2021年3月29日月曜日
3月28日 子午線の祀り
萬斎が以前言っていた通り、大勢で声を合わせた語りは聞きやすかった。が、萬斎演じる知盛の台詞があまり頭に入ってこなくて辛かった。滑舌はいいし、発声もしっかりしてるのに。
一方、影身の内侍の若村麻由美は物語全体の語り部のような役どころでもあり、説得力のあるセリフがいい。弁慶も美声。
舞台装置がよく、三日月型のオブジェが傾斜に配置され、回転したり、真ん中で分かれたり。中央は黒い鏡面状の床面が水面のように見え、海戦や海の近くで進む物語によく合った。
2021年3月28日日曜日
3月27日 OSK日本歌劇団 レビュー春のおどり
桐生麻耶が蘇我入鹿、伊達政宗、堀部安兵衛と三様の男に扮するのだが、駆け足すぎてそれぞれの役の掘り下げが浅いし、脈絡がよく分からん。冒頭は大和風の衣装での群舞。あまりないパターンだし、目にも鮮やかで素敵なのだが、大化の改新のドラマが込み入って分かりづらい。蘇我入鹿って先帝(女帝)の隠し子なの?そして、引退公演とはいえ、トップが滅ぼされる側ってどうよ。ただ、桐生はトップとしての風格が増し、立っているだけで存在感を放つ。低音の良さが生きて、歌も良かった。こんなに歌のいい人だったかと思った。
唯一見応えがあったのは、政宗と出雲阿国(楊琳)の舞比べ。政宗が阿国を押し倒す場面もあったり、楽しませた。が、これもなぜこの組み合わせ?と疑問が尽きない。
和物といいながら、ロック調の曲やステップが多く、日舞らしい振り付けが少なめだったのも残念だった。
第2部は荻田浩一演出の「Victoria!」。
オーソドックスな洋物レビューで、取り立てて印象はないのだが。ラインダンスはコロナ禍で人数が少ないせいか、ダンサーの間隔が広く、一体感が薄いし、スピード感も物足りなかった。
2021年3月27日土曜日
3月26日 舞姫と牧神たちの午後
「Danae」
木村優里、渡邊峻郁。
上半身裸(女性は肌と同色のタンクトップ)に黒のタイツ、フレアスカートというシンプルな衣装。衣服を着けている女性はともかく、男性の体を美しく見せるのは難しいと感じた。決して緩んだ身体ではないのに、軽い不快感があるのはなぜだろう。バッハの音楽に乗せた官能的な踊り。
「かそけし」
酒井はな、森山未來。上下つなぎの道化のような衣装で、冒頭は「牧神たちの午後」を思わせる横向きの動きも。ちょっとコミカルな動きをしたり、森山の本領という感じ。髪をタイトにまとめていたせいか、酒井が中性的というか、男性的に見えたのが意外だった。
「Butteifly」
池田理沙子、奥村康祐。ダンサーの身体性を見せられた感じ。終始動きっぱなしで運動量が相当だったようで、終演後も笑顔が見られないほどだった。
「極地の空」
加賀谷香、古崎裕哉。
「Let's Do It!」
山田うん、河合ロン。ジャズの音楽に乗せた楽しい踊り。
「A Picture of You Falling」より
湯浅永麻、小尻健太。
2021年3月24日水曜日
3 月23日 三月大歌舞伎 第三部
「楼門五三桐」
吉右衛門の石川五右衛門。姿は立派だが、思いのほか声が通らない。体調が悪いのかと気がかり。真柴久吉は幸四郎、右忠太に歌昇、左忠太に種之助。たった20分ほどの一幕で納得させるほどではなかったか。
「隅田川」
玉三郎初役と聞いて意外に思っていたら、清元の演奏では初めてとのこと。それでも前回の長唄バージョンを加えても2回目とは意外。
子をなくした母の物狂いを描く作品は多くあれど、広い歌舞伎座の観客をほぼ1人で引き付けるのは並大抵でない。心ここにあらずといった物腰、静かな狂乱が深い悲しみを湛えていて見入った。舟長は鴈治郎。
2021年3月22日月曜日
3月21日 MONO「アユタヤ」
劇場で観そびれたので、オンラインで視聴。
