2021年6月25日金曜日

6月24日 文楽若手会

 太夫が芳穂以下の7人だけになっていて、顔ぶれの若さにおののく。まあ…そうか……。

「菅原伝授手習鑑」

茶筅酒の段は亘・寛太郎。同世代の女3人の語り分けは難しいのだなあと改めて思う。きゃんきゃん言ってる感じが何とも辛いし、白太夫が老人らしくないし。三味線はちょっと硬いか。

喧嘩の段は碩・錦吾。三味線のピッチも高いようで、全体的にきゃんきゃんした印象。喧嘩だから?

訴訟の段は小住・友之助。ようやく落ち着いて聞けるトーンになったものの、やはりこの段は語り分けが大変だ。

桜丸切腹の段は芳穂・清馗。いろんな意味で軽い。若手会だから仕方ないのだろうが。

人形は簑史郎の白太夫。老け役は挑戦だろうが、登場から自身が老人のように背を丸めていたのはちょっと違うのでは。千代の勘次郎が良かった。特に訴訟の段で去るところ、この先の悲劇を予感させるような憂いがあった。


「生写朝顔話」

宿屋の段を希・清丈、清方の琴。声はね、いいと思うの。朝顔に合っているし。でもなんか間延びするというか。

大井川の段は咲寿・清公。気合が入っているのは分かる。けど方向が違う。なんか目が座っていて、変に怖かった。

人形は次郎左衛門に玉翔、朝顔に玉誉。朝顔は目が見えない描写がもう一歩。(能勢の六角座の人の方が上手かったような…)


「万才・鷺娘」

靖、亘、碩に清允、燕二郎、清方。靖は一番文楽らしかったけど、若手会でこの演目いるの?時間合わせでないんかいなと思わずにいられない。三味線は若手にシンを経験させるという意味があるのかしら。

人形は万歳の簑之、勘介はともかく、鷺娘の簑太郎が…。見せ場の多い役なのに、引き抜きが2回とももたもたしていて残念な仕上がり。客も拍手したらいかんと思う。

2021年6月23日水曜日

6月22日 能楽鑑賞教室

 解説は宝生流の高橋憲正。歌舞伎や文楽の解説はいろいろ工夫しているので、能楽はどうかと興味があったのだが、淡々と能の歴史や狂言との違いなどを話すだけ。というか、ちょっとグダグダ…。正面席の上手側に女子学生(中学か高校)の集団がいたり、中央がごっそり空いていたり、で調子がつかめなかったのかもしれないが、これでは能楽への興味は沸かないだろうなあと思った。実際女子学生たちは無反応だったし。九尾の狐の話とか、もうちょっと面白くできないか。

狂言「寝音曲」は高野和憲のシテ、中村修一のアド。和泉流だからか、ちっとも笑えなかった。つい最近、映像とはいえ四世千作のチャーミングな太郎冠者をみてしまったから余計に。

能「殺生石」はシテ野月聡、ワキ御厨誠吾。

釣鐘状の作り物は前半分のみで、真ん中から割れる構造。ワキ正面席だったので、前場の後、シテが着替えのを後見が手伝う様子が垣間見えて興味深い。後シテは九尾の狐といいながら、狐っぽさは皆無なのだが。変化があって面白い曲。

2021年6月20日日曜日

6月19日 イキウメ「外の道」

20数年ぶりに再会した40代の男女。共通の思い出もなく、会話が続かないが、互いの悩みを打ち明けるうちに、2人だけが世界を共有し、互いだけが理解者のような関係になっていく。
マジシャンとの出会いで、物の見え方が変わってしまった宅配ドライバーの寺泊(安井順平)。かつて手伝ったパーティーで若い政治家の男が急死した事件に、何か裏があるのではと疑っていたところ、マジシャン(森下創)の手品に共通点を見出す。脳に何か(氷?)を入れられたことから、奇妙な行動をとり始める。
一方、脳腫瘍で17歳の記憶に戻ってしまった母の介護をする山鳥(池谷のぶえ)は、品名に「無」と書かれた宅配便を受けとってから、無に侵食されていく。ある日突然部屋に現れた少年、三太(大窪人衛)は山鳥の養子で、法的書類も揃っているという。おかしいのは自分か、世間か。
巨大な生物の息遣いのような、空鳴りが響く不穏さと闇に飲み込まれて何も見えなくなる恐怖。生まれ変わりが示唆されていたけれど、ゾッとする幕切れ。

