2022年1月29日土曜日

1月29日 金春円満井会横浜公演

 仕舞「源太夫」は金春憲和、「花筐」は櫻間金記に代わって金春安明。

狂言「御田」は山本東次郎のシテ。
ほのぼのとして祝祭感にあふれる演目。陽気な神職と、アド以下、7人の早乙女が華やか。

「関寺小町」は古式の小書き。
シテは本田光洋、ツレは子方の中村千紘、ワキは森常好にワキツレが3人。
金春流では一子相伝で宗家のみが演じていたところ、初めて宗家以外の能楽師が演じるという記念すべき舞台だったのだが、関寺を初めて観るということもあり、あまりピンとこないというか…。基本的に枯れた芸なのだろうが、子方とシテの舞比べとか、子方が凄く上手いというでなく、シテの動きが演技なのか老化なのか判然としなかった。

2022年1月26日水曜日

1月26日 国立能楽堂 特別公演

 仕舞の「雲林院 クセ」(梅若万三郎)と狂言の「二千石」(七五三、宗彦)は体調不良もあって半分くらいうとうとしてしまったのだが(スミマセン…)、大槻文蔵の「求塚」が凄かった。

現代の感覚では到底受け入れられないストーリーではあるのだが(菟内日処女には全く落ち度はないのに、二人の男に一方的に恋焦がれられたあげく、死んだ後も地獄で苦しめられるとか、ひどすぎる。前世の宿業と言われても納得しがたく、責められるべきは、身勝手で諦めの悪い2人の男だと思う)、ドラマチックな演技にハッとさせられた。舞などの動きが多いわけではないのだが、少しの所作に緩急があって、物語を強く訴えた。前シテの「これを最期の言葉にて この川波に沈みしを」で足を鳴らすところや、後シテで僧に供養を願うところの悲痛さなど、これまでの能公演では感じたことないほど心が揺さぶられた。文蔵はしゃがんだ姿勢から立つところで少し危うさが感じられるところもあったが、おおむね動きに淀みはなく、今年80歳になるとは思えない身体だ。

ツレの菜摘女に坂口貴信、大槻裕一、ワキは森常好、ワキツレ梅村昌功、則久英志、アイは茂山逸平。

2022年1月23日日曜日

1月23日 壽初春大歌舞伎 第三部

 「岩戸の景清」
難有浅草開景清とあるように、新春浅草歌舞伎のメンバーによる新作…かと思ったら河竹黙阿弥作だった。キビキビ動く隈取の江間義時は誰?と思っていたら種之助だったらしい井。巳之助の北条時政、隼人の和田義盛はきりっとしており、莟玉の千葉介常胤はすっきり、米吉の衣笠、新悟の朝日は美しく、歌昇の秩父忠信には堅実さが…と浅草メンバーの成長ぶりが感じられる一幕。景清の松也は座頭格として健闘していたけれど、ニンではない感じが否めない。数日前まで代役を務めていた猿弥で観たかった、と思ってしまった。

「義経千本桜 川面法眼館の場」
四代目猿之助の四ノ切は得意演目としているだけあって、見応えあり。NHKの劇場中継で観たときは、この人の嫌らしさが目に付いてしまったが、3階席からと遠目だったのがよかったのか、芝居に集中できた。舞台全体を見渡せるので、静や義経の様子にも目を配れたのも収穫だった。雀右衛門の静かは可憐。義経は門之助で、静を迎えるところを注目していたのだが、やはり淡々として表情は変わらず。
寿猿が局千寿で、初めて女形姿(老女形だけど)を見た。普通にと言っては失礼だが、キレイだった。東蔵の法眼、笑也の奥方、猿弥の駿河次郎、弘太郎の亀井六郎。

1月23日 国立劇場 初春歌舞伎公演「南総里見八犬伝」

 冒頭、スライドとナレーションで伏姫と八犬士誕生のいきさつを説明し、序幕は大塚村蟇六内から。
菊之助の信乃ははまり役で、スッキリとした美青年。浜路の梅枝もよいが、本郷円塚山の場で早々に退場してしまうのがもったいない。
松緑が網乾左母二郎と犬飼権八の2役で、一瞬誰?と混乱した。セリフは相変わらず、語尾に癖があり、少し浮いて聞こえる。左近が犬江親兵衛仁で、親子で花道でする芝居が見どころになっていた。左近は小柄に見えるけど、15歳とな。

二幕目からはテンポよく進み、足利館の屋根上での立ち回り、利根川べりの夏、対牛楼の秋、扇谷定正居城の春と、四季の風景も美しく、正月公演にふさわしい華やかさ。菊五郎の犬山道節は出てくるだけで安心感があるし、時蔵の犬坂毛野は立ち役化とおもいきや、女田楽に扮して華麗な剣舞を見せ、それぞれに見どころがあって楽しめた。

