2022年10月30日日曜日

10月30日 ヒューストンバレエ「白鳥の湖」

マチネとソワレを続けて鑑賞。従来版と色々変更点があって興味深い。1幕の冒頭から王子たちは森へ狩りに来ている。そこへ花嫁候補たちがやって来てアピールするのは不自然だが、オデットとの出会いの場面がそのまま繋がるのはスムース。オデットははじめ、人間の姿で王子と出会うので、チュチュではなく白いドレス姿。ロットバルトが現れて白鳥の姿に変えられるところを王子は目の前で見ているので、白鳥=オデットと認識するのが明快ではあるのだが、通常マイムで経緯を説明する時の音楽で王子のサポートでピルエットを回ったりするのでちょっと戸惑う。永遠の愛を誓ったら呪いが解けると告げるのは別れ際で、これは自然な流れ。

特徴の一つは男性ダンサーが踊る場面が多いところで、1幕冒頭で王子と友人ら男性ダンサーの群舞に見応えあり。ボウガンを構えて隊列を組むところは、ちょっと宝塚を連想した。ただストーリー上の必要性はあまりないような。振付は全体的にオーソドックスで、白鳥の群舞や、4羽、2羽の白鳥の踊りなど物足りなく感じるほどだった。
もう一つの見どころは、人間→白鳥、オデット→オディールの早替わり。オデットがロットバルトと手下たちに捕らえられて白鳥に変えられるところは、短い時間でドレスからチュチュ姿に。影武者も使いながらだろうが、舞台裏は大変そう。白鳥はシニヨン、人間のときはおろし髪なのでカツラを使っているのかな。
2幕が宮廷の場面で、各国の姫を迎え入れるところで同じワルツの曲でそれぞれと王子がデュエットするのだが、振付混乱しないのだろうか。曲のさわりだけ使って強引にまとめる編曲はあまり好みではなかった。オディールははじめ黒地ラメのドレスで登場し、王子と別室?に引っ込んで再度出てきた時は黒のチュチュに着替えている不思議。王子とのパドドゥになると他の人たちが全て引き払ってしまうのも意図が分からん。
王子のソロは音楽がかなりゆっくりだったのだが、マチネの吉山シャールルイ・アンドレは高いジャンプや大きな回転で音をたっぷり使っていたのが好印象。
3幕は白鳥たちが人間の姿で、皆ドレス姿での群舞。別の作品を見ているような感じだったが、ロットバルトが現れて1人2人とチュチュ=白鳥に変わっていくところは面白かった。湖のほとりに横たわっている竜は何? 最後はそこからオデット、王子が続けて湖に身を投げる。音楽として最高に盛り上がるところで、オデットがロットバルトに向かって飛び込んでリフトされるのも何で?と思う。オデットはロットバルトとの絡みが多く、一列に並んだ白鳥たちの向こうをリフトされて横切るのは飛んでいるようで視覚的には美しかった。2人が身を投げた後はなぜかロットバルトが苦しみながら退場し、残った白鳥たちが逆三角形に隊列を組んで群舞で幕を閉じる。死後の2人のシルエットがないのも少し物足く感じた。 
マチネのオデット/オディール役サラ・レインは体つきが結構かっちりしていて、あまり好みではなかった。

夜の部は加冶屋百合子のオデット/オディールが抜群にいい。オデットは繊細で、リフトの軽やかさは浮いているよう。回転の軸がぶれないのも凄い。オディールでは打って変わって挑発的。グランフェッテでバランスを崩してたのが惜かった。王子のコナー・ウォルシュは誠実そうな雰囲気が王子らしいが、踊りは特筆するほどではなく、ソロでは音を使いきれていない感じがした。 

