2025年7月22日火曜日
7月22日 文楽公演 第3部
Welcome to BUNRAKU として司会と刀剣乱舞の小狐丸の人形が登場。声優の近藤隆の喋りにあわせ、玉彦の主遣いでさまざまなポーズを決め、写真撮影に応じるサービスも、人形の動きがややぎこちなく感じた。近藤は休憩の案内や終演後のアナウンスもあり。
「伊勢音頭恋寝刃」
古市油屋の段を錣・宗助。
水気が滴るような語りはこの物語には合っていないのでは。
奥庭十人切りは芳穂・錦糸。
演奏は申し分ないのだが、だからこそ余計に物語の理不尽さに胸が悪くなる。人形だと殺しの美学というよりは、殺伐としてしまうのも一因か。
人形は一輔のお紺、簑二郎の万野、勘十郎の貢。
「小鍛冶」
織の稲荷明神、休演の睦に代わって亘の宗近、織栄の道成、文字栄。三味線は藤蔵、清志郎、寛太郎、燕二郎、藤之亮。
力づくでねじ伏せるような語りと三味線。
玉助の老翁実は稲荷明神、紋臣の小鍛冶、簑太郎の道成。
2025年7月21日月曜日
7月21日 七月大歌舞伎 夜の部
「熊谷陣屋」
仁左衛門の熊谷は重厚にして繊細で見応えたっぷり。数珠を手に花道を出てくるときの表情が全てを物語っている。意を決して数珠を袂にしまう仕草に、一人息子を手にかけた苦しみがひしとつたわる。戦地まで押しかけてきた女房を嗜める言葉の裏、真実を隠しつつ藤の局に敦盛の首を打った模様を語る戦語り、息つく暇もないほどの緊張感。「十六年は一昔」の言葉に込められた思いの深さ。花道で笠を被ってうずくまり、立ち上がって歩き出すも笠で両耳をしっかと覆う。深い悲しみ、無念さが強く伝わった。
孝太郎の相模は階段を上るときぴょこぴょこしたり、座って向きを変える時の裾のあしらいがモタモタしたり。壱太郎の藤の局は芝居がくさい。弥陀六の歌六が手堅い。
「口上」
仁左衛門が取りまとめ。途中、名前を言い淀んだり、「立派な八代目に」というべきところ六代目と言い間違えたりもあったが、不足なく。菊五郎は女方をはじめ、岳父播磨屋の当たり役にも挑む、歌舞伎界を支える存在と。菊之助は芸筋がよく、踊りもしっかりしているとベタ褒め。 扇雀、孝太郎、歌六、鴈治郎、弥十郎、錦之助と続く。菊之助が子どもらしくないとか、しっかりしているとか口々にほめそやし、錦之助に至っては、「いずれ『国宝』に」とまで言っていて、プレッシャーにならないかと心配なくらい。 「土蜘蛛」 音羽屋新古演劇十種の一つだが、菊五郎で観たいのはこれではない感じ。 菊之助が侍女胡蝶で、能がかりの舞をしっかりと。ただ、発声はちょっと辛そう。 保昌の弥十郎は大柄な身体が立派で、映える。頼光の時蔵は気品があり、佇まいが美しい。 番卒太郎、次郎、藤内に鴈治郎、扇雀、彦三郎は珍しい組み合わせ。 一般の子役がとてもうまくてびっくりした。太刀持ちはセリフがしっかり。小姓はもっと小さいが、所作がちゃんとしていた。
仁左衛門の熊谷は重厚にして繊細で見応えたっぷり。数珠を手に花道を出てくるときの表情が全てを物語っている。意を決して数珠を袂にしまう仕草に、一人息子を手にかけた苦しみがひしとつたわる。戦地まで押しかけてきた女房を嗜める言葉の裏、真実を隠しつつ藤の局に敦盛の首を打った模様を語る戦語り、息つく暇もないほどの緊張感。「十六年は一昔」の言葉に込められた思いの深さ。花道で笠を被ってうずくまり、立ち上がって歩き出すも笠で両耳をしっかと覆う。深い悲しみ、無念さが強く伝わった。
孝太郎の相模は階段を上るときぴょこぴょこしたり、座って向きを変える時の裾のあしらいがモタモタしたり。壱太郎の藤の局は芝居がくさい。弥陀六の歌六が手堅い。
「口上」
