2018年12月18日火曜日

1216 ピアフ

大竹しのぶが絶賛されているピアフを初めて見た。ピアフのような破滅的な人間を演じるのはお手の物。だが、体中のエネルギーを注ぎ込むような歌はピアフらしいのかもしれないが、話声と同じ発声や音楽的に盛り上がる高音部がひび割れるような感じが私は苦手だ。とはいえ、晩年の、命を削るような歌唱には圧倒された。配役はしっくりないものが多く、特に、マルセル役に駿河太郎を配したのはなぜ?貧相な体で強そうでもなく、ボクサーの亀田兄弟には似ているけれど、マルセルは包容力のある大男では。マレーネ・ディートリッヒ役の彩輝なおも、ディートリッヒのゴージャスさが足りない。

2018年12月16日日曜日

1214 燐光群「サイパンの約束」

日本領だったサイパンで生まれ育った少女の手記をもとに映画が撮影される。出演者によるワークショップと戦中の出来事、現在の様子が混在し、少し混乱したのと、説明的なセリフが多く、作品に入り込めなった。しかし、ラストシーンが近づくにつれ、渡辺美佐子演じる春恵の存在感が増し、説得力ある演技に引き込まれた。記憶があいまいで少女に戻ってしまう役だったせいか、逆に渡辺の老いを感じた。セリフに詰まるところもあったようだし。サイパンへの移民は沖縄出身者が多かったとか、内地と沖縄、植民地と三段階の差別が当時からあったとか、気づかされることがあったのは燐光群ならでは。

2018年12月12日水曜日

12月10日 文楽鑑賞教室 Bプロ

「団子売り」は希、小住、亘、碩に清丈、寛太郎、錦吾、燕二郎。あまり印象に残っていないのは多分、あかんところが目立たなかったせい。その分人形がよく見られて、舞踊のように結構複雑な動きをしているのだなぁと感心したり。人形は簑太郎と玉誉。派手さはないのだが、堅実な遣い方とでも言おうか。

解説は靖、友之助、玉翔。
人形浄瑠璃は安土桃山時代に源流と靖。昨日の希と同じようだが、源流としていたのと、今の形になったのは江戸時代と付け加えていたところが違う。実演は忠臣蔵の裏門で、お軽と勘平の語り分け。三味線がこれを引き継いで、お軽の駆けてくる旋律の応用で、デートにやって来る若い娘、身分の高い姫の弾き分けや、泣きの実演など、太夫と三味線が連動していてよかった。
人形は定番の解説に加えて、玉翔が左遣いは暇そうに見えるが、小道具の出し入れという重要な仕事をしていると説明。女方の人形が座るときメガネを踏んでキャッという、ハズキルーペのギャグで一番の笑いをとっていた。粗筋説明の靖に振る際、「自称、文楽界の舘ひろし」と紹介。靖はすかさず「自称はしてません」と息の合った様子。ただその後の粗筋説明はとっ散らかっていて、菅秀才が菅丞相の子であることを説明し忘れて後から言い足したり、源蔵夫婦が時平に追われてると言ったり(時平が追っているのは菅秀才)、初めての人には多分意味不明。どうしちゃったの?

「寺入り」は咲寿・友之助。得意げに語っているのだが、声のコントロールが荒く、所々耳に触る。菅秀才も育ちの良さというより、ちょっと足りないみたいに聞こえた。

「寺子屋」の前は呂勢・燕三。義太夫節を聞いたという充実感。源蔵の苦悩や松王の骨太さの語り分けが的確で、村の子供と親たちの滑稽な場面と首実検の緊張感あるやり取りの緩急ある語りも心地いい。燕三の三味線も要所を押さえて効いていた。
後の芳穂・清志郎は多分悪い出来ではないのだが、前に比べると物足りなく感じた。
人形は勘十郎の松王は、登場から小太郎への思いをはっきり示し、首実検では明らかな動揺を見せる。生身の役者なら(というより仁左衛門なら)、一瞬の動揺を押し隠して何事もないように振る舞うという細かな描写ができるが、表情のない人形だとどうか。あまり動作に出さず、肚に抑えておくくらいの方がいいように感じた。
玉彦の涎くり、ちょっとふざけ過ぎではないか。寺子屋の冒頭のオクリのときに、ほかの子どもらと遊んでいるのはいいとして、笑いを取りに行くのはどうかと思う。

12月10日 松竹大歌舞伎 昼の部

「幸助餅」
チケットの発券に手間取って冒頭を観そびれたのだが、大阪で観たのと比べて、①セットが豪華②幸助がシュッとしてる(カッコいい?)③餅屋が立派(かつての大店に匹敵するのでは…)。お江戸に行くとこうなるかと。人物描写が硬いといおうか、深みがないのか、上方の柔らかみがないとずいぶん雰囲気が違って見える。セットが豪華なのは歌舞伎座の間口に合わせたのかもしれないが、最後の餅屋があんなに立派では話のニュアンスが変わってしまう気がする。