2022年10月29日土曜日

10月29日 菊地まどかの会

「二人三番叟」
床は靖・清丈。舞台後方に置いた緋毛氈の台の上で演奏し、人形はその前で演じる趣向。一挺一枚の三番叟って初めて聞いたけど、なんとも寂しい。鳴り物もないから余計に。舞をサボって笑いを取るところも、心なしか盛り上がらなかった。
人形は簑悠と勘昇。勘昇はとても緊張した様子で、人形の扱いもぎこちない。簑悠は比較的落ち着いて、安心してみていられた。手すりがないので、主遣いが足を動かしている様子が見られたのが興味深かった。

「温かい手」 
まどかは7ヶ月の身重で、お腹の子と一緒に語ると冒頭で。
新作の浪曲だそうだが、このご時世にひもじくてパンを盗む子どもって…と思う。DV夫から逃げてきた母親が、居所が知れるのを恐れて病院に行けないという設定は今っぽいけど、だったらその辺りをもう少し掘り下げてもいいのでは? 成人して医師になった子どもが世話になった八百屋夫婦の医療費を肩代わりして、借りを返すというオチが、もう使い古された感じで。ただ、パン屋のおっちゃん、八百屋の夫婦の語り分けは見事。子どもがちょっとわざとらしく感じた。

「火の見櫓」
床は引き続き靖・清丈。人形は簑之。 
簑之のお七ははしごを登る所作ももたつき、手慣れない感じ。若手に機会を与える主旨なのだろうか。

「梅川忠兵衛」
まどかが舞台中央で語る浪曲のみで始まり、半ば、舞台が暗転してテーブルが舞台上手側に移動。道行の場面から下手側に手すりを設けて人形が登場した。
まどかの語りはイキイキとして、よい。梅川が可憐で、生娘みたいだった。忠兵衛は結構あっさり封印を切ってしまい、梅川に打ち明けるのは追手を逃れる2人が潜む宿の場面で。文楽や歌舞伎にない場面もあり、ポイントの置き所が違うのが興味深い。淡路町をアワジチョウと読んでいた。 
人形は玉翔の梅川、玉路の忠兵衛、玉佳の孫右衛門。梅川と忠兵衛、梅川と孫右衛門と人形が2体ずつしか舞台におらず、梅川が孫右衛門の下駄の鼻緒を直してあげるくだりで忠兵衛が出てこないのが不思議と思っていたら、人が足りないかららしい。


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2022年10月27日木曜日

10月27日 若手素浄瑠璃の会

「苅萱桑問筑紫轢 高野山の段」は碩・燕二郎。
珍しい演目だが、三味線の手が混んでいるので、燕二郎の選曲かな。登場人物が子どもと成人男性たけだから、語り分けも大変ではなさそう。

「信州川中島合戦 輝虎配膳の段」は靖・清公に清方の琴。
靖の語りが迷走してないか? フシの音程が不安定だし、顎を上げて語るようなところなど、師匠のクセを悪い形で真似してるように感じた。対面で稽古していると移ってしまうのだろうか。
清公の後頭部が乱れていて、位置的によく見えてしまって気になってしかたなかった。

2022年10月23日日曜日

10月23日 新国立劇場バレエ団「ジゼル」

米沢唯・渡邊峻郁ペア。
米沢のジゼルは、1幕では朗らかさが好ましい。病弱ではあるのだけれど、躍る喜びや恋心の高揚といった陽の雰囲気がある。小野絢子はいつもどこか哀しみの影が透けて、それがジゼルに合ってもいるのだが、米沢は本当にどこかの村にいそうな純朴さ。
渡邊のアルブレヒトは、現代的なイケメン。深く考えずに、たまたま見かけた美少女にちょっかいを出したら大ごとになっちゃった感じ。1幕の終わりでジゼルが狂ったところなど、俺知らねーといった無責任な様子だった。

R列だったのでオケピの様子がよく見えたのだが、指揮のアレクセイ・バクランは飛び跳ねるように動いたり、終演後はパートごとに称賛の拍手を送ったりと情熱的。見ている方も煽られてしまう。 