仁左衛門が取りまとめ。途中、名前を言い淀んだり、「立派な八代目に」というべきところ六代目と言い間違えたりもあったが、不足なく。菊五郎は女方をはじめ、岳父播磨屋の当たり役にも挑む、歌舞伎界を支える存在と。菊之助は芸筋がよく、踊りもしっかりしているとベタ褒め。 扇雀、孝太郎、歌六、鴈治郎、弥十郎、錦之助と続く。菊之助が子どもらしくないとか、しっかりしているとか口々にほめそやし、錦之助に至っては、「いずれ『国宝』に」とまで言っていて、プレッシャーにならないかと心配なくらい。 「土蜘蛛」 音羽屋新古演劇十種の一つだが、菊五郎で観たいのはこれではない感じ。 菊之助が侍女胡蝶で、能がかりの舞をしっかりと。ただ、発声はちょっと辛そう。 保昌の弥十郎は大柄な身体が立派で、映える。頼光の時蔵は気品があり、佇まいが美しい。 番卒太郎、次郎、藤内に鴈治郎、扇雀、彦三郎は珍しい組み合わせ。 一般の子役がとてもうまくてびっくりした。太刀持ちはセリフがしっかり。小姓はもっと小さいが、所作がちゃんとしていた。
2025年7月19日土曜日
7月19日 文楽公演 第2部
「一谷嫩軍記」
熊谷桜を靖・勝平。
靖はまた悪い癖がでて声のコントロールが効いていない感じ。特に相模や藤の局の高音域が辛い。
熊谷陣屋の切は千歳・富助。人物の語り分けが的確で、敦盛の最期(嘘だけど)を緩急のある語りで聞かせる。今、一番充実した語りだと感じる。 後は藤・燕三。藤の語りはちょっと物足りない感じもあるが、「持ったる首が揺るぐのを頷くように思われて」が沁みた。「十六年もひと昔」をさらりと語るのも良かった。燕三の柔らかい音色が切々と響く。 人形は玉志の熊谷が体の芯が傾いでいるのが気になった。玉也の弥陀六が手堅い。一輔の義経は役不足と言うと何だけど、もっと色々観たかった。 「桂川連理柵」 六角堂はお絹の睦が療養のため休演し、長吉の咲寿が繰り上げで代役。長吉には碩が入り、儀兵衛は南都、三味線は清馗。 咲寿は落ち着いた語りで悪くない。碩は戯けた語りが少し硬いが、急な代役としては立派。 帯屋の切は若・清介。相変わらず。お取り巻きの「待ってました」の掛け声に加え、盆が回るなり退席するのはいただけない(しかも、道行で戻ってきた)。 後は呂勢・清治。パッと色彩が戻ったよう。 道行朧の桂川は希、小住、碩、聖、薫に清友、清丈、清公、清允。 人形は玉男の長右衛門に和生のお絹、玉助の儀兵衛、簑紫郎の長吉、勘弥のお半。
熊谷桜を靖・勝平。
靖はまた悪い癖がでて声のコントロールが効いていない感じ。特に相模や藤の局の高音域が辛い。
熊谷陣屋の切は千歳・富助。人物の語り分けが的確で、敦盛の最期(嘘だけど)を緩急のある語りで聞かせる。今、一番充実した語りだと感じる。 後は藤・燕三。藤の語りはちょっと物足りない感じもあるが、「持ったる首が揺るぐのを頷くように思われて」が沁みた。「十六年もひと昔」をさらりと語るのも良かった。燕三の柔らかい音色が切々と響く。 人形は玉志の熊谷が体の芯が傾いでいるのが気になった。玉也の弥陀六が手堅い。一輔の義経は役不足と言うと何だけど、もっと色々観たかった。 「桂川連理柵」 六角堂はお絹の睦が療養のため休演し、長吉の咲寿が繰り上げで代役。長吉には碩が入り、儀兵衛は南都、三味線は清馗。 咲寿は落ち着いた語りで悪くない。碩は戯けた語りが少し硬いが、急な代役としては立派。 帯屋の切は若・清介。相変わらず。お取り巻きの「待ってました」の掛け声に加え、盆が回るなり退席するのはいただけない(しかも、道行で戻ってきた)。 後は呂勢・清治。パッと色彩が戻ったよう。 道行朧の桂川は希、小住、碩、聖、薫に清友、清丈、清公、清允。 人形は玉男の長右衛門に和生のお絹、玉助の儀兵衛、簑紫郎の長吉、勘弥のお半。
2025年7月13日日曜日
7月13日 未来につなぐ、能楽の世界
