2018年5月24日木曜日

0523 人形の家

主演の北乃きいに期待していたのだが、最後まで役の違和感が拭えなかった。セリフにリアリティが感じられず、たぶん、現代の感覚と100年前の古典のギャップなのだろう。夫役の佐藤アツヒロも同様。プログラムのインタビューを読んでも当時の夫婦関係や女性の社会的地位を理解した上で演じるというより、現代の感覚でとらえている様子がうかがえた。古典を演じる場合、そのあたりを乗り越えないと現代の私たちにはリアリティをもって届かないのだと思う。ノラの友人、リンで夫人役の大空ゆうひが地に足の着いた安定感のある演技で、クロクスタ役の松田賢二はややオーバーなほどの悪役ぶりだが、声がいいので舞台に映える。ランク役の淵上泰史、女中役の大浦千佳も悪くなかった。つまりは、主役の二人に説得力がなかったということに尽きるのだろうか。演出の一色隆司は映像出身だそうで、暗転からストップモーションで場面転換するところなどにその片鱗がうかがえた。あまり効果的とは思わなかったが。俗っぽい選曲や、衣装のセンスもいまいち。

2018年5月21日月曜日

0519 ミュージカル「ウーマンオブザイヤ―」

早霧せいなの女優初舞台。歌は聞かせるというほどではないが、聞き苦しくないレベルには達していて、男勝りでバリバリ働くキャリアウーマンという役が早霧によく似合ってチャーミング。こういう役を引き寄せられるというのも、役者の力量なのだろう。脚本は、古い価値観が幅を利かせていたり、主人公2人が恋に落ちるところが唐突だったりと、ツッコミどころ満載なのだが、それを凌駕するコメディセンスなのか、客席は沸いていた。一部の観客はサクラかと思うくらいの笑いぶりだったが。ロシアのバレエダンサー役の宮尾俊太郎は、歌も芝居もいまいちで、肝心のダンスシーンも当たり前のことをしただけという感じ。

0518 OSK日本歌劇団「春のおどり」

高世麻央の退団公演。第一部の「桜ごよみ 夢草子」は和物レビューで、扇を使った舞など、山村流の振り付けが印象的。楊貴妃や光源氏など、これまでに高世が演じた役を早変わりでみせるという趣向で、てんこ盛りな感じ。高世がソロで踊る場面が多く、山村流の名取だという達者ぶりを見せつけた。釣女のシーンが唐突に感じた。 第二部の「One Step to Tomorrow!」は勢いのあるダンス。特にジャストダンスのエネルギーにすべてが集約されているような。黒燕尾の群舞はいいとして、高世による鍵盤ハーモニカの演奏はいかがなものか。格好つけても所詮ピアニカ。ここは、テナーサックスあたりで決めてほしいところだ。ロケットがいつもよりスピード感がなかったように感じた。

0516 「1984」

ジョージ・オーウェルの「1984」の舞台化。1984年はさすがに未来ではないので、近未来から1984を振り返る形で物語が始まる。 記録が改ざんされ、あったことがなかったことにされてしまうのは現代を映しているような空恐ろしさ。拷問シーンは暗転して声だけになるのが、かえって恐ろしく、酷さが増長された。

0515 ウィーン国立バレエ団「海賊」

マニュエル・ルグリ盤の海賊は、コンラッド、メドーラの主役2人だけでなく、グルナーラ、ビルバントの二番手も踊りの見せ場が満載。ちょっとtoo muchと感じるほどの超絶技巧の連続だった。大阪ではグルナーラに橋本清香、ビルバントに木本全優という、関西出身のダンサーが存分に踊りを見せてくれたのがうれしい。