2022年1月22日土曜日

1月22日 ミュージカル「 INTO THE WOODSーイントゥ・ザ・ウッズー」

 スティーブン・ソンドハイムの歌なのに、キャストの半分以上が歌に難ありというのがつくづく残念な舞台だった。望海風斗の魔女は圧倒的な歌唱力だったけど、ほかは……。2人の王子(広瀬友祐・渡辺大輔)のデュエットは悪くなかったのと、赤ずきんの羽野晶紀がいいキャラを出していたほかは、正直、歌を聴くのが辛かった。パン屋夫婦の渡辺大知と瀧井公美、シンデレラの古川琴音など、役者としては評価している人たちだったので、マイナスのイメージになってしまうのが惜しい。ジャック役の福士誠治はこんなに歌えなかったっけ?という印象(1幕目、配役を確認せずに観ていたので、この歌が下手な役者はだれ?くらいに思っていた)。8~9割方歌える人をそろえて、残りをキャラクターを表現するためにどうしてもこの人の演技力が欲しいということで、あまり歌えない人を入れるならまだしも、歌える人が少数派というのはいただけない。

赤ずきんとシンデレラ、塔の上のラプンツェル、ジャックと豆の木というなじみのある童話を森でつなぐ物語はよくできていて、1幕は(歌を抜きにすれば)楽しく見られた。が、1幕の最後にシンデレラとラプンツェルがそれぞれ王子と結ばれて大団円の満足感があったので、2幕が少し蛇足に感じた。というか、2幕でハッピーエンドのその後を描くなら、もっと中身が欲しかった。呪いが解けて子どもを授かったパン屋の夫が、自分が抱くと赤ん坊が泣くといって妻に子育てを押し付けるところや、追い求めていた女を手に入れた王子たちが次のターゲットを求めるくだりはリアリティがあったけれど、それ以外はピンとこない。1幕は魔女が影の主役という感じで、継子のラプンツェルとの関係(魔女のセリフで、「世間はひどいところだから、塔に閉じ込めて守っていた(世界は野蛮だから、子供のままでいなさい。永遠に?」みたいなのがあって、毒親とそれに反発する娘みたいなシーンがあったし、パン屋の息子の呪いを解こうとするのも、ラプンツェルとの関係修復のためだった)がテーマなのかなとも思えたが、2幕では早々に退場してしまって、物語を担うのがシンデレラとパン屋、赤ずきん、ジャックになってしまうし。人を食う巨人が出てくると、どうしても進撃の巨人を連想してしまうのもよくないと思う。

2022年1月16日日曜日

1月16日 新国立劇場バレエ団「ニューイヤー・バレエ」

 「テーマとヴァリエーション」

米沢唯と奥村康祐のペア。技巧的な振付が濃密に盛り込まれているのに、ゆったりとこなしていてせかせかして見えないのはさすが。ステップやポーズの一つ一つが美しく、あらゆる瞬間が絵面のようで眼福。奥村は白の衣装が良く似合い、端正でノーブルな踊り。特に終盤、男性ダンサーを率いて踊るところはぐっと来た。米沢は回転で軸がぶれないのが素晴らしかった。主役の2人はもちろん、群舞もキレイにそろっていて優美。特に池田理沙子の腕の遣い方が柔らかく、音楽的だった。

「ペンギン・カフェ」

去年は配信で観たが、生で観るとより楽しい作品。
ペンギンの広瀬碧の愛らしさ。ユタのオオツノヒツジの木村優里は初役だそうだが、もっとコケティッシュでもいいかも。井澤駿の伊達男ぶりは、今井翼に似ている気がする。
テキサスのカンガルーネズミの福田圭吾は飛び跳ねっぱなしで、凄い運動量。
ケープヤマシマウマの奥村康祐はアフリカンダンスのようなリズムで、アクロバティックな動きなのに哲学的に見える。女性陣の衣装がスタイリッシュで素敵。
ブラジルのウーリーモンキーは福岡雄大。高い跳躍を連発する軽々とした動きで、身体能力の高さを再認識した。


2022年1月10日月曜日

1月10日 初春文楽公演 第1部

「寿式三番叟」

呂勢の翁、靖の千歳、小住、亘の三番叟に碩、聖のツレ。三味線は錦糸、清志郎、寛太郎、清公、燕二郎。
錦糸の三味線のおかげか、呂勢はいつもの悪い癖が抑えられていて聞きやすい。語尾が鼻にかかるというか、しゃくるような感じがなく、翁の風格があった。靖は顔を真っ赤にしての熱演。小住と亘の三番叟になると、元気が溢れるほど。格式を考えたらちょっと抑えてもいいか。
人形は勘市の千歳、和生の翁、玉勢、簑紫郎の三番叟。文楽の景事はやはりあまりいいとは思えず、どうしてかと考えた。人の舞踊の場合は、稽古で体得した常人を超えた動きに感動するけれど、人形なので人の限界を超えた動きは当たり前だし、人の動きを真似るためにわざわざ人形を動かす意味が腑に落ちないのではないかと思った。
和生の出と引っ込みで拍手。人間国宝だから?

