2016年12月28日水曜日

1227 らくごカフェに火曜会OB会

小せん「三人無筆」 力の抜けた軽妙な語り口だが、ちょいちょい噛むのが引っかかる。 文菊「夢金」 何処かで聞いたのだが思い出せず。オチが違ったのでデジャブではないはず。金玉を掴んで目が覚めるオチより、船屋の親父のぼやきで終わるこちらのほうが好みだ。 改めて、文菊の語り分けが鮮やか。侍の低い声がぞっとさせる。 中入りを挟んで再び文菊「安兵衛狐」 幽霊の女とか、狐の化けたのとか、女に色気がある。 小せん「ふぐ鍋」 上方でもよくかかる噺だけれど、ちょっと勝手が違った。

2016年12月26日月曜日

1225 古今亭文菊独演会@なかのらくご長屋

林家たま平「牛ほめ」  上方でもよくかかる演目だが、江戸のためか微妙に異なる。おじさんの家を褒めに行くよう勧めるのが父親で、馬鹿さ加減を嘆いているとか、お小遣いか5円でなく50銭だとか。 古今亭文菊「我慢灸」  マクラで、上方の話しをするのでどきり。私のためでもあるまいが。曰く、大阪には上方落語に出てくるような人がまだいて、「何言うてけつかんねん」(←正確に何と言ったかは忘れた)みたいなことを言う人がその辺の路地裏にいそう。東京の落語家は「するってえと」とか言うんですかと聞かれたが、さすがに普段からそんな言葉遣いはしない。江戸っ子は噺の中だけ、とのこと。上方に勢いがあるのかは?だけど、そう思ってくれているのはありがたいことかも。 本編は、お灸を我慢する男の顔の変化が絶品だった。 「芝浜」 去年聞いた談春のに比べるとあっさりしているようにも思ったが、最後はうるっときた。派手さはないのだけれど、しみじみええ噺だった。余韻が深くて、どうやって落ちにつなげるかとハラハラしていたが、取って付けたようだったかも。(だからと言って、オチのためにこの風情を無しにして欲しくはないのだけど)

1225 十二月大歌舞伎 夜の部

「二人椀久」 勘九郎の椀久に玉三郎の松山。玉三郎が幽玄の美しさ。 「京鹿子五人道成寺」  玉三郎と勘九郎、七之助、梅枝、児太郎の若手4人の共演が目に艶やか。所化も総勢20人で、花道の出では端から端まで埋め尽くすほど。  まず花道から登場するのは七之助。可憐な娘の風情に時折鐘のほうを見つめ、秘めた思いをうかがわせる。すっぽんから勘九郎が現れ、2人で踊る。勘九郎は娘らしい美しさには欠けるが、所作で魅せる。 勘九郎がすっぽんから引っ込み、七之助1人が舞台中央でひと舞。玉三郎に交代すると、やはり格の違い。 その後、5人での踊りは華やかどこを見ればいいのか迷う。前の方の席にしたのだが、2階席あたりから引いてみるほうが正解だったかも。それにしても、玉三郎の美しいこと。さすがに年上には見えるのだが、せいぜいお姉さんといったところ。親子ほども年の離れた若手と並んで驚異的だ。 児太郎、梅枝それぞれにもソロの場面があり、最後は鐘の上から玉三郎、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎と並んでの幕切れ。

2016年12月12日月曜日

1211 日本・シンガポール・インドネシア 国際共同制作「三代目、りちゃあど」

中村壱太郎が女形の発声、所作でリチャード三世を演じ、男性が女装し、女優が髭面の扮装で登場。日本語、英語、インドネシア語が入り混じり、性別も国境も曖昧模糊となったような舞台。インドネシア語はちんぷんかんぷんなので、字幕を見なければならず、1人が複数の役を演じることもあり、最初はだれが誰だかわからず混乱した。だんだん慣れてはきたけれど。 全体的に白っぽい衣装で、白塗りの顔に蛍光ピンクの口紅。暗がりで浮かび上がるしかけなのだが、違和感が拭えない。シェイクスピアの茂山童司は狂言風のせりふ回し、弁護士=シャイロックをシンガポールの女優、ジャニス・コーが英語で演じ、法廷シーンが引き立っていた。一方、野田秀樹の言葉遊びというかダジャレのセリフは英語にしてしまうと意味が薄まると感じた。孟宗竹と妄想、松と待つ、モーソーバンブーやパインになったら意味が違う。英語のセリフを聞きながら、日本語字幕で理解するって余計な手間だ。 江本純子は短髪に髭に違和感がなく、男の人かと思ったほど。たきいみきは立ち姿が美しい。久世星佳が喋ると舞台に引き込まれる。 インドネシアの影絵師イ・カデック・ブディ・スティアワン。影絵の精巧さに反して朴訥としたルックス、人形を持ち替えるときのつたなさが微笑ましい。