野村萬斎プロデュースの万博イベント。「鬼」を切り口に、「翁」「野守」「道成寺」「土蜘蛛」「菌」「紅葉狩」「船弁慶」のダイジェストで春夏秋冬を描く趣向。「菌」を鬼とするのはちょっと無理がある気もするが。
翁は金剛永謹、道成寺は大槻文蔵と福王茂十郎という豪華配役は勿体無いくらいだが、映像の効果もあって初めて見る人にも満足感があったのでは。(というか、映像がないとしょぼくなっていたと思う…)舞台後ろの縦長のスクリーンを上げ下げして幕のように使い、道成寺では鐘の映像を映した幕の後ろから鬼が登場した。 一番の見ものは大槻文蔵の「道成寺」だったと思うが、鐘入りの後、鬼と化してからの舞を5分ほどだが、ミニマムながらキレのある動きが美しい。おそらく今後道成寺を演じることはないだろうから、観られたのは幸いだった。 「菌」では子どもたちが小さいきのこで登場し、微笑ましい。「紅葉狩」は前シテと後シテを別の人にしたことで、展開がスムーズに。「船弁慶」の義経は福王登一郎か。知盛の他に4人の武者の亡霊が現れ、舞台下に広がって立ち回り。わずか1時間弱の舞台に主演者多すぎでは。
最後は鬼の面を被った萬斎が現れ、「外身は鬼だが、中身は人」と言って素顔を現す。公演を振り返りつつのトークが少々長いうえ、誰をターゲットにしているのか(子ども向け?)よく分からなかった。これを機会に能楽堂を足を運んで、ということか。 14日19時の部を再見。 演出がちょっと変わっていたようで、開演前には鬼の面をかけた萬斎が客席を歩き回り、写真撮影や握手に応じていた。 「翁」は天下泰平を願う一節だけで、同時に「野守」の鬼たちも舞台下や客席後方に登場。「道成寺」では炎をイメージした赤いライトが過剰に感じた。
翁は金剛永謹、道成寺は大槻文蔵と福王茂十郎という豪華配役は勿体無いくらいだが、映像の効果もあって初めて見る人にも満足感があったのでは。(というか、映像がないとしょぼくなっていたと思う…)舞台後ろの縦長のスクリーンを上げ下げして幕のように使い、道成寺では鐘の映像を映した幕の後ろから鬼が登場した。 一番の見ものは大槻文蔵の「道成寺」だったと思うが、鐘入りの後、鬼と化してからの舞を5分ほどだが、ミニマムながらキレのある動きが美しい。おそらく今後道成寺を演じることはないだろうから、観られたのは幸いだった。 「菌」では子どもたちが小さいきのこで登場し、微笑ましい。「紅葉狩」は前シテと後シテを別の人にしたことで、展開がスムーズに。「船弁慶」の義経は福王登一郎か。知盛の他に4人の武者の亡霊が現れ、舞台下に広がって立ち回り。わずか1時間弱の舞台に主演者多すぎでは。
最後は鬼の面を被った萬斎が現れ、「外身は鬼だが、中身は人」と言って素顔を現す。公演を振り返りつつのトークが少々長いうえ、誰をターゲットにしているのか(子ども向け?)よく分からなかった。これを機会に能楽堂を足を運んで、ということか。 14日19時の部を再見。 演出がちょっと変わっていたようで、開演前には鬼の面をかけた萬斎が客席を歩き回り、写真撮影や握手に応じていた。 「翁」は天下泰平を願う一節だけで、同時に「野守」の鬼たちも舞台下や客席後方に登場。「道成寺」では炎をイメージした赤いライトが過剰に感じた。
2025年7月12日土曜日
7月12日 七月大歌舞伎 昼の部
「新版歌祭文」
お染の扇雀がぶりっ子するのは想定していたが、つられたのか壱太郎のお光までもがブリブリしていてげんなり。純朴な村娘のはずが、年増が若作りしているみたい。あざとさが目につき可愛くないのは勿体無い。鏡越しにお染を突くところも、男に媚びてるみたい。
