2021年8月27日金曜日
8月27日 上方歌舞伎会
翫政の与兵衛は純朴な青年といった感じ。出世を喜ぶ様子にほのぼのする。地のせりふほそれほどでもないが、歌い上げるようなところは仁左衛門の教えを感じさせる。
お早の吉太郎は節目がちになるとしっとりとした風情に色気がある。冒頭の、月見飾りをしつらえるところは余裕がないのか、手先が乱れたような。けれど、夫を思うよい女房ぶり。
お幸の當史弥は老け役のセリフ回しがよく、ちゃんと母に見えた。所作に若さが見えたのが惜しい。
濡髪の鴈大はもう少し大きさが欲しかった。
「慣彩舞七以呂波」
「傾城」
千寿は立姿が美しいのだが、表情が鬼気迫るというか、怖かったのはなぜ?昔の男を思い出すなんて色っぽい話でなく、親の仇でもうちにいくようだった。
「越後獅子」
千太郎と愛三郎。千太郎が縦に伸びていてびっくり。そのせいか、少しバランスが悪かったようで、一本下駄でグラついた。愛三郎は少年らしいかわいさ。以外に体幹がしっかりしていて、布晒しの扱いも綺麗だった。
「座頭」
千次郎。愛嬌があって嫌味がないのがいい。
「業平」
裕次郎の平安貴族が似合う。顔立ちが貴族っぽいとは意外な発見。ただ、鼓を打つのは難しい。音がちゃんと出るかが気になってしまって、踊りに集中できなかった。
「橋弁慶」
松十郎の弁慶に折之助の夜鷹。
夜鷹に翻弄される弁慶が面白く、チャーミング。花道の引っ込みで、飛び六方かと思わせてよろけ、普通に退場するおかしさ。折之助は大男を手玉に取りつつも、愛嬌があっていい。
「相模蟹」
りき弥の海女姿は可憐。拍子をとるのが少し前取りだった気がする。
「朱鍾馗」
當吉郎の鍾馗は恰幅がよく、似合ってる。
最後は出演者が勢揃いでフィナーレ。華やか。
幕が降りた後、出演者全員と、指導役の幹部があいさつ。「いつもだったら兄が…」と言葉を詰まらせる仁左衛門に涙。「松嶋屋!」と掛け声をかけたおっさんがいたが、どうなんだろう。
けど、メンバーの大半が上方歌舞伎塾出身だしと、後進を育てた秀太郎の功績を仁左衛門が何度も口にしていたのが胸を打った。我當もあいさつしたが、言葉がかなり出づらい様子。
2021年8月15日日曜日
8月15日 宝塚月組ライブビューイング
上田久美子作・演出の期待を裏切らない良作。南北朝時代はよく知らなかったので少々不安だったのだが、客を置いてけぼりにしないよう上手くまとめていたし、物語としての運びも良い。何より時代劇としての厚みがあった。
珠城りょうの誠実な人柄が役に嵌る。楠木三兄弟の関係もよく、次期トップの月城かなとに未来を託すような演出も効いた。
朝廷に翻弄され、勝ち目のない戦いで命を落とすのだが、そこで終わらず、桜が咲き誇る中での出陣式の回想シーンを最後に持ってきたのも、華やかでよかった。
美園さくらは出てくるたびに涙を流していて、よくあれだけ泣けるものだと感心。高音域がきれいなので、歌もいい。
「DREAM CHACER」
ショーはあまり期待していなかったのだが、最近の中では一番くらいに格好良かった。振り付けも悪くなく、黒燕尾や月城率いるポーイスポップグループみたいな歌と踊りも決まっていた。
サヨナラショーはアーサー王の歌に始まり、これまでの出演作から。歌はそれなりなので、こんなものかという感じだが、改めていろんな役をやっていたのだなあと感心した。エリザベートの闇が広がるがインストの踊りだけだったのがちょっと残念だったのと、幽霊刑事の件で何故かキラキラのブルーの燕尾姿だったのが??