1211 太鼓×歌劇「大阪城パラディオン―将星☆真田幸村―」

OSKと宝塚歌劇のOGと和太鼓の打打打団天鼓のコラボ。戦国武将ゲームのような衣装で、いい意味でB級感あふれる。 幸村を桜花昇ぼる。華のある人なのだが、衣装が重いのか動きにキレがなかったのが惜しい。梯子を上ったり、客席に下りたりするのがもたついて見えた。 後藤又兵衛の鳴海じゅんがやんちゃなキャラづくりが奏功して印象的。塙団右衛門の未央一が狂言回しのような役回りで客席を沸かせていた。エンターテナーだ。淀君のこだま愛、九尾の狐にとりつかれているという設定で、狐っぽい手振りなど。娘役トップらしく存在感は格別だった。

2016年12月10日土曜日

1210 繻子の靴 四日間のスペイン芝居

30分の休憩を3回挟んで、1日約2時間の芝居を4日ぶっ続けで上演。文楽や歌舞伎のような観劇体験だった。 膨大なセリフ劇で半ば朗読劇のよう。衣装は着けているが、大道具はほとんどなく、3階状の舞台に映像を映して場面転換するのだが、星空や草原が動くのが船酔いのようで気持ち悪い。 ヒロイン、プルエーズの剣幸が圧巻で、1~3日は内容はよくわからないのだけれどセリフに聴いているのが心地よく、長さを全く感じさせなかった。ペラージュほかの阿部一徳も上手かった。壮大なすれ違い恋愛劇なのだが、共感はほとんどできず。でもなんだか引き込まれた。 一方、剣の出ない4日目はしんどかった。造形芸大の舞台芸術学科の卒業生が主要キャストで出ていたのだが、長い場面を引っ張るには力不足。何人か、狂言風の発生をしているなと思ったら、大蔵流の狂言師らしい。茂山七五三、宗彦、逸平が出てくる綱引きのシーンもなんだか退屈だった。

1209 iaku「車窓から、世界の」

3人の女子中学生が飛び込み自殺をした新駅のホーム。中学の副担任、PTA副会長、ガールスカウトの指導者が彼女らのお別れ会に向かうところ、列車の運休で足止めを食い、彼女らの死に思いをはせる。大阪のおばちゃんらしく「常識」を振りかざす副会長や、仕事に疲れが見える中学教師、冷めたガールスカウトなどのキャラ設定が明確で、絶妙な間の会話にはおかしみがある。 中学生が傾倒していた同人誌漫画が原因だというのだが、作家がいかにもなオタク風で中学生が「神だ」なんて崇めたてるとは思えないのと、ピュアな恋愛ストーリーに思い入れるのはいいとして、ガラっと作風が変わってグロテスクな自殺の描写がされたらそこで醒めてしまうのではないか。今一つ納得できない。もうちょっと突っ込んでほしかった。 中学教師が漫画家に向かって「甘えるな!」と啖呵を切るところはすっとした。

2016年12月9日金曜日

1208 燐光群「天使も噓をつく」

ママたちによるメガソーラー反対運動が、実は自衛隊の誘致だったと分かり、基地反対運動へと変貌していく。実際の、沖縄の宮古島や石垣島で起きている運動をモチーフにした作品で、基地反対運動や自衛隊の活動範囲拡大への懸念などがダイレクトに取り入れられている。ワンマンで野党の質問をのらりくらりとかわす市長が安倍総理と重なる。すごく現代を象徴した作品だなと思う半面、主義主張がそのままの形で盛り込まれているので、芝居として昇華されていないようにも感じた。離島の防衛を強化することが、逆に中国を刺激することになるのでは。国境警備なら海上保安庁で十分。なぜ勝手に安保関連法を決めてしまうのか。などなど、今の政権への苛立ちはよくわかるが、ではどうするのか。「戦争で死者がでるくらいなら、占領されたほうがまし」みたいなセリフがあったが、それでいいのか。占領されて今のような人権が守られる保証などないのではとモヤモヤした。 ドキュメンタリー映画監督役に竹下景子。思っていたよりも普通のたたずまい。役者たちは専門用語満載の膨大なセリフをよくこなしていた。

