2016年9月23日金曜日

0922 劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」

大正天皇の一代記という、意外に硬派な芝居。歴史に埋もれがちな大正時代をクローズアップする意欲作だ。 松本紀保演じる貞明皇后節子役の目から語られる明治~大正~昭和の記録。松本紀保の落ち着いた気品のあるモノローグがいい雰囲気を作っていた。 大正天皇役の西尾友樹は病に倒れた後の様子がリアル。 明治天皇や昭和天皇との関係はフィクションなのだろうが、これも一つの歴史の側面なのかと考えさせられた。

2016年9月22日木曜日

0921 マシュー・ボーンの「眠れる森の美女」

ゴチックな衣装と美術が美しく、マシューらしいスタイリッシュな振り付け。 意外と原作に忠実な話の運びで、オーロラのアシュリー・ショーが可愛かった。王子に相当する狩猟番のレオ役、ドミニク・ノースは格好いいというより人が好さそうな好青年。トッポい感じ?ローズアダージョがオーロラとレオがじゃれてるシーンになっていたのが、原作とは違うけど、ムードがあって素敵だった。 リラの精=ライラック伯爵のクリストファー・マーニーはマシュー作品の定連だけあって出てくると安定感が増す。ちょっと怪しい魅力も素敵だ。

2016年9月20日火曜日

1020 九月新派特別公演

市川月乃助改め二代目喜多村緑郎襲名披露。 「振袖纏」 火消しに惹かれて家を出てしまう若旦那、芳次郎を松也。江戸っ子のパリッとした感じにはやや足りない気もするが、ボンボンらしさはこの役にあっているのかも。親分の娘で芳次郎に惚れる娘、お喜久の瀬戸摩純はなぜか年増感が。実年齢は若いのに何でだろう。クライマックスで、芳次郎の最後の晴れの舞台にと火事場に駆け付けるところが、髪振り乱してちょっと狂気すぎ。 藤右衛門の猿弥は貫禄があって立派。お徳の春猿もらしさがあって、新派というより歌舞伎の公演のよう。 「深川年増」は仕事で見られず。 夜の部は口上のあと、「婦系図」 喜多村緑郎の早瀬主税はこの役に出会って新派への移籍を決めただけあって、よく似合っている。が、人物像が理解しがたい。先生がなんで怒るのか、お蔦が死にかけるまでなんで許さないのかとか、そんな師匠に黙って従ってしまう早瀬とか、登場人物の行動が理解の範疇を超えていて、ずっと??。それぞれの登場人物の見せ場はそれなりなのだが、全体としてのお話はよく分からなかった。波乃久里子のお蔦は上手いのだが、喜多村と並ぶとどうしてもお母さんのようで…。

0919 SSTプロデュース「月光町月光丁目三日月番地」

唐十郎の埋もれていた短編は上演時間が1時間弱と短いのに濃厚。夫婦らしい男と女が会話しているのだが、お互い自分の記憶を喋っているので話が噛み合わない。すれ違いが切ない。

2016年9月19日月曜日

0919 エイチエムピーシアターカンパニー「四谷怪談」

女性ばかりの猫版を所見。伊右衛門以外は1人の役者が複数の役を兼ね、メークや衣装が変わるわけでもなく、場合によっては数歩移動するだけで役者が変わったりするので、ちょっと分かりにくいというか、見失わないよう緊張感を強いられた。 映像を組み合わせた演出は面白く、白い洋服の上にT字状の布をまとって、着物の袖や合わせにしたり、スクリーンにしたりする。登場人物の名前を投影して分かりやすくしていたが、ややうるさくも感じた。あと、岩の面体が変わるのを映像にしたのはイマイチ。ちゃんとしたスクリーンではないので映像がボヤけて、怖さが削がれてしまった。 古典の場面をあまり端折ることなく、それぞれをダイジェストにしていたようで、話の運びが性急。もつと場面を絞って掘り下げた方がよかってのでは。直助とお袖のくだりとかなくてもいい。歌舞伎でも伊右衛門が義父を殺してまでヨリを戻したお岩を邪険にする、心変わりの理由が分からなくてもやもやするのだけど、今回は時間の経過も短いので余計に違和感が強かった。 役者陣は総じて好演。伊右衛門か格好いい色悪だった。

0918 五世千作 十四世千五郎 襲名披露公演

「 翁 」 金剛永謹、茂山千五郎、茂山竜正 「末広かり」 茂山七五三、茂山宗彦、丸石やすし 「千 鳥」 茂山千三郎、茂山あきら、網谷正美 「庵 梅」 茂山千作、茂山逸平、茂山童司、井口竜也、鈴木実、山下守之、茂山宗彦 「靱 猿」 茂山千五郎、茂山茂、茂山良暢、茂山蓮 「石 橋」 片山九郎右衛門、浦田保親、大江信行、林宗一郎、原大、茂山童司 一族総出演で、新しい当主を祝う気持ちにあふれる。 「翁」の三番三を舞った新千五郎は力強く、やや力みすぎな感も。 「庵梅」の新千作は逆に、ひょうひょうと。 ここの子供たちはなんというか、元気いっぱいすぎてやかましく感じる。ボリューム調節を間違っちゃったような。

