柴山沙穂・福岡雄大ペア。
柴山のオーロラは出てきた時から王族の気品があり、プリンシパルとしての風格が感じられる。ローズアダージョはじめ、テクニックも申し分なし。福岡は王子というより王のような威厳。サポートの安定感、ジャンプの大きさ。リラの精に米沢唯。慈愛に溢れ、物語を包み込むよう。カラボスはキッパリと悪役らしい。
親指トムが大きなジャンプ。直塚はカラボスの時より朗らかなフロリナのほうが好き。確かなテクニックで余裕があり優雅。ブルーバードの森本亮介はしなやかさは前日の山田悠貴に劣るがジャンプが高く、対空時間が長い。ゴールドの中島瑞稀はなんか艶かしい。
2024年10月27日日曜日
2024年10月26日土曜日
10月26日 新国立劇場バレエ団「眠れる森の美女」
冒頭、吉田都舞踊監督が沈痛な面持ち登壇し、小野絢子が体調不良で降板し、池田理沙子が心を込めて踊るとアナウンス。事前にメールで案内があったうえ、入り口でもビラを配っていたので、さらに何か?と不安になった。
池田と奥村康祐のペアは何度も組んでいる安心感がある。フィッシュダイブなど軽々として滑らか。池田は技術がしっかりしているし、ローズアダージョも難なくこなしたが、もう少し王女の高貴さが欲しい。奥村とのパドドゥは多幸感溢れる。
奥村の王子は思慮深い感じ。イーリング版は王子の出番が多く、2幕で悩める風情で登場し、オーロラの幻を見せられて恋に落ち、喜びを見出すなど、心情変化が描かれるのもいい。踊りの見せ場も多く、奥村は調子がよさそうで、キレのいいジャンプや回転を見せてくれた。
幻のオーロラはパドドゥでも王子と目を合わさず、目が覚めてからはアイコンタクトをしっかり。王子も嬉しそうでよき。
リラの精の内田美聡は長い手足が映えて威厳があるのはいいが、動くと手足の長さをコントロールしきれてないみたいに見えた。 カラボスの直塚美穂は迫力あり。
ディベルテスマンはゴールドの小川尚宏のノーブルな踊りに目が行った。ブルーバードの山田悠貴はブリゼ・ボレの足捌きが滑らか。親指トムの石山蓮がワイルドな跳躍で魅せた。
奥村の王子は思慮深い感じ。イーリング版は王子の出番が多く、2幕で悩める風情で登場し、オーロラの幻を見せられて恋に落ち、喜びを見出すなど、心情変化が描かれるのもいい。踊りの見せ場も多く、奥村は調子がよさそうで、キレのいいジャンプや回転を見せてくれた。
幻のオーロラはパドドゥでも王子と目を合わさず、目が覚めてからはアイコンタクトをしっかり。王子も嬉しそうでよき。
リラの精の内田美聡は長い手足が映えて威厳があるのはいいが、動くと手足の長さをコントロールしきれてないみたいに見えた。 カラボスの直塚美穂は迫力あり。
ディベルテスマンはゴールドの小川尚宏のノーブルな踊りに目が行った。ブルーバードの山田悠貴はブリゼ・ボレの足捌きが滑らか。親指トムの石山蓮がワイルドな跳躍で魅せた。
2024年10月25日金曜日
10月25日 中之島文楽
現代美術家とのコラボ企画が恒例になっているが、どんな効果を期待しているのだろうか。会場アンケートでは観客の大半は文楽を観たことがあるる人で、新規の開拓にはなっていないし、プロジェクションマッピングも、舞台効果を高めるよりは文楽の良さを殺している気がする。特に今年の谷原菜摘子は絵柄のクセが強く、色彩のコントラストが強いので、人形より背景が目立ち、人形にかかる影が濃くなってマイナスである。自身の描いたものがアニメーションになって動くのは面白かろうが、背景としての役割は考えていたのだろうか。