2022年10月22日土曜日

10月22日 新国立劇場バレエ団「ジゼル」

柴山紗帆・井澤駿ペア。技巧派の2人だが、感情表現では初日ペアに譲るか。柴山のジゼルは普通の女の子で、ハンサムに言い寄られて夢中になってる。狂乱は我を忘れてはいるけれど、狂うまでは行っていない感じがした。2幕は生身の感じがあって、それはそれで新人ウィリーらしいのかもと思った。
井澤アルブレヒトは、自覚的なハンサムで、悪いと思ってなさそう。
ペザントは奥田花純と代役の山田悠貴。技術的には初日ペアが優るが、見応えあり。
ミルタはロールデビューの根岸祐衣。初々しさがあるというか、ちょっと微笑むところもあり、冷酷な怖さは少し薄い。踊りの面でも、まだ柔らかさがあるように感じた。 

2022年10月21日金曜日

10月21日 新国立劇場バレエ団「ジゼル」

吉田都芸術監督による新制作ということで、期待の舞台。小野絢子のジゼルに奥村康祐のアルブレヒトは、8月の地主薫バレエ団での共演が素晴らしかったので期待していたのだが…。
アルブレヒトは初めから遊びのつもりがありありで、どこか冷めている感じ。ジゼルとのイチャコラも駆け引きを楽しんでいる風。バチルダが婚約者であることを明かすところで、シーっとする仕草もなかったし、全く別のキャラだった。同じ役でこれほど違う人物を描出できるとは、ある意味すごい。ジゼルもアルブレヒトのことは好きだけれど夢中というほどでもなく。こんな2人なので2幕でどうしてジゼルが赦すのかが釈然としなかった。踊りのレベルは高く、そういう意味ではとても見応えがあった。
小野のジゼルは可憐なおぼこ娘。ステップの軽やかさは圧巻。狂乱が少し長く感じたのは、さまざまな感情の変化が克明だったからか。剣を振り回すところで、刃を持ったら怪我するんじゃないの?と思う。
バチルダは大富豪の娘という設定で、ネックレスを重ねたケバケバしい衣装が成金みたいで、周囲から浮いている。ジゼルへの対応がいじわるっぽい。 
ヒラリオンは福田圭吾。ワイルドな感じで、無骨なところがジゼルには嫌われちゃったのかなと思った。アルブレヒトの正体を知って、してやったりとするところ。そういうところが、少女には受け入れられないのよ! 
ペザントはネックレスのお礼に身体が弱くて踊れないジゼルの代わりに躍る、という流れで、村人たちを率いて踊るところもあり、話の流れとしてとても自然。池田理沙子と速水渉悟は共にテクニックが素晴らしく、特に速水のジャンプのキレが素晴らしかった。

2幕は冒頭、寺田亜抄子のミルタが秀逸。滑るような登場から、人ならぬものの無機質な感じがよい。ウィリーの群舞はあれ?という感じ。チュチュの丈が短い上、レースが薄いので脚がバッチリ見えているし、足音が思いの外響く。フォーメーションは複雑で綺麗だった。
小野ジゼルは体重を感じさせない軽やかさが圧巻。何でアルブレヒトを庇うのかという思いは拭えず、すれ違う切なさも薄かった。
奥村は一幕と打って変わって、後悔の念が深く、ジゼルやミルタに赦しを乞う。踊り疲れて倒れ込む姿に悲壮感があるが、3回くらい倒れたのは多すぎる気もした。これに対して、ヒラリオンのくだりはあっさりめで重ねて気の毒。
終演後は満場のスタンディングオベーション。はじめ表情が硬かった奥村も、振付家らが舞台に上がった頃からは笑顔を見せていた。

2022年10月16日日曜日

10月16日 坂東玉三郎特別公演「本朝廿四孝」

玉三郎の八重垣姫が観たくて御園座へ遠征。口上によると24年ぶりだそう。上演記録を調べたら、十種香だけは時々かかっているけど、奥庭まで続けての上演は2008年に玉三郎が演じて以来。

