現代美術家とのコラボ企画が恒例になっているが、どんな効果を期待しているのだろうか。会場アンケートでは観客の大半は文楽を観たことがあるる人で、新規の開拓にはなっていないし、プロジェクションマッピングも、舞台効果を高めるよりは文楽の良さを殺している気がする。特に今年の谷原菜摘子は絵柄のクセが強く、色彩のコントラストが強いので、人形より背景が目立ち、人形にかかる影が濃くなってマイナスである。自身の描いたものがアニメーションになって動くのは面白かろうが、背景としての役割は考えていたのだろうか。
文楽で春夏秋冬を描くというプログラムは悪くない。夏から始まる不規則も華やかな春で終わるためなら許容範囲。
夏の「夏祭浪花鑑」は浪曲に置き換え真山隼人・沢村さくらコンビ。時間の都合か終始早口で、団七にも義平次にも重みがないのは惜しい。アニメーションの絵柄がどぎついので、別の物語を見ているようだった。
秋の「関寺小町」は藤・燕三、燕二郎。音が遠くに聞こえ、せっかくの演奏が今ひとつ。人形は玉佳。時折人形がスクリーンにアップで映し出されるのは不思議な感じだ。
冬「伊達娘恋緋鹿子」は織、織栄に清丈、友之助、燕二郎。いつもの歌い上げる感じ。人形は紋秀。上半身が硬く、前日の簑悠の方がよかったかも。火の見櫓に雪が降るのはいいとして、火花が飛ぶのは疑問。史実のお七と違って火はつけていないのでは。
最後は春の「義経千本桜」の道行。床は藤、織、織栄に燕三、清丈、友之助。三味線はとてもいい。人形は玉男の忠信に一輔の静。この組み合わせはあまりないと思うが、よく似合う。玉男は狐の扱いはややぎこちなかったが、忠信の踊りは柔らか。一輔の所作が美しいのは言わずもがな。惜しむらくは、白地に桜?の素敵な裃を着ていたのに映像の影が写ってよく見えなかった。
トークで藤が、中央公会堂の思い出として、日経の文楽の夕べで住太夫に下腹を殴られ「ここから声を出せ」と叱られたと。丹田から声を出せということらしい。火の見櫓の段の説明で、お七が彼氏に会うために…とか、軽い。現代美術家の谷原菜摘子は着物で登場。衣装をつけたモデルの写真から絵に起こすと言っていたが、どの絵も自身によく似ていると思った。
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