文楽で春夏秋冬を描くというプログラムは悪くない。夏から始まる不規則も華やかな春で終わるためなら許容範囲。
夏の「夏祭浪花鑑」は浪曲に置き換え真山隼人・沢村さくらコンビ。時間の都合か終始早口で、団七にも義平次にも重みがないのは惜しい。アニメーションの絵柄がどぎついので、別の物語を見ているようだった。
秋の「関寺小町」は藤・燕三、燕二郎。音が遠くに聞こえ、せっかくの演奏が今ひとつ。人形は玉佳。時折人形がスクリーンにアップで映し出されるのは不思議な感じだ。
冬「伊達娘恋緋鹿子」は織、織栄に清丈、友之助、燕二郎。いつもの歌い上げる感じ。人形は紋秀。上半身が硬く、前日の簑悠の方がよかったかも。火の見櫓に雪が降るのはいいとして、火花が飛ぶのは疑問。史実のお七と違って火はつけていないのでは。
最後は春の「義経千本桜」の道行。床は藤、織、織栄に燕三、清丈、友之助。三味線はとてもいい。人形は玉男の忠信に一輔の静。この組み合わせはあまりないと思うが、よく似合う。玉男は狐の扱いはややぎこちなかったが、忠信の踊りは柔らか。一輔の所作が美しいのは言わずもがな。惜しむらくは、白地に桜?の素敵な裃を着ていたのに映像の影が写ってよく見えなかった。
トークで藤が、中央公会堂の思い出として、日経の文楽の夕べで住太夫に下腹を殴られ「ここから声を出せ」と叱られたと。丹田から声を出せということらしい。火の見櫓の段の説明で、お七が彼氏に会うために…とか、軽い。現代美術家の谷原菜摘子は着物で登場。衣装をつけたモデルの写真から絵に起こすと言っていたが、どの絵も自身によく似ていると思った。
文楽で春夏秋冬を描くというプログラムは悪くない。夏から始まる不規則も華やかな春で終わるためなら許容範囲。
夏の「夏祭浪花鑑」は浪曲に置き換え真山隼人・沢村さくらコンビ。時間の都合か終始早口で、団七にも義平次にも重みがないのは惜しい。アニメーションの絵柄がどぎついので、別の物語を見ているようだった。
秋の「関寺小町」は藤・燕三、燕二郎。音が遠くに聞こえ、せっかくの演奏が今ひとつ。人形は玉佳。時折人形がスクリーンにアップで映し出されるのは不思議な感じだ。
冬「伊達娘恋緋鹿子」は織、織栄に清丈、友之助、燕二郎。いつもの歌い上げる感じ。人形は紋秀。上半身が硬く、前日の簑悠の方がよかったかも。火の見櫓に雪が降るのはいいとして、火花が飛ぶのは疑問。史実のお七と違って火はつけていないのでは。
最後は春の「義経千本桜」の道行。床は藤、織、織栄に燕三、清丈、友之助。三味線はとてもいい。人形は玉男の忠信に一輔の静。この組み合わせはあまりないと思うが、よく似合う。玉男は狐の扱いはややぎこちなかったが、忠信の踊りは柔らか。一輔の所作が美しいのは言わずもがな。惜しむらくは、白地に桜?の素敵な裃を着ていたのに映像の影が写ってよく見えなかった。
トークで藤が、中央公会堂の思い出として、日経の文楽の夕べで住太夫に下腹を殴られ「ここから声を出せ」と叱られたと。丹田から声を出せということらしい。火の見櫓の段の説明で、お七が彼氏に会うために…とか、軽い。現代美術家の谷原菜摘子は着物で登場。衣装をつけたモデルの写真から絵に起こすと言っていたが、どの絵も自身によく似ていると思った。
2024年10月24日木曜日
10月24日 ワカテ de ワカル フェニーチェ文楽「火群」
午後の部を観劇。
「伊達娘恋緋鹿子」