お染の花道の出で、お付きの女中が「お嬢様、今日もお美しい」とか、「立てば芍薬、座れば牡丹…」と褒めちぎるのはデフォルトだっけ?(無理筋の設定を観客に知らしめるようで…) 駕籠かきで千次郎都、翫政はいいのだが、花道で裸になる(肉襦袢は着ているが)のは必要?なんか目のやり場に困る。
「羽根の禿」
新・菊之助は踊りがしっかりして危なげないのだが、可愛さの演技はまだぎこちない。大人びた表情なので、少女の可愛らしさとは違う感じ。左足の足袋のこはぜが外れていて、どうするのかとハラハラしていたら、途中後見がさっと直してくれてほっとした。
「うかれ坊主」
所作は軽妙だけど、何故か戯けた感じでなくて、新・菊五郎にはやっぱり似合わないと思う。多分この人は基本的に陰キャなので、おどけていてもどこか楽しそうでないのだろう。
「髪結新三」 有名な話なのにちゃんと観るのは初めてかも。菊五郎の新三は悪の中に影を感じさせる格好良さ。ただ、大家に言いくるめられ、さらにおかみの告げ口で家賃まで取られる踏んだり蹴ったりは本来はクスリと笑わせる場面だが、今ひとつ笑いが少ない。菊五郎の新三に愛嬌がないからか。 勝奴の菊次がよき。錦之助の弥太五郎は男前なのに新三にやり込められてしまう情けなさが絶妙。 新三と弥太五郎の立ち回りを中断し、「本日はこれ切り」で幕。
お染の扇雀がぶりっ子するのは想定していたが、つられたのか壱太郎のお光までもがブリブリしていてげんなり。純朴な村娘のはずが、年増が若作りしているみたい。あざとさが目につき可愛くないのは勿体無い。鏡越しにお染を突くところも、男に媚びてるみたい。
お染の花道の出で、お付きの女中が「お嬢様、今日もお美しい」とか、「立てば芍薬、座れば牡丹…」と褒めちぎるのはデフォルトだっけ?(無理筋の設定を観客に知らしめるようで…) 駕籠かきで千次郎都、翫政はいいのだが、花道で裸になる(肉襦袢は着ているが)のは必要?なんか目のやり場に困る。
「羽根の禿」
新・菊之助は踊りがしっかりして危なげないのだが、可愛さの演技はまだぎこちない。大人びた表情なので、少女の可愛らしさとは違う感じ。左足の足袋のこはぜが外れていて、どうするのかとハラハラしていたら、途中後見がさっと直してくれてほっとした。
「うかれ坊主」
所作は軽妙だけど、何故か戯けた感じでなくて、新・菊五郎にはやっぱり似合わないと思う。多分この人は基本的に陰キャなので、おどけていてもどこか楽しそうでないのだろう。
「髪結新三」 有名な話なのにちゃんと観るのは初めてかも。菊五郎の新三は悪の中に影を感じさせる格好良さ。ただ、大家に言いくるめられ、さらにおかみの告げ口で家賃まで取られる踏んだり蹴ったりは本来はクスリと笑わせる場面だが、今ひとつ笑いが少ない。菊五郎の新三に愛嬌がないからか。 勝奴の菊次がよき。錦之助の弥太五郎は男前なのに新三にやり込められてしまう情けなさが絶妙。 新三と弥太五郎の立ち回りを中断し、「本日はこれ切り」で幕。
2025年7月7日月曜日
7月7日 ロベルト・ボッレ・アンド・フレンズ
大阪・関西万博のシャインハットでの特別公演。
無料公演ながら、12作品を上演し、ボッレはこのうち5作品に出演するという奮闘ぶりでタイトルに偽りなし。上半身裸の衣装が多く、ギリシャ彫刻のような身体美を見せつけるよう。コンテ作品ばかりだったが、バラエティに富んだ構成で見応えたっぷりだった。事前の案内には1時間と書いてあったけど、1時間45分くらいあった。
「カラバッジョ」
メリッサ・ハミルトンとボッレ。ボッレは上半身裸でギリシャ彫刻のような身体美を見せつけ、ハミルトンもミニマムな衣装でしなやかな体のラインがよく見える。アクロバティックなリフトもあってスリリング。
「エスメラルダ」
