2017年3月27日月曜日

0326 ファミリーミュージカル「さよなら、五月 -サヨナラ、サツキ-」

メイシアターと千里金蘭大学の共同事業が10回目を迎えた。閉館間近の五月会館をめぐって、賛成派と反対派が入り乱れ、32年間の歴史を振り返りつつ、様々な人の劇場への思いをつづる。メイシアター自体が改装のため1年間の閉館を控えているということもあり、虚実が入り混じった物語に入り込みやすい。小学生から中高年までの総勢40人ほどのキャストそれぞれに見せ場があり、キャッチ―なメロディの歌が繰り返され耳になじむ。ダンスもヒップホップを基本に、うまく振り付けされていて、何より楽しそうなのがいい。素人芝居ではあるのだけれど、数人交じっていたプロの役者が上手く引き立て、完成度は予想以上に高かった。

0325 「河内キリシタン列伝」

5人の女優による群像劇。役のときは袴姿で、ナレーションや群衆などはフードをかぶったり、宣教師服を2人の役者が掲げもって頭のない人形のように動かしてフランシスコザビエルを現したりと、いろいろ工夫がされていて面白かった。扇を刀の代わりにしたり、笛や鼓の音を使ったりと、能のモチーフが用いられていた。が、高山右近はともかくも、三箇頼照・池田教正・三木半大夫・結城弥平次とあまりなじみのない武士の名前は耳で聞いただけでは頭に入ってこず、終始プログラムで確認して頭の整理をしなければならなかった。1時間半ほどのあいだに20年間の歴史を、しかも5人もの主要人物の物語を紡ぐので、どうしてもダイジェストになってしまい、教科書的な印象をぬぐえなかった。

2017年3月25日土曜日

0324 劇団態変「ニライカナイ」

身体障碍者による表現というのを初めて見た。暗転後、爆音のようなノイズが恐怖感をあおる。「アボタカ、アボタカ」というか細い声に細い脚が舞台下手に放り投げられる。上手からは芋虫のようにはいつくばってうごめく人々。白っぽく照らされた舞台に小泉ゆうすけがエプロンのような衣装で現れる。頭にはポットのふたのような、取っ手のついた被り物、鳥を思わせる動きが印象的だ。中盤、金滿里が1人舞台中央を這いながら、苦労のはてに黒い袋のようなものを脱ぎ捨てる。束縛からの解放。片足が不自由そうな役者が1本脚で舞台を縦横に跳ねまわったり、四肢欠損の役者(向井望)がるように動いたりと、それぞれができる動きで精一杯の表現をしているのはよくわかる。しかし、正直途中退屈に思う場面があったし、障碍者が頑張っているということを超えて芸術の域に達しているかというと疑問符がつく。彼らの動きが精一杯以上のことはできないのなら、舞台装置や演出が補うことで芸術になるのだろうか。

2017年3月23日木曜日

0321 サファリ・P「悪童日記」

濃密な1時間の舞台だった。ダンサーでもある役者による身体表現は踊りとも芝居とも。ローテーブルのような装置を自在に動かして、道になったり、穴になったり。男優ばかりで、モノトーンの普段着のような衣装のまま老婆にもなり、少女にもなる。なで肩の俳優は背が高くて男前なのに、兎口の少女になると妙に淫靡。渡りセリフのような台詞回しも面白く、5人で全ての登場人物を表現するため演じる役柄がくるくる変わるのに不思議と混乱しなかった。たった1時間なのに、原作の要素がしっかり描かれていたのが凄い。

2017年3月21日火曜日

0320 第二回味方團能の会「安宅」

仕舞「老松」 次男遥の初舞台。ほぼ歩いているだけのようだが、なぜか舞台の端近くを大きく動いていた。3歳児童らしくいろいろ段取りを間違えているらしく、時折地謡の圓が手を出していたのが微笑ましい。 舞囃子「羽衣」 林喜左衛門。 能「安宅」 弁慶・圓、義経・慧、富樫・福王知登ほか。 弁慶、義経を含め12人の一行が舞台に上がると迫力がある。特に富樫にばれそうになって一同がいきり立つところでの押し問答、おしくらまんじゅうのように体当たり。

3月20日 エイチエムピーシアターカンパニー「アラビアの夜」

不思議な演劇空間に酔いしれた1時間15分だった。11階建のマンションを舞台に3人の男と2人の女。ほとんどセットのない舞台で、役者が時にドアになったり、買い物袋になったり、コニャックのボトルになったり。体の動きだけで階段を昇り降りする様子やソファーに横たわる様子をみせる。別々の場所にいる人のセリフが錯綜し、夢の中なのかアラブのお伽話のような世界が混ざって混沌とする。

0319 エクステ「夕映え作戦」

高校生向けワークショップの卒業生で作った劇団だけあって、良くも悪くも学生演劇。はつらつと元気なのはよろしいが、演技に拙さが残るのと、老け役にどうしても無理がある。戦国時代と現在を行ったり来たりしながら、躍動感のある立ち回りが随所にあり、最近はこういうのが流行りなのかしら。戦うことしか教えられなかった忍者の娘が現代の中2男子と出会って戦いの虚しさや命の大切さを知る。ありきたりな話だが、一生懸命の演技に好感が持てた。