5月13日 コクーン歌舞伎「切られの与三」

木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一が補綴で参加。歌舞伎の原作だけだけでなく、落語や講談からもエピソードを引いて創作した部分があったそうで、なるほど木ノ下っぽくない部分も感じられる脚本だった。与三郎の生母?を殺した容疑でお縄になるところや、島流しになる下りがやや唐突。演出の串田和美が「夢と現実の境目がわからないような」という方針だったそうで、けむに巻かれたような気分だった。久次の唐突な告白に「ええっ!?」と突っ込むところや、傷の特効薬を使わずに、過去の傷ごと引き受けて生き続けようとする与三郎は現代的。舞台や客席を走り回る与三郎の疾走感は感じられた。 「しがねえ恋の情けがあだ」など、歌舞伎でおなじみのシーンやセリフを楽しめる一方、玄冶店の後日談で転落していく与三郎の人生や、次々と頼る男を変えるたびに変質していくお富のしたたかさなど、歌舞伎では見られない展開が興味深かった。与三郎の七之助は、冒頭のたよりないが二枚目のボンボンぶりがよく似合うが、傷を負って手ぬぐいをかぶったところなどは女形らしさが抜けきれず。お富の梅枝は強かないい女ぶり。笹野高史は与三郎づきの下男忠助役で、いつもの敵役とちがって、七之助との絆が感じられる情のある演技にぐっときた。

0508 桂吉弥独演会

「ワンダフル」 犬や猫と会話できるようになった飼い主たち。その理由は、道ならぬ恋を飼い主を通じて伝えたいという犬たちの願い。犬は猫に、ネコはインコに…と片思いが連鎖していくのだが、最期がアスパラガスという可笑しさ。ほのぼのとかわいらしいお話だった。 「紙入れ」 ゲストの桂まん我のおかみさんは、あまり美人ではなさそうだが、妙な色気がある感じ。マクラが長かったので、もしや本編は割愛?と心配した。 「青菜」 古典落語を軽快に。 「弱法師」 人情噺に流れるのではなく、突き放したようなラスト。現代劇を見た後のような、心にザワっとしたものが残った。

2018年5月12日土曜日

5月11日 大槻能楽堂ナイトシアター 特別公演

「釣狐」
茂山逸平の白蔵主は首をあ傾げた仕草などに狐らしい動きがそこはかとなくおかしく、ビクついたり、餌の誘惑に抗いきれない浅はかさが可愛らしい。正体を現してからは肩幅の大きな狐だった。最後の罠を抜けて逃げ出す軽やかさが軽妙。善竹隆平の漁師は沈着。罠にかかるかどうかの緊張感が高まった。

「隅田川」
大槻文蔵の狂女の哀れさに深く共感した。片手を挙げて泣く仕草、子が死んだと知ったときの絶望感、念仏に子の声を聞いたときの喜び、ミニマムな動きで見せる感情の豊かさ。面をかけているので、言葉は不明瞭だけど。
福王茂十郎の渡守、知登の旅人。旅人はセリフも少ないし、必要な役なのかよう分からん。

2018年5月10日木曜日

0509 蘭ー若き日の緒方洪庵ー

北翔海莉のエンターテナーとしてのレベルの高さを感じた。立ち姿の華やかさ、口跡のよさ、立ち回りの華麗さ。彼女がいなかったらだいぶ辛い舞台になっていたはず。
一方の藤山扇治郎は、気の抜けたようなセリフが気鋭の学者にしては頼りなく、アホっぽいのがいただけない。喜劇をやるならあんな話し方でいいのだろうが。
錦織一清の演出はセンスが合わなかった。冒頭、歌謡ショーのような司会での登場人物紹や、ところどころ挟まれるギャグ?が誰をターゲットにしてるか分からないビミョーな古さ、劇団☆新感線みたいなつけ打ちのような効果音など、ちっともいいと思えない。
簡素なセットで回舞台を利用した場面転換は1幕はスムーズでよかったが、2幕は暗転が多くて凡庸だった。