2021年6月13日日曜日

6月13日 六月大歌舞伎 第二部「桜姫東文章 下の巻」

 冒頭、舞台番役の千次郎が上の巻のあらすじを解説。舞台上に写真パネルを置いて、紙芝居のように引き抜いて絵を変えるのだが、写真は数枚だけだし、大きさも控えめ。

病み衰えた清玄は桜姫への執着を募らせ、気持ち悪さに拍車がかかり、悪党ぶりを増す権助は顔にあざができてからの色悪っぷりにしびれる。対極的な2役を色濃く演じる仁左衛門の凄さよ。ただ、ほとんどが顔にあざがある状態なので、ビジュアル的には少し残念。玉三郎は奇跡のような美しさ。立ち回りで決まるたび、絵になる2人だ。清玄の幽霊に真実を知らされ、権助が父と弟の仇であることを知る過程の心情の変化が鮮やか。権助と2人で話すところで珍しくセリフをとちっていた? 女郎屋から戻って、蓮っ葉な口調と姫言葉が混在するところはお見事。他の役者ではこうはいかない。

ラストはお家再興に望みをかけ、浅草雷門の前に吉田家の面々がそろって大団円。仁左衛門が大友常陸之助役で出てきたのには少し驚いたが、コロナ感染で休演していた千之助も復帰してめでたさが増す。最期は「本日はこれにて大切り」で、鮮やかな幕切れ。陰惨な場面が続いただけに、こういう終わり方だと気持ちが晴れる。

6月12日 「夜は短し歩けよ乙女」

森見登美彦の原作を上田誠が脚本・演出。テンポよく、奇想天外な物語をうまく舞台化していた。舞台中央に置いた丸い廻り舞台に工夫があって突拍子もない場面転換もスムーズだったし、映像で京都の街を映したのも効果的。乙女が歩く場面でのラップ調のセリフもノリが良かった。
先輩役の中村壱太郎は上ずった声で話すのが、独りよがりなオタク気質に合っていた。現代劇で男役は初めてだそうだが、こういう役なら。黒髪の乙女は乃木坂46の久保史緒里。衣装がかわいく、話口調が役にあっていたが、ラップなどはもう少しリズム感がほしかった。
事務局長(白石隼也)やパンツ総番長(玉置玲央)らキャラクターが立っていて、ガチャガチャした世界観をよく再現していた。竹中直人、鈴木紗和らが要所を締め、石田豪太、酒井善史らヨーロッパ企画の俳優も味を出していた。
ただ、休憩20分を挟んで3時間の上演時間は少し長い。コロナ禍で上演時間を短くしようという気はなかったのかというのもあるし、途中冗長な場面もあったのでもっとコンパクトにできたはず。悪質な風邪が蔓延するところで、飛沫が飛び散る様子を映像で見せたのも不快だった。そもそも、この状況下で、タチの悪い風邪が流行る話をするのはデリカシーに欠けるのでは。


2021年6月6日日曜日

6月6日 オペラ「Only the Sound Remainsー余韻ー」

 能の「経正」と「羽衣」に着想した新作オペラ。オペラといっても、バリトンとカウンターテナーの歌手と4人のコーラス、ダンサー1人、オーケストラは7人という小規模編成。ただ、能のミニマムさを現すには適していたのかもしれない。現代音楽家カイヤ・サーリアホの曲は、現代音楽らしい不協和音や民族楽器を思わせる打楽器やエレキサウンドが融合し、幻想的な世界観を醸し出す。シーッという囁き声に始まり、余韻で終わるのも、情緒があった。これまで観た能にインスパイアされた作品のなかでは、最も上質なものではないか。