「菅原伝授手習鑑」

寺入りを芳穂・清丈。
子どもたちやよだれくりの声を、甲高くしすぎないのはやりすぎるよりはいいけど、少し物足りなくもある。

寺子屋のまえを錣・藤蔵、切を咲・燕三。
錣伸び伸びエモーショナルな語りが、とてもよかった。相変わらず、ひどい話ではあるのだが。藤蔵の三味線も、情感たっぷりで、掛け声にも勢いがあった。
一方、咲はやや物足りなく感じた。錣と比べると平易に聞こえるのか、淡々とした語りはこの場に合ってるはずなのに。
人形は和生の源蔵と一輔の戸波の夫婦がバランス良く、玉男の松王丸も安定感がある。勘弥の千代、玉峻の小太郎
よだれくりがふざけたのを他の子どもたちがやり込めるところ、文机を被せるのはやりすぎでは。


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1月9日 初春文楽公演 第3部


「染模様妹背門松」

生玉の段を希、亘に清馗、清方。
掛け合いかと思ったら、希がメインで語り分けていた。亘が語るところで初めて清方が一人で演奏するのを聞いたが、一音一音丁寧に弾いている感じで快感が持てた。

質店の段は千歳・富助。世話ものも悪くないなと思ったのは、この段の実質的な主役が久作だからか。爺が切々と訴える様が泣かせる。けど、このまま2人を置いておいては心中しかねないと分かっていて、なんでみすみす見逃すかなぁ。おかつも、もうすぐ正月だからなんて言わずに、さっさと引き離しておいたらよかったのにと思ってしまう。

蔵前の段は病気休演の織に代わって藤・宗助。宗助の三味線は手堅い。藤は悪くないのだろうが、この話に共感できないので…。織だったら違っただろうが、もっと感動できないような気がする。

人形は清十郎のお染、勘弥の久松。お染は首が埋まっているようというか、鳩胸すぎるというか。娘の人形は、うなじが大事なのでは? 玉也の久作の安定感たるや。この爺かいるから物語が成立している気がする。清五郎の質入れ女房が哀れ。

「戻駕色相肩」
睦の次郎作、靖の与四郎、希の禿に咲寿、小住、文字栄。三味線は清友、団吾、友之助、錦吾、清允。
十数年ぶりだそうだが、やらなくて正解だと思う。睦はやはり声が掠れ気味で、つられたのではなかろうが希も禿の詞が掠れて小さい。他のところでは声は出ていたので、意図的だと思われるが、なぜ?
人形は玉志の次郎作、玉助の与四郎。西と東の二枚目ということのようだが、与四郎が意外に江戸前風にシュッとしている。禿は簑二郎。

びっくりするほど客が入っていなくて、後方席はガラガラで中央前方ブロックですら空席Kが目立つ。少し心配になった。




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1月9日 初春文楽公演 第2部

「絵本太功記」

二条城配膳の段は三輪、津国、咲寿、碩、南都の掛け合いに勝平の三味線。
勝平らしからず、音が軽くて浮いてるみたいと思ったら、10日に再見した時はいつものおおらかな音で安堵。
出だしが津国で、骨太ながらやや調子外れではらはらしたが、横暴な春長には似合う。三輪の光秀は安定感がある。無骨な武士のようで光秀?とも思ったが、文七の頸には首には合っているのだろう。
咲寿の蘭丸は喧しい。美少年らしくなく、ギャンギャンとけたたましいのだが、春長の威をかって横暴に振る舞っている役だからこれでいのか? 碩の十次郎が清々しい好青年なので、並ぶと…と思ってしまう。

夕顔棚は藤と病気休演の団七に代わって団吾。
藤が伸び伸び語っていて、とても上手く聞こえる。義太夫らしくはないのかもしれないが、聞きやすい。団吾は相変わらず斜に構えた(物理的に)弾き方で、ロックしてる。

尼ヶ崎は前が呂勢・清治、後が呂・清介。
清治の三味線は音が的確なのだと改めて実感。音程が確かなのはもちろん、間や音量も揺るぎがない。呂勢はやや三味線に背を向けるようにすわっていたのが気になったが、伸びのある声で節の抑揚が細か。初菊のクドキは音楽的ですらある。
後の呂は、「現れいでたる武智光秀〜」は迫力があったが、その後は尻切れとんぼ。三味線の手は多いわ、立ち回りやらでツケが入るわで、周囲の音にかき消されて、語りが聞こえないというのはどうしたものか。
人形は十次郎の玉佳が苦悩する若侍を好演。さつきの勘寿は婆の首が本人の分身のよう。紋臣の初菊が可憐で、袴が女性の着物に使うような華やかな模様だったのもよき。春長は休演の文司に代わって文哉。大役をよくこなしていた。
十次郎の目が見えなくなって、手探りで初菊を探すくだり、黙って顔を触られている操に違和感。人間だったら、初菊のほうへ促すなり、なんらかのリアクションがあるのでは?

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