2016年12月7日水曜日

1204 国立劇場開場50周年記念 通し狂言「仮名手本忠臣蔵」第二部

七段目 「祇園一力茶屋の段」 九太夫の三輪、伴内の靖、一力亭主の始の3人の太夫だけが床にいて、三味線なしの素語り。下座から細棹の音。仲居の声は舞台上手の袖から。店の奥からの呼びかけはそのままでいいが、仲居の人形が店先に出てからも遠くから聞こえるのはいかがなものか。 盆が回って、由良之助の咲と清介。持って回った口振りは由良之助のキャラには合っている。床下で聞いているのに声のチカラが弱いよう。喉をゴロゴロいわすのも気になった。酔態の表現? 平右衛門の咲甫は下手袖で「待った、待った~!」の呼び止めから颯爽と登場。口跡がいいのはもちろん、裃は□に平の紋に、人形と同じ△の柄がお揃いで、よく目立つおいしい役どころ。人形と並んでいるので、そのまま自ら演技してしまいそう。人形を観ているつもりがいつの間にか太夫ばかり見てしまった。 後半は盆が回って由良之助が英・清治に交代。公演期間の前後半だと思っていたのでちょっとびっくり。清治が聴けるのは嬉しいが、英の語りは咲よりの軽いので由良之助の人物が変わってしまうのはいただけない。 お軽の呂勢は期待通り。特に、平右衛門とのやりとりで、父と夫勘平の死を知ってからのクドキが秀逸。簑助の人形もまた、艶かしいことといったら!2階から降りるところではハラハラさせられたが、ほかは危なげもなく。ここの咲甫は床で呂勢の隣に。 八段目 「道行旅路の嫁入」 五枚五梃の華やかな演奏。が、津駒に小浪はちょっと似合わないのでは。可憐さに欠ける気がする。戸無瀬の芳穂はよく合っていた。 和生の戸名瀬がしっとりとした風情。小浪は勘弥が初々しく。 九段目 「雪転しの段」 松香・喜一郎。 「山科閑居の段」 千歳の語りが素晴らしかった。語り出しの第一声からぐっと引き込まれて、そのままのテンションで最後まで掴まれたままだった。お石の本心を隠した様子、戸名瀬の武家の奥方らしく抑えながらも小浪かわいさの必死の訴えが胸を打つ。最近耳についた変な癖も封印されていて、文句なしに今公演で一番のでき。感心して千歳の顔に見とれていたら、それを見ていた富介の視線に気づいてばつが悪かった。 なので、後半の文字久・藤蔵がねえ…。決して悪くないどころか、当人比ではかなりよかったはずなのに、千歳・富介との落差がつくづく残念。本蔵が中心になってくるので、武張って語るのは正しいのだろうけど、急に場面まで変わってしまったようだった。 十段目 「天河屋の段」 睦・清友。25分ほどだろうか、思っていたよりも長く、聞き応えがある。睦は前半よりは断然よく、「天河屋義平は男でござる」も聞かせた。倅の声が掠れるのが残念。 人形は、天河屋義平(玉志)が箱の上にどっかと座るところで左遣いが邪魔になってもたついていた。改善を期待したい。 十一段目 「花水橋引揚の段」 芳穂、希、文字栄に団吾。 10分ほどの短い場面だか、これがあると口直しというか、気分良く帰れる。

1203 国立劇場開場50周年記念 通し狂言「仮名手本忠臣蔵」第一部

大序 「鶴が岡兜改めの段」 御簾内で小住→咲寿→亘の順か?三味線は清允、燕二郎、錦吾、清公だが順番は不明。 小住の声が枯れて辛そう。 「恋歌の段」 始の師直、南都の顔世、希の若狭之助に龍爾。 始は声が立派で大きさがある。希はきりっとして若侍らしい。 二段目 「桃井館本蔵松切の段」 睦・錦糸。 三味線は危なげなく的確だが、睦の若狭はキレが悪い感じがした。相性悪いのか。 三段目 「下馬先進物の段」 希・清公。語り分けがくっきりと聞きやすい。 この場に出てくる伴内から出遣い。賄賂を渡すところで三味線が調子はずれなのはそういうものなのか。 「腰元おかる文使いの段」 三輪・喜一郎。 この場の判官は水色?の裃。こっちの色のほうがイメージにあう気がする。 「殿中刃傷の段」 津駒・寛治。 師直が憎らしいのだが、なんだかコミカルな風味があってかわいさも。ちょっと声が小さく感じた。 幸助の若狭之助は人形よりも先に主遣いが目線をつけすぎ。和生の判官が緊張感があっていい。 「裏門の段」 芳穂・清馗。よく通る声。伴内が軽快でおかしみがあり、勘平、おかるの語り分けもくっきり。 四段目 「花籠の段」 呂勢・宗助。 人形が板付きで幕開き。呂勢の九太夫が憎らしいのだが、いじわるを楽しんでいるよう。 「塩谷判官切腹の段」 咲・燕三。 素塗の見台が静謐な雰囲気。咲はちょっと持ってまわった語り振りで、由良之助の「ハッ」が吐きそう。 和生の判官がやはりいい。 検死役が要を外した扇を背中に乗せるのはどういう意味? 「城明渡しの段」 亘・錦吾。 五段目 「山崎街道出会いの段」 小住・寛太郎。高音が苦しそうだが、堂々とした語りぶり。 「二つ玉の段」 靖・清丈。胡弓に燕二郎。靖が定九郎の非道ぶりを活写。 人形は簑紫郎の定九郎がきっぱりしていていい。が、やはりこの人は黒羽二重ではないほうがいいように思う。 六段目 「身売りの段」 咲甫・清志郎。咲甫は上手いのだが、作りこみすぎているようにも。 「早野寛平腹切の段」 英・団七。熱演なのだが、声の力強さが足りず、感動が薄いのが残念。与市兵衛女房の哀れさはよく出ていた。 勘平は清十郎。珍しい立役だが、スマートな感じ。与市兵衛女房の紋壽が休演で勘壽が代役。