2017年3月19日日曜日

0319 茂山狂言会 50周年記念

50回目を迎える恒例の狂言会で、第1回目と同じ演目を並べる趣向。 「福部の神」 あきらの瓢の神に宗彦、逸平、千五郎、茂、島田洋海、井口竜也、松本薫、丸石やすしの鉢叩き。各年代の一門の9人が舞台に上がりおめでたい雰囲気。 舞囃子「船弁慶」 後半部だけで十数分ほど。金剛の若宗家は声がよく押し出しもいいように思う。 子どもたち5人が入れ替わり立ち代わり小舞を披露。トップバッターは竜正で虎真が最後。 「狸腹鼓」 千三郎の狸に童司の喜忽太。千三郎はおばに化けているときが可愛い。 「木六駄」 七五三の太郎冠者、千作の茶屋が息の合った様子。

0318 オフィスシカプロデュース「親愛ならざる人へ」

劇団鹿殺しの丸尾丸一郎の作・演出。主役に奥菜恵を迎えたが、人形のようなかわいい顔の奥菜が毒舌を吐く意外さだけで2時間引っ張っちゃった感じ。もうひとひねり欲しかったし、奥菜もいい歳なのでそれほどの意外感もない。結婚式の前日、会場となるホテルの一室で感動的な「花嫁から両親への手紙」を書こうとするうち、過去の様々なことを思い出し、親族の予想外の行動で結婚式が台無しになるという筋立てなのだが、これってありがちではないか。客席をステージの前後に配したり、一段高い台状のステージを左右に動かして過去と現在の転換にしたり、結婚式のシーンで観客を招待客の席に座らせたりといった工夫は面白い。オレノグラフィティの音楽で、セリーヌディオン風のBGMとか、キロロ風の歌とかもへぇと感心はしたけれど決定打にはなりえない。花嫁の友人の木村さそり(?)のキレッキレのダンスはすごいけど、芝居にあっていたかどうかは疑問だ。

0317 宝塚星組「スカーレットピンパーネル」

紅ゆずるの大劇場での新トップお披露目。ファン待望の雰囲気が客席から感じられる気がする。歌はあまり上手くないと危惧していたが、準充実した歌いっぷり。冒頭の銀橋でのソロから朗々と歌い上げた。コメディシーンはお手の物で、プラパンの弾けた演技、ピコ太郎ネタで笑いを誘うなど、笑いのツボを存分に押さえていた。マルグリッドの綺咲愛里と並ぶと、美男美女でお似合い。いいトップコンビになりそう。シリアスなシーンで滑舌が悪いのが気になった。 綺咲は登場シーンの歌は今ひとつだつたが、他は悪くない。地声の歌がいまいちなのかも。中盤のオペレッタ風の歌なんかはよかったのだが。 ショーヴランの礼真琴はこの役には不似合いなキャラだが、大健闘。歌が上手いので、ソロの聞かせどころも説得力があった。ショーでのキレのいいダンスもよかった。

2017年3月16日木曜日

0311 三月大歌舞伎 昼の部

「明君行状記」 青果ものらしい、理屈っぽい話。亀三郎演じる善左衛門がなんであんなに殿様に突っかかるのか。若さゆえの潔癖さ?梅玉の池田光政は本領発揮というか、殿様らしさが似合いすぎるほど。 「義経千本桜」 渡海屋から大物浦。仁左衛門の銀平実は知盛が悪かろうはずもないのだが、充実の舞台を堪能させてもらった。花道の出から骨太な様子だが、白装束に変わってからは武士らしい本性を現す。手負いになってからは、時折喉を掻き毟る仕草をみせ、後に胸元から引き抜いた矢に付いた血を舐めてみせる。細部までこだわりというか、配慮の行き届いた演技だ。 時蔵の内侍の局は、銀平の空見自慢のところはちょっとあっさりしすぎにも思ったが、銀平が白装束に着替え、安徳帝を上座に据えてからは表情が一変。宮廷の女官らしい気品がただよっていた。 右近の安徳帝は期待しすぎたのか案外普通だった。 「神楽諷雲井曲毬 どんつく」 幹部俳優勢揃いの華やかな舞台だが、正直退屈。巳之助の踊りがまだまだなのか、どんつくが以前演じたちょっと足りない男みたいに見えた。松緑は玉入れで失敗を重ね、舞台上でも笑いが漏れるほどだった。