靖、薫に寛太郎、清方、燕二郎。
安定感のある床。
人形は簑悠が主遣い。首の動きが雄弁で、体全体を使ってよく動いていた。髪を振り捌いてからの動き、三味線との拍子の合わせ方が他の人と違ったのは何か意図があるのか。
火の見櫓の大道具を横から、中の構造が見えるように壁を取り払って解説。前からも後ろからも登れる階段があり、梯子を登るところは上から左、主、足が並んで違うのだそう。裏からも3人で遣っているとはとは知らなかった。
トークは燕二郎、碩、勘次郎、玉延、簑悠。
金殿の段はお三輪感情が大きく変わるので、弾き分け、語り分けが難しいのだそう。燕二郎は師匠から筒いっぱいにと常々言われているそう。碩は女を語るのだけれど語り手が女になってはいけないと。お三輪の感情を出しすぎると可愛くなくなり、加減を試行錯誤。官女は意地悪だけれど高貴な人なので、やりすぎて食堂のおばちゃんみたいになってはダメ。勘次郎は初役のお三輪。巡業中も師匠や簑紫郎に稽古してもらったそう。左や足は何度も遣ったが、主遣いの出や合図が遅れると全体が崩れてしまう。左の簑紫郎や足の勘昇に助けられた。 太夫によって少し解釈が違うので、碩と燕二郎の録音をもらって練習したとか。勘十郎は「太夫の語りの中で役をより膨らませるのが人形遣いの仕事」(大意)と。
「伊達娘恋緋鹿子」
靖、薫に寛太郎、清方、燕二郎。
安定感のある床。
人形は簑悠が主遣い。首の動きが雄弁で、体全体を使ってよく動いていた。髪を振り捌いてからの動き、三味線との拍子の合わせ方が他の人と違ったのは何か意図があるのか。
火の見櫓の大道具を横から、中の構造が見えるように壁を取り払って解説。前からも後ろからも登れる階段があり、梯子を登るところは上から左、主、足が並んで違うのだそう。裏からも3人で遣っているとはとは知らなかった。
トークは燕二郎、碩、勘次郎、玉延、簑悠。
金殿の段はお三輪感情が大きく変わるので、弾き分け、語り分けが難しいのだそう。燕二郎は師匠から筒いっぱいにと常々言われているそう。碩は女を語るのだけれど語り手が女になってはいけないと。お三輪の感情を出しすぎると可愛くなくなり、加減を試行錯誤。官女は意地悪だけれど高貴な人なので、やりすぎて食堂のおばちゃんみたいになってはダメ。勘次郎は初役のお三輪。巡業中も師匠や簑紫郎に稽古してもらったそう。左や足は何度も遣ったが、主遣いの出や合図が遅れると全体が崩れてしまう。左の簑紫郎や足の勘昇に助けられた。 太夫によって少し解釈が違うので、碩と燕二郎の録音をもらって練習したとか。勘十郎は「太夫の語りの中で役をより膨らませるのが人形遣いの仕事」(大意)と。
「妹背山女庭訓」金殿の段
床は碩・燕二郎。
碩は貫禄を感じさせる語り出しで筒一杯の熱演が頼もしい。疑着の相になったところは迫力があり過ぎて、般若というか、人ならぬものに変じてしまったように感じた。燕二郎も力強く熱演。前半は掛け声に力が籠るあまり太夫よりも前に出ているようだった。
人形は勘次郎のお三輪。動きが少し小さくまとまっていたかも。
2024年10月23日水曜日
10月23日 伝統芸能新喜劇
