の芝居は良かったが、作品としては突き抜けたところがないように感じた。期待しすぎたのか。

2019年5月13日月曜日

0511 坂東玉三郎 京丹後特別公演

お楽しみの口上に続いて、地唄舞4曲。口上ではイスタンブールの絨毯と絹の産地の金色の糸について。衣装はすべて丹後ちりめんで誂えたそう。
「雪」「鉤簾の戸」「黒髪」「由縁の月」
雪では白塗りの肌の色と同化するような白色の着物、黒髪では桜姫(と口上で言っていたような)を思わせる姫の扮装、由縁の月では黒地に刺繍を施した打掛と衣装、拵えを工夫していたけれど、地唄舞って動きがコンパクトでその場で旋回するような振りが多いので、どうしても似て見える。休憩を挟んで、10~15分の小品ばかり。13時半開演で、終わったのは15時40分頃だったか。上演時間の実質は1時間ほどだから、これで満足させる玉三郎の魅力たるや。

2019年5月8日水曜日

0507 宝塚星組 楽劇「鎌足−夢のまほろば、大和し美し−」

良くも悪くも生田大和らしい脚本だ。歴史は勝者によって作られるとか、人を切ったものは切られるまで切り続けなければならないとか、掲げるテーマが壮大すぎてとても2時間半では収まらない(実際、上演時間は休憩を除いて2時間45分)。1幕で蘇我入鹿を討ってしまったので、2幕はどうするのかと思ったら、中大兄皇子との確執?から鎌足の死までを1時間でって駆け足の展開。入鹿に心を寄せていた皇極天皇(有沙瞳)が「鎌足許さじ」とか思わせぶりなセリフを言うのにこれといった報復はないし(もしかして、嫁を差し出させたこと?)、伏線が十分活かされない感じで勿体ない。
紅ゆずるの鎌足は陰謀術中を巡らす策士というよりは、政敵を滅ぼしたことをクヨクヨと思い悩む、心優しい青年?(というよりヘタレ?)綺咲愛里との息はぴったりで、2人の仲睦まじさを楽しむのが正解だろう。綺咲は娘役トップらしい可憐さが溢れ、瑞々しい。
華形ひかるの入鹿は、1幕はむしろこちらが主役なのではという存在感で、志に燃える少年が皇極天皇への思いから修羅の道に踏み込む変化や、皇極天皇とのロマンスがきっちり描かれてていた。振付の藤間勘十郎の効果か。中大兄皇子役の瀬央ゆりあが颯爽として凛々しかった。

2019年5月6日月曜日

0506 住吉大社 卯之葉神事奉納 天皇御即位奉祝能

素謡の「神歌」、仕舞の「高砂」「梅枝」は省略。

「大典」
シテの天津神を山階弥右衛門、ツレの天女を山中雅志、ワキは原大、ワキツレ原陸、久馬治彦。
天皇の即位の式典が行われる年にのみ上演するという稀曲。ほぼ原曲のまま上演したようで、違いを確認したのはシテの「知能徳器の成就を勧め」を「人民(?)知能の成就を勧め」としていたくらい。厳かな天女の舞のあと、造り物から現れた天津神の舞は勇壮。造り物の神殿は普段見るものよりも縦に細長い形で、そのせいか、覆いを外すところで後見がもたついてハラハラ。弥右衛門の能は初めて見たが、謡の声が今一つに感じた。

2019年5月3日金曜日

0428 京都観世会四月例会

「歌占」
分林道治のシテに河村和貴のツレ、子方に浦部春仁。子方のセリフが結構たくさんあって、一生懸命しゃべるのがかわいらしい。

「茶壷」
小笠原匡のすっぱに弘晃の田舎者、山本豪一の目代。田舎者の持ち物をすっぱが奪おうとして争いになるというのはよくあるパターンだが、目代が持って行ってしまうとは。

「熊野」
観世銕之丞の熊野に淳夫の朝顔、ワキは福王茂十郎。村雨留の小書きがあり、熊野の舞の途中で驟雨が訪れ舞を止める。読次之伝で母からの手紙を熊野、平宗盛の2人で読み、墨次之伝で歌を書くときに墨を次ぐのだそう。ずいぶん細かい違いだ。茂十郎のワキは威厳がある。

「船橋」
橋本光史の里男、後の男の亡霊、河村和晃の里女、ワキは有松遼一。親たちの反対を押し切って密会を続けた男と女が川に落ちて死んで亡霊になった、というのなら、なぜ男だけが後シテで姿を変えるのだろうか。

4月27日 第二回 林定期能

「三輪」
シテは樹下千慧。若手らしく声がよく通る。足拍子の音がこもったようで小さく感じた。ワキは林大。

「寝音曲」
茂山忠三郎の太郎冠者に山口耕道の主人。大らかな笑い。

「善知鳥」
林宗一郎のシテに川村浩太郎のツレ、子方の林小梅はお嬢さんか。宗一郎は声がよく、響きが心地いい。後シテで塗笠を投げるのは能の演出だったのね。友五郎のほうが格好良く決まっていたが。ワキは福王知登、アイに忠三郎。

0426 唐組「ジャガーの瞳」

角膜移植を受けた青年しんいち(福本雄樹)のもとに、角膜の持ち主だった男の恋人くるみ(藤井由紀)が現れ、しんいちは自分のものでない記憶に悩まされるようになる。寺山修司へのオマージュというサンダル探偵の田口(久保井研)やその恋人?のマネキン、サラマンダー(月船さらら)、扉の探偵(一の戸~八の戸)、自らの体に様々なものを移植する怪医師Dr弁らが入り乱れて、混沌とした世界を描き出す。福本は男前の容姿が映え、主役としての存在感も十分。藤井は怪しい女役が良く似合い、扉を次々に開けていく歌もよかったが、白いスーツでの男装姿は痩せすぎであまり似合わないと思った。月船は細い腕がマネキンと見まごうほど。赤いドレスが良く似合って美しかった。しんいちの婚約者夏子役の福原由加里は抜擢だろうが、藤井と渡り合うには役者不足か。愛犬の死骸と彷徨う少年ヤスヒロ役の大鶴美仁音、声がよく通り、目を惹かれた。