2016年9月18日日曜日

0916 現代演劇レトロスペクティブ「夜の子供2 やさしいおじさん」

何だかよく分からないけど、凄いエネルギーのようなものを感じた。20世紀の終わりに、東京オリンピック直前の子供時代をマンガに描く少女漫画家。演じているのが女性だし、少女漫画家は女でしょと勝手に思っていたので、おじさんになるのに戸惑う。 マンガの主人公であるボクと、同姓同名で性格は真逆のもう1人のボク、少年の憧れる病弱な少女や病に倒れる母親など、雑多な要素が交錯していく。医者と看護師役で出演した岩崎と高橋恵がいい味出してた。 衣装や美術が秀逸で、白いシャツやズボンに黒マジックで書き殴ったように彩色することで、マンガの登場人物を表したり、段ボールで造形したような小道具が面白い。

2016年9月14日水曜日

0914 ミュージカル「エリザベート」

東宝版は新演出とかで、観ている間中「これじゃない」感がぬぐえなかった。 花總まりは初々しい少女期から晩年までをこれ以上ないくらい好演していたのに。花總は高音がやや不安定だったものの、歌唱もよく、何より演技が素晴らしい。ただ、育児を人任せにして旅歩いていたとか、スイスに隠し口座があったとかいうことでわがままぶりが協調され、困難な時代・状況を懸命に生きた女性への共感はなくなった。 トートの井上芳雄は歌は上手いが、ソフトすぎる歌唱に違和感。黄泉の帝王らしい、超越した感じもなく、生身の男っぽい。 フランツの田代万里生も皇帝らしい重々しさが薄い。総じて職務に忠実で冷たい感じで、宝塚版のほうが包容力があって魅力的だった。 ゾフィーの涼風真世は低音はいいが、高音域になるとかわいらしくなってしまうのが惜しい。 一番の違和感は、オーストリア王国の危機にユダヤ人迫害やナチスの台頭を重ねたこと。時代が違うでしょ。 マダムヴォルフの館で娼婦が貞操帯をしてるとか、ルドルフが自殺するまえに自ら銃を取りに行ってトートに死のキスするとか、ルキーにがエリザベスではない別の人を殺そうとしていたが来なかったので偉そうなやつなら誰でもと殺害に至ったとか、細々演出の違いがあるが、意図がよくわからなかった。

2016年9月12日月曜日

0910 九團治の会

「義士残花抄」 井上ひさしの「不忠臣蔵」からとったという、新作になるのかしら?歌舞伎というより、時代劇風。もう1人の赤穂義士、橋本平左衛門ともう1人のお初の物語。 冒頭、近松門左衛門が廓に取材に来ているところから一転、過去の回想シーンに。近松から平左衛門への早替わりはを見せたかったのだろう。九團治はやや上ずった口調で若々しさを表現するが、上滑りな印象も。お初の千寿が廓の苦労を飲み込んだ、可憐で健気な遊女を好演。この人が出ると舞台が引き締まる。 「太刀盗人」 能仕立ての滑稽な舞踊なのだが、やや間延びして感じた。

2016年9月11日日曜日

0909 秀山祭九月大歌舞伎 夜の部

「吉野川」 玉三郎の定高が素晴らしい。花道を現れるところから心に秘めた決意を感じさせ、娘は可愛いが久我之助はどうでもいいなどと本心にないことを言いながら肚のうちを滲ませる。雛鳥の首を討つところ、文楽と違って何度かためらうのだが、ここはスパッといってしまったほうが背山との対比が鮮明になるのでは。印象的だったのは雛送りで、雛鳥の首を愛しそうにかかえ、輿に乗せる時に語りかけるように顔を寄せる。万感の思いがあふれ、じわっときた。 菊之助の雛鳥は綺麗だが、前半は可憐さが薄いというか、恋する娘にしては淡々としているのだが、定高の本心を知ってからはよかった。この人はもう雛鳥ではなく、久我之助のほうが似合うのかも。桔梗を演った梅枝のほうがニンだったのかもしれない。 その桔梗はとてもよかったのだが、小菊の萬太郎は女形が不慣れなせいか、硬く、可笑しみにかける。 一方の背山は大判事が吉右衛門、久我之助が染五郎。悪くない配役だが、妹山ほどの感動はなかったか。染五郎は久我之助にしては落ち着きすぎていて若さゆえの一途さが感じられないのだ。 「らくだ」 これほど面白くない喜劇も珍しい、というくらい、ちっとも笑えなかった。まず、松緑の半次かチンピラらしくなく、なんだろう、爽やかというのとも違うのだが、汚れた感じがなくて薄っぺら。染五郎の久六も、久我之助との落差はあるけれど、わざとらしくてリアリティがない。 途中、半次の妹(米吉)が出てきて、オチにつながるのは、前回の松竹座で見たのと違うところ。オチもつまらなかった。 「元禄花見踊」 玉三郎か若手を引き連れて、華やかな踊り。暗転から舞台中央に天井から光が差し、花びらの降りおちるなか、玉三郎がせり上がってくるという印象的なオープニングから、終始目に鮮やか。定高のときは老けたかと思ったが、化粧のせいだったのだろう。美しさは健在。 20分程度と短いので、お口直して帰路につくのにぴったり。両花道を使う演出があったり、楽しめた。