バリトンのブライアン・マリーがワキ、カウンターテナーのミハウ・スワヴェツキがシテ、もう一人の森山開次は?と思ったが、シテの分身のような役どころか。

「清正」では舞台の真ん中に縦長の衝立が並べられ、1枚の大きなスクリーンのよう。下手から現れたマリーは行慶であると名乗り、経正を弔うため琵琶(リュートと言った?)「青山(ブルーマウンテン)」を持参したと名乗る。小道具なしで仕草で表すのだが、能ではなくてオペラなのだから、眼に見えるものがあってもいいのでは。また、衣装は黒いシャツ(?)にパンツというそっけないものだったが、もっと装飾性のあるもののほうが好ましい。

シテははじめシルエットで登場し、高い歌声だったので女性かと紛らわしかった。シルエットは森山のダンスと重なり、激しく踊る様は修羅道の苦しみ?

「羽衣」では中央に縦長のスクリーン1枚で、これが羽衣らしい。

天女をカウンターテナーとはいえ男性が演じるのは少し違和感。森山の踊りは、鳥や蝶の羽ばたきのようで動物的というか野性的というかなので、天女の舞からイメージする優美さとは違うように思った。ラスト、踊りながら舞台後方に去っていく森山と、ええじゃないかみたいに踊るマリーは何だったのだろう。

終演後、斜め前に座る女性のもとへ劇場関係者が駆け寄るので何者かと思ったら、作曲者のサーホリアで、スポットライトを浴びて挨拶していた。


6月5日 NODA・MAP「フェイクスピア」

恐山のイタコ見習いの皆来アタイ(白石佳代子)の元を訪れた口寄せの依頼人2人。若い男(高橋一生)は記憶を無くした様子で、誰を呼んで欲しいのかわからず、初老の男(楽=たの、橋爪功)の話はシェイクスピアの悲劇をなぞる。リア王やマクベスを演じる橋爪に対し、娘や妻で応じる高橋が見事。可憐だったり、強かだったり。
若い男は気を失うたびに記憶を取り戻し、名前がmonoであること、神から言葉を盗んだプロメテウスの従兄弟であること、息子に渡すために言の葉の入った箱を奪ったことが明らかになっていく。
一方の楽は、自殺を図ろうとしたところ、最後に幼い頃に亡くした父の声を聞くために恐山ならやってきたことが明かされる。楽の父はパイロットで、墜落事故(日航ジャンボ?)の直前の言葉がボイスレコーダに収められていた。「顔を上げろ」という言葉が、生きろというメッセージになり、「楽、し(死)んで、楽生きる」という最後のセリフが力強く響いた。
言ったもん勝ち、書いたもん勝ちという、SNSがはびこる現代の危うさを指摘し、フィクションの大家シェイクスピアはノンフィクションを恐れる。コロスがカラスで、言葉とともにダンスのような身体表現でもみせる。

野田秀樹がシェイクスピアとその息子でラッパーのフェイクスピアで舞台をかき混ぜ、前田敦子はアタイの母で伝説のイタコや、星の王子様、白いカラスの3役で彩を添えた。アブラハムの川平慈英と三日坊主の伊原剛志はちょっと存在感が薄かったか。
ブレヒト幕が右へ左へと舞台を横切るたびに場面がぱっと切り替わる。休憩なしで2時間5分。濃密な時間だった。  


2021年6月5日土曜日

6月5日 新国立劇場バレエ団「ライモンダ」

米沢唯・福岡雄大ペアは技術、ビジュアルが伴って、夢のような美しさ。福岡の正統派のハンサムぶりがジャン・ド・ブリエンヌにぴったり。米沢の姿の美しさとあいまって、1幕のライモンダの夢のパドドゥたるや!まさに夢の世界で、うっとりさせられた。

物語はツッコミどころ満載で、ストーリーは二の次というバレエ作品は多いけど、これは特にでは。アブデラクマンが横恋慕したからって、なんで婚約者が決闘に応じなければならないのかとか、ジャン・ド・ブリエンヌ はなにも殺さなくてもいいんではとか、自分のためとはいえ人を殺した男でいいのかとか…。

アブデラクマンの中家正博は法村友井バレエ学校出身と知ってびっくり。バレエ団には在籍していなかったようだが。健闘していたけれど、もう少し押しが強くてもと思った。