玉三郎の八重垣姫は終始可憐で、一瞬一瞬が絵になる美しさ。橋之助の勝頼と並んでも全く違和感がない。奥庭の引き抜きは、兜で体を隠すようにして、変化を鮮やかに見せていた。ラストは2匹の白狐と兜に誘われて、花道を駆けていく。以前、国立劇場の通しで見た時蔵は、兜に引っ張られるような演出だったのと比べると、自律的な感じ。狐を使う役者が出遣いなのも違った。
とても素晴らしい舞台だったのに、残念だったのは客席の笑い。「翼が欲しい、羽が欲しい〜」の名台詞で笑うってどんなセンスなの⁉︎ おまけに、ラストで黒衣が操る狐が3匹増えた時も笑っていた。どういう話か分かってないのかな?
橋之助の勝頼は、玉三郎相手に遜色ない立派な貴公子ぶり。濡衣の雪之丞は、声がちょっと世話っぽく聞こえたが、所作が美しい。緑郎の謙信は敵役にしてはシュッとして、格好いい。



2022年10月15日土曜日

1015 金剛謹之輔百年祭 金剛永謹古希祝 祝賀能

「鷺」 
永謹のシテ。鷺というには体がガッチリと大きいので、少しイメージと違うのだが、全身白い装束での舞には荘厳さがあった。橋掛かりで、ワキの福王茂十郎に捕まえられるところは、緊張感漲る駆け引きの様相。ワキ正面席で近くて見られたので余計にそう感じた。
龍謹長男の謹一朗が帝。一生懸命覚えた詞章を忘れないようにか、だんだん早口になっていく。ちっちゃい子が頑張っていて微笑ましい。

仕舞「猩猩」
龍謹の次男、宣之輔の初舞台。3歳くらい?と幼いので、足の運びがスタスタ歩く感じで、動きも早い。 

半能「石橋」
龍謹のシテ。舞金剛の本領発揮で、登場から勇壮で躍動感がある。舞台前方に所作台をる2つ並べていたのだが、飛び乗ると台が客席の方へ動くのでハラハラした。 

10月14日 中之島文楽

「道行恋苧環」 
織のお三輪、靖の橘姫、碩の求女、三味線は燕三、清丈、燕二郎。年功では靖が二番手なのだろうが、橘姫はちょっとしんどそう。三味線が華やか。
人形は一輔のお三輪、紋臣の橘姫、玉佳の求女と適材適所。一輔のお三輪がいい。

幕間トーク、ミミヨリな「道行」のお話は、藤川貴央アナの司会で、ゲストの大島真須寿美、織、燕三。時代物と世話物の道行を聞き比べるという主旨なのに、織は「天神森は道行ではない」と。演じる時の心構え、教えなのだろうけど、会の趣旨をぶち壊すような発言。藤川アナはそのままスルーしていたけど、「天神森は道行ではないけど、形式としては道行に似てる」とか何とか一言フォローがあってもよかったと思う。

「天神森の段」
織のお初に靖の徳兵衛、碩のツレ。こちらの方がそれぞれの役にあっていたし、まとまりもよいとおもった。
人形は一輔のお初に玉男の徳兵衛。珍しい組み合わせだけど、意外に似合っていると思った。キャラの温度差が近い感じというか。一輔のお初はしっとりと落ち着いていい。 

2022年10月12日水曜日

10月11日 日本怪談歌舞伎 時超輪廻古井戸

Jホラー歌舞伎と銘打って、「貞子」と「播州皿屋敷」を掛け合わせ。思っていたほど酷くはなかったが、良くもない。貞子が這い出てくる井戸と皿屋敷でお菊が投げ込まれる井戸が時空を超えて繋がっているという設定で、現代と室町時代が交錯する。

