2020年8月24日月曜日

8月23日 第六回あべの歌舞伎 晴の会「浮世咄一世仇討」

落語「宿屋仇」が原作の、第1回の晴の会で上演した「」を再演。

中核の3人に先立ち、オープニングでは他のメンバーも、古典歌舞伎の人物になって舞台上を行き交う。當吉郎の梅川(!)、りき弥のお染、當史弥のおえん、佑次郎の八右衛門、翫政の忠兵衛、千太郎の久松という配役。彼らは本編では黒衣となって色々とお手伝いするのだが、顔をしたまま(ファンサービスのためか、頭巾はかぶらずフェイスシールドだったのでよく見えた)なのが違和感。

本編は、屏風をパタパタさせて部屋の移動を表す演出がよくできている。
無骨な侍、万事世話九郎役の松十郎、調子のいい女中いさき役の千寿、陽気な源兵衛役の千次郎と、ニンにあったキャラクターが板についている。千寿は回想シーンで色気のある武家の女房にがらりと変わり、演じ分けも鮮やか。

大向こうは舞台に一番近い客席の最後列にビニールシートに囲われて、千次郎が客席に宿屋の場所を尋ねるところで、笠で口を覆うなど、コロナ対策らしき配慮も見られた。

8月22日 文楽素浄瑠璃の会

「日吉丸稚桜 駒木山城中の段」
錣の相手は大抜擢の寛太郎。
はじめはおとなしめというか丁寧に弾いている感じだったが、中盤の五郎助がお政の首を落とすところでの雄叫びのような掛け声で目が覚める。大落としから、三味線の派手な手が入るところは、力のこもった熱演。錣との息も、はじめはしっくりこない感じだったが、だんだん丁々発止な緊張感が心地よい。
ただ、何というか、どんでん返しに次ぐどんでん返しで、義太夫らしいといえばそうなのだが、あまりな展開。力技で持っていかれた感があり、途中から何だか分からないけどすごい、という気分だった。

「生写朝顔話 宿屋の段」
咲は肩衣越しでも分かるほど痩せたのが見て取れ、幕開きに下げていた頭を直すときに見台についた手で支えるような仕草に不安を覚えたが、語り出すといつもの調子。とはいえ、詞が多く、節などの聴かせどころが少ない場面なので、朗読劇を聴いているよう。
燕三の三味線に燕次郎の琴が合わわさり、息のあった師弟共演が心地よい。

「恋女房染分手綱 重の井子別れの段」
千歳・清介は三谷文楽と同じ顔合わせだが、文楽劇場では珍しいのでは。
ここへ来てようやく義太夫節らしい語りを聴いた気分。ちっともおかしくない話なのに、何故か三吉の詞で笑いが起こる。それも度々。千歳の語りに不足はなく、話を解ってないのかいな。
終演時、清介の顔に満足げな笑み。

2020年8月17日月曜日

8月17日 第一回千五郎の会

当代の十四世千五郎になってから初めての東京での会。3月の予定がコロナ禍で5月に延期され、さらに8月に。加えて、客席の収容人数を制限するため1日2回公演という異例の開催。当初予定していた大蔵家の参加がなくなり、演目が「三本柱」から「末広かり」に変更になり、千五郎は大曲の「釣狐」を1日に2回演じるという挑戦になった。1日2回目の17時の会を所見。
開演5分前に千五郎から挨拶。当初は父、五世千作と出演予定だったが、亡くなったため取りやめも考えたが、供養にもなると開催を決意したこと。コロナ禍で2度の延期を経てようやく開催にこぎつけたことなどを語る。客席には1席置きに千作の写真を使ったチラシ?が貼ってあり「舞台から見ると父がたくさん」と。笑顔の千作に吹き出しで「このお席は使えまへん」「なんや、そうしゃるなたんすちゅうやつですわ!」とありほっこりした。
「末広かり」 千五郎の果報者に逸平の太郎冠者、島田洋海のすっぱ。 挨拶の後、5分ほどで着替えて登場した千五郎。2度の釣狐に加えて、末広かりまでとは、意気込みが感じられる。が、声大きい。大きいのは悪くないのだが、なんか耳に障るのだよ。スピーカーの音量を上げ過ぎて音割れしているような感じとでもいうか…。改めて気が付いたのだが、千五郎の狂言は何でかあまり笑えないし楽しくない。怒っているみたいだからか、などとつらつら考えた。
「狐塚」 茂の太郎冠者に宗彦の次郎冠者、七五三の主人。 打って変わって、ほのぼのと楽しい。鳴子で鳥を追い払うところや、主人を狐と疑ってしっぽがないか確かめるところが微笑ましく。七五三の主人も大らかでいい。
「釣狐」 千五郎の老狐、千之丞の猟師。
老狐の登場時から足首のあたりから狐の着ぐるみが見えていたり、動いた拍子に袖から狐の毛皮がのぞいたりしていたのは、演出だろうか。ずいぶんはっきり見えていたが。伯蔵主に化けたものの人に近づくことの恐ろしさで震える様子など、狐の心理描写が分かりやすかった。節回しも自然で、さすが当主の貫禄。面越しでもはっきりセリフが聞き取れるのはありがたい。中入りで引っ込むところで、橋がかりに差し掛かったところで着物の裾をまくり上げ、しっぽを見せる。
千之丞の猟師ははじめから疑っている様子が明白で、何か企んでいそうな感じ。老狐との緊迫感のあるやり取りに見ごたえがあった。