2016年9月5日月曜日

0904 文楽9月公演 第二部

「寿式三番叟」 津駒の翁、呂勢の千歳、咲甫、睦の三番叟に寛治、藤蔵、清志郎、清丈ほか9枚9丁の太夫三味線が舞台後方にズラリと並んで壮観。だが、演奏は…。寛治の三味線は床が分厚くなった分、1人で演奏すると弱々しさが強調される気が。ユニゾンでの演奏もテンポが合わせにくそうで、もっと速く弾きたい人が何人かいるような感じ。 人形は千歳=文昇、翁=玉夫、三番叟=玉勢・簑紫郎が堂々と時にコミカルに。 「一谷嫩軍記」 「弥陀六内の段」 三輪・喜一郎に安定感。石塔の建立とか、青葉の笛とか、陣屋に出てくるアイテムの由来がよくわかる。 「脇ヶ浜宝引の段」 咲・燕三。 40分余りの一段を1人で語り、久しぶりの長さに回復してきたのかと思いきや、声が弱々しく、全盛期には程遠い。 いわゆるチャリ場で、「上を向いて歩く」「永六さんに聞いてみよう」「簑助、勘十郎、玉男…でなく玉織姫」などの入れ事が。百姓たちのキャラクターの語り分けは見事なのだが、テクニックに感心するもののあまり笑えない。笑いには多分、ある程度のテンションが必要なのだ。いくら上手くても6割くらいの力(←勝手な印象)で語られるとおかしみが半減してしまう。 「熊谷桜の段」 靖・富助。 普段は省かれることの多い場面なので、藤の局と相模の関係、どうして藤の局が陣屋の奥にいたのかに改めて納得。 富助と組んで、靖の語りが一段と進歩したような。 「熊谷陣屋の段」 前を呂勢・清治、後を英・団七。 呂勢は低音が甘いので、時代物はちょっと不利か。相模や藤の局はとてもよく、敦盛が討たれたと思って悲しみに沈む藤の局に対し、小次郎が無事と信じて内心安堵している相模。観客は2人の立場が後に逆転するのを知っているだけに無常観が際立つ。 英は淡々としていて、陣屋の感動が今一つ。 人形の勘十郎は大熱演だった。

0903 文楽9月公演 第一部

「一谷嫩軍記」の半通し。いつもは「熊谷陣屋」しか見たことがないが、その前のストーリーが分かって理解が深まった。 第一部は初段~二段目。 よ 「堀川御所の段」は亘、小住、咲寿に清允、燕二郎、錦吾、清公が御簾内で。 物語の冒頭で物語の発端が語られる。 「敦盛出陣の段」 口を希・寛太郎、中を始・團吾、奥を文字久・清介。 希、始、文字久に共通して立派な語り。 嫁入りして敦盛とは敵対関係になるからと連れ戻しに来る使者を一撃で手打ちにする玉織姫や女房達が凛々しくてすかっとする。 や 「陣門の段」 松香、津国、文字栄、亘に清友。 この掛け合いはなんだか勿体ない気がする。 敵陣へ先陣を切って突入した小次郎を抱えて救出する熊谷が思わせぶり。 「須磨浦の段」 芳穂と清馗。 夫を探して彷徨う玉織姫をわが物にしようとする平山が嫌らしくおかしい。 「組討の段」 咲甫・錦糸。 冒頭の謡調の語りが堂に入っていて、心地よい。 本当は敦盛でなくて小次郎なのだと思うと、2人のやり取りは不自然なのだが、この場面は建前というか、後の世に伝えるための方便なのか。 熊谷と敦盛の一騎打ちは、遠見での馬上の戦いから一転、実寸大になっての組合いへの変化があざやか。敦盛の首を一撃で落とす熊谷。文楽の登場人物はなかなか死なないのが常だが、こんなにあっさり死んじゃうこともあるのね…と。瀕死の状態で敦盛の首と対面する玉織姫が切ない。 「林住家の段」 小住・清公、睦・清志郎、千歳・宗助。 小住の堂々たる語り。睦の高音のかすれはだいぶましだが、ちょっと心もとない。千歳は長い場面で事実上の切場を不足なく。 自ら詠んだ和歌を歌集に入れてほしい忠度。「うぬらごときに刃物はいらぬ」とか言って素手で刺客を倒してしまう大立ち回りを玉男がダイナミックに演じる。恋人を追ってくる菊の前を簑助。移動の際は腰をささえて介助する黒子が1人加わっていて少し心配。