最後の「BADDY」はやっぱり好き。
2021年8月13日金曜日
8月13日 ミュージカル「ジェイミー」
森崎ウィンの主演にひかれたのだが…。のびやかな歌やダンスは期待通りだったけれど、今一つ楽しみ切れなかったのは、脚本のせいか。ゲイでになりたい16歳の少年の悩みを描くのはいいとして、リアリティがないというか、カタルシスが足りないというか。プロムにドレスを着て行くためにクラブのショーに出演するのも簡単に実現してしまうし、すぐにクラスメイトの支持を得てしまうなんて簡単すぎない?眉毛もろくに描けなかったくせに、観客を魅了するどんな魅力があったというの!? で、普通ならここがクライマックスだろうに、この作品では1幕のラスト。話はまだ続く。2幕は父親との確執が描かれるのだが、父親とは結局、決裂したまま。まあ、わからずやは放っておいてもいい。けれど、クラスで1人だけ、ジェイミーを快く思っていないイケメンのディーン(矢部昌暉)との対立も中途半端。ディーンは差別発言を繰り返し、親を使って学校にジェイミーをプロムに出席させないようクレームの電話を入れる。でも、ディーン以外のクラスメイトはジェイミーの女装姿を受け入れているし、この流れだと逆に一人で孤立してハブられないか?クラスメイトを巻き込めないのに人気者なの?(「あんたが大きな顔してられるのも学校があるから。卒業したらただの人」(大意)というプリティのセリフ、格好良かった!)最後はほかのクラスメイトに押し切られてしまうのも、うやむやな感じがした。
っていうか、ジェイミーは母親(安蘭けい)とその友人のレイ(保坂知寿)に絶対的なサポートを受けているし、はじめからクラスメイトは好意的だし、親友のプリティは頼りになるし…で、ゲイだからといって一昔前のような、孤立して悩める主人公ではないよね。ウィンの陽性なキャラクターのせいもあるのか、虐げられたり逆境にあったりする感じがしないのも、物語としてはマイナスかも。
あと、英語だったらもっとテンポよく行きそうだと思う会話も所々あって残念ポイントだった。
ドラァグクイーンのオネエサマがた(泉洋平、吉野圭吾、今井清隆、石川禅)は迫力はあるものの、美への執着が薄いのが残念なところ。美しく見せようという姿勢が足りないところが、ヘテロが女装するときにうへぇとさせられるところ。歌唱力はすごかったけど。ウィンも、シナを作る仕草なんかはよかったけど、ホットパンツの着こなしはイケてなかった。赤いドレスも、大振りのフリルはあんまりゴージャスじゃないよ。プロムってそういうものかもしれないけど。
単なる女装の男の子でなく、「ドラァグクイーンは武装して戦って相手を圧倒する」(大意)っていう、ヒューゴのセリフに納得。オドオドしてたらクイーンじゃないよね。
教師役のミスヘッジが実咲凛音と後で知った。ピンヒールを履きこなしていたのが凄かった。
2021年8月8日日曜日
8月8日 新作能「長崎の聖母」
被爆地長崎の浦上天主堂を舞台に、子どもを亡くした老婆と聖母マリアが交錯する。
ソプラノによる聖歌のような歌唱が冒頭や合間に挟まれるのは、題材に合っていて違和感はない。花の映像はちょっと安っぽく感じたが。途中、デジタルで時刻が表示され、1945年8月9日11時02分まで遡る。原爆の日が近いこともあり、不思議な時空を感じる演出。ヤコブの井戸よりは作品として成立しているように感じた。
後シテの面は頬にすすけたような黒ずみ。被爆したマリア像の象徴らしいのだが、出てきたときは違和感。だって、配役表には「聖母マリア」としか書いてないから。マリアとマリア像は違うでしょ。
ポストトークで燐光群の坂手洋二と鳥公演の西尾佳織。日本人が原爆や戦争を描くとき、被害者の立場からだけで、戦争や原爆は悪というところで止まってしまいがちだが、加害者としての立場も忘れてはいけないという坂手の主張に激しく同意。「この作品ではあえて描かず、観客に考えさせている」と言うのは??だけど。原爆の被害、悲惨でした、もう二度と繰り返さないでという主張はもっともだけれど、それだけれは再発は防げないと思うから。そういう意味で、この作品はあまり心に響かなかった。
8月7日 OSKレビュー夏のおどり「STARt」
キレのいい踊りはよかったたものの、ショーの構成や振り付けがぱっとしない。踊りが得意な楊だから、洋物の2幕構成にしたのだろうが、正直代わり映えしなくて飽きた。歌が不得手なのは仕方ないにしても、踊りだけで2時間引っ張るのならもっと工夫が欲しい。クラシカルなショーダンスやジャスだけでなく、BTS風のヒップホップもイケるのだから、その辺でメリハリはつけられるはず。
踊りでは、精悍な表情や、セクシーなウインクやら、トップらしい風格が出てきた一方、喋ると女の子なのが惜しい。別に無理して低い声を作らなくても、話し方やトーンで男らしさは出せるはず。義太夫でも勉強してほしい。
印象的だったのは、前トップの桐生麻耶から楊にバトンを託すような場面。この2人、兄弟みたいでムネアツ。そして、楊の歌を聴いた後、桐生の歌がとても上手く聞こえた…。落ち着いた声質もいい。
ちょっと面白かったのは、スーパーマンに憧れるクラーク・ケント風の冴えない営業マン楊に不良たちが絡んでダンスバトル?を仕掛けるシーン。クラークもどきの扮装はいただけなかったが、マイケルジャクソンやプレスリーもどきの扮装、曲が楽しく、踊りもそれっぽくて楽しめた。
この日は楊の誕生日だったそうで、カーテンコールの「桜咲く国」の前にサプライズのプレゼント。無邪気に喜んでいたけど、マチネでは何もなかったの?
2021年8月7日土曜日
8月7日 新作能「ヤコブの井戸」
ワキ・イスラエルから来た元教師(殿田謙吉)とアイ・ロシアから来たユダヤ人移民(小笠原弘晃)は共に旅をしている。小笠原は完全に現代語、ワキは現代の言葉ながらやや重々しい語り口調。地謡は現代語で言葉は聞き取りやすいのだが、シテ(清水寛二)は面をつけているうえに完全に文語調なので、聞きにくいし、各々の語り口がバラバラで違和感がある。
装束は古典的な感じ。シテは頭巾を被っているので、面と体のバランスが自然な感じに見えて表情が生きた。
前場と後場の間のいわゆる間狂言に何故か太郎冠者風の装束に猫の面の村の猫(みょんふぁ)。面はよくできてると思ったけれど、砕けた口調に馴染めず、つい意識を手放してしまった…。
後シテのサマリアの女は若い面。舞のクライマックスで頭巾を捨て去るのだが、何か変。せっかく頭巾でいい感じだったのに、面からはみ出す輪郭が…。
英語の字幕が常についていて、チラチラ見ていたのだが、詞章の訳ではなくト書きのような感じだったのはなぜ?そして、喋っていることと微妙に内容が違ったような。