「新・三国志」
関羽篇とのサブタイトルで、劉備(笑也)による蜀建国までをフォーカス。関羽篇といいながら、物語の主人公は劉備で、実は男装の麗人だった、というトンデモ設定なのだが、「民が飢えず、売られず、殺されない国をつくる」という劉備の夢が、「女子供のたわごと」と揶揄されたり、流血を好まないのを「男らしくない」と責められるなど、ジェンダー問題を想起させ、今の時代により響く内容になっていた。…が、「夢見る力」って別に女に特有のものでもないのでは? と思うなど、劉備が女であることの必然性があまりないように感じた。表向きは自身を漢王朝の皇帝の末裔だと主張しているものの、実は縁もゆかりもない出自という設定も疑問だ。シンプルに、皇帝の血をひきながら女であるから公式には面に立てなかったとかいう設定のほうが、夢のような理想を掲げる理由になるし、もっともらしいと思うのだが。それと、関羽(猿之助)とのロマンスがちっともロマンチックでなかったのはなぜだろう。1幕の最後に手を握ったり、荊州に赴く関羽との別れで2人きりになって言葉を交わしたりするのだが、なんだか関係性がそっけないというか、気持ちが通っているように見えなかった。2人のロマンスって、この作品の肝じゃないの?
中車が、冒頭、原作者羅貫中の弟子だか子孫だかの羅昆虫を名乗って解説していたかと思ったら、幕が開くと張飛として登場。諸葛孔明は弘太郎改め青虎。襲名披露の口上はなかったが、関羽らが、劉備の軍師に招く際に「青き虎となって…」と入れ事で盛り上げる。
呉軍の軍師、陸遜の猿弥、華佗の寿猿ら、澤瀉屋の面々が頼もしく脇を固めるなか、司馬懿の笑三郎の芸域の広さに感嘆。はじめ出てきたとき、誰だかわかなかったくらい。NARUTOの大蛇丸で影のある敵役ができるのは知っていたが、また違った雰囲気だった。
孫権の福之助がキリっとして、若き盟主を好演。香渓の右近は気の強い娘役がよく似合い、キレイだった。関羽の養子、関平の団子はもう立派な青年。背が高くて頭が小さいので、次世代の子という感じがする。
30分の休憩挟んでトータル2時間40分という制限でいろいろカットしたせいもあるのだろうが、場面の継ぎ接ぎのような感じが否めず、消化不良な感じ。最後に、劉備ら蜀の面々と並んで張飛が花道を歩いてくるので、「え?死んだんじゃなかったの??」と混乱。そのあと呉、魏と、キャスト全員が花道から引っ込んでいくので、フィナーレのパレードの演出だったらしい。最後の最後に、関羽の猿之助が宙乗りし、桃の花びらが舞うのだが、これって物語上の意味あるの? 宙乗りに全くテンションが上がらない性質なので、なんだか…だった。