「於染久松色読販」
壱太郎がお染の七役。早変わりは概ね無難にこなしていたが、茣蓙に包まったお染がすれ違いざまに久松と変わるところは、茣蓙の隙間から久松の着物が見えてしまい、変わった後のお染の着物も乱れていたのが惜しかった。初役だから無理もないが、鮮やか、とまではいかなかった。回を重ねたらよくなるのだろう。
七役ではお染や久松、お光らはニンに合っているが、育ちの良さが出てお六のセリフに貫禄が足りない。強請りたかりが真似事のよう。3場の踊りはお光の狂乱はもちろん、お六も立ち姿が決まっていた。

12月9日 文楽公演

「鎌倉三代記」
局使者の段は希・清軌。希は声はいいのだ。同年配の局2人と三浦之助母と女性の登場人物の語り分けがもっとはっきりすればいい。
米洗いの段は靖・錦糸。靖の声が良くでていて、午前のアレはなんだってのかと思う。錦糸の指導の賜物か、三味線でこうも変わるのかと。慣れない家事に勤しむ時姫の健気さ、おらちのおかしさ。コミカルな場面はニンに合うのか、楽しめた。
三浦之助母別れの段は文字久・藤蔵。この組み合わせは久しぶりだ。文字久はのびのび語っているようでいいのだが、あまり泣けなかった。
高綱物語は織・清介。力で推していく感じで、山場でははっと目が覚めるようだが、ずっとこの調子なので疲れる。歌い上げるようなのもいただけない。
人形は勘弥の時姫が可憐。玉助の三浦之助は力がはみ出るよう。和生の母は出番が少なくもったいない感じ。玉志の藤三郎実は高綱は腹に一物ありそう。

「伊達娘恋緋鹿子」
珍しい八百屋内の段は津駒・宗助。お七がお店のために嫁にやられそうになっていることや、吉三郎が大事の刀を失くして取り戻す期限が迫っていることなど、お七と吉三郎を取り巻く事情が明らかになる。…のだが、吉三郎の煮え切らない様子、お七の恋にのめり込むのがよく分からん。親もとりあえず嫁に行って嫌われて戻ってこいと言っているのだし、ここは親孝行のために偽装結婚してもいいのでは…と思わなくもない。
人形は一輔のお七が年頃の娘の暴走ぶりを活写。吉三郎の玉勢は金も力もない二枚目らしい。下女お杉の簑紫郎が手堅い。
火の見櫓の段は芳穂、南都、亘、碩に勝平、清公、錦吾、燕二郎。南都の美声が効いていたのと、勝平の三味線の安定感が耳に心地よかった。

12月9日 文楽鑑賞教室 Aプロ

「団子売」
靖、咲寿、亘、碵に団吾、友之助、清公、清允。
靖は調子が悪いのか、声が出ておらず、あれ、という出来。咲寿は女の声がどこから出てるの?という調子外れ。シンの2人がこれではがっかりだ。
人形は玉翔と紋吉。

解説は希、寛太郎、玉誉。
希は文楽の歴史は安土桃山時代に始まった(人形浄瑠璃と言ったかも。人形芝居はともかく、少なくとも太夫なら竹本義太夫を始祖とすべきでは?)とか、竹本義太夫の時代を説明するのにモーツアルトの名前を出すとか(はあ?普通、日本史上で有名な出来事や人物をあげないか?一般の人はモーツアルトの名前は知ってても時代までは詳しくは分からないと思う。義太夫節を西洋のオペラになぞらえて偉大な作曲家と並べたかったのか)迷走ぶりに拍車がかかって心配になる。「寺子屋」の作品解説でもさっくりネタバレしちゃうし。普通、源蔵のとった意外な策とは…とか気を持たせるだろうに。語り分けの実演は「熊谷陣屋」から。あまり高度な語り分けにしないほうがいいいと思うのだが。
寛太郎は突き撥と叩き撥之違いなど相変わらずマニアックなのだが、結構笑いを取っていた。

「菅原伝授手習鑑」は「寺入り」を小住・寛太郎。小住は堂々として風格すら感じさせる。寛太郎も手堅い。
「寺子屋」の前が千歳・富助。富助がオクリでミスタッチを連発して意外だった。三味線が滑ったのか仕切りに位置を気にしていた様子。中盤からは話に集中したので気にならなかったけれど。千歳は声の調子が今ひとつ。全体的に声が軽く、松王の重厚さが足りなかった。後の睦に変わって、良くなったと感じてしまったほど。睦は調子が良さそうで、低音がしっかり出ており、高音の掠れも気にならなかった。まあ、曲がいいというのもあるのだろう。

1208 藤間勘十郎 春秋座名流舞踊公演

「君が代松竹梅」
素踊りで並ぶと、勘十郎だけ縮尺が違うみたいだ。扇で松竹梅を表していたのだが、紋付袴の男性陣はともかく、梅役の女性の衣装が紫色の藤模様とはいかに?藤間流だから?