2018年5月8日火曜日

5月7日 劇団☆新感線「髑髏城の七人 season極 修羅天魔」

1年超に及ぶロングラン公演の締めくくりとあって、天海祐希の極楽太夫、古田新太の天魔王という顔合わせ。天海は立ち姿が美しく、自然と目が惹きつけられる。スリットの入った着物かれ覗く薄紫の脚絆がイマイチだが、白を基調にした衣装は掃き溜めに鶴感が高く、よく似合う。古田はレザー調の衣装が戦隊モノの悪役チックなのはいいが、ストレートのロン毛が似合わず、全体的に蛙っぽい。滑舌が良くないのも大悪党らしくなかった。信長を暗殺しようとした極楽が逆に信長に従うようになるいきさつがやや唐突で、天魔との関係も深みに欠けた。「そんなに私が欲しいのか」とか、キスシーンとか盛り上がるべきところが、あっさりとしてしまっていた。
これまでのシーズンとはストーリーが大きく変わっていて、若衆太夫の夢三郎(竜星涼)が天魔王の息子だったり、家康の手下で極楽太夫を警護する忍者の清十郎(河原正嗣)などの新キャラも。竜星は女方の仕草がキレイで、後半の本性を現してからのギャップがいい。河原は体つきがイマイチと思っていたら、アクション指導も担当していたと知ってびっくり。
沙霧の清水くるみははつらつとして可愛かった。兵庫は福士誠治だったのだが、最後まで別人のやうだった。

0506 「大蔵流五家狂言会」

「鍋八撥」
山本則秀の浅鍋売り、千五郎の鞨鼓売り、善竹隆平の目代。茂山家の狂言に慣れているせいか、則秀のセリフは謡調で重たく感じる。千五郎が側転で舞台を横断。大柄なので迫力があり、足を滑らせたのはご愛嬌。隆平の目代はちょっと影が薄かった。

「千鳥」
善竹忠亮の太郎冠者、大蔵弥太郎の酒屋、逸平の主人。忠亮は真面目そうで、軽妙さに欠けるか。弥太郎も硬い感じで、今ひとつ。

「左近三郎」
忠三郎の左近三郎、山本則重の出家。忠三郎は出家を嬲る様子に軽さがあっていい。

「二人袴」
童司の聟、大蔵基誠のは兄、山本泰太郎の舅、善竹大二郎の太郎冠者。童司は子供っぽい、頼りない聟で、ちょっとアホっぽい。基誠は兄というより、先生のよう。大二郎は恰幅がよく、おおらかな太郎冠者。泰太郎は生真面目そう。

「釣針」
善竹隆司の太郎冠者、山本則孝の主人、立衆に茂、大蔵教義、逸平、忠三郎、山本則重、千五郎、善竹富太郎。子方は善竹美彩子。
立衆が多いので舞台が賑やか。

2018年5月6日日曜日

0505 「夢と錯乱」

クロード・レジが93歳の時に演出した最後の作品。約1時間ほどの短い舞台だが、終始不快感が刺激された。 会場に入ったときから薄暗い客席。明かりを最小限に絞った舞台は、薄暗がりの中にぼんやりとしか見えない役者に否が応でも集中力を要求される。涎が飛んできそうな口元から発せられるセリフは、薬物中毒者の恍惚の表現なのか。ゆっくりと月面を移動するような動きはコンテンポラリーダンスのようでもあるが、俳優のヤン・ブードーは弛緩した体つきの冴えない中年といった外見で、美しさとは遠い。どうして彼が配役されたのか。照明はわずかな陰影で表情を変え、吉本有輝子の繊細な仕事が素晴らしかった。

2018年5月2日水曜日

4月30日 お豆腐の和らい2018「新作classics_狂言」東京公演

「伝統はたえた」
ごまのはえ作。初めてタイトルを見たとき、伝統「はたえた」かと思った。老い衰えた師匠が、秘伝の技を教えようとするのだが、ボケが入っていて話が進まない…という、繰り返しのおかしさ。弟子に千五郎、師は童司。10分ほどの短い話で、ショートコントのようだった。絵の具のくだりはなんだったのだろう。

トークは千三郎と童司で、新作の創作について。新作は初演キャストに引きずられがちなので、役者が変わっても成立するかが上演され続けるかの分かれ目と。

「鮒ずしの憂うつ」
土田英生作。臭いと敬遠される近江名物鮒ずしが、丁稚羊羹や近江牛に馬鹿にされる。鮒ずしの宗彦は拗ねた様子が板についている。丁稚羊羹の逸平は人を食ったようすがかわいい。近江牛は病気のあきらに代わって童司。急な代役だからか、セリフが怪しかった。
鮒ずしを励ますため呼び出される、挽き割り納豆(茂)とくさやの干物(丸石)。世界の名物にも臭いものはたくさんあり、臭いこそがアイデンティティと確認するところなど、ヒューマンドラマのよう。土田らしい、人への肯定感が感じられた。