0310 工藤俊作プロデュースプロジェクトKUTO-10「あたらしいなみ」

映像も手がけるサカイヒロトの作品だけあって、上演前からスクリーンに携帯電話マナーの注意や他劇団の予告映像などが流され、いつもと違う雰囲気。 作品中も映像が効果的に使われ、視覚的な印象は鮮やか。冒頭、俳優らが客席を通って舞台に上がり、主人公以外はなぜか黒いマスクで目を覆っている。波に揺られるように左右に体を揺らす。「風景が変わる」を合図にばめんや時代が次々と切り替わる。断片的なシーンから、主人公が大学時代に仲間と映画製作に取り組み、リーダーの失踪でラストシーンができなかったこと、主人公が何かトラウマをか抱えているらしいことが見えてくる。テンポよく場面転換が進むのに、何故か時間が経つのが遅く、1時間15分ほどの上演が、とても長く感じた。

0309 清流劇場「オイディプス王」

充実した舞台だった。膨大なセリフをこなした役者陣の健闘はもとより、ほとんど動きがなく、会話だけで展開する芝居を飽きさせず、セリフを届けた演出もよかった。よりはっきりセリフの意味を伝えたいところはマイクで、それ以外は地声でとメリハリをつけたり、仮面をつけたコロスに語らせたり。オイディプスとクレオンの口論のシーンに陽気な音楽をつけたのも印象的だった。 だんだん追い詰められて行くオイディプスの緊張感に息を呑んだ。高口真吾は台詞回しがいいというイメージではなかったのだが、説得力のある芝居だった。 ラストシーンは運命に翻弄されるだけでは終わらないというオイディプスの意思が示される。原文でも解釈が分かれるそうだが、ただ神に弄ばれるだけでは現代には受け入れにくいのかも。 イオカステの林英世がさすがの存在感。仮面を着けてコロスの1人でいるときも、際立っていた。

2017年3月6日月曜日

0306 MONO「ハテノウタ」

老いを防ぐ薬の普及で若い姿のまま100歳超まで生きられるようになった世界。だが、法律により100歳の誕生日に安楽死しなければならない。100歳を目前にした高校の同級生が数十年ぶりにカラオケボックスに集まる。昔懐かしい歌やビミョーなダンスに盛り上がったり、無神経な発言をする奴がいたりと笑いどころがそこかしこにあって面白いのだが、芝居としての満足感には何か足りない。皆がこぞって不老薬を飲むなかで、飲まない選択をする人は変わり者扱いされている。現代にも共通する問題へのメッセージがもっと欲しかった。

2017年3月5日日曜日

0304 桂文枝半世紀落語会

「三枝から文枝への軌跡」のサブタイトルで、三枝時代の「背なで老いてる唐獅子牡丹」、最新作「大・大阪辞典」、古典落語「愛宕山」の3席。一番面白かったのは「背なで~」で、「大阪辞典」は大阪人あるあるなのだが目新しさがなく(客席は笑っていたが)、「愛宕山」はさらりと流している風で楽しくなかった。 ゲストの桂歌丸は酸素吸入器をつけたまま、病気の話をマクラに笑点の思い出を短く。

2017年3月4日土曜日

0303 陥没

ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出。達者な役者が集まってまっとうに芝居をすれば面白くないはずがない。東京オリンピック前夜という雰囲気はあまり感じられなかったが、軽快なセリフのやり取りや絶妙な間が面白く、3時間余りの舞台があっという間に感じられた。 井上芳雄、小池栄子の主役2人はもちろん、居るだけで回りの空気を支配してしまうような存在感の高橋惠子、とぼけた雰囲気の緒川たまきが印象的だった。 1つ引っかかったのは、瞳(小池)が浮気した是晴(井上)と別れ、人格的に問題があり、かつ父の借金と偽って莫大な借金を背負わせる大門(生瀬勝久)と結婚してしまうところ。(これがないと物語そのものが成立しないのだけれど)お嬢さん育ちで分からなかったという説明はあったけど、女性を馬鹿にしているように思うし、是晴は会社の専務まで勤めながら、社長の借金を承知してなかったのも釈然としない。

2017年3月3日金曜日

0302 兵庫県立ピッコロ劇団「歌うシャイロック」

約3時間の長丁場だったが、長いとは感じなかった。それだけ魅力ある舞台だったということか。 元宝塚の剣幸の演じるがポーシャが中心の舞台になるかと思いきや、シャイロック(孫 高宏)と娘ジェシカ(今井佐知子)の好演が光った。特に今井。ロレンゾとの純真な愛や、裏切られてからの絶望、父シャイロックとのやり取りなどが自然で生き生きして見えた。ただ、これだけしっかりした娘が気がふれてしまうというのは納得いかない。 剣のポーシャは行かず後家のオールドミスという設定で、ろくな求婚者が来ないのにうんざりしていて、やんちゃというかお茶目というか。バサーニオに惚れてる風ではなく、結構冷めた感じで、男のどうしようもなさにしかめっ面をしたりするのが可愛いかった。女優歴が長くなったせいか、男装シーンは期待ほど格好良くはなかったけれど。 空晴の上瀧昇一郎が公爵役。意外に声が良くて驚いた。 シャイロックのセリフで「イスラムの教えに合わない」とか「アッラーに従う」とかいうのが気になった。ユダヤ教徒のシャイロックがイスラム??何か意図があるのだろうか。