吉本新喜劇と伝統芸能のコラボで、文楽から芳穂、友之助、玉翔、玉路、簑之、講談の玉秀斎が出演。内場勝則と未知やすえ夫婦が経営するたこ焼き屋台は近くにショッピングモールができた影響で客が減っている。盛り上げようと知り合いの伝統芸能とのコラボを企画。文楽人形を操って接客をしたらSNSで話題になって…という筋立て。吉本のベタなギャグは笑えなかったけれど、芸人が文楽人形を操ってみる流れを芝居の中に組み込んだのはいい工夫。三味線で吉本新喜劇のテーマ曲を弾いたり、義太夫節で自己紹介したりと伝統芸能側が笑いを盛り込んでなかなか面白かった。芝居のあとにワークショップがあり、吉本芸人や観客からの質問に答えたり、講談や義太夫節、人形遣いを体験したり。観客の半分くらいは吉本ファンらしく、伝統芸能側の説明を面白がっている様子だったが、こここら本興業に引っ張ってこられるかはどうだろう。
2024年10月19日土曜日
10月18日 東京バレエ団「ザ・カブキ」
十数年前に観た時はピンと来なかったが、とても面白かった。仮名手本忠臣蔵への理解度が高まったせいもあって、舞台上で何が起こっているかが分かり、物語の再現度に驚いた。とはいえ、勘平腹切りのくだりはは説明不足。与市兵衛を殺したと思い込んで命を断った人がどうして連判状に加われるのか、初見の人には分からないだろう。
場面の最初に義太夫節の演奏があるのも良き。言葉による状況説明の後、言葉のない音楽と踊りが物語を引き取る演出が効いている。竹本じゃないよなと思ったら、呂大夫(五代目)と清治だった。
由良之助の柄本弾ははじめから最後まで踊りっぱなし。現代の(といって衣装は少し古い感じだが)若者が江戸時代に迷い込んで、はじめ傍観者だったのが判官の切腹を機に討ち入りを率いるリーダーになっていく様に説得力があった。
おかるの沖香菜子が小柄でほっそりしているので、おかっぱにペールピンクのレオタード、打掛という衣装がこの世ならぬ人のよう。勘平は池本祥馬。古典と現代のおかる勘平が併存するのはどんな意図なのだろう。
顔世御前の上野水香は品のある佇まい。判官の樋口祐耀とは夫婦なのに、並ぶと格が違う感じ。由良之助に討ち入りの真意を問うところで、半ば狂乱したように花の散った桜の枝を持って彷徨うのも優美。ただ、ここで赤褌に赤鉢巻の男たちが出てくるのは違和感。ラストの日の丸といい、三島由紀夫を彷彿とさせモヤモヤした。
討ち入りの場面は47人の浪士による群舞が圧巻。9人が並ぶ逆正三角形の隊列が美しい。
場面の最初に義太夫節の演奏があるのも良き。言葉による状況説明の後、言葉のない音楽と踊りが物語を引き取る演出が効いている。竹本じゃないよなと思ったら、呂大夫(五代目)と清治だった。
由良之助の柄本弾ははじめから最後まで踊りっぱなし。現代の(といって衣装は少し古い感じだが)若者が江戸時代に迷い込んで、はじめ傍観者だったのが判官の切腹を機に討ち入りを率いるリーダーになっていく様に説得力があった。
おかるの沖香菜子が小柄でほっそりしているので、おかっぱにペールピンクのレオタード、打掛という衣装がこの世ならぬ人のよう。勘平は池本祥馬。古典と現代のおかる勘平が併存するのはどんな意図なのだろう。
顔世御前の上野水香は品のある佇まい。判官の樋口祐耀とは夫婦なのに、並ぶと格が違う感じ。由良之助に討ち入りの真意を問うところで、半ば狂乱したように花の散った桜の枝を持って彷徨うのも優美。ただ、ここで赤褌に赤鉢巻の男たちが出てくるのは違和感。ラストの日の丸といい、三島由紀夫を彷彿とさせモヤモヤした。
討ち入りの場面は47人の浪士による群舞が圧巻。9人が並ぶ逆正三角形の隊列が美しい。
2024年10月16日水曜日
10月16日 大阪能フェスタ in 上町
「蟹山伏」