「流れ星X」
千三郎作。温暖化で人が住めなくなった地球から、新天地を求めて流れ着いた地球人(鈴木実)が、ボイボイ星人の太郎(千三郎)と出会う。初演が米ブッシュ政権時代とのことで、薮大名だとかなんとかが出てきたり、テレビゲームが出てきたり(ナンテン堂スイッチとか言っていたが、初演は何だったのだろう)と、時代を感じさせるところもあったが、一周回って今の時代にマッチしてるよう。
全てのセリフを「ボイボイ」と喋るボイボイ星人は、猿聟みたいだし、セリフ運びなどは一番狂言らしかった。

0428 お豆腐の和らい2018「新作Classics_狂言」京都公演

「風呂敷」
落語が原作。亭主が留守中に若い男が入り込み、女房といい感じになったところで酔った亭主が帰ってくる。若い男の童司が巻き込まれ型のおかしみ。女房の千三郎は若い男に気がありそう。亭主の茂はへべれけの酔態が堂に入ってる。窮地を救い、ご褒美を期待したものの肩透かしで追い払われる七五三のぼやきがしみじみおかしい。

「緊縛」
棒縛のパロディーというか、縛られた太郎と次郎がダイヤルQ2で呼び出した女たちにいたぶられ、マゾの快感を覚えていく。発想は面白いが、直裁的すぎるか。次郎の千五郎は恍惚のうめき声や、ひっくり返ってパッチが見えるほどの振り切った演技でやり過ぎなほど。太郎の山下はちょつと遠慮が見えた。真面目でアブノーマルなな世界が分からない親方役の松本薫は任に合ってる。

「妙音へのへの物語」
逸平の中納言は当たり役と言われるだけあって、惚けたおっとりとした様子がほのぼのとおかしい。宗彦は秘伝の薬を飲み過ぎて、腹痛に耐える様子が現代劇のようなリアルさで、爆笑を誘った。

全体的に、コントのようで面白かった。

0427 唐組「吸血姫」

屋台崩しのようなオープニングから、勢いのある舞台。冒頭、ステージで歌う白衣の高石かつえ(銀粉蝶)の存在感に圧倒される。美しいけどどこか禍々しく、力強くも儚い。1幕はほぼ出ずっぱりで、銀粉蝶に刺激されてか、白衣の天使隊の2人も力強い演技。病院長、袋小路浩三の大鶴佐助が危なっかしくも妙に目の離せない存在感。後で、唐十郎の息子だと聞いて納得。ちょっとぽっちゃりして少年らしさの残る外見が役に合っている。引っ越し看護婦、海之ほおずきに、同じく唐の娘の大鶴美仁音。人力車に乗っての登場から、どこか古風で深窓の令嬢のような凛とした気品があり、涼やかな声もいい。肥後守の福本雄樹がハッとするような美青年。出番は短めで、浩三とほおずきの当て馬みたいというのも、贅沢な配役だ。藤井由紀も、読売演劇賞を受賞したばかりだというのに、出番が少なく、残念。浩三に攫われる人妻、ユリ子役で、よろめき婦人からべらんめえ調に豹変したり、電話ボックスに出没したりと、印象的な役ではあった。下着姿になると、デコルテの美しさが際立つ。
丁寧にストーリーを追うという展開ではないなで、脈絡なく唐突に感じられるところも多いが、息をつかせぬ怒涛の展開に呑み込まれるよう。途中、労働でなく金利が富をもたらす社会への批判などもあり、最近のビットコイン騒動を予言するかのよう。(今の日本では金利はつかないけど、虚業という意味で)
女に天才はいないとか、今ならNGだろうセリフもあるが、本質的には今にも響く作品である。

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