0902 宝塚花組「仮面のロマネスク」

ラクロの「危険な関係」が原作で、大人の恋の駆け引きが描かれる。ところどころ、こんな話だったっけ?と思うところもあったが、甘々のラブストーリーよりはスリリングで楽しめた。明日美りおのヴァルモンと花乃まりあのメルトゥイユが、本心を隠して腹を探り合うのが現実とダブるようで。

2016年9月3日土曜日

0902 コンブリ団「カラカラ」

震災後の避難所。寝そべって漫画を読んでいる女とその兄、勉強している少女と先生、端で見ている女。 脈絡なくつながっていく会話、唐突に訪れ去っていく人。意味を追求しようとすると困惑する。 見舞いに訪れた先輩がカメラを持っていて、どこか野次馬気分だったり、漫画を読んでいる妹にもっとちゃんとしたものを読めという兄など、被災者とそれ以外の人の温度差が上手く描かれている部分もあった。 アフタートークにMONOの土田氏。終始笑わせながら、深津作品の読み解きや思い出などを語った。「カラカラ」のキーワードが、「砂は何からできている」という指摘になるほど。

0901 「ヒトラー最後の20000年~ほとんど何もない~」

ストーリーは特になく、ばかばかしさを追求したコメディー。終始一貫して意味などなく、客席に仕込んだ観客をいじったり、いろいろ盛り込んだ小さな笑いをごったに集めた感じで、面白いのだが2時間半は長かった。ヒトラーやアンネ・フランク一家、ユダヤ人や黒人が登場し、ところどころ人種差別的な表現やヒトラーの演説を茶化したりする表現があるのが気になった。日本人だったら笑うのかもしれないが、ユダヤ人やドイツ人が見たら眉をしかめそう。

0901 「ガラスの仮面」

想像を上回る完成度の高さで、原作を忠実に再現しているのに驚いた。一路真紀の月影先生は期待どおり。貫地谷しほりは一生懸命だけどちょっとうざいマヤそのものだったっし、マイコは亜弓らしかった。小西遼生はダサさと紙一重の気障なセリフをこなして真澄様だったし、水城や紫織も原作から抜け出したよう。ちっとも格好いいと思えない桜小路も思えば原作の通りだ。 冒頭、それまでの話しの流れを足早に説明するシーンに詰め込み感があったけれど、「2人の王女」のオーディションからの流れは良かった。月影が紅天女を踊るシーンもたっぷりあって、満足度の高い舞台だった。 舞台は3階建てのスクエアなセットと、テントのような装置が表裏で、それぞれオフィスや劇場の空間を表現。3階に役者が上ると相当首を上に向けなければならなくて見にくかったが、うまくできているなあと感心した。1幕の終わり近くでセットが引っかかるアクシデントがありはらはらしたが、休憩を挟んでのやり直しできちんと芝居の世界を取り戻した。

2016年9月1日木曜日

宝塚星組「桜華に舞え」「ロマンス」

北翔海莉のサヨナラ公演は男の友情物語。 北翔は幕末の薩摩の剣豪、桐野利秋。紅ゆずる演じる衣波隼太郎とは幼馴染だが、維新後は政府との距離感や考え方の違いから袂を分かち、西南戦争では敵味方となって戦う。宝塚における2人の立場とダブらせる演出で、サヨナラにふさわしい出し物。衣波が桐野の亡骸を抱えて号泣するシーンは目頭が熱くなった。 西郷隆盛(美城れん)とは同期だそうで、信頼関係にある様子が役柄とも重なっていい雰囲気だった。 ロマンティックレビュー「ロマンス」。 妃海風がローズ色のロマンティックなドレスで登場、甲高い声で「ロマンス!私の大好きな言葉です!!」という冒頭から宝塚らしいというか、レビューの王道らしい。 歌よりもダンスに重点を置いたのか、北翔の歌を聴くとう意味では物足りない気もしたが、ムードのあるデュエットダンスや、男役を引き連れての群舞など踊りには見応えがあった。…が、北翔の衣装がいまいちなのか、終始もっさりしていたのが残念。