「凄艶四谷怪談」
勘十郎が素踊りで5役早替りとはいかに?と思ったら、袴や着物を替えていた。冒頭は鶴屋南北役で軽く作品紹介。すぐに衣装を替えて四谷左門になったと思ったらすぐに伊右衛門に切られ、早替りでお岩になって花道から登場…とのっけから盛りだくさん。
お岩は哀れさはあまり感じられなかったが、踊りの場面では楽しげに踊っていたかと思えばふと恨みを滲ませる変化が見事。面体の変わるところは赤黒いマスクを用いたところもあったが、手拭いで顔半分を覆ったり、団扇で隠したりと余りメイクに頼らない演出。かと思えば、伊右衛門に切られたところで、白い傘に血を吐くケレンもみせた。
伊右衛門役の若柳吉蔵は色悪というより実悪の風情。宅悦と与茂七の二役を務めた尾上菊之丞は宅悦のおおげさで滑稽な身のこなしと与茂七のスッキリしたサムライ風情の対比が鮮やか。セリフも多かったが口跡よかった。
芝居との違いは、伊右衛門宅でお梅が死なず、二人で逃げ延びて所帯を構えたところへお岩の変じた虫売りがたずねていく。大ネズミに子どもが攫われたり、戸板返しはなし。
小仏小平の替え玉は短髪の男性だったので違和感なかったが、お岩の替え玉がなぜか長髪の下ろし髮の女性で、はじめ誰か分からなくて混乱した。勘十郎のフリをするなら短髪のほうがいいと思うのだが。せめて髪はまとめてるとか。
客席には歌舞伎役者や舞踊関係者がたくさん。気づいたところで、鷹之資、梅丸、蔦之介、吉太郎。茂山逸平や井上安寿子の姿もあった。

2018年12月8日土曜日

1207 KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」

天野天街らしい、時間や空間が行ったり来たりする演出で不思議な空間に誘われる。穴の開いた障子が一瞬で無傷に戻ったり、倒れた花瓶が元に戻ったり。真ん中に敷いた布団が仕掛けの種になっていて、小道具が出てきたり、客席後方や舞台袖に去った喜多さんが戻ってきたり。ちゃぶ台の穴から筆が出てきたり、畳の穴から頭蓋骨が出てきたりで、夢か現かあいまいな幻想空間が表現されていた。ラストは障子の向こうに去った弥次喜多のシルエットが残るなか、障子が倒れてそこには誰もいない。約100分の上演時間は長かったような短かったようなで、狐につままれたよう。 初演から16年。全力疾走しっぱなしのような舞台だったが、年齢を感じさせない軽快さ。だが、初演時はもっと違ったのか。スマホでうどんの出前を取る場面、初演時は携帯電話だったのかな。

2018年12月7日金曜日

1205 空晴+南河内万歳一座☆オールスターズ「隠れ家」

旗揚げ40周年に向けた企画の第一弾で空晴との合同公演。 内藤裕敬、鴨鈴女、岡部尚子、上瀧昇一郎のシニア組(?)が過去からやってきた地球防衛軍で、運休してしまった列車から歩いてきた人たちをトンネル内の隠れ家に連れてくる。何故かトンネル内にはシャッター通りとなった商店街があり、指輪が抜けず夏にとどまったままの女(古谷ちさ)や、遠泳の授業で失敗した過去にとらわれた男(南川泰規)、線路を走って逃げる男(駒野侃)ら、乗客の過去が明かされる。のっけから内藤節ともいえるセリフが満載で、クスクス笑いが絶えない。空晴の役者たちがこれを話している新鮮さも面白かった。古谷はけっこう重要な役どころでセリフも多かったのだが、風邪なのか声がかすれていたのが辛そうだった。男性陣が赤ふんどし姿で踊ったり芝居したりするシーンは受け狙いな感じでどうかと思う。あと女性陣の制服姿も。 「危機を救えるのは過去だけ」というメッセージ?が印象的。我々は過去から逃げ、まだ来てもいない未来におびえて立ちすくんでいるようだ。