2020年8月16日日曜日

8月15日 三谷文楽「其礼成心中」

久しぶりの三谷文楽。内容は知っているのであまり笑えはしなかったのだが、生の義太夫節はいいなあと。(たとえマイクを使っていたとしても…)となりの女性は初見だったらしく、終始笑ってうらやましかった。

冒頭の三谷君人形はマスク姿。人形がしゃべらず、マスク(頭巾)をしている文楽はコロナ向きと言っていたが、「太夫は高いところにいるので飛沫は飛びません」は間違い。高い分、より遠くまで飛沫は飛ぶでしょう。後方にいるので客席までは届かない、というならあながち間違いではないのだろうが、人形遣いは浴びまくっているわけで…。三味線は皆グレーのウレタン製らしきマスクを装着していたが、呼吸でペコペコするのが見えて息が辛そう(特に清志郎)。三味線も息を詰めたりするからね。能楽や歌舞伎座で使っていたようなマスクのほうが楽そうだ。

病から復帰した呂勢は少しやせたのか顔の精悍さが増したよう。1場の語りは急いでいるのか間を詰めている感じで、笑いどころで笑わせていないのが惜しい。続く千歳は熱量の高い語りで、客を乗せていく。お福役で加わった靖は落ち着いた様子。呂勢も2回目の登場や、終場の千歳との掛け合いでは充実の語りで満足。半兵衛の千歳とおかつの呂勢がユニゾンで語るところは、音程さがあるのでハーモニーのようで心地よかった。(過去のパンフレットを見たら、おかつ・千歳、半兵衛・呂勢と書いてある!今回入れ替えた?)「曽根崎心中」や「心中天網島」など古典からの引用も多く、よく聞くフシが多用されていて、義太夫節として楽しめると改めて思った。

人形は、半兵衛・一輔、おかつ・玉佳、お福・紋秀ら主要キャストは前回と同じ。六助の玉勢が大近松を兼務、小春の玉翔はちょっと意外。玉佳は八右衛門もやってた。若手もそれぞれ昇格したようで、三谷君人形は簑悠が遣っていたよう。

2020年8月14日金曜日

8月11日 文菊のへや 第七夜

「死神」というので期待していたのだが、期待値が高すぎたのか物足りなかった。死神の造形が淡々としていたのは狙いなのかもしれないが、癖のあるキャラとして演じる噺家に慣れているので、凡庸に見えた。ラストの、蝋燭の火を移すところの主人公の描写はさすが。火を移すのには成功するが、死神に吹き消されるというオチはオリジナルか。

8月11日 宝塚宙組「FLYING SAPA」ライブ中継

場内はほぼ女性客。開演5分前くらいから劇場の様子がスクリーンに映し出されたが、スクリーンの向こうの客席よりも映画館の客性がシーンと静まり返っていて怖かった。

人類の争いにより滅んだ地球から逃れた人々が水星に移住しているという近未来的SF。人々は左腕に装着した“へその緒”によって見えない膜に覆われて外気から守られ、酸素や栄養の供給を受かる代わりに、思想を管理される。不穏な考えを持つものは直ちに拘束されて矯正措置を施され、平和が保たれている。緻密な設定により構築された世界観の裏に、多様性がなくなり同質化した社会は果たして幸せなのかという哲学的な問題意識が描かれていて、上田久美子らしい見応えのある物語。小説か漫画で読みたいと思った。

歌は劇中歌のようなものが少しあるだけ、宇宙や近未来感がコンテンポラリー風のダンスで表現させるほかは、ストレートプレイのよう。衣装や装置もキラキラ感は皆無で、薄暗く、およそ宝塚らしくはない。上演時間短縮のためか、最後のパレードもなかったし。 主人公オバク(サーシャ)の真風涼帆はシリアスながら勿体をつけたようなセリフ回しが、宝塚くさい。前半は目が半開きのような様子。記憶をなくした苛立ちや無気力の表現で、後半との変化をつけるためなのだろうが、つい睡魔に襲われてしまった。タルコフ役の寿つかさがほぼ出ずっぱりで、安定感のある演技。(露出が多いので、もしかして退団?と思ってしまった) カーテンコールで千秋楽の挨拶があり、感極まって涙ぐむ真風。同時期に公演していた花組や星組は休演したことを思うと、全日程をやりとげられて本当によかった。