江戸時代初期、シャムロに移り住んだ日本人の居留区が舞台の時代劇。筑前や備前など、日本各地の方言や、シャムロとの混血や現地生まれなどの片言の日本語などが飛び交う。武家出身の者たちが上に立ち、現地人や日本人でも現地生まれで日本を知らないものを見下すなど、差別の構造が見え隠れし、次第に締め付けが厳しくなっている。
正義感の強いツル(立川茜)はそうした状況を立て直そうと活動している。後につかまって牢に入れられてしまうほど。事を荒立てず、温厚に暮らす兄、一之介(尾方宣久)に不満を漏らした際の一之介のセリフが印象的。信念を言葉にしてしまうとこぼれて落ちるものがある。正しいことを追いすぎるとやがて人を許せなくなる。人を責めるとなぜかもっと腹が立つ。本当は近かった人をやがて憎むようになり、気づいた時にはもとには戻れない…。コロナ禍の閉塞感が他人への攻撃に向かう今の状況を映したよう。
武家の娘、ヒサ役の石丸奈菜美の、程よく高飛車で調子が良く、状況が変わると手のひらを返したようになるしたたかさがいい味。純朴な青年、梅蔵の渡辺啓太や混血児クラの高橋明日香らも、キャラが立っていた。深刻になりそうなところで、喜左衛門(奥村泰彦)の「ござるのでござる」「ワッシャ」など変な侍詞が楽しい。
日本が鎖国政策に入ろうとしている時世もあり、新天地を求めてカボチアへ移ることを決めた一行。ユートピアの希望を感じさせる幕切れだった。
2021年3月21日日曜日
3月20日 3月歌舞伎公演
「時今也桔梗旗揚」
歌舞伎が描く明智光秀ということで、冒頭は「麒麟が来る」のテーマ曲にのって、鶴屋南北の弟子筋に扮した亀蔵が解説。ドラマに不満があるので、テーマ曲を聞いても盛り上がらなかったし、ちょっと時期外れの感が…。上野公園にやってきたキリンのエピソードも余計(というか、長い)
饗応の場、本能寺馬盥の場と、春永の嫌がらせにひたすら耐える光秀がただただしんどい。愛宕山連歌の場の最後で使者を切り捨てるものの、カタルシスには至らない感じ。本能寺の変は描かれないし。
初役で光秀を演じた菊之助は、健闘していたものの、やはりニンではない。耐え忍ぶ、辛抱立ち役のような役どころなのだと思うのだが、やることに手いっぱいなのか辛抱している様子があまり感じられなかったのも惜しい。春永の彦三郎は顔色にムラがあり(正面からはそうでもなかったが、花道などで横から見ると)、権力者というよりは赤っ面のような軽さを感じてしまい、光秀への理不尽な仕打ちも、小物っぽく見えてしまう。
よかったのは、梅枝の光秀妻皐月。武家の妻らしい品格があり、落ち着いた語り口も説得力があった。
蘭丸の萬太郎、力丸の鷹之資は美少年ぽくはないが背格好が似ていて好対照。
2021年3月20日土曜日
3月19日 渋谷能 第二夜
「内外詣」
金剛流のみに伝わる曲で、舞がたっぷりの祝賀的な演目。
シテの神主は金剛龍謹。直面でやや緊張した面持ちながら、面がないと美声がより聞こえるのがよい。中入りした後、後シテでは白装束に赤毛の鬘、2枚重ねた扇とマスクで獅子の舞い。機敏な動きで舞金剛らしい勇壮さ。隙間からのぞく眼差しもいい。後見座で再び神主の扮装にもどるのも興味深い。後見が獅子の装束で目隠しをするなか、2分ほどでの早替わり。神主の舞いは荘厳。
ツレの巫女は山田伊純。若さゆえか舞には少し稚気が感じられた。ワキツレが2人もいて1人は舞台にかかる位置に座っていたので、舞の途中、ほとんど接触しそうなくらい近づいてはらはらした。
ワキの勅使は福王知登。深みのある声が父、茂十郎を思わせる。
地謡は6人でマスク着用。半分くらいは見知らぬ名前で、東京の門弟か。そのせいかは分からないが、地謡のまとまりが今一つだった気がした。
冒頭に石田ひかりと金子直樹の解説。石田が聞き手になる形なのだが、中途半端に知ったかぶりをするのが不快。
2021年3月14日日曜日
3月13日 三月大歌舞伎 第二部