1203 吉例顔見世興行 夜の部

「義経千本桜」
木の実からすし屋まで。2時間半ぶっ通しは辛いわ。
小金吾初役の千之助は溌剌として、キビキビした動きが好印象。立ち回りでは刀がロープに引っかかるなど不手際もあったけど、懸命な様子に好感が持てた。若葉の内侍のが孝太郎、権太の仁左衛門と3人並んだのもご馳走感があっていい。
権太の仁左衛門は多分ニンではないのだけど、観客の心を打つ。ゴンタくれで憎たらしいときもどこかチャーミングだし。子煩悩な一面や秀太郎の小せんとのじゃらじゃらしたやりとりがその後の悲劇を際立たせる。秀太郎の小せんは権太のセリフにあるように「瑞々しい」女房ぶり。
お里は扇雀。弥助の時蔵と並ぶと柄が大きいので可愛く見えないのだなあ。
梶原の手下の梅丸が凛々しい武者ぶり。
すし屋の引き戸の建てつけが悪く、途中までしか開かないハプニングが。仁左衛門が「エライ建て付けが悪いなぁ」とアドリブで補ったけど、狭い隙間から滑り込むように出入りするたびにに笑いがおきたのは気の毒だった。若葉の内侍なんて、着物や髪飾りで大分かさばっているので特に。

「面かぶり」
鴈治郎の一人踊り。竹馬ひ乗ったところ、懸命にやっているのだろうが、軽やかさがなくバタバタした印象。

「白浪五人男」
愛之助の弁天は可愛いさがあり、男に戻ってからの落差と、歯切れのいいセリフも悪くない。「知らざぁ言って…」の決めゼリフは大げさすぎず、さらりと。力みすぎると興ざめだ。永楽館の時の方が、なんとか女に見せようと懸命な感じで良かったけど。
右団治の南郷とのコンビも良かった。そして、右団治が格好よかった。
日本駄右衛門の芝翫はやはり力みすぎるというか、やかましい。
勢揃いはやはりスカッとする。

「神田祭」
鷹之資の悪玉に千之助の善玉という、同級生コンビが清々しい。踊り上手な鷹之資に見劣りするかと心配したが、なかなかどうして、溌剌とした動きに好感が持てた。フレッシュな一幕で、打ち出しにはもってこい。

1203 吉例顔見世興行 昼の部

「寺子屋」
愛之助の武部源蔵は初役?花道の出が今ひとつ重みがないというか、無理して深刻そうにしているように見えた。戸波に事情を明かすあたりからは緊張感があった。首実検が終わって玄蕃一行が立ち去った後、戸波と抱き合って喜ぶところは世話物かという勢い。松王の告白を聞いているところで目の辺りから雫が。涙かと思ったが、泣くような場面ではないだろうし、汗なのか。戸波は扇雀。柄が大きいのはともかくも、世話女房ぽい。
芝翫の松王は、登場時の咳が長く、感情が高ぶったところでがなるような発声は耳障り。千代の魁春は目の下のラインが直線のようで違和感があった。
涎くりに福之助。美味しい役のはずなのに、道化役になりきれないようであまり面白くなかったのが残念。
朝イチで寺子屋はしんどかった。あと、首実現のところで携帯鳴らしたのはほんとやめてほしい。

「鳥辺山心中」
梅玉の半九郎はすっきりとして、短気で人を殺めるようには見えないのだが、何故か物語を受け入れてしまった。孝太郎のお染は純朴な娘らしい。右団治の坂田源三郎が一本気な青年を歯切れよく表現。梅丸がかわいい。

「ぢいさんばあさん」
仁左衛門のチャームが止まらない。またかと思う演目なのに、るんとのいちゃつきぶりがノリノリの様子で、ほのぼの。
京都の場面では松之助の同輩の侍がいい奴らしい。
芝翫の下嶋がやっぱりがなっていた。
年老いてからもやはりら可愛らしい夫婦で、甥夫婦の愛之助と孝太郎もほのぼの見えた。

「新口村」
藤十郎の忠兵衛はもはやミニマムの動きで、顔の向きも変えないほど。声があまり出ていなくて、三味線でセリフがかき消された。
扇雀の梅川、鴈治郎の孫右衛門。親子が逆ではというのは置いておいて、3人が並ぶとやはり似ている。

2018年12月2日日曜日

12月1日 庭劇団ペニノ「笑顔の砦」

京都府北部と思しき海辺の町の古いアパートで暮らす漁船の船長。ある日、隣の部屋に認知症の老婦人が引っ越してくる。隣あう2部屋で別々の暮らしが営まれるが、時に不思議なリンクが生まれる不思議。直接影響はしていなくても、互いの生活に何らかの作用を及ぼしあっているよう。
長い夜の間、認知症が進んだ母が粗相をしたり、帰りたいと駄々をこねたり、家族では介護しきれない様子に絶望感が漂う。一方の漁師の側は、若者バイトに腹を立てた先輩が暴行を加え、長年船長を支えてきた船員が家族の事情で町を去ることになる。
重苦しい夜が明けたラスト、認知症の母は部屋からいなくなっていて、施設にでも入った様子。短期アルバイトの青年は漁師になる決意をしたところで、希望を感じさせるラスト。