坂本莉穂と清田元海。プロが踊るエスメラルダを観たのは初めてかも。坂本は軸がしっかりしている感じ。タンバリンを鳴らすところは音楽とずれてしまうところもあったが。清田はジャンプに迫力があった。
「ムーンライト」
ボッレとトゥーン・ラウバッハ。ドビュッシーの「月の光」が流れるなか、月の映像を円形の会場の壁に映す。男性ダンサーのパドドゥはどこか官能的。ラウバッハはボッレに比べると細身なので、2人が並んだバランスが良い。
「ドンキホーテ」
菅井円加とアダムザン・バフティヤール。菅井のキトリは期待を裏切らない。フェッテはダブルが中心だったけど、ポワントワークで遊びを入れるなど、余裕たっぷりで相手を挑発するような視線にどきりとする。
「イン・ユア・ブラックアイズ」
ボッレのソロ。
「タリスマン」
タチアナ・メルニクと清田。床が滑るのか、メルニクがポワントで体勢を崩してハラハラするところも。
「デジタル・シルク」
ラウバッハ自作のソロ。ゆったりしたスーツに革靴という衣装で、ロボットダンスを思わせるハードな振り付け。しなやかで強靭に動く様はゴム人形のよう。終わったあと客席からどよめきが漏れるほど、圧巻の身体能力だった。
「Take me with you」
ハミルトンとボッレ。白シャツに黒の短パンという衣装で、ももを叩いたり指を鳴らしたりしながら登場。
「シェヘラアード」
菅井とアダムザン。
「スプリング・ウォーター」
メルニクとボッレ。ギリシャ神話のようなヒラヒラした衣装。
「Sphere」
ボッレのソロ。宇宙のような映像が投影されるなか、直径3メートルほどの惑星のような球体と戯れるように踊る。最後は球体を抱え、アトラス神のように。
カーテンコール(カーテンはないが)は「イマジン」が流れる中、さまざまな国の言葉で「peace」「平和」の文字が映し出され、レインボーカラーの旗を手にした出演者が並ぶとスタンディングオベーション。とてもいい公演だったけど、運営のグダグダぶりに振り回されたり、舞台が狭いので通常なら斜めの対角線上をシェネで移動するところ、弧を描くようなラインを取ったり、男性ダンサーは数歩戻ってからジャンプしたりと、踊りにくそうなところもあった。
7月4日 素浄瑠璃の会
「毛谷村の段」を靖・燕二郎。
気迫のこもった語り・演奏だったが、靖の汁気がいつも以上に多くて見るのが辛く、肝心の斧右衛門の嘆き聞き逃してしまった…。
「上田村の段」は呂勢・燕三。
落ち着いた演奏でいいなと思っていたが、アフタートークでは2人とも不満そう。呂勢はパンフレットのコメントにもあったが、詞ばかりで紡ぐ物語に苦戦したようで、峯田さんの「できなかったの?」の問いにも言葉少な。島師匠や清治師匠のモノマネをしながら、叱られた言葉が脳内再生される様子を話していた。燕三は思い入れが強すぎて突っ走ってしまったそう。
聴いた感想としては、語り分け、引き分けが明瞭で、物語りの解像度が高かったのだが、泣かなかったのは何かが足りなかったのかも。
気迫のこもった語り・演奏だったが、靖の汁気がいつも以上に多くて見るのが辛く、肝心の斧右衛門の嘆き聞き逃してしまった…。
「上田村の段」は呂勢・燕三。
落ち着いた演奏でいいなと思っていたが、アフタートークでは2人とも不満そう。呂勢はパンフレットのコメントにもあったが、詞ばかりで紡ぐ物語に苦戦したようで、峯田さんの「できなかったの?」の問いにも言葉少な。島師匠や清治師匠のモノマネをしながら、叱られた言葉が脳内再生される様子を話していた。燕三は思い入れが強すぎて突っ走ってしまったそう。
聴いた感想としては、語り分け、引き分けが明瞭で、物語りの解像度が高かったのだが、泣かなかったのは何かが足りなかったのかも。
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