清元の「かさね」初演から200年を記念して、清元の素演奏と義太夫節の複曲の聴き比べ。清元の原曲を義太夫節に移したものなので、詞章は同じで、演奏方法が違うだけなので、ジャンルの違いが明確に表れて興味深かった。
清元は栄寿太夫(右近)が初役で立浄瑠璃を勤め、三味線は兄の斎寿をシンに。
栄寿太夫の清元は初役のせいか、音程や音色を探り探り語っているように感じた。清元の節が身体に入り切っていないような。与右衛門役の志寿子太夫やツレの瓢太夫、一太夫も、息をするように自然に語って(唄って)いたのに、栄寿太夫だけは視線をキョロキョロ、口元も落ち着かなげにもごもごしてて。音程もちょっと自信なさげに揺らいでたところがあったり(一箇所は明らかに詞章を間違えかけたような)視線をあちこち巡らせるのも、落ち着かなく見えた。(他の人はほぼ、一点を見据えているので余計に)セリフのところは、歌舞伎で演じたことがあるだけあって女方の綺麗なセリフだったけれど。
対して義太夫節は、呂勢、織という手だれなので、安心して聞けた。三味線は団七のシンに友之助、清公。サクサク進むなあと思ったら、時間も短くて、清元の45分に対し30分余。義太夫節ってゆったりしている印象だったけど、清元の方が時間がかかっていたとは。泥臭いというけれど、聞き慣れているせいかこちらの方が好みかな。
呂勢は、芝居ベースなので、「アレェ」みたいな普段の義太夫節では言わないようなセリフがあって照れくさかったのだそう。重造師の作曲は、清元の手を取り入れつつ、義太夫節らしい曲になっているのが上手いと。師の曲が復曲できて嬉しそう。それと、団七の隣にいるせいか、いつもの皮肉屋が鳴りを潜めて、にこやかに見えた。団七は「自慢じゃあないけど」と言いつつ、復曲の手柄を話したり、義太夫節をやぼったいと自虐したりと、チャーミング。
「夜や更けて〜」のくだり、清元では立て=かさね役の太夫が語るのだが、義太夫節では与右衛門役のパート。初演した伊達太夫の床本にそう書いてあったのだそう。呂勢「織太夫は本当は美声だが、今は声を酷使する役を語っているので…」と言い訳。栄寿は「この場面にかさねは出てこないので、与右衛門役が語るのは理に叶っているが、聞かせどころなので立てが務めている」と。
栄寿は義太夫節でのテンポ感に憧れ。清元は緩急があるのが魅力だが、もどかしく感じることもあるそう。 歌舞伎は動きながらセリフを話すので、身体的に制約があり、やはり義太夫節のようなテンポにはならないのだとか。
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