善竹隆平の山伏、隆司の剛力、弥五郎の蟹ノ精という親子共演。蟹ノ精の指づかいがユーモラスで、なんとも言えない間も面白い。
「羽衣」
詞章を一部カットした短縮版ながら、大槻文蔵の天女の端正な美しさを堪能。ワキは茂十郎で、最後、天女が去った後、空を見つめて佇む様に余韻があった。
それにしてもワキツレはなんのためにいるのか。
善竹隆平の山伏、隆司の剛力、弥五郎の蟹ノ精という親子共演。蟹ノ精の指づかいがユーモラスで、なんとも言えない間も面白い。
「羽衣」
詞章を一部カットした短縮版ながら、大槻文蔵の天女の端正な美しさを堪能。ワキは茂十郎で、最後、天女が去った後、空を見つめて佇む様に余韻があった。
それにしてもワキツレはなんのためにいるのか。
2024年10月14日月曜日
10月14日 錦秋 十月大歌舞伎 昼の部
「平家女護島」
菊之助初役の俊寛は頑張っているのだろうけどやはり役に合ってない。疲れたメイクをしているが、身のこなしが元気そうで、外見と中身がチグハグな感じ。本当は37歳だから老けていなくてもいいのだけど、満足に食べてないからやつれてはいる訳で、素早く動いたり足腰が安定していたりするとあれ?と思う。登場からやたらと大向こうが掛かっていて、まるで応援しているようだった。最後におお〜いと言った後、何も言わずにじっと遠くを見つめていたのは、運命を受け入れて諦観しているよう悪くなかった。
吉太朗の千鳥は悪くないが期待していたほどでなく。素朴な仕草が作為的に見えてしまって、もっと健気な方が千鳥らしいと思う。俊寛らが船に乗り込んだあと、ひとり舞台に残ってのクドキは感無量で、控えめに拍手を送った。
「音菊曽我彩」
曽我ものの祝祭劇で、色彩美溢れる華やかな舞台。右近の一万、真腹の箱王は血気にはやる感じが少々オーバーぎみで鼻につく。巳之助の朝比奈が手堅く、左近の化粧坂少将が雛人形のように可憐。魁春の大磯の虎、橋之助の秦野四郎。菊五郎の工藤は板付きで座ったまま幕を巻き上げて登場。最後だけ立って決まった。
「権三と助十」
獅童の権三、松緑の助十。駕籠かきなのだがみな刺青を背負っていて、松緑が似合いすぎて怖い。権三女房おかんが時蔵。江戸っ子らしいチャキチャキしたおかみさんで、立板に水のセリフが心地いい。獅童との掛け合いも息があってよし。
大阪から訪ねてきた彦三郎に左近。大阪弁がぎこちなくてモゾモゾした。
菊之助初役の俊寛は頑張っているのだろうけどやはり役に合ってない。疲れたメイクをしているが、身のこなしが元気そうで、外見と中身がチグハグな感じ。本当は37歳だから老けていなくてもいいのだけど、満足に食べてないからやつれてはいる訳で、素早く動いたり足腰が安定していたりするとあれ?と思う。登場からやたらと大向こうが掛かっていて、まるで応援しているようだった。最後におお〜いと言った後、何も言わずにじっと遠くを見つめていたのは、運命を受け入れて諦観しているよう悪くなかった。
吉太朗の千鳥は悪くないが期待していたほどでなく。素朴な仕草が作為的に見えてしまって、もっと健気な方が千鳥らしいと思う。俊寛らが船に乗り込んだあと、ひとり舞台に残ってのクドキは感無量で、控えめに拍手を送った。
「音菊曽我彩」
曽我ものの祝祭劇で、色彩美溢れる華やかな舞台。右近の一万、真腹の箱王は血気にはやる感じが少々オーバーぎみで鼻につく。巳之助の朝比奈が手堅く、左近の化粧坂少将が雛人形のように可憐。魁春の大磯の虎、橋之助の秦野四郎。菊五郎の工藤は板付きで座ったまま幕を巻き上げて登場。最後だけ立って決まった。