愛之助の鉄山に壱太郎のお菊での皿屋敷はほぼ古典通り。千寿が珍しい立役の悪役、香川番内で、千次郎演じる岩淵忠太と共にお菊をなぶり殺す。一つ不満は、井戸の上に吊るさないこと。吊り下げられた美しい女が嬲られる姿が美しくも憐れなのであって、地べたに転がされて打たれたり、「水雑炊を食らわせい」とか言って桶に貯めた水に顔を漬ける(←本水)とか、水を浴びせ掛けられたりするのはちょっと違う。

愛之助、壱太郎、莟玉の三人はそれぞれ二役で、早替わりも見どころ。莟玉は現代パートの高松から古典の船瀬に替わるとき、白塗りの化粧込みで5分くらいで出てきたのは驚いた。 現代パートで茶髪のチャラい学生を演じ、若者ことばで「マジムリ」とか曰うのが新鮮だった。 
莟玉になってから松竹座へは初御目見だそうで、陰陽師役の松十郎に「うーめまるから莟玉」とか「パンダ好き」とか「本名は」とかいじられていた。

現代パートが総じて薄っぺらく、肝心なところを言葉で説明してしまうのでホラーの怖さはない。歌舞伎パートとの落差が大きく、チグハグな印象だった。

今井翼演じる室戸は謎解きを担い、陰陽師で超神霊学者という設定。室町時代へタイムスリップして貞子の呪いを解くために九字を唱えながらフラメンコを踊り出すのは、お約束とはいえ違和感しかない。 

2022年10月10日月曜日

10月10日 義経千本桜 Aプロ

伏見稲荷鳥居前から。話の流れからするとCプロにつながるのだろうが、原作通りの順番にしたのは、拵えの手間や、早見藤太と被るからか。
忠信も弁慶もこの先とはキャラが全く違うのが面白い。忠信が出てきた時、一瞬菊之助とは認識できなかった。今回は同じ役者が演じるのでまだしも、別の役者だったは別人にしか見えないと思う。
静は米吉。可憐で調緒で縛られる様は雪姫のようだが、静はもう少し強さがあってもいいのかとも思った。

渡海屋から大物浦は期待通り。特に梅枝がいい。お柳はちょっと顔が白すぎて冷たく見えたが、お安に対する時は母らしさの中に帝への敬意が垣間見える。装束を改め内侍の局に戻ると気品に溢れ、場の雰囲気が一変。格調があがって見えた。自害したあとは消し幕ではなく、義経の家来たちに抱えられて退場。
安徳帝は丑之助。安徳帝にしては年嵩なので、芝居がしっかりしていて、セリフのないところも役になっている。重いせいか義経方に引き取られてからは輿にのって運ばれていた。知盛と別れたのちは弁慶だけが残ると記憶していたが、義経共々下手側で入水の様子を見届けていた。幼い子にはトラウマになるのではと余計な心配をしてしまう。


10月9日 義経千本桜 Cプロ

菊之助の狐忠信は、三役の中で一番ニンに合っている。猿之助の忠信とは違った魅力的で、獣みというか、ピョンピョン跳ねるような躍動感は薄く、地に足がついた感じ。正体を明かして狐の装束に早替わりするところ、姿を消してからやや時間がかかると思ったら、下手の庭先ではなく、静の上手後ろの壁から飛び出してきた。
川連法眼館の本物の忠信も、キリッとした武者ぶりが役によく似合う。

義経の菊五郎は初役だそう。気品はあるがちょっとバカ殿みたいと思ってしまった。 

10月9日 義経千本桜 Bプロ

菊之助が初役でいがみの権太。悪くないのになんとなく違和感があるのは江戸風だからか。口は悪いし、ちゃんとごんたくれなんだけど、どこがすきっと格好いい。これまでみてきた上方の役者はどこがもちゃっとしてるのだ。

