能、文楽、落語で佐藤忠信に因んだ物語りを見比べるという企画。同じ人物がここまで変わるとは。講談師の旭堂南による解説もあって分かりやすく、面白かった。
まず、歴史上の忠信というか、「義経記」に描かれる佐藤忠信は、義経が吉野山から逃げのびる際、何もせずに逃げては武士の名折れと志願して1人残り、追手と戦った後、自害したと見せかけて義経一行に合流する。たった一人で何人もの働きをする超人的な人物。
一方、能の「忠信」は、義経の元に付き従っていたいと願っていたのに、周囲に押されて一人残って戦うことになる。追手と戦い、抜け道から逃げのびるという筋。
能楽師の山本章弘が忠信。能の抑えた動きながら、立ち回りが結構派手で面白い。刀を合わせたり、討たれた敵が後ろ向きにばったり倒れたり。
文楽は「義経千本桜」の「河連法眼館 狐忠信の段」の抜粋。忠信の超人性から、これは人間ではなく狐の化けたものという設定で物語りが進む。
上演したのは、狐忠信が本物の忠信ではなく、狐であると露見してから。千歳大夫、宗助の床に、人形は玉佳。能舞台での上演だったので、主遣いが下駄を履けなくて、少々演じづらそう。狐に変化するところも丸見えだったし。途中、仰向けになって手足をバタバタするのはどういう意味だったのだろうか。
落語の「猫の忠信」は、化け猫の話。二親を三味線の皮にされてしまった子猫が親に会いたさに化けて、浄瑠璃のお師匠さんの家に入り込むという。演者は桂宗助。落語なのに、なんだかテンポが悪いというか、繰り返しがくどく感じて、いまいち楽しめず。他の落語家さんだったら楽しめるのか、はてまた、演目自体への相性が悪いのか。
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