「権三と助十」
獅童の権三、松緑の助十。駕籠かきなのだがみな刺青を背負っていて、松緑が似合いすぎて怖い。権三女房おかんが時蔵。江戸っ子らしいチャキチャキしたおかみさんで、立板に水のセリフが心地いい。獅童との掛け合いも息があってよし。
大阪から訪ねてきた彦三郎に左近。大阪弁がぎこちなくてモゾモゾした。
10月13日 錦秋十月大歌舞伎 夜の部
「婦系図」
これまで見たなかで一番胸に響いた、というか、これまでピンと来なかったのが初めて感情移入できたというか。
仁左衛門の早瀬主税は若々しく、恩師の命令に苦悩する様が痛々しくも美しい。酒井役の弥十郎と並んでも輝くような若さ。弥十郎は「女のバカなのはいいが、薄情なのはだめ」とか、差別発言連発で、現代の感覚とかけ離れた価値観を描き出す。
湯島天神では玉三郎のお蔦が無邪気にはしゃいでいる登場シーンから哀れで泣きそう。江戸っ子らしく饒舌なセリフがお蔦のキャラだと思うのに、時々言い淀んだりいい間違ったりしていたのは玉三郎らしくなかった。
冒頭、女優陣を含む新派の面々が出ていたのも嬉しい。
「源氏物語」
六条御息所を玉三郎、光源氏を染五郎ということで、美しい平安絵巻が見られるのかと思いきや、何じゃこりゃ。脚本も演出も酷くて、途中で帰りたくなった。
まず、六条御息所が僻みっぽく、教養のかけらもないような女性に描かれており、「どうせ私は日陰の身」と言ったり、床に倒れ込んで泣き崩れたりするのがイメージと違いすぎる。葵と別れて私と結婚してとも言ってたな。十二単に着替えてでてきてからしばらく袖が捲れたままだったのも、御息所らしくないし、玉三郎らしくもない。(「誰か!直してあげて!」と思っていたら、座った時にさりげなく直していてほっとした)光源氏は光源氏で、やけに尊大な態度で、年上の御息所への敬意がない。
光源氏が葵に向かって「これからは共に生きていこう」と言ったり、御息所の生霊?に強い絆で結ばれている我々に付け入る隙はない(大意)とか宣ったりと、セリフがとても安っぽくて思わず乾いた笑いを抑えられなかった。
セットも簡便で、説明セリフで進むのもいただけない。車争いは難しいにしても、最初の葵上に何者かが襲いかかるところは、視覚化してもいいのでは。あと、夕霧が生霊に殺されたから(なんで左大臣が知ってるの?)から今度も生霊の仕業では、とか、生霊の血を引いた女の姿とかいう説明台詞が冒頭から頻出するので、もううんざりしてしまった。もののけや怨霊の方が自然だと思うのだが。
光源氏と御息所が花道で寄り添うところは美しく、これだけは見もの。そして、染五郎よりも輝いて美しい玉三郎に驚嘆した。ラスト、光源氏が子を抱いた葵上を抱き寄せ手て幕というのも、絵面としては美しかった(物語としは???だが)。
時蔵の葵上は過不足なく。病気休演の吉弥に代わって折之助が中将。御息所よりは年上の設定なのかと思うが、年齢不詳だった。
これまで見たなかで一番胸に響いた、というか、これまでピンと来なかったのが初めて感情移入できたというか。
仁左衛門の早瀬主税は若々しく、恩師の命令に苦悩する様が痛々しくも美しい。酒井役の弥十郎と並んでも輝くような若さ。弥十郎は「女のバカなのはいいが、薄情なのはだめ」とか、差別発言連発で、現代の感覚とかけ離れた価値観を描き出す。
湯島天神では玉三郎のお蔦が無邪気にはしゃいでいる登場シーンから哀れで泣きそう。江戸っ子らしく饒舌なセリフがお蔦のキャラだと思うのに、時々言い淀んだりいい間違ったりしていたのは玉三郎らしくなかった。