「熊谷陣屋」
仁左衛門の熊谷、孝太郎の相模、門之助の藤の方と、昨年12月の京都顔見世とほぼ同じ配役。芝居がこなれていてもいいはずなのに、なぜかかみ合っていないように感じた。仁左衛門の熊谷は無精らしい骨太さが増したようで姿がよく、繊細な心理描写が深みを増して、心の動きがひしひしと伝わってくるようだったし、ほかの役者もそれぞれの役に適っているのに、感動できなかったのはなぜだろう。客席には泣いている人もいたので、私のコンディションの問題か。
「雪暮夜入谷畦道 直侍」
菊五郎の直次郎、時蔵の三千歳はじめ、菊五郎劇団のおなじみの顔ぶれ。こちらは役者同士の歯車がかみ合って、芝居の面白さを堪能できた。菊五郎は顔の艶が良くなっているようで、若々しく見えた。
熊谷が1時間半、直侍も1時間あまりとたっぷり。3部の中で間違いなく一番お得。
3月13日 三月大歌舞伎 第一部
「猿若江戸の初櫓」
勘九郎の猿若、七之助の阿国が一座の者たちと江戸へ下ってくる。舞踊仕立てで、踊りが達者な勘九郎がいかんなく本領を発揮。亡き勘三郎のために作った舞踊だからか、台詞を話すたびに勘三郎の面影がよぎる。
若衆に宗之介、男寅、虎之介、千之助、玉太郎、鶴松。はじめ、千之助一人だけが踊りだした猿若の踊りを見ていて、あれと思ったら、ほかの若衆も次々に引き込まれていくとえいう筋立てだった。よそ見しているのかと思ってしまったよ。
奉行板倉勝重に扇雀、福富屋に弥十郎、女房に高麗蔵。
「戻駕色相肩」
松緑の治郎作に愛之助の与四郎、莟玉の禿。
松緑のギョロリとした目が役に合って映える。愛之助はすっきりとした男前風だが、取り立てるほどのものはない。莟玉は可憐だが、禿というには顔立ちがシャープすぎるような。
舞踊2本というのはバランスが悪く、休憩をいれて1時間20分というのは短い。このあとの第二部と同じ値段って、納得いかない気がした。
2021年3月7日日曜日
3月7日 木下歌舞伎「義経千本桜―渡海屋・大物浦―」
安徳帝が典待局に誘われて海の下へ向かおうとする場面から、舞台は過去へ遡り、鳥羽上皇から崇徳、後白河へと続く皇室の跡目争いや、源平の戦いがポップに描かれる。源義朝や平清盛は特攻服のような上着で、背中に「全国制覇」「盛者不衰」の文字。「渡海屋」の場面に至るまで40分あまり、争いに敗れて死んだ者は着物を脱ぎ捨てて去り、赤と白を基調とした着物が次々と舞台を埋めていく。
源平の勝敗が決したのち、帝から初音の鼓を拝領した義経が、頼朝の不興を買い、静と別れる場面もあり、本編?(渡海屋)に至るまでの状況がよくわかる。
渡海屋では、銀平ら船問屋の人々はニッカポッカ―に長靴という漁師のいでたち。義経一行はタキシードや作業服風から、ジーンズ、アロハに短パンと、カジュアルな恰好に。
魚尽くしや女房おりうののろけなど、見せ所はちゃんと残しつつ、テンポよく進む。
大物浦で義経への恨みを述べる銀平の独白は、古典のセリフ。ナレーションのような義太夫節をアンサンブルが語るが、どちらも発声が現代劇風なので、台詞を聞く心地よさがないのが惜しい。一方、安徳帝を大人の女優が演じていたため、台詞が明瞭で、争いをやめようと持ち掛ける義経に反発していた銀平が、安徳帝の詞で意を改めるまでの様子がより分かりやすかった。手負いになった銀平の血まみれの衣装のなかに、レインボーカラーや東京オリンピックのロゴ。最期は、碇の代わりに、死んでいった者たちの着物を束ねたものを抱えて海に飛び込む。敗れていった者たちのすべてを抱えていくかのよう。
ラストは弁慶ら一行が去ったあと、一人義経が舞台に残り、白装束の人々が念仏踊りのように踊りながら周囲を囲む。無常観というか、義経の孤独が鮮明になり、タイトルロールであることがよくわかる幕切れだった。
清盛や弁慶を演じた三島景太が、ガタイがよく、坊主頭に髭という姿が日本人離れして異彩を放っていた。