2020年8月9日日曜日

8月7日 能楽公演2020~新型コロナウイルス終息祈願~10日目

舞囃子「乱」 片山九郎右衛門は充実した謡と舞。爪先立ったまま横移動しつつ、姿勢を低くする動きが何度も繰り返されるのだが、一見簡単そうに見えて高い身体能力が要求されるだろうと感嘆した。 仕舞「鶴亀」は高橋章。 狂言「棒縛」 シテは大蔵基誠の次郎冠者、善竹大二郎の太郎冠者、アドは善竹十郎。基誠の狂言は笑いの要素が多くて楽しい。最後は坊に縛られた次郎冠者が主人に反撃し、橋掛かりを追いかける。 「道成寺」 シテは宝生和英。ワキは福王和幸、ワキツレは福王知登、村瀬堤。和英のシテは小柄なせいかリスのような可憐さ、ワキと対峙するといたいけな感じで、恐ろしさの裏に隠れた清姫の哀れさが際立つ。乱拍子では、爪先を上げた足を内転する動きがなかったように見えたが、宝生流の型なのか。鐘入りは鐘の縁を手で確かめてから飛び上がるので、おとなしめな印象。 ワキ正面で見たせいか、蛇体になったシテが橋掛かりに追い詰められた後、反撃して舞台に戻る場面の迫力を感じた。後ろ足なのに滑るような速さで、ワキツレとぶつかるのではというスリルもあり。後シテもやはり、恐ろしさとともに、哀れさが感じられた。 鐘を釣る綱は鐘と同系色(深紫?)金剛流よりも細いようで、きしむ音なども少ない。舞台に鐘を釣るときに、綱がなかなか天井の滑車を通らず、3回くらいやり直しをしていてハラハラした。

2020年8月7日金曜日

0806 神田伯山独演会~講談と浮世絵の世界Ⅱ~

現代の浮世絵師、石川真澄とのトークから。初代神田伯山を描いた浮世絵や、北斎の怪談画など、なかなか興味深い。 一席目は短く「鼓ケ滝」。講談バージョンは初めてだが、次々にダメだしされる西行が俗っぽいというか、普通の青年のよう。そして子どもが可愛くない。 二席目は「小幡小平次」。トークでも少し触れていたが、浮世絵に書かれた場面は講談ではないそうな。客席の照明を落とし、音響も使って雰囲気を盛り上げる。殺しの場面の陰惨さは、自身も得意というだけに、ゾッとする迫力。太九郎をそそのかすおちかは凄みがあるが、女としての魅力はどうかなあ。小南陵の悪女のほうが好みなのは、女の狡さというか、弱さが垣間見えるからかもしれない。おかちの元の旦那が初代団十郎を舞台上で刺し殺した犯人で、そのおかちと所帯を持った小平次が仕事を干されて…という設定はなくてもいいように思った。

2020年8月5日水曜日

8月4日 能楽公演2020~新型コロナウイルス終息祈願~7日目

舞囃子「葛城」を本田光洋。大和舞とあった。

「川上」は野村萬のシテに能村晶人のアド。あまり笑える演目ではないが、萬の演じる盲目の男の淡々とした様子がしみる。せっかく目が明いたのに、妻を離縁しないといけないという皮肉。落語の「心眼」といい、盲目の人を扱う演目はなぜにこうやるせないのか。

「安宅」 勧進帳と滝流之伝の小書付き。 シテを観世銕之丞。堂々とした体躯、顔立ちなのだが、弁慶に似合わない気がしたのはなぜだろう。 ツレ5人というのは人数を絞ったのか。少し舞台が空いて見えた。子方は谷本康介。能の子方は元気いっぱいという発声で、あまり心に響かないのだが…。 押し戻しで、銕之丞はツレを押しとどめるというより、力を合わせて押されてしまったように見えた。 ワキは福王茂十郎。ちょっと調子が悪そうに見えた。 アドは山本則重と則秀。

2020年8月1日土曜日

8月1日 八月花形歌舞伎 第一部

5か月ぶりの歌舞伎座での公演。トップバッターは愛之助と壱太郎の「連獅子」。

幕が上がる前にアナウンスが入り、満場の拍手。(「宝塚か!」と心中で突っ込んだ)内容は来場への感謝に加え、感染予防対策の説明や協力の呼びかけなど。

緞帳が上がり、愛之助、壱太郎の登場で、再び満場の拍手。大向こうがかからないのはちょっと寂しいが、拍手はいつもより長かったような。
愛之助の連獅子は何度も見ているが、今日は動きが滑らかで、堂々とした落ち着いた様子に親らしい情愛が感じられた。谷底に蹴落とした仔獅子を探すようにあたりをうかがうところなど、心情描写が丁寧だった。壱太郎の踊りは愛之助に比べると少し拙く見えたが、若さ溢れる初々しい風情があった。

宗論は橋之助と歌之助。歌之助はのびのびとした踊りで、踊ることが好きそう。掛け合いはの間合いはまだ手慣れない感じで、あまり笑えなかった。

獅子の精になって毛振りはやや短めか。

長唄やお囃子、後見はすべて黒い布を垂らすマスクを装着。笛までもマスクの下に構えて吹いていたが、やりにくくないのだろうか。

久しぶりの歌舞伎公演だが、客席は思ったよりはおとなしめ。会話を控えるよういわれていることもあるのかな。2階の一等席の後方には空席も目立った。