冒頭、女優陣を含む新派の面々が出ていたのも嬉しい。
「源氏物語」
六条御息所を玉三郎、光源氏を染五郎ということで、美しい平安絵巻が見られるのかと思いきや、何じゃこりゃ。脚本も演出も酷くて、途中で帰りたくなった。
まず、六条御息所が僻みっぽく、教養のかけらもないような女性に描かれており、「どうせ私は日陰の身」と言ったり、床に倒れ込んで泣き崩れたりするのがイメージと違いすぎる。葵と別れて私と結婚してとも言ってたな。十二単に着替えてでてきてからしばらく袖が捲れたままだったのも、御息所らしくないし、玉三郎らしくもない。(「誰か!直してあげて!」と思っていたら、座った時にさりげなく直していてほっとした)光源氏は光源氏で、やけに尊大な態度で、年上の御息所への敬意がない。
光源氏が葵に向かって「これからは共に生きていこう」と言ったり、御息所の生霊?に強い絆で結ばれている我々に付け入る隙はない(大意)とか宣ったりと、セリフがとても安っぽくて思わず乾いた笑いを抑えられなかった。
セットも簡便で、説明セリフで進むのもいただけない。車争いは難しいにしても、最初の葵上に何者かが襲いかかるところは、視覚化してもいいのでは。あと、夕霧が生霊に殺されたから(なんで左大臣が知ってるの?)から今度も生霊の仕業では、とか、生霊の血を引いた女の姿とかいう説明台詞が冒頭から頻出するので、もううんざりしてしまった。もののけや怨霊の方が自然だと思うのだが。
光源氏と御息所が花道で寄り添うところは美しく、これだけは見もの。そして、染五郎よりも輝いて美しい玉三郎に驚嘆した。ラスト、光源氏が子を抱いた葵上を抱き寄せ手て幕というのも、絵面としては美しかった(物語としは???だが)。
時蔵の葵上は過不足なく。病気休演の吉弥に代わって折之助が中将。御息所よりは年上の設定なのかと思うが、年齢不詳だった。
2024年10月6日日曜日
10月6日 歌劇「ラ・ボエーム」
井上道義が振る最後のオペラで、森山開次の演出振付に興味を惹かれて観劇。
ミミ役のルザン・マンタシャンは繊細な感じで声が美しく、ムゼッタ役のイローナ・レヴォルスカヤの色気や力強さと好対照。ルドルフォの工藤和也、マルチェッロの池内響、コッリーネのスタニスラフ・ヴォロビョフ、ショナールの高橋洋介と男性陣の歌唱もすばらしく、音楽としてはとても素敵。…なのだが、改めてストーリーを考えると色々と共感できないというか。ミミとルドルフォの急展開のラブラブぶりにはびっくりだし、病に苦しむミミを支えられないから別れるとかって意味不明。ミミはミミで、一度は身を引いたものの、死にそうになってから最期に一目会いたいとか、訳がわからん。
「芸術の息吹」という名の4人のダンサーが時には暖炉の火になったり、蝋燭の火を吹き消す風になったり。全身黒のタイツに半身に白い染料を散らしたような衣装は黒衣のようでもあり、登場人物の感情を増幅するように舞台を彩る。マルチェッロを藤田嗣治風の出立にしたのは面白いけれど、余計なキャラクターづけになってしまったようにも感じた。
井上が幕のはじめやカーテンコールで客席に向かって指鉄砲のような仕草をするのでどうしたのかと思ったら、一部から執拗なブーイングがあったらしい。けれど、舞台上のおもちゃ商とふざけたり、楽しそうに振っていたのが印象的。カーテンコールでは森山とお辞儀し合ううちに土下座になってしまったり、カンパニーの雰囲気の良さが感じられた。