2016年12月2日金曜日

1202 虚空旅団「誰故草」

戦争と放射能汚染で郊外での共同生活を強いられた女たち。取り立てて大きな事件が起こるわけでもなく、会話だけで進むのだが、90分を飽きさせない。 東日本大震災と福島の原発事故を感じさせる設定で、今の不安を感じさせるが、いたずらに不安をあおるのではなく、現状に根を下ろして生きていこうとする。

1201 吉例顔見世興行

南座が閉鎖中で先斗町歌舞練場での上演。こじんまりとした劇場は古い小劇場にも似て舞台と客席が近くてお得感がある。ただ、第1部は花街の総見があって華やかだったが、一般の客席は普段着の人が多く、いつもの顔見世のような華やいだ雰囲気はなかったような。 第一部 「実盛物語」  愛之助の実盛は仁左衛門に習ったせいか、セリフ回しが仁左衛門っぽい。が、まだ板についていない感じもする。子役が上手かったので、こちらのほうが印象的だった。  亀鶴の瀬尾は年齢に合わない老け役で、最初誰だか分らなかったほど。葵御前の吉弥は品格があって美しく、九郎助の松之助もよく似合っていた。小万の友右衛門がごつくてちょっとしんどかった。 「道行旅路の嫁入」  襲名の雀右衛門の小浪と藤十郎の戸無瀬、奴可内で鴈治郎がつきあう顔合わせ。藤十郎と並ぶ雀右衛門の可憐なこと。芝居の終わりに襲名披露の口上があり、藤十郎が披露。 第二部 「車引」  鴈治郎の梅王丸に孝太郎の桜丸、愛之助が松王丸という配役。松王の衣装が外衣が卵色で、中が水色だったり、今まで見た車引とはいろいろと違うところが。 「吉田屋」  仁左衛門の伊左衛門は鉄板だと思っていたのに、期待値が高すぎたせいか精彩を欠いたような。匂うような色香が薄く、陶酔できなかった。夕霧の雀右衛門は美しかったのに。  喜左衛門の彌十郎、おきさの秀太郎は期待通り。  勘当が解けて夕霧の身請けが決まるラストで襲名の口上が。仁左衛門の披露に続き、秀太郎、彌十郎も一言。 「三升曲輪傘売」  石川五右衛門が花街で傘売りをしているという設定の舞踊で、15分ほどの短い出し物。海老蔵がいろいろなところから傘を出して広げるのが手品のようで目に面白い。期待していなかったのに存外楽しめた。 第三部 「引窓」  厳しい条件下で開催された今回の顔見世で一番見応えのある芝居だった。  十次兵衛の仁左衛門が格好いい。が、この芝居の主役は濡髪かも。彌十郎の大柄な体格が相撲取りによく似合う。吉弥は母お幸で、第一部とはまったく異なる老女形も上手い。 「京鹿子娘道成寺」  舞台装置にはいろいろ不自由があったろうに、雀右衛門が奮闘した一幕。最後、海老蔵が大館左馬五郎で登場して花を添えた。

1129 宝塚宙組「双頭の鷲」

轟悠と美咲凛音の共演で、実力のある2人が荘厳な雰囲気を醸し出し重厚な芝居だった。王妃がスタニスラスに惹かれるのがやや性急だったように感じたが、見応えたっぷり。轟は美形だし、歌も芝居もうまいのだが、心奪われないのはなぜだろう?ヴァルレンスタイン公爵の桜木みなとがキリっとしたいい風情。フェーン伯爵の愛月ひかるは長身で威厳があり、出番がもっとあってもよさそう。ストーリーテラーの和希そらはセリフのないときも舞台の端に出たままで、観客いじりもよくこなしていた。 6人の登場人物の芝居をミュージカルにするために、傍観者というか、パパラッチというかの群舞が合間合間に挟まる。不自然ではないけれど、ストレートプレイでじっくり見たかった。