台本上も違いがあって、椎の木で小金五を強請る最中に小せんが戻ってきて、葦簀の陰から様子を見ていたり、まんまと20両をせしめて喜ぶ権太をたしなめると、「俺がこうなったのはお前のせいだ」となじったり。最後の花道を去るところも、悪態をついたままで、夫婦や父子の睦まじさを素直に感じられない。後半、内侍母子の身代わりに差し出すところで権太は悲しみを堪えるような表情を見せるのが、ちょっと唐突で同情しづらかった。また、権太はすり替えた葛籠にあった絵姿で維盛と知るのだが、小金吾は中身を改めたときになくなっていることに気付かなかったのだろうか。
 
小金五討死は立ち回りをたっぷり。打ち手を引き連れた猪熊大之進(菊市朗)との一騎打ちになり、小金五がいったん死んだと見せかけて、とどめを刺しにきたところで返り討ちにする。


よかったのは、梅枝の維盛。弥助としての頼りない様子から、お里らがいないところで弥左衛門と主従の立場に戻るところで、一瞬で高貴な風情に変わる。寿司桶を担いで登場するところで、力のなさをやりすぎないのもいい。桶の中身入ってないんだから、やりすぎるのはかえって不自然。一人男性客でやたら笑い声の大きな人がいて、ちょっと会場の雰囲気を壊していたのが惜しい。

小せんの吉弥、若葉の内侍に吉太郎と上方役者が存在感を示す。吉弥は文句なしにいい女房。女郎屋にいた小さんと恋仲になって子までできたのが悪いと権太に責められるところは、思わず同情してしまう。吉太郎はおっとりした話し方や仕草が高貴な人らしいが、若いので六代君と並ぶと母というより姉に見えた。


2022年10月9日日曜日

スカーレット・プリンセス

ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場による、桜姫東文章の翻案。想像していたより原作に忠実。役の名前はそのままだし、歌舞伎では観たことのない、印を盗まれるところも上演し、お家騒動の経緯は分かりやすかった。…と思ったら、2幕は人物関係が込み入ってくるのでちょっと分かりづらい。歌舞伎の桜姫を知っているから脳内で補っえたけれど、初見だったらどうだろう。

興味深いところは色々あったけれど、元の歌舞伎を超えるものになったいたかは微妙。桜姫の魅力は退廃美だと思うのだが、この作品には退廃は色濃いが、美しいとは思えなかった。白塗りが剥げてまだらになったり、キッチュなメイクや鬘がボサボサだったりは、私にはグロテスクに感じた。文化の違いなのか、時代性なのか。70年代くらいのアングラ芝居にも通じるような、あえて崩れたものを見せているのかも。

清玄と権助の二役を演じたオフィリア・ポピは、演じ分けが達者過ぎて全く別人に見えてしまい、せっかくの早替わりの驚きが薄いのが勿体ない。そもそも顔をよく知らないというのもあるが。小柄であるほかは、発声のしかたや身のこなしはしっかり男に見えた。 
清玄がグレーの長い髭でだいぶ年寄りに見える。プロローグは転生後かと思って戸惑ったほど。高僧になった清玄は金色の衣で、肩車。桜姫を見て白菊丸への思いが再燃したり、姦淫の罪を着せられたりしたところで肩車から降りるのは、堕落したという表現か。 何人もの稚児をたぶらかして…みたいなセリフがあったのだが、白菊丸だけでなかったの?
権助は小悪党という感じ。
白菊丸/桜姫はユスティニアン・トゥルク。白菊丸は全身白塗りの裸体(褌のような白いビキニパンツのみ)で、体を縮めていたのは赤子のイメージなのかな。
桜姫はセグウェイに乗って登場。滑るように動くのが、不思議な感じ。白塗りが剥げたり、メイクが依れたりするのは、私には醜く見えた。 

一幕の終わりに急に出てきたお十。だからか、「私はお十」と名乗って笑いを誘っていた。

所々、字幕が遅れてしまい、既に相手が話し出してから内容がわかったりしたので、話の筋にすんなり乗れない。公演を重ねたら改善するのだろうが。
コーラスで詩的な言葉も多く、字幕では味わいきれない。