2024年10月5日土曜日
10月5日 清流劇場「ヘカベ、海を渡る」
エウリピデスのギリシャ悲劇を関西弁で翻案。昨今のパレスチナ情勢を放棄させ、反戦のメッセージが色濃く描かれる。キャストによる歌も反戦色が強く、現在の世界で起きている戦争や紛争を想起させる。
末娘ポリュクセネを生贄にされ、隣国に逃した末息子ポリュドロスは裏切りにより殺され、と数々の悲劇に見舞われたヘカベの悲哀は日永孝子の熱演によって観客の涙を誘ったし、ラスト、アガメムノン(高口真吾)の剣を奪って、復讐の刃を振るうのは急展開にカタルシスのような感じもあった。が、終演後、これでよかったのかと考えてしまった。ポリュクセネを生贄のため連行する役所が飯炊女になっており(原作からの改変)、この女もかつて戦争に敗れて身を落としたという設定で、自分も戦争の犠牲者だと訴えるのだが、犠牲者同士が傷つけあうことで何を伝えたいかがぼやけてしまったように感じた。飯炊女ごときがギリシア軍の決定に影響するというのも無理があるし、ここは原作通り、ギリシア軍の将校オデュッセウスのままの方が対立軸が明確だったのではと思う。ヘカベがアガメムノンに刃を振るって娘の復讐?を果たそうとするのも、奴隷と将軍という立場の違いを考えると不自然に思える。(この辺りはアフタートークで丹下和彦も指摘していた)
大阪弁のセリフが効いていて、ヘカベとアガメムノンのやり取りは大阪のおっちゃんとおばちゃんのようで本音がストレートに響く。トラキア王(辻登志夫)への復讐を遂げたヘカベに対し、「やりすぎでは」と言うアガメムノンに、「あんたが言うな」とか。
アフタートークは演出の田中孝弥、丹下和彦と劇団不労社の西田悠哉。原作の改変に納得できない丹下の発言が止まらず、聞いているほうは面白かったけれどゲストの西田は困ったのでは。ポリュクセネは神に捧げられたのであって、ポリュドロス殺害とは意味がいが違う(ポリュクセネの復讐はできない)という指摘はギリシャ劇の本質にも関わる点かもしれない。
2024年10月1日火曜日
10月1日 伝統芸能で彩る 京の風景
文化庁芸術祭のオープニングで、秋篠宮夫妻の観覧のため入口でセキュリティチェックあり。日傘が持ち込めなかったのだが、何でやねん。
祇園甲部の芸妓による手打ちは、七福神と花づくしで華やか。年配者が木頭を務めるしきたりだそうだが、リズムが不安定で気持ち悪かった。
「萬歳」
井上八千代の一人舞は、義太夫が呂勢、靖、小住に燕三、勝平、燕二郎、笑に藤舎名生の笛、小鼓は藤舎呂浩ほかという豪華版。聞いていて危なげないのが何より。
「鬼瓦」
七五三の主人に千五郎の太郎冠者。妻を懐かしがって泣くのが何とも可愛く微笑ましい。
背景に絵をあしらい、横長の舞台をそのまま用いていたので、出捌けがよくわからなかった。
「大般若転読会」
智積院の僧侶らによる声明。
「小鍛冶」
金剛流の宗家が神田明神、若宗家が老翁と前シテと後シテを分けて演じるのは珍しいのでは。
「小鍛冶」
金剛流の宗家が神田明神、若宗家が老翁と前シテと後シテを分けて演じるのは珍しいのでは。
緞帳が上がると出演者が板付きで始まりびっくり。アイはおらず、前シテが引っ込むと程なく後シテが出てくる演出は時間短縮のためか。
ワキは宝生欣哉。
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